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  • 台風10号

    10日ほど前までの窓からの景色は夏でしたし、クーラーの効いた部屋からは懐かしい夏の空でしたが、窓を開けるとムーっとした熱気が入る夏でした。1週間ほど前からは、激しい嵐のような夕立が毎日のようにあって、夕から夜は少し過ごし良くなってましたし、大型の台風10号が近畿を直撃すると、天気予報は言ってました。でもその台風10号は、一向に近畿には来ず、西に寄って九州に上陸し、台風から離れた所にもたくさん雨を降らせましたが、京都はほとんど被害を受けずに過ぎ去りそうです。8月最後の夕方、熱帯低気圧に変わった台風10号はまだ近畿にいるのに夕陽が出てました。昨年9月1日に信州車山山頂テラスで転倒し恥骨骨折したことから、徐々に進行していた家内のアルツハイマー型認知症が急速に進み、老々介護生活に本格的に入った我々夫婦ですが、丁度...台風10号

  • 74.玉天

    もう40年ぐらい前、夏の終わりの信州家族旅行の帰りに寄った富山で、なんか大きな盆踊りの終わった感じの町を通り過ぎたことが有りました。そこがおわら風の盆で近年とみに有名になった富山市八尾町(ヤツオマチ)でしたが、当時は全く知りませんでした。その八尾東町にあるおわら玉天本舗の「玉天」(タマテン)です。新鮮卵白を泡立て、そこに寒天と砂糖の加熱した液体を混ぜ込み、固めた後、表面に卵黄を塗って焼き上げたお菓子です。メレンゲを焼いたようなものですかね、1個140円ぐらい。歯ごたえなく音もなく食べられます。少々甘いので、砂糖もミルクも入れないコーヒーか紅茶でいけます。74.玉天

  • 73.笹屋伊織の「どら焼き」

    1716(享保元年)年(徳川吉宗が8代将軍に就任した年です)創業の笹屋伊織の「どら焼き」。皆さまが知ってるドラえもんの好物「どら焼き」は、その形がお寺の銅鑼の形に似てるので、そう名付けられたようです。しかし、笹屋伊織の「どら焼き」は、熱した銅鑼の上で焼かれたので、そう名付けられました。江戸時代末期に、京都東寺のお坊さんから、副食になるような菓子を作って欲しいとの依頼を受け、お寺でも作れるように、銅鑼の上で焼くことを思いついたようです。薄皮を銅鑼の上で焼き、棒状にしたこし餡を乗せて、くるくる巻いて竹の皮で包みますので、和風ミルフュールと言う感じです。その美味たる品は町中の噂になり、忙しくなったために、東寺弘法大師の命日である毎月21日だけ販売したそうです。以後もその製法は変えてませんが、販売期間はイオンのよ...73.笹屋伊織の「どら焼き」

  • 志賀山越9.

    北白川通と斜めに交差した志賀越道は、以前山中越がよく混んでいた時には通り抜けていましたが、今はほとんど通ったことが無い道でしたので、この途中にこんな天神宮神社が有るのは知りませんでした。北白川天神宮(キタシラカワテンシングウ)は道真を祀る天満宮ではなくて、飛鳥時代から少彦名命(スクナヒコノミコト)を祭神として、縄文時代から集落が営まれていた地域に根ざした神社のようです。白川は石と花の里で、男は石工でその技術を1894(明治27)年に架橋された、この萬生橋に残し、女は白川女(シラカワメ)として、代々受け継いだ地域に花を届けていたそうです。そしてなんと、車で再々通っていた道の向こう側に、宮内庁治定陵墓を見つけてしまいました。智成親王(サトナリシンノウ)(1856~1872)は全く知らない親王で、私の天皇陵巡...志賀山越9.

  • 後悔先に立たず

    婿と手続きに行ったあと、近くのマールブランシュでモンブランかき氷を食べました。世間では義父と婿なら、バーのカウンターか居酒屋で酒を酌み交わすのが普通ですが、二人共アルコールより甘いもの好きなので、女性的なケーキ屋さんの喫茶室でかき氷です。日光から取り寄せた自然の氷は、我が家でのかき氷とは違い、氷とは思えない軽さで、崩れてきません。途中からは2種類のシロップをかけて、中に何か果物とプリンも入っていました。二人とも完食、二人で3080円、カメラ持って行ってないので、婿の携帯でパチリ。家内の見守りで留守番してもらい、感心にもその間にトイレや排水溝の掃除もしてくれていた娘に、お土産と一瞬思いましたが、モンブランは700円なので、やめました。この判断が間違い、お土産なしで帰ったら、やっぱり怒られたので、今後何日間は...後悔先に立たず

  • 昔取った杵柄

    この暑さのせいかどうかわかりませんが、また家内の食事量が落ちてきて、不穏になる頻度も増えてきてます。いつも食べてくれていたスクランブルエッグも食べません、それならと久しぶりにゆで玉子を作りました、昔取った杵柄と言うほどの昔でもないですが、2個とも完璧に剥けました。ですが半分しか食べませんでした。昨秋の状態に戻った感じ、なんか気が滅入ります。諦めは良いほうで、努力もしない方ですが、暑い夏が終わったら元気になってくれればよいのですが。昔取った杵柄

  • 送り火2024

    今年も送り火の日が巡ってきました。前日の15日、暑いなか火床の準備が始まっていました。8月16日送り火当日、関東に近づいてる台風の影響か、午前中は風もあって曇り空でしたが、火床の準備は終了。1年に1日だけ、私の家は送り火の「妙」の特等席になります。隣の教習所に集まってきた一般大衆を眼下に見下ろしながら?、部屋の電気も消して点火を待ちますが、今年は上手に点火しました。点火が遅れたり、火床の勢いが悪かったりすると、火床を受け持ってた家は怒られるそうですが、今年はどこの家も怒られないでしょうね。「妙」以外に我が家の窓からは、遠くにですが「船形」も見えます。孫Ⅲ-1と、テレビ中継の「船形」と実際の「船形」を見比べています。送り火の日が消えたら、秋が始まるはずですが、消えた後テレビをつけたら阪神負けてましたので、阪...送り火2024

  • 志賀山越8.

    最初の頃に揚げた地図ですが、志賀山越は荒神口から斜めに、当時は何もさえぎるものはなかったので真っ直ぐに、山越えの入り口まで作られた道であることがよく解りますね。私が車で志賀山越(山中越)を行く時は、白川通から御蔭通(高野川に架かる御蔭橋(ミカゲバシ)からずっと延びてる道)へ左折して、市バス③系統の終点北白川仕伏町(シブセチョウ)に行きますが、この白川通も年末の高校駅伝や女子駅伝のテレビ中継で、京都以外の人にも馴染みのある通りになってると思います。その北白川別当町の交差点に、私の大学時代からある懐かしの喫茶店ジュネスもう50年以上行ってないですが、まだやってました。北白川仕伏町にはバプテスト病院が有ります。初孫の孫Ⅱ-1は、産まれてすぐに産院からここの小児集中治療室に入り、島から駆け付けた私の最初の孫...志賀山越8.

  • 志賀山越7.

    道端にあった地図の青矢印に沿って、左端の子安観世音から志賀越道を進みます。すぐに疏水分線(白川疏水)を跨ぎました。哲学の道沿いから銀閣寺で西へ折れた疏水分線は、高度を保ちながら不思議にも南から北へと流れて、松ヶ崎浄水場まで行ってます。志賀越道と疏水分線が交差する位置には、こんなトーチカのようなセメント造りの円柱の建物が有って、疎水と関係ありそうですが、何の説明文も有りませんでした。このすぐ北には京大農学部グランドが有って、大学入学早々のほぼ素人の私も、このグランドでデビューしてますし、その冬には雨の中独走の初トライもした、想い出の地です。志賀越道から一筋北に京大人文科学研究所のスペイン風の目立つ建物が有ります。東畑謙三というまあ名のある人の設計だそうです。この辺りは、私が尊敬してたぐらいの大学の友人が下宿...志賀山越7.

  • 志賀山越6.

    またまた「京へと続く街道あるき」から無断借用のですが。京都大学の塀に沿って吉田山との間を直角に進むと、京大構内によって分断された志賀越道(シガゴエミチ)に又出会えることがよく解りますね。吉田山にある吉田神社は859年創建で、一時は藤原氏の守り神として全盛を誇っていましたが、今は何となく節分の日だけ有名になる神社のイメージが有ります。吉田神社のある吉田山は、船岡山・双ヶ丘(ナラビガオカ)と並んで、平安京造営にあたって基準になったと思われる、京都盆地の中にある山と言うか丘ですし、吉田神社の北の裏参道近くに立つ石柱にも、この山の周囲にある天皇陵の名が有りました。斜めの志賀越道が今出川通と交差する手前に、結構立派な大日如来石像が有りました。その軒先に立つ北白川西町道標、1849(嘉永2)年建立東吉田社銀閣...志賀山越6.

  • 72.笹だんご

    家内の友人から、新潟土産を貰いました。「笹だんご」、てっきり「坊ちゃん」に出てくるので有名だと思いましたが、それは「笹飴」でした餡を中に入れたもち米と上新粉の餅を、笹の葉に包んでイグサで結び、蒸してあります。旧暦の端午の節句に、無病息災を祈ったり、田植えを終えたお祓いを兼ねて食べた、ハレの日の餅菓子で、粒餡の代わりに、レンコン・人参・小松菜などお惣菜を入れることもあるようです。1個200円と、手間がかかりそうなのに安いです。貰ったのは、1931(昭和6)年創業で、一番有名だと思われるこの田中屋本店の「笹だんご」です。この店のマスコットはこの「あかねちゃん」らしいです。そもそも「笹だんご」が新潟土産の菓子として有名になったのは、1964(昭和39)年の新潟国体開催の時のようですので、「坊ちゃん」は関係なかっ...72.笹だんご

  • 71.若あゆ

    中学高校同級生の友達は、自分の町内の放下鉾のちまきと若あゆを、律儀にも毎年くれます。島に行ってる間も、京都が恋しいだろうと、わざわざ送ってくれた時もありました。今年は麻雀の時に貰いました。(また役満もして勝ってしまいました)創業1855(明治18)年の大極殿本舗は、長崎にカステラ修行に行き、京都にカステラを流行らせた店と言われてます。カステラ生地で求肥の餅をつつみ、桂川で泳ぐ若鮎の形を模したそうで、飽きが来ない私好みの美味しい和菓子です。友人から貰ったばかりですので、価格ははっきり書けませんが、納得のいく価格のお値打ちのお菓子です。また来年もよろしくね!昨日は突然の夕立5分ほどで、また暑くなりましたが、今日は降るぞ降るぞと思ううちに降ってきて、ブログ書いてる間も降り続いてますので、少しは過ごしやすい夕方に...71.若あゆ

  • 志賀山越5.

    竹内康之著「京へと続く街道歩き」から又また無断借用した地図ですが、荒神口から始めて、青〇印の山中越道標にいます。東大路通と東一条通が交差する角に、南西から志賀越道が交わってきました。この東北角の京都大学の塀沿いに、志賀越道標が立ってます(写真の横断歩道の奥です)。現在の道とは45度ずれて立ってるのは、志賀越道が斜めに通てた道だったことを立証していますし、ここから道は京大構内をつき切ってたのです。左百まんへん(百万遍)右さかもと・からさき・白川(坂本・唐崎・白川)宝永6年(1709)建立、京都で3番目に古い道標らしく、鉄枠で補強もされていました。建立の頃は、富士山の宝永の大噴火に続いて、阿蘇山・浅間山・岩木山・三宅島と、噴火が日本各地で続いてた頃です。今これだけ続いたら、ちょっとビビりますよね。斜めにつき切...志賀山越5.

