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  • 鳴子温泉まで

    すこし涼しくなってお湯の恋しい季節が近づいてきた陸羽東線湯けむりラインのどこかの湯に浸かろうと、出かけたら、鳴子温泉から先の新庄駅までの路線が不通となつていた。7月末の豪雨により土砂崩れがあったとのこと。もう近年は、日本全国、津々浦々、毎日のように、あちこち災害が起きてその都度どこそこの電車が止まっているなんてニュースが流れており、もう7月末の豪雨なんて記憶の地層に埋もれてしまっていた。湯けむりラインが「鳴子温泉行き」となっていて、事の次第を知ったのは、恥ずかしながら陸羽東線の気動車に乗ってからであつた。湯けむりラインは、まだ回復の見込みが立っていないとのことで、お気に入りの中山平温泉にも当面行けない様子だ。最近の「国鉄」は、不採算路線の復旧工事を損得で考える傾向にあり、陸羽東線鳴子新庄間も、廃線危機の「...鳴子温泉まで

  • 年寄りにやさしい青空文庫アプリを繙きながら、風の又三郎を読む

    最近の青空文庫アプリ、なんて字が大きいんだろう。これじゃ、80,90歳になっても読み込めるだろう。9月1日は、勝手ながら「風の又三郎の日」と決めている。この青空版テキストは、岩波文庫の童話集を底本にしているみたいで、童話の始まりに「9月1日」の表記がないが、ちくま文庫全集版には「9月1日」から「9月12日」までの物語となっている。風の又三郎は、たしかに今日9月1日はじまりなのだ。読むたびに発見があり、新鮮な賢治さんの童話。今日は、9月4日、日曜の章のこの文章に惹かれた。人間離れした感覚ではある、・・・・風が来ると、芒(すすき)の穂は細い沢山の手を一ぱいのばして、せわしく振って、「あ、西さん、あ、東さん。あ西さん。あ南さん。あ、西さん。」なんて云ってゐる様でした。・・・・・年寄りにやさしい青空文庫アプリを繙きながら、風の又三郎を読む

  • 幻影の涸沢・秋日和

    この秋、石垣島と沖縄の山仲間を錦秋の涸沢に案内しようと計画を立てていたのだが、ちょうど涸沢に泊まる日が土曜日に重なってしまったのか、予約開始日の電話がどうしても繋がらず、その宿はすぐに満員となってしまい計画はご破算となった。ただ、彼らとは運よく徳本峠と蝶ヶ岳の小屋で穂高の大展望を望む予定を立てたので期待したい。数年前、沖縄の旧知のランナー仲間たちと「第1回松本マラソン」を走るべく松本に集まるまえに涸沢ヒュッテを訪れたのは、同じく9月末だったか。正直、色づきは2012年を超えるものではなかったが、それでも秋の涸沢の風景には感動した。涸沢の秋。2012年の10月7日に当時ランナー仲間だったK君と初めて訪れて訪れて、そのときは「10年に一度の美しさ」とうたわれるほど、素晴らしい彩度だった。k君と独立したテントに...幻影の涸沢・秋日和

  • 共有しよう!平出さんの「遺書ビデオ」

    先月27日、チャレンジしていた世界第二の高峰K2西壁登攀中に、相棒の中島健郎さんとともに一本のロープ(昔のわれらはザイルと称す)につながったまま滑落遭難した平出和也さんの遺書ともいえるビデをメッセージが今Youtubeに公開されている。20代で眺めたパキスタン・カラコラムの7000メートル峰シスパーレの鋭鋒に魅せられて、15年ほどの歳月を要し4度のチャレンジで成功したこと。人生の目的は、この世界で人がまだ辿ったことのないルートを登ってみたいこと。そしてそこからの風景は、まだ人類が見たことのない風景であり、その風景をすべての人に届けたいこと。一つの未踏峰に登れば、その山頂から新たなより高く美しい頂を眼にすることができ、そこの未踏ルートにさらに挑もうとしていたのだろうし、それがK2西壁だったのだろう。そのルー...共有しよう!平出さんの「遺書ビデオ」

  • 18きっぷで行く富士山

    酒の飲みすぎも一因したのかもしれないが、あのチチタケとタマゴダケ入りの蕎麦汁で蕎麦をいただいた翌朝から、38度程度の高熱が続き、熱は二日ばかりでおさまったが、腹は痛くないのに得体のしれない下痢が三日ばかり続き、ようやく今日になって通常に戻った。チチタケもタマゴタケもそのような毒性が報告されておらず、一緒に入れた少しばかりのヒラタケも無毒なのであり、間違って猛毒のツキヨダケと間違った可能性もない。高熱の際は、一瞬「コロナ」に感染したのかもとも思ったが、高熱は二日ばかりで収まったし、頭痛ものどの痛みもなかったのでそうではあるまい。今度また、.同じようなキノコの組み合わせで食べてみて同じような症状がでたら気を付けなければならないとおもうが、単なる飲みすぎと夏風邪だったと信じたい。盆過ぎに「18きっぷ」を購入して...18きっぷで行く富士山

  • 山でいただくコーラ、家でいただくキノコ蕎麦

    家でカチンカチンに凍らせたアクエリアスのパック(じつは家でOS-1に詰め替えた使いまわしパック)とその日の朝に駅の売店で仕入れたコーラ500mlをモンベル製クーラーバックに並べて山に向かい、汗をかきかき、我慢をしながら山頂付近まで登り詰めて、見晴らしのいい場所に着いたら、座り心地のよさそうな岩に腰かけて、そのクーラーバックのジッパーをおもむろに開き、ギンギンに冷えていたコーラをグググイと飲み込む。これ、夏山の至福のひと時なるかな。そして、夏の低山歩きで夢中なのは栃木県民(だけ?)がこよなく愛するというベニタケ科のチチタケ探し。おおむね6時間の山歩きをしながら血眼?で登山道の脇をチェック。昨日は、まだ虫の入っていない6本ほどをゲット。下山中に見つけたテングダケ科のタマゴダケとヒラタケ科のウスヒラタケとつけ汁...山でいただくコーラ、家でいただくキノコ蕎麦

  • 2万円のスマホでも野山でしっかり働いてくれそう

    昨夜届いた2万円のアンドロイドスマホの機種変更手続きを無事終える。4月にスマホを亡くした時には、「ラインのトーク」や「おサイフケータイ」のバックアップができていなかったので、だいぶ被害を受け、回復に時間を要したが、今度は事前にバックアップやおサイフお預かり機能などができたのですんなりいった。例えは悪いが、やはり「突然死」と「余命宣告を受けての死」のどちらを選ぶかと選択されれば、「残された者」?にとっては後者のほうが混乱もなく相続ができるのである。ただし、死する側の立場に立てば前者が精神的に楽なのである。(ああ、例えが悪かった。)で、2万円のスマホは、スマホを使いこなす若者にとっては、その劣位は明らかなのあろうが、「突然死と余命宣告」を気にしているジジイにとっては、そんなことは知る由もない。逆に、この十数年...2万円のスマホでも野山でしっかり働いてくれそう

  • 人生〇代目のスマホ君にわずか4か月でお別れを・・

    この4月、宮城蔵王の山域でズボンのポケットに入れていたスマホを、山菜の女王といわれるタラの芽採取に夢中になっている間に、どこかの草むらに紛失した。紛失に気付いた直後からヒメギフチョウの観察もそこそこに懸命に捜索したが現れてくれなかった。幸い家の者が同機種を購入していて使用していないのがあったので、SIMといわれる通信チップをそいつに挿入するだけの被害で、おおむね現状を回復し、しばらくは平穏の日々を送らんと過ごしていたのだが、先週の朝目覚めて、いつものように枕元に置いていたそのスマホ君を開いたら、なんと画面中央に鮮やかなピンクの縦の線条が数本輝いていたではないか!何も悪いことをした覚えはないというのにだ・・・・(〇〇教の信者だったら、お盆に先祖をお参りしていないせいだと咎められたかもしれない)再起動しても、...人生〇代目のスマホ君にわずか4か月でお別れを・・

  • キノコを学びながら夏を乗り切る

    1年前の山歩きスタイルと比べたらすごいぜ。ザックにクマ鈴を二つ、ホイッスルと防犯ブザー(ただしヒャッキンの小学低学年生用)を括り付け、肩にかけたサコッシュにクマよけスプレーと虫よけ用ハッカ油スプレーと液体ムヒ、プラス、ザックのヒモに携帯蚊取り線香とノーマット(ヒャッキン)と夏の低山歩きの完全装備のいでたちなのだ。そこまでして、どうして出かけるかというと「キノコ」にハマっているからである。1年前までは「夏キノコ」という言葉さえ、そして食べられるキノコの名前さえ知らなかったのである。去年の秋から今年の夏まで採取していただいたキノコの名前。秋、「ムキタケ」「ヒラタケ」「ウスヒラタケ」「マスタケ」「アイカワタケ」夏、「タマゴタケ」「チチタケ」「ヤマドリダケモドキ」「アカヤマドリ」と全く1年前まで名前さえ聞いたこと...キノコを学びながら夏を乗り切る

  • ペルセウス流星群とTJARのお茶の間ウォッチ

    今年のペルセウス流星群の極大となる日と時間帯が本日12日の23時ごろから13日未明にかけてだと天文観測手帳の情報を得ていたので、昨日と今日の二泊尾瀬のキャンプ場に予約を入れておいたのだが、間が悪いことに台風5号が東北地方を横断するとの2,3日前からの予報を受けて、この予約はキャンセルとした。ほんとに運の悪い男である。その台風ときたら北東北方向を横切り、仙台は12日昼現在、まったくのそよ風と小雨程度であり、沖縄で台風を何度も経験した者にとって、何らあの怪物的な気配をもった台風の雰囲気がみじんも感じられず、肩透かしを食ってしまった。「登山天気アプリ」をのぞいたら、尾瀬の燧ケ岳は晴れマークも見せており、キャンセルせずに行っていれば、あるいは「1時間に60個も期待できる」とされていた流星に目を見張っていたかもしれ...ペルセウス流星群とTJARのお茶の間ウォッチ

  • 夏の山で飲むゼロビール

    家の冷蔵庫の冷凍室でペットボトルの水やスポーツドリンクを凍らせておき、朝、山に出発する前にモンベルのクーラーバックに入れておけば、午後まで氷がすっかり解けることなく、ギンギンに冷えた水分で乾いた喉を潤すことがわかったので、昨日はこのバックにノンアルコールのビール350m缶を秋空間に入れて泉ヶ岳に出かけたが、山頂に至る前に体がビショビショになるほど.汗をかいてしまったので、途中の休憩場所で我慢できずいただいてしまった。山で乾いたとき「ガンガンに冷えたビール」を飲む快楽を知っているだけに期待したが、ギンギンと冷えてはいるが「う~ん、いまいちの味」、やはりビールにアルコールが含まれないと、なにか体が楽しまない。多少罪の意識を抱えながら、山頂で飲むビールじゃないとビールの存在感を受け止めることができない。ただし、...夏の山で飲むゼロビール

  • 夏空・沢音・セミの歌・・・ 故郷の山と空をながめて

    パキスタン・カラコルム山脈のK2峰で仲良く永遠の旅に出かけようとしている二人にとって、故郷の山の風景はどんなだっただろう。平出さんは長野県育ち、八ヶ岳や南アルプス北部の山々が心の残っていただろうか。中島さんは奈良県育ち、吉野や紀伊の山並みが目に焼き付いていただろうか。雪と氷と岩の世界に魅入られて、そこを人生の舞台に選んだ二人であっても、故郷日本の青い山並の四季の風景、沢の音、小鳥やセミの歌声、高原を渡るさわやかな風の匂いは忘れることはなかったろう。オイラの故郷の山の一つといってもよく、何度も登っている泉ヶ岳の頂上付近の岩に腰かけて、雲間から現れる夏空とその下方に広がる北蔵王の山並みを眺めながら、そんなことをぼんやり考えていた。「ギィ・・・・・・・・・・♪」抑揚もなく単調な音ではあるが、エゾゼミの歌声を聞く...夏空・沢音・セミの歌・・・故郷の山と空をながめて

