1:◆yufVJNsZ3s 2012/07/11(水) 18:07:57.32 ID:yFuxTM2h0
道具屋「あくまで噂だけどな。ウチにも聖水や満月草の注文が大量に入った。信憑性はある」

道具屋「兄ちゃんも、下手に旅なんかするよりは、兵士として雇ってもらったほうがいいかもな。はっはっは!」

道具屋「で、薬草と毒消し草だ。ほら」

勇者「ありがとうございます」

道具屋「このご時世に二人旅とは大変だな。しかも、随分と別嬪さんじゃないか」

狩人「……」

勇者「はは……」

狩人「勇者、いこ」

道具屋「ありがとうございー。またのお越しをー」

 勇者はともに旅をする狩人に引かれる形で道具屋を後にする。

 ここは鄙びた小村である。往来に人通りは多いが、誰しもみな力がない。
 それが魔王による長年の影響のせいであろうことは、想像に難くなかった。

 ふらふらとした一つの影と、足取りのしっかりとした一つの影。
 少し険のある、くたびれた印象の、剣を帯びた男――勇者。
 三白眼で褐色肌の、矢筒を担いだ女――狩人。




2: 2012/07/11(水) 18:09:13.44 ID:yFuxTM2h0
 二人は魔王討伐の旅のさなかであった。

勇者「疲れた……」ハァハァ

狩人「いつも思うけど、どうしてそんな遅いの」

勇者「お前が健脚すぎるんだよ、ったく」

狩人「けんきゃく……?」

勇者「足が速いってことだ」

狩人「勇者は物識り」

勇者「ルーン文字の一つでも覚えたほうが役に立つさ」

勇者「それより寝るところを確保しないと」

狩人「うん」

勇者「お、あったな。あれだ」

宿屋主人「よ、いらっしゃい」

勇者「二部屋あいてますか?」

宿屋「二部屋、二部屋かぁ。すまんね、旅人のみなさんに貸してて、一部屋しか残ってないんだわ」

3: 2012/07/11(水) 18:09:58.98 ID:yFuxTM2h0
勇者「だってさ。どうする?」

狩人「どうする、と言われても。ここ以外にないなら、ここしかない」

勇者「もっと嫌がるかと思ったけど」

狩人「野宿よりはましだし」

狩人「一年半も旅してれば、気にならない」

勇者「さいですか……」

勇者「あー、じゃ、それでいいです」

宿屋主人「まいどありー、80Gになりやすー」

 勇者は鍵を受け取って二階へと上がった。
 部屋には粗末なベッドとラグが数枚あるきりで、他に大したものは見当たらない。
 この程度の安普請は仕方がないな。勇者は息を吐き、振り返った。

勇者「ベッドが一つだけど、」

狩人「勇者が」
勇者「狩人が」

二人「「……」」

4: 2012/07/11(水) 18:10:42.64 ID:yFuxTM2h0
狩人「……」ジー

勇者「わかった、わかったよ。俺が寝るよ」

狩人「一緒に寝る?」

勇者「冗談だろ?」

狩人「……」ジー

勇者「そんなジト眼で見るなよ」

勇者「慕ってくれるのは嬉しいけど、やめといたほうがいい」

狩人「恩返しがしたいの」

勇者「一緒に旅してもらってるだけで十分だ」

勇者「大体、そのためにお前を助けたわけじゃない」

狩人「私がどう受け取るかの問題」

勇者「それに、未練があってもいやだろ」

狩人「未練?」

勇者「冒険者なんてやくざな稼業だ。明日の命もわからん」

5: 2012/07/11(水) 18:11:10.62 ID:yFuxTM2h0

狩人「怖いのか? 氏ぬことが」

勇者「頃して、殺されて、なんぼだろ。理解はしてる。ただ、氏ぬのは悲しいからな」

狩人「勇者」

勇者「ん?」

狩人「よしよし」ナデナデ

勇者「……」

狩人「落ち着くか?」

 「落ち着く」と素直に返すのはなんだか癪だった。
 顔の火照りを悟られないようにしつつ、勇者は立ち上がる。

勇者「俺は買い物に行ってくるから、休んでてくれ」

狩人「私も行く」

勇者「疲れてるだろ」

狩人「私も、行く」

勇者「……まぁ、いいけど」

6: 2012/07/11(水) 18:12:09.84 ID:yFuxTM2h0
狩人「だいたい勇者のほうがふらふらしてた。来るとき」

勇者「俺は回復が早いからな」

狩人「ベッドあるぞ。休まなくて平気か」

勇者「だいじょうぶだよ」

狩人「添い寝もするか――あうっ」

狩人「なぜ叩く」

勇者「行くぞ」ガチャ

狩人「本当につまらないやつだ」

狩人「たまには私の肉体に溺れればいいのに」

勇者「魔王倒したらな」

狩人「えっ」

勇者「うそだ」

狩人「ずるい」

勇者「ずるくないずるくない」

7: 2012/07/11(水) 18:13:21.22 ID:yFuxTM2h0
狩人「どこに行くの」

勇者「道具屋と、ギルドだな」

狩人「……」

勇者「どうした?」

狩人「え?」

勇者「ついてくるんだろ?」

狩人「(コクコクコク)」

勇者「じゃあ、来い。探すのはお前の仲間でもあるんだから」

 往来に出る。
 嘗ては馬も行き交っていたのかもしれないが、荷車を引くのは、今や人、人、人。
 馬は全て王国軍に軍馬として召し上げられているのであった。

 あながち道具屋の言っていたことも嘘ではないのかもしれないな、と勇者は思った。
 隣国とは不仲である。一触即発というほどではないにしろ、不穏な空気は常にあった。国境では小競り合いも何度かあったという。
 それでもなんとか天秤が保たれてきたのは、第三勢力として魔王軍が存在したからである。

