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2013年12月 2日 (月)

小泉「脱原発」発言は無責任か?/原発事故の真相(97)

小泉元首相の「脱原発」発言が論議を呼んでいる。
⇒2013年10月27日 (日):小泉元首相の脱原発論/アベノミクスの危うさ(18)
⇒2013年11月14日 (木):細川・小泉連携で「山は動く」か?/花づな列島復興のためのメモ(271)

中では、小泉氏が首相時代に首席秘書官として仕えた飯島勲内閣参与が積極的な批判を展開している。
たとえば、以下のように言う。

「ゴミ捨て場がないんだから原発は止めよう」なんて論法はおかしいよ。そういう話を聞いたのなら、国内外を問わずに適地を懸命に探し、答えを見つけようと努力するのが政治家というものの責任感だろう。

しかし、現実に核のゴミの捨て場は未だに確立していない。
日本で商用の原発が稼働したのは1966年だから、すでに半世紀近く経っている。
にも関わらず、「適地を懸命に探し、答えを見つけようと努力するのが政治家というものの責任感だろう」と批判するのは、およそ論理的とは言えないだろう。
半世紀の間、わが国の政治家は、「適地を懸命に探し、答えを見つけようと努力」してこなかったのか?

であるならば、この問題に関しては政治家に発言する資格はない。
そうでないならば、各ゴミの捨て場を確保するのが、現実には非常に難しい課題ということになる。
私は後者であろうと思う。
というのは、除染ゴミでさえ、捨て場に苦労しているからだ。

静岡県内の市町で東日本大震災のがれきを受け入れたとき、放射能が基準値以下であってもなかなか住民が納得しないケースがあった。
私は、基準値以下のがれきは受け入れるべきだと思うが、イヤダという人の気持ちも分からないではない。
特に、乳幼児を抱えた母親が不安を訴えるのに、押し切るのはためらわれる。
飯島氏には、適地をどういう条件の場所と考えているのだろうか?

同様に、小泉発言を無責任というのが、「日経ビジネスオンライン」2013年11月29日(金)号の柏木孝夫『無責任な小泉元首相の「脱原発」発言-冷静かつ定量的な議論が必要』 である。
飯島氏に比べると論理的なようである。
しかし、小泉批判は果たして的を射貫いているだろうか?

柏木氏は、「冷静かつ定量的な議論が必要」だとして次のようにいう。

一次エネルギーを輸入に頼らざるを得ない我が国が、エネルギーの安定供給を確保するには、多くの選択肢を持つことでバーゲニングパワー(交渉力)を高めなくてはならない。そのためには、これまで一貫して述べてきたように、原子力は一定量、維持すべきというのが、わたしの考えである。このことの重要性を考えれば、決して「即時、原発ゼロ」などと無責任に発言することはできないはずである。

「一次エネルギーを輸入に頼らざるを得ない」にしても、どの程度の1次エネルギー量なのか?
1次エネルギーにおいても、シェールガスやメタンハイドレートなどの新技術開発が進められているが、それをどう織り込むのか?
たとえば、メタンハイドレートについては、メタンハイドレート-Wikipediaには次のような説明が載っている。

日本のメタンハイドレートの資源量は、1996年の時点でわかっているだけでも、天然ガス換算で7.35兆m3(日本で消費される天然ガスの約96年分)以上と推計されている。もし将来、石油や天然ガスが枯渇するか異常に価格が高騰し、海底のメタンハイドレートが低コストで採掘が可能となれば、日本は自国で消費するエネルギー量を賄える自主資源の保有国になるという意見があり、尖閣諸島近海の海底にあるとされている天然ガスなどを含めると日本は世界有数のエネルギー資源大国になれる可能性があるという意見もある。

どこまで可能性があるかは「冷静かつ定量的な議論が必要」だろうが、全く考慮しないで在来型の化石エネルギーだけを対象に議論を進めるのは如何かと思う。
バーゲニングパワーを持つことは必要だろうが、「原子力は一定量、維持すべき」ということに直接は結びつかない。
自分の「考え」と異なるからと言って、「無責任」と決めつけるのも如何であろうか?

現にわが国は原発由来の電力を使わないで過ごしている。
温暖化ガスの問題を別とすれば、問題はコストである。

柏木氏は、再生可能エネルギーの発電設備の導入状況を下表をベースに論じる。
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再生可能エネルギーのなかで、有力なのはメガソーラーである。
2009年に策定した政府の2020年における太陽光導入量の目標2800万キロワットは、今年7月末時点のメガソーラーの認定量だけで、その7割以上にも及び、住宅用も加え、さらにFIT開始前の累計導入量も加えれば、ほぼ2800万キロワットに達するというのが、柏木氏も認めている状況である。

柏木氏は、FITの制度下で、あまりにも導入量が急増すると、電気料金に上乗せされるサーチャージ(賦課金)という形で、国民負担が大幅に増してしまうことを心配している。

日本の年間の総使用電力量を、省エネが進むことを想定して、少なめに9000億キロワット時と見積もるならば、サーチャージは1キロワット時当たり約1円になる。平均的な電気料金が、一般家庭向けで1キロワット時当たり24円程度、既に自由化されている高圧の需要家向けで同10数円であるから、サーチャージはその5~10%程度にもなる。決して小さな負担ではない。

決して「小さな負担ではない」にしても、禁止的なコストというわけではない。
柏木氏がいうように、FITが見直され、電力システム改革も進むであろうから、サーチャージも低減するのではないか。
原子力のコストこそ、ゴミの処分、事故対応等を含めれば、ずっと高いと思われる。
「冷静かつ定量的な議論が必要」であるのは、原発推進論者にこそではないだろうか。

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