  • 志賀山越4.

    少し間が空くと、どこまで行ったか分からなくなる「京都へ、京都から」ですが、やや想い出話のような3回が終わった荒神口志賀山越、いよいよ本格的に地図青矢印に沿う志賀越道(シガゴエミチ)を進みます。荒神橋を渡ってすぐ、稲盛財団記念館の北西の角に、青●印の牧畜場記念碑が判りにくくありました(右の黒いほうです)。1872(明治5)年、地方公共団体が作った牧場としては第1号の官立京都牧畜場が、北海道や岩手県ではなく、こんな場所にあったのですね。と言うことは、鴨川を越えたこの辺り一帯は、明治の初め頃までは何もないだだっ広い田舎と言うか原野だったのですかね。地図青矢印の如く、ここからちょっと北上してすぐに、京都では異質な感じの斜めの道に入ります。これが昔からの道志賀越道、もう完全に洛外と言うことで、田んぼ(原野)の中...志賀山越4.

  • 4Kテレビ

    パリオリンピックが始まりましたが、テレビ欄のパリオリンピックを必ずパラリンピックと読んでしまう私です。14年ぶりの買い替えで、4Kテレビ55型を買いました。有機テレビは10万円ほど高いので諦め、展示品で安くなってますよの一言で買った、液晶の4Kテレビです。早速開会式を録画で観ましたが、録画機は4Kでないので、残念です。4Kテレビを買った理由は、NHKBSが変な番組改正で、4Kでしか観れない番組が増えたせいも有ります。本当の4Kの写り具合は、こんなもの、まあ鮮明ではありますね。撮ってる写真機の解像率は、4Kより上なのかどうか知りませんが。WOWOWばかり観てる人生なので、これぐらいの贅沢は許しています。4Kではないですが、綺麗で鮮明な画面で観ても、競馬は獲れませんね。せめて阪神は鮮明画面の元で勝ってほしいで...4Kテレビ

  • フーク命日

    本日7月26日(金)は、フークの命日です。ほっておいた台所出窓に置いてる骨壺と遺影の周りも、少し掃除しました。満1歳になってたフークは、残念ながら盲導犬の試験に合格できなかったので、落第生を育てるには適してる我が家に、2002年1月に引き取られました。1歳4ケ月ぐらいの写真ですが、その頃から右股関節はちょっと悪かったようですね。どちらかと言えば猫派であった私たちを、すっかり犬好きにしてしまったフークは、奈留島にも一緒に行ってくれて、島では島内一賢い犬のレッテルも貼ってもらい、皆様に可愛がられ、私も「犬先生」と子供から呼ばれるようになっていました。奈留島の奈留病院官舎の定位置ソファーで、いつものように丸まって全裸で眠るフークです。福江島の富江に連れて行った頃には、もうあまり車にも乗らず、官舎の庭や近くを散歩...フーク命日

  • 時の娘

    最近はWOWOWで録画した映画やラグビー・ゴルフを観るのだけが、楽しみになってる感が有ります。「ロスト・キング500年越しの運命」、500年以上も行方不明だったイングランド王リチャードⅢ世(1452~1485)(在位1483~1485)の遺骨を、歴史好きの一介の主婦が発見すると言う、実話を基にした映画です。私は世界史は全くちんぷんかんぷん(日本史で言えば頼朝と信長どっちが古いか分からないぐらい)の人間ですが、シェクスピアの「リチャードⅢ世」で兄の忘れ形見の幼い王子を殺害し、王となった醜い容姿の残忍な王として描かれたこともあってか、英国人にとっては悪人のレッテルを張られた王として有名なようです(日本でいえば明智光秀?)。私の家の階段に沿って作られた本棚は、ほぼほぼ私の35歳から55歳の間ぐらいに読んだ、海外...時の娘

  • 後祭

    祇園祭はもう終わったと思われてる方もいらっしゃると思いますが、後祭(アトマツリ)や他の神事はまだ残ってます。昨日土曜日は月2回の家内のデイの日、街道写真の取り残した撮影や麻雀のついでに、7月24日巡行の後祭の山鉾をちょっと見てきました。三条通りに何で有るのと思いましたが、2022年から巡行を再開した鷹山で、鉾建ての最中でした。私の育った家から一番近い山鉾になってたのですね今までは一番近かった北観音山も、鉾建ての真っ最中。そろそろ夏休みに入ってたのか、引き初めをしたこともあったような気がします。麻雀の時間も迫ってたので、このまだ何も飾り付けられてない浄妙山の前だけ自転車を押して足早に通り抜けました。麻雀しながら、友達に曳山(ヒキヤマ)と舁山(カキヤマ)があると教えられました。祇園祭も山鉾の再興などありました...後祭

  • 豪華?な朝食

    今日は朝からもう暑いのでクーラーをつけなければなりません。1.昨日初めてパックに入ってる生野菜のサラダを買いましたが、夕食に出し忘れたので、朝に回しました。サクランボとみかんも入ってますが生野菜ですよ。2.休日には時々家内が作ってくれたフレンチトースト、これは出来合いのフレンチトーストですが、蜂蜜はかけ足しました。3.スクランブルエッグは作りました。家内はマヨネーズとケチャップをかけます。4.朝のコーヒーはちゃんといれたてです。5.ヤクルト1000はヤクルトレディが持って来てる分で、家内はこれで薬を飲みます。野菜サラダが付くだけで、いつもより豪華そうな朝食になりました。スクランブルエッグは全部食べましたが、サラダとフレンチトーストは半分ぐらい、私の計算ですがこれでカロリーは280Kcal・タンパク質は16...豪華?な朝食

  • 70.祇園ちご餅

    本日(17日)は祇園祭の山鉾巡行、曇り空で蒸し暑いですが、これくらいの方が木村君は楽ですかね。今年の祇園祭は、何も予定がなかったので、このブログを書き上げたら巡行のテレビ中継を観るぐらいです。ブログネタに困ったら続けていた「菓子珊珊(サンサン)」山下恵光著をもじった「菓子たくさん」、70回目になりました。祇園祭にちなんで、「祇園ちご餅」です。一包み三本入り、竹の皮風の紙で包み三色の短冊で飾ってあります。三本の串に刺された可愛いお餅です、一包み540円。稚児の御位貰いの帰りに、八坂神社の門前の茶屋で、稚児が一堂に味噌だれをつけた餅をふるまい、そのちご餅が疫を除き福を招くと評判になったようです。本家若狭屋(江戸時代創業)から別れた1893(明治26)年創業の三条若狭屋のご主人が、大正初期にこのちご餅のことを知...70.祇園ちご餅

  • 志賀山越3.

    いよいよ荒神口界隈を抜けて、賀茂川に架かる荒神橋(コウジンバシ)を渡ります。向こうの山が比叡山です。(比叡山とブログでよく書くようになって、やっと比叡山と漢字で書けるようになりましたが、いつまで覚えてられるか自信ありません)橋のたもとの河原に、2本の溝は有る敷石が敷いてありました。江戸時代まで立派な橋がない頃は、こんな風に河原の土手から川の中まで、こんな車石を敷き詰めて、この石の上を重い荷車や牛車を通していたようです。荒神橋の欄干の一部にも、車石を模したのか、こんなデザインの欄干も有りました。1914(大正3)年に立派な橋になり、つい最近耐震補強して、更に丈夫な橋になってます。荒神橋の上から上流を眺めます。私の在学中と違って、立派な建物に変わった京都府立医科大学の校舎や病院が目につきますが、私はこの河...志賀山越3.

  • 志賀山越2.

    荒神口周辺は、大学・研修医・修練医の10年ほどはホームグランドでしたので、「荒神口食堂」「天狗」などの食堂や麻雀荘「しかま」(どう書いたか覚えてません)、喫茶店の「リバーバンク」「しあんくれーる」など、甘い甘いようでほぼ苦かった青春の思い出多い場所です。最近WOWOWで観た映画「ヒポクラテスたち」監督大森一樹。私より数年下ですが、入学した時には高校時代に撮って賞を貰った、パラパラページをめくる映画で有名だった大森一樹君、学内の図書館でその映画を観ました。その後は本当の監督になって、「ヒポクラテスたち」は私より5年ぐらい下の医学生達の生活する映画でしたが、荒神口など懐かしい場所が出てきていました。ゴジラなどの大手の映画も撮って活躍してましたが、数年前に死んでいたことを今回知って、驚いています。それなりに通に...志賀山越2.

  • SIXPAD

    サッカーのロナウド選手が宣伝していたSIXPAD、巻きつけてるだけであんな腹筋の体に成りたかったですが、同じSIXPADでもこれは三浦雄一郎さんや最近は加山雄三さんが宣伝する、足の筋肉を動かずにずっと座ったままで鍛えるFootFitLiteです。昨年秋に家内が退院して来た時に、リハビリに良いかなと思い、丁度バーゲンだったので横の近代的竹踏み器も付いていたので買いました。電気で筋肉がピクつくのを家内は好まないので、私がその後ずっと続けています。効果の方はもひとつ判定不能ですが、まあ最近は散歩もしてないし通勤も車なので、テレビ観る時や寝る前に、気持ちも良いしマッサージ感もあるので続けています。唯一判ったことは、これを始めてからこむら返りで足がつることが無くなったことです。こむら返りがよく起こる人には、少し高い...SIXPAD

  • 帽子をかぶって

    家から地下鉄一駅の北山駅までは、家内との植物園散歩で乗りましたが、最近は通勤も車なので、本格的に京都市営地下鉄に乗ったのは8ヶ月ぶりぐらいです。マスクの人は1割ぐらい、エスカレーターで歩く人も見なくなりましたが、久しぶりの乗車にICOCA使用も緊張します。向かいの窓に映る帽子姿の自分をパシャリ。家内が月に2回の土曜日デイに行ってくれるので、地下鉄山科駅まで乗って、旧東海道を歩きます。山科駅近くの道端の道標には、大津札ノ辻まで1里半(約6㎞ですか)。家内は帽子好きですが、私は帽子をかぶる習慣が有りません(中学の制帽もほとんど被らず仕舞いでした)。この日は曇り空でしたが、日差しが差してくると、登山帽の威力がよく分かりました。確かにもう日本は、帽子か日傘が必要になる国になりましたね。とぼとぼと旧東海道を写真を撮...帽子をかぶって

  • 志賀山越1.

    続いて京の七口の一つ荒神口(コウジングチ)から滋賀県に抜ける、志賀山越(シガヤマゴエ)(私としては普段使ってる山中越(ヤマナカゴエ)の方が馴染みが有りますが)の回に移ります。地図は又、増田潔「京の古道を歩く」からの無断掲載ですが、荒神口から青矢印の経路です。写真で左右に走る河原町通りと前後の荒神口通りの交差する、ここが荒神口です。私には大学や研修医・修練医時代におなじみの交差点ですので、この辺から出発します。その前に荒神口通りを少し西に行った所にある、最近新しい校舎になった鴨沂高校(オウキコウコウ)を紹介します。1872(明治5)年に開校、1923(大正12)年に京都第1高等女学校、1948(昭和23)年京都府立鴨沂高等学校になった、私の出身京都市立堀川高校より名門です。最近は成績や人気に陰りが見え...志賀山越1.

  • 大原街道17.