  • 金字塔の壁に動かぬ二人

    金字塔K2峰(.ライセンスフリー画像)日本で今やもっとも著名であるといえるアルペンクライマー平出(ひらいで)和也さんと中島健郎(けんろう)さんのお二人は、パキスタンのカラコルムに聳え立つ金字塔・世界第二の高峰K2(8,611m)の未踏ルート・西壁からの登頂にチャレンジしていた。7月27日、日本時間午前9時33分、標高7000m地点にいた平出さんから「日帰りでC2(第二キャンプ地)より上部を偵察に行く。」と連絡があったが、同日11時30分、二人とも滑落したとの報告をうけたと二人が所属する「石井スポーツ」から第一報が入った。おそらく現地BC(ベースキャンプ)で二人を支援していたスタッフが無線や望遠鏡などを使用し、ふもとから二人の動向を逐次チエックしていたのではなかろうか。現地との時差は約4時間(日本が早い)だ...金字塔の壁に動かぬ二人

  • 日曜日朝の散歩のあとで.・・・

    日曜日の朝、数年前からコンビニで毎日新聞を購入して、他紙のなかでも最も充実したパズル(特に大きなクロスワードがひいき)に取り組むことを日課としていたが、この二月に歩いて三分ほどにあったコンビニが閉鎖となってから、少し歩いた距離にあるコンビニまで歩いて、同紙日曜版を手に入れる始末となった。それが、悲しいかな、(失礼だが)毎日新聞購買層が極端に少ないと思われる東北の地方都市のコンビニでは、いまや同紙を新聞棚に置いているコンビニは少なくなってきて、オイラの知る限り特定のローソンにかろうじて一部のみ陳列されている状況なのである。そして、オイラと同好の士がいるというのか、そのたった一部の新聞も日曜の昼近くにもなるともはや姿を消しているのだ。今朝も、まだ9時30分を過ぎたばかりだというのに、歩いて20分ぐらい歩いたと...日曜日朝の散歩のあとで.・・・

  • 遥かなる山、日高山脈ペテガリ岳

    yahooニュースなどを通じて、山の遭難報道は毎日のようにチェックしている。7月半ばまでの富士山での死亡事例を含め、このところ高齢者の山岳遭難のニュースが目に付く。富士山はやっと晴れるようになったが、北アルプス方面は、いまだ梅雨明け前の悪天が続いているようで、体力や反射神経の衰えた高齢者たちが、この悪天による低体温症、疲労、滑落などを原因として死傷しているようだ。また、昨今の営業小屋の宿泊代の高騰災害の遠因になっていないか。高い山小屋料金の支払いを躊躇して悪天時にかかわらず「停滞」を躊躇したり、予約済の者は高いキャンセル代を払いたくないなどの理由などもあって、荒天の予報が出ていても出かけたりすることが遭難の原因となっていないか。少し気になるところである。高齢者関係ではないが、22日の報道で、北海道の日高山...遥かなる山、日高山脈ペテガリ岳

  • クマよけ症候群患者

    未明は熱帯夜だったか、カナカナのあとにジリジリ、ミンミン、ツクツクと日中のセミたちまでもうるさく鳴きだしたが、ふしぎなことにそう長くは続かず、そのあとウグイスやスズメたちのささやきが時々耳に入ったが、野鳥たちの朝の給餌活動の気配をセミたちは察したのかもしれない。早く目が覚めたので、yahooニュースを閲覧していたら、上高地と前穂高の登山道に位置する岳沢小屋.(だけさわごや・2160m)のテント場に、21日夜、クマが現れてテントに覆いかぶさってきたとのニュースが目に入る。同じテント場では、18日にも無人のテント内にあったフリーズドライの食品がクマに食べられる被害があったとかで、テント内に食べられるものがあると学習したクマが、21日にもテント場に現れたのだろう。このニュースのコメント欄に、この小屋から登山道を...クマよけ症候群患者

  • 富士山ライブカメラの空に火球、あれはいったい何だろう

    富士山のライブカメラでも下記のAGEMATSUさん提供の山中湖方面から眺める富士山が好きで、このところチョイチョイと眺めさせていただいている。(晴れていれば)7月からの登山シーズンのいま、山小屋の灯りが登山道に沿って煌々と輝いている。一番列をなしているのは、今話題の山梨県側の富士吉田コース上にある山小屋。これらの灯りのいくつかの宿に、数回もお世話になった記憶がよみがえる。そのコースに八合目付近で交わる二つ三つの灯りの列は、須走コースの山小屋。9月にオイラが宿する山小屋の灯りも輝いているようだ。その奥の稜線にポツン、ポツンと輝いているのは御殿場コースの小屋の灯りだろう。数年前に泊まった宿もありそうだ。午前2時もすぎると八合目から上に一直線の灯りが確認できるが、これはご来光を仰ぐために宿泊先の山小屋を出発した...富士山ライブカメラの空に火球、あれはいったい何だろう

  • 星月夜と過ごす夕べ

    昨夜、7月21日の暮れに満月となった。久々に、晴れた夜空を仰いだような気がする。鬱陶しい日々を送っていて、夜空の輝きを忘れていた。晴れれば、もう日中は30度オーバーは当たり前の様相を見せているが、それでも日が落ちて、セミたちもカナカナを最後にひっそりしだすころ合いから、夜風を受けての天体観察は納涼にぴったしだろう。そろそろ、ムシたちも鳴きだすかな。虫の声を聴きながらも涼みにはいいかも。いちいち、家や宿を出入りするのはおっくうだから、キャンプをしながらテント場ちかくで星月夜の天体観察が絶好だろう。山沿いならば空気も澄んでいるし。東北南部、今日にも梅雨明けの報道がなされるであろう。暑い盛り、毎週、どこかのキャンプ地を訪ねながら星月夜の観察と撮影を試みよう。まずは、近場の泉ヶ岳に行って練習しようかな。星月夜と過ごす夕べ

  • 夏キノコの観察に行ったが、2時間で退却した青葉の森

    昨年から「食べられるキノコ研究」を始めたが、知らないことを覚えるのは子供のようで楽しい。たとえば、キノコ狩りといえば初秋から晩秋にかけての風物詩であったことから、キノコは秋に生えるものだと思い込んでいたが、図鑑を読むと、「春から秋」とか「夏秋」という風に観察できる季節が分類されているので「キノコは秋」は思い込みにすぎないことがわかる。そして、昨今はyoutube動画などのSNSを通じて、夏に採取するおいしいキノコなどの情報が盛りだくさんであり、それらを見ると例えば「アミダケ」(当地ではアミッコの愛称で親しまている)など傘の裏がひだではなく網状または細かい泡状の穴が無数にあるイグチ科のキノコは初夏から盛夏にかけてが、まさに今頃が旬だということがわかるし、テング科でも毒がなくおいしいとされる「タマゴダケ」、不...夏キノコの観察に行ったが、2時間で退却した青葉の森

  • 酷暑の日本列島を高地で過ごそう

    関東・東海地方の梅雨明け発表があった。気象庁の言い回しだと、「梅雨が明けたと思われる。」といつもどおりの責任回避論法なのであるが・・東北南部も、来週月曜日から晴れマークが続いているので、まもなくなのだろう。そして、また「記録的な高温の夏がやってくる」と、これだけは気象庁も気象予報士も断言しまくっている。東北地方太平洋側の「ヤマセ」や賢治さんの「サムサノナツハオロオロアルキ」という言葉がいやに懐かしくなってくる。もう、オイラの生きている間に、そういう時代はやってこないのか。報道機関は、毎日のように「お年寄りは無理せずエアコンを使いましょう!」と繰り返すが、我が家は残念ながら一度もエアコンを家に設置したことはない、扇風機・団扇派なのである。(沖縄在住時を除いてだが・・)これまでは窓を全開にしていると、室温も3...酷暑の日本列島を高地で過ごそう

  • 山上で鳴るプッチーニのアリア

    先週末、栗駒岳(1626m)から「天馬尾根コース」の緩やかな尾根を踏みながら、途中行き会った二人組の家族と花を愛でながらおしゃべりしつつ最終ピーク秣岳(まぐさだけ・1424m)に到着。このコースでは、トキソウ、サワラン、キンコウカ、イワイチョウ、モウセンゴケの花などを観察。二人組が先に下って行ったので、思い出したようにザックの雨蓋から、こないだ購入したBluetooth用スピーカを取り出して、スマホに録音したNHKFMの音楽番組「かけクラ」を再生したものをつないでみた。山頂にプッチーニのアリア「私のお父さん」が澄んだ音で鳴り響く。誰もいないので音量を最大にして聞いてみた。山上から100メートル四方にソプラノの声は響いたかな。これぐらいの音量と音質だと、さすが耳のいいクマさんは「異界から異様な音が聞こえる!...山上で鳴るプッチーニのアリア

  • 故郷の山をもっと歩こうよ・・キンコウカ咲き誇る夏の栗駒山の宿

    梅雨の晴れ間の予報を受けて、栗駒山の岩手県側の登山基地である須川高原温泉の湯治部に二日ばかり逗留してくる。名峰があって、その山を歩くためのコースがいくつかあって、その宿から日帰りで目指す山を登ってこられて、そこまでにバスや鉄道といった公共交通機関が通じていて、自炊ができるプランの部屋があって、もちろん料金はリーズナブルで、そして何よりも何度も入れる良質の温泉があって、というすべてのベターな条件がかなえられる宿というのは、東北にあっても数少くなってきているが、須川高原温泉は、そんな要件をすべてかなえてくれる宿と言って過言ではあるまい。蔵王と並び、オイラにとっては故郷の山といえる栗駒山なのだが、数えてみれば、訪れたのが高校ワンゲル時代を含めても10回に満たないのだし、そのほとんどが日帰りで、この宿を利用するの...故郷の山をもっと歩こうよ・・キンコウカ咲き誇る夏の栗駒山の宿

  • あのCMの風景を探せ

    最近盛んに流れている「サントリー天然水」のCM。俳優柄本佑さん扮する父親が山道を走る男の子を追いかけて、「大丈夫・・そろそろ休憩しようか」と言って、その子とペットボトルの天然水をゴクリと飲み、安藤サクラさんが「その天然水は100年先を約束している・・・」とナレーションを入れる、あのさわやかなCM。バックに流れている「ハナミズキ」を歌う女学生コーラスも気になるところだが、山好きには何といっても背景の残雪をいただいた雄大な山々が気になるところ。「はて?どこの山だっけ、見たことがあるぞ・・」とyoutubeのCM動画を何度か繰り返してあの山々の特定を試みる。そうして・・昨年4月に撮った白馬町松川上流に展開する白馬連山の写真などと見比べてみたら、白馬天狗尾根から鋭く切れ落ちて不帰の劔に至る稜線や白馬三山と三国境に...あのCMの風景を探せ

  • オリヒメ・ヒコボシたちの夜に

    今宵は七夕。夜が更ければふけるほど南の天頂近く天の川をはさんで、向かって右側に織姫星(こと座の一等星ベガ左側に牽牛の彦星(わし座一等星アルタイル)が輝いているはずだ。夏の三角形とは、このオリヒメとヒコボシと白鳥座の一等星デネブを結んだ正三角形に近い形をいうが、どうして古代中国のオリヒメ・ヒコボシ伝説にこの白鳥座のデネブを登場させなかったろうか、という疑問が残るが、もしかしたら伝承にあるオリヒメとヒコボシの逢瀬を仲介するカササギ役目をこのハクチョウが担っていたのではないだろうか、デネブをハクチョウの尾としたら、天の川に横たう巨大なハクチョウの羽が天の川に架かる橋となって、オリヒメ・ヒコボシたちはその橋を渡ったのではなかろうか。そんな他愛もないロマンスを想像する齢でもなくなったが、熱い昼間から逃れて少しは涼し...オリヒメ・ヒコボシたちの夜に

  • ニィニィ鳴いて、暑い暑い夏がやってj来る

    おとついあたりから、公園の松林を歩くとニィニィ(セミ)の高周波が耳に届きはじめた。七月初めのニィニィ、七月末から旧盆までのカナカナ(ヒグラシ)、旧盆過ぎのツクツク(ボウシ)、彼らの音響が、幾たびも本州の夏を生きてきたオイラの心を慰めてきてくれたことか。このニィニィの「岩にしみいる声」と「閑さ」を、芭蕉翁になったつもりで体験したくて、毎年のように7月のはじめ山寺の立石寺にお参りする。吹き出る汗をぬぐいながら、いくつもの石段を登り、奥の院にお参りした後、五大堂の舞台に立って、夏の風を正面に受けながら、山寺の集落を囲む北蔵王の山々を眺める。この時耳を澄まし、あのニィニィの声を拾う。そして、冥界にいる心地とは、このようであってくれと祈る。オイラの山寺参りは、この五大堂の舞台で芭蕉翁の蝉音を追体験することで結願する...ニィニィ鳴いて、暑い暑い夏がやってj来る

  • なつかしい夏のオアシスで眠りたい

    どうしたことか、昨年は一度もテント泊をしなかった。昨年はコロナ禍からやっと解放され、どこにでも行こうと行けば行けたし、まだコロナが怖いのならテント泊で足りたのに、それでもどこにも行かなかった。じつは、6月初めと8月半ばに尾瀬のキャンプ場を予約していたが、どちらも悪天やら何かの事情でキャンセルしている。夏山でどうしても登ってテントを張りたい場所もあった。北アルプスの種池山荘付近にテントを張って、そこから裏剣の威容をみて、日帰りで鹿島槍に行ってきたかった。どうして行かなかったのだろう。もうアルプスのロングトレースはきついと自覚しているが、立山の雷鳥沢だけでなく、ちょっと苦労して登ればそこにテントを張って軽装登山できる場所はいくつもある。北アルプスなら、梨木平、横尾山荘あたりを基地として何日か過ごして、日帰りで...なつかしい夏のオアシスで眠りたい

  • 何ものかに引き寄せられるかのごとく・・富士山の山小屋を予約してしまう

    やっぱり、今年の吉田口山開きは強風を伴う悪天により、頂上で日の出を仰ぎながら万歳する絵は報道されていない。山梨テレビの記事では、せっかく7合目の小屋まで前日登ったのに、今朝はあきらめて下山したものが多いようだ。風は南西からのものであり、北面に位置する吉田口の登山客らはまともに風を受けることなく何とか下山できたのだろう。賢明な行動である。これがもし山頂付近まで無理して登ったら、稜線の暴風に巻き込まれ、こないだの複数人の遭難者が火口で発見されたような惨事に至るところだったかもしれない。「君子危うきに近寄らず」である。ところで、オイラは、昨日の午後から富士山のライブカメラを眺めながら、「須走ルートだけは未踏なので、未練はある・・」みたいなことを記してしまったせいかもしれないが、こんだけ騒がれている富士山に嫌気が...何ものかに引き寄せられるかのごとく・・富士山の山小屋を予約してしまう

  • 富士山山開きは「空想登山」で

    2024年6月30日午後、オイラは富士山の現在形を映し出しているライブカメラを時折のぞいている。河口湖の北面をのぞむと、富士山山頂に黒い雲がかかり、さらにその上に傘雲状の雲まで張り付いていて、富士山の八合目から上は、悪天の兆しが顕著である。今年の山梨側山開き前日は、梅雨前線らしき長い前線が日本海側に張り付いて、明日にかけて低気圧が北上しており、本州全体が下り坂気味である。アプリ「登山天気」を開き、富士山頂の予報をみると、明日7月1日の日の出時刻は午前4時21分だが、その前後の予報では、天気は小雨のち雨、気温は7℃前後だが、風速が南西の風21mとあり相当な強風が吹いている予想である。まあ、日の出時刻に吉田川山頂にいれば、雲の切れ間からあるいは日の出が望め、万歳をする登山者の後姿を撮影した新聞社の第一報が報じ...富士山山開きは「空想登山」で

  • クマ騒動は続くよ、どこまでも

    予想していた通り北八甲田の酸ヶ湯温泉周辺は、登山道の立ち入り規制のみならずクマ被害にあった地点を中心に半径3キロが、国有林であることから管理者である国によって「入山規制」されたようだ。これによって酸ヶ湯温泉側から北八甲田の大岳方面、谷地温泉から高田大岳に至る一般登山道が閉鎖状態となったようだ。疑問に残るのは、猿倉温泉を起点にする、いわゆる南八甲田といわれる櫛ヶ峰(1516m)や駒ヶ嶺(1416m)方面の登山はどうなんだという疑問がわいた。報道によれば「入山規制」は、すべて観光道路となっている国道103号線を挟んで北側、いわゆる北八甲田のエリアだけのようだ。人があまり入らないが、夏にはワタスゲが風に揺れる高層湿原とたおやかな山容が魅力的な東北百名山にも選ばれている櫛ヶ峰などの登山はできないのだろうか。と疑問...クマ騒動は続くよ、どこまでも

  • 酸ヶ湯温泉周辺、登山道、そしてキャンプ場まで閉鎖の憂き目に

    ATV青森テレビの報道によれば、クマによる人身事故を受けて八甲田山の酸ヶ湯温泉から睡蓮沼までの間にある登山道の入り口が立ち入り禁止となり、何とオイラが憧れていたキャンプ場まで閉鎖になったとか。おそらく、酸ヶ湯温泉方向からの今季の登山は絶望的だろう。登山道にある毛無岱の広大な高層湿原などは、これからが高山植物の見ごろを迎えるだろうに残念がっている登山者も多いことだろう。被害者の近くにいたクマを猟友会や警察が取り逃がしたということで、そのようなクマが危険であることは、先月の鹿角市での二次被害からも明らかであり、当然の措置だろうが、一個体のクマの行動範囲を考えるとそれだけでいいのか不安である。また、山菜採りの者は、何も登山道を利用せずともどこからでも入山できるので、登山道入り口だけを閉鎖しても、山に入ろうと思え...酸ヶ湯温泉周辺、登山道、そしてキャンプ場まで閉鎖の憂き目に

  • 酸ヶ湯温泉周辺における不都合なニュースと不気味なコメントの傾向

    青森県北八甲田の酸ヶ湯温泉からほど近い地獄沼付近で、25日までタケノコ採りの高齢女性がクマに襲われて死亡が確認されたとの報。この付近では、二、三日前も同じようにタケノコ採りに向かったグループが、クマに襲われたり、持ってきたおにぎりを奪われるという報道もあって、入山規制があってもおかしくはなかったが、死亡事例までに発展したことは、残念でならない。先月は、八甲田から直線距離で五、六十キロ南に離れた十和田湖の南岸方面の秋田側でも、同じようにタケノコ採りの男性が人身被害にあって命を落としており、まじめな話、北東北の八幡平から八甲田にかけた山岳エリアのクマさんには、何やら得体のしれない脅威を感じざるを得ない。ヒトを攻撃対象とするクマの子孫たちが、このエリアに広がり始めていないかという脅威なのかもしれない。山菜採りだ...酸ヶ湯温泉周辺における不都合なニュースと不気味なコメントの傾向

  • されどフィルムカメラ、思い出だけが美しいか・・・

    ミドルエイジ以降のカメラ愛好家なら「ペンタックス」というカメラの愛称で呼ばれていたカメラを知らない人はあるまい。かつては旭光学工業という会社のカメラメーカーがつくるカメラだった。とくに風景写真を目指した方なら「ペンタックス67」や「ペンタックス645」などの中版カメラに憧れたもんだ。昭和の終わりから平成の半ばまで、おいらは幾度となくこれらの機材(交換レンズまで含めて)購入を検討したが、山歩きには重いという理由のほか、新品で一揃い購入したら数十万はかかるだろうという、おもに経済的理由でついに手を出さなかった。あるいは、手を出していればほかの遊びをやめて、別の人生を歩んでいたかもしれないのだが・・たとえば、90年代の半ばに知り合ったある団体の事務局長は、重たくて大きい「ペンタックス67」の愛好者で、日本全国の...されどフィルムカメラ、思い出だけが美しいか・・・

  • 仲夏(夏至・・)のころの雨色=水色の花たち

    宵月を蛍袋の花で指す中村草田男昨日の夏至の日、野草園で、決まってこのころに姿を見せるホタルブクロ(蛍袋)の白や赤紫の紙でできた提灯のような花たちに出会って、オイラは草田男の詠んだ句を思い出していた。ホタルブクロの茎を根元のほうから切り取って、まるで小さな提灯をぶら下げた格好で白い花を月に向けるなんて粋であり、絵になる。ホタルブクロの名のいわれは、多くの図鑑が、昔(といってもいつの昔かわからないが)子供たちがホタルブクロの花の中にホタルを入れて遊んだから・・とまるでメルヘンのように書いているが、それはないだろう。蛍はすぐに逃げてしまうし、もしも閉じ込められたとしてもストレスで、とてもお尻に明かりを灯す気にはならないであろう。それよりも、昔(江戸のころか)細長い提灯をまるでホタルのような明かりを灯すからそう名...仲夏(夏至・・)のころの雨色=水色の花たち

  • ささやかな幸福の日々、 オオタニサン ちゅらさん バスセンター風カレーづくり

    午前中・・・このところNHKBSで放送されるオオタニサン出場のドジャース戦観戦が日課となっており、オオタニサンが活躍してドジャースが勝った日には居心地がいい。今朝なんか、二本もホームランを打っての勝ち試合であり、1日中幸せな気分が持続する。ドジャースは勝率が高いので気持ちの良い1日の確率も高い。プロ野球ファンに申し訳ないが、このところのオイラには、野球といえば、もうドジャース戦だけで充分である。NHKさん、もう毎日のように放映してくれるから、観て、勝って、ささやかな幸福をいただける日常は悪くない。昼・・・・このところロスの時間帯から、オオタニサンの試合は昼をはさんで行われているのだが、そちらの放送はつけっぱなしにして、もう一台のテレビをつけてNHK総合で再放送されている朝ドラ「ちゅらさん」を視聴している。...ささやかな幸福の日々、オオタニサンちゅらさんバスセンター風カレーづくり

  • クマさんの森にラジオを響かせることができるか

    数年前までは山を歩きながらラジオを鳴らしているオッサンがいたら軽蔑したもんだった。この森の、鳥の声を、樹々のざわめきを、風のハーモニーを山男らしく静かに耳を傾けぬかと・・山に街の騒音を持ち込むなと・・だが、最近のクマ騒動を受けて、ヒトを怖がるようなまっとうなクマよけ対策としてラジオも必要ではないかと思うようになってきた。臆病者のゆえの心の変化が残念でならない。そこで、家にある小さな携帯ラジオを山に持ち込もうと考えたが、大方の山、特にクマさんと出会いそうな鬱蒼とした森の中は電波状況が悪く、思うように鳴らせないことに気づいた。それでは、スマホが役に立ってくれまいか、と考えた。電波の届く範囲ならスマホはクリアに音を拾える。電波の届かない場合は、オフラインでも録音していた音を流せばよいのではないか、と考えた。ただ...クマさんの森にラジオを響かせることができるか

  • あたらしいノートパソコン君もう手元に

    寿命の尽きた中古6歳のノート君に代わるパソコンとして、昨日朝、スマホにて、今Amazonで売り出されている中古ノートパソコン(状態:非常に良い)を注文したところ、24時間少し経過した本日昼前に,もう新しいノートパソコン君が届いた。クロネコヤマト関係労働者には申し訳ないが、ものすごいスピード配送である。送り主は埼玉県となっていたが、1日で荷主からわが玄関に届けられるなんて、2024年問題なきがごときである。さらにこの新人パソコン君何がすごいかって、送り状の内容と現物を検品したところ、2019年製造発表ではあるが、紛うことなき「新品」であった。つまり誰の使用形跡もない品物、たぶん在庫過剰による払い下げ品なのだろう。たしかに日本メーカーのモデルだが、MadeinChinaではあるから、大量に安く仕入れた製品なの...あたらしいノートパソコン君もう手元に

  • 鳴き声だけがたより?…幼鳥たちの季節

    どうも購入して6年目に入る中古で買ったノートパソコンの調子が悪い。このブログの書き込み中に、すぐに固まってしまい、シャレにならない。もう寿命のようだ。動画や写真をバックアップして、また中古のパソコンを本日注文した。よって、このブログがこのノートパソコンの卒業文となるであろう。短い文で締めよう。おとつい泉ヶ岳山麓を歩いていたら、めのまえに見慣れぬ野鳥が。帰って図鑑で調べても不明だったが、動画の鳴き声を確認したところ、「ホーイ、チッチホーイ・チンチン」と。どうやらホオジロ科のクロジに違いない。図鑑のオスと違うのはこの夏に生まれた幼鳥だからなんだろう。もうそんな季節だ。いろいろな幼鳥たちがさえずっているかもしれない。明日また行ってみよう。石垣島時代に買った中古のノートさん!お疲れ様!ゆっくり休んでくださいね。今...鳴き声だけがたより?…幼鳥たちの季節