8: 2012/07/11(水) 18:14:04.49 ID:yFuxTM2h0
 同類を[ピーーー]よりも人外を頃したほうが後腐れはない。それが両国の判断だった。どうせあちらは滅多に言葉すら解さないのだ。
 魔王軍はゆっくりと、だが着実に力を増してきている。隣国とも手を取り合って叩かねばならぬと、両国王がわかっていないとも思えない。

 だが、笑顔の裏には常に刃が隠されている。厚い厚い面の皮を破って、いつ刃が飛び出してくるか――誰もがびくびくしているのだ。

 輦轂の下にある道具屋のみならず、田舎にまで注文が来るということは、眉に唾をつける必要がない証左だ。
 そんなことをぼんやり考えながら勇者は歩を進める。

9: 2012/07/11(水) 18:15:55.22 ID:yFuxTM2h0

狩人「どこに行くの?」

勇者「ギルドだ。二人よりも三人、三人よりも四人」

狩人「そっか。うん。わかった」

勇者「含みがあるな」

狩人「二人きりでもいいけど」

勇者「旅行じゃないんだから……」

狩人「わかってる。言ってみただけ」

 ギルドは新しく、村の中でもわりあい大きかった。こんな大陸の外れまで争いの予感が届いているのだ。
 旅人で部屋が埋まっているといった宿屋の言葉もうなずける。

10: 2012/07/11(水) 18:16:42.47 ID:yFuxTM2h0

 勇者はギルドの扉を開いた。皮と、鉄と、汗のにおいが一気に流れてくる。
 五感の鋭い狩人がわずかに顔を顰めた。

 静かだが、それだけではない空間である。緊張が静電気となって二人の肌を焼く。
 こちらがあちらを値踏みするように、あちらもまたこちらを値踏みしている。

店主「いらっしゃい」
勇者「旅の仲間を探しているんですけど、二人ばかり」

 たむろしている男が、女が、勇者とマスターのやり取りに耳を傾けている。
 勇者はそれをあえて無視し、軽く店内を一瞥した。

店主「テーブルに、座っている奴らがいるだろう」

勇者「声をかければいいのか。誰でも?」

店主「あぁ。ただ、仲介料は取るよ。100Gだ」

勇者「……狩人?」

狩人「(ジー)」

勇者「何を見てるんだ……ばあさんと、ガキ?」

 店の奥、二階へ上る階段のそばで、老婆と少女が何かを飲んでいる。
 どちらもギルドにはおおよそ場違いな年齢で、勇者は思わず本音を漏らしてしまった。

11: 2012/07/11(水) 18:18:19.68 ID:yFuxTM2h0

狩人「そんな言い方はよくない」

勇者「事実だろ」

狩人「二人とも、手練れ。だいぶ強い」

 狩人の人を見る目は悪くない。また、彼女自身が相当の手練れでもある。
 そんな彼女をして手練れと言わせしめる老婆と少女は、少なからず勇者の興味を引いた。

勇者「お前が言うならそうなんだろうな。ちょっと声をかけてみるか」

少女「その必要はないよっ!」

 黄色い、少女特有のソプラノであった。
 気が付けば勇者の胸のあたりに少女の顔がある。
 年齢相応の、けれど意志の強そうな、凛々しい顔である。

少女「ちょっとちょっと、初対面に向かってババアだのガキだの、無礼な男ねっ!」

勇者「ババアとは言ってないけど」

少女「おんなじことでしょ! 武器の錆にするよっ!」

12: 2012/07/11(水) 18:19:19.23 ID:yFuxTM2h0

 ざわ、ざわ、ざわ。周りが騒ぎ出したのを察して、勇者は「厄介だな」と口元を隠す。
 着いてそうそう騒ぎを起こしては、この村に宿泊することも叶わなくなる。
 やたらに血気盛んな少女から視線を外さず、残った手で勇者は道具袋の煙玉をつかんだ。

 と、勇者の肩を叩く者があった。少女と一緒の席についていた老婆だ。

老婆「若いの、ちょっと場所を移さんか。ここは騒がしくていかん。年寄りには堪える」

勇者(いつの間に後ろに……?)

