今回は、2018年11月2日金曜日放送、「チコちゃんに叱られる!」のお話。
「エース」ってなに?
たしかに、野球でチームで一番のピッチャーをエースって呼ぶよね。
トランプのエースだと思っていたけど、違うのかな?
「エース」ってなに?
本日の3問目。
にらめっこのあとは、いつもの笑いながら始まるパターン。
チコちゃん「運動神経バツグンのスポーツマンな大人ってだーれ?」ということで、岡村さんが立候補して回答者。
チコちゃん「サッカーや野球などのチームスポーツで一番活躍する選手を何と呼ぶ?」
岡村さん「エース」。
チコちゃん「「エース」ってなに?」
岡村さん「エースのAが、アルファベットで言うと1番。だから1番っていう意味。」
チコちゃん「ものすごい簡単な事だったのね?」
正解でなかったようで、チコちゃんに叱られちゃいました。
エースストライカーやエースアタッカー、エースピッチャーなどなど。
あらゆる分野でエースという言葉は頻用。
街頭インタビューでも、エースの由来についての正解はありませんでした。
元大洋ホエールズのエース、ヒゲの齊藤こと、齊藤明雄さんへ取材
大洋ホエールズのエースナンバー17番。
140km/hのストレートと80km/hのスローカーブを武器に活躍。
齊藤さん「私はエースって言葉は昔から言われてる言葉であって、由来って言うのはちょっと分からないっていう状況かなっていう感じ思いますね。」
小木さん「何それ?笑」
斎藤さんも正解にいたらず、出張用チコちゃんに叱られちゃいました。
チコちゃんの答えは、
エースとは「エイサ」
なんのこと??
エイサという名の名ピッチャーから。
解説してくれたのはアメリカの野球の歴史について研究する法政大学の鈴村裕輔講師。
エイサとはアメリカの野球選手でアサヘル・ブレイナード選手。
およそ150年前に創立されたアメリカ発のプロ野球チームであるシンシナティ・レッド・ストッキングスでピッチャー。
エイサとはアサヘル(Asahel)の幼少期からの愛称。
このエイサ選手は、現在の野球の基礎を作った偉大な選手だったんだ。
バッターが主役の当時の野球
エイサの時代の野球のルールは現在の物とは大きく違っていたそう。
当時の野球で重要だったのは「バッターに打たせる」という事。
その為に1860年代のルールではピッチャーは下手投げ。
急速も約50km/h前後。
バッターが絶対の主役だったんだね。
エイサはこれまでの野球の慣例を破った
約98km/hと言われた剛速球と、さらにプロ野球史上初と言われる変化球(カーブ)を駆使してバッターに打たせないピッチング。
そもそも野球は生活にゆとりのある富裕層のためのレクリエーション。
勝ち負けには余りこだわらないという風潮。
プロになったという事でこの状況が一変。
エイサはプロ選手として勝ちにこだわるピッチング。
遊びから真剣勝負のスポーツ競技に変えた変革者がエイサ選手。
エイサ選手の勝ちにこだわったピッチングでチームは負けなし。
レッド・ストッキングスの年間成績は全57試合中56勝0敗1分けという成績で優勝。
エイサは一躍大スターになったんだ。
さらに親しみを込めて「エイサ」から「エース」へ。
この事から1870年代以降、次々に勝利を収めるピッチャーをエースと呼ぶようになったんだって。
これがエース誕生のきっかけだったんだね。
野球界のバイブル「ベースボールディクショナリー」
ナレーション「ということでエースとは・・・といきたい所ですが、我々には一つ乗り越えなければならない大きな壁があります。」
野球界のバイブル「ベースボールディクショナリー」
あらゆる野球用語を網羅する百科事典。
前回のサウスポーの語源を調べた時に、ベースボールディクショナリーには「幻想にすごない」と書かれていた本。
そういえば、サウスポーの語源はいまだわからずですね。
さて、エースに該当するページには、
pitcher Asa Brainard won 56 out of 57 gamespitcher with a dazzling string of wins was called an “Asa.” which later became “ace.”
