著者の木村友祐氏は、SLOWBASEの工場長さん(他にも色々な肩書きアリ)の木村勝一氏の弟さんです。
木村友祐氏が木村勝一氏の弟さんだと知った上でこの小説を読むと、小説の中に登場するツリーハウスはSLOWBASEのツリーハウスがモデルになっていることが分かります。
《根元から一メートルほどの高さに作った。六本の杉の幹に渡した土台に角材を立てかける。(略)ここからさらに三メートル上に二十棟目のツリーハウスである「空中茶室」を作る予定だ。(略)
親方が数年前に最初に手がけた一棟目の「空中浜茶屋」は、ドアに漁船で使う真鍮の舷窓を取り付けたり、黄色の色粉をまぜた漆喰塗りの壁に貝殻やステンドグラスの窓をはめ込んだりした、じつに品のある作りだった。(略)見た目もそのままの丸い「空中かまくら」、木桶を床に仕込んだ「空中露天風呂」、二階の床が四角に切り取られていてそこから下の人工の池に糸をたらす「空中釣り堀」、木の幹をぐるりと取り巻いたらせん階段を上っていくと、屋根の上に鳳凰ならぬ金のウミネコが羽を広げた社殿ふうの小屋にたどりつく「空中御神輿」……などなど、ひとりしか入れない飾りのようなものを含めて次々と完成させていった。》
(『海猫ツリーハウス』14ページ)
…とはいっても、この小説はツリーハウス作りのドキュメンタリーではありませんし、SLOWBASEの活動を宣伝するものでもありません。登場人物も、実在の人物をモデルにしていると思わせる部分がありますが、あくまで「キャラクターを作る上でモデルにした」だけであると思われます。
タイトルに「海猫」とある通り、ウミネコも登場しますが、これは蕪島のウミネコです。このウミネコが何を象徴しているのかは、読者の解釈次第です。何も象徴していないと解釈することもできますが、私は、「ウミネコの人間に対する無関心さ」に「人間の欺瞞に対する作者の皮肉」を感じました。
ストーリーの主軸は、主人公の亮介の日常生活と内面のじわじわとした変化です。読んでいる最中は、「テーマは主人公の”自分探し”?」とか「兄弟の葛藤?」とか「都会批判?」とか「郷土愛?」とか思ってしまう時がありますが、読み終わると「どれもテーマとは違うなぁ…」となります。
確かに、主人公は「自分の居場所」や「やるべきこと(やりたいこと)」を探していますし、主人公の亮介と兄の慎平との間には確執がありますし、兄の慎平は都会を批判するようなセリフを言っていますし、登場人物はみんな基本的には郷土を愛していますし……でも、それがテーマかというと、ちょっと違うような気がするんです。そういったものを特別に強調して描写しているわけではなくて、「普遍的なもの」として、当たり前の事のように描写しています。
主人公の亮介のモヤモヤを、単純に「家族の問題」とか「土地の問題」とか「性格の問題」とかのせいにせず、「そういったものを含めた色んな要素」が複雑に絡み合った結果だということを、自然と読者に伝わるようになっています。
手放しで「自分探し」を礼賛せず、やたら都会を卑下することも、地方を美化することもしていない。そういうところに、好感の持てる小説でした。
あと、なんといっても、この小説で特徴的なのは、方言です。登場人物の会話は、基本的には東北方言で書かれています。(ただし、慎平はわざと関西弁で喋りますし、原口というキャラクターは標準語ですが。)
《「さっきさ、そったらに帰るのイヤだったの? 早ぐ着ぎたぐないって」
「うん……、なんでがな。自分でもよぐわがんない」
「ふーん」
「買い物して、本屋で立ぢ読みして、モスバーガーで時間つぶして。駅(えぎ)前がらバスで帰ろうど思ったんだけど、急に乗りたぐなぐなって」
「それで、まだ街のほうさ上がっていごうどしてだの?」
「あ、見でった?」
「うん。あそごで信号待ぢしてだらたまたま、あれ、香子ちゃんじゃないがって」》
(『海猫ツリーハウス』50~51ページ)
↑ こんな感じの方言です。(濁点が多いので、キーボードで打つのはちょっと大変です。)
この小説は亮介目線の一人称で書かれているのですが、セリフは東北弁なのに、それ以外の部分(亮介の内面部分)は標準語です。そこが、ほどよくリズムを生んでいて、読んでいて楽しいです。
海猫ツリーハウス
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