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  • 沖澤のどか/京響

    今年4月に京都市交響楽団の常任指揮者に就任した沖澤のどか。さっそく東京でのお披露目公演が開催された。1曲目はベートーヴェンの交響曲第4番。なんの衒いもなく自分の中の自然なベートーヴェンを演奏したような感がある。肩肘張ったところがなく、しかも音楽的に充実していることは、沖澤のどかの実力の証明だろう。だが、今まで聴いてきた読響や日本フィルとの演奏にくらべると、音色の魅力に欠けることは言っておかなければならない。モノトーンで単調な音色だった。加えて、読響や日本フィルのときに聴かせた微妙なテンポの揺れや細かいニュアンスは(それらの点は沖澤のどかがアシスタントを務めたキリル・ペトレンコ譲りのように思えた)、今回は影をひそめた。京響との呼吸はまだ合っていないのかもしれない。それは仕方がない。むしろこれから期待すべきこ...沖澤のどか/京響

  • ヴィオッティ/東響

    ロレンツォ・ヴィオッティ指揮東京交響楽団の定期。プログラムはベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」とリヒャルト・シュトラウスの「英雄の生涯」。演奏中にアクシデントが起きた。「英雄」の第1楽章コーダに入ったあたりで、LDブロックのわたしの席の近くで「ウーッ」という声が上がった。だれか具合が悪いのか、それとも障害のある人が声を上げたのか。周囲を見回すと、わたしの席の2列前で高齢の男性が倒れたようだ。隣の女性が介抱しているように見える。大変だ。係員を探したが、姿が見えない。後方の女性が駆け付けた。看護師の資格を持っている人ではなかろうか。ハンカチで男性の口を拭っている。そのうちに係員も駆け付けた。別の係員も駆け付けた。すぐに応援を呼びに行った。その間、演奏は止まらなかった。通常そうだ。だが、第1楽章はすぐ終わる。...ヴィオッティ/東響

  • 国立新美術館「テート美術館展」

    国立新美術館で「テート美術館展」が開催中だ。会期は10月2日まで(その後、大阪に巡回)。すでに多くの方がご覧になったと思うが、まだの方もいるだろうから、ご紹介したい。コロナ禍以来、大型の海外美術館展が難しくなっている中で、貴重な展覧会だ。イギリスのテート美術館から「光」をテーマに作品を選択・構成している。見応え十分だ。テート美術館というと、まずターナー(1775‐1851)だ。本展には数点の作品が展示されている。その中でもチラシ(↑)に使われている「湖に沈む夕日」(1840年頃)は、ターナーのエッセンスを凝縮した作品だ。一面の濃い靄の中から夕日が輝く。湖面と空の境界は見分けがつかない。沸き立つ靄に夕日が映える。息をのむような荘厳な眺めだ。近寄ってよく見ると、夕日はベタっと塗られた白い絵の具に過ぎない。だが...国立新美術館「テート美術館展」

  • 西村朗さんを偲ぶ

    作曲家の西村朗さんが9月7日に亡くなった。享年69歳。70歳の誕生日の前日の逝去だった。右上顎がんだったそうだ。まだ若いのに‥と思う。今年の夏は7月11日に外山雄三さんが92歳で亡くなり、8月15日に飯守泰次郎さんが82歳で亡くなった。まったくなんていう夏だろうと思う。西村朗さんの逝去に当たって多くの音楽関係者が追悼の声をあげている。哀切きわまる声も多い。西村さんの生前の広い交友関係がしのばれる。わたしは一介の音楽ファンにすぎないが、西村さんの作品を聴く機会はけっこうあった。とくにヘテロフォニーの手法で書かれた音楽は、西洋音楽の論理とはまったく異なる地平に立つ音楽として、わたしを強烈に惹きつけた。だが、西村さんが亡くなったいま、わたしの中で再燃するのは、オペラ「紫苑物語」のことだ。途中で放り出して忘れてい...西村朗さんを偲ぶ

