自分は昭和の頃、長崎市内から諫早市へ移り住み、途中、出稼ぎにも行ったが、もう長いことこの街に暮らしている。 長崎の地名を語るなら、「諫早」についても、そろそろ私見を述べておかにゃんならんこっで、ござんすナタ。 (無理してコアな諫早弁を使おうとせんでいい!) 「イサハヤ」の地名由来は、郷土史などでも納得できる説は見られない。自分でも考えてはみるがどうも決め手がなく、すぐ飽きて、ネットで「侵略!イカ娘...
長崎県南部を中心にした自転車散歩の記録などを書いています。
庭の畑の野菜に水をやっていたら、畑の隅に放置したプランターと塀の間に、何やら緑色の平べったいものがはさまっている。一体なんだろう?取り出してみると、パソコンのマウスだった。変だなあ、こんな緑色のシマ柄のマウスなんて持ってないぞ?それに、ボタンのクリック感がまったく無いし、裏にはレーザーのレンズも見当たらない。コードにはウブ毛が生えているし、何か葉っぱやツルのようなものが・・あああ ━━━━ ッ!!スイ...
諫早市多良見町の市布(いちぬの)地区に、山帰来川内(かからごうち)という地名がある。 場所は、JR市布駅から長崎バイパスの古賀市布IC出入口へ向かう途中の、谷間の辺り。 前回の「九重里(こつづら)」のすぐ近くで、ここも長崎市古賀町との市境。多良見町側には長崎バイパスの出口がある。 バイパスの高架をくぐると、古賀町の「正念」という地区になる。 正念も気になる地名だが、昔、この山の中腹にあった「正念寺」に...
昭和50年代に、長崎市古賀町の山を平らにして作られた「つつじヶ丘団地」。 その北西側の崖下に、「九重里」と書いて「こつづら」と読む、いや、読めるかーい!とツッコみたくなる、超難読地名の地域がある。 ※Googleマップより 行政地名ではないが、古い集落のため国土地理院の地図には記載があり、明治35年発行の地図にもその名が見える。最先端のGoogleマップには、出てこない。 当て字にも 限度が...
「西彼杵郡 野母崎(のもざき)町」は、平成17年に長崎市に編入され、慣れ親しんだ「野母崎」という行政地名は無くなった。 しかし、中心部の野母町にある市役所の出張所は「野母崎地域センター」のままだし、多くの人は、今でも長崎半島(野母半島)の南半分を「のもざき」と呼んでいるだろう。 南の島のような青い海、湧き立つ白い雲、遠く浮かぶ島影。そして荒々しい奇岩と急峻な崖のシルエット。ここは長崎人のリゾート地。 ...
重篭(じゅうろう)と十郎原(じゅうろうばる)と、田手原大根の話
以前、長崎市田上周辺の地名の回で、田手原(たでわら)町の山の上にある「重篭(じゅうろう)」集落について書いたが、開拓農地らしいという話だけで「じゅうろう」の意味についてはあまり言及していなかった。 リンク:田上近辺の高地を巡る その後も時々思い出しては調査を行い、いろいろと考えていた。えろえろな事を考えていたのではない。あ、少しは考えたかもしれない。いや、実はたびたび・・(いいから早くやれって...
雲仙市の吾妻(あづま)町と愛野町の周辺は、古くは「山田郷(やまだごう)」と言って、肥前国高来(たかき)郡の官道の駅がある重要な土地だったらしい。 しかし、「山田」という歴史ある地名は、昭和29年に山田村と守山村が合併し、吾妻村になったことで消滅してしまった。 現在は、「愛野扇状地」の上の方、吾妻町栗林名に、かろうじて「山田原(やまだばら)」という通称地名と小字地名が残っている。 行政地名では無いので、Goog...
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自分は昭和の頃、長崎市内から諫早市へ移り住み、途中、出稼ぎにも行ったが、もう長いことこの街に暮らしている。 長崎の地名を語るなら、「諫早」についても、そろそろ私見を述べておかにゃんならんこっで、ござんすナタ。 (無理してコアな諫早弁を使おうとせんでいい!) 「イサハヤ」の地名由来は、郷土史などでも納得できる説は見られない。自分でも考えてはみるがどうも決め手がなく、すぐ飽きて、ネットで「侵略!イカ娘...
