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2020/05/09

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  • 「住む」と「生きる」は別のこと。(2)

    (この記事は前回の記事の続きです) 仏日通訳のフローラン・ダバディさんが、動画についてTwitterでこう書いていた。 「私も子供の時にずっとデンベレ選手出身のパリ郊外でサッカーをしてきた。貧しい階級の子供たち(フランス系であろうが、アフリカ系であろうが)はありえない用語でお互いを差別し、それが面白いと信じています。情けないのは親の教育です」。 5年ほど前、ぼくもこういう郊外の貧困地区にアトリエを借りていたことがある。低所得者向けの公営団地がたくさん建っていて、アラブ・アフリカ系の移民が住民の大半を占める場所だ。街並みはどこか殺伐として、打ちひしがれたようなムードが漂っている。 とても驚いたの…

  • 「住む」と「生きる」は別のこと。(1)

    結論から言えば、「人種差別ではない」という主張で彼らが擁護したかったのは、ふたりの選手でもフランスでもなく日本における自分のイメージなのだと思う。誰だって母国の家族や友達に、自分が外国で容姿や言語を笑われながら暮らしているなんて想像されたくないだろう。ひとりの人間として尊重され、他の人々と平等に扱われていると思われたくて当然だ。まして彼らは日本で有名人なうえ、大なり小なりフランス在住を売りにしているのだから、「あれはホテルの従業員(個人)が嘲笑われただけで、自分(日本人)は関係ありません」というトカゲの尻尾切りをしたくなる心理も分からなくはない。 想像するに、実際かれらの日常の範囲では、アジア…

  • ひろゆきさんの屁理屈。「差別」を認めない日本人の心理とは?

    「でも、ひろゆきもあれは差別じゃなくて悪口だって言ってるよ?」前回の記事を載せてから日本の友達がくれたLINEメッセージに、ぼくはとても驚いた。メッセージにはヤフーニュースへのリンクが付いていて、確かにこういう記事が載っている。 ひろゆき氏「人種差別と悪口は区別すべき」仏サッカー選手の発言騒動に私見(日刊スポーツ) - Yahoo!ニュース ひろゆきさんといえばナイキ・ジャパンのいじめや差別をテーマにしたCMが炎上したとき企業側を支持する姿勢を見せていて、意外にリベラルな方なんだなあと感心したことを覚えている。その彼までもが動画は差別に当たらないと言っているのなら、もしかして前回ぼくが書いた事…

  • 「差別じゃない」という欺瞞。デンベレ動画と擁護記事について

    プライベート動画の流出により、人種差別をしたとの批判にさらされているデンベレとグリーズマン両選手。パリ在住の作家・辻仁成さんがブログで彼らを擁護していると聞いて該当記事を読んでみた。 記事を要約してみよう。――日本での報道内容はイギリスのネットメディアの記事を鵜呑みにしたもので、この英文の元記事がデンベレ選手のスラング混じりのフランス語を誤訳しているものだから、彼が日本人を差別したという「誤解」が日本で広まってしまった。誤訳が原因の騒動だからフランス本国ではほとんど話題にあがっておらず、辻さんご本人にとっても動画のどこが差別的なのかピンと来なかったので、フランス人の知人とともに「悪意がなくてよ…

  • 4月6日はカルボナーラ記念日。「これはひどいね」ときみが言ったから (後編)

    (前回の記事の続きです) 海外で提供されているヘンテコな日本食に対して、日本人は不寛容だという批判がある。よその国には日本のような「食の国粋主義」はないというのだ。それが嘘だということは、「お鍋ひとつで簡単カルボナーラ」がイタリアにもたらした阿鼻叫喚を見れば明白だ。 簡単カルボナーラのレシピはSNSの波に乗り、アルプス山脈の向こう側であっという間に拡散された。動画の再生回数は150万回を超え、Démotivateur社のFacebookページやTwitterはイタリア発の罵詈雑言や嘲りのコメントで溢れかえった。「よくもカルボナーラを殺したな!」「フランスで死んだカルボナーラに5分間の黙祷を…」…

