虚業の類型(2)財力による市場経済の操作
市場を操作して、不正な投機活動によって利益を得るとか、不当な買占めによって利益を得る、などは虚業である。
これらを可能にするためには、相応の財力が必要である。
しかし、投機活動そのものが虚業というわけではない。
そもそも、資本主義の最初の担い手は、ベンチャー精神に満ちた投機家たちだった。
投機行為が虚業となるのは、市場のルールを踏み外したときでる。
欺瞞行為であったり、政治権力と結託したりするような場合である。
山崎和邦『詐欺師と虚業家の華麗な稼ぎ方 人はこうして騙される』中経出版(0511)は、建設談合などもこれに類するものとしている。
産業の未発達だった明治初期には、官金を取り扱うことが、銀行にとって大きな利益の源泉だった。
大蔵大臣だった井上馨は、税金の納付送金を三井銀行に委託したので、三井財閥は、巨額の官金を事業に運用することができた。
官金の取り扱いが、銀行を成長させ、銀行の成長が資本主義の発展を後押しした。
しかし、そのことは、官僚に対する銀行マンの立場を卑屈なものにし、政治権力との癒着による背任事件等を引き起こすことにもなった。
現在はどうなっているのか良く知らないが、ごく最近まで、大蔵省(財務省)を担当するいわゆるMOF担が、都市銀行のエリートポストだったことは良く知られている。
過剰接待事件なども記憶に新しい。
これらは、ほとんど虚業の域に近いと言っていいだろう。
福沢諭吉の甥である三井の中上川彦次郎は、諭吉の教えの独立自尊の実業精神に基づき、官金の取り扱いを一切辞退した。
このスタンスが、三井財閥の近代化と再強化を実現した、と山崎氏は上掲書で評価している。
中上川について見てみよう(Wikipedia/09年5月10日最終更新)。
現在の大分県中津市金谷森ノ丁に中津藩士・中上川才蔵・婉夫妻の長男として生まれる。イギリス留学後に工部省に入った。後に福澤の勧めで時事新報社社長となる。
1887年山陽鉄道(現在のJR山陽本線の前身)創設時の社長となる。
……
1891年、三井銀行の経営危機に際して井上馨の要請を受けて山陽鉄道を退社して三井財閥に入る。三井銀行及び同財閥の経営を任された中上川は益田孝らとともに三井財閥が政商として抱えていた明治政府との不透明な関係を一掃して財務体質の健全化を図る一方、王子製紙・鐘淵紡績・芝浦製作所などを傘下に置いて三井財閥の工業化を推進した(没後の1904年に三井呉服店(旧越後屋)を三井本体から分離して三越百貨店としたのも中上川の構想とされている)。また、武藤山治・小林一三・池田成彬ら有能な人材を育てた。そのため、「三井中興の祖」として高く評価されている。
山崎氏は、大阪の実業界は、政治権力と結託して巨利を得ることはほとんどなかった、としている。
独立独歩で地元に密着し、消費財を中心とする軽工業に進出した。
紡績・薬品などがその中心だった。
大阪商人は、「のれん」「看板」を大切にし、質素・勤勉な社風の確立に努めた。
その代表格が住友財閥だった。
住友の総帥・伊庭貞剛の「浮利を追わず」という言葉は、実業の精神を示したものと言える。
そういう大阪でも、いつの間にやら、質素・勤勉の精神は失われていったのだろう。
住友銀行は平和相銀を吸収して、東京に地盤を築いた。
その裏では、政治権力との結託などもあったようだし、いわゆる「バブル紳士」の中には、大阪方面の人も少なくない。
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