2024年03月17日

犬だなぁ

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飼い主以外からはお腹がすいていても受け取らない。

可愛いなぁ。

犬だなぁ。

食べ物見たら誰にでもついていく犬もどきはいっぱいいるが、
そういうのは犬の毛皮を着た
ただの動物。

飼い主でなくても誰でも良いなんてのは、
忠誠心など無いのだからね。

でも、飼い主との絆が深い犬の場合、
飼い主は犬の寿命が尽きるまでは
絶対に死んではいけない。

だって、飼い主以外からは餌を受け取らないんだからさ!


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posted by Primrose at 02:12| 千葉 | Comment(0) | TrackBack(0) | 犬に関する考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年02月17日

日本犬の中に見える日本文化

海外から入って来た使役犬というのは
求められた作業に合致するように交配を重ねて作り上げられた犬たちだが
日本の使役犬と言ったら
狩猟とか番犬という
言わば原始的な作業に代表する犬たちだ。

国土が平坦が少なかったから
牧畜とかが発達しなかったということが大きいのだろうけれど
人間が自然を弄繰り回して都合よく生産を上げるということがなかったのは
古来からあった稲作だけで地形的に目いっぱいだったということなのかなと思ったりする。

野山で採れるものをうまく利用し
必要以上には採らない。

出来るだけ自然に手を加えない。

だから犬も
もともとのあるがままの犬という種を伝えてきただけで
変に弄繰り回して改変することが無かったということなのかな?

日本の食文化自体が
山の幸
海の幸と
採取に頼っていた時代が長く
人口の急増や都市集中化が始まってから
養殖だの機械化農業に移行しただけで
戦前までの食事は
本当に質素だった。

これから人口がどんどん減っていくこの国は
もともとの食文化に戻していくと
狭い国土の中でも食糧自給率は
案外良い線に納まるのではないかと思う。


但し、それには環境破壊してでも利を得ようとする
某国の進出や
移民推奨という動きを無くしての話だけどね。

そういう意味では
他国よりも自然災害が多い日本は
外国人からすると住みづらい部分もあり
大きな自然災害によって日本は守られたりということになるのかなとも思ったりする。


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2023年12月20日

おかしいと思わない?@

犬には犬の
人には人の
適正な食べ物というのがある。

それは
消化酵素の違いであったり
腸の長さや代謝の違いに因るからだよね?


なのに、基礎体温とか腸の長さとかの違いを無視して
オーガニックにこだわりすぎて
猫も杓子もハーブ中心となったドッグフードを作り始めた狂った時代があった。

アレルギー対策だの
肥満対策だのと言ってね。。。

人間が肥満しやすくなったから
カロリーオーバーなんじゃないかって
低カロリーのドッグフードが軒並み増えた。

人間が食べる物を与えるから
ペットが肥満したという考え方に因るのだと思う。

しかし、本来なら
犬は自分が満足すれば
必要以上には食べなくて
余剰の食べ物は食べ物を得られなかった時のために
穴掘って埋める。

そういう本能が備わっている。

飼い犬は
穴掘って埋めるという作業が出来ない環境に居る子が増えた。

室内飼いされている子が多いからね。

だったら余剰の食べ物をどうする?

拒否するというのが正解。

でも多くの子が
有ったら有っただけ食べてしまう。

だから肥満になる。

もう、それ、犬じゃなくなっているのだと気づこうよ。

みんなが飼っているのは
犬という姿をした
別の生き物なんだということに
いつになったら気づく?

低カロリーの物に変えたからオッケーなんじゃないからね。


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2023年08月04日

カオスの時代



今は本当にカオスの時代なのだなと思う。

相手の立場になれば理解できる簡単なことが
私利私欲のために見えなくなっている。

この世はいつだって不確かで流動的。

主導権を握る側と握られる側が
いつ入れ替わるかなんて判らない。

そこをいつでも意識していれば
相手の身になって考えるということや想像力は
もっとよく働くのだけどね。

自分の立場でしかものを考えられなくなっている人が
世の中にあふれている。

それがその先で何を引き寄せることになるかを考えなくなっている。

みんなかつてのヒトラーだ。

そんなことを考えると
かつてのナチズムというのは
今のこの時代のチラ見せ現象
プチ予告に過ぎなかったのかなと思う。


***************

昨日知り合いの犬飼さんがやってきて
午後の半日を
犬のことを始めとする世間話で過ごした。

以前はこちらが
犬にとってはお散歩などというものは何の意味もなく
人間が犬には散歩が必要と思い込んでいるにすぎないと言っても
全く受け付けず
散歩を毎日欠かさず朝夕行っている自分が
犬のことを大事にする良い飼い主だという想いを曲げなかったその人だったが
まだ4〜5歳のご自分の愛犬が最近散歩に行きたがらず
暑さを避けたら行くのではと
深夜に時間を変えてみたりなどいろいろ工夫してみたのだけど
それでも全く行こうとせずに
足で突っ張って動かないという。

