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JR横須賀線「逗子駅東口」から徒歩3分、京急「逗子・葉山駅北口」から徒歩2分のところにある亀岡八幡宮古くは単に「八幡宮」と称せられましたが、昭和28年10月、宗教法人亀岡八幡神社として登録され神社本庁に所属しましたが、古くからの慣習で「亀岡八幡宮」と呼称されています。 亀岡の名称については、当社の境内は、公の地籍上「高畠」という小字になっており、なだらかな岡で、亀の背中のようであったというところから、鎌...
『承久記』によると、敗走した京方の藤原秀康、三浦胤義、山田重忠は最後の一戦を挑もうと院御所に駆けつけましたが、後鳥羽上皇は、彼らを見捨てて、門前払いにしました。山田重忠は「大臆病の君に騙られたわ」と門を叩き憤慨。後鳥羽上皇は幕府軍に使者を送り、この度の乱は謀臣の企てであったとして義時追討の院宣を取り消し、藤原秀康、三浦胤義らの逮捕を命じました。上皇に見捨てられ、失望した三人は洛南の東寺に立て籠もり...
承久3年(1221年)5月14日、後鳥羽上皇は城南宮で催す「流鏑馬揃え」を口実に諸国の兵を集めました。北面・西面武士や近国の武士、大番役の在京の武士1700余騎が集まり、その中には有力御家人の尾張守護・小野盛綱、近江守護・佐々木広綱、検非違使判官・の三浦胤義(三浦義村の弟)も含まれていました。幕府を支持した西園寺公経を捕らえて幽閉、翌15日、京都守護・伊賀光季(いがみつすえ)を討ち、後鳥羽上皇は三浦氏、小山氏、武田...