  • 4月6日はカルボナーラ記念日。「これはひどいね」ときみが言ったから(前編)

    YOUTUBEの広告動画で面白いものに出くわした。乾燥パスタで有名なイタリアの食品会社が作った、かなり手の込んだショートフィルムだ。舞台は第二次世界大戦末期の荒廃したローマで、主人公は進駐米軍の一兵士。軍の士気向上のために美味しい食事を用意するというミッションを受けた彼が、頑固な地元料理人と出会い、限られた時間と食材のなかで全く新しいパスタ「カルボナーラ」を生み出すまでが描かれている。動画の解説欄によれば、4月6日の国際カルボナーラ・デイを記念して、レシピの誕生秘話として語り継がれる伝説をベースに制作されたものだという。 www.youtube.com ふだんパスタの代表格のような顔をしている…

  • 「また踊ろうぜ!」広がる第三波と抵抗歌

    突然のロックダウンを皮切りに、フランスが新型コロナウイルスとの「戦争」に突入してから丸一年が経った。いまだ収束の兆しは見られず、今日ではパリを含む19の県で三度目のロックダウンが施行されている。今回のそれは外出に関する規制が大幅に緩和されており、日中であれば自宅から半径10kmの範囲内を自由に出歩くことが許されている。だから街なかに人の往来は絶えないけれど、かといって行くあてはそう多くもない。レストランも喫茶店もスポーツジムも映画館も美術館も劇場もコンサートホールも、いまだ扉を閉ざしているからだ。 とりわけ劇場やコンサートホールなどの文化施設は、去年から不遇そのものだ。文化大国であるはずのフラ…

  • 世界にブーケを (下)

    彼の主張するところでは、花屋がこんなに多いのは明日が母の日だからだそうだ。ママンに贈る花束を探して、街じゅうの人が市場にやってくる。ちょうど今朝のぼくたちみたいに。「いや、そんなはずはないよ。母の日って5月の終わりだもの。少なくともここフランスではね」 「いいや、絶対に明日だよ。さてはきみ、独り暮らしだろ?」「そうだけど、どうして?」「そんなら知らないのも無理ないな。おれはママンと暮らしてるんだから、日にちを間違うはずがないんだ。郊外に停めたキャンピングカーに一緒に住んでいるんだよ。ママンにとってこの冬はつらかった、暖房設備がないからね。だけど寒いのはもうおしまいだ。それに明日は、この花束を渡…

  • 世界にブーケを (上)

    よく晴れた日曜日、朝市で賑わう広場の片隅で、ひとりの男がぼくを呼び止めた。その言葉は詩の始まりの一節のようだった。「花束をひとつ買ってくれませんか」男はストリートジャーナルの分厚い束を小脇に抱えている。『Journal Sans-abri(宿なし新聞)』という身も蓋もないタイトルのもので、売り上げのうち七割ぐらいが売り手の路上生活者――つまりこの男の懐に入る。けれども彼は今ぼくにそれを売ろうという気はないようだ。「新聞じゃなくて、花束を? なんでまた?」「ママンに贈るためですよ。だけど自分で買う金はないから、あなたに代わりに買ってほしいんです。ママンを喜ばせたいんです、わかるでしょ?」 棄却の…

  • 夢のあと

    置き引き泥棒が、遊歩道の壁ぎわの暗がりに立って、岸の縁に放置されたぼくの買い物袋を観察している。背中を向けて立つぼくが彼の存在を感知していることに、向こうはおそらく気付いていない。もちろん彼が「あっしが置き引き泥棒でござい」とみずから名乗ったわけではない。けれども彼がぼくの背後をはじめに通り過ぎていったとき、その挙動はあまりに露骨に置き引き泥棒のそれだった。「あっしは善良な散歩者でやんすよ。鼻歌交じりに足取り軽く、前を見据えて歩くばかりで、あんたの荷物なんかにゃ見向きもしやせんよ……ちらり」。案の定彼はすぐに歩道を引き返してきて、遠目からぼくの荷物にかかわる価値とリスクを見積もろうとしている。…

