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  • 回顧

    昨日買ったばかりの、もふもふを羽織る。暖房を入れるにはまだ早いが、じっとしていると寒い。 街に出ると、いつのまにか秋服に加え、ダウンやマフラーなど冬服のアイテムが並んでいた。 冷たい空気の匂いは、実家を思い出す。冬の間、何日か雪が数㎝積もる程度での気候ではあるが、とても寒かったという印象が強い。 小学生の頃、母が妹と揃いのスウェットパンツを買ってきた。裏起毛が肌に触れ、”なんてあったかいんだろう”って感動したのをよく覚えている。 子供部屋には備え付けの洋服ダンスがあった。引き出しには、スウェットパンツはもちろん、洋服が畳んでしまわれていた。大きくなると、自身で畳んでしまうをやっていたはずだ。 …

  • 霜月

    旧暦の十二の月の名のうち、口にするのは”師走”ぐらいなものだ。その時期がやって来た。カレンダーを一枚切り離し、台所の壁に貼る。残りは一枚になった。 百均で買う定番のカレンダーは、もうとっくに店頭に並んでいた。年の瀬の気配を感じたくないのに、気が急いてしまう。年末調整やふるさと納税という言葉も耳に入ってきて、”この時期”を実感せざるを得ない。 ”やることが多い””今年中に”という言葉にいつもがんじがらめにされている。締切日があるものはともかく、それ以外のことをキャパ以上にやろうとしてしまう。結果、中途半端になるから、自分にげんなりする。毎年そんなことの繰り返しで、年の瀬は嫌いである。 私が行動し…

  • 雨の日の散歩

    腕に下げた小さなトートバックから、いい香りがする。 まだもう少し持つかなと思った雨が、出掛けようとした矢先、しとしとと降り始めた。今日は朝からどんより曇っていた。雲で覆われた空はくすんだ白い色をしていて、よくみると、グレーががった雲が所々に浮いていた。 隣の駅まで歩いた。初めて訪れた店で、先日夫が買ったものと同じものを注文した。 ここにコーヒー豆屋があることは、なんとなく知っていた。最近、再オープンしたと聞いたのは、ここを利用している樹希ちゃんからだった。改めて、コーヒー豆屋のことを認識する。 涼しくなる前、夫が食器棚の奥に眠っていたコーヒーメーカーを出してきた。夫も私もコーヒーを飲む。長らく…

  • 売ったり買ったりで快適に

    そろそろ天井に届きそうだ。 注文品が届くたび、空の段ボールは整理ダンスの上に積まれ、上手くバランスをとっていた。いつもなら、すぐにマンションのごみ置き場へ持っていくのだが、今はストックしている。その理由は、年末の大掃除で嵩の高い不用なモノが出てくれば、フリマアプリで出品するからだ。 段ボールの数だけ、モノが増えていることに気付く。消耗する日用品や食品は良いとして、最近配達された、大きな箱は何だっただろうと考える。大げさに梱包されているので、注文の品と段ボールの大きさが見合わないのだと気付いた。 フライパンだ。焦げ付かない仕様だが、この頃怪しくなっていた。寿命があるので、その時期を迎えていたよう…

  • 秋を感じる

    いつだったか、最寄り駅に行くまでの道のりで、かすかにいい香りがした。その数日後、庭にある木々がオレンジ色に色づいていることを知って、娘が言っていた”金木犀みたいな香りがする”は当たっていたのだと気付いた。 庭の金木犀は、満開に花を咲かせているとは言い難く、花は少なめだ。そのせいか、気付くのも遅い。マンションや戸建てに囲まれた庭は、日当たりがよくないのだろう。日の当たり方も隣の庭と異なり、並びの部屋の中でも、我が家は最初に影になる。その証拠に、隣家の庭の金木犀の方が、多く花を咲かせている。 時々訪ねる近くの神社は、小さいながらもいつも誰かしら参拝客がいる。少し長めに手を合わせていると、次の参拝客…

  • ウォーキング日和

    朝は、昼間より時計の針が早く進んでいる。そうでも言わないと、さっきまで”余裕”だったのに、出る間際にこんなに慌てることはない。 今日は一段と遅く家を出てしまった。だからと言って決して走ったりはしない。しばらく歩くと、遠くに見える人物が気になる。そのシルエットは、明らかに知らない人だが、もしかしたら待ち合わせの人物なのではと、しばらく目が離せない。近くまで寄るとやはり違う。 昨晩、スーパームーンだと知ってこの土手に月を見に来たが、同じ目的で来ていた人は、二組ほどの家族連れだけだった。他には、自転車で通り過ぎる人が居るぐらいで、こういう日は少し賑わう土手だが、そうでもなかった。 今朝の土手は、人も…

  • 東京のシンボル

    見下ろす街並みは、とても小さく見えた。「トミカみたい」と走る車を見て、娘が言う。 ここを訪ねるのは三回目である。毎回、同行者は異なる。いずれも、関西からやって来た身内が一緒だということは変わりない。 今回は母が来た。母と私で、急遽一泊旅行をすることになった。互いの家の方向へ向かって、どこかで落ち合おうかと迷っていたが、こちらで一度見ておきたいところがあるという。私は新幹線に乗ることなく、東京行きが決まった母を待つことになった。 世界で一番高いと言われている白い電波塔の入口で、外観は赤いタワーの方が良かったなどと言いながら、さすがに展望台まで上がると、見渡せる景色の違いに圧倒されていた。三度目の…

  • クイック・レスポンス...

    列の最後尾に並んだ。看板には"40分待ち”と書かれていた。 飲食店で並ぶお客に、予め店員が注文を取りに来るように、ここでも案内係が、列に並ぶお客に事前に用件を聞いている。 家族連れも多い。私の前には背の高い男女が並んでいる。皆、案内係の英語の質問に、英語で答える。次は私の番だ。この列の中で英語ができないのは、私ぐらいだろう。 案内係は私と目を合わせ、ほんの数秒、間をおいた。私の方から「大丈夫です」と日本語で答えた。案内係は笑顔で頷き、「後ろの方はお連れ様ですか?」と日本語で聞いてきた。「いえ、違います」と再び日本語で答えると、後ろの人に英語で話しかけていた。列の折り返し地点で、後ろの人を視界に…

  • またやってきた

    秋の行事が訪れた。年に一度、憂鬱な気分で出かけて行く。自ら予約をして向かっているのだが、行く前から帰りたい。今年はもう少し時期をずらしても良かった。去年は秋ではなく、年を跨いで冬にずれ込んでしまったのは、私の都合だった。年に一度という目安でいうなら、まだ一年も経っていなかった。 この時期にしたのは、早々に済ませたいと思いが強かったのだろう。私の口から出た、希望の予約日が今日だったのである。 台所に貼ってあるカレンダーは、十二枚綴りのうちの一枚だけで、毎月その月の分を切り離して貼りかえている。翌月の予定が入ったときには、端の方にメモをしておいて、貼りかえたタイミングで書き写す。 九月に入ってから…

  • 季節ごと

    昨晩、雨がひどく降った。”窓、閉めてる?”と夫が確認するほど、雨音は激しく部屋の中まで聞こえていた。 朝には上がっていた雨だが、今日は何度も通り雨が訪れる。夕刻、誰もいない家へ帰ると、湿度計の数字は70を超えていた。取り込んだ洗濯物も少し湿気ていた。 四季折々の風情を楽しむには、暑さも寒さも感じるのが自然ではある。しかし、年中快適な気温であって欲しいとも望む。 スーパーのハロウィンコーナーに置いてあるお菓子が、もう品薄になっていた。マンションの住民の玄関ドアに、ハロウィングッズが飾られたのはつい先日のことで、ハロウィンを意識したばかりだ。これからハロウィンを迎えようとしているのに、”IKEAは…

  • さも大事な手紙だと錯覚させているのだ。チラシを封筒に入れて、個人宛に送るという手法はどうも好きではない。 ここの住所を知り得た経緯は想像できるが、わざわざ個人情報を調べて送ってくるとは。送り主は、離れた実家がある県に所在する不動産会社だ。実家は空き家でもないのに、失礼な話である。 とある契約を解除した。契約者はそのつもりだったようだ。しかし、勘違いから契約は続いていた。途中から本人に代わって私が対応した。三度目の電話でようやく解約ができたのである。 契約を引き延ばそうと、キャンペーンを謳ったり、別のことへ誘導したりと、あちらも必死である。さすがに最後の”お得情報”は断った。 この一件で思い出し…

  • すぐ、やろうか

    窓を開けた。湿気た空気と冷たい風が入ってくる。外はしとしと雨が降っていた。 押入の中の除湿剤に水がたんまり溜まっていたことに気付いたのは、先週のことだ。定期的に見ないので、いつからこの状態だったか知らない。二間ある押入のうち、こちらの押入は湿気がひどい。除湿剤をそのままにしていたことをふと思い出して、今日ごみに出した。 反対側の扉も開ける。しかし、すぐに閉めた。ここから取り出したいモノがあるのだが、いつも断念する。もう何度目だろうか。理由は奥の収納ケースを出すのが、困難だからだ。 自室には、出品待ちの本がまだある。本の出品はバーコードを読み取れば、情報が反映されるので比較的簡単ではある。しかし…