    今は367号線となっている本道とクロスするようになってる旧道を、進みます。この辺りの山間の細長い集落が、八瀬童子と言われる人々の住居、本来の八瀬だと思います。八瀬(矢背)の地名の由来になってる、ちょっと疑問符の付く、第40代神武天皇の矢傷を治したと言う竃(かま)風呂の実物が有りました。まるで大きなお饅頭ですね。このかま風呂は、青木・青松葉を焚き、頃合いを見て火を引き塩水を撒いて、菰を敷いて中に入る蒸し風呂です。正面のこの小さな入り口から暗い中に入るのは(今は補強の柱が入っていますが)、小さなサウナでは時々恐怖感が出てくる閉所恐怖症の私には、入ってゆったりすることなどは無理でしょうね。前述の平八茶屋にも、これより大きく開放的なかま風呂が有り、食事した人は入れましたが、私は入りませんでした。祭神として菅原道真...大原街道17.

  • 水無月

    京都では6月30日に水無月を食べるそうですが、本日(30日)に限らず、私はその前から娘の持って来てくれた鶴屋吉信のこの水無月2個半、一気食いの贅沢をしています。4月からは、京都生協の宅配弁当を週5回頼んでいます。これで1回700~800円、ご飯は自分で1合ほど炊いて、二人で分けて食べる夕食ですので、金貯まりそうでしょ。この6月28日(金)のメインはぶりの味噌焼き、さすが京都の生協弁当、小さいですが水無月のデザートも付いていました。その日は私たちの49回目の結婚記念日でした、ドラマチックな結婚式(中途で中止)でしたが、家内は当時の事を全く覚えていないそうですし、今私と結婚してることさえ定かでないようです。Toitenlaさんからの借用で;全てを忘れた家内とと~もに老いが二人を追い越して~行く♪一人私だけが水...水無月

  • 日々変化

    久しぶりのゆで玉子です。もう完璧に殻は剥けるようになって、食べるのが惜しいぐらいで、2個とも綺麗なものですが、10個入りの卵パック、写真以上にこんなに大きさにバラつきがあるとは思っていませんでした。ただ最近、家内は目玉焼きもゆで玉子も半分ぐらいしか食べてくれないので、朝はスクランブルエッグに方針転換して、挑戦を続けています。作ってみると、意外にスクランブルエッグは時間もかからず簡単に出来ますね。最初は溶いた卵に、ミルクを入れたり塩コショウを振ったりしてましたが、もう今はバターを敷いた熱した玉子焼き器に、直接卵を落とし、箸で素早く混ぜて30秒ほどで完成。ケチャップを家内は好きなので、こうして出すと卵1個分食べてくれます。玉子焼き器も洗わずに翌朝そのまま使えますし、目玉焼きやゆで玉子より簡単ですので、家内の心...日々変化

  • つゆ その2.

    チョーコーの「えびつゆうすいろ濃縮2倍」です。家内がつゆには海老を入れると言っていたのと、チョーコーの製品にも引かれて、今回はこのめんつゆを試しました。チョーコーは長崎の会社ですし、島でも醤油などでよく聞いていた名前でしたが、長工と書くんですね、今更ながら気づきました。「うすくち」ではなく、「うすいろ」と書いてあるのが、何となく長崎っぽくて良いですね。値段は高めですが、2倍に薄めるので、前述の高千穂峡よりも実際は安くなりそうです。以前買った少し安めのそうめんは、ちょっとなじめなかったので、今回は播州そうめん🎶そうめんやっぱり揖保乃糸♪です。何でもそうかもしれませんが、そうめんは値段高いほうが美味い!!ついでに少し揖保乃糸よりは安いですが、島原そうめんも試してみました。長崎県島原は、島原の乱による人口減少後...つゆその2.

  • 大原街道16.

    八瀬の里の地図です。古くから八瀬で生活する人々八瀬童子と言い、天皇の大礼(タイレイ)・大喪(タイソウ)の時は、その輿(ミコシ)を担ぐ駕輿丁(カヨチョウ)の役を務めていて、これを誇っていたようです。大原街道は新しい道(367)とクロスするようにある旧道です。八瀬の駅前から少し北上し、大原街道沿いにあるこの石碑の道を入ると𥒎観音寺(カケカンノンジ)が有りました。「𥒎」は「坂」を意味するようです。源義朝(頼朝・義経の父です)が平治の乱で平家に追われて逃げる時に、危機を乗り切れたお礼に、崖に鏃(ヤジリ)で観音菩薩を刻みましたが、その線刻された観音菩薩は周りの岩盤が砕けて立ち入れなくなっています。その像を祀るように昭和になってできたのがこのお寺です。義朝の伝承は他にもあって、この高野川の河原には義朝が馬のまま飛...大原街道16.

  • 大原街道15.

    いよいよ?地図の八瀬に到着。八瀬の名は、壬申の乱で第40代天武天皇が背に矢を受け、この地のかま風呂に入って完治したと言うところから矢背⇒八瀬の名が付いたそうですが、これは疑問です。京福電鉄の八瀬遊園1964(昭和39)年開業は、大型プールが有って、水は冷たかったですが、何回か泳いだことは有ります。その後1983(昭和58)年にはスポーツバレー京都に変わって、私の息子達もこの水泳教室を利用したことが有りますが、深い潜水用のプールで泳ぐ我が子を見てると、なんか怖かったです。今そこはエクシブ京都八瀬離宮と言う会員制リゾートホテルになってます。叡山本線終点の八瀬比叡山口駅です。綺麗にレトロに改修されていました。丁度駅に、ユニークな外観の観光列車「ひえい」が入ってきました。櫻の頃に取材に行ってます。少し歩くと、今度...大原街道15.

  • 越前海岸

    くすぶっていても仕方ないので、一泊旅行も考えましたが、日によって家内の調子も変わるので、まずは少し遠出のドライブにと、1年近くぶりの越前海岸までドライブ。海を見てると五島列島のことも思い出すので良いかなと思いましたが、家内はあまり反応してくれなかったです。そんなことよりも先ず刺身。漁師料理なのか、切り方は粗いですが、美味い!!海老は甘い甘い味が口腔内に広がります。焼き魚定食の鯖?は、大きくても油は乗っています。鯛の頭が入ったみそ汁と、鯵の南蛮漬けだけでも充分過ぎましたが、あまり食べない南蛮漬けも美味しい!以前も食べて美味しかったイカの煮ものも頼みましたが、これがイカ好きの私には美味過ぎました。到底食べきれない量は分かってたので、持参したタッパに詰めて、その日の夜ごはんとそのまた次の日の朝ごはんになりました...越前海岸

  • 大原街道14.

    大原街道はここからは高野川右岸に沿って北上するのですが、叡電三宅八幡駅から終点の八瀬比叡山口駅までの一駅は車で1~2分です。最近でも滋賀県に行くために週に一回は車で通ってるこの道ですが、蓮華寺(レンゲジ)は素通りするだけで、全く知らなかったお寺ですので、初めて入ってみました。修学旅行生はお断りの張り紙が有りました、何かあったのですかね?まあここに修学旅行生は来ないと思いますが。洛北蓮華寺は1662(寛文2)年に、京都駅辺りにあった寺をこの地に移し再興したもので、天台宗のお寺です。この時詩仙堂で有名な石川丈山や狩野探幽、木下順庵などの当時の著名文化人が協力してるそうです。石川丈山の作と言われる、鶴石・亀石を配した池がなかなかいい感じです。参拝者も私一人だったので、ゆっくりと縁に座って、文化人のように過ご...大原街道14.

  • 大原街道13.

    地図中央の線路の叡電は、宝ヶ池駅で右への八瀬方面の叡山本線と直進する鞍馬線に分かれます。地図に青点線で示したように、高野川左岸に沿って花園橋は渡らずに叡電の下をくぐり、更に左岸に沿って進んで三宅橋を渡り、ここから右岸に沿って進むのが大原街道だと思われます。花園橋交差点に立って、今から進む東の方向を見てる写真ですが、ここまでくると比叡山は目の前です。このまま真っ直ぐ、緑色の叡電の鉄橋をくぐって進みます。しばらく行って、三宅八幡駅近くの高野川に架かる三宅橋を渡りますが、そこから三宅八幡宮の参道が始まるので、本当は鞍馬線の八幡前駅からの方が三宅八幡宮には近いです。三宅八幡宮は、遣隋使として日本史の教科書にも載ってる小野妹子が、隋から無事帰国のお礼に、小野郷と言われるこの自分の土地に建立したと言われています。子供...大原街道13.

  • 久しぶりのチーズケーキ

    月に2回だけ家内は土曜日もデイに行くようになったので、私には月に2回の休養日ですが、真面目な?私は、「京都へ、京都から」の取材のために、山科まで自転車で行ってきました。旧東海道を走ってると、懐かしいメルヘンチックな建物を山科で見て、思い出しましたよ、スイス菓子ローヌ。昔からローヌのこのマイスターチーズケーキ(350円)は有名ですし、昔はもっと安かった気がしてますが、それでもお手頃です。若い時に山科の友達の家で麻雀した時や、滋賀県方面のゴルフの帰りなどに、ご機嫌うかがいとしてお土産に買って帰ってました。20年以上ぶりのマイスターチーズケーキ、フワフワして若い時よりも年寄りには食べやすく、より美味しく感じました。イチジク好きの家内の為に、奮発してこの一番高いイチジクタルト(620円)もお土産にして、久しぶりの...久しぶりのチーズケーキ

  • つゆ

    自宅のすごく近くに開店したスーパー「ライフ」、開店前からプリベートカードも作って待ってました。開店5日を過ぎて、平日の昼の買い物客も減ってきたようなので、買い物に出かけました。いつも行く、生協やイオンや平和堂とは少し違う商品も置いてあります。結婚したてに、家内の作るうどんつゆがめちゃくちゃ美味しくて、自家製でないと食べられなくなっていたのですが、島で一人で居る時の夏の昼のそうめんは、九州宮崎のヤマエの高千穂峡のつゆを使っていました。これが甘めで、私の口にぴったりでしたが、京都に戻ってきてからは売り場で見たことが無かったのですが、ライフにはありましたので、早速買ってきました。大手のつゆより少し高目でしたね。阿波名産半田素麺ですので、茹で時間が少し短かったのか、やや硬めになりました。これも阿波名産のスダチを絞...つゆ

  • 大原街道12.

    前回の地図を再掲してます。平八茶屋の横を通って、マラソンや駅伝中継でもおなじみの、叡山電鉄を跨ぐ跨線橋を横目に見て大原街道(若狭街道)を進みますが、高野川沿いが旧道のようです。3.高野川の向こう側に見えるのが、宝ヶ池公園の一部子どもの楽園です。1949(昭和24)年~1958(昭和33)年の10年間ほどは宝ヶ池競輪場があった場所、その頃は小学生だった私のような未成年や学生は立ち入り禁止の場所でした。この跡地に、1964(昭和39)年に子どもの楽園がオープンし、逆に「大人のみの入場はお断りします」の看板が立つ場所になりました。1981(昭和56)年、私たちの子供がここをよく利用していた頃は、写真のように競輪場のスタンド席がまだ残っていて、我々は昔競輪場のバンクだった所で遊んでることになります。そして私の孫達...大原街道12.

