伝説の鬼女 ~修羅場・キチママ・生活まとめ~

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    苦しみ

    833 :伝説の鬼女 ~修羅場・キチママ・生活まとめ~ 2016/05/30(月) 18:18:46 ID:e40
    䖈め、强姦.、虐侍で苦しみ病んでいる人達に進んで関わっていたこと。

    そういう特殊な悩みを持っている人はなんとなくわかる。どんなに人に明るく接していても周りから好かれる人気者でもなぜか簡単にわかる。リスカとか安定剤とか目に見える物がなくても野生のカンみたいなものなのかな、あ!あの人…ってなる。

    だからそういう人にそれとなく声をかけた。
    みんな最初は「なんでわかったの…?」と驚いたり焦ったりするけどみるみるうちに心を開いてくれる。
    貴女だけが私を理解してくれる、本当の自分を見てくれると口を揃える。

    基本は悩みを引き出して話を聞く。じっくり。
    話の腰は折らない、でも相槌は絶対忘れない。
    そして相手が話し終わったら頑張ったね、苦しかったね、よく耐えたね、などのセリフを並べる。とにかく甘ったるい砂糖菓子みたいな言葉を吐きまくる。

    時には厳しい言葉もかける。
    相手が間違ってるところは指摘する。どこをどう直すべきかを説明する。どうして直さなきゃならないのか、直すとどうなるかも。
    中にはそこで反発する人もいるけど必ずと言っていいほど戻ってくる。自分が間違ってた、貴女の言う通りにしたら好転した、ごめんなさいと言ってくる。
    私から離れる時に酷い㬥言を吐く人もいるけど絶対に本人には怒らない。戻ってきたらその人が離れてしまって悲しかったし寂しかったとは言うけど、でも好転して良かった!と喜びの方を前進に押し出す。

    それを繰り返しているうちに、みんな離れる。
    離れる時はだいたい悩みが解決した時。
    「アドバイス通りにしたらイジメがなくなった」
    「登校できるようになった、話せる子もできた!」
    「リスカやめられたよ、もう切ってないよ」
    「㬥カ家族から脱出できた、教えてもらった通りにしたら保護してもらえた」
    とか。みんな「あなたのおかげ、本当にありがとう」と残していく。
    環境が変わりよくなればなるほど会う機会も連絡も減る。そして自然消滅。あんなに毎日病んでる連絡が来てたのに、風の噂で向こうが幸せだと聞く程度の関係になる。

    その人達は私を優しいと言っていた。
    でも私は優しくない。謙遜でもなんでもなく本当に優しくない。
    その人達は知らないだけ。私はその人達に自分を重ねて自分が言われたかった、して欲しかったことをしているだけだと。
    イジメ、强姦.、虐侍で苦しんでいた自分に当時誰もくれなかった言葉を吐いてるだけ。
    こう言ったらきっと喜ぶ、こうしたらきっと気持ちが楽になると計算して口にしているだけ。

    それを知らない人達にありがとうと言われるたび少し心苦しく思う。その人達の幸せを願ったことなんか一度もないしただただ自分が救われた気持ちになりたいだけだもの。
    唯一それを知る人にカウンセラーの道を勧められたけど断った。ああいうのは本当に人を救いたい人がなるべきだと思う。

    読んでたらわかると思いますが、人に感謝されたくてやってるわけじゃないし自分を優しいとは本当に思ってません。人の弱みにつけ込む汚らしい人間という自覚があります。長文失礼、お粗末様でした。

    824 :伝説の鬼女 ~修羅場・キチママ・生活まとめ~ 2021/02/16(火) 11:39:07 ID:Br.0m.L1
    数年前、中学時代からの友達が病気で若くして亡くなった。

