科学観と方法論/梅棹忠夫は生きている(5)
佐倉統氏の『梅棹忠夫と3・11』(中央公論1108号)について書いてきた。
サブタイトルは「私たちは科学技術とどう向き合っていくのか」である。
今、もっとも考えなければならないテーマについて、梅棹忠夫というもっとも好奇心をそそられる視点から論じられている。
例によって、勝手気ままに感想を記していたところ、当の佐倉氏からコメントをいただいた。
私のごとき者のブログにまで目を通していただき、恐縮の極みである。もちろん、誤読している可能性は大いにあるが、それも含めて1人の読者の感想として書いておきたいことを書く、というスタイルは維持したいと思う。
⇒2011年7月31日 (日):アマチュアリズム/梅棹忠夫は生きている(4)
さて、佐倉氏は、「3・11後の科学技術」を考える際に、乗り越えるべき梅棹の思想として、次の2点を挙げる。
①梅棹の科学観
②個体差を無視したシステムにのみ注目する方法論
①の「科学観」については、湯川秀樹との対談『人間にとって科学とはなにか』中公新書(6705)に彼の科学観がよく表れている、とする。
私も、一度触れたことがある。
⇒2010年7月19日 (月):人間にとって科学とはなにか/梅棹忠夫さんを悼む(7)
佐倉氏は、この対談に表れている梅棹忠夫の科学観の特徴を、老荘思想にみる。
そして、梅棹は、基本的にニヒリストで、価値相対主義者の傾向が強い、としている。
これは、まさに梅棹自身が認めているところである。
小山修三氏を聞き手として最後に語った『梅棹忠夫 語る (日経プレミアシリーズ)』日本経済新聞出版社(1009)で次のように言っている。
わたしは基本的に老荘の徒やから、ニヒリズムがある。
佐倉氏は、梅棹のニヒリズムの表れとして、「科学的方法に限界があることを認め、人間を理解するためにはまったく不十分であるという指摘」が、現在ますます有効な示唆である、と評価する。
しかし、一方で、梅棹の科学観の限界を、エリート主義として批判する。
梅棹が、科学には訓練が必要であり、教育しなければ納得できないとして、次のように言っていることに関してである。
科学というものは、非日常的なものを考えるから科学になるのであって、日常体験の中からは科学は出てこないということですね。
佐倉氏は、梅棹のこの言葉は間違いではないが、リビング・サイエンティストならば、非日常の世界で得られた知識や自然観を、もう一度日常生活の中に投げ返す視点が必要ではないか、とする。
生活者の視線とプロのレベルの質の両立である。
佐倉氏は、“ひょっとすると”梅棹が、思想はアマチュア化できても、科学はできないと思っていたかもしれない、としている。
これは、「思想」と「科学」をそれぞれどう定義するかの問題ではなかろうか。
先端的な科学の探求そのものに、アマチュアの介入の余地がないことは当然であろう。
しかし、それが社会に対して持つ意味や評価に関しては、アマチュアが介入する余地があるだろう。場合によっては、アマチュアがイニシアティブを発揮すべき場合もあるのではないか。
それを、思想と言えば言えないこともないのではないか。
②の「個体差を無視したシステムにのみ注目する方法論」については、梅棹の議論は、情報産業論にしろ妻無用論にしろ、すべてシステムの動向であって、個体の行動や活動や生活が反映される余地がない、と批判している。
梅棹は、データを集めるときは徹底した生活者目線で、個人の水準で動き回って集める。そうして集めた膨大なデータを、一気に俯瞰してシステムとして把握する。
佐倉氏は、外部の参照点と対比して俯瞰しシステムの特性を捉えるところに、梅棹の方法論があるとしている。
情報文明論の場合、内部はテレビ業界で外部は学校や宗教活動というように、である。
佐倉氏は、その俯瞰のスキルを見事なものとして評価するが、ひとたび鳥の目を獲得してしまうと、虫の目を放棄してしまう、とする。
システムと要素の相互連関が捨象されてしまうというのだ。
そして、“例外として”初期の生態学の研究を挙げる。
それは、オタマジャクシを材料に、個体間の干渉関係から、集団の分布の特性を数理的に探究した博士論文である。
佐倉氏は、その研究に、最高級の讃辞を贈る。
しかし、「微妙な個体差が社会の構造に影響する可能性を全然考慮しないのは、あまりにも俯瞰的にすぎないか」と疑問を投げかけるのだ。
最近の「個体ベース・モデル」のコンピュータ・シミュレーションでは、微細な個体差が大きな構造の変化の原因になる場合が、決して少なくない。
確かに、いわゆる複雑系においては、ほんのわずかな条件の差異が、予想外の結果をもたらすことが明らかにされている。
いわゆるバタフライ効果ーアマゾンを舞う1匹の蝶の羽ばたきが、遠く離れたシカゴに大雨を降らせる、である。
より一般化した表現では、「初期条件のわずかな差が時間とともに拡大して、結果に大きな違いをもたらす。そしてそれは予測不可能」ということになる。
佐倉氏は、次のようにる。
科学技術と社会の関係を考えるときにも、どこの、誰が、いつ関わっているのかによって、扱いは千差万別だ。
確かに、佐倉氏の指摘しているように、原発の問題について考えれば、「どこの、誰が、いつ関わっているのか」は重要である。
あるいは、公害問題や災害問題、あるいは公共事業に係る諸問題についても同じことだろう。
言い換えれば、これらは代表的な複雑系の問題ではないだろうか。
梅棹がオタマジャクシを対象にして学位論文となる研究をしたとき、今風にいえば、複雑系に対する関心があったのではないのだろうか。
そして、佐倉氏もいっているように、その頃はツールとして手回し計算機しか使えなかった。私も学生時代に使ったことのあるタイガー式というタイプであろう。
それは時代の制約である。
梅棹の限界というよりも、研究段階の問題だと思う。
特許の要件とのアナロジーでいえば、梅棹の研究には、新規性も進歩性もあったが、進歩性は一足飛びには進まないということであろう。
⇒2007年10月23日 (火):選句の基準…③新規性と進歩性
私も、科学技術者自身に、日常生活との関わりを意識して欲しいし、意識すべきだと思う。
梅棹はその点に関しても、抜きん出た問題意識があった。
であればこそ、佐倉氏も讃辞を惜しまないレベルの研究がなされたのではないだろうか。
何よりも、博物館の思想がまさに科学技術と社会との関係を示す象徴ではないだろうか。
梅棹が批判されなければならないとしたら、民博のコンセプトや展示のコンテンツあるいは展示の方法論であるとおもう。
佐倉氏は、そのことについては、直接触れていない。
「どこの、誰が、いつ関わっているのか」は、ひと昔前の言葉でいえば「階級性」の問題でもある。
あるいは、受益者と負担者(あるいはステークホルダー間)の利益均霑の問題と言い換えることもできよう。
佐倉氏の指摘は、ひらたく言えば「専門バカ」になるな、ということではないかと思う。
それは60年代末の大学紛争のとき以来のテーマでもある。
私自身は、専門家の第一義的な責務は、「プロのレベルの質」ではないかと思う。
そして、それをとことん追求すれば、多くの領域において、社会との関わりも果たすことになるのではないだろうか。
企業の場合でいえば、CSR(企業の社会的責任)である。
メセナとかフィランソロピーも結構であるが、先ずは本業において、CSRを果たすべきであろう。
「専門もバカ」な研究者よりも、「専門バカ」の研究者の方が好ましいのではないか。
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