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泉岳寺の赤穂義士の墓所に向かいます。義士墓入口の門この門は浅野家の鉄砲州上屋敷(現・聖路加病院)の裏門で、明治時代に移築したものです。赤穂藩主・浅野長矩の夫人・阿くり(瑤泉院)の墓瑤泉院(ようぜんいん、延宝2年(1674年)-正徳4年6月3日(1714年7月14日)、生年については異説も)は、江戸時代中期の女性。赤穂事件で知られる赤穂藩主浅野長矩の妻。名は阿久里(あぐり/おくり)、阿久理・阿久利とも。初代備後国三次藩主の浅野長治の三女。父の死後、その跡を継いだ浅野長照の養女となった。母は浅野長重(浅野長矩の曽祖父)の娘。はじめ尚姫と名づけられたが、のちに栗姫、阿久里姫と改名した。三次藩士の落合勝信がお付きの用人として付けられ、彼女の養育に当たった。生まれてすぐに播磨国赤穂藩主・浅野長矩との縁組が進められ、延宝5...泉岳寺(3)阿くり(瑤泉院)の墓