  • 何もすることが無い

    このいつもの4連休、家内の気分があまり良くないのと、私も少し落ち込んでるので、金・土・日とどこにも行かず家にいます。ものすごく近くに「ライフ」というスーパーマーケットが開店したので、行ってみましたが、レジに並ぶ人の数を見て帰ってきました。今日は小雨と思ってたら、昼からは本格的に降り出しました。最近庭に出ることが多いので、ドクダミ・アジサイ・オオムラサキツユクサを切って、家に花を飾ってみました。写真のバックが気に入りませんが、母の日で二人の嫁から貰った生花とドライフラワーと併せて、室内は花盛りです。ドクダミもこうして飾って近くで見ると、なかなか綺麗なもので、気分も少し晴れます。お爺さんがこんなことをしだすと、ますます死期が近づきそうな気もしますが、逆に早速効果は有りました。第74回安田記念、香港馬ロマンチッ...何もすることが無い

  • 大原街道11.

    地図はやはり「京へと続く街道あるき」からの無断借用です。この地図の左端ぐらいが、今の我が家。1・2・3・4の番号順に、大原街道(若桜街道)を進みます。1.大原街道が北山通を横切る角にある双鳩堂(ソウキュウドウ)さん、島に行く前ぐらいまでは古い店構えだったのですが、最近新しく建て替えられていました。古いと言っても明治13年創業ですので、江戸時代の大原街道には無かったお店です。名物はこの「鳩もち」、これから行く三宅八幡のお使い鳩をかたどったお菓子で、以前私のブログ「菓子たくさん」でも紹介済みです。北山通を越えてすぐの三叉路の少し先に、東赤山道の道標を見つけました。明治17年建立、6丁(650ⅿ)東に行ったら、平安京の鬼門を守る、紅葉が綺麗な赤山禅院に至ります。2.先の三叉路を左にとって、再び川端通りに合流し...大原街道11.

  • 大原街道10.

    地図赤線の大原街道(若桜街道)に沿って、明治末までは無かった琵琶湖疏水支線をまたいで北上します、琵琶湖疏水支線を越えると、そこにもう賀茂波爾神社(カモハニジンジャ)(赤の宮神社)です。下鴨神社の境外摂社で、波爾は高野川がかって埴川(ハニガワ)と呼ばれていたことに由来するとも言われていますし、江戸時代には赤宮稲荷大明神と呼ばれ、稲荷社ともされていて、鳥居が朱塗りにされていたので、赤の宮と呼ばれていたこともあったようです。境内には波爾井(ハニイ)清水と呼ばれる御神水があって、今もこの湧き水は豊富な水量が有ります。さらにもう少し街道を進み、曼殊院道と交差する角に、明治25年建立の「比叡山無動寺大弁財天道六十八丁」の大きな道標が立っています。ここから曼殊院を通って雲母坂(キララザカ)を上り比叡山の上まで6...大原街道10.

  • 京都府立植物園

    本日日曜日朝、家内を誘って植物園まで一駅、地下鉄に乗って散歩に行ってきました。帰りに近くでランチする予定でした。それほど暑さもなく、休み休みゆっくり歩いてバラ園まで。バラは気持ち悪いぐらい満開、色々ありますが赤いバラと白いバラがやはり一番バラらしい。さつき展もやってました、「さつきとツツジはどう違うのですか」とおじさんに質問したら、「同じようなものですが、咲く時期が違いますし、交配していろんな色の花を咲かすのがさつきです」と答えてくれました。盆梅・盆桜・盆皐月と、同行の人はどこにでもいるんですね。花しょうぶも満開ですかね。さすが植物園、ドクダミもあちこちで群生してましたが、我が家の庭のドクダミの方が花は大きかったです。花も綺麗ですが、今の季節は新緑も気持ちいいです。家内に従って、休み休み歩き、新緑に浸るよ...京都府立植物園

  • 庭の花

    最近メール交換頻回のメール友達と言うかメール親戚の小母様と、庭の手入れや草花の話などで盛り上がっています。それで今回の私のブログはいつもとは趣の違うブログになりました。(これは花水木さんのブログではありませんよ)ドクダミがはびこってるので、それを抜き始めてますが、簡単に抜けると思って楽しんでいたら、「地下茎で増えるので追いかけっこに負けないように」と、メールで指示も貰いました。ドクダミを写真で一輪アップにすると、綺麗で凛とした花なんですがね、抜いてると手に匂いが残ります。今まではあまり庭に出ることはなかったですが、家の管理もしなくてはならなくなり、庭に出てますが、小さな庭もよくよく見てみたら、野草と言うか雑草と言うか、いやいや家内が育てた花の残りか、可愛い花が咲き乱れるほどではないですが、有りますね。結構...庭の花

  • 大原街道9.

    「そすいさんぽ」の地図を借用。左の川が賀茂川、右の川が高野川です。赤線に沿って疏水は流れています。青点線が今歩いてる大原街道、左の青線が前回の鞍馬街道になります。そして今丁度、琵琶湖疏水の疏水分線である白川疏水道の青〇印にいることになります。その青〇に立って東を向いての写真です。明治以降の大原街道は、疎水分線をまたぐことになり、疎水の水は東(画面奥)から西へ流れています。ここからもう少し西に流れた分水は、高野川の下をサイフォンの原理で越えて、松ヶ崎浄水場に琵琶湖の水を送ってましたが、現在は高野川の下を流れる水路は無くなって、直接この水は高野川に流れてしまうそうです。したがって、高野川の西にある松ヶ崎浄水場には、今は琵琶湖の水は到達してないので、琵琶湖疏水分線は今ではここで終了です。=琵琶湖疏水分線=滋賀県...大原街道9.

  • 大原街道8.

    写真の地図は、また竹内康之さんの「京へと続く街道あるき」からの無断借用です。下方の出町柳から赤→とは逆に、やや高野川から離れるように大原通に沿って北上します。1908(明治41)年に竣工した鐘ヶ淵紡績(鐘紡)京都工場の跡地が、大原通が北大路に達する前に見えてきました。赤レンガの建物の一部が残されて、公園になっています。1975年に閉鎖された工場跡は、1978(昭和53)年に、川崎清さん設計の公団東大路高野住宅として生まれ変わりました。工場があったことは知りませんが、公団が出来たのは、私たちが松ヶ崎に引っ越してきた頃なので、憶えています。今では日本に沢山の外資系ホテルが有りすぎるぐらいですが、日本初のホリデイインがこの高野川沿い✖に出来たのは、1973(昭和49)年私が働きだした年です。泊ったことは有りませ...大原街道8.

  • 徳島旅行

    8ヶ月ぶりの一泊旅行。娘夫婦と孫二人と私たち夫婦の6人で、婿さんの運転での旅です。助手席に座っていたら、たとえ高速道路でも、首を回して周囲の景色もゆっくり眺められ、天気も良かったですし、良いドライブです。鳴門の渦潮の観潮船を大鳴門橋通過の時に眺めていたら、肝心のブログ特派員としての写真撮影を忘れていたことに気づきましたが、時すでに遅し、もう四国に上陸寸前の、この小鳴門海峡に架かる撫養橋(ムヤバシ)通過の写真しかありません。徳島への旅は、家内の母親(92歳)の見舞いと言うか、家内よりしっかりしてる義母に家内を見舞ってもらう為の旅でした。一泊しての帰りは雨、大鳴門橋通過時も雨でした。明石海峡大橋通過時も雨、対岸の神戸も霞んでいました。10歳年下の義弟が、父の日に息子から贈られた「THEFIRSTSLAMDU...徳島旅行

  • 69.日向夏 鶴乃子

    今回もゆで玉子は完璧に殻が剥けました?でもこれは鶏の玉子ではなく鶴の玉子です。今回は割ってみても卵でしたが、本当は宮崎県産日向夏を使用した餡をふんわり生地で包み込んだ季節限定(5月~8月)「日向夏鶴乃子」です。明治38年創業の博多の老舗石村萬盛堂の名物お菓子鶴乃子の一つですが、爽やかな酸味と香りの夏の風味と言うことです。1個100~130円ぐらい、フワフワっとマシュマロよりも柔らかく食べられて、好きです。69.日向夏鶴乃子

  • 68.ごまたまご・チョコたまご

    最近はゆで玉子はほとんど作らず、目玉焼きばかり。それも蓋はせずに、ゆっくり弱火や余熱で目玉焼きを作ってますので、黄身は黄色いまま綺麗ですが、これで黄身はほぼまだ液体ですので、啜って食べてます。久しぶりにゆで玉子を作って、完璧に殻を剥いてみました??茶色いのもあるので、バレましたね。完璧に剥けたゆで玉子ではなく、黒ゴマのペーストと黒ゴマ餡をカステラ生地で包んでホワイトチョコでコーティングした「ごまたまご」と、ココアスポンジでキャラメル餡とチョコフィリンクを包み込みキャラメルの香りを添えたダークチョコで仕上げた「チョコたまご」です。舌を噛みそうな材料で出来てるややこしそうなお菓子ですが、東京の定番土産の様です。東京玉子本舗銀座たまやさんの「ごまたまご・チョコたまご」、1個170円ぐらいですかね。断面では完全に...68.ごまたまご・チョコたまご

  • ゴールデンウイークはいつもと同じ

    今年のゴールデンウイークは、3連休3日空いて4連休が世間の流れでしたが、私は毎週4連休なので、全くゴールデンウイークの恩恵は受けない年になりました、と言うか毎週がゴールデンウイークの私です。4月26日(木)、連休前の仕事場の庭の枝垂れ桜は完全に緑で、隣の柳や楓と区別がつかないようになってました。ゴールデンウイーク前半の4連休は、道の駅巡りや近所の散歩だけで済んでしまいました。写真の比叡山も緑みどり、もう山笑うの季節は過ぎてしまったことになるんですかね。いろんな道の駅では、3日とも早い昼を食べて混まない間に帰ってきましたが、草津の道の駅の「コロッケうどん」は意外と美味しかったです。後半の4連休は、娘夫婦に連れて行ってもらい、奈良の息子宅まで孫も一緒にドライブ。阪神はゴールデンウイーク中4勝3敗1引き分け2回...ゴールデンウイークはいつもと同じ

  • 大原街道7.

    ゴールデンウイークはなんということなく過ぎて行ってます。ブログはいよいよ地図青点線大原街道を行きますが、文字通り大原通を行きます。大原口から賀茂川に架かる出町橋を渡り鴨川デルタも散策した後、高野川に架かる河合橋を渡ります。川が合流する所にある橋だから河合橋か、なるほどと一人納得してましたが、近くにある下鴨神社の摂社河合神社から付けられたようでした。河合橋、大正7年(1918)に建築家武田五一設計の立派な橋です。最近拡張整備されて、京阪出町柳駅から下鴨神社へ行く観光客が歩きやすくなりました。河合橋を渡ると、京阪電車・叡山電車の出町柳駅です。高野川左岸に沿って北上するとすぐ、京都府下鴨警察署です。最初の免許更新は、まだここで出来たような気がします。御蔭橋(ミカゲバシ)の通りを右折し、すぐに左折して、何とな...大原街道7.

  • 大原街道6.

    いわゆる鴨川デルタと言われてる、賀茂川と高野川が合流して鴨川になる出町の三角州当たりの地図です。出町橋を渡りながら、手前の賀茂川と遠くに東山の大文字(如意ヶ嶽)を望みます。今年はここも人が出て集まってくるようになりました。北大路通りに架かる加茂大橋の上流に作られた飛び石です。少し上流の葵橋は、下鴨神社がある関係で、昔から仮橋などがあったそうですが、平安時代にはこの辺を渡るには、このような飛び石伝いが普通に行われてた気がします。この鴨川デルタ周辺は、葵公園と呼ばれていて、最近再整備も行われ、北側(葵橋近く)には京の名石が加茂七石として、貴船石・鞍馬石・賤機石(糸掛石)(シズハタイシ/イトカケイシ)・紅加茂石・畚下し石(フゴオロシイシ)・雲ケ畑石・八瀬真黒石(ヤセマグロイシ)と並んでいました。奥から二つ...大原街道6.