 煙玉が間に合うか。戦場では思考の時間が生氏を隔てることもある。逡巡している暇はなかった。
 煙玉をつかんだ手を袋から抜出し、

狩人「わかった」スタスタ

 狩人が扉を開いて出ていく。勇者は煙玉を道具袋に戻し、自分でも素っ頓狂だとわかる声を発した。

勇者「か、狩人?」

老婆「じゃ、わしも行っとるぞ」

少女「待ってよおばあちゃんっ」

勇者「え?」

13: 2012/07/11(水) 18:20:36.00 ID:yFuxTM2h0

 聞き返したつもりではなかったが、少女は耳聡いらしい。剥き出しの敵意で勇者を睨め付ける。

少女「は? おばあちゃんよ。アタシの」

勇者「孫と一緒に旅してるのか?」

 親子で冒険、という組に出会ったことはあったが、孫と祖母という組み合わせは初めてだった。

少女「ちょっとちょっと、アタシのおばあちゃん馬鹿にしないでよねっ」

勇者「してない」

少女「いや、したっ」

勇者「わかったから。行くぞ」

少女「指図すんなっ、馬鹿!」

 少女に尻を蹴られながらも外に出ると、日光の下、狩人と老婆が立っている。

老婆「遅かったな」

14: 2012/07/11(水) 18:21:47.74 ID:yFuxTM2h0

勇者「機嫌を損ねたなら謝る。悪かった」

老婆「そういうことではない。お前ら、魔王を倒すために旅をしてるんじゃろう?」

勇者「なんでそのことを?」

老婆「ひゃひゃひゃ……伊達に歳を食ってるわけじゃないぞ」

老婆「なに、旅に加えてもらおうと思ってな」

少女「おばあちゃんっ」

 少女が反射的に声を上げるが、老婆は慣れた様子でそれを諌める。

老婆「まぁ、慌てるんじゃない」

老婆「住んでいたのは北にある辺鄙な村でな。そのせいか、よく下級の魔物がやってくる」

老婆「わしの血脈はみな村を守るために戦っていた」

老婆「しかし、気が付いたんじゃよ。このままじゃ埒が明かないということに」

老婆「お前らも同じ、魔王を倒したいんじゃろう? 利害は一致しておる」

15: 2012/07/11(水) 18:22:37.14 ID:yFuxTM2h0

少女「でも、こんなやつらだめだよっ。絶対弱いよ!」

勇者「なんだって?」

狩人「勇者。大人げない」

少女「おばあちゃんがいいって言っても、アタシはよくないっ」

少女「魔王を倒せるくらい強くないと、意味ないもんねっ!」

勇者「って、言ってるけど」

狩人「うー……じゃあ、怪我しない程度に」」

少女「怪我で済めばいいけどねっ! ぺしゃんこになっても知らないよっ!」

勇者「安心しろ、すぐ終わらせる」

16: 2012/07/11(水) 18:23:28.77 ID:yFuxTM2h0

 勇者はその時ようやく、目の前の少女が背負っているものに気が付いた。
 雲のような鈍色をした金属。柄の先端と殴打面には金色の幾何学模様が描かれている。

 金槌。それも、少女と同じくらいの長さのある。

 ベルトを二か所外し、明らかに重量のあるそれを、少女は綿でできているかのように片手で振りぬいた。
 きっかけこそ不意ではなかったが、速度は余りあるほどの不意であった。しかし、勇者はそれを見ながらただため息をつくだけで、

 ぶちっ

少女「え?」

 次の瞬間には勇者の潰れた頭部が転がっていた。

 これくらい軽く回避できると思っていたのだろう。もしかしたら単なる威嚇のつもりだったのかもしれない。
 少女はぽかんとした表情で、声すらあげず、目に涙を溜めるばかりである。

17: 2012/07/11(水) 18:24:23.59 ID:yFuxTM2h0

 砕かれた頭から、頸動脈から、血が噴出し往来を染め上げていく。

 遠くから聞こえる通行人の困惑と、叫び声。

エッ ヒト シンデナイ?
サツジン?
ウソデショ……

少女「ッ!?」

狩人「逃げます」

老婆「おやおや……転移魔法を使うかい?」

狩人「できれば」

老婆「ほれ、孫、行くよ」

老婆「んじゃ、ほい、と」ヒュンッ

18: 2012/07/11(水) 18:27:35.22 ID:yFuxTM2h0
――――――――――――――――
 勇者は夢を見ていた。
 いつも、氏んでいる最中は夢を見る。
 大抵は地獄のような、彼を苛む夢であるが、時たま生まれ故郷の夢を見ることもある。

 今回は後者であった。

 生まれたのは魔王城を頂く山の麓にある町だ。
 治安は決してよくないけれど、それゆえに守りも手厚く、目立った人氏にが出ることもない。そんなところ。

 幼いころから、剣の素養も魔法の素養もあった。
 器用なのか器用貧乏なのか、それはともかく、支配領域を強めている魔王に対抗すべく出発するのは、まったく不自然ではなかった。

 誰しも口にこそしなかったが、彼の双肩には期待がかかっていたのだ。

 このままでは、町はいずれ迎えるであろう魔王城攻略の要衝となり、戦火は免れない。そのためだった。

19: 2012/07/11(水) 18:28:48.68 ID:yFuxTM2h0
 旅は熾烈を極めた。最寄のギルドに行くのすら、山を下りなければいけない。
 魔王を倒す仲間を集めることすら難しい。
 一週間もたたず殺された。どこにでもいるようなゴブリンが相手だった。

 意識が朦朧とする中、光に包まれた女性が目の前に立っているのを見た。
彼は、彼女に何者なのかを問うた。

『あなたの嘗ての先祖に、高名な冒険者がいました。彼は仲間とともに、魔王を打ち破ったのです』
『血に刻まれた加護が、魔王を倒す力をあなたに与えている』
『魔王を倒すまで、あなたにとって、氏は休息であり終焉ではない』
『古の加護。自動蘇生。その名はコンティニュー』

 夕方、木の根元で目を覚ました。

20: 2012/07/11(水) 18:29:44.18 ID:yFuxTM2h0
 とりあえず仲間を探すところから始めた。
 魔物を頃しながら経験を積み、山を下り、王都に向かった。
 煌びやかな装飾。聳え立つ煉瓦造りの教会。煙を吐き出す煙突。

 故郷と比べてはるかに偉大な土地を、ひっきりなしに兵士が動いていた。
 魔王の軍勢が各地で活動し、その対応に追われているのだと、武器屋の主が教えてくれた。

 最初に旅をしたのは、そこで見つけた三人の仲間とである。
 青い瞳の柔和な僧侶。
 故郷に錦を飾るのが夢の武闘家。
 国境警備軍を辞めてやってきた騎士。

 いい仲間だった。

 武闘家には酒を。騎士には戦術を。僧侶には女を。それぞれ教えてもらった。

21: 2012/07/11(水) 18:31:28.58 ID:yFuxTM2h0
 そして、全員が氏んだ。

 わずかな気の緩みが命取りだったのだ。
 魔物の隊長格との戦闘で、騎士が倒れ、武闘家が倒れ、僧侶もまた倒れた。
 相討ち覚悟で隊長格の首を薙ぎ払い、勇者もまた倒れた。

『コンティニュー』

 暗闇の中にその文字が浮かんだかと思えば、魔物の根城の前で倒れていた。
 根城の中には、三人の氏体と、魔物の灰だけがあった。
 彼は勝ったのだ。方法と、犠牲はともかくとして。

 しかし、犠牲を顧みない勝利に、いったいどれだけの価値があるだろうか?

22: 2012/07/11(水) 18:32:23.32 ID:yFuxTM2h0
――――――――――――

 勇者が目を覚ますと、鬱蒼と茂った木の葉が見えた。
 ところどころから木漏れ日が差し込んでくるが、それにしたって薄暗い。
 気温から察するに夕方のようだ。

勇者「……あー、復活したか」

 首と顔を確かめながら呟く。加護はいまだ健在のようだ。

狩人「おはよう」

勇者「どれくらい寝てた? ここは?」

狩人「おばあさんの転移魔法で、森の中。四時間くらいかな、復活までには」

勇者「そっか」

狩人「大変だったんだから」

勇者「いっつも迷惑をかけるな」

狩人「女の子は吐きまくってグロッキーだったし、宿屋には泊まれないし」

23: 2012/07/11(水) 18:33:09.81 ID:yFuxTM2h0
勇者「埋め合わせは、必ず」

狩人「別に、いいけど」プイッ

勇者「あの、狩人さん?」

狩人「なに」

勇者「腕を抱きしめてるのは、なぜ」

狩人「……」ギュッ

勇者「……なんだよ」

狩人「辛そうな顔してたから」

勇者「夢を見てた」

狩人「いっつもだね」

勇者「うん」

24: 2012/07/11(水) 18:33:40.64 ID:yFuxTM2h0

勇者「夢の中で、俺の冒険を俯瞰してるんだ。どんどん仲間を使い捨ててきたよ」

狩人「大丈夫だから」ギュッ

勇者「お前もいつか氏ぬだろ?」

狩人「氏なない。逃げる」

勇者「……」

勇者「ていうか、あのばあさんとガキは?」

狩人「薪を集めにいった。慣れてるみたい、野営」

勇者「すげぇばあさんとガキだな」

狩人「うん……」ギュッ

勇者(あったけぇ……勃ちそう)

25: 2012/07/11(水) 18:35:23.86 ID:yFuxTM2h0
狩人「楽したでしょ」

勇者「え?」

狩人「女の子と戦ったとき。氏んだほうが早いって」

勇者「あれはダメだ、勝てない。逆立ちしても無理。負けイベントだな」

狩人「やっぱりそうだったの?」

勇者「対峙してわかった。ありゃ化けもんだ。手練れってレベルじゃない」

狩人「あの後、大変だった」

勇者「あぁ、村の人たち騒がせちゃったな」

狩人「そうじゃなくて、女の子」

勇者「そっちか。驚かせて悪かったとは思うけど」

狩人「そうでもなくて」

勇者「?」

26: 2012/07/11(水) 18:36:28.58 ID:yFuxTM2h0
狩人「あのあと――」

少女「本人のいないところでそういう話は感心しないなっ!」

 振り向けば、鎚を背中に背負った少女が立っている。手には大小の木の枝。
 恐らく焚火にするつもりなのだろう。

狩人「ごめん」

少女「いいですけど。……ふん、アンタは大した食わせもんだね。勇者っていったっけ」

勇者「だってお前強すぎるんだもん」

少女「ふんっ。そりゃそうだよ。だから魔王倒しに行けるんだし」

勇者「ていうか、バ……おばあさんは?」

老婆「ここにおるぞえ」サワリ

勇者「ギャーッ!」

 背後から節くれだった指が勇者の頬を撫でた。
 性的なにおいのする愛撫に、全身が鳥肌を立てて拒絶する。

27: 2012/07/11(水) 18:37:07.70 ID:yFuxTM2h0

勇者「な、なにすんだ!」

老婆「ひゃひゃひゃ。たまには若い男に触らんと長生きできんのよ」

 老婆もまた枝葉を抱えていた。それをまるで重そうに狩人へと渡す。

狩人「ありがとうございます」

老婆「なに、そう大した手間でもない。若者も元気そうで何より」

老婆「で、若者。ひとつ聞きたいんじゃが……」

老婆「お前のその蘇生、一体全体、どういう理屈じゃ?」

 深い皺の刻まれた表情に一瞬だけ狂気の色があらわになる。
 老婆は目を剥いて、食い入るように勇者から視線を逸らさない。

老婆「蘇生魔法は遥か昔に失われておる。その加護、神代のにおいがするなぁ……?」

老婆「お前に目を付けたのはそれのためよ。なぁ、若者。実に興味深い」

勇者「あんまり顔を近づけないでくれ。加齢臭がやばい」

老婆「あまりつれないことを言うなよ」

28: 2012/07/11(水) 18:37:57.70 ID:yFuxTM2h0

 指が勇者ののど元に突き付けられる。
 老婆の爪は、なぜかその一本、右手の人差し指だけが、やたらに長く鋭い。
 皮膚に爪が押し込まれる。血こそは出ないが、かなりの力だ。