  • 湯治場の定番、山菜ペペロンチーノ

    初夏の山あいの湯治場では、周囲を二、三時間もブラブラすれば、夕餉の菜として十分すぎるほどの山の幸を手にできる。標高の高いせいもあって、6月はじめまで大好きなコシアブラやハリギリ、山ウドは多少の硬さはあっても、調理次第で十分楽しむことができる。その調理だが、条件としては第一に酒の肴となること、第二に簡単に作れること、そして何と言っても美味いことである。かく条件に見合う料理として、おひたし、山菜入りペペロンチーノ、山菜の味噌炒め、が今や定番となっている。ペペロンチーノはサラダパスタや早ゆでパスタを茹でたら、すこし茹で汁を残して、きざんだ鷹の爪、チューブ入りニンニク、バター、オリーブオイル、コシアブラなど山菜を入れて炒め煮にし、汁気がなくなる直前に火を止め、塩コショウで味を整えればできあがり。味噌炒めは、味噌と...湯治場の定番、山菜ペペロンチーノ

  • 無垢なる花々、ハスキルのスカルラッティを探して

    「ひとはなぜ苦しむのでしょう・・・ほんとうは野の花のようにわたしたちはいきられるのです」生命科学者・柳澤桂子さんが般若心経を訳された「生きて死ぬ智慧」(小学館)冒頭の言葉である。モーツァルトのピアノや歌、そして室内楽などを聞くたびに、その野の花ような「無垢」というものを感じるのであるが、モーツァルトより少し先輩、ちょうどヘンデルやバッハと同時代を生きたイタリアのドメニコ・スカルラッティの短くも広大な野原に咲く花のように美しいソナタを聞くたびに、おいらはその苦しみや悲しみから解放されたような汚れのない世界を彷徨っていた。でもなぜか、しばらく彼の音楽を聴いていなかったが、NHKBSで放送されたドラマ「労害の人」最終回を観ているとき、スカルラッティのソナタが流れたような気がしたため、記憶をもとに昔よく愛聴してい...無垢なる花々、ハスキルのスカルラッティを探して

  • 水音、滝音、雨音、野鳥さえずりハルゼミ騒ぐ六月の湯宿の窓

    部屋の障子を開けたこの湯宿の窓からさまざまな音が伝わる。そのどれもが眼を閉じれば深い眠りを誘うような優しい音。山あいの湯治宿の効用は、何も湯あみだけではない。これら「山の音」に抱かれながら、二、三日と短い間だったが、オイラは初夏の谷間の湯宿に投宿し、久々「憩い」という言葉がよみがえった。吾妻山のふもと、行政区では山形県米沢市に属する滑川温泉(なめがわおんせん)という清楚で素朴な宿はわが愛する湯宿のひとつ。雨のため、一般道をつたって、十何年ぶりに標高の高い姥湯にも浸かってきた。ここは滑川温泉と違って峩々とした岩が累々と天を突き抜けるような深山幽谷の谷あいにあるポツンとした湯宿のコバルトブルーの露天風呂。地殻変動のすざましさにややおじけずく風景だ。この先何十年、大地震や噴火、大雨にによる崩落など天変地異による...水音、滝音、雨音、野鳥さえずりハルゼミ騒ぐ六月の湯宿の窓

  • 旅の日は缶ビール

    梅雨入り前に三泊の予定で、吾妻連峰の東山麓にある湯治宿に投宿し、稜線上にある湿原を訪れようかなと思ったが、宿の都合で二泊となり、ではチャンスは明日だけ、晴れたら登ろうと思ったが、予報はどうも思わしくなく、なかなか思いどおりにならない。思い通りにならずといえば、暇に任せて最寄駅には在来線でのんびり行こうかなとみどりの窓口にらなんだら、長蛇の列。おかげでつなぎの良い在来線に乗り遅れてしまい、しょうもなく新幹線利用でと、倍の出費をしてしまった。旅は人生と同じくなかなか思いどおりにならんけど、短い時間乗車時間だけれども、新幹線は堂々と朝から缶ビールをいただくことができ、早く着いたら着いたで、乗り換え時間まで余裕がありすぎるので、売店で缶ビールとサンドウィッチなどを買って時間を潰すこともできる。あながち、思いどおり...旅の日は缶ビール

  • 美しい石段を踏んで野草園に行く散歩道

    伊達家の霊廟へと続く大年寺の石段は美しい。この街屈指の石段だ。何段あるか数えていないが長い。だが蹴上げが低いので今の体力でも何とか登れる。それにしても体力が落ちたもんだ。そして右も左も膝に違和感がある。右膝はこの一月ばかりの痛みが何とか和らいだが、こんどは左も少し違和感あり。こないだの「石丸謙二郎の山カフェ」の膝痛特集によると、膝痛の大半が膝周辺の筋肉の衰えによるものらしい。つまり、鍛えれば痛みが解消されるということらしい。そうだな、週に一、二度はこの石段をウォーキングのルートにして野草園に行ってみよう。この石段を二度、三度と往復しながら。今日の野草園(5月30日)何といってもツツジ科のネジキの可愛らしい白い鈴の列。このあと、同じツツジ科のナツハゼがこんどは可愛らしい紅色の鈴を連ねるだろう。お尻の赤いハナ...美しい石段を踏んで野草園に行く散歩道

  • 武田花さん、どの星の富士山麓におでかけかな

    未明、スマホのニュースを枕もとでチェックしていたら、写真家の武田花(たけだはな)さんが、この4月30日に亡くなっていたとの報道を眼にする。武田さんの写真愛好家ではないのだが、彼女は作家で中国文学者の武田泰淳さん、その妻のエッセイスト武田百合子さんの愛娘であることは、武田百合子さんの「富士日記」(昭和39年からの51年まで間の13年間の日記)愛読者であることはよく知っていた。その「富士日記」には花さんがよく登場していた。富士山麓の別荘には普段、武田夫婦のみ主に春から秋にかけて断続的に居住していたが、夏休みなどの休日を利用して学生(13歳から25歳くらいまでか)だった花さんが東京の本宅から遊びにやってきた様子が、百合子さんによってほのぼのと描かれていた。オイラは、2000年代初頭に「富士山」に憑りつかれてから...武田花さん、どの星の富士山麓におでかけかな

  • 愛らしいオメメのチョウ

    山の林道を歩いていると、地べたに止まっているチョウがいて、あまり人を恐れずいったん飛び上がってもまた少し先に止まっていてくれたりして、カメラに収めやすい。休んでいるんだか、なにかの蜜を求めてに集まるのかよく分からないが、春先のルリタテハやキタテハなんかは明らかに時折翅を広げているので日光浴だと分かるのだが、暑くなると日光浴もあるまい。こないだ見かけたサトキマダラヒカゲ♂♀不明(あるいはヤマキマダラヒカゲ)は、翅の一部を欠いていて少し痛々しいので、明らかに休憩をしているのではないかと想像した。鳥に襲われたのか、薔薇のトゲに引き裂かれたのか、クモの巣から必死に逃げからなのか、翅の欠損原因か分からないが、図鑑で拾うと、カレラ・カノジョらの成虫でいられる期間はひと月もないので、なんとか「生」を全うして次世代に命を...愛らしいオメメのチョウ

  • 白い花追慕

    今日は晴れて涼しいとの予報を受けて、青葉の森を歩く。二週間ぶりだろうか。ハクウンボクの白い花は、もう終わってしまったのだろうか。上を見ても地面を見ても花の気配はない。季節のスピードに圧倒される。大好きな初夏の森の白い花たちが現れては次々と消えていくが、新たに姿を見せてくれた者もいる。今日は、エゴノキやノイバラが満開の姿を見せてくれた。ヤマブキショウマも真っ白な穂を奔放に拡げはじめた。でも、今日の真の目的は夏鳥たちに会うためだったのだが、キビタキ、サンコウチョウ、クロツグミたちの声はすれども、なかなか姿を現せてくれなかった。気になるのは、今年まだ一度もオオルリさんの声も姿も確認できていないということ。もう子育ての時期なので、せめて警戒音だけでも聴きたかったのに、叶わず。気候の異変によるものなのか。ホトトギス...白い花追慕

  • クマさんの脅威を知らず無邪気に歩いていた北東北の山々

    もう40年前の話になるかな。仕事の関係で青森の港町八戸に4年間住んでいた。そこの街の山岳会に4年間所属していた。あまり大人数の会山行はその当時から積極的ではなかったが、会所属の仲間の二人、三人とは毎週のように車を運転し山に行った。そこの仲間たちのホームグランドは、八甲田と十和田湖周囲の山々だった。十和田湖周辺の山々については、すぐに名前が出てこなかったが、十和田山(とわだやま・1053m)や十和利山(とわりさん・990m)という名前だけは記憶のうちにあった。今、その周辺を地図アプリで眺めていると、懐かしい山の名前がいくつか拾えた。新郷村の戸来岳(へらいだけ・1144m)や田子町の四角岳(しかくだけ・1003m)など。それぞれの山が標高は低いが独立峰的にポッコリしていて、山頂は低いネマガリダケなどに覆われて...クマさんの脅威を知らず無邪気に歩いていた北東北の山々

  • 湯治宿という贅沢

    先週、初夏のブナの森の山あいに、今はたった一軒だけとなった湯治宿に3泊ほどお世話になった。この5年間で4度ほど訪ねているが、いずれもブナが黄金に輝く秋も深まった頃。この季節ははじめてだが、湯治以外の目的は、山菜を付近の山で採取して、簡単な調理でいただくというもので、タンパク源に生タマゴと納豆は持参したがあとはおコメとパスタと各種調味料と米油にバター。初日だけは、コンビニおでんで済ませたが、残り2日間は山菜三昧とした。大好きなコシアブラとハリギリはギリギリ確保できたし、思い出すだけでも、トリアシショウマ、ヤマブキショウマ、ウルイ、山ウド、タチシオデ、ミツバ、ミズナ、カタクリの葉などおひたし、味噌炒め、ペペロンチーノの具材には十分すぎるほどの量だったし、個性豊かな山菜たちを満足の行くほど味わった。ヒトにやる...湯治宿という贅沢

  • ブナの実の豊作を祈る

    おとついから岩手の湯治宿に滞在。今朝は日本海を寒冷前線が通過中のため、湯に入りながら雨上がりを待つ。山菜を少し確保しないと、夕餉がさみしくなるため山に入りたい。昨日は新緑のブナの森を5時間ばかり歩いた。1000メートルから上は雪が残っていたので、そこで折返し、見晴らしのいい場所にシートを広げ、宿でつくってきたオニギリとノンフライのカップうどんで昼餉とする。風のよく吹き抜ける場所だからか、その場所には太くやや幹や枝がねじれたブナが一本立つ。もうすっかり生い茂った葉の間から、いくつもの毛の生えたまん丸坊主たちが天を見上げている。ブナの実たちにちがいない。今年は、しっかり育って、秋には栄養豊富な脂肪質を蓄えたイガグリを地上に落としてくれるのか。そうであれば、クマたちも喜ぶにちがいない。この秋、またこの場所にやっ...ブナの実の豊作を祈る

  • 25年ぶりの二口渓谷へ、バスに乗って感じたこと

    仙台地域の登山愛好家に人気の北蔵王山系の大東岳(だいとうだけ・1365.4M)や景勝地の盤司岩(ばんじいわ)など周遊の起点となる二口渓谷(ふたくちけいこく)歩いていたのは、もう25年以上前だったか。この山域は、もう一方の人気の山・泉ヶ岳とちがって昔から登山に適したバスがなく、車がないとアクセスしにくい。2001年以降は沖縄に転勤するのを機に車を手放したこともあり、車を持たない身にとってこの25年間は近寄り難い山域だった。これが御無沙汰した理由である。その不便なバスダイヤなのだが、仙石線の愛子駅から登山基地となる最終バス停「二口」まで走るバスは、土曜日に2本、日曜・休日になぜか1本のみである。この土曜日の二便運行するダイヤも、意味不明の設定で、午前便の二口着が10:07、午後便の二口発が14:40と4時間3...25年ぶりの二口渓谷へ、バスに乗って感じたこと

  • 前期高齢者の哀楽

    この春、○○歳のヨワイを重ねることと相成り、市から二件の「特典」が届いた。「前期高齢者」という官僚語に修飾された国民健康保険の自己負担率が2割となる特典。市営バスと地下鉄料金が1割(この秋から残念ながら2.5割に改悪されるのだが・・)で乗られるという特典。老いは「苦悩」ばかりではないと喜んで、バスや地下鉄に乗ってどんどん郊外に出かけようかと思っていた矢先、原因不明の膝の痛みがやってきた。運動不足に比例するような体重増とまだやめられない寝酒という「生活習慣」が原因ということも分かっているが、これに「老化」という自然現象も追い打ちをかけていることも、至極当然に理解している。無情にも「五月晴れ」が続いている。明日は、しばらくぶりに市民の山「大東岳」のふもとに土日だけ運行する市バスに乗って「山の幸」ウォーキングと...前期高齢者の哀楽

