シナリオ界の巨人・橋本忍/追悼(128)
黒澤明監督の「羅生門」や「七人の侍」など数多くの名作を手掛けた脚本家の橋本忍さんが19日、肺炎のため東京都世田谷区の自宅で死去した。
100歳だった。
東京新聞7月21日
昔、リサーチの仕事をやっていた頃、訴求力のある報告書を作成するため、シナリオ・ライティングの技法を学ぼうという話になった。
新井一『シナリオの基礎技術』ダビッド社(1968年)等を参考にしようとしたが、メンバーの歩調が合わず、長続きしなかった。
日本映画の黄金期を支えた脚本の巨人であり、私も思い出の作品がいくつかある。
名作の数々を手がけた橋本さんは、骨格のしっかりした構成とスリリングなストーリー展開で知られた。「砂の器」(74年)に代表される回想形式で時間軸を巧みに交錯させる手法は圧巻。小説を映画化する際、原作にとらわれない構成の妙は、まさに“脚本の巨人”として他の追随を許さなかった。黒澤明監督との出会いが、脚本家人生の礎となった。初めて脚本化に取り組んだ芥川龍之介の短編「藪の中」を目にした黒澤監督が気に入り、映画化が浮上した。だが「(脚本が)ちょっと短いんだよな」と言われ、とっさに思いついて「羅生門」を入れ込み改稿。満足いかない出来だったところ、黒澤監督が手を入れた脚本に驚かされたという。橋本さんのひらめきを黒澤監督は見事に脚本に反映させていた。以降、黒澤監督の鋭い洞察で磨かれた橋本さんは「世クロサワ」を“黒子”として支えた。脚本だけでなく、マルチな才能の持ち主だった。無類の競輪好きとしても知られ、勝負事に強く、実業家としても頭角を現した。独立プロダクションを設立し、それまで“量産主義的”だった日本映画に、脚本重視の流れを生みだした。師である伊丹万作監督の教え通り「字を書く職人」に徹し「良い脚本から悪い映画ができることはあるが、悪い脚本から良い映画はできない」が信条だった。
平成が終わるのと同期するように、昭和の巨人たちが亡くなっていく。
当然ではあるが、やはり寂しいものだ。
合掌。
当然ではあるが、やはり寂しいものだ。
合掌。
| 固定リンク
「ニュース」カテゴリの記事
- スキャンダラスな東京五輪/安部政権の命運(94)(2019.03.17)
- 際立つNHKの阿諛追従/安部政権の命運(93)(2019.03.16)
- 安倍トモ百田尚樹の『日本国紀』/安部政権の命運(95)(2019.03.18)
- 平成史の汚点としての森友事件/安部政権の命運(92)(2019.03.15)
- 内閣の番犬・横畠内閣法制局長官/人間の理解(24)(2019.03.13)
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 藤井太洋『東京の子』/私撰アンソロジー(56)(2019.04.07)
- 内閣の番犬・横畠内閣法制局長官/人間の理解(24)(2019.03.13)
- 日本文学への深い愛・ドナルドキーン/追悼(138)(2019.02.24)
- 秀才かつクリエイティブ・堺屋太一/追悼(137)(2019.02.11)
- 自然と命の画家・堀文子/追悼(136)(2019.02.09)
「追悼」カテゴリの記事
- 日本文学への深い愛・ドナルドキーン/追悼(138)(2019.02.24)
- 秀才かつクリエイティブ・堺屋太一/追悼(137)(2019.02.11)
- 自然と命の画家・堀文子/追悼(136)(2019.02.09)
- 「わからない」という方法・橋本治/追悼(135)(2019.01.30)
- 人文知の大輪の花・梅原猛/追悼(134)(2019.01.16)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント