谷底の駅で - チロキシンな日常±
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谷底の駅で

気まぐれ旅行記
08 /21 2024


旅は気まぐれとはいうが、年末に四国を訪れたときも本当に気まぐれで、このときも徳島を出発して徳島線から土讃線に流れて多度津へ向かうという大まかな計画しか決めていなかった。

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それで、車窓の吉野川を眺めながら、良さそうな駅があったら乗っている列車を途中で下りるか、それとも土讃線にすぐ乗り換えて秘境駅の「坪尻」を目指すか、未だに決めあぐねていた。

そこへやって来たのは、陽気な車掌さんだった。
「お客さんどちらまで」
「えーっと…」
一応、この列車を下りるかどうかは別として土讃線には乗り換えようとは思っていたので、そう伝えようとしたのだが、阿波池田の手前にある乗換駅の名前が出てこない。その様子を、車掌さんはどうやら察したようだった。
「佃?」
考えていたことを読まれて一瞬驚く。
「…そうです、それです」
「そして乗り換えて坪尻行くんかな?」
「それも良いなと思ってました」
歯切れの悪い回答だが、特に目的地を決めておらず、本当にそれも良いと思っていたのだから仕方がない。
「そしたらね、穴吹までに前2両に移ってください」
今度はこちらが察する番である。
「切り離しですか」
「そうそう、山瀬、山川、川田、あと4駅ですから」
どうやら車掌さんは切り離しとなる後ろ2両に乗っていた客に対してはもれなく声をかけてくれているようだったが、とにかく陽気な人で、その後も他の乗客とローカルな会話で盛り上がっているのを見かけた。私のほうはというと、せっかく車掌さんの口から坪尻という駅名を聞いたことだし、佃で乗り換えて有名な秘境駅へ向かうことをこのとき決めた。彼がそう言うくらいだから、きっとこのスジでは駅を目的地とする人が多いのだろう。




けれども坪尻に停まる列車はたいへん少ないから、一度県境を抜けてその先の讃岐財田という駅で下車し、再び引き返して坪尻を訪れ、また香川県側へ戻るという行程にすることにした。それで、駅との一度目の邂逅は車内からの見物ということになった。深い山の中にぽつんとホームが現れて、まだ真昼なのにここにはもう日が届かない。ここで何人かの乗客が下車し、また何人かが乗り込む。しかし何とも特殊な駅である。運転手は扉を閉めると、運転台から出てきて車両のいちばん後ろまで進む。そして後ろ向きに進み、再び前に戻ってきてもう一度出発する。もっと奇妙なのは、車内の乗客がそれを物珍しい面持ちで見守っているということだ。中には運転手を追いかけて、先ほどまでは「後ろ」だった「前」の風景をカメラに収める者もいる。

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讃岐財田の訪問を終え、再び坪尻に戻ってくる。山の中で静かに個性を主張するホームに列車が停まると、先ほど下車した何人かの乗客が乗り込んだ。反対にこの列車で下車したのは…何と自分ひとりである。こういった知名度の高い駅は、だいたい駅そのものが目当てで訪れる人がいるし、さらには本数も少ないから、必然的に誰かと行程を同じくすることが多くなる。それだけに、一人だけで列車を下りるというのは稀有な体験である。

かくして駅にひとり残された私は、人里離れた山の空気を独り占めするという僥倖に恵まれ、誰もいない待合室の掲示を眺め、味のある駅舎をさまざまな角度から写真に収め、駅から出る獣道のような坂を少しだけ上り、踏切に書かれた特急列車の通過時刻にはホームでその列車が来るのを待った。もう一度待合室に戻ると、机に置かれた駅ノートを開き、山の底にひとりでたどり着いた感慨深さを率直に書き記した。




迎えの列車が来るのはまだ一時間ほどあとになる。その時間をどのように過ごそうか、狭い待合室でそう思案しているとき、ふと足音が聞こえることに気付く。先ほどの列車で下りたのは自分だけのはず、そう思って一瞬身構えたが、小さな待合室の扉を開けたのは、旅の夫婦であった。本当に駅があったんだ、と目を丸くしている様子である。
「歩きですか」
思わず話しかける。聞けば、姫路から来られたというこの夫婦は、車で上の道を走っていて駅への看板を見つけ、ここまで急な山道を下りてきたという。私は14時の列車で来て17時の列車で帰る予定だと時刻表を指さしながら言うと、「そんなに待つんですか!」と驚かれる。私からすれば、あの獣道をここまで下りてきたということのほうが驚きだったが。