  • やっと静けさを取り戻したので緑の世界に埋没しようぜ

    勤労者の皆様には申し訳ないが、GWといった大型連休は、登山スポットを含めて観光スポットのどこもいっぱいだし、鉄道は混むし高速バスは動かないし、宿は高いし、報道も高速道路の渋滞や観光地の混みあいばっかりのニュースだし、近隣も含めてどこかに出かけようなんて気持ちが生ぜず、1年じゅう大型連休中の年金生活者にとって早く過ぎていってほしいBW(ブルーウィーク)だ。正月休みもお盆休みもあんまリスクではないが、とくに新緑真っただ中で快適そのもののGWは、はなはだ迷惑だ。(大げさ‥)その2024年GWがやっと過ぎて行ってくれたので、いよいよ動き出そうかという気になったが、このところおおかた午前から昼過ぎにNHKBSで放映されるオオタニくんが活躍しているドジャースのゲームにはまってしまい、引きこもり癖が続いていた。(日本の...やっと静けさを取り戻したので緑の世界に埋没しようぜ

  • 初夏の森にあの声が響く

    1週間ほど前になるか、青葉の森を歩いた時、あのオスの美しいオレンジ色の姿をちらりと目にし、夏鳥のキビタキがすでにやって来ていることに気づいた。4月終わりの日、青葉の森に入ると、そのキビタキ君のさえずりをあちことで耳にした。何度も立ち止まってはその姿をとらえようと試みたがかなわなかった。オオルリくんやサンコウチョウくんたちもまもなくやってくるだろう。青葉の森は、もう初夏の季節といっていい。低木といい、中高木といい、あらゆる広葉樹がうつくしい若葉を展開し、その多くが白い花を咲かせている。ツツジやヤマブキといった低木の仲間は朱や黄といった鮮やかな色彩をみせているのだが、今の季節、ウワズミザクラ、ガマズミ、アオダモ、オトコヨウゾメなど樹々の白い花々が目立つ。「白」は単調なようで、よく目を凝らすと花の形といい色合い...初夏の森にあの声が響く

  • 一期一花 その時だけの物語

    先週訪問した野草園の花を少し整理。もう何年もの間、なんども.歩いているのに、今この園地で出会っている花とは初めてとの出会い。だから「一期一会」よろしく「一期一花」の花たちだ。いや「花」だけではなく、この園地で出会う「鳥」も「虫」だって、去年もおととしも生きていないものたちであるから、足を運ぶたびに新鮮な驚きがあるのだろう。これは、見れば見るほど不思議な葉っぱ、いや、葉っぱの上に花を咲かせるハナイカダ(花筏)。水に浮かべるとまるで筏に載っている花のようだ、という理由で名付けられたのだろう。雌雄異株、つまり雄花の株と雌花の株があるということだが、写真は複数の花をつける雄花の方だろう。葉っぱの縁のトゲトゲもどうしてそんなつくりになったのか不明だし、見れば見るほど時間をかけて調べたくなってきた。図鑑には、「若葉は...一期一花その時だけの物語

  • 野生ランとの出会い旅へ

    「いやぁ、シュンランってこんなに色彩豊かだったか・・」野草園で、今年初めてとなるシュンランの花と巡り会って、おもわずこんなセリフが脳内をめぐった。この二、三年青葉の森では逢えずじまいに終わっていたので、シュンランをしげしげと見つめるのは久々であった。カメラの記録をアップしてさらに感動する。「黄色と緑ばかりではなく白やクリームや朱や紅色の濃淡が複雑ながらも調和している謎めいた美しさだ」昨日、野草園では「ラン科」の花として、このシュンランのほかアツモリソウの仲間であるクマガイソウとエビネの仲間に出会えた。礼文島で見たあの清楚なクリームのレブンウスユキソウ以外は内地の山であるアツモリソウの仲間やエビネには出会っていないが、長い山歩き歴の中でラン科の仲間には数多く出会っているが、総じて「美しく妖しい」存在だ。今年...野生ランとの出会い旅へ

  • 山の幸たち息を吹き返す

    スマートフォン亡失から3日でほぼ原状回復にいたる。端末は、同種の端末が家にたまたま存在していたので購入せずに済んだ。おサイフケイタイ系のチャージ済金銭も新しい端末に引き継いだし、サブスク契約の地図アプリや購入済み英単語帳などは、これも難なくひきついだ。電話帳は親せきや一部の知己の分を手動で引き継いだ。また、これを機会にとかく知らぬ者からの受信が多い米国メタ系のSNSやXといったヒトへの悪態が大半のSNSは引き継がないことにした。おかげでなんか、日常が軽くなった。高齢期を安らかに過ごしたい。(イヌブナの新緑)昨日、黄砂にかすむ大気をものともせず1週間ぶりに青葉の森を歩いて驚いた。冬樹の芽という芽が葉を広げ始めている。林床のスプリングエフェメラルたちは早くも役目を終えようとし、初夏に花をゆだねる後塵の草たちが...山の幸たち息を吹き返す

  • 好事魔多し・・・・〈刈田郡蔵王町遠刈田七日原〉・・・でもヒメさま永遠に生きてくれ・・

    晴天予報の4月15日。昨年は蔵王山ろくで4月12日に満開のカタクリとヒメギフチョウさまに出会ったが、今年は、カタクリの開花が少し遅いと判断し、遠刈田行きは昨日15日になった。それにしても何とよい天気だったのだろう、平地では25℃をこしている。南蔵王の山々もくっきりと仰ぐことができた。雪解けが進み、あとひと月もすればあの稜線も快適に歩けるだろう。そんな快適な気候の下、遠刈田温泉から歩きだし、青麻山周辺にいたる林道沿いを快適に足をすすめた。南蔵王の山なみが望める伐採跡地に至るとあちこちにタラノキの幼木も伸びており、その先端に形のいいタラの芽が伸びていたので、ちょっと道草を食う覚悟で、そんなタラノメほしさに藪の中に入る。タラノキのトゲトゲもさることながら、そこに至る数メートルの藪にはトゲトゲのバライチゴの枝が縦...好事魔多し・・・・〈刈田郡蔵王町遠刈田七日原〉・・・でもヒメさま永遠に生きてくれ・・

  • ばっけ味噌(ふき味噌)をいただくことから山の幸の季節が始まる

    暖かくなった週末、南面白山の山麓に春の山の幸を求めに出かける。お目当ては、雪解けが終わった草地に生え出るフキノトウ。これで当地ではバッケ味噌と呼んでいるふき味噌をつくるため。フキノトウは蕗の花。蕗は雄花と雌花とに分かれているが、フキノトウはまだ苞葉にくるまれたツボミのままでは雄花か雌花か分からないが、山菜としてはまだ花が現れないツボミの収穫を良としている。が、ある程度花の姿を現しても、茎の伸び切らない柔らかいうちは十分いただける。ばっけ味噌の作り方は、苦みをいただくため生のまま味噌で和えるのを通としている向きもあるが、オイラは、大方のレシピがそうしているように、30分ほど水にさらしてあく抜きをして、細かく刻んで素早く油で炒め、みりん・さとう・みそを入れて熱をくわえながら和えている。これでも十分苦いので、ご...ばっけ味噌(ふき味噌)をいただくことから山の幸の季節が始まる

  • コブシ咲いて、木の花たちも踊りだす

    落葉樹たちの春は、コブシの白い花が青空に向かって咲き誇ることから始まるようだ。ハウチワカエデの真っ赤な花。クロモジの薄緑の花。チョウジザクラの清楚な白色の花。それぞれが、春を待ちきれなかったように元気に顔をのぞかせ始めた。チョウジザクラのうつむき加減な花たちにクロマルハナバチがやってきて、一花一花丁寧に蜜を探り当てていた。いろんな花の蜜を味わって人生を終えるハナバチやチョウたちは、短い命ではあるが、幸せ者なのかもしれない。カタクリの葉になにものか卵を産みつけたのか。黄色い粒々の.刻印のように見える。カタクリの葉はすぐに地中に融けて消えてしまうので、その後どうなるだろう。不思議なことばかり。ルリタテハやミヤマセセリ♂が地面で翅を広げて体を温めていた。このミヤマセセリは、図鑑で調べると成虫でいられるのはこの一...コブシ咲いて、木の花たちも踊りだす

  • 桜色に染まる数日

    山裾のヒメギフチョウさんも気になるが、街にサクラの花が咲いている数日間は、心も体も桜色に染まりたくてそわそわしてしまうのは、この国に生まれたどうしようもない性なのだろうか。昨日は薄曇りのうえ暖かく絶好のお花見日和だったので、スーパーの酒類コーナーで家飲み用にと秋田の「爛漫」一升パックとお花見用にこれも一合紙パック酒を2個とイカのおつまみを買って、河原の桜の木の下のベンチで、一合カップ「お一人様花見」を楽しんだ。「爛漫」は名前に引かれ、この花の時季だけの酒としている。そして酔いながら聞く音楽は、たいていモーツァルトのピアノ協奏曲なのだ。9番から23番あたりまで、彼の円熟期(といってもまだ20代)の作品群が、どういうわけか桜の季節のこころに染みてくる。ウィーン生活で自作自演のピアノ協奏曲の予約演奏会が評判とな...桜色に染まる数日

  • ヒメギフ記念日の今日、また逢えてよかったね

    昨年2023年4月5日は、目の前でヒメギフチョウさんに逢えた人生初の日であったから、その日を個人的に「ヒメギフ記念日」と制定した。今年は、カタクリの開花が昨年より1週間程度遅れていて、昨年であった太白自然観察の森の目撃場所のカタクリ開花が遅れていたため、少しあてにはできなかったが、今日もう一度この自然公園に出かけて行ったら、カタクリの花を行き交うヒメギフチョウさんに逢うことができた。一頭か二頭交互にやって来ていただろうか。少し離れていて、上半身がカタクリの花に隠れていたため♂♀の区別がつかなかったが、たしかにヒメギフチョウさんだった。ただ、昨年出会った日は、満開のカタクリに加えて食草のウスバサイシンもしっかり葉を伸ばしていて、出会ったヒメギフチョウさんは、カタクリに加え、ウスバサイシンの葉にも時々立寄る気...ヒメギフ記念日の今日、また逢えてよかったね

  • 春の野はスィーツだらけ

    週一の割で野草園を訪ねることにしている。季節のシグナルを感じるため。ただ、この園地は周囲が住宅地にぐるりと囲まれているため、青葉の森と比較して野生の度合いは少し劣るものと推察する。たとえば、ここにはいくらカタクリが咲き誇って、食草のウスバサイシンが生えているとしても、ここには「ヒメギフチョウ」さんはやってこないのではないか。なぜかというと、食草の量が自然の割合からして少なすぎるので卵を産みつけにくいのではないかと思うからである。また、この園地以外の地に巣を設けるハチやアブはこの園地の中の花の匂いを感じるセンサーが住宅地に邪魔されて機能しないので、花の授精を媒介するハチやアブや個体種は限られるのではないか、などの疑念も生じている。ただ、巣をつくらないチョウは、卵を産みつける食草だけ十分にあればこの園地だけで...春の野はスィーツだらけ

  • 古い桜たちには曇り空がよく似合う

    サクラの開花が告げられて二日、東北大学片平の桜たちは、もうずいぶんと花を開かせていた。ここの花はさまざまな種がありそうだが、いちいち名を言い当てることはできない。ソメイヨシノは少ないようで、サクラの古来種やウバヒガン、シダレなどもう旧制二高時代の明治からだから100年以上の時を生きてきた古参たちだろう。この古参たちは、一世紀もの間、花の下を生きかうさまざまな学生や市民を目撃してきたのだろう。今は、とうにこの世に存在しない者たちの映像を撮りためながら生きてきた老木たち。空一面に咲きはじめた花もさることながら、この花の時季、オイラは、花たちを生かし続ける水脈ともいえる黒く偏屈にくねった太い幹や枝ぶりを下方から眺めるのが好きだ。なにか一株一株に人間的な意思や熱情といったエネルギーを感じて不思議に圧倒されるのであ...古い桜たちには曇り空がよく似合う