  • 期日延長

    袖から出た腕がジリジリと焼けるほど、太陽が照りつけていたのはつい先日のことだ。今日は腕にあたる風が冷たい。 『涼しなったなぁ。ところで最近、どうなん?』 言い訳にしていた”暑さ”は、もう終わったよと言わんばかりだ。夕飯時には体が冷えて、開けっ放しの窓を閉めるほどに気温が下がる。 「片付けはお休み中。」 ここのところ、片付けをがむしゃらにやっていない。 『だいぶ、片付いたよな。』 何が言いたいのか分かる。片付いたことを褒めつつ、まだ終わりは迎えていないよねと。”夏の終わり”に”片付けの終わり”を迎えると宣言したのは私だ。思い描く”終わり”では、確かにない。その上、暑さで進まず涼しくなってからと、…

  • 涼しくなってから

    荒れた肌に、洗剤が沁みた。中指の第一関節の皺に紛れ込んだ傷口は、目立ちはしないが、繰り返しここばかり荒れていた。治りかけのところに、痒みを帯びて、無意識に掻いてしまう。 痛みを我慢しながら、水切りカゴに食器を運んでいると、壁に貼られたカレンダーが目に入る。十五夜も過ぎ、九月もあと十日ほどだった。そういえば、お月見らしいことはしなかった。 「最近、歩いてる?見掛けないから」マンションの入口ですれ違った住民に声を掛けられる。「暑いから、歩いてなくて」と私は答えながら、自転車に跨った。 遥子ちゃんとのウォーキングは、暑くなり始めてから休んでいる。ウォーキング中、隣人である彼とはいつも土手ですれ違って…

  • 実家の光景

    洒落た照明器具の下には、座面と背もたれが花柄の布で覆われた椅子と、ガラスのテーブルが置いてあった。この部屋を応接間と呼んでいて、来客用の部屋だと幼いながらに認識していた。 ただ来客を招くことはほとんどなかったはずだ。実家は商売をしていて父も母も朝から晩まで働いていた。 実家に住んでいる間、部屋割りがどう変化していったか、記憶はおぼろげだ。応接間として使っていた頃、この部屋は特に散らかっていなかったように思う。六畳ほどの部屋は、応接間の機能はなくなり、一時期私が布団を敷いて使っていたこともあった。その後は母の部屋になり、私が実家を出た頃にはタロウ専用の部屋になっていた。 一階にはもう一部屋あった…

  • みなもが語ること

    ゆらゆらとゆれる様を、ずっと眺めていた。なんて表現してよいのか、”癒し”という言葉では物足らない気がした。 藤の花で覆われているのではなく、御座のようなものが掛けられた、格子状になった棚の下で、木漏れ日を浴びていた。仰向けになって眺めていると、そこには、ゆらゆらと揺れる水面がうつっていた。 改札口を出て、右に出た。確かこちら側だったはずだ。角を曲がると、急な上り坂が現れ、こちらで間違いないと確信した。 見覚えのある建物の前に到着したのは、営業時間の五分前だ。誰もが一番乗りだと思っていた瞬間、すぅっと一人の男性が私達を横切って入口に向かった。二番目だね、なんて言いながら男性のあとに続くと、中には…

  • 秋が待ち遠しい

    Tシャツから出た腕が、ジリジリと焼けている。涼しかったのは束の間で、また暑さはぶり返していた。今日も暑い。 坂を上る途中で、自転車を降りた。せめてその先の信号までは漕いでいたかったが、諦めた。まだ坂の半分も上っていない。暑さのせいではない。体力の低下をひしひしと感じる。歩いた分、日に当たっている時間が長くなる。 家の中では短パンを履いて、足をさらけ出している。ベッドの上で、ふと膝を抱えて座っていると、足と腕の、肌の色の違いが目に入る。気にしていた矢先に、十分な日焼け対策もせず、外に出てしまう。 この暑さは、外に出るのも”意を決して”である。それでも、気になる用事を済ませるべく、外に出た。よくや…

  • 幼き頃

    デパートのおもちゃ売り場で、泣き喚いて駄々をこねて困らせる子がいた。しかしそんな我がままも、小学校に上がる頃には、ぴたっとなくなった。その理由は明確で、”お姉ちゃん”になったからだった。 小学校に上がるまで一人っ子だった私は、母にそう聞かされた。そんな一面もあったのだなと、少々驚いたりもする。 大人になってから、時々、本を読むことがある。その時々の頻度でさえ、本に触れている機会が多いと言えた。私は、必要に迫られる以外、本に触れる機会がほどんどなく過ごしてきた。 図書館に行く習慣もなく、本屋で本を買うこともほぼなく、小中高校生時代を過ごしたが、幼稚園児の頃、図書館に出入りしていたことを覚えている…

  • 暑さ和らぐ

    風が心地よい。窓を開けていると、虫の音が聞こえてきた。 暑さが続いたあとの、涼しい夜が、より心が落ち着かせてくれているのだろうか。自分に酔いしれたりして、この時間が楽しかったりする。 つい数週間前は、イライラする日も多かった。確かに暑くて、体は参っていた。原因は暑さというより、なかなか”やること”に取っかかれず、一日が終わるという日が多くあったからだ。自分に嫌気が差していた。 八月の後半は人と会う機会が続いた。その日を心待ちにしているうちに、イライラはどこかに消えていた。 残り三分の一となった、今年の過ごし方を考えた。 この頃、改めて思うことがある。変化は、少しずつということだ。急いで結果に辿…

  • 仕切り直し

    一昨日から、ベランダの植木を部屋に持ち込んでいるが、まだ戻せないでいる。雨は降ったり止んだりで、家を出ようとしたら、雨音が強くなる。天気予報はあてにならない。テレビをつければ、どのチャンネルも、台風情報だ。 明日は外出を控えようと買い出しに行くのに、天気予報に振り回されて、結局、毎日スーパーに出向いている。 雨のせいなのか、まだ暑さが残るせいなのか、なんか気持ちが乗らない。気になることが多くて、頭の中の整理ができていないのも、原因の一つかもしれない。 ”まっ、いいか” ベッドに腰掛けていると、リビングから自室に移動してきた本棚に、ぐちゃっと置かれた本が目に入る。まだ旅の目途が立っていない本達だ…

  • 猫とのご縁

    小さな引き出しには、預かった鍵が二つ入っていた。 8月のカレンダーには、猫の名が三匹、家主が留守にしている日付のところに記されていた。そのうち二匹は同じ屋根の下で暮らす。留守の家主に代わって、ご飯の用意をするのは私の役目だ。 友人宅の猫の世話の話をすると、彼は”うちも頼もうかな”と冗談半分で言う。”いいですよ”と答えた私に、彼はスマホに収められている猫の写真を見せてくれた。この猫の写真は、つい最近も見せてもらった気がする。 預かった鍵で玄関を開けると、彼の匂いがした。家主は留守だが、”お邪魔します”と声を掛けた。いつもなら続けて彼の名を呼ぶが、今日はしない。私を待ち構えて出迎えてくれる彼は、も…

  • ブーム去る

    我ながらいいアイディアだと満足する。無論景色は良くないが、この部屋は機能的に使うことを目的にしたので、そう気にならない。スペースの有効活用とはこのことだ。 部屋の使い方が変化するたび、余りものが出てくる。その一つが突っ張り棒だ。長さや太さが異なるいくつかの棒の中に、全く同じ棒を二本見つけた。 マンションがゆえに、どの部屋も天井の梁が邪魔をしているが、四畳半の自室は、一番狭いにもかかわらず、梁の出っ張り具合は一番大きい。梁は部屋を区切るように、真ん中を通っている。 その梁を利用して、先程の突っ張り棒を設置する。ちょうど壁に頭を付けたベッドから眺めるように、頭とは反対側の天井部分に、ベッドの幅と同…

  • 記憶の記録

    父と母は仕事で忙しく、まだ赤子だった私は、母の実家に預けられていた。そう聞いたのは、随分大人になってからだ。 平日は母の実家で過ごし、週末に父と母が迎えに来るという生活を送っていた。母の実家には、母の両親、母の妹が同居していた。私のことを、母の妹である叔母がよく面倒をみてくれていたそうだ。叔母に抱っこされた私は、叔母の子だと近所では思われていた。 赤子の時に預けられていた時代を経て、その後も母の実家には顔を出していたと思うが、なんとなく玄関あたりの光景を覚えているぐらいだった。母がよく口にしていた、実家のある町の名前だけは、今でもよく覚えている。 祖父母は、その後引越をして、そこで余生を過ごし…

  • 夏の風物詩

    ”まだかな?”という声が時々聞こえる。私も隣に座る息子に同じことを言う。 風はあるが、影響に値するほどでもない。明日には台風が接近するが、今日の天気は良好で安堵していたぐらいだ。中止になる要素もないが、まだ催しは始まらない。 開始時刻に到着した私達は、すでに人で埋まった河川敷の後ろの方で、横並びになって腰を下ろしていた。なんのアナウンスもないまま、三十分が経過した。突如、カウントダウンが始まり胸が高鳴る。 「どーん、どーん」 開始時刻が遅れていた分、ひと際歓声が響いた。自然と拍手が沸き起こる。心臓まで響く音と共に上がる花火は、迫力満点だった。下から噴き出るように、上から流れるように、高く上がっ…