  • 月下の決闘

    ぼくは夏のあいだ広場で似顔絵屋をやっている。苛烈な日差しでお客が倒れてしまわないよう、大きな黄色いパラソルを立てている。そうだ、あれをタモ網に改造しよう。竿の長さは伸ばせば140cmにもなるはずだ。(この記事は前回のもの第二波セーヌを襲う - 屋根裏(隔離生活)通信の続きです) 6階の廊下はすでに静まり返っていた。箱入り育ちの隣室の姉妹は11時ごろには寝てしまう。ふたりの迷惑な隣人はいま、こともあろうに深夜零時に工作をはじめようとしている。静かな眠りを妨げてごめんよ。でも、とんでもない化け物が街に戻ってきたんだよ。そいつを退治するために、ぼくには武装が必要なんだ…… 押し入れからパラソルを引っ…

  • 第二波セーヌを襲う

    これから報告することは深刻な問題だから、本来ならば深刻な調子で語られるべきなのかもしれない。けれども草取りにかこつけて不平等の話などしてしまったあとだから、今度はあまり憂鬱な内容にしたくないという気持ちがある。だからなるべく悲壮な感じが漂わぬようあけすけに書いてしまうつもりなので、もしもちょっぴり乱暴な表現が飛び出してしまっても、どうか今回は目をつぶっていただきたい。 6月1日の出来事だ。この日は日曜日と重なった祝日の振り替えで、3連休の最終日だった。この週末からついに公園が解放され、そのうえ天気に恵まれたから、ぼくは近所のチュイルリー庭園で久々の野外スケッチをして午後を過ごした。ベンチにも芝…

  • さくらんぼが実るころ (下)

    パリ・コミューンという出来事について、ぼくは教科書通りの概要しか知らない。 パリ市民の蜂起によって生まれた世界で初めての労働者政権で、政教分離、教育の無償化、女性の政治参加など現代的な政策を掲げ、徹底的に平等な社会の実現を目指した。しかしほどなく政府軍の反撃を受け、墓地での戦いを最後に鎮圧され、解体。わずか72日間の儚い夢だった。コミューンの一員でもあった銅工職人が書いた『Le temps des cerises(さくらんぼの実るころ)』という歌が、この一時代のシンボルとして人々の記憶に留められている。 紅の豚 加藤登紀子~さくらんぼの実る頃~ さくらんぼのなる季節になったら 小夜鳴き鳥も物ま…

  • さくらんぼが実るころ

    住んでいる建物のエントランスで4階の住人とばったり会った。ぼくは物置から自転車を引っ張り出してきたところ、彼女は外から帰ってきたところだった。「ようやく見つけた!」明るい声がホールにこだまする。「コンフィヌマン明けに電話で話したきり音沙汰がないから、どうしてるかと思ってたのよ。私たちが引っ越しちゃうまえにうちに一杯飲みにくるように言ったでしょ?」「いや、ぼくのほうも誘ってもらうのを待ってたんだよ、つつしみ深いものだから…それで、引っ越しの準備はどう?」「いま新居の様子を見てきたところ。改修工事が2か月も遅れちゃったから、取り戻すのが大変よ」「もう少しここで暮らせばいいのに」「退去日がもう決まっ…

  • ぬくもり ~コンフィヌマンのテーマ~

    フランスのとある大手スーパーのテレビCMを素敵だなあと思って見ている。ぼくの部屋にはテレビがないので知るのが遅れてしまったのだけど、ロックダウンの解除に合わせて電波に乗ったものらしい。 Intermarché - Je désire être avec vous 流れているのはニーナ・シモンというミュージシャンの楽曲で、強いアクセントのあるフランス語で「独りでいるあなたのそばにいられたら」とひたすら繰り返している。画面が真っ白に転じたのちに黒字で現れる短いテロップは、「ようやく。」。厳格な移動制限が布かれなかった日本でも帰省を諦めた人はとても多かったそうだから、ぼくと一緒にこのCMにじ~んとし…

