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6 桂 太郎 (1848 ~ 1913)3uwl1b~総理大臣最長記録をつくり半年で病死したニコポン宰相~ 在職2886日。3度にわたり内閣を組織し、西園寺公望(さいおんじきんもち) とともに、交互に明治末期の「桂園時代」(けいえんじだい) とよばれる黄金時代を築いた人です。ニコニコ笑って肩をポンとたたき、政治家や財界人を手懐けたので「ニコポン宰相」 と呼ばれました。日本史上に残る、総理在位最長記録の保...
安倍晋三元首相の国葬をしなければならない納得の理由はあるのか?
安倍元首相の非業の死は国葬の理由にならない。 高橋是清も原敬も浜口雄幸も斎藤実も国葬していないからである。 最も長く首相を務めていたことも国葬の理由にならない。 安倍元首相より前の最長記録保持者の桂太郎は国葬していないからである。 6度の国政選挙に勝ったことも国葬の理由にならない。 反社統一教会の助けを借りなければ勝てなかったはずだからである。 日米関係を深化させたことも国葬の理由にならない。 ...
拓殖大学の創始者である萩市出身の総理大臣・桂 太郎の「桂 太郎旧宅」
萩の生んだ総理大臣「桂 太郎旧宅」 今回は、山口県萩市が生んだ萩市出身の内閣総理大臣、桂 太郎の「桂 太郎旧宅」をお届けします。 桂太郎は、第11代・第13代・第15代内閣総理大臣を務め、笑顔の「ニコポン宰相
下記は、「木戸孝允文書二」日本史籍協会編(東京大学出版会)の「巻七慶応三年四十七品川弥二郎宛書簡慶応三年十一月二十二日」に書かれている文章です。私は、薩長など尊王攘夷急進派による明治維新との関わりで、この文章は、極めて重大だと思っています。これは、長州藩の木戸孝允が、同じ長州藩の品川弥二郎に宛てた書簡の文章ですが、尊王攘夷急進派の本音をうかがい知ることが出来る文章だと思うのです。それは「乱筆御免御熟読後御投火可然と奉存候」とあることからも察せられますが、熟読語は”火に投げて然(シカ)るべしと奉(タテマツ)り候(ソウロウ)”というのですから、他人に知られてはいけない内容であるということだと思います。次のような内容です。”…此度之御上京も兼て申承り候辺とは余程旁不平之次第に候呉々も御抜目なく御迫り立申も疎に御座候今...統帥権の独立と薩長政権の策謀
下記は、第三次桂内閣の不信任決議案に関する尾崎行雄の第三十議会(大正二年ニ月五日)における主張全文です。桂太郎自伝の解説で、宇野俊一教授も取り上げていますが、尾崎は”彼等は玉座を以て胸壁(キョウヘキ=とりで)となし、詔勅を以て弾丸に代へて、政敵を倒さんとするものではないか”ときびしく桂首相を指弾したといいます。護憲をスローガンとした桂内閣不信任決議案提案当日は、多くの民衆が早朝から衆議院を取巻き、議場も開会前から異常な緊張状態にあったということです。この時、尾崎の立憲主義の主張を受け入れていれば、日本は統帥権独立を盾にした軍部の暴走による戦争の大きな犠牲を払うことはなかったと思います。だから私は、王政復古のクーデターによって、日本を”大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス”という天皇制国家にしたことが、日本の敗戦...玉座を以て胸壁となし、詔勅を以て弾丸に代へて…