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鬼滅の刃見て思ったんだが大正時代にざるそばってあったんか?
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1 :名無し:24/05/21(火) 15:41:39 ID:NODm1
どうなん?


2:名無し:24/05/21(火) 15:43:51 ID:Z87m1
蕎麦なんて江戸時代からあったやろ


3:名無し:24/05/21(火) 15:45:39 ID:NODm1
そうなんか
結構新しいもんだと思ってた



4:名無し:24/05/21(火) 15:46:14 ID:LdVL2
固形のそばやないの?


5:名無し:24/05/21(火) 15:47:38 ID:Z87m2
「そば」が初めて日本に登場したのは室町時代。しかし当時は「そばがき」や「そば餅」といったもので、麺に加工して食べるようになったのはやはり江戸の初め頃になってからのことだ


6:名無し:24/05/21(火) 15:48:22 ID:NODm3
はえ~、古くからあるんやなあ


7:名無し:24/05/21(火) 15:52:35 ID:Z87m1
練ったそば粉を切って麺にしていたからなのか「そば切り」と呼ばれていた。初期のころの「そば切り」は、茹でてからぬるま湯に入れて笊(ざる)にすくい、それを湯を入れた桶の上に乗せてもう一度蒸し、それを器に入れて出していたという。

それは当時の「そば」がまだ小麦粉のつなぎを入れておらず、綺麗な麺に仕上げるにはそれなりの技術と手間が必要だったためで、手っ取り早くキレギレになりがちな麺を再加熱により強くするためである。



8:名無し:24/05/21(火) 15:52:59 ID:7aMj4
1574年の文献に蕎麦切りがあるらしいで


9:名無し:24/05/21(火) 15:53:38 ID:NODm
勉強になったわ
サンキュー蕎麦の先生




関連‐【鬼滅の刃】猗窩座は何故対戦相手の下の名前を呼びたがるのか ←オススメ
   「鬼滅の刃」の時代設定って拳銃ある世界なのか
   江戸時代の蕎麦は初期と後期では味が違う
   【鬼滅の刃】痣の者は25歳までに死ぬっていうけど


鬼滅の刃 15 (ジャンプコミックスDIGITAL)
吾峠呼世晴(著)
2019-04-04T00:00:00.000Z
5つ星のうち4.7
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コメント
  1. 名も無き修羅 2024/05/22(水) 12:58
    まるで蕎麦博士だな

  2. 名も無き修羅 2024/05/22(水) 13:10
    落語でやまほど蕎麦食べるシーンがあるだろ。
    そのシーンをなんだと思っていたんだ。

  3. 名も無き修羅 2024/05/22(水) 13:30
    自分が調べもしないで疑う人間だからって作者が調べもしないで書いてると思ってんのかよ

  4. 名も無き修羅 2024/05/22(水) 13:55
    いや、むしろ何で無いと思ったんだ?

  5. 名も無き修羅 2024/05/22(水) 13:57
    しかしへたくそな絵だな
    作者終盤は鬱ってたと聞くけど手震えてたんかな

  6. 名も無き修羅 2024/05/22(水) 14:01
    鬼滅アンチってまだいたのか

  7. 名も無き修羅 2024/05/22(水) 14:21
    そりゃ子供は歴史も落語も知らんだろうさ
    寛容になろうよ、お互いに

  8. 名も無き修羅 2024/05/22(水) 14:28
    鬼も鬼狩りもいないのになぜ日本だと思い込んでるんだこいつらは?
    日本みたいな架空の国だしに威厳の絵だから正しいもクソもない

  9. 名も無き修羅 2024/05/22(水) 14:40
    時そばくらいなら落語本体ではなくネタ借用でそれなりに知られてそうな気がしたけど違うか

  10. 名も無き修羅 2024/05/22(水) 14:46
    大正時代には鬼っていたんか?

  11. 名も無き修羅 2024/05/22(水) 14:48
    なんで大正時代に蕎麦が無いって思ったんだ・・・?

  12. 名も無き修羅 2024/05/22(水) 14:53
    なんなら天そばすらとっくにあったで

  13. 名も無き修羅 2024/05/22(水) 14:54
    ちなみにアニメ2話か3話の予告で鱗滝さんが「晩飯は肉じゃがとおでんどっちがいい?判断が遅い!」とかやってたけど大正時代には肉じゃがもおでんも無いのだった

  14. 名も無き修羅 2024/05/22(水) 14:58
    ざるそばが出来たのは明治
    それまでの皿もりに対して、麺や汁を工夫した高級品だった

  15. 名も無き修羅 2024/05/22(水) 15:04
    四角のせいろ使うようになったのは結構新しいんじゃなかったか?