  • どこからなのか、探っていく

    靴の底が水面にピタッとくっつくように、そっと足を置いてみた。 小さなかばんの中には、濡れた靴下が入っていた。代わりに履いている白い靴下は、お借りしたもので、後日、母が洗濯して返したのだろう。 幼稚園の庭にある、池の上に立とうなんて、魔法のようなことを思ったわけではない。ただ片足を上げて、慎重に、そっと水面に置こうとしただけだ。靴底が濡れる程度で済むはずが、足がすっぽり浸かってしまった。靴下まで濡らすなんて、小さな私は思いもよらなかった。 遠い過去で記憶が残っているのは、幼稚園の頃だ。決しておてんばな子ではない。好奇心旺盛でもない。大人しい子だった。 靴下を濡らしたときも、誰かに促されたわけでも…

  • まだ遠回りの途中

    「今までで一番上手に切れたんだけど」 食卓に出した皿の上には、旬の果物が載っている。梨をいつも通り八等分し、続いて桃も、同じく八等分した。 大きな種がある桃を、周りをそぎ落とすように切る。それから皮をむき、皿に載せる。真ん中に種がある、残った実の部分は私がかぶりつく。皿に出す桃は、形も大きさもバラバラである。これがいつものやり方だった。 最初に桃の皮を全部むき、おもむろにいつもと違う方向に包丁を入れた。側面から縦方向に種に向かって包丁を入れる。種まで到達したら、一度包丁を抜いて、八等分の幅だけずらして、もう一度真ん中の種に向かって刃を入れる。最初の一切れは、少し強引に種から引きはがすが、二切れ…

  • ゴールに向かって

    気付いたら、ソファーで寝ていた。自転車で往復二十分ほどだったが、確かに暑くて、帰ったら疲れていた。 自転車に載せられる分だけ、リサイクルショップへ持ち込んだ。明日は雨がぱらつきそうな天気予報が、背中を押す。重い腰を上げて出発した。 二カ月ほど前に模様替えが始まって、そこから”モノが家から出る”スピードが加速している。”モノが家に入ってくる”という状況も減っている。 真剣に、深刻に、悩んでいた。片付けられないということに。 片付けができない私が、どんどんモノが入って来る状況で、片付けが追い付くというのは難しい。使うところに、使うモノが入る収納が十分あれば良いのだが、やはり工夫が必要で、置き場所が…

  • 今日から

    7月のままのカレンダーが、昨日から気になっていた。12枚綴りのカレンダーを一枚ずつ切り取って、毎月一枚、カレンダーを貼りかえる。あんまり納得していないが、今のところ、台所の壁が一番見やすいので、そこに貼る。翌月以降の予定は、カレンダーの端っこにメモっておいて、貼りかえるときには、漏れなく書き写す。 8月のカレンダーに貼りかえる。今月は所々予定が入っている。 今月、一週間、今日の予定を立ててみる。結局のところ、ひととおりの家事が終わってから、始まる。 一式揃えた書類は、あとは送るだけのつもりが、そうそう、返信用の切手を貼っておく必要があった。返却希望の書類を、調理用のはかりを出してきて、何グラム…

  • 夏休みの過ごし方

    Tシャツもジーパンも、みるみるうちに、不規則な水玉模様になった。向こうの空が少し明るいのを期待するも、先へ先へ進むほど、水玉模様が増えていく。着いた店では、傘を買う人がいた。 部屋が暗くなったことに気付いて、洗濯物を取り込んだ。お天気アプリの雨雲レーダーは、このあたりを薄い色で覆っていたが、しばらくの時間帯は折り畳み傘のイラストが続いていて、”行ける”と確信した。 荷物を載せて、自転車で出発した。途中、”行ける”は“行けない”ぐらいの雨粒が、私を濡らした。それでも、来て良かった。もう傘を差す人もいなくなった帰り道、もわっとした空気に包まれても、心は晴れ晴れした。玄関に置いていた不用品を入れた紙…

  • プチプチ祭り

    「あっ、行き過ぎた」 遮断機の下りた踏切を待たずに、線路沿いを進んで次の踏切を渡った。いつもと違うことをするから、目的地を通り過ぎてしまった。少し戻ろうと、体の向きを変えた。 「いや、違う」 行き過ぎてはおらず、目的地はまだ先だった。いつもの踏切を渡らなかっただけで、方向音痴が発動した。 用を済ませ家に戻るも、荷物を持ってすぐに次の目的地へ向かう。先ほどとは逆の方向だ。我が家の不用品は、誰かの家でお役に立てるらしい。配送業者の設定を誤ったせいで、右へ左へ荷物を送る手配をする。 プチプチプチと膝で踏んだ資材が音を立てる。ベッドの足元に溢れる資材は、使う度に広げるものだから、ベッドの上を占領する。…

  • 今日も暑くて

    あと十分で家を出るという時に、ラインの通知音が鳴った。 「自転車でもいい?」 遥子ちゃんからの要望をすぐに承諾して、時間通りに家を出た。 暑さを心配しつつも、ウォーキングへ行こうと約束をしていた。普段は土手の往復だが、年に何回かはウォーキングの途中にカフェを挟み、ゆっくりおしゃべりをする。通称コメダコースで、今日もそのつもりだったが、やはり暑いと判断した遥子ちゃんから、先程のラインが来た。そう、決して無理をしてはいけない。ウォーキングを中止し、自転車でコメダへ向かう。 六月に入り、段々と暑さを感じるようになった頃、ウォーキングの時間帯を朝から夕方に変更した。”夕方はいいね”と会話を交わしたのも…

  • 誰のモノでもないモノはどこへ

    梅雨が明けた。隣駅のコインランドリーまで行く必要は、しばらくなさそうだ。 我が家には四つの部屋とダイニングキッチンがある。四部屋のうち、一部屋は約四畳半、三部屋は各々六畳ある。ここに住み始めてから、もうすぐ二十年が経つが、その間、部屋の使い方はいろいろ変化した。 息子に六畳の部屋を、娘に四畳半の部屋を与え、和室は夫と私の寝室、もう一部屋はテレビとソファーを置いていた。娘が実家を出たあとは、娘の部屋を私が譲り受け、残された三人は皆、個室を持つことになった。 さてこの度、実家に戻ってくるにあたり、娘から元の部屋に戻りたくないという申し出があった。狭いし、暗いし、冬は寒い。一人暮らしの部屋が、随分と…

  • お帰りなさい

    「疲れた」ここ数日、口にするのはこればかりだ。これほどまでに疲れが取れないとは、年齢と共に体力が低下し、回復力がなくなっていることは認めざるを得ない。 彼はとても若く、体力には自信がありそうな体格をしていた。聞けば二十代で、力仕事が好きなこともあって、転職したと言う。当日一人でやって来る彼から、事前に手伝いをお願いしたいと言われていた。確かに一人暮らしにしては、大きな洗濯機がある。エレベータがないことも、申し訳ない。 引越当日は洗濯機のみならず、前日に梱包したものの中から、一人で運べるものを選んでは、娘と私でせっせと階段を上り下りして、荷物を運び出した。 引越の方法はいろいろ考えたが、カレンダ…

  • 日常へ

    足がパンパンだった。階段の上り下りに力仕事と、もう今日は随分と疲れていた。 私が数日留守にしていても、誰も困ることはない。しかし自宅に戻ると、困っている人物がいた。”明日の服がない”と娘が言う。今にも崩れそうな、まだ洗濯されていない衣類の山をみて納得した。とりあえず急ぐものだけ洗濯をするも、脱水が終わる頃には近くのコインランドリーの閉店時間が過ぎていた。24時間営業している、隣駅のコインランドリーまで、疲れた足で自転車を漕いでいく。 昨日、夜な夜な一回分の洗濯をしたが、皆がお風呂に入ると、洗濯物の山は元の高さに戻っていた。天気は雨で、今日もコインランドリーへ行くことにした。こんな日は混むので、…

  • 夏を乗り切る

    窓から入る風が心地よい。クーラーをつけずに過ごせる時間が少しでもあると、ホッとする。 暑いのは、やはり好きではない。クーラーで冷やせば良いというわけでもない。これから暑い日は続くというのに、早くも秋が待ち遠しい。 暑い夏を乗り切ると同時に、区切りをつけたい。気になることがたくさんあるので、すべてとはいかないが、その中のいくつかは、夏の終わりを目標に、こつこつと進めたい。 やろうと思ってもなかなか手を付けない、悪い癖がある。ようやくやり始めて、思いの外、簡単だったり、または時間がかかるのだと気付いたり、どちらにせよ、早く取り掛かれば良いのに、といつも思う。 今週、イベントごとが立て続けにあるが、…

  • この町で

    猛暑が続く。まだ夏休みを迎えていない、ランドセルを背負った小学生とすれ違う。もうこの時間からすでに暑い。 ごみ袋を片手に向かった場所には、先客がいて驚いた。こんな日でも利用する人がいるのだなと思った。年配の彼女は、日常のモノを普通サイズの洗濯機に入れたら去って行った。昨日下見に来て確認しておいた、一番手前にある大型の洗濯機に、ごみ袋から取り出した敷物を入れると、私もコインランドリーをあとにした。 時間の頃合いをみて、また出向く。今度は年配の男性がいた。ここよりも家から近いところに一軒、この通りにも一軒、コインランドリーはある。もう少し先にもあるようで、利用する人が多い町なのかもしれない。 時間…