  • 木漏れ日と花

    オーボエ奏者は行儀よく、カラオケおじさんのダンサブルな曲が終わるのを10歩離れて待っていた。曲がアウトロに差し掛かり、おじさんが次のナンバーに移るべく機材の上にしゃがみ込んだ瞬間、オーボエはここぞとばかり大股でおじさんに歩み寄る。(この記事は直近のふたつの記事の続きです。少し長くなりますが、こちらからどうぞ→マルシェへ下る道 - 屋根裏(隔離生活)通信)声をかけられたおじさんは腰を上げ、オーボエと顔を突き合わせて何か言葉の応酬を始めた。ふたりのあいだの身振り手振りはまるで牡丹の開花のようにみるみる大きく広がってゆき、そしてオーボエの肩をすくめる動作をもって急速にしぼんだ。踵を返して相棒のもとへ…

  • 市場の寸劇

    市場の正面に柵が敷かれて、以前のようにふらりと勝手に立ち入れないようになっている。警備員が人数を加減しながら中に通しているらしい。ぼくの前にはすでに30人ほどの買い物客が行列を作っていた。さいわい皆マスクをしている。ロックダウンのはじめごろに散々危険と騒がれたせいか、それとも中高年の客が多いからか、ここにくるまでに見た人たちとは意識がずいぶん違うみたいだ。(この記事は前回のものの続きです。よろしければまずこちらをどうぞ→マルシェへ下る道 - 屋根裏(隔離生活)通信) その急ごしらえの入り口のそばで、白髪交じりの男がふたり楽器のチューニングをしていた。ひとりはガットギター、もうひとりはオーボエ。…

  • マルシェへ下る道

    ロックダウンが解除されてから初めての日曜がやってきた。水色の朝の空を見上げながら、毛布にくるまって2時間あまりを無為に過ごしたところで、そうだ市場に行かなくちゃと思い出した。日曜朝の市場での買い出し。パリに来てから何年間も従ってきた習慣なのに、たった2か月で忘れるのだから時間というのは恐ろしい。ロックダウンのごく初めのうち、生鮮食品を売る野外市場はスーパーマーケットなどと並んで営業を続けていた。しかし衛生管理が難しいことからまもなく閉鎖され、ぼくも食糧は専らスーパーへ買いに行くようになっていた。その市場がすでに眠りから覚め、今またあの広場に立っているのだ。これはぜひとも行かなきゃならない。 空…

  • ステイホームはツイートを変える

    こんにちは。いつも当ブログを覗いてくださってありがとうございます。皆様がくださった反応のおかげで、長きに及んだ隔離生活を発狂せずに乗り切ることができました。この場を借りて改めてお礼を申し上げます。とはいえこのブログ、「屋根裏(隔離生活)通信」と銘打ったにも関わらず、発信するのは日常の四方山ごとばかり。これではただの屋根裏ひみつダイアリーだ、何か有用な情報のひとつも提供せねばと常々考えておりました。そこで今回は一念発起して、日本では未だいかなるメディアも取り上げていない特ダネをお届けしたいと思います。スペインのとある研究チームの専門家たちが成し遂げた新発見をベルギーの報道機関がいち早く記事にまと…

  • ジャズとペダルとノートルダム (下)

    自転車を降りて転がしながら河岸へと下る階段に近付く。久方ぶりに間近で目にする大聖堂はやはり傷跡が痛ましかった。蜘蛛の巣のように張り巡らされた鉄骨の足場といい、あちこちでむき出しになっていて、聖堂のくすんだ石の色から変に浮いている生木の補強材といい。けれどもこの日、屋根のなくなった屋上部分には作業員たちの姿があって、よく見れば傍らにそびえ立つクレーンもゆっくり動いているようだった。ロックダウンの解除と同時に工事も再始動したらしい。 川上から吹き上げる風に誘われて、マロニエ並木の白い綿毛が枝を離れて宙に舞い上がる。幾千の小さな妖精たちがじゃれ合いながら工事の再開を祝っているみたいだ。新緑に囲まれた…