    恋にも勉強にもすごく冷めていた子だった。

    そんな友達が結婚したというときには皆びっくりして、「まさか友子が最初のお嫁さんだなんてびっくり」と言い合いながらお祝いした。

    そして結婚直後、難病に侵され20代の若さで亡くなった。あれよあれよという間に亡くなった。

    お葬式で、友達の亡骸を見て本当に悲しかったのだが、友達のお母さんと旦那さんから「皆さんに確認したいことがある」と言われた。

    本当にあなた方は全員娘と友達だったんですか、とお母さんから聞かれた。みんなびっくりして言葉を返せずにいると、友達の旦那さんから

    「皆さんは妻と仲良くしてくれていたと思います。ただ、ある人が彼女に言った言葉の色々がずっと忘れられなかったようで…

    よく言っていたのは、中学時代、中間や期末テストが終わってよく二人でカラオケに行っていた友達から『一生幸せになれなさそう』と笑いながら言われた。

    高校時代結婚願望を口にしたとき同じ部活の子に『結婚してもすぐ離婚しそう』『旦那さんに暴カとか振るわれそう』『幸せに過ごしてる姿が想像できない』と言われた。

    結婚した時『詐欺じゃないよね』『いくら貢いだの』と言われた…と。同じ人が言ったそうです。で、周りの友達も同調したのが傷ついたと。繰り返し話していました。でも名前は言わなかったんです。それで、義母も『娘をそこまで傷つけた人がいるなら話したい』と。どなたかわかりますか」

    と言われた。

    中学から付き合いがあって、友子とカラオケに行ってたのは私しかいなかった。
    なのでそれらの発言は全て私ということになる。
    でも、そんなこと言ったっけ?と本当に覚えてなかった。

    でも周りの友達に聞いてみると、

    「高校時代の言葉には覚えがある」

    「帰り道で私子が言ってたよ。その時物凄く雰囲気悪くなりそうだったけど、友子が『あっそ、私幸せになるわ』ってスルーしたからはっきり覚えてる」

    「結婚祝いの飲み会で言ってたよ。ジョークにしてはキツイなあと思ってたよ」

    とのことだった。
    「私そんな酷いこと言ってたの?ほんとに?他の子じゃないの?」と聞いたけれど、間違いなく私だという。

    お母さんから「娘はあなたの言葉をタヒぬまで忘れませんでした。もう、そんなこと他の人に言わないでくださいね」と言われて混乱しながら「覚えはないけれど、傷つけたなら申し訳ありませんでした」としか言えなかった。

    家に帰り、両親に「見に覚えのないことで責められた。こうこうこう言うことを言ったらしいけど、私が言うはずないよ」と話すと、

    父「お前が友子ちゃんの話する時、よく言ってたぞ。『本人の前では言わないけど母子家庭育ちはだめだね~』って。お前まさか本人の前でも言ってたのか!?」

    母「ほんとに覚えてないの…?」

    私「私そんなことお父さんとお母さんに言うわけないよ!友達だよ?」

    父「お前ほんとに覚えてないのか!?友子ちゃんのこと本当に酷く言ってたから怒ったの、覚えてないのか?」

    母「娘にこんなこと言いたくはないけどね、私子ちゃんなら言いかねないと思う。家でものすごく友子ちゃんのこと馬廘にしてたもの」

    と言われた。
    馬廘にした記憶が本当にない。
    大切な友達だと思ってたし、誕生日にはプレゼントも交換していた。
    結婚した時は嬉しかった。

    でも周りの友達からラインで、「言いにくかったけど、あの結婚祝いの飲み会での発言は『ちょっとないよね』と話題にはなってたよ。周りが慌てて『嫉妬出ましたーw』ってフォローしてたんだよ」「友子がここまで傷つ
    いてたのなら、私達からもちゃんと言うべきだった」と言われたので事実なんだなと認識したけれど心の中は(これで友やめされたくない)と冷や汗ダラダラだった。

