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2010/05/13

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  • 価値観

    2016年12月。 インド門を訪れたとき、本当の意味でのポストモダンは欧米(日本)のなかからではなく、アジアやアフリカなど21世紀を牽引する国々から生まれて来るのかなと思いました。 普遍的(だと思っていた)価値観が揺らぐ世界を見ています。ロシアによるウクライナ侵攻は終わる気配も見えず、しかしそんな蛮行に対する国際社会の身振りは必ずしも一致しているわけではありません。インドやアフリカ諸国の想いは我々西側先進諸国と異なります。 大英帝国の支配―確かにこのインド門の設計もイギリスの建築家なのは皮肉でもありますね。 皆さま良いお年をお迎えください。

  • 前田泰宏さん講演 「美の効用」について

    内田咲子さんから誘っていただいた前田泰宏さん講演会の案内には「美の効用」とあり、当初、怪しい?と訝しんでいました 笑。しかし、前田さんのお話しが始まると一気に引き込まれ、笑いもあり、あっという間の一時間でした。 強烈なお話しで、頭のなかで整理できてないので、前田さんのお話しから思い浮かんだ断片を勝手に、強引に自分なりの関心に引き寄せ、感想として書き留めました。(メモもとってなく、脳内メモなのでちょっと出鱈目かも、、) NHKに「プロフェッショナル」という番組があって僕も好きですが、なんとなくプロフェッショナルはすごくて、アマチュアは下に見てしまっていたような気がします。しかし、悪い言い方をすれ…

  • まつえ / 風景会議

    近代はいろいろなものを機能で分けていった時代だと思います。住宅の内部では食べる場所と寝る場所が分けられ、都市は用途(機能)によって分けられました。住む為だけの住宅を建てる場所、商売する場所、工業の為の場所などに分けられました。でも今から見ればそれは計画する側、管理する側の都合だったんじゃないかと思いますよね。 結果的に人口が減ってくると旧市街地の疲弊が目立ち始めます。旧市街地は、本来は商売する場所であり、同時に市民の日常生活の場所でもありました。通勤を前提としたサラリーマン社会になって、住む場所(郊外)には人が増えても、商売する場所(旧市街地)から人の姿が消えていきます。 そんななか、松江のま…

  • 自分が自分であること。建築と自己同一性について。

    自分が自分であること。 藤森さんの言葉だったか、昨日と同じ街があって、昨日と同じ建築があって、朝起きると確かに昨晩寝た部屋で目覚めること。人が、自分が昨日までと同じ自分であることは、そんな連続性で確かめてるんじゃないか、といったニュアンスのことを仰っていた(どこかで書かれていた)ように記憶しています。 そういえば、新世紀エヴァンゲリオンでシンジは白い壁に囲まれた部屋で目覚め、「知らない天井だ」と言うシーンがありますね。 三浦展さんが「独身者の部屋宇宙──高円寺スタイル」で郊外のニュータウンで起きる特異な事件について、郊外の持つ独特な不安定性を指摘されています。 自分が自分であることなんて、当た…

  • Ms 建築設計事務所 建築家 三澤文子さん

    住宅デザイン学校関西場所のひとコマ。 「千里私たちの家/Ms 建築設計事務所」で建築家 三澤文子さんから住まいの変遷をお聞きしました。 アトリエと住まいそのものが、千里というまちの変遷と共にあり、木の住まいの実験の場であり、日常と仕事の場であり、そして三澤文子さんの大切な記憶そのもののように感じました。 見学のあとはアトリエの大テーブルでパーティー(スタッフの皆さんにも大変お世話になりました)。アルコールも入って、この場所に身を置けることが嬉しく、幸せな時間を過ごすことができました。 こうした機会をつくっていただいた伊礼智さん、事務局のみなさんに感謝です。

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