  • MY SUMIRE HANDBOOK

    あったくなって絶好の自然観察どきだというのに、昨日少し歩きすぎたせいか体調を崩した。ここ数年、パターンは似ている。まず目がチカチカして焦点が定まらない兆候、そのあと右の鼻の奥のあたりに鈍痛を感じ、しばらくして悪寒がしてしばらく寝込む状態にいたる。鎮痛剤か葛根湯のような軽い風邪薬を飲んで、半日も横になれば、何事もなかったかのように回復する。ワンパターンだ。年に数度。悪化するわけでもないし、熱や血圧にも影響がないので、医者に行くとかの心配はしていないが、原因不明なだけすこしは気になっている。昨日、青葉の森にはやくもスミレの花が数株花を咲かせていた。青葉の森だけでもスミレの種類は、10種ほどありそうだが、まだ彼らを分類、仕分ける能力がない。そこで、今年は、出会ったスミレの名前を特定し、写真やスケッチで収集するこ...MYSUMIREHANDBOOK

  • 待ち人来たらず

    弥生四月に入る。いくぶん風は冷たいけれど、ウインドブレーカー姿では山道を歩いていると少し汗ばむようになった。今週から来週、晴れていれば二日に一度の割合で、太白自然観察の森まで足を延ばし、ヒメギフチョウさんとの出会いを求めることとする。今日は、その場所に足を進める途中、空を切る二種の「うすむらさきいろ」を目撃した。そのうちの一種は、笹の葉にとまってくれたのでルリタテハさん(♂♀不明)と分かった。越冬種なので、もう少し早い時期に出会えると思っていたが、四月になった。いつも感じるのだが、このチョウ、翅裏は枯れ葉色の全くの保護色なので、翅を開いてその美しい瑠璃色の翅表をみせてくれないと誰なのか分からずじまいなのだが、お日様が照ると翅を少し開いてくれるので、そのチャンスを待つしかない。今日のは、ちょっとだけ開いてく...待ち人来たらず

  • さあ、週末から早春のたちが躍動する

    おとついの低温と降雪を最後に、予報では週末から晴れマークが続き、気温も15度を超える日が続く。サクラの開花はもとより、昨年より遅れていた青葉の森の早春の花や虫たちが示し合わせたように躍動する瞬間のカウントダウンが切られている。昨年、家から一番近い地点と言っていい太白山のふもとの自然観察の森でヒメギフチョウさんに出会ったのは4月3日だった。その時は、カタクリは満開で、かれらが卵を産みつける食草のウスバサイシンの葉もすでに展開していた。青葉の森のカタクリは、昨年より気持ち1週間開花が遅れているので、まだ早いと思ったが、今日はやや気温が低いが、晴れていたので、その自然観察の森の例の場所に行ってみる。やはり、まだまだであった。あの出会い地点のカタクリはやっと葉を展開させたという具合で、ウスバサイシンの葉の気配もな...さあ、週末から早春のたちが躍動する

  • なごり雪・わかれ雪・なみだ雪

    昨日の暖かさはなんだったのだろう。午後から気温が下がって、烈しく雪が降り始めて晩になってもやみそうにない。。昨日開いていたふたもとのカタクリたちはどうしているのだろう。生まれだした羽虫たちも、うまくどこかに隠れて寒さと雪の重さに耐えているだろうか。そういえば、青葉の森にウグイスもたどたどしく囀りだしていた。きょうは、どこかの藪の中で押し黙っているのだろうか。今年は、立春のあとの方が雪が何度か降っていたような。温暖化と言いながら、大方の気象予報士のサクラの開花予想も大幅に外れているようだ。だれも、当てなかったようだ。このAI時代にあっても、いまだ天体の定めには打ち勝てないみたい。なごり雪、別れ雪・・・今年は何度春の雪の降るのをみてつぶやいたことだろう。テレビで「八代亜紀さんのお別れの会」が開かれているニュー...なごり雪・わかれ雪・なみだ雪

  • カタクリ開花宣言?

    東京のサクラ開花は、当初3月18日ころと予想されていたと思うが、1週間以上遅れているみたいだ。今日の時点でまだ開花宣言はない。当地の予報は3月31日だというが、これも大いに怪しい。たしか、昨年は3月半ばに咲き始めていた青葉の森のカタクリたちも、1週間以上遅れていたようで、今日はあったかなので歩いてみたが、やっと二、三株の開花を確認できた。全体から言うとまだ1%にも満たぬのだから、これをカタクリの開花宣言と言っていいのかわからないが、それでも枯れ葉だらけの林床にピンクの花弁がゆれるさまを見出すと、いよいよ花の季節が始まったなと、感激してしまう。記録したこの二株は寄り添うように生えていて、同じように花弁をそらせているのであるから、7年前に同じ花から放たれた種が育った、いわば兄弟ともいえる株なのだろう。よく見る...カタクリ開花宣言?

  • 春分すぎても風は冷たい野草園を歩く

    温暖化だの四季の喪失だの、なんだかんだと言われる昨今ではあるが、当地は、春分を過ぎてもいまだ寒冷で、今日は最高で9℃、明日は7℃だという。冬季閉鎖されていた野草園が20日に開園したので、少し歩いてくる。風はきりりと冷たく、いまだ早春の風情だ。そんな環境だから、青葉の森のカタクリはおとついの時点でまだツボミ状態だったし、野草園のそれはもっと開花が遅れそうで、やっとちいさな葉が現れ始めたというところか。だが、この園地の暖かそうな草地には、すでに彩りをみせる早春の花たちがいた。雪割草の仲間ミスミソウやスハマソウ、同じキンポウゲ科のフクジュソウやアズマイチゲ、ショウジョウバカマらの草本の花々、ミツマタやダンコウバイら木本の花たちもすでに花盛りだ。いつもの季節にいつもの花がいつもの場所にあるとなんだか安心するが、カ...春分すぎても風は冷たい野草園を歩く

  • 春の山岳展望~「雪形」ウォッチングの旅

    目を閉じれば、昨年の4月に歩いた安曇野や白馬山麓から眺めた白い山々が眼に浮かぶ。昨年は、遠望された山なみのなかから、安曇野の写真家田淵行男さんに教えられ、残雪の山に残された雪や岩の紋章「雪形」のいくつかお目にかかった。ただ山々を眺めるだけではなく、「雪形」を隠し絵を探すように見つける楽しみが増えた。昔は農耕のサインとして需要な役割を担った「雪形」だが、いまは純粋に移りゆく季節に少しの間だけ見せてくれる「神さまのお絵かき」としてそれを楽しもうではないか。昨年は、常念岳の名前のもとになった「常念坊」、鹿島槍ヶ岳で躍動する「シシ(獅子)とツル(鶴)」、白馬本峰から三国境にいたる鞍部の下に現れた白馬岳の名のもとになった「代掻き馬」、などを確認できたが、田淵さんによると安曇野や白馬山麓からの眺めだけでもすくなくとも...春の山岳展望~「雪形」ウォッチングの旅

  • 蝶の季節がやってきて田淵行男さんを慕う

    昨年4月、アルプスの山岳展望を求めて安曇野と白馬山麓を歩いた。安曇野でレンタサイクルし、高山蝶などの生態研究でも知られた写真家の「田淵行男記念館」を訪ねた。小さな記念館だったが、田淵さんの作品や撮影道具、山の道具などがコンパクトながら要領よく展示され、田淵さんの業績や人となりを短時間ながら理解することができた。作品の数々は、事前に図書館から借りれるだけの著作を借りてきて拝見していたので、脳裏にストックしておいたはずだったが、印象がまるで違ったのは、蝶の自筆絵画だった。想像以上に大き絵で、にもかかわらず蝶の鱗毛の本数まで本物の写実かと思うぐらい緻密な色彩画だった。普通、蝶の翅は、広げた際に上から見える「表」が美しく、翅を閉じたときに見える「裏」は地味な色(敵に見つからない保護色か)なのだが、田淵さんの絵はほ...蝶の季節がやってきて田淵行男さんを慕う

  • 3.11の青空の下、それぞれの復活

    3.11から13年目となる日、よく晴れていたので青葉の森を歩く。あの日と違って圧倒的な青空が地上を覆い、三月らしい光が樹々の梢から差し込んで枝々の影を揺らしていた。このところの冷たい風も今日だけは息をひそめていた。それらの光をいっぺんに浴びようとスプリングエフェメラルの代表カタクリさんの葉が南斜面の暖かなところからあちこちと顔を出していた。今年花を咲かして命のリレーを担当する7年生の卒業生を探しながら歩いていたら、いたいた気の早い卒業生が早くもツボミを赤らめていた。明後日から、気温が15度ほどに近づく日々が続くとの予報である。そうすると、こうした気の早い卒業生たちはあと1週間もすると愛らしいピンクの花弁を開かせるのだろう。一匹の羽虫も日向ぼっこをしていたが、どこかに行っちゃった。もう、花たちの開花と併せて...3.11の青空の下、それぞれの復活

  • 黄いろ星から白い星へ、地上の星たちのリレーが始まった

    黄色のマンサクから白色のセリバオウレンへ、そしてピンクのカタクリへ、つぎにうす紫のスミレの仲間へと青葉の森の新しい季節のリレーが始まっている。おとついの雪はまだ残っているけど、融けだした雪の間からセリバオウレンの白い妖精が顔をのぞかせはじめた。まだ花びらを完全に開かない花は、まるで眠そうなようすだ。カタクリの葉やタチツボスミレの葉も少し現れた。カタクリは1年生から7年卒業生まで、それぞれであるので、いまやっと地上に出た葉だけでは何年生なのかはまだ分からない。二枚の葉とその間にツボミとなる茎をのばしてくるのが卒業生。あと10日もすれば、卒業生とはっきりわかるようになるであろう。空を見上げると、すこしシジュウカラたちが騒ぎ始めているが、春のさえずりをまだ始めないし、ウグイスの初鳴きもいまのところオイラの耳には...黄いろ星から白い星へ、地上の星たちのリレーが始まった

  • 名残り雪の公園に新しいお客様、いらっしゃい

    水を含んだ名残りの雪が未明から今朝にかけて少し積もった。昼にはすぐに溶けだしてきたが、昼過ぎの西公園の芝生はまだうっすらとしていた。一昨日のシメさんグループの姿はなかった。どこで何をしているんだろう。公園の若い娘の銅像の足元にハクセキレイがチョコチョコ歩いていた。都会にいても、物おじしない彼らだから、ヒトの銅像なんて意に介さないだろう。たとえ年ごろの娘の像であっても。公園の奥を歩くと、数羽の小鳥が雪の混じった地面をチョコチョコ歩きながらエサを探していた。あの「だるまさん転んだ歩き」のツグミさんたちでないことは、その歩き方や大きさからすぐ分かるし、スズメほどの大きさだが、スズメはチョコチョコとは歩かない、チョンチョンと飛び跳ねて前に進む。望遠レンズで覗くと・・・・・地味な色合いといい、白い眉といいセキレイ科...名残り雪の公園に新しいお客様、いらっしゃい

  • 足踏み中の春に冬鳥たちに会いに行く

    二十四節気の「啓蟄」の日。昼も気温が10度に満たぬ寒い日が続く。ウグイスもまだ耳にしていない。青葉の森にも10日ばかりご無沙汰である。今夜から明朝にかけて雪だという。今年のなごり雪はまだ先か。週間予報によると、来週になると暖かい日が続くらしい。足踏み中の春も一気に押し寄せるのだろうか。日曜日に、またシメ君たちに会いたくなって西公園に出かけたが、人出が多いためかどこかに移動したのか、姿が見えなかった。代わりに行ってといっては失礼だが、松の木の上で小さな「ヒガラ」くん/さんを見つけた。ヒガラは雌雄同色なのでヒガラくん/さんと呼ぼう。大好きなシジュウカラの仲間のいわゆる「カラ系」の小鳥であるが、普段はもっと標高のある山地や亜高山帯で過ごすらしく、青葉の森程度ではほとんど出くわさない。ただし、冬の間は平地林や公園...足踏み中の春に冬鳥たちに会いに行く