  • ジャズとペダルとノートルダム

    前回の日記では書ききれなかった良い報告がふたつある。ひとつめは老齢のモデル、ロディオンの無事が確認されたこと。夜になってから折り返し電話がかかかってきて、ぼくが気をもんでいたことに大層驚いたようだった。呑気な声で彼が言うには、「どうしてそんな心配をするんだね。わたしは東洋由来の健康法をやっていると言ったじゃないか。いいかい、断食、瞑想、それから良い水を適量飲むこと。これだけで人は病気なんかには…」彼は本当に仙人の域に片足を突っ込んでいるのかもしれない。 ふたつめは、夜8時の窓からの拍手がその日もかすかに聞かれたこと。現場で戦う医療従事者に敬意を表して始まったこの習慣は、5月に入ったころにはほと…

  • 祝福の日 (その夕べ)

    かくしてぼくらはコーヒーを求めて混沌の街をさまよい始めた。 とはいえ、おいしい一杯にありつける確率はそんなに高いほうともいえない。飲食店はまだテイクアウトでの営業しか許されていないため、カフェはみなシャッターを下ろしたままなのだ。営業許可が出ている商店も、初日における開店率は30パーセント程度に見えた。多くの店は真っ暗なままか、それでなければ営業再開にむけて突貫工事の最中だ。 園芸用品店とパン屋。 多くのお店が出入り口の真ん中に仕切りを設け、入退店の動線を作ろうと努力している。パン屋の床には入り口からレジまで等間隔のマーキングが施されていて、ちょっと等身大の双六みたいだ。床屋が意外にも繁盛して…

  • 祝福の日 (その昼のこと)

    「元の世界にはもう戻れない」と覚悟を求める者がいる一方で、「日常への回帰」の旗をせわしげに振る者もいる。路地に降り立ったぼくが見たのは両者の主張のせめぎ合いのような街の光景だった。 昨日までとは比較にならない数の歩行者が大通りを行き交っている。前から後ろから絶えずやってきて、地べたにしゃがみこんで写真を撮る隙がなかなか見つからないほどだ。ああそうだった、この道はブランドショップが立ち並ぶパリの目抜き通りで、本来ならば買い物客や観光客で昼夜を問わず賑わっているはずなのだ。「外出制限が長引くにつれ、街に人の姿が増えた」とぼくは繰り返しここで書いたが、あの程度の人出を多いと感じられたのは、ぼくが元の…

  • 祝福の日 (その朝のこと)

    「フランス語のいかなる辞書にもdéconfinement(デコンフィヌマン)なんて言葉はない。『コンフィヌマンの終わり』のことを言いたいのなら、無闇に新語を作らずそのままfin du confinement(ファン・デュ・コンフィヌマン)と言うべきではないか」――ロックダウンのただ中で生じたこの優先度の低い議論は、この国がもつ偏屈者の学者のような一面をよく象徴している。 (コンフィヌマンについてはこちらをどうぞ→やがて愉しきコンフィヌマン - 屋根裏(隔離生活)通信) この問題に対するある言語学者の見解はこうだ。「どちらの言い方も間違いではありませんが、ニュアンスに若干の違いが生まれます。後者…

  • 激しい雨が降る

    きのうの夜、パリを嵐が通り過ぎた。雷をともなう激しいもので、ニュースの伝えるところでは3週間ぶんの降水量にあたる雨が数時間のうちに降ったという。郊外のいくつかの地域では家屋のなかに至るほどの浸水が起きた。 屋根を乱打する大粒の雨音をぼくはベッドに寝そべって聴いていた。天窓のガラスのむこうでは稲光が絶え間なく閃き、真っ暗な部屋の壁を青白く点滅させた。 そして嵐がおとずれた。 pic.twitter.com/Ps1OdaWmaw — 屋根裏(隔離生活)通信 (@yaneura_tsushin) May 11, 2020 「不吉だなあ」という独り言が思わず漏れた。それはデコンフィヌマン(ロックダウン…

