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2010年9月17日 (金)

山田潤治氏の読み(2)/江藤淳の『遺書』再読(6)

山田潤治氏は、死を迎えようとする江藤淳の脳裏に何が浮かんだのかを、問い直したいと『自決することと、文学の嘘』の論考を始める。
「なぜ、自決したのか」と理由を問うことには、意味がない、と考えるからである。
そして、死に向かう過程としては、石原慎太郎氏や福田和也氏などが推測しているように、7月21日の夕刻に鎌倉を襲った雷雨が、江藤淳の精神に何らかの作用を及ぼしたことに始まるのではないか、としている。
問題は、その後である。

江藤家出入の庭師・鈴木久雄氏が江藤家を訪れたのが午後6時過ぎ。
8時過ぎには遺体となって発見されている。
2時間足らずの間に、江藤淳は、死に際しての支度をすべて整え、身体を処決した。
死出の道行きを決めた後の江藤淳は、普段と変わらぬ頭脳の冴えを見せている。
判断にいささかも狂いはない。
みずから死を選ぶという決断を下したことに満足していただろう。

しかし、江藤淳は、手首を切り損なっている。
江藤淳はなにをためらったのか?

山田氏もデュルケムの『自殺論』に言及しているが、デュルケムの分類は直接的な原因による区分であり、自殺それ自体の性質を考えるには不十分であるとする。
そして、次のような対比軸を設定し、特定の自殺の持つ性格や意味を明確化しようとする。

1)他殺-自殺
目の前に迫った死に対して、みずからの身体をどう処決するか、という選択である。
例えば、信長に叛旗をひるがえして信貴山城に籠もって戦った松永弾正の、信長の垂涎の茶釜-信長から降伏して差し出すことを命ぜられた名器「平蜘蛛の釜」-を城の上から叩きつけて自害するという主体的な選択としての死、あるいは壇ノ浦で知盛の「見るべき程の事は見つ、今は自害せん」と言い残して海に没したとされる主体的な選択としての死、などである。
彼らは、死すべき運命を感知し、それに逆らわず死を甘受する意思を示すかのように、みずから命を絶った。
「他殺」と「自殺」という選択肢(いずれ死は逃れられない)から「自殺」を選ぶという選択である。
他人の手に掛からず、運命の手に掛かることを選んだという意味で、自然死に近い死に方とも言える。

2)自然死-自殺
自然死の対極にある概念として自殺を捉える考え方である。
自然死という運命に逆らって先取りする自殺であり、「生」と「死」の選択肢において、「死」を選ぶという選択である。
この場合、必ずしも死は逃れられないという状況ではない。
死ぬことによってどのような評価が得られるか、他人にどのように理解されるかを判断した上での自殺である。
つまり「名」を残すために「死」を選ぶのであり、自覚的な自殺と言うことができる。

近代の進歩主義は、進化論的な考え方、言い換えれば「適者生存」の思想を基盤として成立している。
江藤は子供の頃から病弱だった。
そして大人になっても長い間結核に罹患して病床にあった。
江藤は、『漱石とその時代・第一部』において、「必ず無用の人と、なることなかれ」という訓戒が、幼き日の夏目金之助(漱石)に強く作用したことを指摘しているが、その訓戒の抑圧をさらに重く受け止めていたのが江藤自身だったのではないか。
脳梗塞に見舞われた江藤が、「無用の人」となる可能性のある自分を処決しようと考えたとしても不思議ではない。

その意味で、彼にとって、「江藤淳」署名の遺書で「死」の理由として挙げた病苦は、「私」的な理由ではなく「公」的な理由としてあった。
つまり、江藤淳という「名」を残すための死である。
脳梗塞による障害を背負いつつ生きて行くことと、その時点で生を断ち切ることを比較考量し、死を覚悟したとき、江藤の心はむしろ平安だったのではなかろうか。

山田氏は、江藤淳が手首を切り損なったことに拘ってその意味を考える(直接の死因は水死とされている)。
そして次のように総括する。
理想主義的な側面に突き動かされて、自決へと向かった江藤淳が、最後に「死」を懼れ、リアリズムの人に戻った瞬間があったことは、私(山田氏)にとって、江藤淳の自決を考える時の、この上ない安心材料である。

とはいえ、いやだからこそと言うべきか、死を決断してから2時間ほどの間に、必要であると思われる事務的な処理を完了するという冷静さを保ちつつ、三島由紀夫のような介錯人なしで、自決して果てることは、やはり誰にでもできることではないだろう。

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投稿: ShirleyNGUYEN | 2010年9月19日 (日) 00時32分

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