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どうする家康 第39話「太閤、くたばる」 ~慶長の役と秀吉の死~
鶴松の死後、自身の年齢から考えてもはや実子は見込めないと考えた豊臣秀吉は、養子となっていた甥の豊臣秀次を後継者と定め、関白職も譲ります。しかし、それから...
京都の豊国神社門前にある古墳状の盛り土をした上に五輪塔が建てられた塚は、耳塚と呼ばれています。豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、慶長の役で戦功の証として討ち取った朝鮮・明国人の耳や鼻を削ぎ、腐敗を防ぐため、塩漬けにして持ち帰ったものを葬った塚で、2万人分の耳と鼻が埋められているといいます。昭和44年(1968年)4月12日、「方広寺石塁および石塔」として、国の史跡に指定されました。当初は「鼻塚」と呼ばれていましたが、...
それまで縁のなかった日本にキリスト教を最初に紹介した人物は宣教師フランシスコ・デ・ザビエル(1506?-1552年)とされているが、これ以後も多くの宣教師が訪れ熱心な布教活動を展開した。ただしダ、その「布教活動」の中身が、現代日本人の感覚からしたら、ちょっとばかり