  • 体験入学

    午後三時、ようやく出発することができた。 先日の帰省の時より、リュックが重い。プチプチに包まれたノートパソコンのせいでもあったが、忘れ物をしてもそう困る行き先ではないのに、なんだかんだ荷物が多くなってしまった。 朝から洗濯機を何回も回して、昼にはまだ乾ききっていない洗濯物を取り込んだ。一部は部屋の片隅にあるハンガーラックに掛け、残りをコインランドリーへ持っていく。まだホカホカで、ふわふわのバスタオルを、週末までの分まで事足りるように、風呂の前に三人分、出しておいた。お風呂から出て”バスタオルがない”以外に、そう慌てて困ることはないだろう。ひととおり部屋を見渡して、私基準で片付いている状態にして…

  • 京の都へ

    隣に座ってる人が席を立つと、床は、傘から滴る雨で濡れていた。 通勤をする人々と一緒に電車に揺られる。周りを見渡すと皆、長傘で、今日の雨具合の様子が分かる。私達家族四人は、目的地も結構な雨の予報だと知りながら、折り畳み傘を鞄に忍ばせていた。 雨で観光客もそういないだろうと考えるのは浅はかで、私達だって前々から決まっていた予定を決行していた。外国人の観光客も多くいて、修学旅行生にも遭遇した。 案の定、綿密な計画も立てずに、昨晩も遅くまで準備に追われ、睡眠もそこそこに朝早く家を出た。新幹線に乗っている間に、半分は観光マップとにらめっこし、半分は睡眠不足を補うべく目を閉じた。 用事があっての義実家への…

  • 暑さに負けず

    ここ最近で、一番散らかっている。それでもって、ここ最近で一番片付けに注力している。 玄関や押入を片付けている途中なので、まだ置き場の決まらないモノや、分別できていないモノが、一旦自室へ流れ込む。粗大ごみの収集日を待つモノも、同じくここへ置く。当分、自室はスッキリしなさそうだ。 少し動くと、汗が滝のように流れる。暑い、とにかく暑い。夏本番の暑さとは違って、蒸し暑い。湿度計は度々70%を超えている。 梅雨と夏日を経て、夏の終わりには、思い出のアルバムの整理を除いて、片付けも終わりにしようと決める。今までの実績を問われたら、全くもって信用ならないだろうが、終わりが近いと確信する。 先月は計八袋も可燃…

  • 夏至

    雨足が強くなってきた。普段から外の光が十分に入らない部屋は、いつにもまして暗かった。 今朝、窓を開け損ねた。いつもなら洗濯を干すついでに、ベランダに通じる窓から、順番に家の窓を開けているのだが、今日は洗濯をしていない。激しい雨音は止まないので、もうしばらく窓は閉めたままにする。 ようやく梅雨入りをした。 「コトン」玄関で物音がした。 狭い玄関に本棚を持ってきてから、不便になったことと言えば、電気のスイッチが一つふさがったことぐらいだ。もう一つ同じ役目をするスイッチが、玄関扉の近くにあるので、今ではその存在すら忘れるくらい、困ってはいなかった。他に居場所がない、雑多なモノを置く場所として、本棚は…

  • 一日中雨

    目を覚まして、最初に気付いたのは、激しい雨音だった。 今日に限って、外出の予定がある。ズボンの裾が濡れるのは承知で、せめてものナイロン素材のものを選んで着る。 地上から地下へと電車が潜ると、いくつか目の駅が目的地だ。もうここには、何度も訪ねていて、一つ前の駅になると、次だということも認識している。 駅を降りると階段が多いので、滑らないよう気を張る。あやうく転びそうな人を見掛ける。 用事を済ませても、まだ雨は降り続いていた。今日は一日雨予報だ。後から夕飯の買い物に出るのも億劫なので、外出先でスーパーに寄る。夕飯のメニューは代わり映えしないが、いつも頭を悩ませる。慣れないところで、売場を探すのにも…

  • どんどん使う

    ”もち”も気になる。 昨日は気付かなかった。薄揚げに餅を入れた、餅巾着を鍋に入れたら良かったのだ。メモの端に”もち”と書いていたのに、すっかり忘れていた。それでも、しなびた白菜と、誤って生協で二袋も買った、にんじんを減らすことができた。 季節外れの鍋をした。パウチに入った鍋用スープが、長い間、放置されていた。棚に収まった調味料の一番奥にあったのだが、ここを整理してからというもの、全体がよく見渡せるものだから、毎回スープが目に入る。賞味期限はずっと先だったが、冬まで保管しておくことさえ気になって、野菜と共に、胃に入れた。”もち”も、我が家では冬に食することが多い。これもまた、冬まで消費しないのも…

  • 時代の流れ

    思わずツッコミを入れたくなる。「いや、そんなおらんやろ?」 大きな掲示板が小さな公園の入口にそびえたつ。 まだ選挙権のない四人組は、掲示板の向こうでしゃがみこんでいる。この頃、ここを通るたびに、同じ光景をみる。四人が横並びになると、小さな画面は見づらい。二人は前に、あとの二人は後ろに並ぶ。前の二人の頭の間から、画面を覗き込む。四人は各々コントローラーを持って、戦っている。 大きな掲示板のマス目には、1から30まで数字が振ってあった。さすがに多いんじゃないかと思ったのだ。数字の数だけ埋まるだろうか。 ちなみにどんな感じなのかと、サイトを覗いてみた。いや、思ったより候補者がいた。関連記事をみている…

  • いつか終わる

    赤いペンで、青い文字に横線を引く。済んだら消すを繰り返し、この頃、片付けは進んでいる。 片付けに関する、やることリストは、思い付いたらすぐ書くが、あまり多くはかかないようにしている。見るだけで疲弊しないよう、ほどよく書いて、ほどよく消えるように、簡単に済む作業を箇条書きする。 進んでいくにつれ、どうしても難関がやってくるのは分かっていた。時間を要する、面倒くさい、片付けである。 最近、押入を開ける頻度が多くなって、何度も視界の片隅に入ってくる、アレ。ビデオデッキならぬ、なんというんだっけか、レコーダー、ハードディスクと呼んでいたのか、それすら忘れている。その中に、残しておきたいものが録画されて…

  • 何かの予感?

    夢を見た。 子ども向けのワークショップの手伝いをしていた。しかし、時間がなくて焦っている。あと十分では、さすがに間に合わないと判断して、飛行機の便を遅らせることにした。その手続きのために、サイトにアクセスするも、ログインさえできない。変更可能だったチケットが、出発時刻が過ぎて使えなくなってしまった。乗り継ぐ先の飛行機もどうしたら良いのか。私はどこか遠い異国へ行こうとしていた。知らない外国人の女性と二人で。 なんだかよく分からない夢だ。先日新幹線の予約をしたので、その影響も少なからずありそうだ。新幹線の予約や変更の操作は慣れている。しかも乗る寸前まで変更可能だ。その感覚で、飛行機の予約の変更をし…

  • ラスト一周

    走っても走っても、最後の周回を合図する鐘が鳴らない。同じトラックを、何周走ったらいいかも分からないまま走っている、そんな気分だ。一向に景色が変わらない。ここで体力を消耗してどうするのだ。 片付けたところが、また散らかって、何回も何回も片付ける。ゴールがいつ来るのだろう? なぜ、片付けができないのだ?どうしてこんなにも私にまとわりつくのだ? 『カランカラン』こんな音なのかは不明。 鐘が鳴った。 『ゆめ子さん、ラストスパートやで』 「そうだね、みぃ」 鐘を鳴らしたみぃと会話する。 ラストスパートと表現するほどのスピード感はないが、現在、ラストの一周に取り掛かっている気はしている。みぃが手伝ってくれ…

  • 雨の日も

    差したばかりの傘を、畳んだ。途中、軒下で雨宿りをしていた自転車の男性も、動き出したことだろう。スーパーの往復ぐらいは持つだろうと思われた雨は、数分刻みで、降ったり止んだりを繰り返している。 少し先で信号待ちをしている下校中の子供たちは、話に夢中なのか、雨が上がったことに気付かず、傘を差しっぱなしだ。 雨に当たる、青く色づいたアジサイを見つけた。もうすぐ梅雨入りする、そんな季節だ。 湿気が溜まりやすい、洋室の押入を開けると、除湿剤の水が一杯になっていた。ここの押入は、使いづらい。追いやられたモノが、ここに行き着いていた。つい先日、もう一方の和室の押入から、幾分かモノを処分した。こちらの洋室の押入…

  • 稀と言わずに

    頭痛がした。日に当たって、疲れたようだ。ウォーキングとは違う運動量で、体力も使った。 前回は、他のグループが途中で帰宅するほど、風が強い日だった。テニスには不向きな天候で、私達も度々中断して、休憩ばかりしていた。今回は、前回と打って変わって風もなく、テニス日和だ。”ボールがコントロールできないのは、今日は風のせいではなく、技量の問題だから”と笑いながら、遥子ちゃんとストレッチをする。 ラリーもわりと続いた。ただ、上手く打てる時は稀だ。打ち方が定まらず、下手さを実感する。”そんなことはないよ”と、褒め上手の遥子ちゃんの言葉には、素直に”ありがとう”と答える。 夫の夕食が、予め必要ないのを知ってい…

  • いらないモノ

    最後は”アルバムの整理”と決めている。 今月に入って、ごみを何袋出したか数えている。連休明けに、物置の不用品と書類の一部を捨てたのをきっかけに、現在のところ、計七袋を捨てている。ごみ袋の容量分、家の中からモノが減ったという証だ。ごみ袋を一杯にするのは、案外大変なのだが、達成感がある。嵩張るモノ、かつ処分の判断に時間が掛からないモノが次々と出てきているおかげで、このペースで捨てることができている。 外には、物置以外に収納ボックスが二つあった。そこに、靴を入れた記憶はあった。しかし、処分した記憶もある。まだ一足か二足は残していたかもしれない。蓋を開けると、そこには六足も靴があった。すべて処分した。…