  • 大原街道5.

    出町散策最後は写真地図中央の広場ですが、真ん中に地下駐車場への出入り口が出来てるので、ほぼ道路だけの広場になっています。広場南側賀茂川べりには、江戸末期から続く「タネゲン」と言う園芸店が有ります。その横にある妙音弁財天(ミョウオウベンザイテン)、昔ここにあった伏見宮家お屋敷に祀られていたそうですので、近くには天皇陵巡りでも紹介した伏見宮家墓所も有ります。私の息子たちが幼稚園の頃は、弁財天前の金魚すくいで捕った金魚が、いつも家の水槽で泳いでいましたが、今も露店出てましたね!賀茂川沿いの北側には、私が学生時代に愛用した公衆トイレが今も残ってます。京都の公衆トイレは綺麗になりました、ここも綺麗に改修されています。少し北のコーヒーハウスマキも、同級生がこの上に下宿していたこともあって、よく行きましたが、まだ有...大原街道5.

  • 大原街道4.

    写真は河原町今出川交差点、この辺りは50年以上前の大学時代からなじんだ場所です。左に小さく映ってる輸入食品さんで、安い紅茶を買って飲んでいました。近くには美味しかった学生食堂の「なかじま」も有りました。立命館大学が引っ越して、同志社大学も地下鉄が出来て学生の動線が変わったようで、大学生は少なくなったと思います。その中で出町桝形商店街は、努力して色んなイベントも企画して頑張っておられます。2017(平成28)年出町座と言う小さな映画館も出来ていますが、残念ながら私はまだ行ったことが有りません。出町は鯖街道の起点ですので、鯖寿司を売ってるこの名も無い小さなうどん屋さんにも、最近は店の外まで並んでいる人を見るようになっています。大学時代には、この辺にあったその頃としては本格的なスパゲティの店、同志社女子大の女の...大原街道4.

  • 大原街道3.

    もう一度出町付近の同じ地図です。青線を引いたのが出雲路幸神社です。日本最古の縁結びの神として神代の時代に始まり、平安京創建時には、第50代桓武天皇により東北の鬼門除け守護神として出雲路道祖神として造営され、江戸時代に幸神社(サイノカミノヤシロ)と改められた小さな社です。青線を引いたもう一つは本山本満寺、その境内の桜は外国人のSNSで有名になったそうで、8年前私が島から帰って出町の診療所で働きだした時にはもう有名で、この写真の桜が満開の時には、観光客で一杯になってました。本満寺の墓地には、何故か山中鹿之助の墓があることも以前紹介したと思います。地図の青▲は改進亭総本店、昔から猪肉を売ってることで有名な店ですが、私は買ったことはないと思います。青■はマツモト模型店、知る人ぞ知る有名鉄道模型店です。ウインドウに...大原街道3.

  • 大原街道2.

    パソコン画面から写し取った出町の地図ですが、寺町今出川角の大原口道標から少し西、青〇印の細く狭く車も人もあまり通らない道にあるマンホールの蓋から、出町散策を始めます。(年五正大)と(水下)と右から書いてあるマンホールの蓋です。京都最古のマンホールの蓋のようですが、あまり車や人に踏まれない道にあった為か、100年以上経ってるのに表面があまり摩耗せず生きています。調べてみると、明治27年(1894年)に始まった京都の下水道事業計画も、実際始まったのは昭和9年(1934年)からのようですので、マンホールが大正5年(1946年)には無かった気がするのですが。誰かがシャレでこんな蓋を作って埋め込んだにしては、手が込み過ぎてる感は有りますが、100年以上この場所にあったのかは、やや疑問でも有ります。最近明治生まれの最...大原街道2.

  • 大原街道

    鞍馬口からの鞍馬街道も終わり、次の「京都へ、京都から」は、お土居に囲まれたこの地図に青線で囲んだ大原口からの大原街道(若狭街道)、通称鯖街道です。写真は、パソコンで取り込んだ地図を保存できず、カメラで直接パソコン画面を撮影した出町周辺の地図です(右の高野川と左の賀茂川がここで合流して一応鴨川になってます)。大原口がどこかと言えば、地図青〇の寺町今出川に大きな石柱が有りますので、まあここですかね。寺町今出川の東北角にある大原口道標です。1868(慶応4)年幕末に、地元民19名によって立てられたそうです。結構大きな道標で、東西南北4面に22か所の目的地名と距離が刻まれています。北はくらま、西は内裏・御室など。東は、下がも・吉田・真如堂・比叡山・黒谷、坂本城なんて何故か滋賀県まで載せてます。お土居に囲まれていた...大原街道

  • 春は早くも終わり

    この2週間でほぼ桜は終わりと同じくして、春も終わって夏になったような暖かさと言うか暑いです。何とか地下鉄一駅だけ乗って植物園まで散歩出来ました。植物園の桜も写真の辺り以外はほぼ終わってました。むしろ新緑の季節です!緑色の世界も始まりました。そして五月でもないのに、チューリップも満開でした。今年初の氷は、孫たちと皆で行った歩いて三分のくら寿司のデザートです。ケーキもあるし、ラーメンも有りました。やや暑苦しい我が家の桜は、他が散り始めた今になってやっと満開ですが、よけい暑苦しいか。弥生三月から、夘月がなく皐月五月に入ってしまったような、今年にふさわしい皐月賞。私が産まれた1948年から牝馬が勝ってない皐月賞、76年ぶりの牝馬勝ちの期待で一番人気のレガレイラから流して、やっぱり惨敗。世間の春は終わったのに、私の...春は早くも終わり

  • 目玉焼きを極める

    ゆで玉子の皮むきはもう完全にマスターしたと言うか、5分ぐつぐつさせた後に蓋をしてそのまま置いておくと、剥きやすいゆで玉子になることも分かり、極めましたよね。次に挑戦してる目玉焼き、色々教えてもらい、水を入れ蓋をして焼くと、黄身が固まった目玉焼きが出来ることは分かりました。しかしこの目玉焼きはどうも見栄えが悪く、白内障を通り越して死んだような目玉焼きになるので、気に入りません。黄身も確かにこのように固まっていて、食べやすいことは食べやすいのですが、黄身が固まった目玉焼きは私の好みで無いことも知りました。蓋をせず、水も入れずに焼いてみると、私好みの、生き生きした綺麗な目玉焼きが出来ました。裏側がこのようにやや焦げるのが難なのか、これもパリッとして美味しいのか。しかしこれぐらいでは、底は焦げてるのに、黄身は全く...目玉焼きを極める

  • もう散りだしました

    7日(日)は良い天気なので、高島から朽木を回って、車窓から満開の桜を楽しみました。朽木の道の駅の裏手の土手の桜を楽しんだ後、発酵食品がメインの店でランチ。もう5年ぐらいたってる店ですが、内装は新品の様で、スタッフの女性も慣れてない感じのままです。私の桜花賞は散りました。8日(月)の夕方は雨も上がり、家内と初めて宝ヶ池球技場1周散歩に挑戦、1km弱を桜を見ながら休み休み歩けました。公園の桜はちょうどまさに満開。夕方、曇天の下の満開ソメイヨシノはなんかぞっとするような美しさが有りますね。桜の下に死体が埋まってると言う話が納得できますし、なんか狂気を産みそうな感じがしますね。これでもかと言うぐらい満開です。桜の木は何でこんなにたくさん花をつけるのですかね?受粉することが短時間で出来るのですかね?鳥は寄ってくる気...もう散りだしました

  • 鞍馬街道22.

    写真の地図は昭和13年作の地図ですが、今回はこの青線に沿って、鞍馬街道を小町寺まで進みます。京都ゴルフ倶楽部上賀茂コースは、ちょうど私が産まれた1948(昭和23)年に出来たそうですので、前出の地図には当然ありませんが、上賀茂神社から続いてこのゴルフ場を͡チラチラ見ながら進みます。ゴルフ場に接して京都産業大学が見えてきました。こちらは1965(昭和40)年創設で、私が大学入学する2年前ですので、その時の我がラグビー部は京産大に勝ったと、先輩から聞かされていました。今対戦したら死人が出るでしょうね。原峠を越えるともう二軒茶屋です。ここで写真右からの道、鞍馬街道の東街道と合流したので、写真内のバスのように、更に鞍馬街道を北上します。二軒茶屋から緩やかな登り篠坂の途中右手に有るのは、如意山補陀落寺、俗称小町寺で...鞍馬街道22.

  • ほぼ満開

    4月からもう一日増えて、土曜日にも時々家内はデイに行けるようになりました。それでできた半年ぶりの半日の自由時間、早速ブログの「京都へ、京都から」の取材撮影で八瀬まで電動自転車で出かけました。叡電八瀬駅のホームに、丁度観光列車「ひえい」が入ってきたので、桜と共に撮影したつもりです。比叡山へのケーブル八瀬駅の奥にも、今年私が観た櫻で一番豪華に咲き誇っていた場所が有りました。自転車なのでいつも車で走る道以外の旧道を走れます。昔は旧道の離合も難しく渋滞する道だった大原・八瀬方面、その昔に新車でデートする同級生に付き合いましたが、もたもたしてたので彼女に振られるかと心配しましたが、今も夫婦でいます。そう言えば、昔は他人のデートによく付き合いました。友人程かっこよくない私に、獲られる心配はないと思っていた友人ばかりだ...ほぼ満開

  • 満開までもう少し

    昨年は3月にはもう満開だった診療所庭の枝垂れ桜、隣の柳の緑と対比して綺麗なのですが、今年はまだ満開前。勤務してる老人ホーム玄関のソメイヨシノも、まだ上の方はちらほら咲き、少し今日は花冷えなので、丁度来週に来る頃には満開に間に合うか、もう散り始めているか。撮影モードが魚眼レンズになっていたのか?、偶然とはいえこれもなかなか良いでしょう。鴨川に沿っての川端通りを通勤で走ってますが、帰りはやはり渋滞ですので、車窓から花見が出来ます。出町周辺も人が出てますので、何となく渋滞。この辺は日本人が多かったです。家に帰って、家内がデイから帰るまでに自転車で生協まで買い物途中の松ヶ崎疏水の桜は、2日前とあまり変わらず、まだまだ満開ではなかったです。やっぱり今週末が、京都の花見は満開でしょうね。満開までもう少し

  • あっという間の桜かな

    先週末は全く桜が無かった京都、火曜日には通勤の鴨川べりの桜も咲き始め、着物姿の外国人観光客が群がって写真を撮っているのを、渋滞の車内から眺めながら帰りました。外国人にも、着物が似合う人と似合わない人がいますね。先週末に見舞いに来てくれた弟夫婦が散歩に出た時は、全く咲いてないと言ってた松ヶ崎疏水の桜、3日経って満開近いのも有りました。デイから帰った家内が散歩すると言うので、近所を少し歩きましたが、毎年満開になる近所の木蓮?もほぼ満開でした。昨日は雨が降って少し気温も下がったので、今週末が最高の花見日和か。あっという間の桜かな

  • 櫻はまだまだ

    先週末徳島から家内の弟夫婦が見舞いに来てくれました。丁度暖かくなったところでしたが、残念ながら京都の桜はまだつぼみ固し。と言って、北の方琵琶湖の海津大崎まで4人でドライブしましたが、もちろん桜も咲いていず、でも人は全く出てないので蕾見・枝見をゆっくり楽しめました。4000本の桜並木の奥琵琶湖ドライブウエイのつづら折れをドライブも、咲いてた桜は4千分の1本だけでした。写真は展望台からの長浜方向ですが、桜は咲いてなかっても黄砂は沢山。中森明菜のように細かった義理の妹も、40年で家内と体型は逆転したぐらい。帰りの道の駅で、河津櫻なのか満開は過ぎていますが、まだ桜の花を見れました。今日で暖かい日5日連続ですので、今週末は桜満開でしょう。櫻はまだまだ

  • 鞍馬街道21.