 ぞわり、としたものを、勇者は背筋に感じた。

老婆「お前の腹を捌けばわかるかもねぇ?」

少女「おばあちゃん!」

 鋭い声。
 老婆が振り向くよりも早く、背中へと短刀の刃があてがわれる。
 狩人が持っていた木の枝が、ばらばらと音を立てて落ちた。

狩人「冗談だとしても笑えない」

 相も変わらずに朴訥な声で狩人は言った。底冷えのする眼光を伴って。
 少女はその時漸く、いけ好かないあの男と行動している女が、なるほど確かに狩人なのだと気が付かされた。

29: 2012/07/11(水) 18:38:32.48 ID:yFuxTM2h0

 老婆は「ひゃひゃひゃ」と一転軽く笑って立ち上がる。
 そうして深々と下がる、彼女の頭。

老婆「いや、なに。すまなかった。悪ふざけが過ぎたようじゃ」

狩人「……そう」

 短刀を鞘に納めて狩人は息を吐く。それだけで幾分か空気が弛緩するようで。

少女「もうおばあちゃんなにやってんのっ!」

老婆「老い先短いババアの戯言だと思って、大目に見てくれ」

勇者「……とりあえず、ご飯食べない?」

30: 2012/07/11(水) 18:40:10.75 ID:yFuxTM2h0
――――――――――――――――――
 日もとっぷり暮れ、月影すらも見えない曇天が、群青と薄灰に空を染める。

 木の陰ではそれぞれが眠りに落ちている。

 老婆の転移魔法で毛布の類が手に入ったのは僥倖だった。
 これまで野営といえば地べたに横になるだけで、疲れがまったくとれなかったのだ。

 勇者は石に腰おろしながら独り、火の番をしている。
 火勢が弱くなれば木の枝を放り込む。三回やれば交代だ。

 行先は勇者に一任された。女性三人はこぞって経路に興味がないためである。
 それでいいのかと思ったが、いいと言う。ならば仕方がない。

 さてどうしたものかと彼が考えていると、思考を邪魔するかのようにぱちんと火の粉が弾け飛んだ。

 食事などを通して、老婆や少女との仲はだいぶ近づいた気がする。
 とはいえ先の老婆との件を考えると空恐ろしいものもあったのだが……。

 と、不意に遠くのほうで人の声がした――気がした。
 昼間の村からそう離れていないとはいえ、ここは魔物の出る森の中。村人がおいそれと入ってくるはずはない。

31: 2012/07/11(水) 18:40:36.39 ID:yFuxTM2h0

 炎を見つけて近寄ってきた旅人だろうか。
 それとも。

勇者「……」

 唇を舐めて湿らせる。
 木々の隙間から、影が見えた。

 飛び出す。

 木のあるところで長剣など振り回していられない。短剣を腰から抜いて、弧を描きながら接近。

 相手がこちらに気が付く――前に二、後ろに一……否、後方にもう一人いた。

??「誰だっ!?」

 野太い男の声だった。

32: 2012/07/11(水) 18:41:20.05 ID:yFuxTM2h0

 無論答えるはずもなく、肉薄、前衛の脇をすり抜けて、中衛の喉笛へと刃を充てる。

勇者「それはこっちの台詞だ。夜盗か? 俺の前に姿を見せろ」

 人質はどうやら女のようである。質のいい鎧を身に着けているが、匂いと柔らかさが女のそれだ。
 鎧? 勇者は眉間にしわを寄せた。こんなものを拵えた夜盗などいるものか。
 しかも女は儀式杖を手にしている。これはもしかすると。

