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  • 原田慶太楼/東響

    原田慶太楼指揮東響の定期演奏会。1曲目は藤倉大の「WaveringWorld」。シアトル交響楽団からの依頼で「シベリウスの交響曲第7番と共演できる作品」(藤倉大自身のプログラムノート)として作曲された。透明感のある弦楽器の音が飛び交う曲だ。その音は銀色に輝くように感じられる。藤倉大の鮮度のよい音の典型だ。弦楽器の音が交錯する中で木管楽器がうごめき、金管楽器が咆哮する。シベリウス的だ。途中からティンパニの強打が始まる。それがずっと続く。ほとんどソロ楽器のようだ。本作品は天地創造のイメージから発しているらしいが(上記のプログアムノートより。ただし天地創造はキリスト教の創世記からではなく、フィンランド神話、日本神話などからインスピレーションを得た藤倉大独自のもの)、ティンパニ・ソロは天地創造の登場人物を表すとい...原田慶太楼/東響

  • かづゑ的

    瀬戸内海の島にたつ国立ハンセン病療養所「長島愛生園」。宮崎かづゑさんは10歳のときに入所した。90歳を超えたいまもそこで暮らす。映画「かづゑ的」は宮崎かづゑさんの日常を追ったドキュメンタリー映画だ。冒頭、かづゑさんが電動カートに乗ってスーパーにむかう。顔見知りの店員さんに声をかける。陳列棚から果物や野菜を取り、かごに入れる。だがその動作が大変だ。かづゑさんには両手の指がない。指のない手で商品を取るのは難しい。両腕でかかえるようにして取る。レジに行く。店員さんが財布を開けてお金を出す。指がないと財布を開けることも、お金を出すこともできない。わたしは冒頭のその場面で「可哀想だな」と思ってしまった。そう思ったわたしのなんと浅はかだったことか。かづゑさんの明るく前向きな生き方が、以後、わたしの同情心を打ち砕く。同...かづゑ的

  • ポリーニ追悼

    ポリーニが亡くなった。82歳だった。一時代を画したピアニストだった。多くの方がSNSで追悼の言葉をささげている。わたしはファンの多さに圧倒された。わたしが初めてポリーニを聴いたのは1974年の初来日のときだ。会場は東京厚生年金会館だった。プログラムの中にシューベルトの「さすらい人」幻想曲とショパンの「24の前奏曲」があった(その他にもう1曲あったような気がする)。「さすらい人」幻想曲の音のやわらかさと「24の前奏曲」の息をのむような完璧さに鮮烈な印象を受けた。もしも神様がわたしに「いままで聴いた演奏会の中でひとつだけもう一度経験させてやる」といったら、あの演奏会を選ぶかもしれない。わたしは当時大学生だった。ポリーニの名前を知ったのは、吉田秀和の著書でその名前を見かけたからだ。懐かしいので引用すると――「も...ポリーニ追悼

  • リープライヒ/日本フィル

    アレクサンダー・リープライヒが(コロナ禍での中断後)久しぶりに日本フィルに客演した。1曲目は三善晃の「魁響の譜」(かいきょうのふ)。1991年の作曲なので、脂が乗りきった時期の作品だ。4管編成が基本のオーケストラ編成だ。三善晃の作品の中では最大規模の編成ではないだろうか。冒頭の暗く混沌とした響きから、武満徹を思わせる甘美な音色があらわれ、アルバン・ベルクのような練れた音楽があらわれたかと思うと、疾駆する音楽があらわれる。広瀬大介氏のプログラムノートに引用された三善晃のインタビュー記事に「今回の作品(注:「魁響の譜」)において、私の語法の論理を使いきったと思います」(岡山シンフォニーホール友の会会報『フリューゲル』インタビュー記事、1991年)とある。たしかに当時の渾身の作品かもしれない。演奏は気合の入った...リープライヒ/日本フィル

  • 新国立劇場「トリスタンとイゾルデ」

    新国立劇場の「トリスタンとイゾルデ」。当初予定されたトリスタン役とイゾルデ役の歌手がキャンセルして、わたしには未知の歌手が代役に立った。がっかりしたが、代役の歌手が役目を果たした。わたしもそうだが、劇場側もホッとしたことだろう。代役に立った歌手は、まずトリスタン役はゾルターン・ニャリ。個性的な声だが、歌はしっかりしている。第3幕のモノローグもメリハリがある。イゾルデ役はリエネ・キンチャ。第1幕の長丁場は緊張感を欠いたが、第3幕の「愛の死」は抑揚に富む。繰り返すが、総じて2人とも及第点だ。多少脱線するが、この作品はトリスタンとイゾルデの半音階を駆使した音楽と、クルヴェナールの跳躍の多い音楽と、マルケ王の動きの乏しい音楽との3種類の音楽からなる。わたしはだんだんクルヴェナールの音楽が好きになる自分に気付く。そ...新国立劇場「トリスタンとイゾルデ」