自分は最近、50ccの原チャリで遠出することが多い。 歳を取って体があちこち弱っているので、この暑い夏に自転車で長い距離を走ると疲れ果てて心臓が止まり、魂だけ家に帰ってしまうかもしれない。原チャリなら漕がなくてもいいので、もう少し生きられそうだ。 しかし、田舎の幹線道路は、路肩が狭くてボコボコで、ダンプやバスや、パチンコで負けて狂ったように蛇行する軽自動車や、弾丸プリウス老人などがブッ飛ばして来るの...
長崎市現川(うつつがわ)町は、矢上地区の八郎橋交差点から、川沿いの緩やかな坂道をしばらく上った所。昔からの農業集落で、土地開発はほとんど進んでいない。 山奥のようだが、実際は谷の奥なので標高は70mほどと低く、途中、急坂もなくクルマも少ないので、自転車でも楽勝で行ける。 自分は以前、特に用がなくても時々ここを訪れ、山あいの長閑な風景や、飼われている牛を見てほっこりしていた。 もっこりしていたのでは無...
これまでの地名散歩の記事で、地名の「崎(さき)」は、「股裂き」などの「裂き」で、「裂けたような地形」を指す場合があるという事を述べた。 (股裂き以外の例えは無いのかよ) ・諫早市真崎(まさき)町 深く狭い谷が、河口から背後の山まで折れ曲がりながら続く。最近気づいたのだが、明治時代の地図には「眞(マッ)崎」とフリガナがついている。「真っ裂き」だ。 今はもう、地元にも「マッサキ」と呼ばれていた事を知る人は...
前回は、上小島と弥生町の「柿木太郎(かきのきたろう)」について書いたので、その近くにある「矢太郎(やたろう)」のことも書いておこう。 長崎市風頭(かざがしら)町の山の上にある、老舗ホテル「矢太樓(やたろう)」の名称は、その場所が「矢太郎岳」だった事からつけられたと、ホテルのHPに記載されている。 以前は「矢太郎という古い地名」からと説明してあった気がするが、思い違いだろうか。ここは小字「矢太郎」の範囲...
長崎市上小島(かみこしま)の、八剱(やつるぎ)神社から上の方は、古くは「雷岡(かみなりおか)」と呼ばれていた。 明治時代に刊行された「長崎地名考」には、「雷岡は小島郷の内なり その傍に八剱社あり その南に高き空地数畝あるを俗に芝居の地という この辺りを総て雷岡と唱う 今は小島郷という」と書かれている。 文献によっては「雷公岡」となっているが、読み方は同じ「かみなりおか」。 「雷公(らいこう)」とは、雷...
長崎県と佐賀県の境に広がる多良岳(たらだけ)山系は、なだらかな稜線が長く長く伸び、なかなか美しい姿をしている。 自分は若い頃、軽の箱バン四駆で多良岳周辺の道なき道を走り回って遊んでいたので、この山には親しみがある。 自転車でも幾度となく訪れ、標高1057mの五家原岳山頂にも2回登った。 (2回だけかよ) 地名の「たら・だら」は、地形を確認すると「なだらかな傾斜地」を指しているようだ。・福島県 安達太良山...
たわしの大事なパソコンのハードデスクが、この暑さのせいでブッ壊れ、Windowsが起動しなくなってしまった!ア〜ンア〜ン!! 夏は蒸し風呂のような部屋で使うため、放熱性のよい昔ながらのデスクトップPCを選んだのだが、とうとう限界を越えてしまったようだ。 しばらく前から、ディスク使用率が100%のままになる事が増え、ネット動画もカクカクして止まることがあった。 最近のPCのドライブは高速化のためSSDが主流になり、...
ワテのパソコンデスクの部屋にはクーラーが無い!どうだ!まいったか!暑いよう~、暑いよう~ 夜はオリンピックで忙しいし、暑い部屋で記事を書こうとしても、扇風機からは湿度90%の熱風しか出ないので脳みそが溶けて意識が混濁してすぐ涼しい部屋に避難するため、なかなか進まない。 きょうは午後から暑い中出かけることにしたので、今回もとりあえずどうでもいい事を書いて誤魔化しておこう。 西諫早ニュータウンのそばに...