  • 冬鳥たちの声聴くこともなく別れの予感

    二月の終わりの日、庭先に珍しい鳥がとまっていた。冬鳥のツグミ属の「シロハラ」である。頭部がやや褐色に写っているから、たぶん♀なのだろう。(くちばしと足が強靭そうなツグミの仲間)(太っちょに見えたが、飛びたとうとする瞬間はスマートなツグミスタイル)ツグミやシロハラの冬鳥は、ロシアなど.ユーラシアから越冬のため雪の少ない内地に渡ってくるのだろう。落ち葉をかき分け木の実やミミズなどを探し、冬の間に命を長らえている。あまり詳しく観察してはいないのだが、あまりカップルでいるところを見たこともないにので、春に北に帰ってからパートナーを見つけているのかもしれない。とにかく冬の間にエサになるものは何でも体内に吸収し、北帰行とその先の恋と子育ての体力作りに励んでいるのだろう。ツグミの名の由来は「口をつぐむ」、すなわち冬鳥の...冬鳥たちの声聴くこともなく別れの予感

  • スノームーンのスピリチュアル

    今日は日曜日。日曜日朝のルーティンとして、家を出て100mほど歩いたところにあるコンビニに「毎日新聞」を買い求めに行く。毎日の日曜版は、大きなクロスワードのほか、少しむつかしい数独やスリザーリングなどのパズル類が他紙以上に充実していて、午前中は、このパズルをやりながら過ごすことを楽しみにしている。そんな些細な楽しみのため、6時過ぎにそのコンビニのドアを開け、いつもどおり新聞コーナーに目をやると。なんと新聞の棚は「空っぽ」!。出てきたいつものスタッフに新聞がまだ届いていないのか尋ねたところ、なんとこのコンビニは今月28日をもって「閉店」し、今週は新聞が来ないとのこと。(ガックリ)気が付けば、この数年の間に近所のバス通りからスーパーや小売店、飲食店、などが次々消えており、小売先端をいくコンビニも立地によっては...スノームーンのスピリチュアル

  • ツツピーたちを聴く日も近いか

    スプリングエフェメラルたちが目を覚ます早春の森を歩いていて、シジュウカラやヤマガラさんたち、オイラがツツピー属と呼んでいるカラの仲間たちの高らかな囀りがあちこちから聴こえてくるときほど気分が高揚することはない。「ああ、ことしも春がきたんだなぁ」と。二月もすでに後半だ。これから1週間は、いわゆる「寒の戻り」状態で予報は最高でも10℃を超えないが、三月に入って少し暖かな日がやってくると、今年もそういった高揚する場面が訪れるだろう。そうだ、そんな日にはウグイスさんもたどたどしい初鳴きを聴かせてくれるだろう。西公園を歩いていたらそのシジュウカラさんの小グループがスズメさんの小グループが混在して、雪の混じった草むらを盛んに飛び歩いて何かをつついて探しているようだった。しばらく観察していても分からなかった。撮って来た...ツツピーたちを聴く日も近いか

  • 雪枝輝いて、小鳥たちも元気

    昨夜から、また雪が降り出して今日の昼頃まで降り続いていた。やや水分を含んだ春の雪であるから、周囲の梅、桜、銀杏といった春を待つ枝という枝に四、五センチほどの雪が積もった。雪枝(ゆきえだ)という言葉はないだろうが、黒い冬の枝に雪が付着する光景はなんとも清々しく凛とした気分にさせてくれる。昨日の朝は、しっかり姿を見せていた梅の枝の蕾たちもすっかり雪に閉ざされてしまった。花やつぼみが呼吸しているわけではないだろうが、さぞや息苦しだろうなぁ、なんて同情したくなる。まあ、それよりもスズメなど野鳥たちはどうしているのだろう。彼らにしてみれば、たかが10センチ程度での積雪でも重い雪がわずかなエサを閉ざしてしまい、さぞや一日の糧を確保するのは大変だろう、だなんて勝手な心配をしてしまう。そんな気持ちで昨日の梅の木を見ていた...雪枝輝いて、小鳥たちも元気

  • 降るほどにふくらんでいく梅の花

    朝から雪が降っている。ぼた雪というほど粒は大きくないが、天上から落ちてくる速度が速いので水分を多く含んだ春の雪だ。おとつい梅の開花宣言が報じられた。当地方の平年開会日より十日はやいのだという。近くの庭の梅の花もおとつい一輪、二輪とほころんだのを確認したが、つぼみたちは大きくふくらんで今にも開花しそうな気配だったが、この朝からの重たい雪が、このツボミたちに容赦なく降り積もっていて辛いだろう。でもしっかり観察すると、つぼみたちは何やら体温のような熱があるように枝という枝からくりくりとしたほの赤い顔をのぞかせてなにやら元気そうではないか。もう彼らもこの雪はつぼみを凍らせるほどの冷たい雪ではないことは知っているようだ。これから1週間雪は降らないだろうが、気温は平年並みとそれほど暖かくはならない。平年より十日も早く...降るほどにふくらんでいく梅の花

  • スピカつながりで2002年春にタイムスリップ

    昨日今日と、NHKの再放送されたものであるが、小澤征爾さんが指揮をした「2002年ウィーンフィルニューイヤーコンサート」と、同じく2002年の前期朝ドラ「さくら」を視聴した。朝ドラ「さくら」だが、以前このブログで記したこともあるが、オイラはこの朝ドラをこよなく愛している。2002年だから、オイラが宮古島に在住していた時期に放映されたもので、オープニング映像に現れる北アルプス穂高・笠ヶ岳・乗鞍岳の展望都市・飛騨高山や飛騨古川がたまらなく「なつかしいやまと」であったこともあるし、また、脚本の田淵久美子さんの絶妙なコメディータッチなラブロマンスにも当時はかなりハマっていたのを告白せざるを得ない。ヒロインのさくら役・高野志穂さんも、桂木先生役の小澤征悦さんも役柄にぴったりで、お二人に好感をもって欠かさず見ていたし...スピカつながりで2002年春にタイムスリップ

  • スピカ流れて春動く

    二十四節気の「雨水」の未明。南から東けての上空には、本来「春の大三角」(おとめ座のスピカ・うしかい座のアルクトゥルスらの一等星と、しし座の二等星デネボラを結ぶ三角)が広がっているはずであるが、わが家のベランダからの画角だと午前3時では、仰角(赤緯)30度よりやや低い地点にスピカのみが輝いているばかりであった。真っ暗な空には雲が無いように見えたため、1時間ばかりそのスピカを中心に微速度撮影を試みた。1時間もの撮影ではあるが完成された動画はたったにかの15秒とあまりにも短い。Youtubにアップしたものを×0.25と4倍の遅さに設定して1分ほどの動画を観察する。左下よりだんだんとさそり座が登ってきた。「赤い目玉のさそり~♪」と賢治さんが「星めぐりの歌」で歌ったアンタレスのオレンジがやっと確認できた時点で今朝の...スピカ流れて春動く

  • エイチスリィ打ち上げられた青空にマンサクの花

    今朝オンラインで中継されたH3ロケットの打ち上げ模様を見ていて、前回に失敗したと聞いていたものだから、3分ぐらい前から女性スタッフによって機械的に発出される「秒読み」の声に重なる様にオイラの心拍はドキ・ドキ・ドキ・ドキ・・と高鳴り、発射後も前回失敗した二段目の切り離し、そして約20分後のエンジン静止と模擬衛星一基の切り離しまで固唾をのみながらパソコン画面に注視していた。直後に管制センターのスタッフの拍手と握手のシーンが映し出されて、ようやく今回の打ち上げが成功したとわかり、ようやく安堵の息を吐いた。SFマンガや映画でいやとなるほど見てきたような宇宙への気軽な旅立ちスタイルからしたら、あるいは1000年後の人類(まだ存在していたら)から見たら、このような莫大な燃料の噴射からなるロケットスタイルでの旅立ちはも...エイチスリィ打ち上げられた青空にマンサクの花

  • 冬の大三角にさようなら

    昨夜は3歳のお月様も20時ころには西の空に沈みはじめて、雲もなくすっかり晴れていたので、久しぶりにベランダに三脚を立て、微速度撮影(アニメーション動画)を試みた。今年は、山や海辺のほしぞら写真撮影に回帰する年と位置付けており、晴れていたら今のうちにタイムラプス(静止画の連続写真を合成)や微速度撮影を練習しておこうと思う。こうした撮影は、しばらくやらないとすっかりコツというものを忘れてしまい、いざ現場に行くとあたふたしてしまうから、日頃の練習が大事なのである。昨日の微速度は、ISO800/F2.8/8秒の設定を10秒間隔で100回、およそ1時間ほどの設定にしたから1時間のうち8秒間・200回の撮影をおこなったことになろうか。それでも、動画の再生時間はわずか15秒だけになった。Youtubにアップしたものを下...冬の大三角にさようなら

  • マンサク(金縷梅)の体内時計

    二月にはいって、北国のモノクロの世界にカラフルな黄色の面影がうすぼんやりではあるが視界によみがえってくる。去年、国際センターの満開のマンサクを撮影した日をこのブログを遡ってたしかめてみる2023年2月18日に写真の貼り付けを見る。暖かい冬と報じられている2024年のその個体の満開は早まっているのだろうか。そんな好奇心から出かけてみたが、まだツボミが多くわずかに開いていた最上方の枝先の花の花弁もまだ寒そうにクルリンと丸まっていた。マンサクの体内時計にそう狂いは生じていないみたいで、昨年どおり、あと1週間で満開となるのだろう。おなじく昨年のブログを観たが、青葉の森のマンサクはそれよりさらに1週間おそく、2月末には黄色の面影をあちこちと見せ始めるのだろう。青葉城址ふもとのロウバイ(蝋梅)は、いま満開となってほの...マンサク(金縷梅)の体内時計

  • 春の雪 深山をたんと 包みなさい

    昨日今日の全国ニュースやワイドシューを見ていると、首都圏に降った「ほんのわずかな」雪のために右往左往する話題ばかりで、北国在住者としては、お笑い番組としてみてもつまらないので、TVを消したり、取りためた録画番組を視聴するなりして報道番組の時間を代替している。今年は、これまで年末から北海道西部や一部の山間部を除いて全般的に雪不足が報じられていて、周囲のスキー場も一部のコースを使用できないなど、温暖化や偏西風の蛇行による寒気の偏在などによりむしろ雪の降らないことを危惧していたのであり、低気圧の本州南岸移動によるいわゆる「春の雪」は、むしろ雪不足の地域にとっては「朗報」なのである。「雪不足」によりスキー場の営業が成り立たず閉鎖するところも出てきているが、それはそれとして、日本列島の背稜部にあたる山間部に例年通り...春の雪深山をたんと包みなさい

  • 冬のアリさん

    「晴れ、気温10度超える」との予報が出たため、1月最後の日に久々青葉の森を歩く。暖かいといっても、森の中はややひんやりしていて、久々に吸い込んだ森の匂いが冷たいまま嗅覚に触れ、心地よい。それでも、昼を過ぎたあたりから空一面に青空が広がり、すっかり葉を落とした木々の間から陽が射してきてニット帽の中は少し汗ばむくらいだ。こんな暖かさでは、クマさんもおちおち冬眠していられまい、とすこし不安になるが、さすがに厳冬期にクマ鈴を鳴らすのは臆病すぎるな、とザックのポケットから取り出してザックに括るのはやめる。「おや!」あたたかな日差しを浴びた南斜面の登山道の落葉の上を少し大きなアリが一匹ゆっくり足を運んでくる。「仙台で1月にアリさんを見たのは、生まれて初めてかも。」家に帰って、ネットの図鑑を調べてみたらムネアカオオアリ...冬のアリさん

  • 雪雲にかすれるウルフムーンだったが・・

    本日2024年1月26日未明、2時54分は新年最初の満月であった。アメリカでは、この月をウルフムーンというそうだ。なんでも、厳冬期にエサが少なく腹をすかした狼たちが月に向かって遠吠えるので、そう命名されているとのことである。可哀そうな話ではあるが、厳しい冬でも生きていくかれらの姿を思い浮かべると、なにやら元気をもらえる。厳冬の冴えた満月に向かって前足に力を込めて遠吠える狼の姿が、なんとも新年に込めた生存のエネルギーというものを感じさせる。そんなウルフムーンを写真に収めようと、3:00amには目覚めていたので、P950くんを手に取って戸外に出てみたが、あいにく小雪が舞っていて、ウルフムーンは険しく流れる雲に時おり姿を現す程度という生憎の空模様だった。そんな悪条件の中で何とか姿をとらえた1枚が下記の写真である...雪雲にかすれるウルフムーンだったが・・

  • 2024年の厳冬期に聴くロ短調ミサ

    今季最大級の寒波が来ていて、朝窓を開けたら当地においても数センチの雪が降り積もっていた。降った雪は強い北西の風に吹き飛ばされている。外はさぞや寒かろう。能登の被災地はどうなっているのだろう。ウクライナやロシヤの兵隊さんたちは塹壕の中で凍えているだろう。などと頭をよぎるのは「負」の映像ばかりだ。朝5:00から放送されているNHKFM「古楽の楽しみ」は毎日聴いているわけではないが、今週はバッハの「ロ短調ミサ」が鈴木優人さんの解説で、五日間に分けて丁寧に放送されているので聴こうとしていたが、寒さのせいか酒のせいか最近目覚めが遅く、気が付いたら5:30をまわっていたなんてこともあり、すべて聴けていない。そんなことをきっかけに、あらためてYoutubで検索にしてこの大作を改めて聴くことにした。Wikipediaが説...2024年の厳冬期に聴くロ短調ミサ

  • 2024年の「月面X」さんが現れてくれたよ!