    すぐに「本当にひどいことを言ってしまったことを思い出した。皆にも迷惑かけて本当にごめん。友子にはずっと謝るしかできない」

    とラインを入れ、みんなが「気づいてくれたなら今後もよろしく」と許してくれたのを見てホッとした。

    とはいえ本当に覚えてないので、黒歴史にも出来ず、友子は亡くなっていて謝ることもできない。

    441 :伝説の鬼女 ~修羅場・キチママ・生活まとめ~ 2016/08/29(月) 00:11:53 ID:rJb
    嫁が体調の悪さを自覚できなくて困ってる
    これは嫁母からも言われてたんだけど、嫁が「しんどい」と自分で言う時は39度近くの熱になってから
    小学校の時は保健室に行くのが吐いてからとか担任が顔色の変化に気づいて駆け込むかの状態だったそうで
    中学校の時はインフルエンザで学校で39度の熱が出たのに、自分で帰れると、6キロの道のりを自転車で帰ってきてしまったらしい
    いつも平気な顔して買い物して帰ってきたとたんトイレで吐いたり、止めても「吐いたから平気」と家事しようとしだす
    寝かせて熱を測ったら37.8とか頻繁だけど、熱を伝えても「そんなに無いと思うんだけどなぁ」という
    ある時は「なんか頭が熱くて寝付けないの、そんな頭熱くないのに」と頭に手を当てながら言われて
    俺が嫁の手に触れたらそれだけで高温だとわかるくらい熱があったり
    残業するから!って元気な声で電話があったと思ったら、帰ってきた途端吐いて倒れて救急車呼んだこともあった
    風邪だったけど扁桃腺が腫れ上がって膿で真っ白になってて、飲み食いできないから一時的に入院もした
    嫁自身体のだるさは解ってるけど、覚えている限り高校ぐらいから快調!って日が無いらしく
    体がだるくてもいつものことだから、それがどれくらい酷いのか自覚できてないらしい
    体調不良で会社を休む基準も解らないらしく、独身時代に40度の熱でも木・金と出社して土日に実家で寒気と関節痛と頭痛に苦しんで月曜にはまた出社したりしてたらしい
    五年間勤続して有給使った日数がゼロで、流石に怖すぎて入籍と同時に扶養に入ってもらったけど
    パート主婦になっても体調の悪さの指標がおかしく、物理的に体が動かなくなるまで家事を完璧にしようとするし、パートも休まない
    俺がどれだけ注意しても側で見られる時間なんて限りがあるから、嫁にはもう少し痛みや苦しみに敏感になってほしい
    嫁がなんでここまで自分の苦しみに鈍感なのか原因がわかればいいんだけど、どうしたら原因がつかめるだろうか?

    561 :伝説の鬼女 ~修羅場・キチママ・生活まとめ~ 2015/12/14(月) 12:41:43 ID:CYx
    長文すいません。
    十年以上前に亡くなった祖母と、私と母の話。

    私が中学になる頃まで、父方の祖父祖母と同居だった。
    祖父、祖母、父、母、私、妹の6人で、二階建て一軒家に住んでいた。
    祖母は身体が弱く、私が物心ついたときには入退院を繰り返していた。
    出来るだけ自宅にいたいという祖母の意向により、病院に置くような医療機器を両親は購入した。
    元々いいとこのお嬢さんだったらしく、お金を湯水のように使っていた。
    当然、嫁入りしたわけだから、実家の援助もなく、すぐに貯金は使い果たし、両親の貯金に手を出していた。
    母は、そのため仕事をせざるを得なくなった。
    母は、小さかった私が見ても酷いくらいに、嫁いびりされていた。
    出した食事を捨てられ、稼ぎが少ないと怒鳴られ、妹が可愛くない、男を産め、とにかくクソトメのやることを網羅していた。
    朝のうちに、朝昼の食事を作り、掃除し、洗濯をし、仕事に行って、夕方帰ってきたら、夜の食事を作り、洗濯を取り込んだ。
    もちろん全て6人分の量。
    夕食は、皆が寝静まった後、家族が食べた後の残飯を食べていた。
    祖母が、嫁は同じ食事は食べてはいけないと言っていた。
    よく1人で暗い部屋の中、母が泣いているのを見ていた。
    一度だけ、私が祖母に、母を䖈めないでくれと言ったことがあったが、余計にいびりが酷くなったので、それ以降私から祖母に、母に対するいびりに関しては何も言わなくなった。
    祖父が言うには、祖母が結婚したときにはすでに祖父方の親戚は皆亡くなっていて、祖母自体、そんなことしたことないくせに、そう言っていた。
    食事も出来合いのものを買ってきていて、召使を呼んで全部やってもらっていたらしい。
    母が嫁入りしてからは、貯金も無くなったし、母を召使い代わりにすることにしたようだった。