    「京の古道を歩く」増田潔著から又地図を無断借用してますが、私の作る地図より簡潔で分かりやすいので、何回でも使いたいです。増田潔さんすみません。今回は鞍馬街道の西街道を御園橋の青〇印から上賀茂神社のふちに沿って進みます。賀茂川の右岸(西岸)の堤防上を走る、河原町通りの延長である加茂街道を横切って、最近新しく広くなった写真の御園橋(ミソノバシ)を渡ると、上賀茂神社の鳥居も見えてきます。御園橋が常設されたのは江戸時代のようですので、それまでは仮橋か川床を歩いて渡らなければならなかったようです。いずれにしてもどの道を通るにしても、賀茂川が増水してる時は、京から出たり入ったりするのは制限されたようですね。上賀茂神社の前も、バスロータリーが拡張されたりして、だだっ広くなってました。その上賀茂神社の前には二軒のやき餅...鞍馬街道21.

  • この1週間

    先週は冬が逆戻りで、木曜日の朝は積雪まで少しあった京都です。お彼岸も天気は悪かったですが、近所のママ友が自家製のぼた餅を持って来てくれました。家内も1階まで降りてきて、挨拶出来ました。甘さ控えめで、米粒もしっかり残ってて、懐かしい味のぼた餅でした。今年の冬は寒くなかったと思ってましたが、最後が寒さと長雨。櫻もびっくりしたのか、開花が少し遅れてるようですが、娘の持ってきた花見団子はもう食べました。メール交換してる親戚から教わった、リンゴを薄く切ってラップして、レンジで3.5分で出来ました。リンゴの皮は家内が剥けるようになってます。リンゴの量はかなり減ってしまった印象ですが、蜜も出てきて美味しく、あっという間に1個無くなりましたので、又わけありりんごを買ってきてます。久しぶりにゆで玉子が完璧に剥けました。写真...この1週間

  • 鞍馬街道20.

    写真の地図は私が産まれる10年前、昭和13年作京都都市計画書2万5千分の1(だいぶ前に寺町の古書店で1995円で買ってますので、たぶん再発行のまがい物?)です。今回は✖から✖まで、大徳寺通り(旧大宮通り)を大徳寺から上賀茂神社まで、鞍馬街道の西街道を行きます。85年前の京都の北部は、ほぼ田畑だったんですね。左に大徳寺を見ながら北上し、その大徳寺が終わるとすぐの左手に、小さいですがよく整備された総神社(ソウジンジャ)が有りました。この辺りの森が「菅宿の森(常盤の森)」と呼ばれてるのは、菅原道真が筑紫に流される時、当社巫女をしてた叔母を訪れて別離の時を過ごし、一宿されたからだそうです。また、源義朝の別邸があって、常盤御前との子牛若丸(義経)をここで産んだとも言われています。更に大徳寺通り(旧大宮通り)を北...鞍馬街道20.

  • 続目玉焼き

    人からの忠告は比較的素直に聞く方なので、目玉焼き作り、水入れて蓋しての方法でやってみました。やや白身はふやけた様な感じに焼けて、カリカリ感不足。黄身はメールで指摘されたように白内障のようになったのも有りましたが、下の卵の黄身は丁度良い色。ただしナイフで切ってみたら、両目ともにまだ黄身は液体でした。年とって、だいぶ待てる性格になってきたつもりですが、まだ待てなかったのか、それとも火が弱かったのか、玉子焼き器の四角いフライパンがダメなのか、蓋が合わないので蒸気が密閉されなかったのか。余熱も使って、完璧だと思っていたが、期待外れでしたので、またまた挑戦してみます。暑くなって目玉焼きに向かない季節になった頃に、黄身が半熟の完成品をお見せします。でも醤油かけて啜るように食べたら美味しいですよ!あんなあ~(関西弁で)...続目玉焼き

  • 目玉焼き

    卵料理?シリーズでは、コメントやメールでいろんな助言を貰いましたが、「目玉焼きはどうですか?」と言われ、目玉焼きが有ったのだ!と、目から鱗。早速挑戦しましたが、なかなか黄身にまで火が回らない感じ。待っていると永遠の時間が過ぎていくようですが、黄身は固まりませんし、底が焦げてしまっていないか心配なので皿に移しました。裏向けると裏はもう焦げています。また元に戻しましたが、まあ黄身はつぶれないので、これで良いのですかね?伊丹十三の目玉焼きの正しい食べ方に準じて、啜るように食べました。意外と黄身はちょうどいいくらいに固まっていました。ちなみに、私は目玉焼きも醤油です。2回目の挑戦は両目の目玉焼きにしましたが、やはり黄身は固まりません。そもそも慌てて卵を割ったので、片目は割れてしまってます。蓋をして焼く方法もあるそ...目玉焼き

  • 鞍馬街道19.

    この地図はもう京都市電は無くなって、京都市営地下鉄烏丸線は北山まで開通してますが、東西線はまだ出来ていない、1990年代始めの頃の実際私が使っていた物です。今回は鞍馬口通りから北に直角に曲がって青線を大徳寺まで進みました。前回は玄武神社に寄りましたが、青線のように直角に曲がって北上するのか、玄武神社に寄る道の方が正しい西街道なのか判りません。まあ写真の左から右に旧大宮通りを北上してると、左手に曲がる道に船岡山に至る建勲神社(ケンクンジンジャ)の大きな石柱が有りました。建勲神社は正式には「たけいさお神社」と読むそうですが、信長公を祀る明治以降に出来た神社ですので、それまでに鞍馬街道を歩いた人は知らない神社です。私もここは昔殺人事件があった場所との記憶があるので、寄り道せずに進みました。旧大宮通りと北大路...鞍馬街道19.

  • 敦賀まで

    昨日2024年3月16日(土)に、北陸新幹線が敦賀まで延伸開業しました。ぼんやり写ってる老夫婦も、敦賀までドライブできるまでに回復して、新幹線延伸開業より一日早く敦賀まで行ってきました。と言っても、敦賀市内は通過しただけ。半年ぶりの敦賀ですが、づっと工事中を見てきた敦賀駅も完成してるようで、カーブを曲がりながら車窓から何とか撮った写真に、わずかに写ってました。実際の目的地は小浜の三方五湖。この日はすっかり春でした。見たかったのは三方五湖周囲の梅林、でももう終わってるのですかね、花はあまりありませんでした。真の目的はこの鰻です。三方五湖周囲は鰻が有名で店も多いですが、以前道の駅の職員に勧められた単なる食堂のようなこの店、気に入ってリピーターになってます。味が甘めなのが私の気に入ったのか、肝が沢山付いているの...敦賀まで

  • スクランブルエッグ

    と言うことで、人生初のスクランブルエッグに挑戦してみました。検索で最初に出てきたレシピを読んで、思い出しながら、油をひいて・フライパンを温めて・塩コショウした卵2個を手早くかき混ぜて・バターがジュウジュウ言う前に上からゆっくり溶き卵を入れて・20秒待ってかき混ぜる、と出来上がりました。混ぜると玉子が固まってきた時は、久しぶりの快~感!でも牛乳を入れ過ぎた感あります、やや白っぽいスクランブルエッグです。あまり味が有りません、パンに乗せてケチャップかけてまあまあです。急にAだったかUだったかMだったかNだったか、LかLLだったかEggかEggsか気になりました。ScraⅿbledEggsでしたが、また次も忘れて迷うでしょうね。どうも英語のスペルは苦手です、AかUか・Nで終わるかNEで終わるのか、どっちでも取れ...スクランブルエッグ

  • ゆで玉子と冬はそろそろ卒業

    私の料理に欠かせないし(と言ってもうどんやラーメンやカレーにトッピングするだけですが)、妻のカロリー摂取を補填するためにも必要なゆで玉子、久しぶりに綺麗に殻が剝けました。ゆで玉子の殻剝きは、少し固めに茹でて、丁寧に丁寧に剝くのがコツだと分ってきましたが、綺麗に剝けても剝けなくても、食べたら同じと言えばそれまでです。ゆで玉子の白から思いついたわけでもないですが、北の方が久しぶりに雪だと言うので、北を目指してドライブ開始。大原を抜けて、途中峠の辺りから雪景色。車窓からだけですが、これくらいの雪景色もおつなものです。湖西道路に入って、北を目指していたのですが、志賀インターで事故なのか積雪なのか、車は下の道に降ろされましたので、北へ行くのは断念しUターン。堅田の平和堂内の喫茶店で、玉子サンドやケーキを食べて終了。...ゆで玉子と冬はそろそろ卒業

  • 鞍馬街道18.

    またまた増田潔さんの地図を無断借用して使ってます、すみません。鞍馬街道は地図下側の赤い丸印の清蔵口から始めて、青線の東街道を17回に分けて進みました。今回は赤線で描いた西街道を、二軒茶屋で東街道と合流するまで進むことにします。西街道は、上賀茂神社に寄りたい人や、京都の西側に住む人にとっては、便利な鞍馬街道になっています。堀川通りと鞍馬口通りが交わる所に、元々川であった紫明通りが斜めに合流してくる交差点、この南東部が清蔵口と言われていた所なので、ここから出発です。ここに淡交社のビルが有りますが、淡交社は茶道や美術の本などを中心に発行してる、京都の出版社です。この堀川通りを少し上がった所に、小野篁(オノノタカムラ)と今を時めく紫式部の墓が並んであります。思わず見過ごしてしまう、何気ない小野篁卿墓と紫式部墓所の...鞍馬街道18.