    昨夜、予報はまったくの曇り空であるので諦めてはいたが、念のため19時30分頃に外をのぞいたら、薄い雲のヴェールが流れているものの、上弦の月が天頂から西にやや傾きつつ輝いていたので、あわててP950くんを三脚にセットして、手押しシャッターながら数枚のズーム写真をとった。確認して見ると「月面X」がはっきりと浮き出ていた。新年初めての吉祥である。①能登半島震災②日航機と海保機の衝突炎上③まっちゃんらお笑い芸人と吉本興業の組織ぐるみ性加害報道④自民犯罪者党に対する東京地検の腰抜け捜査などなど、新年早々オイラにとって心晴れない日々が続いていたが、ほんのりとした幸福感が訪れた2024年1月18日の宵であった。きっとJAXA探査機は月面に降りてくれるのだろう。二番目の福音を待つ。2024年19:40ころ2024年の「月面X」さんが現れてくれたよ!

  • 月面Xの夜だが期待できないので

    今夜19時50分頃、2022年12月30日以来の好条件で「月面X」の観察ができる日だと天体観察手帳により教えられていた。お月様が上弦の時に、月にかかる太陽の光の角度によって、月のクレーターの山頂付近がX状に浮き出る時があり、年の1度あるかないかの貴重な日だ。昨年はチャンスに恵まれなかったので、晴れたらいいなと思っていたが、17時現在、空は厚い雲に覆われており、どうやら期待薄だ。今年はチャンスはもう一度だけ。3月18日の午前0時10分とのこと。酔って寝てるかも。ということで、2022年12月30日に買ったばかりのP950くんで撮影したファイルがあったので、もう一度Picasaで編集し、今日にブログに貼り付けて、「お月見」ならぬ「おえっくす見」といこうか。さて、この20日に日本のJAXA探査機が月面着陸予定だ...月面Xの夜だが期待できないので

  • 「冬の星座」と「星の界(よ)」を歌い分けれるか

    日本人の中高年以上のヒトたちで、唱歌「冬の星座」と「星の界(よ)」を歌い分けられるヒトがどれぐらいいるんだろう。下にふたつの歌の歌詞の一番を添付したが、「さあ、どうぞ!」といわれて歌ってみると何やら混乱しまいか。8・7・8・7・8・7・8・7という文字数による調子も、歌詞の長さも、メロディーもよく似ている。よって、歌い分けられるヒトでも、「冬の星座」の歌詞を「星の界」のメロディーで、反対に「星の界」の歌詞を「冬の星座」のメロディーで歌ってもなんら違和感もなく歌えるだろう。ちなみに、ふたつの歌とも原曲はアメリカ人の歌の替え歌であるということも似ていて、「冬の星座」はウィリアム・へイスというヒトがが1871年にポピュラーソング「愛しのモーリー」として作曲したものに堀内敬三が替え歌を作詞し、昭和22年(1947...「冬の星座」と「星の界(よ)」を歌い分けれるか

  • テント場からのほしぞら撮影

    おとついの新月の夜、21時ころにベランダに出たら雲がなくオリオンが美しく輝いていたので、久々にインターバル撮影したものを比較明合成してオリオンの軌跡を記録したいと思い、100枚撮影の設定をして部屋に入った。約20分後にカメラの回収をしたが、なぜか半分の50枚しか記録されていなかったようだ。50枚程度では下のように十分な軌跡とならないとならない。失敗の原因は、カメラの設定がJpg撮影とRAW撮影の同時撮影だったため、おのおの50枚づつ計100枚撮影された時点で、カメラの知能が100枚終了と判断したためのようだ。倍の200枚撮影設定にするか、jpg・rawのどちらか1本にするかの設定を行う必要があった。このところ星空撮影もご無沙汰、なおざりにしていたので、このような失敗したようだ。カメラの設定なんてすぐ忘れる...テント場からのほしぞら撮影

  • 美ケ原からの山岳展望に息をのむ

    2024年は、能登半島の震災からはじまった。日を追うごとに被害の実態が明かされて、地下の浅い地点に伸びる活断層を震源とした直下型地震の恐ろしさを目の当たりにした。建物や道路の被害は東日本大震災をはるかに超えるようだ。日々たゆることのない映像に気がめいて、新春の歓びを日記に連ねる手も凍ったままだ。だが、いつまでも滅入ってばかりはいられないだろう。被災地の被災者たちのたくましさに、逆に勇気づけられながら、この年を歩きだそうではないか。昨年は決して「年齢」のせいではないが、山に登ることもテントや山小屋で過ごすこともてっきり少なくなった。運動量も著しくおちて、体重はそれに呼応するように増えた。要するに体力は低下する一方だ。これではいけない。運動量を回復して体力の向上と減量、ようするに生活改善に取り組まないといけな...美ケ原からの山岳展望に息をのむ

  • ゴジラに絶望せず、早春の復活祭を待とうではないか

    正月二日の夜に放送されたNHKFMの「まろのSP日記第27集」を「らじるらじる聞き逃し」できょう午前に聴く。この番組は、N響コンサートマスターの愛称「まろ」こと篠崎史紀(しのざきふみのり)さんが、ご自身が蒐集しているなつかしSPレコードに刻まれたヴァイオリン曲などを聴かせてくれる番組で、盆正月などに不定期に流されている。クライスラーやハイフェッツなどのオイラの生まれるずっと以前に刻まれたSPレコード盤の名盤が、NHKスタジオでいちいちゼンマイをまいて、いちいち針を交換して、あのラッパがついた蓄音機により再生されるのであって、ワレワレは残念ながらその音をラジオを通して聴くわけだが、なんともノスタルジックなノイズの微かな音ととも流れるその再生音は、聴く者をはるか古き良き夢の国へ誘う。SPレコードは賢治さんの生...ゴジラに絶望せず、早春の復活祭を待とうではないか

  • 2024年のゴジラ襲来

    年が明けて、目の前に信じられない光景が続く。まずは、元日の夕刻能登半島を揺るがした巨大地震。朝市の拠点を中心とした輪島の市街地の消失についてインタビューを受けた住民の老婦は、「まるで空襲を受けた後のようだ」と茫然としていた。古い家並の多くが押しつぶされていて、それは正月の午後の親族を交えた団欒を一気に消し去ったのではないかと想像され、まだ多くの人々が取り残されているのではないかと危惧する。まだ、三日現在、被害の全容は明らかではない。能登半島の惨事があって気づいたのだが、幾本の活断層がズレたといわれるこの地質帯のどまんなかに「志賀原子力発電所」がシレッと存在していたことである。能登半島や伊豆半島はその形を見れば、地球創成以来、どんな力が加わってあのような形になったのか、素人でも分かりそうなものである。まあ、...2024年のゴジラ襲来

  • 2024年、ことしも富士を眺めてゆく

    昨年末から、下記の富士山ライブカメラを登録させていただき、おもに星空を眺めているが、ごらんのとおり昼間でも余計な障害物がなく流麗な裾野を従えた富士山が正面から眺められ、このスポットだと、富士山周辺にしては夜空が暗く星々が輝いていて、流星観測にも向いているすばらしいライブだ。山中湖の北島方面のやや標高の高い別荘地にカメラを設置したものと思われ、富士山には西から南方面の空が広がる。遠くに見えている白い山並みは、南アルプスの南部であろうか。とてもいいビューポイントと思う。掘っ立て小屋でもいいから、こんなサイトに住んで、日がな富士を眺めていたかったと人生をうらやむ。しかたなく、映像のお世話になって、テーブルのノートパソコンを開くいては、昼夜を問わず、このライブ富士を眺めさせていただいている。じつは、シリーズで歩い...2024年、ことしも富士を眺めてゆく

  • 年の瀬にヴォカリーズを聴いた海を想う

    数年前の12月の日曜日だったか。石垣島の東海岸をNHKFM「きらクラ」を聴きながら歩いているとき、あのアメリカのソプラノ歌手アンナ・モッフォが歌うラフマニノフの「ヴォカリーズ」がリクエスト曲として流された。なにものかに打ちのめされたように立ち止まって、遠い水平線を見ながら、暖かな12月の風に吹かれてこの歌を聴いた。それまであらゆる歌手や演奏でこの小曲を聴いてきたがアンナ・モッフォの歌うのが最良と思いながら、歌が終わってもMCたちの声がすぐには届いてこなかった。それほどの余韻を残した彼女の「ヴォカリーズ」だった。「この歌には海の風がよく似合う。」そういえば、「きらクラ」の後継番組「かけクラ」でも12月に入っ「ヴォカリーズ」が流されたが、キャスリーン・バトルの歌うものだったか、やはりアンナほどしっくりこなかっ...年の瀬にヴォカリーズを聴いた海を想う

  • コールドムーン・13回目の望月に凍えながら

    「コールドムーン」という言葉は、いかにも寒々しい。12月の、今年最後の満月をいうのだそうだ。正確に日27日の夜に昇ってくる月を「コールドムーン」として名残りの月を愛でるそうだ。添付のforbesJapanのHPによれば、朔望月(さくぼうげつ)すなわち月の年齢は29.5日であるから、暦によって1年で満月が12回ある年と13回ある年があり、今年2023年の「コールドムーン」は、13回目の月だ。13という数字もなにか寒々しいが、何やら得をしたような気分だ。その13回目の「コールドムーン」を愛でようと昨夜は9時頃までベランダに出てみたが、いまだ南東の空に現れなかったので、風邪気味なのと酒酔いもあって就寝。翌朝の4時過ぎに目覚めたので、震えながら外に出てみたら、西の空高く冷たい冷たい「コールドムーン」が虚空に輝いて...コールドムーン・13回目の望月に凍えながら

  • 年の瀬のモミの木の森で

    日曜日NHKFM「×(かける)クラッシック」で、ピアニスト館野泉さんの左手が奏でるシベリウスの「樅の木」が流れていた。この曲、シベリウスの作品で最もメランコリーな作品で、北欧というより日本的な愁いをたずさえた抒情曲だ。そんなメロディーを頭に巡らせながら、年の瀬の青葉の森を歩く。なかでも鈎取地区はモミの大木が多く、樹齢は二百年を優に超えているものもありそうな巨木が繁っている。冬のモミの森は、あるいは北欧のような雪を頂いた姿が似合うのだろう。当地では、先週積もった雪がすっかり消えている。広葉樹はすっかり葉を落とし、目に映るのはエバーグリーンのモミやマツたちだ。色を落とした広葉樹の木立にわずかだが、イイギリの真っ赤な実がいまだ房をたわわに垂れている。あまりおいしくないのか、カラたちはやってこないようだが、何でも...年の瀬のモミの木の森で

  • 野鳥たちの知能について

    買い物帰りに、一羽のカラスが道の真ん中にいて、向こうからやってくる車を避けようとピョンピョンと跳ねながら路肩に向かい、その場所に立ち止まって過ぎ去る車を見ているカラスくんに出会った。何をしているんだろうと見ていたら、路上に1個の黒いオニグルミの実が放置されていた。「はは~ん、またやってるな。」とすぐに状況を把握した。近所の森のカラスくんたちのこの行動は、これまでに何度か目撃している。カラスくんは、自分の力で割ることができないかたい殻をもったクルミの実をどこからかクチバシにくわえて来て、車が走ってくる路上にその実を放置し、車のタイヤの力を借りてクルミの殻を割ってもらおうとしているのだ。野鳥の知能は様々だというが、カラスは野鳥の中でもトップクラスだと言われ、ヒトにしたら7歳の子供程度だとのことであるが、はたし...野鳥たちの知能について

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