  • まだまだ お付き合い

    君がやって来るとは、微塵も思っていなかった。最後に来た日から今まで、なんの音沙汰もなく時間だけが経過していた。もう一生来ないだろうと、そのつもりでいた。だから、驚いた。それにいつもは知らせがあるのに、急にやって来たことも、予期せぬことだった。君が来る知らせは、お腹が痛くなるのだ。 後になって、前日、爆食したことが、予兆だったと気付いた。生クリームたっぷりのデザートを食べたうえに、冷蔵庫を何度も開けて、保存してある個包装のチョコをいくつも食べた。間食を控えても、ウォーキングをしても、体重がむしろ増えているのではないのかと、諦めゆえに暴走し始めた行動だと認識していた。違ったのか。 ”月のもの”が来…

  • 猫とのひととき

    彼女はいつも窓辺にいる。じっとこちらを見る彼女は、いつも微動だにせず、まるで置物のようだ。”窓辺にいる猫”とそのままのタイトルをつけたくなる。当たり前のその姿が、目に焼き付いている。 しかし、今日は姿が見えない。キッチンにある、私宛のメモには、いつもと違う一文があった。「見当たらなくても、心配しないでね」死角になっている場所に隠れているらしい。 何度も彼女の名前を呼んでいるのに、ちっとも姿を見せてくれない。「もう帰るよ」といって、部屋をあとにした。 2階は彼女のテリトリーだが、1階をテリトリーとしているのは彼だ。再び1階へ戻ると、彼はお待ちかねである。いつも無防備に腹を見せてくる。 翌日も、彼…

  • この勢いで

    宣言したとおり、ごみを一袋、いや三袋捨てた。 いつものメンバーで、今年は恒例の花見をしそびれてしまった。年に一度、花見のときだけ外に出る。それ以外は、互いの家を行き来する。ゴールデンウィーク中の急な声掛けに、河川敷を集合場所に選んだのは、花見のリベンジではなく、タープのお披露目が理由であった。 夫が、前から気になっていたタープを購入した。タープは、日差し除けになる長方形の布で、高さを調整して形を変えたりして、いかようにも設置できる。数週間前にタープ設置の練習のために、夫と私、そして娘も合流して、一度河川敷に出向いている。三人で小さな敷物の上でこじんまりと過ごしたときより、皆の敷物を合わせて大勢…

  • 連休は明けた

    ”結構時間がかかるな”と心の中で呟いた。朝早くからコンビニに出向いて、機械の前で”完了”するのを待っていた。 連休と連休の合間の平日に、見知らぬ番号から電話があった。後にどこからの電話か分かったのだが、掛けそびれて、後半の休みに入ってしまった。用件は分かっている。連休明け、朝一で電話を掛け直す前に、用を済ませにコンビニにやってきた。 機械の前で少し待たされたあと、”送信できませんでした”というメッセージが目に入る。”えっ?お金は?”と焦る。”投入したお金は戻ってきません”というメッセージをみたような気がしたからだ。さすがに、”未送信”では該当しないようで、お金は戻ってきた。 提出先に書類を持参…

  • 真実はいつもひとつ

    「なにやってんの~!」 母親が子供に向かって言う。子供は悪くない。ちょっとした不注意である。注意のしようもなかったかもしれない。”なにをやってるの”なんて、仕方のないことなのに、母親は言うべきではない。あっと思った瞬間、Sサイズの量のポップコーン塩味が、床にぶちまけられていた。 数日前、夫と娘が意気投合して、何やら盛り上がっていた。私も便乗して、三人で映画を観に行くことになった。毎年上映されるこのアニメを、映画館で観るのは、実は初めてだった。 三人並んで席を取ったが、そのうちの一つ、入口に近い席は空席で、トレイに載せたポップコーンがスタンバイしているだけだった。その席の主が、リクエストした塩味…

  • 散歩

    いつもの土手を歩く。近くに飼い主はいるものの、たまにリールに繋がれていない犬を見掛けることがある。この日も、前からやってくる茶トラのような色をした二匹は、リールに繋がれていなかった。首輪すらしていない。その後ろには、飼い主と思われるおじさんが、二匹の歩幅に合わせて自転車をゆっくり動かしている。 二匹は、やはり犬ではなかった。視覚では認識していたはずだが、脳内で処理されるのに間があった。二羽と数えなくてはならない。あまりに珍しい光景に、飼い主に声を掛けようか迷った。向こうから飼い主とは別のおじさんが、やってきた。彼も少しびっくりした顔をしていた。彼と私は、二羽に道を阻まれてしまった。飼い主の”す…

  • 武器を手に入れた

    電話の向こう側で、夫が慌てていた。急に”現金”が必要だと言う。家に訪ねてきた人物に対応しているようで、外出している私に、お金の在処を聞いてきた。 慌てるのも無理はない。まだまだ先だと思っていた代引きの宅配物が急に届いたのだ。なんの知らせもなしにと、ぼやいた私だったが、数日後、夫が発送メールを見逃していたことが発覚した。 修理に出していたノートパソコンが戻ってきた。一部キーボードが効かなくなっていた。外付けのキーボードを購入した方が安価で済むという見解は、夫も、修理受付センターの担当者も同じ意見だった。それ故、このパソコンをどうするか、どこで誰がどのような用途で使うかは、二転三転した。結果、修理…

  • 人生100年時代

    じわっと汗をかく。顔が火照っている。去年の秋ぐらいから、この症状がある。時々だったのが、最近、一日一回は現れる。いわゆる、更年期障害というやつだ。 ようやく分厚い本を読み終えた。どんな本だったか語っても、本の分厚さには比例しない。推理小説と違って、なかなか頭に入って来ず、上手く説明できない。なんとなくは、理解した。夫が勧めてくれた本だが、まだ彼は読み終えていない。読み終えるのを待たずに、会社に行っている間に拝借した。 私は、本をあまり読まない。興味がなければ尚更で、夫に勧められてもお断りする。読み始めて、断念しそうになったが、本の内容を夫と共有しておいた方が良いのでは?と、本の題目が語ってくる…

  • 三度目の正直

    「じゃじゃ~ん」 遥子ちゃんにお披露目をする日がようやく来た。 河川敷のテニスコートは水はけが悪く、前日の雨の影響を受けやすいと遥子ちゃんが言う。前回、前々回も、当日雨は止んでいたが、コートは使えなかった。昨日も夕方から雨が降り出したので、三度目もまたかという気持ちになっていた。しかし、中止になるほどの雨量ではなかったようだ。 遥子ちゃんはいつも謙遜して、テニスは下手だからというが、そんなことはない。確かに、ハードな動きやスピード感あるボールを見たことはないが、それは私に合わせて打っているからであって、彼女はもう十年もテニスを続けている経験者だ。 とにかく怪我だけはしないようにしようね、と互い…

    地域タグ:東京都

  • 最新のモノ

    データ更新を”自動”に設定しているが、スムーズではないので、手動で更新する。まだ使い始めたばかりで、要領を得ていない。 去年の夏から、毎日体重を量るようにしている。知らないうちに増えているということがあるので、意識して自分の体重を知っておくというものだ。今までカレンダーに数値を書き込んでいたが、数日前からカレンダーが空白なのは、体重計を新しくしたからだった。スマホにデータが転送されるのである。 何かを買い換えるタイミングは、故障であることが多いが、今回はその理由ではない。夫が前々から体重計の買い替えを提案していた。夫も体重管理が必要で、私も然りだ。 前の体重計も体重のほか、いくつかデータを記録…

  • 個人情報バラまき作業

    郵便局の窓口で、一通の封筒を差し出した。これで”終わり”ということになる。 もうずっとネット検索ばかりする毎日で、心身共に疲弊していた。職業訓練校を修了して三ヶ月以内に就職をし、活動報告をすることが義務付けられている。未就職という欄に丸をした紙を封筒に入れ、郵便局へ出向く。最後の活動報告をした。訓練校への報告は終えたが、実はもう一方、ハローワークの報告も数週間後にしなくてはならない。報告内容は同じであろう。 一旦、仕切り直すことにした。白紙に戻す。 破棄されることが前提の個人情報の提供だが、実に簡単に相手方はその情報を手に入れ、”私”という人間を知ることになる。応募すればするほど、ダダ洩れでは…

  • 歩こう

    「今日だけは、やめて」という男の子のママの気持ちは、よく分かる。いつもは寛容なママであることが想像されるが、今日ばかりは勘弁してほしいだろう。通りすがりの私でさえ、冷や冷やした。ランドセルを背負って、おめかしした男の子は、水溜まりに足を入れようとしていた。 日曜日、小学校の入学式を控えた親子で、土手は賑わっていた。桜の木をバックに、どこもかしこも撮影会が行われていた。一年生になる子ばかりではない。プリンセスの恰好をした小さな女の子や、中学校の制服を着た子も見掛けた。もちろん、それとは関係なく、お花見を楽しんでいる人も多くいて、とにかく混んでいた。 そんな光景を見ながら、いつものウォーキングコー…