2頭飼いのその方は
仕方がないからやむなく行きたがらない1頭を残し
他方の子を連れて出ると
残していた方の子が
自分ともう1頭の子が帰って来るのをずっと座って待っていて
それを見ると残されたことが悲しいのだろうという。

しかしその口ぶりの中に
まだ一緒に散歩に行きたかったのだろうという考えが見受けられたから

一緒に散歩に行きたかったんじゃなくて
飼い主と一緒に居たかっただけね!

と犬の気持ちを代弁してあげた。

(もっと言うなら
たとえ自分が行きたくなかったのだとしても
飼い主が一緒に連れて行くというなら
行くべきだと折れられる諦めとか
行った方が良いかもしれないと
飼い主の指示や希望が自分にとって良いことにつながるかもという
期待や信頼が無いのだと言うことができるほど
互いの絆が強くないというか
我慢することが無い我が儘犬だということであるのだが
そこまで言ってしまえば
この方は絶対に受け入れられないだろうなと
すべてを伝えることは控えた。

行きたくない気持ち>飼い主と共に居たいという気持ち
という構図が見えていないのだよね。

下手をすると
自分が絶対に行かないと誇示したら
飼い主は折れて
自分と共に居ただろうという想いを抱いていたかもしれず
それなのに他方の子を連れて出たという結果は
その犬が想定していた結果が裏切られただけでなく
自分より他方の子を優先したという風にとらえられて
さらに関係は悪化することにつながっていく可能性だってある。)

散歩

飼い主と共に居ること
は別次元の話。

まともな飼い主であれば
犬は飼い主といつでも一緒に居たいもの。

でも散歩は別に必要としてはいない。

それを犬がこれほど態度ではっきり表しているというのに
未だにその2つのことが混同されているから
お散歩神話というのはもの凄い洗脳力があるのだなと
改めて実感した。

昨日の収穫3個
累計140個


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2023年07月14日

犬の甘え方


飼い主の多くは
愛犬が自分に甘えてくれること、
特に、激しく甘えてくれると
自分の存在を受け入れてくれている
自分が必要とされているようで
そこに喜びを感じていたりする。

しかし、その激しく表見される甘えが意味していることは何か?を知ると
そんなに手放しで喜んではいられなくなるだろうなと思う。

でも
そんなことを疑ったことのある人はどれくらいいるだろうか?



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posted by Primrose at 00:21| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 犬に関する考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年07月13日

反応時間で見えるもの

ジョシュとレジに見える反応時間の違いは
そのまま我の違いなのだよなぁと感じるご飯タイム。

この季節
彼らはエサより水という感じで
何もしないでいたらエサは放置のまま水だけ飲んで終わるから
フードに水分を吸収させるが
それでも
さらにふやかしたフードに水をかけないと口をつけない。

若犬なら
そこまで至れり尽くせりしないのだが
爺様犬故
食べないのは体力低下が怖いから
つい過保護になり
仕方ねぇなと水をかける。

が、
こちらがフードに水をかける動作をしているその際に
先だって食べるようにと促され立っていたりする彼らに
水かけ作業の邪魔をされたくないから
一度また座るように声をかけると
ジョシュは素早く
しかも確実に腰を落とすが
レジは動き始めるのにわずかにタイムラグを感じ
さらには腰が完全には降りていない。

早く水が欲しいという気持ちが
屈曲の悪い飛節に現れている。

ごまかすなよ座ったフリとか通用しないぜと
飛節の屈曲がしっかり強くなるのを確認できるまで
待つということが多い。

この飛節の曲がりが強くなるのに要する時間は
レジが自分の欲望(水飲みたい欲求) < 言われたことを受け入れる
に必要な所要時間。

彼の中の「我」と解るから
その心の距離感にため息が出る。

レジの中では従っているつもりなのだろうけど
油の切れたブリキのおもちゃみたいに
滑らかではない動きのタイムラグ。

他所の人だと
こういうのはおやつを与えるという行為と
コマンドを付加するという行為の繰り返しで
簡単に解決しようとするのだけど
そういう解決方法では欲が絡んでいるだけに
見た目はスムーズな動きとなって見えても
その奥底にあるものの改善には至れない。