庭の畑の野菜に水をやっていたら、畑の隅に放置したプランターと塀の間に、何やら緑色の平べったいものがはさまっている。一体なんだろう?取り出してみると、パソコンのマウスだった。変だなあ、こんな緑色のシマ柄のマウスなんて持ってないぞ?それに、ボタンのクリック感がまったく無いし、裏にはレーザーのレンズも見当たらない。コードにはウブ毛が生えているし、何か葉っぱやツルのようなものが・・あああ ━━━━ ッ!!スイ...
諫早市多良見町の市布(いちぬの)地区に、山帰来川内(かからごうち)という地名がある。 場所は、JR市布駅から長崎バイパスの古賀市布IC出入口へ向かう途中の、谷間の辺り。 前回の「九重里(こつづら)」のすぐ近くで、ここも長崎市古賀町との市境。多良見町側には長崎バイパスの出口がある。 バイパスの高架をくぐると、古賀町の「正念」という地区になる。 正念も気になる地名だが、昔、この山の中腹にあった「正念寺」に...
昭和50年代に、長崎市古賀町の山を平らにして作られた「つつじヶ丘団地」。 その北西側の崖下に、「九重里」と書いて「こつづら」と読む、いや、読めるかーい!とツッコみたくなる、超難読地名の地域がある。 ※Googleマップより 行政地名ではないが、古い集落のため国土地理院の地図には記載があり、明治35年発行の地図にもその名が見える。最先端のGoogleマップには、出てこない。 当て字にも 限度が...
「西彼杵郡 野母崎(のもざき)町」は、平成17年に長崎市に編入され、慣れ親しんだ「野母崎」という行政地名は無くなった。 しかし、中心部の野母町にある市役所の出張所は「野母崎地域センター」のままだし、多くの人は、今でも長崎半島(野母半島)の南半分を「のもざき」と呼んでいるだろう。 南の島のような青い海、湧き立つ白い雲、遠く浮かぶ島影。そして荒々しい奇岩と急峻な崖のシルエット。ここは長崎人のリゾート地。 ...
以前、長崎市田上周辺の地名の回で、田手原(たでわら)町の山の上にある「重篭(じゅうろう)」集落について書いたが、開拓農地らしいという話だけで「じゅうろう」の意味についてはあまり言及していなかった。 リンク:田上近辺の高地を巡る その後も時々思い出しては調査を行い、いろいろと考えていた。えろえろな事を考えていたのではない。あ、少しは考えたかもしれない。いや、実はたびたび・・(いいから早くやれって...
雲仙市の吾妻(あづま)町と愛野町の周辺は、古くは「山田郷(やまだごう)」と言って、肥前国高来(たかき)郡の官道の駅がある重要な土地だったらしい。 しかし、「山田」という歴史ある地名は、昭和29年に山田村と守山村が合併し、吾妻村になったことで消滅してしまった。 現在は、「愛野扇状地」の上の方、吾妻町栗林名に、かろうじて「山田原(やまだばら)」という通称地名と小字地名が残っている。 行政地名では無いので、Goog...
長崎市矢上町の国道34号線、滝の観音入口交差点から山の方へしばらく登ると、周囲が開けて平坦な所に出る。そこが平間町の「間の瀬(まのせ)」地区。 「平間(ひらま)町」は「崖に囲まれた所」という意味だろう。「ヒラ」は「平坦」では無く、古い言葉で崖や傾斜地のこと。 「マノセ」という地名は全国にあり、漢字の違いはあるが、その由来はほぼ明らか。独立した細長い小山があり、その形状が「馬の背」に似ているからだ。 ...
そのむかし、長崎港周辺は「瓊ノ浦(たまのうら)」と呼ばれていた。 「美しい宝玉のように、青くキラキラ光る港」といった美称であり、学校の校歌にも盛り込まれている。「瓊浦(けいほ)高校」などは、学校名そのものになった。 昭和の頃、瓊浦高校は周りの人たちが「けいほう」と呼んでいたので、自分も大人になるまでそう読むのだと思っていた。 ちなみに、発音のアクセントはピンクレディーの「UFO!」のような感じ。 ど...