  • 訪ね人

    携帯電話に表示される番号は、知らない番号だった。電話に出ないでいると、すぐさま、家のインターホンが鳴った。まだ朝の8時過ぎである。そこには、知らない人が居た。 カレンダーに書くのをすっかり忘れていた。ただ、遥子ちゃんの経験がここで活かされる。財布の中には、シール状になった券をすでに忍ばせていた。 玄関前に立つ”知らない人”は、粗大ゴミの回収に来たと言う。粗大ゴミを出すときには、”有料粗大ゴミ処理券”を貼っておくのだが、その券を持っているか尋ねられた。そう、財布の中にある。レシートに埋もれた券を取り出す。そして、肝心の”粗大ゴミ“は押入の中だ。慌てて取りに行く。一人で運べる、コンパクトなサイズの…

  • 繋がり

    先に彼女の方が、私に気付いてくれた。待ち合わせ場所に行くのに、同じ路線に乗ることが分かったのは、前日、彼女がグループラインで問いかけてくれたおかげだった。乗り換えの駅で合流し、次の待ち合わせ場所へと向かう。 彼女とは互いに認識できたが、次の待ち合わせ場所で会う彼女達と上手く合流できるかは、また不安だった。そのうちの一人が、着いたら写真を送ってくれると言っていたとおり、ラインに写真が送られてきた。大きな駅の改札口を出ると、写真と同じ光景が目に入る。 お昼ご飯の調達に時間を要してしまったのは、お店が数多くあるだけの理由ではない。共通する”いつもの感覚”が、私達の中にはなかったのだ。そんなわけで、目…

  • 開花宣言

    春が好きなのは、三月が誕生月だからという理由なのかも知れない。 ベランダは一面に濡れ、サンダルのびしょ濡れ具合が、午前中の雨の様子を物語っていた。午後には打って変わって、太陽が顔を出し、空を明るくした。上着は必要なかったなと思うほど、外は随分と暖かかった。寒いのも、暑いのも苦手な私は、春の気候が一番良い。 残念なのは、花粉症に悩まされるということだ。今年、花粉症用の眼鏡を購入した。 老眼鏡が必要になってから、昔に買ったブルーライトカットだけされた眼鏡は使わなくなったが、花粉の時期には登場する。気持ち花粉を防ぐためだ。しかし、その眼鏡をどこかで失くしてしまう。モノを失くすのは珍しい。誤って”捨て…

  • 順次、家の外へ

    別れの日がやって来た。最後に”ありがとう”と抱きしめた。 息子と娘には、とうに承諾は取ってあった。洋室のソファーの、しかも座面ではなく背もたれの上に鎮座していた彼らは、子供達の承諾を得てからは、私の部屋の隅へと移動していた。それから随分と長い間、そこに居た。 二体のぬいぐるみを並べてサイズを測る。近くの薬局で、ダンボールを調達するつもりでいた。もしなければ、そのまま郵便局に出向いて、ダンボールを購入すると、段取りした。遠出してまで、無償で手に入るダンボールの調達をする選択肢をしなかったのは、天気が不安定なせいもあったが、今日の午前中のうちに、荷造りと発送までを”やる”と決めていたからだった。 …

  • 決めたらやる

    部屋の片隅にあった紙袋を自転車のカゴに載せ、橋を渡った。目的地に着くと、大きい紙袋と小さい紙袋を店員に預け、店内をぐるりとする。欲しいモノを探すのではなく、引き取ってくれそうなモノを確認する。今週の初め、リサイクルショップにようやく行くことができた。少しではあるが、家からモノが減る。 その日のうちに、もう一仕事終わらせるつもりが、必要なダンボールの調達が億劫になって、見送ってしまう。モノを減らすための、とある所に送る準備である。それを決めるのにも、送り先をどこにしようかと調べるだけで、時間を費やしてしまう。 モノを手に取って、行動すれば、家の中からモノが減る。そう実に簡単なこと、、、だと暗示を…

  • どっち派?

    「きのことたけのこ、どっち派?」 ”私は、たけのこ派”と思わず、会話に参加しそうになった。小学生の男の子二人が、お菓子売り場にいる。質問した男の子は、たけのこ派で、私と一緒だった。 「じゃあ、コンソメとのり塩は、どっち派?」 同じ男の子が別の論争を聞き出す。そんな二択はあっただろうか?答える側は、いつでも彼と被らない答えだった。”どちらかというと、のり塩”と心の中で答える私と、論争を繰り出す彼とは、また同じ嗜好だった。 小さなスーパーに置かれているお菓子は限られている。異なるメーカーのポテトチップスがいくつか陳列されているが、どれも全種類は置かれていないようだ。とあるメーカーのポテトチップスが…

  • 捨て活

    使えるけど使っていないペン。回収ボックスがあると知って、躊躇なく選別する。それでも使っていないペンすべてとはいかず、数本は手元に残し、あとは袋に詰めた。 片付けの方法は、いくつも見聞きしている。”8割捨てる”方法は、その名と通り、ゴミ袋に入れてゴミとして捨てる。フリマアプリやリサイクルショップなどの利用を考えると、手間と時間がかかり、いつまでもそれらが部屋に残されてしまう。それでは、スッキリしない。とにかく捨てる。 それらの関連動画に感化され、とにかく捨てたいという思いが沸々と湧く。とはいえ、実際には、サクサクと捨てられず、手放しても困らないのに判断するのに時間がかかる。しかし、ペンの回収のよ…

  • 旅の記録 ー続きー

    先週会ったばかりの母から電話があった。ちょうどこちらからも、連絡しようとしていた。都合の良い、曜日だったからだ。あちらは雨がひどく降っているという。こちらも結構降っていると答えたが、まだそうでもなかったことが、後から分かる。その後、西から東へと雨雲が移動し、雨は先程よりも、はるかに激しく音を立てていた。 旅を終えて自宅に戻ってから、無事に帰ったとの連絡をしそびれていた。同居する小さな甥っ子がラインに気付くと都合が悪いので、タイミングを見計らっていたら、その機会を失った。 母に会ったのは、まだ旅の途中だった。その続きを記しておく。 大阪駅から少し離れた場所のホテルに滞在していた。最寄駅からも少し…

  • 旅の記録

    "かっこいいね"と雨の中を走る赤い車を、娘と一緒に見送った。 父と会った日の夜、同じ市内に住むよっちゃんと食事をした。近況はほどほどに、昔話が尽きない。記憶の答え合わせが面白い。同じ習い事をしていたのに、発表会の写真のどこに彼女が収まっていたのか、記憶がない。彼女は彼女で、別の習い事を一緒に通っていたか私に聞いたが、私は体験に連れて行ってもらったきり、通ってはいない。 互いの答え合わせと、離れて過ごした期間のことを知るには、これからもまだまだ時間が必要だ。 滞在するホテルに隣接した飲食店まで来てくれた彼女は、車で帰宅する。彼女が運転する姿を初めて見た。 帰省の際は、いつも叔母のところにも顔を出…

  • 父と娘

    毎朝日課となっていることを、すっかり忘れていた。案の定、こういう日はいつもの如く、慌てて家を出た。 駅へと急ぐ。途中で新幹線を乗り換え、西へ西へと向かう。 私が幼き頃、父がサラリーマンだった時代があったらしいが、その後は自営業で商売一筋だ。 「今年79、80やっけ?」と問うと、「81や」と答えが返ってきた。今でも昔と形を変えて、同じ商売をしている。 両親はもう何十年も前に熟年離婚をしていて、その後の父の暮らしぶりは詳しくは知らない。離婚するまでも長く別居をしていたし、父と話す機会がほとんどなく、今に至る。 そのせいなのか、遠慮というかなんなのか、意思疎通に少し欠けたりする。 今日の待ち合わせも…

  • モノを減らす

    燃えるゴミを二袋、燃えないゴミを一袋の半分ほど、捨てた。燃えないゴミの方は、捨てると決めてから長らく放置していたものだった。それらは、台所用品ばかりで、恐らく捨てたモノを記録に収めようとした当時の私が、とっておいたものだ。ちなみに、片付けているのは自室である。とりあえず、なんでも持ち込まれているので、娘がこの部屋を使っている頃に比べて、随分と雑然としていた。 30分のタイマーをかけて、片付けては休憩を繰り返し、トータル4時間を費やした。その割には、部屋はパッとしないが、ゴミを出したことの達成感は得られた。 今まで、何度も”いる”か”いらない”かをやってきて、”いらない”モノは処分してきたつもり…

  • 西へ行く

    青い空に、小さな白い雲が浮かんでいた。その光景を写真に収めたとしても、美しくはない。ゆらゆら揺れる電線が邪魔をしていた。 天気は良いが、随分と風が強い。花粉を浴びて帰宅すると、すぐさまくしゃみが出た。そうだ、マスクも必須だと気付いて、早速持ち物リストに書き加えた。来週の気温はどうだろうか、コートは邪魔かなと考えながら、また苦手な荷造りに時間がかかるのだろうなと予想した。 今年は会おうね、が実現する。昨年も友達の帰省に合わせて、実現に一歩話が進んだかのようだったが、結局そのままになってしまった。グループラインに全員の名がないのが心残りだが、連絡手段がもうなかった。 大阪へ出向く。必然的に帰省も兼…

