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J3以下のカテゴリーには様々な運営形態のチームがあります。
プロクラブ、アマチュアクラブ、実業団、学生、そしてセカンドチーム。 

一括りにセカンドチームとは言っても「設立の経緯や意義は様々」というご指摘を頂き、全国のセカンドチームの実態や特徴を知るために、セカンドチームにフォーカスしたコラムをシリーズでお送りしています。

第1弾は、東海社会人サッカーリーグ1部、FC岐阜セカンドです。



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■概要
 FC岐阜セカンド(以下セカンド)は2006年にFC岐阜Bとしてチームが設立され、岐阜地区1部リーグ(J1から数えて8部)からスタートしました。
 2001年に結成されたFC岐阜は、もともと国体を見据えて岐阜県のアマチュアサッカーの底上げを狙いとしていましたが、2004年12月の森山泰行氏の加入を契機にJリーグ昇格を目指す方向にシフトすることとなりました。しかしJリーグ昇格のためのチーム強化を図る上で、それまでプレーしていた選手たちを実力不足を理由に退団させるわけにはいかないと、受け皿とするべく設立されたのがFC岐阜Bでした。このアイデアは森山泰行氏の発案で、「Jを目指すことを理由に、彼らからサッカーを取り上げてはならない」との思いがありました。また、結成当初の目的であったアマチュアの底上げを継続していく役割を担うことが、FC岐阜Bの存在意義でありました。
 
 設立2年目の2007年、FC岐阜Bにトップチーム3名を加えて構成された岐阜県選抜は、東海地域予選を勝ち抜いて秋田県で開催された国体本大会に出場しました。岐阜県選抜の本大会出場は22年ぶりで、初戦でTDK SC(当時)の秋田県選抜に敗れたものの延長まで行く健闘を見せました。
 翌2008年も大分県での本大会に出場し、このときはベスト4まで進出。天皇杯岐阜県代表にも初めてなりました。さらに2009年には全社東海予選で当時2カテゴリー上の藤枝市役所を破って、千葉での全社本大会初出場。初戦でアイン食品に勝ち、セカンドとして初の全国大会勝利を挙げました。
 2010年からは東海リーグ2部に昇格し、2011年にはFC岐阜結成当初の目標だった東海リーグ1部に昇格。この間国体と全社の本大会出場はかなわなかったものの、天皇杯岐阜県代表は連続して獲得し、岐阜県のアマチュアトップコンテンダーとしての地位を着実に築いていきます。
 地元開催の岐阜国体を迎えた2012年は、本大会でベスト8となり、東海リーグでも鈴鹿ランポーレと最終戦まで優勝を争うも2位。
 そして2013年、東京国体で念願の優勝を果たし、東海リーグでも2年連続の2位、さらには4年ぶりに本大会出場を果たした長崎全社でも3位に入り、地域決勝の出場権を得るまでになりました。地域決勝は財政難で辞退しましたが、2014年以降はJFL昇格を目指して現在に至ります。

■現在の役割、問題点
 前述のように当初は既存選手の受け皿という役割だったセカンドですが、チームのポテンシャルが上がってきて、様々な役割をその活動の中で広げています。
 まずは当初の目的である国体成年男子サッカー競技への継続的な強化。地元開催の2012年をゴールとせず、その後も継続してチーム強化に努めたことが、翌年の優勝につながったのは間違いありません。そしてこの優勝に留まらず、さらなるレベルアップを目指して日々の練習や試合、シーズンオフの選手勧誘に力を入れています。
 次に高校、大学を卒業した後もサッカーを続けたい選手たちに挑戦、活躍の場を提供し、そこで力を付けて活躍が認められれば、トップチームはもちろん他のチームにステップアップできる道筋を用意してあげること。高校、大学を卒業してすぐプロに行ける選手はともかく、現時点ではそのレベルに達していなくてもサッカーへの情熱を持ち続け、向上心に満ちた選手は地元岐阜に限らず数多くいます。そんな選手たちに挑戦の機会を与え、プロを目指すなり、アマチュアとしてでも選手生命を完全燃焼させるなりそれぞれの目標に向かって存分に取り組んでほしいという「願い」がそこにはあります。また、プロになるならないに関係なく選手として自分なりに「やりきった」と感じてもらえれば、その後の人生においても何らかの自信やバックボーンとして支えになるという狙いもあります。
 さらに去年からはユースとの連携を深め、ユース育ちの選手をセカンドでもう一回り成長させてからトップチームやJFL、J3、J2の他チームに送り出す育成的な役割も今後は増してくることになるでしょう。

 ただ現時点では東海リーグに所属していることもあり、チーム運営をほとんど現場で賄っているのが実状です。というか、監督の勝野さんがほぼ一手に引き受けています。JFLへの昇格を視野に入れるのならば、本来運営に携わらなければならないはずの岐阜フットボールクラブがセカンドというチームを裏からサポートする体制を作る必要があるでしょう。
 ちなみに現在、チームを主にサポートしてくれているのは岐阜県サッカー協会や岐阜県体育協会で、スポンサーはついてませんが選手の雇用面でサポートしていただいている企業が数社あります。

■今後の展望
 まずサッカーではやはりJFLへの昇格、定着していきたいというのが目標になります。
 そしてそれに伴いユースとの連携をさらに図り、ユースの選手を2種登録させてセカンドの試合で経験を積ませ、成長の一助としたいですね。これは似た成り立ちのファジアーノ岡山ネクストが実践していることなんですが、セカンドでも出来なくはない話だと思います。

■おわりに
 「子供たちに夢を!」というのがFC岐阜のスローガンにあるのですが、その「夢」とは何ぞやと考えたときに「プロになるだけでしか夢は語れないのか」と思います。
 例えばユースや高校、大学で頑張っている子たちの中でプロになれる子よりもなれない子のほうが圧倒的に多いはずなんですが、プロになれないからといってその子自身が持つサッカーに対する気持ちを否定したり、あるいは踏みにじるような行為や環境を周囲の人間がすることがあってはならないと思います。それではスローガンの意味が薄れてしまうのではないかと。
 せっかく好きでやっているサッカーなのだから、思う存分やり遂げることが「夢」なのではないでしょうか。
 それをプロだけでなく、アマチュアでも用意してあげられるように考え、動いていきたいなと思います。


著者
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つる:岐阜の怪童 @secondsmania

紹介
 2005年から東海二部時代のFC岐阜の応援を僕と共に始めたFC岐阜サポの始祖と言っていい人です。厳しさの中に遊び心も忘れない自らの信念を持つ、立ち位置は違えど東海サッカーの「同志」と言える存在です。(ジュニア:東海帝王@dyingroses1975