自分に都合よい事
自分が得するから
自分にとって都合の良い相手だから
従うのであって
我が取れるというのとはちょっと違う。

我が取れるためには
確かな信頼と
思考の人間化(損得勘定に基づく契約によるのではない
互いを思いやる心のつながり)が必要なのだ。

そういう意味では
レジの中に見え隠れしている我というのは
オババの彼に対するかかわりのまずさの表れを意味しているわけで
まだまだ試行錯誤が必要ということであり
オババの修行はまだまだ続くのだ。

最近はレジの甘え方にもジョシュのような穏やかさが出てきているから
あともうちょっとだよなと
自らを励ます。

本日の収穫2個
累計35個

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posted by Primrose at 23:47| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 犬に関する考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年07月07日

グレ者の猟犬

今年4月
猟友会の方が飼っている猟犬で
「勝手もん」なんだという犬を見せられた。

その犬は別のハンターから引き取らされた犬だとのことで
元飼い主が甘やかして好き放題させていたから
こんな風に勝手にどこかに走り去っては
遊ぶだけ遊んで
気が済んだら帰ってくるみたいな
仕事をしない勝手もんになったんだと言っていた。

う〜ん、それはちょっと違うなぁ。。。と思いながら聞いていた。

仮に元飼い主が好き放題を許していたから
悪い癖を持ったのだったとしても
現飼い主であるあなたが厳しい人だったり
犬をコントロールできる腕がある人だったら
グレ者のこの犬も更生するんだけどな。。。と心の声。

犬の年齢を尋ねると六歳くらいだという。

それならまだまだ治せる。

雌雄の別を訪ねるとオスだというので
かかわるのはやめた。

今の自分の体力と気力を考えると
結構な大きさのその犬は
直した後もしも自分が引き取ることになったら
ていうか
現在その犬を治せていないその方が
治ったからと言ってその犬を維持したり扱ったりできるとは思えないからね
最終的に自分が飼い続ける形になるだろうというのは解りやすい。

だから
自分が飼い続けるのであれば
引き取ってよいのはメスに限る。

子犬の頃からかかわっているなら
牡であってもジョシュのような繊細さが育っているだろうけれど
六歳まで野生頭で暮らしていた犬には
そういうことは望めなかろう。

かつてグレていた頃のリズと同じようなことをやっているその犬は
人間に幻滅して暮らしているのだなと
哀れに思うものの
使い物にならない犬をこちらが引き取ってくれはしまいかと
飼い主が思っているのは解っていたが
そのまま話を終わらせた。

仮に
人間に幻滅して苛立ちながらストレス満載の暮らしを送っていたのだとしても
少なくとも此処に居れば
雨露しのげる小屋と充分なエサは与えてもらえているのだから
あと何年犬を扱っていられるかわからない自分が引き取るより
お前はここにいた方が安泰だろう?

お前さんがメスだったら
きっとお前さんが寿命を全うするまで何とか頑張って生きるかと
こちらも踏ん張ったのかもしれないが
残念だったな。すまん!と心で詫びた。

苦労を背負い込むだけの飼育というのは
犬に対して失礼だからな。


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posted by Primrose at 04:08| 千葉 | Comment(0) | TrackBack(0) | 犬に関する考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年05月18日

薔薇の香りと犬の耳



1:02:22〜1:04:40


犬には嗅ぎ分けが出来ても
人間にはできないから
臭気選別なんていう訓練科目があって
足跡追求とか犯人の確定?特定?とかに犬が使われたりするよね。

本当は薔薇の香りはあるのだけど
人間がその香りを感知できないから
この種類のバラは匂いが無いのだと思い込んでいたりする。

こういう事は嗅覚に限らず
聴覚でも言えることだ。

犬笛とか
人間の耳には聞こえない周波数の音を出す笛がある事でも
人間の聴覚は犬のそれに比べ
如何に感度が低いか良く解る。

本当は発信されている音だけど
犬には聞こえて
人間には聞こえない。

匂いも音も
人間には匂わないし聞こえない。

だからといって
匂いや音が無いとは限らない。

今日オババは何が言いたいかというと
犬がテレパシーを使う生き物だという事を
みんなご存じないよねっていう事。

犬は相手のエネルギーを感じ取れる生き物だっていう事も
ご存じないよね。

ご存じない(感じ取れないというだけ)だけで
犬達には
それらの能力というか
機能が備わっているっていうことを
知っておいた方が
犬と言う生き物をもっとよく理解できる。

オババはスピリチュアル能力なんか全然持ち合わせてはいないけれど
犬達のテレパシーや
エネルギーを読み取る能力とかを知る方法だけは知っている。

いろんな犬達と関わる中で
ああ、これはそういう事なんだなって解る経験をいっぱい重ねたから
いつの間にかそれが分かる方法を見つけた。

そしてその方法は誰でもが
簡単に再現可能だ。

筋力、瞬発力、嗅覚、聴覚、テレパシー、エネルギーの読み取り能力
耐寒能力、出産頭数等々

こうした人間よりはるかに高い能力を備えている犬たちについて
赤ちゃん扱いして
守ってあげるだの
幸せにしてあげるだの
救ってあげるだの
のたまっていることは
勘違い野郎という物ではなかろうか?