 暗がりから光源魔法が唱えられた。
 わずかにあたりが照らし出され、その場にいた人物の姿が浮かび上がる。

兵士1「そいつを離せ」

 屈強な兵士だった。鎧には王家の紋章が刻まれている。

兵士2「我々は王立軍の者だ。この紋章がその証」

勇者「知っている」

 嘗てともに旅をした騎士が持っていた武器防具にも、同じ紋章が刻まれていた。
 古い記憶だが忘れるはずもない。

33: 2012/07/11(水) 18:41:58.05 ID:yFuxTM2h0

 誤解を招いても困る。勇者は女兵士の首からナイフを離し、解放してやる。

勇者「こちらはただの旅人だ。手荒な真似をしてすまなかった」

 非礼を詫び、短剣を鞘に戻す。

兵士1「いや、いいんだ」

勇者「王立軍がたった四人で夜の森を抜けるだなんて、何があった?」

兵士3「極秘事項だ。それを答えることは許可されていない」

勇者「じゃあ、代わりになんだが、この辺で魔物の噂を聞いたことはないか?」

兵士2「ないな」

女兵士「わたし、あります、ケド」ビクビク

女兵士「この森を西に抜けると、町があります。わたしの故郷、ですケド」ビクビク

女兵士「そのそばに小さな集落があって、洞窟があって、困ってる、みたいな」ビクビク

勇者「(完全に怯えてるな)……そうか、ありがとう」

34: 2012/07/11(水) 18:42:30.51 ID:yFuxTM2h0

兵士3「では、我々はこれで失礼する。我々と会ったことはくれぐれも他言しないように」

 ざく、ざく、ざく。四人の兵士は土くれを巻き上げながら、夜の森を行進していく。

勇者「小さな集落、ねぇ」

少女「無茶するね」

 木にもたれかかる格好で少女が立っていた。肩に毛布を掛けている。
 右手に鎚を握っているところを見ると、もしや加勢に入ろうと思ったのだろうか。

少女「無礼を働いたってことで殺されたらどうするのよ」

勇者「生き返るからいいさ」

少女「もっと自分を大事にしたら? ひねないでさ」

勇者「そんなつもりはないんだけど」

 よもや五、六は離れている少女に言われるとは思わなかった。

少女「結構戦えるじゃんっ」

 少女は不満気味に、ぶっきらぼうにそう言った。
 そのしぐさがどうにも年相応だったので、笑いをこらえきれず、勇者は噴出してしまう。

35: 2012/07/11(水) 18:43:13.21 ID:yFuxTM2h0
少女「ちょっとちょっと、なんなのよっ」

 胸ぐらを掴み掛らん勢いで少女が勇者に迫る。
 この男がなぜか気に食わなかった。魔王を倒そうと息巻く癖にどうもひねているというか、厭世的なところが、特に。

 それか、逆か。
 厭世的でひねているくせに、魔王を倒そうとしていることが理解できないからか。

 少女は「ふん」と鼻を鳴らして、鎚を突き付けた。

少女「結果的に一緒に行くことになっちゃったけど、勝負、あれ、認めないから」

少女「魔王倒す足手まといにだけはならないでよねっ」

 それだけ言うと、肩を怒らせながら木の向こうに消えていく。

勇者「そうだ、悪かったな」

少女「なにが」

勇者「あー、なんだ。俺を、殺させて」

 少女の顔が引き攣った。
 反射的に少女が口元に手をやるが、体は止まらない。

少女「――――ッ!」

36: 2012/07/11(水) 18:44:00.56 ID:yFuxTM2h0
 びちゃびちゃと耳障りな音を立てて、指と指、手と口の隙間から、得体の知れない液体が零れ落ちる。
 鼻を突く酢酸の臭い。

 少女はえずきながら頽れる。その間にも隙間から吐瀉物が零れ落ちていくのだった。

勇者「な、おい! 大丈夫か!」

 そんなわけはないのである。あまりにもわかりきったことしか言えないおのれに、勇者は心底腹が立つ。

 吐瀉物に塗れるのも構わず、勇者は少女に駆け寄った。
 が、しかし。

少女「大丈夫よ」

 あくまで毅然に少女は言った。汚れた口元を袖で拭い、手のひらは地面へこすり付ける。
 目には涙こそ浮かべているが、その瞳の鋭さと言ったら!

37: 2012/07/11(水) 18:45:47.32 ID:yFuxTM2h0
 
 大丈夫だなどと、そんなわけがあるか、と勇者は思った。けれど同時に、少女もまた心の底からそんなわけがあるのだ、と思ってもいた。

 少女は何よりも目の前の男に心配されるのが殊の外業腹だったのだ。
 命を粗末にする人間は嫌いだった。

少女「みっともないとこ、見せたわね」

 唾を二回吐き出して、少女はようやく立ち上がる。

少女「寝るから。ついてこないで。おやすみ」

勇者「嫌われてる、なぁ」

 答えなどが降って落ちてくるわけもなく、ただ夜は過ぎていく。

41: 2012/07/11(水) 19:23:08.20 ID:yFuxTM2h0
――――――――――――――――

 どすん、と地面を鳴らし、魔物が倒れた。
 凶暴に変化した大猿だ。二人のときは苦戦した敵も、人数が倍になればその限りではない。
 というよりも、老婆と少女があまりにも拾いものであった。

老婆「もう少し数が出てくれば本気の出し甲斐があるってもんだけどねぇ」

少女「アタシまで吹き飛ばさないでよ、おばあちゃん」

勇者「信じらんねぇなぁ」

 少女は服に返り血がついてしまったと嘆き、老婆は仕方ないという風に時間遡行の魔法をかけている。
 日常と氏線の境界はもはや曖昧だ。

 そしてもう一人、マイペースな人間が。

狩人「……」ザクザク

 狩人は黙々と猿の毛皮を剥ぎ、肉を手ごろな大きさに切り取っていた。
 赤味の部分を一口噛み千切り、

狩人「筋が多くてだめかも」

42: 2012/07/11(水) 19:23:46.56 ID:yFuxTM2h0
勇者「今日中には村だ。保存食はいいよ」

狩人「燻製……」

少女「なんか生き生きしてるね、狩人さん」

勇者「狩猟採集民族の血が騒ぐんだろ」

勇者「っていうか、老婆、あんたの転移魔法で村までいけないのか?」

老婆「行ったことのある地点にしか行けないんじゃよ」

勇者「思ったより使えないんだな」

老婆「」ペロン

 老婆の舌が勇者の頬を這いずる。

勇者「――――!!!!!」

 ゆうしゃの わかさに 15の ダメージ !!

43: 2012/07/11(水) 19:24:12.71 ID:yFuxTM2h0
老婆「そう、こんなことにしか使えないんじゃよ、うひゃひゃひゃひゃ」

勇者「老けた老けた俺今絶対老けた若さが! 童O失った時より歳食った気分!」

狩人「何気に爆弾発言」

老婆「ほれ、立ち止まっていないでしゃきっと歩け」

勇者「誰のせいだよ、誰の……」

少女「でも、もうそろそろ着くころだよね、きっと」

狩人「たぶん。植生が変わってるから」

少女「植生? そんなのわかるんだ」

狩人「奥に行けばいくほど、葉っぱの大きい植物になるから」

老婆「この辺は手のひらサイズじゃし、ピクニックも終わりじゃな」

勇者「そんな気分だったのかよ」

44: 2012/07/11(水) 19:25:09.15 ID:yFuxTM2h0
老婆「何よりも重要なのは精神じゃよ」

勇者「魔法使いの言うことはわかんねぇなぁ」

老婆「魔法使いじゃあなくて、賢者じゃ」

勇者「自分で賢者って名乗るのはどうなの?」

老婆「事実なんだからしょうがあるまい」

勇者「俺も魔法は使えるけど、重要なのは肉体じゃねぇの? 体は資本だし」

老婆「肉体など所詮精神の容器にすぎんよ」

勇者「健全な肉体にこそ健全な精神は宿るっていうぞ」

老婆「重要なのは何をするか、じゃ。健全な精神は健全な生を導く」

老婆「人生を左右するほどに心のありようというのは重要なのじゃよ」

勇者「わかったような、わからないような」

老婆「うひゃひゃ。いずれわかるときもくる」

45: 2012/07/11(水) 19:25:39.43 ID:yFuxTM2h0
 戦闘を歩いていた狩人が突然立ち止まる。後ろを歩いていた勇者は、当然彼女の背中に追突した。