  • ミスターチクワ

    家内の体調さえ許せば、たくさんある休日を家で負ける競馬ばかりに費やさず、外出したくなる私です。滋賀県のイオンモールまで、二人でドライブです。でも何も買わず、少しだけモール内で歩行訓練して、フードコートから琵琶湖の向こうに見える比叡山を眺めますが、もう雪は全くありません。フードコートで買って食べたのはドーナツとコーヒー、昔からミスタードーナツは好きです。しかしドーナツ小さくなりましたし、100円では買えなくなりました。小さいドーナツで思い出しました。もっと小さい竹輪を、バタートーストに置いて食べています、ミスターチクワです。おやつパンで、竹輪パンも売ってますが、これもなかなか美味しいです。ミスターチクワ

  • 小浜

    家内もドライブにはだいぶ慣れてきたので、一ヶ月に一回は行ってた小浜まで足を延ばしました。道中の山間部にも小浜にも雪は全くありませんが、雨が時々降ってきて、天気は良くありませんし、なんせ早くに家を出たので、いつも昼ごはん食べる所などの開店時間まではまだ一時間以上ありました。港の魚市場には車が停まっていましたが、市場で買った魚を調理する腕は、私にはまだありませんので、唯一朝早くから開いていたその向かいの若狭フイッシャーマンズ・ワーフに寄ります。若狭フイッシャーマンズ・ワーフのレストランもまだ開いてなかったですが、とれとれ寿司のコーナーは開いていたので、この寿司を買って、食事コーナーでお茶も貰って、二人で分けました。スーパーで買う寿司よりは少し美味しいです。ほかに客はいないので、家内も大きな女子トイレに一人で行...小浜

  • 仲宗根美樹

    昨晩は家が揺れるほどの風が吹いていましたし、もう一度冬将軍がやってくるとの予報でしたが、朝起きてみると雪は積もってなく、地面も乾いてるし、わずかに車の窓に飛ばされずに残った霜のような雪がへばりついているだけ。3月になりましたし、結局今年の冬は、京都のしばれるような寒さは数回経験しただけで終わりそうですかね。昨日の新聞に、大谷翔平さんの結婚が載ってましたが、その横に仲宗根美樹さんの死亡記事がありました。懐かしい仲宗根美樹!どうしたはったんですかねえ。少年の私が初めて近くで見た芸能人が仲宗根美樹です、4歳年上なので二十歳過ぎぐらいだったのでしょうね、あの頃の美人には入らなかったですが、白く輝いて見えました。ヒット曲「川は流れる」わくらば(病葉)~を今日もうかべ~て♬病葉なんて言葉は知りませんでした(今も)ので...仲宗根美樹

  • 67.鳩餅

    家からも近い修学院にある明治13年創業の本家双鳩堂(ソウキュウドウ)で、私もお赤飯や花見団子や苺大福を買っています。最近店は新しい二階建てになりました。三宅八幡宮の参道になってる大原街道沿いの山端(ヤマバナ)に有ります。ここの名物「鳩もち」です。三宅八幡宮は狛犬ではなく、狛鳩が飾ってあるので、参拝の時には皆がこの鳩もちを食べたそうです。写真が狛鳩です、反対側に勿論対がいます。単純に鳩の形をした柔らかい団子菓子です。白・ニッキ・抹茶の三色が有りますが、皆1個170円ぐらいです。中身は何もなく、食べても食べても餅ばかりですが、何個でも食べられる味ですし、その味は大好物です。67.鳩餅

  • 鞍馬街道17.

    またまた増田潔さんの本の地図を無断借用しています。深泥池の五叉路から左の切通道を通る鞍馬街道を圓通寺まで行って、また引き返して深泥池沿いの古い東街道を、木野から京都精華大学まで行ったので、今回は地図の円通寺バス停から左に折れた道を矢印のように行きます。この辺りは、ちょっと前までは草地や田んぼだけだったのですが、今は宅地開発されたため鞍馬街道の道がどれだったのか、判りにくくなってる感じはします。新しい住宅地の一画に栗栖野瓦窯跡(クルスノガヨウアト)の史跡がありました。この辺りは飛鳥時代から平安時代に及ぶ大規模な古窯群があり、その中でこの栗栖野瓦窯跡は、官営瓦窯群として全国に知られていたようです。平城京など奈良の町の瓦もここで焼いていたとは驚きですが、優秀なたぶん帰化人の職人がたくさん住んでいたのですかね、...鞍馬街道17.

  • 苺パフェ

    寒くなったり暖かかったりですが、今日はまた雨。昨日は久しぶりの良い天気でしたので、半年前まではほぼ毎週ぐらい行っていた、滋賀県草津のAスクエアまでドライブです。琵琶湖の東からですが、琵琶湖を挟んで西の蓬莱山には雪が薄っすらあって、何とかスキーは出来そうですね。夫婦で喫茶店に入るのもほぼ半年ぶり。2時間ほど前の朝食には、昨日の鍋の残りで作った雑炊を食べてますが、家内もこの苺サンドを三切れ食べられるようになってますし、帰った昼はきつねうどんも二人で半分ずつ食べてます。パフェも半年ぶりか?、いや家内が入院中に食べたかなあ。夢に見るほどではなかったですが、苺パフェ!最近体重が4㎏程減ってくれてるのですが、こんな生活が又出来るようになったら、元に戻りそうですね。苺パフェ

  • 鞍馬街道16.

    前回は地図赤線を進みました。今回は檜峠から続いて、地図青線に沿って分岐部からは右を選んで進みます。檜峠を越えてすぐ左に岩倉自動車教習所が有ります。昔、仕事や遊びや遊びや遊んだりで、夜遅くタクシーに乗り、「宝ヶ池教習所まで行って下さい」と言って寝てしまったら、この岩倉自動車教習所の前で起こされたことが有ります。タクシーの運転手さんにとっては、この道が心霊スポットで怖いせいもあるのか、どうも岩倉自動車教習所の方が有名なようですが、ここも最近つぶれたようで、廃墟になっていますので、第二の心霊スポットにならなければ良いですが。すぐに妙満寺にたどり着きました。1389(康応元)年に烏丸五条辺りで開創、その後応仁の乱などで幾度かの兵火にあい、1583(天正11)年に寺町二条に移され、約400年の間寺町二条の妙満寺と親...鞍馬街道16.

  • 静かなバレンタインデイ

    私がバレンタインデイを知ったのは二十歳を過ぎてからだと思います、と言うか25歳ぐらいの時に,大学同級生の友達の彼女から貰ったのが最初だったはずです。その後夫婦になった友人も彼女も、すでに鬼籍に入ってしまいました。勤めだしてからは、義理チョコ全盛時代でもあったので、看護婦さんやママ友などから個人的にも団体でも、トラック一杯ほどではないですが、自転車の駕籠には到底載らないぐらいのチョコレートを貰い、毎年何万円のホワイトデイ出費をしていた時もありました。今やバレンタインデイはそう騒ぐものではなくなって、新聞記事も少なくなり、自分にあげたりする行事になってきてますね。今年は嫁Ⅱからのチョコと、診療所看護師さんなど20人ほどの団体からの2個だけで、何とかバレンタインデイの面目を保てました。栄枯盛衰と言うわけでもあり...静かなバレンタインデイ

  • カレーとメタセコイア並木

    相変わらず同じような料理を食べてます。ルーだけのレトルトカレーに、竹輪・ゆで玉子・玉ねぎ・牛肉切り落としを炒めてトッピング。これを二人で分けて仲良く食べてます。私はカレーを食べる時は、牛乳派です。冷凍うどんをヒガシマルうどんスープでちゃんと?味付けして作ったうどん。キャベツと豚肉、そして竹輪をトッピング、突然うどんを食べると言い出した家内の要求にも、敏速に対応して作れるようにはなりました。そればかりではありません、ドライブにも積極的に参加してくれるようになった家内を乗せて、小雨の中滋賀県に行きました。今回は頑張って、100㎞以上3時間ちょっとのドライブです。この時だけ晴れてきたマキノ高原のメタセコイア並木を走って、マキノスキー場まで行きましたが、雪は全くなしで、閑古鳥が鳴いていました。行って帰っただけのド...カレーとメタセコイア並木

  • 鞍馬街道15.

    「京の古道を歩く」増田潔著の地図を、また無断掲載しています。ここで再び地図中央下の深泥池五叉路の分岐点に戻ります。前回通った40号線の(切通道)ではなく、今回はたぶんもっと古い(東街道)と書かれた、深泥池に沿って北上する鞍馬街道を進みます。出発してすぐ、1万年前の最後の氷河期からあると言う深泥池の緑の水面が見えてきました。右にある石柱には、天然記念物深泥池水生植物群集とあるように、ジュンサイで有名ですが、今はもうジュンサイ採ったら犯罪者だと思います。深泥池を右に見ながら鞍馬街道を進むのですが、すぐ近くのボートに乗れる宝ヶ池に比べて小さい池と思ってましたが、この一見陸地に見える浮島の部分や、泥のような部分を含めて、深泥池は宝ヶ池と同じくらいの大きさがあることを知りました。鞍馬街道は檜峠(ヒノキトウゲ)に向...鞍馬街道15.

  • 同窓会

    火曜・木曜しか働いてないので、全く関係ない今回の三連休ですが、高校の同窓会があったので(幼稚園から大学まで、同窓会は島にいる時でも出てきてましたので、ほぼ100%の出席率だと思います)、次男家族に留守をお願いして、四条烏丸のホテルまで、ほぼ半年ぶりぐらいの市営地下鉄に乗ってのお出かけです。ICOCAもまだ1万円ほど残ってましたし、使い方も忘れてはいませんが、ちょっと緊張して、危うく乗り越ししそうになりました。写真は会場からの烏丸通り、街に来たのも半年ぶり。今ほど難関校ではなかった頃の京都市立堀川高校、入学してもう60年、13クラス650人中71人の出席です。今まで同窓会写真は、顔を隠して掲載してましたが、もうめんどくさいのでそのまま載せました。後期高齢者になったばかりの集団ですので、肖像権等クレームをつけ...同窓会

  • ゆで玉子

    最近家内はミニカップメンを食べなくなりました。お椀に入れて湯を注いだらすぐ食べられるミニカップメンは、夜中や明け方に食べたいと言った時にでも、すぐに出来るので便利でした。飽きてしまったのか、ちゃんとした麺を作らなくてはならないので(と言っても市販の調理済み麺ですが)、今回は長崎ちゃんぽん。ベーコンと白菜と玉ねぎも入れて、もちろん竹輪は欠かせませんし、ゆで玉子を添えて、一人前を二人で食べます。竹輪は私の料理に欠かせませんが、カロリーやたんぱく質摂取を増やすために、せっせと卵をゆでてます。10分間茹でたゆで玉子1個で、熱量70Kcal・タンパク質6.6gで計算してます。味覚がやや変わってしまった家内は、これにケチャップととんかつソースとマヨネーズをかけて食べますので、もう少しカロリーも増えてくれてると思います...ゆで玉子

  • くら寿司

    自宅の目と鼻の先に「くら寿司」の新しい店が開店しました。近くても二人で行くのはまだ無理なので、娘夫婦が注文できるように、携帯にアプリを入れてくれました。便利ですね!簡単に注文できますので、家内が突然「寿司が食べたい」と行った時も、私でも指示に従って注文出来て、歩いて取りに行っても5分とかからないので、それぐらいは家内も一人で留守番出来ました。セット2人前、予約指定時間(空いてたら5分後も可能)に取りに行って、あっという間に食べられました。近所の空き地に塀が出来たんだってえ~へえ~(塀~)近所の駐車場跡にくら寿司が出来たんだってえ~くら寿司やすくなったねえ~(暮らし易く(安く)なったねえ~)くら寿司

  • お年玉当選番号発表

    2024(令和6)年用お年玉付き年賀はがきの当選発表がありました。今まで2回ほど2等が当たったことは有りますが、今年は3等だけしか当たっていません。下二けた716900の内71が2枚ありましたが、確率的には4~5枚当たる筈なので、今年も成績は悪かったです。当選番号合わせで、今年はやけに99が多かったので、もし99が当たりになっていれば、10枚ぐらい当たっていたかもと、なんかわけのわからい事を想いながら調べているのは、負け犬の遠吠え?。毎年当たりはがきを送ってもらった人には礼状を書いています。島で皆と結びつきたかったために始めた習慣かも。今年は大学時代の友人と家内の友人の2枚だけ、すぐに終わりました。今年の景品切手セットは、なんかミシン目が分からずとりにくそうな柄です。お年玉当選番号発表

  • 鞍馬街道14.

    深泥池の左上黄色線の折れ曲がった道を抜けて、幡枝切通しの峠を越えて、今回は地図青線をちょっと進むだけです。ほんのちょっと前は、ここを越えるとほぼ人家はなかった気がしてますが、宅地開発が進み、国土地理院のこの地図でもわかるように、びっしり家が建ち並んできてます。幡枝切通しの峠を降りてすぐ右に、写真の石碑を見つけました。圓通寺の何かかと思いましたが、家の前を掃いている女の人に尋ねて、これが幡枝切通碑(ハタエダキリトオシヒ)であることが解りました。近づいても文字は全く読めませんが、調べてみると;この道は幡枝切通しと呼ばれていたが、夏の湧き水、冬の凍結で、往来の人達は苦しんでいました。そこで、深泥池村の炭売り吉三郎が主導して、1685年(貞享2年)に整備された、この顛末を、圓通寺の僧性通が記した碑だそうです。元...鞍馬街道14.