  • しゅうかつ

    ダイレクトメールばかりの受信箱をチェックしていると、見覚えのある差出人から”要返信”と記載されたメールが届いていた。事前に聞いていた報告日が近づいていたので、そのメールの内容については、ここのところ気にしていた。 期待に応えられるような過去形の報告はなく、”○○予定”と未来形で返答する。返信内容が、芳しくなかったせいか、再度送られてきたメールには、丁寧な文面の中に、活動が少ないようですとの文言が記載されていた。 職業訓練校へのメール報告が終わった直後、今度はあちらに行く予定が入っていた。約束の日は時間も指定されていたのだが、前日になってキャンセルをした。訓練修了後は、ハローワークの担当者に、”…

  • こんな日

    踏切の向こう側にいる女性が、知っている人によく似ていた。勤務時間中にここに居るはずもなく、あまり見るのも失礼だなと、視線を逸らそうとした時、彼女は私に手を振った。似ているのではなく、本人だった。上下線の電車が通り過ぎる間が、妙に長い。もう彼女だと分かってからの、踏切が開くまでの時間を持て余してしまう。その間、携帯電話に目をやった。ちょうど12時を過ぎたところだった。なるほど、彼女は昼休みに自宅に帰ってきたのだと理解した。そういえばこの辺りに住んでいると言っていた。 前の職場で一緒だった昼休み中の彼女に、なんでここに居るのと聞かれ、百円ショップまで散歩を兼ねて歩いてきたのだと答えた。片道20分の…

  • 春一番

    待合室の椅子が足りないほど、混んでいた。時間潰しに携帯電話を眺めるのを躊躇する。自覚のない症状が、悪化するかもしれない。確かにパソコンや携帯電話を使用する時間が、大幅に増えていた。目を酷使しないよう、パソコンの使用に制限がかけられたらどうしようか、と考えた。 結論から言うと、心配する症状はなく何でもなかった。迷いなくここへ来たのは、家族が世話になったことがあるからで、自身のかかりつけ医がないことに、改めて気が付いた。 上下、左右と口で言う方向に、手も動かしていた。特に右と左が分からなくなる。リズミカルに正解を言い当てるので、文字はどんどん小さくなる。学生の時ほどではないが、視力は何年も衰えない…

  • 体調管理

    深呼吸をした。時計を見ると、16時を過ぎたところだった。アラーム音で起こされてから、30分ほど経過していたが、嫌な夢の消化がまだ終わっていない。 昔住んでいた、実家の一階の一室に、母とまだ幼い息子と居た。私は、二階に身を隠そうとしたが、息子を母に預けていくわけにはいかないと、思い直したその一瞬で、タイミングがずれた。鉢合わせたしたくない相手が帰宅した。慌てて、窓から外に出ようと試みるが、外は雨がザーザーと降っていて、断念した。結局、顔を合わすことになるが、一刻も早く自宅へ帰ろうと、幼い息子を説得していた。 こんな夢をみたのも、昼間、母と電話をしたからだ。今回はこちらから電話を掛けたが、先週に続…

  • ミッション遂行

    不備はない前提で、念のため確認をする。すると書類がニ枚足りないことが発覚する。一旦手が止まり数日が経過し、必要書類が同封されている夫宛の封筒を、ようやく捜索する。過去の私は、大事にしまい過ぎて、思いもよらぬファイルに収めていた。 ミッションが終わった。年内の年末調整に続き、年明けの確定申告も、ちょっと煩わしい。医療費が思ったより多く、驚いた。入力もその分、時間を要した。今年こそ、ふるさと納税の証明書が同封されている封筒と、医療費の領収書は、一箇所にまとめておこうと誓った。 気になることが、なかなか終わらず、時間が経過する。元々テキパキと動けない上に、行動するまで時間がかかる。この状態が続いてい…

  • 立春を迎えて

    目の前の光景に思わず”シュールすぎる”と口にした。いや、この場で声を出すのは御法度なので、正確には口にしたのではなく、心の中で呟いた。 ”シュール”という単語を使ったことがあっただろうか、ここで使うことがしっくり合っているのかも不明だが、恐らくそんな感じであろう。 夕食時、家族四人は食卓を囲む椅子に座っていた。しかし体の向きは、皆、同じ方向を向いている。声を発せず、黙々と同じものを頬張っている。娘もこのために実家へ帰ってきていた。皆、何を願って食しているのだろうか、私は家族の健康を願った。皆が東北東を向くと、私の座る場所からは三人の姿が確認できる。同じ向きで巻きずしを黙って食べる姿が、なんとも…

  • 久方ぶり

    歩道の脇に、数えきれないほどのどんぐりが落ちていた。”どんぐりって秋だよなぁ”と素朴な疑問を抱いた翌日には、もう落ち葉と共に一掃されていた。制服を着た学生と保護者の二人組とすれ違う。ここのところ、よく見かける光景だ。恐らく、受験生だろう。 五十年も生きてきたと言えば、何か一つぐらいは武勇伝が語れそうだが、何もない。長い人生経験と言えるかもしれないが、たった五十回、春夏秋冬を巡っただけだ。しかし、その間に、学生だった私は受験を経験し、母となった私は息子と娘の受験も経験した。 先日、短大の友達から電話があった。互いに「十年ぶり?かな?」なんて言ったけど、適当だと思う。 彼女とは、新年の挨拶をグルー…

  • 寒さに負けず

    ポケットに手を入れた。天気予報では、暖かいと言っていたが、風が冷たかった。 「ゆめちゃん、ダウン持ってなかった?」と遥子ちゃんが聞くのも、私が着ている上着が、薄手だったからだ。長年着ていたダウンは、この冬が来る前に処分した。着る時期が来たら購入すればよいと思って、結局買わずじまいだ。 ダウンもなければ、ウォーキングに適した、寒さ対策ができるスポーツウェアも持っていなかった。 持ち物は、中途半端だった。目的がはっきりしたものを購入するか、応用が利くものを購入するか、どちらも活躍しそうだが、どちらにも当てはまらない、なんかしっくりこないものが多かった。 寒さは、どうもやる気を妨げる。やる気は待って…

  • 平日の自由

    騒音が鳴りやんだ。昼休みの知らせだ。静かなうちに、お昼ご飯を済ませておこうと、昨日のおかゆの残りを温めた。 一昨日から続いていた胃の痛みは、今朝になって治まった。しかし、まだ体は重い。訓練校が修了し、その後、立て続けに入っていた予定を終えると、どっと疲れが出たようだった。 13時を回ると、再び騒音がした。ドリルの音は、天井に穴があくのではないかと心配するほどだ。上の階のリフォーム工事が始まった。 ようやく、平日に時間が与えられた。まだ、新しいルーティンは決まっていない。 家を出る時間までにという決まりがなくなり、午前中に洗濯機を何回も回している自分に、時間の使い方が、いやそうじゃないんだよなと…

  • 年に一度

    "Reception"と背後の壁に書かれた、長いカウンターには窓口が7つもあった。どの窓口もフル稼働で、待合室で待つ人達が次々と呼ばれていく。 席に着くと、私に充てられた番号の、一つ前の番号が呼ばれた。待合室の混み具合とは裏腹に、すぐ呼ばれるのだなと安堵した。最初に案内される、更衣室に移動するのもすぐだろう。コートは脱がずに待機した。 次に呼ばれた番号は、全く異なる番号だった。その後も規則性のない番号が呼ばれ、結局、混み具合で予想される通りの順番で、私の番が回ってきた。 その後、一時間経過しても検査は一つしか終わっていなかった。健康診断のオプションで付けた、胃カメラ検査がその次に回ってきて、憂…

  • ■ - 片付けられない「私」と向き合う

  • 冬の日

    湯舟に浸かると、体が冷え切っていることを実感する。私の体積分の湯が浴槽から一気に流れでる。湯が捌けるまで、時間を要している様子を目の当たりにして、排水溝の掃除を怠っていることに気付く。まるで銭湯のように、並々と浴槽に張られた湯は、夫が追いだきと間違って、自動お湯張りのボタンを押したのだろう。 年が明けても、まだまだ寒いということをつい忘れてしまう。気付くと体にかゆみをもった箇所が、少しずつ増えている。カサカサの皮膚は、よりカサカサしていた。手の指のなんとなく気になるところが、うっすら赤みを帯びていた。そのうち、あかぎれとなって、傷口が痛々しい。 少し寄り道をしただけで、ぐっと気温が下がっている…

  • 便り

    メールの受信箱に、見慣れない差出人の名があった。親切なお知らせは、終了と同時に継続を促すものだった。しかし、私には継続の必要はもうない。 届いた封筒のうち何通かは、ファイルに収めた記憶がある。途中から、その辺に置きだした。だいたいここら辺という、見当のついている箇所が数カ所あり、そこに埋まっている。美味しい物を食した分、封筒の数がある。 ふるさと納税の封筒を探すより厄介なのは、医療費の方だ。申告できるか定かでないが、それをはっきりさせるためにも、領収書を集めなければならない。他にも気になる書類があった。処理するための時間は、もう時期与えられる。 パートを辞めた時と似ている。何かをやり遂げたあと…

  • 環境を整える

    赤い半纏が、案外重宝していた。膝には毛布を掛け、寒さをしのぐ。箱から顔を出しているティッシュが勢いよく揺れていた。冷え切った部屋を暖めるために、エアコンがフル稼働していた。 とにかくこの部屋は寒い。 自室に居る時間が多くなった。ベットを椅子代わりにし、三段に重ねられた衣装ケースを机代わりにする。ここまでは、以前と一緒だ。その衣装ケースの上に、この度、デスクトップ型のPC一式が、こたつのある部屋から引っ越してきた。テレビ画面に繋がれていたパソコンは、今度は、夫から譲り受けたモニターに繋がれ、コンパクトになった。 とはいえ、テレビと比較してコンパクトになっただけで、狭い部屋に持ち込むには、十分場所…

