nexfagi
J3以下のカテゴリーには様々な運営形態のチームがあります。
プロクラブ、アマチュアクラブ、実業団、学生、そしてセカンドチーム。 

一括りにセカンドチームとは言っても「設立の経緯や意義は様々」というご指摘を頂き、全国のセカンドチームの実態や特徴を知るために、セカンドチームにフォーカスしたコラムをシリーズでお送りしています。

第2弾は、JFL、ファジアーノ岡山ネクストです。




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■概要
 ファジアーノ岡山ネクスト(以下:ネクスファジ)は2009年2月に設立されました。本来なら県の地区リーグからスタートするところですが、岡山県社会人サッカー連盟の特例により岡山県1部リーグからの参加を認められました。このチームの最大の狙いは若手選手や故障者に出場機会を積ませ、トップチームの強化を図る事です。初年度となる2009年は元北朝鮮代表で2006年までトップチームでも選手として活躍した梁圭史監督の下、岡山県1部リーグを全勝優勝。続く中国地域県リーグ決勝大会も優勝し、中国サッカーリーグへの昇格を決めました。
 2010年より眞中幹夫監督に交代。中国地域リーグ初年度の戦いは4位で終えました。2011年には初めて天皇杯岡山県代表となったものの、その後の中 国リーグでは3位に甘んじます。2012年、リーグ戦こそデッツォーラ島根の後塵を拝し準優勝だったものの、その年の全社で3位に入り、地決の出場権を獲得します。1次リーグを全勝で突破し挑んだ決勝リーグは4位に終わり、目の前まで迫ったJFL昇格の夢を逃します。
 2013年、U-19日本代表監督等を歴任した牧内辰也監督が就任。牧内監督の下念願の中国リーグ初優勝を遂げます。そして挑んだその年の地決では1次リーグを全勝(1PK勝ち)、決勝リーグを2勝(PK1勝)1敗で準優勝し悲願のJFL昇格を果たしました。
そして2014年現在、JFLを主戦場に全国の舞台で戦っています。

■現在の役割
 2010年から移籍制度が変わり、たとえセカンドチームと言えど自由な選手の移動が出来なくなったことからセカンドチームを持つメリ ットが希薄化してきています。現に2011年に当時JFL所属のジェフリザーブスがチーム解散するなど、セカンドチームに対しては逆風の中で敢えてファジアーノ岡山はセカンドチームを運営しています。
 その要因はやはり、「高額な選手を獲得して強化するよりもチーム全体の底上げを図る」事を重視しての事だと思います。ファジアーノ岡山は親会社のない地方都市の市民クラブです。その為、限られた予算、限られた市場で戦う必要があります。そう考えた場合、目先の勝利のために高額な選手を獲得するよりも、少し遠回りになってもでチーム全体の底上げを図るために育成に力を入れるのは自明でしょう。
 このチームの役割としては「ファジアーノ岡山の育成ピラミッドの一角を担う」事だと思います。 冒頭に挙げた「出場機会の少ない選手に試合経験を積ませる」事もそうですが、ユース所属の2種登録選手に高いレベルでの実戦経験を積ませる事が出来る側面もある事から、高校生年代育成の観点から見ても非常に大きなメリットだと思います。
昨年9月、ファジアーノ岡山U-18より5名の昇格が決まりました。ユースチームの1期生である彼らは早い段階からネクスファジの試合に出場しており、JFL昇格を決めた昨年の地決にも全員帯同し、昇格に貢献しました。その中でも加藤健人選手は一昨年の地決1次ラウンドで最年少ゴールを記録、田中雄輝選手と板野圭竜選手は昨年の地決全6試合に先発出場するなどそのポテンシャルを発揮すると共に、地決という「1試合も落とせない状況で3日間3連戦を行う」試合での経 験を積むことが出来ました。こういったレベルの高い試合での経験はその後のサッカー人生でも活きてくるでしょう。
 また選手獲得の面でもアドバンテージとなる側面もあります。現在トップで背番号10を背負う千明聖典選手の獲得に関して、ファジアーノが獲得出来た決め手には間違いなくネクスファジの存在があったと思います。当時大学No1ボランチと呼ばれJ1クラブからのオファーもあった逸材でしたが、大学4年生時に負った大怪我から入団してもしばらくリハビリが必要な状況でした。他クラブの強化担当者が二の足を踏む中、当時J2最下位だったファジアーノが獲得。その決め手としてリハビリ期間中でもネクスファジでの調整が可能な点があったとのことです。加入後半年間ネクスファジに所属してリハビリや 調整を行いトップに昇格、そして現在トップに欠かせない存在となりました。