  • 5ヶ月ぶりにみた滋賀県

    先週の水曜日は滋賀県湖北は大雪、名神高速道路で渋滞7時間もあったようです。写真の木曜日朝は、自宅辺には5㎝ぐらい雪が積もりましたが、家内のデイサービスの車を見送った後の重役出勤なので、道にはもう雪は有りませんでした。日曜日朝、家内がドライブしても良いよと言ってくれたので、往復1時間半ぐらいのドライブで、5ヶ月ぶりくらいに滋賀県に行きました。京都に戻ってから昨年8月まで、まあ週に1~3回は行ってた滋賀県詣で、久しぶりに八瀬から大原、途中を越えて、琵琶湖大橋まで。途中の峠や遠くの山の雪を見て、ちょっと私は満足しました。橋のたもとの道の駅で、二人で身障者トイレに入って一安心、缶コーヒーを買って、飲みながら直ぐ帰っただけでした。まあ進歩と言えば進歩です、徐々にいろんなことに挑戦して変化のある生活に戻したいです。5ヶ月ぶりにみた滋賀県

  • 鞍馬街道13.

    今回は又、「京へと続く街道歩き」竹内康之著から無断で取りだしたコース案内図の青〇、深泥池地蔵堂からスタートします。出発してすぐに、鞍馬街道左側の深泥池貴舩神社に到着です。鞍馬街道は昨年10月家内が入院中に、家内の電動自転車(写真にも写ってます)で廻りましたので、丁度秋の大祭の頃でした。鞍馬街道を通って参拝する総本宮貴船神社は、洛中からの参詣者も多かったですが、なんせ遠いので、寛文年間(1661~1673)に御分霊が行われ、鞍馬街道筋のこの場所に鎮座されたのが深泥池貴舩神社です。よく他にもある、ここに参ったら同じご利益があると言う場所です。総本宮は貴船と書きますが、ここは貴舩と遠慮したのか、船が舩になってます。この深泥池貴舩神社の境内には、火の神様を祀る秋葉神社も有りました。明治の廃仏毀釈で打ち壊されました...鞍馬街道13.

  • 鞍馬街道12.

    今日は北の方は雪のようですので、家内が元気なころなら、滋賀県に雪見に行くところですが、家で暖かく、ちょっと降ってる細雪を見ながら書くことにします。写真の地図は圓通寺拝観券の裏にあった案内地図です。今回は地図の左下にある深泥池(ミドロガイケ)横の青〇印の五叉路から、左の切通しを通る黄色い色の付いた道の方の鞍馬街道を進みます。切通しと言うからには人工の道、たぶん江戸時代に出来た新しい鞍馬街道だと思います。今回の出発点の五叉路にある愛宕灯篭ですが、その横の石柱には東松ヶ崎とあるように、ここから現在私の住む松ヶ崎までは歩いても15分ぐらいです。横側面には、右岩倉の表示も有りました。出発してすぐ、少しだけ左の道を行くと、勇身八幡宮と言うあまり聞き慣れない小さな神社がありました。「勇身」どう読むんですかね、坂上田...鞍馬街道12.

  • 第29回全国都道府県対抗男子駅伝

    先週は女子駅伝、そして今週は男子の都道府県対抗駅伝だと、競馬ばかりに集中せずにチャンネルを回したら、もう始まってた1区、眼鏡をかけた長崎の選手がトップ集団に並んでいました。去年も走ってた五島南高校の川原琉人選手。五島列島福江島の三井楽出身で、福江の街中にある五島高校ではなく、福江の確か北西の方向なのに五島南高校と言う、田舎の小さな高校の選手です。昨年も1区を走り最後力尽きて3位だったので、いったん少し下がったのでダメかと思いましたが、5㎞を過ぎてスパート、どんどん他校を引き離していきました。なんとそのまま1位でタスキ渡し、しかも区間新記録です。五島の子、以前も的野君や林君、箱根駅伝でも走った子がいますが、河原君は順天堂大学に行くそうですと、婿さんから情報も入って、来年の箱根も楽しみですので、応援します。第29回全国都道府県対抗男子駅伝

  • 竹輪の友

    老々介護も2ケ月以上たって、家事のすべてを取り仕切る身にとって、食事の献立には苦労してます。と言っても、弁当か総菜か冷凍ものか肉を焼くぐらいですが。冷凍ラーメンに竹輪・ベーコン・玉子・もやし・キャベツ・海苔をトッピングしたら、麺も隠れるまあまあ豪華な800円のラーメンになります。冷凍味噌煮込みうどんにも、玉子・キャベツ、貰いものの生シイタケ、そして私の食卓には欠かせない竹輪を入れてます。麺類だけがレパートリーではなく、肉も焼くだけでなく、冷蔵庫に残ってた創味のつゆに砂糖を加えて煮てみました。勿論キャベツ・貰った生シイタケに加えて、玉子に隠れていますが、竹馬の友ではなく竹輪の友も入れて、すき焼き風にしてみました。レトルトカレーも食べてますが、これまた同じくキャベツ・肉・福神漬け・肉と同量の竹輪をトッピング。...竹輪の友

  • 66.水まる餅

    正月伏見稲荷大社初詣のお土産として、家内のママ友から差し入れが有った水まる餅3個入りです。中には風船に入った透明のお菓子が入っています。伏見稲荷大社参道にある本家マルモチヤ(まるもち家)のお餅と言うか羊羹と言うかわらび餅と言うか、まあお菓子です。本体はカロリーゼロ、黒蜜ときな粉以外につまようじも付いていて、これで穴をあけて、つるっと水もちが出てくる仕掛けになってます。出てきたらもう真ん丸ではありません、それに黒蜜ときな粉をかけて食べますが、本体は食感だけを楽しむようです。貰いものですので美味しく食べますが、これ1個500円以上するので、なかなか買おうとは思いません。子供の時、これと同じように風船に入った羊羹が有りましたよ。割ってしまうと普通の丸い羊羹になるので、私は一気に割らずに口を開けて、ジワジワにょろ...66.水まる餅

  • 第42回全国都道府県対抗女子駅伝

    毎年冬に京都で開催される全国都道府県対抗女子駅伝、1区では漫画なのか筋書きなのか、石川県の選手がぶっちぎりで1位、写真の2区で世界レベルの兵庫の田中選手に抜かれ、最終的には40位以下でしたが、競技場の拍手を浴びてゴールしてましたね。写真の2区、テレビ画面の地図でも書いてるように、鞍馬街道起点の紫明通りを走ります。結局宮城が最終区で兵庫を追い抜き優勝しましたが、京都も最終区大大逆転劇かと思わせる場面もありましたが、まあ健闘の2位。駅伝は千本北大路で観ることにしてる娘夫婦、年末の高校駅伝では映りませんでしたが、孫Ⅲ-1には緑の、孫Ⅲ-2には黄色のジャンパーを着せて、映る気満々で臨んだ今回、復路9区でわずかに映ってるとLINEが有りました。録画を再生してみると、青〇で囲んだ部分に黄色の服の孫Ⅲ-2が辛うじて映っ...第42回全国都道府県対抗女子駅伝

  • 鞍馬街道11.

    写真は昭和13年作成の地図ですが、大正元年の地図と比べると、30年間ぐらいの間に植物園近くまで民家が迫ってきてますね。前回1を出て松ヶ崎疏水を渡って、今は真っ直ぐな下鴨中通りですが、私が生まれる10年ほど前は、ここに古墳でもあったのか、左に避けるように鞍馬街道は曲がっていたことが、この地図でよく判りますね。鞍馬街道と北山通りが交差する上の地図2に立ってます。ここから今回は出発です。京都市営地下鉄烏丸線の北山駅入り口も写ってますが、北山通りは有名な現代建築家のおしゃれなビルが並んだりして、バブル前頃は発展しそうでしたが、尻すぼみになってしまいました。北へ進むと、私の医局の先輩が開業した乳腺専門病院が見えてきますが、その先輩も開業後すぐに亡くなられ、今は看板も変わっていました。この向かいぐらいには、私の高校同...鞍馬街道11.

  • 鞍馬街道10.

    前回途中からの続きですので、地図青線の短い間を2まで進むだけです。京都府立京都学・歴彩館のすぐ北、西側に1995年完成の京都コンサートホールの立派な建物が有ります。その頃、古くなった京都会館の音響設備の悪さは、京都の人の噂になっていたので、ここの音響は素晴らしく、演奏会をここで皆さん開きたかったようですが、音響に関しては私は全く分かりません。私たちが五島列島に行ってる間、大学生だった末娘はこのコンサートホールの食堂ピストロ・ラミューズでバイトをしていたので、私たちも時々食べるだけですがお世話になりました。ピストロ・ラミューズは2016年(平成28年)閉店してしまいましたが、寺町通りで100年ほど前(大正14年)に開業した京都洋食屋の老舗スター食堂の系列でした。今もいろんな名前でスター食堂のチェーン店は有り...鞍馬街道10.

  • 鞍馬街道9.

    正月をはさんで久しぶりの再開ですが、世の中はこんなブログ書いてて良いんかいと思われるぐらい暗いですね。私は6日間の正月休みが終わり、家内も無事デイサービスに行ってくれて、初仕事もまずまず、施設の新型コロナ・インフルエンザも収束に向かっていました。今回は鞍馬街道の下鴨中通りを、北大路通り(地図1)から北山通り(地図2)まで800ⅿほど進もうと思います。(前のパソコンでは写真に上手に文字を挿入できたのですが、今のWindow10では手書きのみしか出来ません、出来るはずなので判りやすかったら教えて下さい)1.の再出発点には松ヶ崎疏水が東から流れてきて、ここから暗渠になってサイホンの原理で賀茂川の下を潜り抜け、紫明通りへと続いて行くので、少しデルタ状になっています。明治時代どう上手にサイホン原理を利用して作ったの...鞍馬街道9.

  • 我が家の正月

    2024年元旦、昨夜からの雨も小雨になって、2階窓からの初日の出は、曇り空の中にぼやーっと昇りました。人生75年で初めての、私が仕切る正月です。門松や注連飾りは省略ですが、次男が貰った葉ボタンを貰い受けて玄関前に置きました。まあ立派な葉ボタンでしょ。お雑煮は作れないので、袋に入ったぜんざいを温めました。餅は年末に10個ほど買って、YouTubeでIHでフライパンで焼く方法を調べて入れてます(写真左下)。おせちも作れないので、自分が大好きな伊達巻を買って、一点豪華主義で切って並べました(写真右下)。家内の友人が炊いて持って来てくれた煮豆は、唯一本物です(写真左上)右上に写り込まれてしまったのは、酒でもみりんでもなく、単なるお茶の綾鷹です(鷹が入ってめでたい)。写真下の箸と箸置き、私が一番苦労した、さりげない...我が家の正月

  • あけましておめでとうございます

    今年の年賀状も、昔彫った辰を利用して、4枚だけ刷ってそれをコピーして仕上げました。正月二人だけでゆっくり過ごしていますが、能登の人は大変ですね、現在の情報より明日になったらもっとひどそうな情報が入ってきそうです。あけましておめでとうございます

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