  • 森美術館「私たちのエコロジー」展

    森美術館で開かれている「私たちのエコロジー」展は、環境問題に向き合う現代アートを集めた展覧会だ(3月31日まで)。上掲の画像(↑)の左半分はモニカ・アルカディリの「恨み言」。青い部屋に白い球が浮く。海に浮かぶ真珠をイメージしている。美しい。だが小さな声が聞こえる。「海は全てを暴いてしまう。強い呪いの力で。海に住むものとして、私は呪われた人生を送ってきた。呪われるとは、隠された事実を垣間見ることだ。(以下略)」と。真珠が呟いているのだ。アルカディリは1983年生まれ。ベルリン在住、クウェート国籍。ペルシャ湾岸は古代メソポタミア時代から天然真珠の産地だった。20世紀初頭に日本の養殖真珠によって駆逐された。声はその恨み言だ。本展では上記の「恨み言」をはじめ国内外の34人のアーティストの作品が展示されている。現代...森美術館「私たちのエコロジー」展

  • マリー・ジャコ/読響

    マリー・ジャコが読響の定期を振った。1990年パリ生まれ。2023年からウィーン響の首席客演指揮者、24年からデンマーク王立歌劇場の首席指揮者、25年からケルン放送響の首席指揮者に就任。ヨーロッパのメジャーなポストを席巻中だ。プログラムは20世紀前半の特徴ある曲を並べたもの。1曲目はプロコフィエフの「3つのオレンジへの恋」組曲。カラフルな音色で鮮やかな演奏だ。明るい感性が息づいている。力みなくオーケストラを鳴らす。集中力が途切れない。指揮者としての力量の発露が感じられる。それにしてもこの曲は面白い曲だ。プロコフィエフはオペラというジャンルにじつに手の込んだ音楽を書いたものだと感嘆する。わたしは一度このオペラを観たことがある(ベルリンのコーミッシェオーパーでアンドレアス・ホモキの演出だった)。音楽もストーリ...マリー・ジャコ/読響

  • 高関健/東京シティ・フィル

    高関健指揮東京シティ・フィルの定期。チケットは完売になった。曲目はシベリウスの交響詩「タピオラ」とマーラーの交響曲第5番。同時代を生きたシベリウスとマーラーだが、オーケストラ書法は対照的だ。音を切り詰めてラジカルな簡素化に向かったシベリウスと、音を複雑化して前代未聞の肥大化に向かったマーラー。その対比は興味深いが、それにしてもチケット完売はすごい。高関健と東京シティ・フィルの評価が上がっているからだろう。シベリウスの「タピオラ」は時に鋭角的な音を交えながら、すべての音を明確に示す演奏だ。オーケストラが沈黙すると思っていた部分でホルンが鳴っていたり、弦楽パートの意外な絡み合いがあったり、「なるほどこの曲はこう書かれているのか」と新鮮に聴いた。言い換えれば、茫漠とした北欧情緒で聴かす演奏ではなかった。たぶん高...高関健/東京シティ・フィル

  • 秋山和慶/新日本フィル

    友人からチケットをもらったので、新日本フィルの定期演奏会を聴いた。指揮は秋山和慶。1曲目は細川俊夫の「月夜の蓮―モーツァルトへのオマージュ―」。わたしは初めて聴く曲だ。相場ひろ氏のプログラムノートによれば、2006年にモーツァルトの生誕250年を記念して北ドイツ放送局の委嘱により書かれた曲だ。「モーツァルトのピアノ協奏曲から好きな曲を1曲挙げ、それと同様の楽器編成を用いて演奏することができるように」という依頼だった。細川俊夫はピアノ協奏曲第23番を選んだ。たしかに曲の最後にモーツァルトのピアノ協奏曲第23番の第2楽章が出てくる。モーツァルトが書いた音楽の中でももっとも甘美な音楽だ。「月夜の蓮」は、産みの苦しみと、開化の直後の晴れやかな静けさを感じさせる音楽だ(ホルン協奏曲「開花の時」(2011年)に通じる...秋山和慶/新日本フィル

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