そこからは、旅の話に花が咲く。その夫婦は車で城をめぐっているのだということで、各地の話を聞かせてもらう。宇和島城に珍しく雪が積もったときの写真も見せていただいた。せっかくなのでホームに一緒に出て、目の前の線路を眺める。私は自慢げに、
「こっちの線路から来た列車はいったん後ろ向きで戻ってくるんですよ」
などと我が物顔でスイッチバックの説明をする。私とて今日初めてここに来たのだから、すべてを知っているかのようにそのような話をするのはおかしなことなのだが。

やがて夫婦は上の道に戻るためもう一度あの山道を上るというので、そろそろ、と別れを切り出す頃合いになる。しかしその刹那、
「もうひとり下りてきた」
見ると、さらにもう一人、山道を下りてくる人影がある。
「歩きですか」
カメラを持ってホームに上がってきたその男性にも思わず話しかけると、何とひとつ前の列車で下りて、山道を上り、道路よりもさらに上にある展望台まで往復して戻ってきたのだという。先ほどまで静まりかえっていた山底の駅は、何だか賑やかになってきた。誰もいない駅も雰囲気があって良いのだが、こうして語らいが生まれるのもまた新鮮である。




そうして夫婦はまたあの山道を歩き出し、ホームには私と男性が残った。しかし、歩き出す夫婦の後ろ姿と、高い山の上にある空の色を眺めて、ある考えがよぎる。それを彼は察したようだった。
「行ってきたらどうですか、40分くらいですよ」
「雨、大丈夫ですかねえ」
「まだ大丈夫でしょう。荷物、見ておきましょうか」
せっかく来たのだからと、私は男性の言葉に甘え、リュックを置いて山道を上ってみることにしたのだった。

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歩き出してみると、それは駅前通りとは到底思えぬ狭い山道で、ところどころ倒れた木の枝が頭上に被さっている。それでも道は、天上と下界を結ぶように、しっかりと続いている。

どれほど歩いたであろうか、しばらくして、上のほうから声が聞こえた。先ほどの夫婦である。私は彼らを驚かせるつもりで、歩調をはやくする。
「また会いましたねえ」
おどけて言った私の姿を彼らは認めたが、どうやらしばし休憩をしていたようだった。
「近道しようとしたらはまっちゃって」
「お先に失礼しますよ」
夫婦を抜かして先に進む。

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山道を抜けた先には確かに車道があり、そこには「坪尻」と書かれたバス停と、駅の方向を表す標識が立っていた。600mと書かれているのだが、その道は600mという距離からはなかなか想像できない過酷な山道であることが、いま通ってきたことで実感できる。
やがて夫婦が追いついてくる。
「さすが、若いね」
私は少しだけ得意になって、けれども若いと言われるのはいつまでなのだろうか、とも考えながら笑顔で返す。そして山を上るきっかけをくれた彼らに感謝の意を表して、ここで折り返すことにした。
「この先もお気を付けて」
今度こそ本当に別れを告げることになる。もう彼らと会うことはない、そう考えると少し名残惜しい気持ちがしたが、私は再び山道へと入ると、もう後ろを振り返ることはしなかった。




再び山の底へと戻る。待っていてくれた男性は東京から鈍行列車の旅をしているらしかった。今朝は徳島から来たのだが、列車を間違ってしまい、午前中に来るはずが遅くなってしまったらしい。つまり、彼の旅程が計画通りであったならば、私はここで彼と一緒になることはなかったということになる。同じように、徳島線で出会った車掌の一言がなければ、私もここにはたどり着いていなかったかもしれない。先ほどの夫婦だって、同じように…。

ふと山の上の方を見上げると、先ほど上った道の先にあった、駅への看板を見つけた。私たちが今日この時間にこの場所で集ったのも、あの爪の先ほど小さな看板を広大な山の中から見つけるくらいの偶然なのだと思い返す。

それから私たちふたりは、暗黙の了解を得たように、思い思いの場所で写真を撮ったり、山の空気を吸ったり、この先の旅程を思案したりした。いつの間にか、空は段々と暗くなってくる。トンネルを抜けてやってきた列車の前照灯は、その中ではまぶしいほどに明るかった。

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「お別れですね」
同じ列車に乗り込むとき、彼はそう言った。その言葉を聞くと、またほんの少しだけ寂しい気持ちになる。しかし、駅とは元来そういうものである。全く知らない旅人たちが偶然同じ列車を通じて一堂に会し、またそれぞれの旅路をなぞるために散らばっていく…。

この駅に停まる列車は、今日はもうない。谷底の駅は、再び静寂の中に包まれていく。


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