勇者「どうした?」

狩人「……?」

 勇者の声が聞こえていないのか、狩人は無言で中空に氏線を彷徨わせている。
 数度鼻をヒクつかせると、あらぬ方向を狩人が向いた。

勇者「どうした」

 勇者が声をかけるが、彼女の顔はあさってを向き、依然虚空を睨みつけている。

 応えを出さず、駆け出した。

狩人「早く!」

 木と木の間を華麗にすり抜け、森の奥、光のほうへと消えていく。

46: 2012/07/11(水) 19:27:00.53 ID:yFuxTM2h0
勇者「行くぞ」

 剣を鞘に戻しながら言った。

少女「ど、どうしたの?」

勇者「知るか。ただ、前にもこんなことがあった。――嫌な予感がする」

少女「おばあちゃんっ!」

老婆「はいはい、行きますよ」

 三人はすでに遠く離れた狩人を追う。
 姿こそ見えないけれど、下草を踏み倒した跡が彼女の行先を告げていた。

老婆「と、年寄りを、いた、わ、らんかぁ……」

勇者「自慢の魔法でなんとかしろ!」

47: 2012/07/11(水) 19:28:06.79 ID:yFuxTM2h0

 光がだいぶ強くなってくる。
 視界のかなたには森の切れ目が見えた。

 そして、感じる異変。

勇者(なんだ、この臭いは?)

勇者(まるで何かが焼けるような……)

 光の中へと飛び出す。
 明るさに一瞬目が眩んだが――そこで三人は、明るさが昼間の太陽だけでないことを知った。

 町がひとつ、黒煙をたなびかせながら炎に包まれているのである。

勇者「ばあさん!」

老婆「わかってるよぉっ!」

老婆「一週間分の飲料水、全部ぶちまけてやるよっ!」

 人差し指を向けると町の上空に大きな亀裂が走り、そこから大量の水が降り注ぐ。

48: 2012/07/11(水) 19:29:30.14 ID:yFuxTM2h0

 水の蒸発する音が一面に響き、けれど、火勢は一向に弱まる気配を見せない。
 十数メートルほど離れていても熱気が伝わってくる程度なのだ。

勇者「もう終わりか!?」

老婆「ババア扱いの悪いやつだねぇっ! ただの転移魔法にどれだけの効果があると思ってんだい!」

老婆「近くに湖でもあれば……」

 水源は探せばどこかにあるはずだが、そんな暇も土地勘も、今の三人にはない。

少女「なんで、なんでこんなっ……あっ! 狩人さん!」

 少女の視線をたどれば、確かに狩人がいた。
 一枚隔てて炎の燃ゆる塀のそばで、呆然と立ち尽くしている。

 いや、足元に誰かが倒れていた。

49: 2012/07/11(水) 19:32:10.57 ID:yFuxTM2h0
勇者「これは……昨日の」

 倒れていたのは、昨晩勇者に人質に取られた女兵士であった。
 顔こそ見ていないが、紋章の付いた鎧と儀式杖は見間違えようもない。
 背後から大きく袈裟切りの傷。煙に巻かれて氏んだわけではなさそうだ。

狩人「嫌なにおいがした。やっぱりだ」

 それは果たして、煙の臭いなのか、氏の臭いなのか。

 勇者は少女を見た。それこそ漏らすのではとも思ったが、予想に反して、少女は眉根を寄せている。

勇者「ほかにだれかは?」

狩人「それは、どっちの?」

 その返しで勇者たちが愕然とするくらいには、不幸なことに彼らは理解力があった。
 彼女はつまりこう言いたいのだ。生きている者を指しているのか? 氏んでいる者を指しているのか? と。

 すなわち、氏体がこれだけでないことを暗に意味している。

50: 2012/07/11(水) 19:32:47.74 ID:yFuxTM2h0
勇者「何人氏んでた」

 直截的に尋ねる。彼女はこういうとき、はぐらかしたりしない。
 すぐに応えはあった。

狩人「町の周囲にはぐるっと八人。あと……十二匹? くらい」

 匹。
 勇者は改めて確認するように、ゆっくりと問う。

勇者「魔物、なのか?」

狩人「可能性は高い。魔物が襲ってきて、応戦して、こうなったのかも」

老婆「勇者よ、この近くには魔王軍の駐屯基地がある。そこからでは?」

勇者「かもしれないけど、わかんない。保留だ。とりあえず生存者を探す」

少女「……」

51: 2012/07/11(水) 19:40:32.29 ID:yFuxTM2h0

 じっとこちらを見てくる少女に対し、勇者は怪訝な顔をした。

勇者「なんだ」

少女「いや……アンタ、こういうこと気にしなさそうなのにな、って。ごめん。忘れていいよ」

勇者「人が氏ぬのは悲しいだろ」

 それは紛うことのない正論であった。少女は黙って炎を見つめる。


53: 2012/07/11(水) 22:42:47.75 ID:yFuxTM2h0
―――――――――――――――――
 結局、生存者は見つからなかったが、狩人が見つけた以上の氏者をみつけることもまたなかった。
 町の炎はその後半日燃え続け、水源を発見した老婆の転移魔法により、なんとか消化に成功した。だがそれだけである。