  16. 名も無き修羅 2024/05/22(水) 15:04
    そばもん読もう。

  17. 名も無き修羅 2024/05/22(水) 15:05
    この時代からスマホもありましたよ。

  18. 名も無き修羅 2024/05/22(水) 15:08
    肉じゃがができたのは昭和
    軍隊の料理で煮込みや甘煮があり、戦後に民間で工夫されて肉じゃがとなったとされる

    おでんができたのは大正時代
    田楽・菜飯は江戸時代からあったが
    鍋の田楽が変化したものが関西で関東炊きとして食べられていて
    これが震災の炊き出しにされたのが始まり現在のおでんの始まり

  19. 名も無き修羅 2024/05/22(水) 15:15
    うっかり八兵衛がよく食ってたろ

  20. 名も無き修羅 2024/05/22(水) 15:17
    そばのせいろ
    せいろは蒸し料理に使われるもの
    そばは菓子屋で麺を蒸して出していたが
    うどんの作り方を取り入れて江戸時代に茹でるようになったとされる
    明治時代に高級感を出す工夫として、古風なせいろが器に使われるようになった

  21. 774@本舗 2024/05/22(水) 15:18
    昔で麺と言えば蕎麦やろ
    うどんは比較的あたらしい感じ

  22. 名も無き修羅 2024/05/22(水) 15:25
    今の濃口薄口醤油が庶民に出回ったのって確か江戸の終わり位って聞いたし、初期は塩とか味噌、ひしおあるいはたまり醤油あたりで食ってたのかな

  23. ななしさん 2024/05/22(水) 15:26
    蕎麦は荒地でもできるから飢饉対策の優等生、救荒作物として重宝されてきた
    ちなみに縄文時代から栽培されていたとか

  24. 名も無き修羅 2024/05/22(水) 15:29
    うどんの起源は、一説によれば遣唐使が索麺の製法を伝えたのが原型
    これが変化して現在のうどんになった。南北朝の時代には作られるようになったという
    蕎麦は蕎麦がきで食べるもので、茹でるようになったのは江戸時代とされる

  25. 名も無き修羅 2024/05/22(水) 15:32
    現代日本においてもりそばと言えば海苔無し
    ざる蕎麦というならもりそばに海苔をのせたもの

    大正時代に海苔をのせていた?

  26. 名も無き修羅 2024/05/22(水) 15:38
    >>23
    蕎麦が痩せた土地でも育つ、というのは銀河鉄道999で知った

  27. 名も無き修羅 2024/05/22(水) 15:49
    ざるそばの海苔
    江戸時代からあたたかい花巻そばが人気だったが
    明治時代に海苔をかけたざるそばが普及した

  28. 名も無き修羅 2024/05/22(水) 15:50
    >うどんは比較的あたらしい感じ
    実はそばよりうどんのが古い(これはほぼ確定)
    うどんは小麦粉と塩水だけが基本なのに対し、そばはつなぎを使うもの(それこそ小麦粉とか)が多いのを見ても分かるようにそばを麺の形に加工するのは技術が必要になる

  29. 名も無き修羅 2024/05/22(水) 15:56
    >>23
    ヨーロッパでも麦が育たない土地では蕎麦を栽培してる

  30. 名も無き修羅 2024/05/22(水) 16:02
    ということで柱稽古編絶賛放映中
    みんな見てね!

  31. 名も無き修羅 2024/05/22(水) 16:18
    コメント読んでたら、そば食いたくなってきた。

  32. 名も無き修羅 2024/05/22(水) 16:21
    >>5
    漫画家として新人といって良いキャリアだったしな
    作画が安定しなくて本人も編集も辛かったらしい

  33. 名も無き修羅 2024/05/22(水) 16:41
    大正時代に鬼が居たパラレルワールドなんだから細かい事は気にするなよ

  34. 名も無き修羅 2024/05/22(水) 16:45
    フィクションなんだからこういう事気にする奴はアホかと。

  35. 名無し 2024/05/22(水) 16:59
    冷たい水で冷やしたざるそばってそんなに古くはなさそう。

  36. 名も無き修羅 2024/05/22(水) 17:17
    >>14
    >「ざるそば」という呼び名は深川洲崎にあった「伊勢屋」というお店が発祥とされており、1750年代には江戸の名物そばとして書物に紹介されています。

  37. 名も無き修羅 2024/05/22(水) 17:42
    なんか大体の柱って結局いなくなるんだろ?最初の1人だけで良かったのになんでそんな悲しい顛末にするんだよ