■現在の課題
 しかし、ネクスファジで「育成」されてその後トップチームに定着した選手がまだあまり現れていないという現状もあります。トップチームには前述の千明選手や三村真選手が「ネクスファジ出身」選手として活躍していますが、彼らは怪我の影響から調整のためネクスファジに在籍していた側面が強い為、ネクスファジに在籍・プレーしていた期間が短く、純粋な意味で「ネクスファジで育成された」とは言いにくいと思います。また昨年、育成型期限付き移籍を利用して幡野貴紀選手と藤岡浩介選手が一時的にトップに昇格しましたが、結局トップでの出場機会を得ることは出来ませんでした。
 そんな中、今年のトップのホーム横浜FC戦でJリーグデビューを飾ったGKの椎名一馬選手はネクスファジ による「育成」の賜物だと思います。2009年の入団からネクスファジで経験を積み、実積を挙げてトップチームに昇格。そして今年遂に念願のJリーグデビューを遂げました。彼のデビューは勿論彼自身の不断の努力の結果ではありますが、その中にはネクスファジでの試合経験も活きていると言えるでしょう。

■ネクスファジの将来像
 サッカークラブの育成システムはJリーグ昇格後5年やそこらで構築される程甘くないとは思います。ネクスファジに関しても、10年以上かかって初めてこの取り組みの成否が見えてくるものだと思います。しかしながら、ファジアーノ岡山というクラブの育成に関して光明が見えた例もあります。先述の加藤健人選手は、スクールから現在に至るまでファジアーノで育って来た選手です。つ まり、ファジアーノ岡山のここまでの歴史を共に成長していった選手だと言えるでしょう。今後も彼に続くような「岡山育ち」の選手を輩出すべく、U-12→U-15→U-18→ネクスファジ→トップチームの流れが活性化されることに期待したいです。

■おわりに
 現在岡山県には、J2のファジアーノ岡山、JFLのネクスファジ、なでしこリーグの岡山湯郷ベルとFC吉備国際大学シャルムといった全国リーグで戦うクラブがサッカーだけでも4チーム存在していますが、かつて岡山県は「プロスポーツ不毛の地」と揶揄されていました。そんな岡山の街に今年から新たに加わった「全国を舞台に闘うサッカーチーム」がネクスファジです。「セカンドチーム」という県内の他のチームとは違った側面はありますが、同様に「 岡山」の街の名前を背負って全国の舞台で戦っています。
 そんなこのチームの魅力をサポーターの視点から広くアピールし、一人でも多くの方に彼等の闘いを見てもらいたいと常に思っています。それはファジアーノ岡山というクラブだけでなくひいては岡山県全体のスポーツ振興に還元されるであろうと信じています。


著者
popmas
iek:岡山のポッポマスター @iekiek1984

紹介
 岡山出身大阪在住のファジサポさんで、通称「ポッポマスター」。ホームゲームのたびに大阪から帰省しとんぼ返りするツワモノで、トップチームだけではなく注目の集まりにくいファジアーノ岡山ネクストを盛り上げるべく地道な活動を続けておられます。(ゼロファジ: @ZeroFagi

ファジアーノ岡山 2014年 レプリカ ユニフォーム (ユニフォーム+番号+選手名) (PU4600S)
ファジアーノ岡山 2014年 レプリカ ユニフォーム (ユニフォーム+番号+選手名) (PU4600S)