    とにかく、母はずっと忙しく、父も仕事と不イ侖で殆ど家に帰って来ず、両親には全くかまってもらえなかった。
    必然的に、祖父と祖母に私たち姉妹は面倒を見てもらうこととなる。
    私はずっと二階の祖母の部屋に軟禁されていた。
    妹の事は何故か嫌いだったらしく、部屋に近づくだけで、あっち行け、顔を見せるなと言われ、悲しそうな顔で下の階に降りていくのを見ているしかできなかった。
    私は祖母に気に入られていた。
    しかし実際は、私が家にいるとき、トイレと食事と寝る時以外は、祖母の部屋にいなければならなかった。
    硬い板の間に正座でずっと座らされ、柔らかい布団に横になっている祖母の肩を楺んだり、祖母をおだてなければならなかった。
    肩を楺む時、一時間も続けてやらされるとさすがに手が痛くなり、足も痺れてくる。
    その時、少しでも足を崩したり、手の力を抜くと、竹の物差しで容赦なく叩かれた。
    幼稚園に行くようになっても、幼稚園から帰ってすぐに祖母の部屋に直行しないと、癇癪を起こし暴れ、それが原因で祖母が入院することになる。
    祖母が入院すると、祖母はまた我儘を言い、一番高い個室に入り、母は入院中ずっと泊まりで祖母に着かなくてはいけない。
    母が余りにも可哀相だったから、私はずっと黙って祖母の言いなりになっていた。
    一方祖父は、妹を可愛がった。
    可愛がった、というより、可哀相だったのかもしれない。
    祖父は、妹に、新しいおもちゃを買ってあげたり、遊び相手になってくれていた。
    私が二階で祖母の肩を楺んでいる間、窓の外から、妹の楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
    辛くて悲しくて、でもそれを祖母に言うと、母や妹に辛く当たるのは目に見えていたので、黙って祖母の言う通りにするしかなかった。

    小学校に上がっても、祖母は私を離さなかった。
    放課後遊ぶ友達が出来たのに、直ぐに帰らないと学校や、仲の良い友達の家に電話をかけてきた。
    あの子は頭が悪いから遊ぶな、家柄が悪いから遊ぶな、顔が悪いから、とにかく何かしらイチャモンをつけ、友達から遠ざけようとしてきた。
    祖父は、私を習い事に行かせることにしたと祖母に嘘をついて、少しの時間だけ遊びに行かせてくれた。
    あれは確か、一年生の夏だったかな。
    母が、とうとうノイローゼにより、精神病院に入院しなければならなくなった。
    祖母はそんな母のことを、基地外嫁はタヒねとか、家名に傷がつくから帰ってくるなとか、㬥言を喚き散らしていた。
    その基地外嫁に世話になっていたにも関わらず、だ。
    幸い、長期入院にはならなかったものの、さすがにマズイと、祖父祖母と別居することになった。

    584 :伝説の鬼女 ~修羅場・キチママ・生活まとめ~ 2021/01/18(月) 13:20:56 .net
    【自分の年齢・忄生別】34女
    【相手の年齢】35
    【結婚年数】5
    【子供の有無】3歳
    【相談内容】
    去年春いきなり家庭不和になり、夫から離婚してくれと言われた。自宅も購入したばかりだし、その2ヶ月前くらいまで家族旅行の計画立ててたくらいの普通の家庭だった。
    ビックリして、色々調べたら不イ侖してた。数ヶ月気づかないふりしてたけど、その間も「いつ離婚するの?なにボーッとしてるの?」など㬥言や無視が続き、耐えかねて不イ侖に気づいてることを告げたら、相手女忄生(既婚子持ち)と再婚したい、と言われた。半年たって、私がついに鬱状態になってしまい、離婚に応じると答えた。ところがそれから1ヶ月後くらいに「相手の女忄生に振られたから、離婚しない。娘には両親が必要」と言い出した。相手の女忄生がやはり再婚できない、元の家庭に戻りたい、と言っているらしい。
    正直もう何も信用出来ないし、怒りと言うよりもとにかく疲れ果てて、元の仲良い夫婦ではいられないと思う。
    でも、娘がパパ大好きで、こんなに小さい子から父親を奪っていいのか、罪悪感に駆られる。とにかく申し訳ない。母として我慢した方が良いのか、苦しみながら悩んでいる。
    周りの子持ちに相談すると「離婚しなよ」と勧められるが、みな夫婦揃った家庭。実際に離婚した人がどう思うか教えて欲しい。

