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その後の数か月を経て、詳細はさておき1979年4月に、私は名古屋大学空電研究所に文部教官助手として就職することになった。4月1日は日曜日だったので、赴任つまり初出勤は4月2日であった。あの日はまさに快晴で、
「修士二年の星野君と同室です。」
と三階の居室に案内され、部屋に入ると南の窓からは、日の光が一杯射しこんでいた。
30歳にして初めて定職を得て、ようやく社会に踏み出したのだという実感は、まだまだなかった。それでも、居室の椅子に座って灰色の事務机ながら
「これが大学人の椅子で机だ!」
と、妙な感激にしばらく浸っていたことは、記憶の片隅に今でも残っている。
研究室は研究所の第五分野で主題は環境電磁工学、教授の仲井先生(故人)、助教授の竹内先生(故人)、仲野助手に、長谷技官、中田技官の5名に、私を加えて6名という構成となった。ただ助教授と助手の二人は自然電磁雑音(大気電気学:雷放電起源 広い意味の環境電磁工学)、教授と私は人口電磁雑音という風に住み分けることとなっていた。そして二人の技官は、それぞれのグループが観測に必要とする機器・装置の製作を担当しているという事だった。改めて書くべきことではないかもしれぬが、私を助手として採用して下さったのは仲井教授で、あの頃、40年前は、
「教授の一存で助手を採用。」
という、古き良き時代であった。
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2024年11月04日
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