  • 新年のご挨拶

    彼の名を何度も呼んだ。姿を現さない彼を心配した。部屋をぐるりと歩いても、彼の姿はなかった。私が訪ねていくと、必ず出迎えてくれる彼が、今日は居ない。 私が彼を探す様子を、彼は上から見下ろしていた。ようやく、彼がキャットタワーの上に居ることに気付いて、安堵した。今年最初の顔合わせがこれである。 相変わらず、ご飯を用意すると、彼はすぐさま食べ始める。私が来なかったら、困ったでしょう?と心の中で呟いた。彼女の方も相変わらずで、まるで置物のように、窓際で微動だにしない。彼女は、すり寄ってきたことがないので、撫でてあげたことがない。 瑠海さんから言付かった手紙を、読み直す。やり残したことがないことを確認す…

  • 東京の空

    あいにくの天気だった。正月休みも、普段と変わらず、洗濯機を回していた。 娘とウォーキングに出た午前中は、よく晴れていた。しかし、午後には雨がパラリとした。”今日は乾かないな”と呟きながら、夜にコインランドリ―へ行こうかなと考えていた。 娘も帰省し、夫も実家から戻ってきた。おせちは年々簡素化されて、今回生協で購入したおせちの中身は、ほんの数品で、重箱にさえ詰めなかった。年末に出向いたスーパでも、お正月用の品には目もくれず、買い物をした。そのため、雑煮用の白味噌をうっかり買いそびれるところだった。 何することなく、各々の空間から、時々ダイニングに顔を出しては、食するものを物色する。朝昼は、お腹の空…

  • 束の間の休暇

    角を曲がると、ビルのてっぺんに差し掛かろうとする太陽と向き合った。眩しくて、しかめっ面になる。 家事を終え、日用品の買い出しから戻ったら、もうこんな時間だった。いつもなら、五限目の最後の授業が終わる頃だ。 今日から休みに入った。勉強や課題に時間を充てるつもりだが、初日から通常の家事だけで時間が過ぎてしまう。休みの間、家事をしないと宣言したものの、全くしないというわけにもいかない。 課題の制作にいつも追われている。息つく暇もなく、次の課題が始まる、ということをここのところ繰り返していた。いつもは夏の帰省だけだが、夫が年末の帰省も提案した。当初は余裕があればと返事をしたが、課題が立て続けに出ること…

  • ■ - 片付けられない「私」と向き合う

  • ワークライフバランス

    机の下で、左手の親指と人差し指の間を、右手で揉んでいた。次はその逆で、右手の親指と人差し指の間を左手で揉む。何かしらのツボがありそうな箇所だ。 教室には時計がなかった。机の上のパソコンも閉じている。携帯電話も鞄の中だ。前で話す男性の手が上がるたび、腕時計を確認するが、よく見えない。 何度も睡魔が襲ってきた。押したツボは、眠気を解消するものではないようだ。授業の一コマが、とてつもなく長かった。 何が言いたいのか、よく分からなかった。就職支援という名のもと、外部からやってきた彼の講話を、聞き漏らさぬよう努力したが、なんともつまらない時間だった。 月に一度、ここに来る。もう何度も来ているのに、受付で…

  • 慣れ

    ”いつも"の数字を入力したはずが、パソコンの画面は変わらず、ログインに失敗する。この頃、訓練校のパソコンでも家のパソコンでも、同じ事が起きていた。というのも、各々のパスワードを違う端末に入力しているからだった。 キーボードを押し間違うこともある。よく見ると、キーの配列が端末によって微妙に異なる。 ”いつも"の事をしている手は、無意識に動いた。今朝、シャンプーを2回してしまったのも、なるほど無意識である。 天気予報のアプリを開くと、一時間ごとの天気はずっと雲のマークが並んでいた。出掛ける前に、洗濯をするのはいつものことだ。少々天気が気になっても、洗濯を干す。唯一洗濯だけは、億劫がらずにできる家事…

  • 週末は

    時刻を確認すると、起きる時間をとっくに過ぎていた。携帯電話のアラーム音が何度もなっていたのは、気のせいではなかったようだ。慌てて部屋を出ると、始発に乗ると言っていた夫は、もうほとんど身支度を終えていた。昨日、私はいつもより早い時間にベッドに入った。しかし、その前の日の睡眠時間を補うように、深い眠りについていた。 午後の授業は眠くなりがちだ。特に今日は欠伸まで出ている。作業の手が一段と遅くなった。頭の中は、帰ったら寝ることだけを考えていた。 家に着くと、今日に限って、シンクに残った洗いものや溜まった資源ごみが気になった。眠たいはずの体を動かして、ひととおり仕事を終えたら、こたつに足を入れる。ベッ…

  • 塵と山

    予報通り、雨が降っていた。 家の中に居ると、余程強い雨でなければ雨音が聞こえない。ロールスクリーンを下ろしたままの部屋からは、外の様子が覗えなかった。 帰りは雨が止むのを知っていたが、折り畳みではなく長傘を持って家を出た。傘の柄に貼られた赤いマスキングテープは、迷わず手に取るのに役に立つ。 電車で通う日々も、あと一ヶ月と少しだった。頭の中に蓄積される知識と比例して、レシートも財布の中で溜まっていた。 いつぞや紙類から解放されたはずだった。しかし、レシートを含む紙類は、財布の中だけでなく、部屋にあちらこちらの紙袋に大量にあった。 些細な行動を怠ると、溜まっていく”何か”を片付けるのには、とてつも…

  • タイミング

    うっすら白い半円が、雲一つない青い空に浮かんでいた。月だと認識はするも、なぜ青い空に浮かんでいるかは説明できない。理科の授業で習ったのだろうか、記憶にはなかった。 おせち料理にちなんだものが、スーパーに並び始めた。もうすぐ今年も終わりなんだと、突きつけられる。大晦日までのカウントダウンが始まった脳内は、すでに気持ちが忙しない。心と時間の余裕も持った、一年の終わりを過ごせるのはいつになるのだろうか。「今年こそ」の言葉は聞き飽きた。 しかし、今年はいつもと違う年末になりそうだ。”心と時間の余裕”を持つことはやはりできないかもしれない。しかし、年末特有の日常より増える家事については、しないつもりだ。…

  • 鈴が鳴る夜

    教室の後ろが少しざわついた。今しがた、先生が張り出した紙を見て、クラスメイトが声を漏らしている。何も25日に被せて来なくても良いのになと、私でさえ不満を漏らした。 休み時間、後ろの席から聞こえる話に、私も加わった。聞くと、大きさも形状も、それぞれ違った。しかし、今年最後のイベントを楽しむために、皆、準備をしているようだ。うちのはこれぐらいと、手の平を下にして、高さを示した。「もう処分して、ないんだけど」と枕詞をつけた。年に一回、天袋から出し入れするたび、もみの木の葉が散っていたツリーは、もう我が家にはなかった。 彼女の家にも、ツリーがあった。存在感のある大きなツリーだった。それでも部屋を圧迫す…

  • 全力投球

    案の定、足が温まると目を閉じていた。深く頭が下がって、首に負担を感じる。その状態を回避するため、目を開けようとするが、時間がかかる。 起きてはまた、同じことを繰り返し、結局こたつでのパソコン作業は進まない。 課題の締切が迫っていた。ノートをまとめるとか、復習をするとか、課題以外のことに割く時間がなかった。先生に質問したいことが、何なのかも整理できないまま、卒業の日までのカウントダウンが始まっていた。 こたつから出て、台所へと向かった。コンロに火をつけ、やかんから湯気が立つのを待つ。その間に、ドリップコーヒーをカップにセットする。 欠伸をしながら、コーヒーを口に運んだ。少しばかり眠気を覚まして、…

  • 来世で会う

    いつものアナウンスを、今日は聞き逃していた。誰かに押された私の体は、踏ん張っていられず、私も誰かを押していた。 今朝のことなど、すっかり忘れていた。夫が帰宅後の、最初の会話のやり取りを思い返していた。いろいろ考えていると、ふと車内の光景が蘇った。 申し訳ない気持ちで隣にいた女性に頭を下げた。しかし女性は、とても嫌そうな顔をしていた。 「電車が揺れますので、お気を付け下さい」と、いつも流れる車内アナウンスが、どのあたりを通るときに聞こえてくるのか覚えていない。 途中の駅から、立つだけで精一杯になり、四方八方、私の体は誰かに触れていた。駅に着くたび、その状態のまま、体はどんどんと奥へ流れていく。電…

  • クラスメイト

    テーブルには、マグカップが一つ、グラスが三つ置かれていた。 ちょうどおやつに相応しい時刻だった。いつもなら、デザートも注文するところだ。しかし今日は控えておく。昼食も、少なめに調整しておいた。 コートを着る季節になった。マグカップに注がれたホットコーヒーを手に、先に席に着いた。あとから続く三人は、氷の入ったグラスを手にしていた。 もう一人、相変わらず忙しい彼女は、まだこちらに来られないようだ。今日の日を迎えるにあたって、私が約束を取り付けてくれないのではと、彼女は半信半疑だった。 コーヒーを飲み終えたあと、ラインの通知音が鳴った。しばらくして、私は表に出た。こちらに向かって来る彼女、娘をすぐに…

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