  • ヴェンツァーゴ/読響

    マリオ・ヴェンツァーゴは1948年、スイスのチューリヒ生まれ。読響には2021年11月に初登場したが、わたしは聴かなかったので、今回が初めて。1曲目はスクロヴァチェフスキ(1923‐2017)の「交響曲」(2003)。日本初演だ。スクロヴァチェフスキは今年生誕100年。リゲティと同い年だ。リゲティはハンガリー動乱のさいにハンガリーを脱出した。20世紀の激動の歴史を体現する人だった。一方、スクロヴァチェフスキはパリで学んだり、アメリカに渡ったりしたが、出国の困難はあまり聞いたことがない。ハンガリーとポーランドの政情のちがいか。「交響曲」は、音の運動性、各部分の響きの作りなど、いかにもスクロヴァチェフスキの作品だ。実感としては、スクロヴァチェフスキその人がそこにいるような感覚だ。不思議な気がした。スクロヴァチ...ヴェンツァーゴ/読響

  • ルイージ/N響

    N響の近年の音楽監督・首席指揮者の推移を見ると、デュトワ→アシュケナージ→ヤルヴィ→ルイージと、プログラムも演奏スタイルも革新→保守のパターンが繰り返されているように見える。ルイージが指揮する9月の定期演奏会Aプロはオール・リヒャルト・シュトラウス・プロで、その意味では保守だが、選曲が巧みで演奏も高度だった。1曲目は交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」。冒頭の第一ヴァイオリンがピッチのピタッと合った音で、まるで一本の糸のように聴こえた。その後も鮮やかな演奏が続いた。ただ指揮者が細部まで掌握した演奏だったからか、緊張感がほぐれる瞬間がなかった。この曲の笑い話的な表現は難しいのかもしれない。2曲目は「ブルレスケ」。ピアノ独奏は1982年生まれのドイツのピアニスト、マルティン・ヘルムヒェン。準...ルイージ/N響

  • 山田和樹/日本フィル

    山田和樹指揮日本フィルの定期演奏会。1曲目はモーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」。弦の編成は16型。だが、演奏が始まると、目を疑った。16型の弦楽器群の、半分しか演奏していない。残りの半分は弓を構えているだけだ。なぜ弓を構えているのかというと、演奏する人と演奏しない人が頻繁に入れ替わるからだ。どうやら2班に分かれているらしい。だが、たとえば各プルトの内側の人と外側の人とか、あるいは前半分と後ろ半分とか、そういうわかりやすい分け方ではない。2班に分かれているかどうかも定かではないが、仮にそうだとしても、アットランダムな分け方だ。で、どうなるかというと、各奏者は大雑把にいって、譜面の半分しか演奏しない。それも途切れ途切れに。なぜなら頻繁に入れ替わるからだ。こうなると各奏者は(弾きなれたこの曲を...山田和樹/日本フィル

  • 高関健/東京シティ・フィル

    高関健指揮東京シティ・フィルの定期演奏会。冒頭に先日亡くなった飯守泰次郎さんの追悼のためにワーグナーの「ローエングリン」から第1幕への前奏曲が演奏された。月並みではない選曲に指揮者とオーケストラの気持ちがこもる。追悼演奏終了後、1曲目はリゲティの「ルーマニア協奏曲」。何度か聴いた曲だが、久しぶりのせいか、おもしろく聴けた。第1楽章冒頭の弦楽器の厚みのある音から東欧情緒が広がる。第3楽章の舞台上のホルンと舞台裏のホルンとの応答は、ベルリオーズの幻想交響曲の第3楽章のイングリッシュホルンと舞台裏のオーボエとの応答を思わせる。リゲティの場合は茫漠とした草原の広がりを感じさせる。第4楽章にもホルンと舞台裏のホルンとの応答がある。それを忘れていた。そうだったのかと。2曲目はリゲティのヴァイオリン協奏曲。ヴァイオリン...高関健/東京シティ・フィル

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