  • 隔離生活のエピローグ

    自宅療養期間を終えて2週間ぶりに外出をしたら、世間の空気がすっかり変わっていたという話を前回の日記で書いた。 この現象はパリに限ったものではなく、ちょうど河川敷のつくしのように4月初めの週末から全国で一斉に顔を覗かせたものらしい。メディアはこれを「フランス人の気の緩み」として批判的に取り上げ、専門家が第二波の到来に警鐘を鳴らしたり、医師や看護師の怒りの声が紹介されたりしたものの、けっきょく社会にかつての緊張感を取り戻させるには至らなかった。その後も野外に人の姿はみるみる増えてゆき、がらんどうだったスーパーマーケットも今では客足上々だ。窓から見える大通りにも徐々に車の往来が戻り、ぼくの屋根裏部屋…

  • クリストフ君の災難

    「コロナ疲れ」という言葉を知って、ぼくは過去1か月間ここに書いてきた文章の内容を反省してしまった。たしかに昨今はテレビをつけてもインターネットを覗いてもコロナウイルスの話題で持ちきりで、心の休まる隙もない。そのうえでぼくがなおもこの風潮に加担することに果たして意味はあるのだろうか? ぼくの無責任な書き物が、コロナに疲れた誰かの肩にさらなるコロナを乗っける結果になっていやしないだろうか? 悩んだ結果、今回は5年ほど前に書いたエッセイをここに載せてみることにした。むろんコロナや感染者や隔離生活といった単語は登場しないけれど、内容はこの屋根裏部屋に関するものだから、『屋根裏(隔離生活)通信』の記事と…

  • 2週間後へのタイムスリップ (下)

    その牧歌的な光景を前にすっかり拍子抜けしていると、男が声を掛けてきた。「カモっちゅうのは、豆は食べないもんですかねえ」「いやあどうでしょう、ふだんは水草なんかを食べてるはずですが」答える声が変にうわずってしまったのは、質問の突拍子の無さのせいではない。路上で見知らぬ人と言葉を交わすこと自体に、ぼくらはもう久しく慣れていないのだ。「雑食性かもしれないから、明日はソーセージでもあげてみようかな。もちろん安物のやつだけどね」男は人の好い笑みを浮かべながら言う。ぼくは1メートルの安全距離を保つため四分の一歩あとずさる。男が言うには、カモたちは一週間ほど前からこの噴水に浮かんでいるらしい。彼らは普段なら…

  • 2週間後へのタイムスリップ (上)

    完全隔離生活のさなか、これはどうもカフカの小説『変身』みたいだなと思うことがあった。 ある朝とつぜん巨大な虫の姿で目覚めてしまった青年グレゴールは、家族によって寝室にかくまわれ、壁や天井を這い回るだけの無為な生活を送ることになる。家族ははじめ献身的に世話をするが、次第に彼の存在を疎むようになり、ついにはリンゴを投げつけて彼を死に至らしめてしまう。グレゴールに食べ物を運んでやるのは彼の妹の役割で、彼女はバイオリンを習っていたから、ぼくに食糧を分け与えてくれていた隣人のルイーズがはまり役だった。彼女からリンゴが飛んでくるようになる前に、こうしてジーンズに足を通せる体に戻れたぼくは幸いだ。 2週間の…