「母ケ浦(ほうがうら)」という地名は「浦」というくらいなので、大抵は海岸か、海岸だった所にある。 「母なる港」と言えば、どこか懐かしく、「おかあさんの港」と言えば、あったかぁ〜くホワホワしい感じがするが、母ケ浦とはどういう意図で付けられたのだろうか。 「母」という字が使われているものの、「ははがうら」と読む例は無く、「母浦(ははうら)」という地名も見当たらない。やはり当て字なのだろう。 この地名は...
気象庁の発表によると、去年に続き、今年の夏もウルトラ猛暑の予想らしい。ペルーのトルティーヤ現象がどうとか書いてあった。(エルニーニョな) それにしても、去年の夏は暑かった!日本の観測史上、もっとも暑い夏だったそうだ。 「暑は夏いでんな」と言っても、誰も反応しないほど暑かった。秋になっても師走になってもまだ暑かった! 非常に、異常に、過剰に、ドジョウに暑かった。YO! (や、やはりラップのつもりだっ...
1992年、本田技研工業は、ジョルノという50ccの原付スクーターを発売した。 デザインは「ローマの休日」で有名なイタリアのベスパをパク、いや、リスペクトしたレトロ調のモデルで、そのおしゃれでキュートなスタイルは、若者に大人気となった。 ヤマハとスズキもガッポリ儲け、いや、市場のニーズを考慮し、そっく、いや、同様のモデルを追って発売した。 ジョルノは独自の発展を続け、そのコンセプトは最後の50cc原付となる...
新しい記事が完成していないので、どうでもいい事を書いて、時間を稼いでおくとしよう。※今回の記事はお下劣につき閲覧注意です。無論、私ではなくゴーストライターが書いたものです。◎美しくないものを、美しそうな漢字で表してみる。女句草 めくそ花句草 はなくそ魅美句草 みみくそ(牧野博士に謝れ!)香門 こうもん(※実在の店舗とは一切関係ありません)詩梨華 しりげ和季雅 わきが粉塗姉 ふんどし(...
「鬼(おに)」のつく地名の土地では「恐ろしい鬼がいたから」という地名由来がよく語られるが、それをそのまま信じる現代人は居ないだろう。 実際に鬼がいたという記録があったとしたら、それはマタギと呼ばれる狩猟民や、サンカと呼ばれる山の漂泊民、山賊の類、あるいは、何らかの理由で森に隠れ住んでいた白人の大男などを目撃したものではないかと思う。 そういう人達と山の中でバッタリ出会い、ビックラこいて「もひいぃ...
自分は今年になって、食べ物の好みがちょっと変わった。 今まで滅多に食べなかった辛いものが急に食べたくなり、家にはキムチと唐辛子とコチュジャンを常備している。 キムチは安いのを中心にいろいろ試したが、現在は、韓国の宗家(チョンカ)のキムチ大瓶をリピート中。Aコープのコストコフェアで売っていた。 熱いごはんにキムチを乗せるとア〜ラ不思議、魔法のようにごはんが無くなる!こんにちは 私の新たな豚の素! (変...
土曜日は、用事で長崎駅の方へ出かけた。 いつもなら原付で行くが、ずいぶん前に買って全く使ってなかった東京駅百周年記念Suicaを机の中の地層から発掘していたので、今回はJRで行く事にした。 公共交通機関はほとんど乗らないので、Suicaなど使ったことがない。先日の出張では、領収書の出し方が判らず使うのをあきらめていた。 どうだ、すんごい田舎モンだろう?(開き直るなよ) 諫早駅は駐輪場がよく判らず、西諫早駅は急...
去年の9月、ウチのよく出来た嫁様が、西九州新幹線かもめの試乗会に応募し、見事当選!!万歳しながら奇声をあげて踊りまくった。 唐草模様の風呂敷包みに竹の皮の弁当入れと、準備万端整えて正座して当日を待っていたが、台風14号の雲古野郎のせいで、まさかの中止! これは完全にガッカリ八兵衛だ。わたしが子どもだったら、グレてよっちゃんイカやうまい棒を万引きしていただろう。 仕方がないので、諫早図書館のかもめ号...