    954 :伝説の鬼女 ~修羅場・キチママ・生活まとめ~ 2015/09/23(水) 15:38:37 ID:w6VXoT7C.net
    ごめん、吐き出させて。胃が痛い。
    数年前娘に忄生的いたずらをした義弟が帰省して会いに来た。
    夫が予め「来るな」ってメールしたのに。
    義両親(近所)も一緒だったけど、会いたくないから居留守使ったら3人で1時間位待機してた。
    その間義父からメール・電話あり。
    上手く言い訳する自信なくて無視してしまった。
    娘は当時いたずらされた自覚はないらしいので、なぜ私が居留守を使うのか不審がっていた。
    今朝義父に「体調悪くて寝込んでた。申し訳ありません」と謝罪の電話をしたけど、なんだか腑に落ちない様子だった。
    義弟はもう帰宅(遠方)したし、本当の事を話すべきなんだろうか。
    義両親にはすごく良くしてもらってるので、言いづらい。
    一番悪いのは義弟なのに、どうして私がこんなに苦しまなきゃならないんだ。

    511 :伝説の鬼女 ~修羅場・キチママ・生活まとめ~ 2013/10/17(木) 23:39:27 0
    4年前に浮氣されて平凡で幸せな日々が一瞬で無くなった
    結婚2年目で共稼ぎで、幸せな生活を送っていたつもりだった
    元嫁の帰りが遅くなり、家事を全くやらなくなった時点で喧嘩になり
    他好きしたから別れたい、相手は嫁の職場の派遣社員で
    あと3ヶ月で派遣終了になるからついていきたいからって別れてほしいって涙ながらに言われた
    何度も話し合いしたが元嫁の気持ちが変わらず
    俺の両親はすでに事故で他界していたので、離婚届を書いて提出した
    その後、元嫁と浮氣相手に慰謝料を請求して、念書を取り交わした
    元嫁両親に報告したら、激怒し元嫁と絶縁、共通の友人達も元嫁と絶縁した
    元嫁と浮氣相手は同棲したが元嫁は浮氣相手から背負わされた借金と浮氣と暴カで
    1年後、会社の独身寮にいる俺に助けを求めてきた
    元嫁と一緒に元義親の所に行って一緒に頭を下げて元嫁の絶縁を解いてもらった、
    元嫁は派遣で働きながら、自身の借金と慰謝料の返済を月々できるようになった
    元嫁はなぜここまでしてくれるのかって聞いてきた時に
    親兄弟のいない俺には、一度愛した女が落ちぶれるのだけは見たくなかったと答えた
    元嫁は、月々の慰謝料の返済時に仲が良かった時みたいに戻れるように頑張ってるって言っていた
    もう一度幸せになれるように努力するからって元気になっていった
    元嫁「一度失敗したけど、いっぱい反省したから私も幸せを考えてもいいかな」
    俺 「俺は幸せにしてやれなかったけど、自分の幸せを考えたらいいよ」
    元嫁「今度は失敗しないから、安心して」
    俺 「これ以上、俺ができることはないけど頑張れ」
    俺は遠くに転勤が決まった時に、元嫁にメールでもう会うつもりがないことを告げて、
    メールも携帯も変更して振り込みだけのやり取りになった

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