  • 花のいのち

    せめて記事の一件くらいは、ぼくのラナンキュラスのために捧げるべきではないかと思う。屋根裏部屋の天窓の下でぼくが育てていた小さな鉢植えの花のことだ。

  • みずからを遠く隔離せよ

    呼吸苦は発生から二晩のちには嘘のように消え去ってしまった。

  • Covid-19 自宅療養ガイド【フランス公衆衛生機関より】

    日本の新型コロナウイルスに関する報道によれば、医療施設の病床や人手の不足にともない、これから多くの方が自宅療養を余儀なくされるようです。何かの役に立てばと思い、フランスの国立公衆衛生機関が公開した自宅療養者向けの生活マニュアルを翻訳してみました。ぼく自身が療養中に参考にしていたものです。 大まかな内容は日本の国立感染症研究所による同様の文書と変わりありませんが、ふたつを見比べることで補足できる情報も多くあるかと思います。フランス版の「キスをしないこと」や日本版の「入浴は最後に行うこと」のような、文化の違いが垣間見える記述もあって面白いものです。 なお、はじめの項に医薬品に関する言及があり、ここ…

  • あらたな息吹

    あとの祭りと重々知りながら、ぼくは手を洗いに洗面台に立った。

  • 姿の見えないいやな客

    散歩に出た日から微熱が続いていた。

  • 半径1km春めぐり (下)

    ぼくは正攻法をとることにした。

  • 半径1km春めぐり (上)

    朝7時。目覚めは良好。天窓の外は新鮮な日の光に満ちている。

  • 【お知らせ】と【おねがい】

    SNSを通じて世界中を駆け巡り、新型コロナウイルスとの戦いのシンボルとなっている『STAY AT HOME』のポスター。

  • やがて愉しきコンフィヌマン

    コンフィヌマン。こいつはべつに新手のスーパーヒーローではない。

  • 東京都知事による外出自粛要請会見を見て【緊急】

    動画は3月19日に放送されたフランスの民放ラジオ局の討論番組です。『コロナウイルス:これは政府の失態か?』というテーマに対し、電話でインタヴューを受けた看護師の証言がとても胸に迫るものだったので、取り急ぎ要点を翻訳してみました。今週末の予定を決める参考になればと思います。 Le coup de gueule de Geneviève, infirmière en Deux-Sèvres 「これは大失態、大失態です。はじめ私たち医療従事者はこれをインフルエンザと見ていいものか分かりませんでした。それからすぐにグラン・テスト(フランス東部の地域圏)の医療現場が本当に酷い状態になって、彼らは警鐘を鳴…

  • これからの日常

    今日もまた、嫌味なくらいに空は晴れ渡っている。

  • ある老画家の脱出劇 (終)

    大統領がマスクもせずに病院を訪ねたという事実が李さんにとっていかに大きな衝撃だったか、ぼくにはいまだに推し量りかねる。

  • ある老画家の脱出劇 (四)

    ぼくだって、李さんのことを始終笑ってばかりいたわけではない。

  • ある老画家の脱出劇 (三)

    バーゼル行きを取りやめたことで、李さんは心の落ち着きを取り戻したようだった。

  • ある老画家の脱出劇 (二)

    フランス語が話せないわりに、李さんは近所の市場で顔が知られている。

  • ある老画家の脱出劇 (一)

    暇にまかせて昼寝をしていたら、携帯電話の着信音で起こされた。

  • 沈黙の春、その陰影

    燦燦と注ぐ日の光が悩ましいものになるなんて、パリ市民の誰が予想しただろう。

  • どうしてそれらをそんなに買うか

    前回触れた買い占めの問題はぼくの頭の中で多少あとを引いた。

  • 市民よ家に籠れ (下)

    やはり世界はきれいにひっくり返ってしまったらしい。

  • 市民よ家に籠れ (中)

    考えてみればこれはいくぶん奇妙な書類だ。

  • 市民よ家に籠れ (上)

    「我々は、戦争中、なのです」

  • ウイルスと花 (下)

    店頭にはオレンジ色のラナンキュラスの小さな鉢が並べられていて、

  • ウイルスと花 (上)

    「もうすぐ閉店しますから、お引き取りの準備を!」

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