自転車で、諫早の市街地から島原半島の北目の方へ向かうには、やはり国道57号線が一番早いのだが、小野の先から森山周辺は、片側1車線で路肩がほぼ無い所を大量のクルマがバンバンすっ飛ばして来るので、五百円くれても走りたくない。 ほぼ人がいない歩道を走る事も可能だが、段差や凹凸が多くてムダに疲れる。歩行者を避けるために車道と歩道を出入りするのも危ないし、クルマもなかなか途切れない。歩道の多くは片側にしかな...
ホンダというメーカーは、創業以来、世界をリードする高い技術力により、いつも先進的で独創的な製品を作り続けてきた。 挙げればキリがないし面倒なので挙げないが、50cc、原付1種の3輪スクーター「ジャイロキャノピー」もそのひとつ。 自分はこれの中古に10年くらい乗っていたのだが、別に自慢する事もないし、特に面白い事もないので、紹介する記事は書いていなかった。 ただ、若い頃乗っていた原付たちの昔話は以前すべ...
地名についてあれこれ詮索していると、「至って普通のようでも、土地の状況を表す地名として意味を成さないもの」があることに気がつく。 たとえば、多良見町東園地区にある「山の木」 山に木があるのは当たり前で、しかも無数に立っている。地名の意味が「山の木のところ」では、そこら中すべてが該当するため、場所が特定できないではないか。 これじゃ、「今どこにいる?」「えっとねぇ〜道路の横にガードレールがある所〜...
地名をいろいろ見ていると、へびっぽい地名や、へびに関すると言われる地名、そして、ズバリ「蛇」のつく地名があることがわかる。 近年、日本中で自然災害が続いたことから、「災害地名」がテレビで報道されるようになった。「蛇崩(じゃくずれ)」や「蛇落(じゃらく)」など「蛇」のつく地名は、「大水による災害が発生しやすい所」と言う認識が広まっている。 蛇は、そのくねくねした動きから、流れる水を象徴する生きものとさ...
自分は最近、原付(50cc)でけっこう遠くまで出かける。 日曜日は、地名の調査で佐賀県嬉野市の山の中と、東彼杵郡波佐見町の山の中へ行ってきた。 今どき制限速度が30Km/hでは、幹線道路を走ると下手っぴに当てられそうなので、なるだけ裏道を走る。大きい交差点では二段階右折とかいう、危険極まりない行為を強要させられるので、迂回ルートも詳しくなった。 今回はまず、諫早から大村を通って北上するのだが、「おつまみガリ...
長崎市茂木町は、市街地から田上(たがみ)の峠を越え、つづら折りの狭い森の道を下り、川沿いの切り立った崖の側を通り抜けた、隔絶の地にある。 淋しい所かと思いきや、千々石灘に面する海岸の景観は明るく開放的で、日がな一日のんびり過ごせるところ。 明治期には、長崎に居住していた西洋人のリゾート地として賑わったそうだ。 茂木には特に何があるという訳でもないが、自分は何となく好きな町なので、時々ふらりと立ち寄...
あれぇ〜 変だな~博多って、こんな所だったかな~もっと都会だったはずだがな~キャナルシティどこかな〜しかし誰も通らんな〜 と言うのはウソで、ここは佐賀県唐津市の山の中、七山木浦という所にある「博多(はかた)」たい! 数年前、地図でたまたま見つけて、唐津方面へ行くついでに寄ってみたのだが、ケータイの電波もまったく届かない、田舎中の田舎だった。 途中、すれ違った原付スクーターの男性は、ごく普通の身なりだ...
諫早市多良見町 市布(いちぬの) 市布には、長崎自動車道の長崎多良見インターがあり、すぐ近くには諫早市と長崎市を結ぶ長崎バイパスの出入口がある。 一般道の国道34号線も、隣接する東長崎地区や長崎市街地へ行き来する車が通るため、この付近は相変わらず交通量が多い。 ※Googleマップより 市布と言えば、以前はバイパスと国道が交差する信号でいつも激しく渋滞していた。頻尿の人達にとっては、人間の尊厳を死守す...