  38. 名も無き修羅 2024/05/22(水) 22:18
    ざるそばがあったか聞いてんのにそばがあったって答える奴は何かの病気なのか

  39. 名も無き修羅 2024/05/23(木) 08:10
    おでんや肉じゃがが大正時代にないなんて嘘ついてるやつがいるな。2016年に閉店したおでん専門店の呑喜は明治の半ば創業だし、肉じゃがという名称こそ比較的新しいが馬鈴薯と肉を醤油と砂糖で煮込んだ甘煮のレシピも明治から確認できるのに。

  40. 名も無き修羅 2024/05/23(木) 09:02
    ざるそばどころか戦車も戦闘機もあるよ

  41. 名も無き修羅 2024/05/23(木) 10:05
    >>25
    ざる蕎麦に海苔は店舗独自のローカルルールだよ
    清涼感を出すために盛り皿じゃなくざるで出したのが始まりで、
    うつわ以外の違いは無かった
    大流行りしたので、つけ汁にみりんを使うなど他店との違いを出してきた
    もみ海苔をかけるのはその差別化の1つで、出てきたのは明治に入ってから

  42. 名も無き修羅 2024/05/23(木) 16:13
    >>39
    おでん専門店として創業したわけじゃないし甘煮は肉じゃがじゃないじゃん
    関東大震災以前におでんは無いよ
    炭治郎達がおでんや肉じゃがを食べるとしたら物語が終わった後の時代

  43. 名も無き修羅 2024/05/23(木) 16:23
    田楽と煮込みおでんはあったから紛らわしいだけ
    関東煮以降のいわゆる現在のようなおでんを炭治郎達が目にするのは10年ぐらい後だろうね

  44. 名も無き修羅 2024/05/25(土) 08:23
    関東煮が関東大震災以降だと思っている連中がまだいるのか。震災前からたこ梅が関東煮という名称使ってるぞ。あと、肉じゃがは名称こそ起源不明だから鱗滝がその名を口にしているのは違和感があるが、明治に甘煮という名称で紹介されているレシピは現在の肉じゃがとほぼ同じレシピだ。

  45. 名も無き修羅 2024/05/25(土) 08:58
    呑喜は創業当時から西洋料理に着想を得たスープたっぷりの現在のおでんのスタイルに通じるものを出してる。あと、現在まで残っている名店だと浅草お多福が大正四年創業だから、作中だと最終選別くらいの時期だな。家庭料理として食べるようなもんじゃないとは思うが。

  46. 名も無き修羅 2024/05/25(土) 13:50
    メニューにざるそばって記載だけど実際ザルに盛って出してるとこなんてほとんどないな
    どっかのチェーンうどん屋の例もあるし、ざるで出すのは衛生上結構面倒なんだろうな
    あと東京近辺以外でざるそばと盛りそばをメニュー上分けてるところを見かけない

  47. 名も無き修羅 2024/05/27(月) 10:47
    西日本と東日本で感覚が違うんじゃないか
    東京にいたら博物館とかの見学でそばが出てくる浮世絵とか見る機会あるし、長野や東北の田舎ならそば文化が根強く残ってるから「そば=古い」って感覚があるだろうし

  48. 名も無き修羅 2024/05/29(水) 08:21
    「そばもん」によるともり蕎麦はかけ蕎麦よりも歴史が古くて、秀吉が大阪城建築の人夫たちに「ソハキリ」をふるまったとか。少なくとも江戸初期には庶民の食事として親しまれた。

    海苔が乗ってる笊蕎麦となると18世紀中盤ごろの発明だとか。

  49. 名も無き修羅 2024/06/05(水) 15:14
    wikiぐらい読んでからコメントしろ、この糞馬鹿どもが

    江戸時代初期、江戸の市場に入津する醤油の多くは上方からのものであり、享保期の調査によれば70%以上が上方のものであった[15]。これが1800年代に入ると江戸市場周辺の地廻り経済圏から供給される醤油の比率が高まり、幕末の1856年には上方醤油は5.6%となった。元禄期に銚子で始まった醤油醸造は[15]、やがて江戸経済圏の発展とともに香りと味の良い醤油を盛んに供給するようになり、削り節に醤油や砂糖、みりんを入れた甘い汁で煮込んだ「おでん」が作られるようになった。外食産業が盛んであった江戸では、「おでん燗酒、甘いと辛い、あんばいよしよし」の掛け声で売る「おでん かんざけ」と書いたのれんを掲げたおでんの振売や屋台が流行した。この頃には、ハンペンも種として使用されるようになった。江戸では鰹節の削り節が利用されるようになっていて、昆布と合わせて出汁とされた。日本橋室町界隈は魚河岸(市場)が近く、その後に移転した築地市場周辺にかけて、創業元禄元年(1668年)の老舗が存在している[16]。

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