本当は
犬達が人間に対し
そう思っていたりするんじゃね?

まったくうちの人間どもときたら
どんくさいし
鈍いし
我が儘で甘ったれてて
一人では過ごせないから
いっつも俺らの背中に触っていないといられないのさ。

しょうがないから
気が済むまで触らせてやってんだけど
あいつら騙すのなんてちょろいから
ヤツラが帰って来た時に大騒ぎしてやると
やつらは自分が好かれていると勝手に勘違いして喜んだりするから
サービスしてやってんだ。

ヤツラがなんか下らねぇことで怒った時は
ゴロンと寝ころんで腹出して見せれば
ごめんなさいって謝ってるっていいように解釈して
ガーガー言わなくなるから
チョロイよな。。ってとこ。



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posted by Primrose at 20:00| 千葉 | Comment(0) | TrackBack(0) | 犬に関する考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年05月07日

犬も人間も 必要に迫られなければやれないの。。。

オババが
不穏な動きをするIMEパッドの対処に動き出したのは
明日の夜に控えているZOOMのせい。

それが無かったら
イライラしながらも耐えていたと思う。

そう、大事なZOOMに支障があると困るから。。。という
必要に迫られたから
PCの設定に着手するに至ったわけ。

やり終えて思ったのは
人間も犬も
必要に迫られないと
なかなか積極的に動くことは無いっていう事だ。

かつてアラクレだったシェパードが
究極の危険な環境下では
凄い従順で
コマンドによく従ったのを思い出す。

犬だって必要を感じれば
自我を放棄して強調するのよ。。。

だからさ、
何言っても聞かぬ犬と言うのは
楽な環境で
飼い主に従う必要を
全然感じていないという事なんだなってこと。。。

必要が無いのに
努力できる人も居るには居るが
本の極僅かだ。

犬も多分そういう事なんだと思うよ。

雨が降っていると身体が汚れるのが嫌で
散歩に行きたがらない犬とかが居るじゃないですか?

そういう子って
もともと散歩は別に必要として居ないってことだと思うヮ。

必要な事だったら
身体が汚れようが関係なく行くでしょ!


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posted by Primrose at 09:41| 千葉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 犬に関する考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年04月05日

人間と犬について考える

犬は人間の7倍の速さで生きている。

それは何を意味するのか?

ただ肉体の老化が
七倍のスピードなのだ。。。ととらえることもあるだろう。


ある方によると
七倍の速さで修業するのだと言う。

「修業」という言葉を用いたその方は
宗教とかスピ系の方なのだろうと思ったが
修業かどうかはさておき
成長が速いことで
人間を幼く見ているところはあるのだろうなというのは
体験的にわかる。

仔犬という幼い姿で目の前に現れた存在が
いつしかこちらを試したり諭したり見守っていたりという存在に変わっていたりする。

そして彼らがこの世を去る際になると
こちらが納得できるまで
苦しい中じっと待っていてくれたりして
まるで孫と祖父母の関係のようだ。

仔犬を迎えて守ってあげたいと思っていたはずのこちらが
いつのまにか関係が逆転していて
彼らがこの世を去った後には
ああ、またかれらに追い越されてしまったなぁと
彼らのその精神性の高さに頭を垂れる。

犬と言う生き物は
オババにとっては人生の師そのものだ。

自分が堕ちてだらしないダメな時

ちゃんとしろよ!

とすかさず彼らの突っ込みが入る。

自分が頑張り過ぎているときは

そんなにピリピリしてるとこっちまで緊張しちゃうだろ!
もっとリラックスしろや〰。。。
って諭される。

彼らが居てくれることで
自分が今どんな状態かというのが客観的に見えてくる。


そんなことを考えると
「仔犬」の時代を終えた時点で
彼らは専属セラピストという立場に変わるのだと考えた方がよさそうだ。

彼らの状態を良く保つという事は
彼らを守るという事よりもむしろ
自分の人生を丁寧に生きるという事なのだと思う。





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posted by Primrose at 02:53| 千葉 | Comment(0) | TrackBack(0) | 犬に関する考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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