エイサ・ブレイナード投手が57試合中56勝を収めた出来事以来、次々と勝利を収めた投手をエイサ、転じてエースと呼ぶようになった。
ということで、ベースボールディクショナリーでも確認。
結論
というわけで、
「「エース」ってなに?」は、
「エイサという名の名ピッチャーから。」
でした。
(注)エースの由来にはトランプで1番を意味するA(エース)が由来という説もあるとのこと。
解説してくれたのは
法政大学鈴村裕輔講師
鈴村裕輔講師
鈴村 裕輔(すずむら ゆうすけ、1976年7月1日 – )は、野球史研究家、法政大学国際日本学研究所客員学術研究員、博士(学術)。
略歴
東京都生まれ。東京都立青山高等学校、法政大学文学部哲学科、同大学院人文科学研究科哲学専攻修士課程、同国際日本学インスティテュート社会科学研究科政治学専攻修士課程および同インスティテュート政治学研究科政治学専攻博士後期課程修了。2008年3月に法政大学より博士(学術)の学位を授与される[1]。
高校在学時から藤澤文洋に師事してアメリカ野球の研究を行い[2]、1997年に『オールタイム大リーグ名選手101人』(日本スポーツ出版)にオジー・スミスの項目を担当して執筆活動を開始する。
以後、研究・執筆活動を行う傍ら、2003年には大リーグ公式ライセンスサイトMAJOR.JPにコラム「いま話題の選手たち」を連載し、2004年にはスカイパーフェクTV!の大リーグ中継解説者を務めた。現在、パンチョ伊東、八木一郎の第1世代、藤澤文洋、福島良一の第2世代につづく第3世代[3]としてメジャーリーグを題材にした活動を行い、事実上野球文化論では池井優の後継者となっている[4]。雑誌『体育科教育』(大修館書店)でコラム「スポーツの今を知るために」などを連載している。
このほか、比較思想、文化研究などの分野でも論文を発表しており、宗教家・哲学者の清沢満之の研究で博士号を取得し、野球文化学会会長、アメリカ野球愛好会副代表などを務める。
また、国立情報学研究所の提供する研究者向けサービス新世代研究基盤リサーチマップ(Researchmap)内の自身のページにて「研究ブログ」[5]を執筆し時事評論や研究活動報告等を行っている。
(Wikipediaより)
法政大学(ほうせいだいがく、英語: Hosei University)は、東京都千代田区富士見2-17-1に本部を置く日本の私立大学である。
1920年に設置された。
大学の略称は法大(ほうだい)、法政(ほうせい)。
法政大学は、1880年4月設立の東京法学社(のち東京法学校)[1] および1886年設立の東京仏学校を前身とする、私立総合大学である。明治初期の頃、近代国家にふさわしい制度づくりの必要性や、自由民権運動が高揚する時代背景などから、近代的な法治システムや権利義務等を教育する、フランス法系の私立法律学校として創設された。なお、現存する日本の私学の中では最古の法学部を有する[2]。また、1920年に大学令準拠の旧制私立大学に昇格した一校であり、東京六大学の一校としても知られる。現在では、15学部・大学院17研究科を抱える総合大学となっており、「スーパーグローバル大学」に選定されている[3]。創立者のほかに、初代教頭のギュスターヴ・エミール・ボアソナード (Gustave Émile Boissonade) と初代総理(総長)の梅謙次郎を学祖としている。
本部および多くの文系学部生が通う市ケ谷キャンパスは、東京都千代田区に位置する。旧江戸城外堀や皇居、北の丸公園、靖国神社付近に立地しており、都心の緑地に囲まれている。昭和後期に入ると郊外へとキャンパスを広げ、現在はサテライトキャンパスを除き、市ケ谷・小金井・多摩の都内3キャンパス体制となっている。
ランキング
大学志願者数ランキングでは、2017年・2018年に2位(東日本1位)[4][5]、後期日程を除くと2007年〜2014年・2016年に3位[6]、2017年・2018年に2位(東日本1位)となっている[7](法政大学は後期日程の入試を行っていない)。また、併願をカウントしない実志願者数でも2018年に2位となっている[8]。
Times Higher Educationによる世界的大企業のCEO(最高経営責任者)輩出ランキング2013において、世界の大学中第100位(日本国内の大学では第9位)と評価されている[9]。
グローバルなキャリア形成に力を入れており、国際教育プログラムとして独自の制度が用意されている。留学制度・海外派遣制度が充実しており、海外への留学生数は国内全大学中4位となっている[10]。
(Wikipediaより)
今回も最後まで読んでくれてありがとう。
他の記事もよろしくね。