 火が消えたからと言って氏者は生き返らない。
 何があっても、氏者は氏者のままだ。

 透き通った湖のほとりで、四人はひざを突き合わせながら今後のことを話し合っていた。

少女「アタシは一刻も早くこのことを伝えるべきだと思う」

勇者「伝えるってどこに?」

少女「それはいっぱいあるでしょ。それこそ王国軍とかさっ」

勇者「魔王はどうする?」

少女「どうせ魔王城は王都の延長線上でしょ。おばあちゃんの転移魔法もあるんだから」

54: 2012/07/11(水) 22:43:36.77 ID:yFuxTM2h0
狩人「ここって、村の人も使ってたんだよね」

 唐突なことを言い出した狩人に、少女は軽く眉を顰める。

少女「そうじゃないのかな?」

狩人「野営も?」

勇者「え?」

狩人「少し入った森の中に、火を起こした跡があった。三つ。新しいの」

少女「どういうこと?」

老婆「町が燃えたのと関係がある。そういうことじゃないのかえ?」

狩人「……」コクコク

少女「……魔物は、野営しないでしょ」

狩人「あと、倒れてた女兵士。剣で切られたみたいだった」

狩人「魔物、剣、使うかな」

少女「そりゃ、知能による、でしょ。ゴブリンとかオークとか、鬼とか、人型なら、使うし……」

55: 2012/07/11(水) 22:44:05.76 ID:yFuxTM2h0
 少女は自分の声が震えていることに気が付いた。
 だって、そういうことではないか。狩人が言っているのは、つまり、そういうことではないか。

 あぁ――吐き気が、する。

 氏はとても冷たいものだ。それだのに、氏は同時に、自分の中の激情を酷く揺さぶる。
 これは駄目だ、と少女は思った。獣を解き放つことは許されない。

 折角できた仲間が離れて行ってしまう。

 少女が自らの体を抱きしめるように力を込めたことに、勇者も狩人も気が付かない。
 ただ老婆だけが静かな視線を送り続けている。

 勇者も狩人も老婆も、あえて先を促すことはしなかった。それから先は自明で、口に出すことも憚られる内容で。
 しかし、言いたくなくても誰かがいつかは言わねばならない。
 それは関わってしまったものの責務であり、自らの命にもかかわってくる事柄なのだ。

56: 2012/07/11(水) 22:45:40.58 ID:yFuxTM2h0
勇者「……焼き討ちか?」

狩人「可能性としては」

少女「そんな、なんで、バカじゃないのっ!」

 獣が檻を揺さぶる。原始的な雷に、檻はどこまで耐えられるのか。
 落ち着け、落ち着け。鞭でも飴でもなんでもいいから、早く、誰か、持ってきて。

 祖母とともに旅をして、人が氏ぬところなど何回も見てきた。
 世の中には辛く悲しいことが充満していることもわかっている。

 だけれど、同胞頃しなど……。

 少女の前に老婆が手を出す。

老婆「まぁ、落ち着け。勇者、狩人よ、憶測で物事を喋るべきではない」

57: 2012/07/11(水) 22:46:06.94 ID:yFuxTM2h0
狩人「わかってる。ごめん」

少女「おばあちゃん、いますぐ王都に連れてって。報告しないと」

 あくまで自然な言葉であった。真剣なまなざしで、老婆に向かっている。

 老婆は帽子を整えながら、「やれやれ」と笑みを浮かべた。

老婆「すまんが、二人とも。不肖の孫に付き合ってやってはくれんか」

 勇者と狩人は顔を見合わせ、頷く。二人とてこのままにしていいとは思っていない。

勇者「しょうがねぇなぁ、子供の相手をするのは大人の義務だ」

狩人「勇者にわたしは従うだけ」

老婆「よし、それじゃあ――」

??「おいお前ら、そこで何をしている!?」

58: 2012/07/11(水) 22:47:46.35 ID:yFuxTM2h0

 下草をかき分け姿を現したのは、一人の兵士であった。紋章の刻まれた鎧を身に着けている。
 勇者はその声に聞き覚えがあった。昨晩出会った兵士だったからだ。

 兵士はすでに剣を抜いていた。
 空気にぴりりとしたものを感じながら、勇者は立ち上がる。

勇者「それより、近くの町が大変なことになってる。ありゃなんだ」

兵士「そうか……あれを、見たのか」

 ざく、ざく、ざく。周囲の木々を後ろから、同様の剣と鎧を身に着けた兵士が、ぞくぞくと姿を現す。
 その数はゆうに十人を超え、小隊規模を超えている。

59: 2012/07/11(水) 22:48:46.29 ID:yFuxTM2h0
老婆「不穏な雰囲気じゃのう」

 あくまで楽しそうに老婆は言った。そんなところではないというのに。
 勇者はあえてそれを咎めない。精神のどこかが焼き切れたような人種は、確かに、ときたまいるものだ。

勇者「転移魔法は」

老婆「使ってもええが、顔を見られているのも始末が悪い」

勇者「じゃ、ま、正当防衛ってことで。……狩人」

狩人「うん」

勇者「皆頃しだな」

兵士「かかれぇえええええっ!」

 号令。兵士たちは鬨の声を上げ、一斉にこちらへと向かってくる。
 勇者は相手に滅多な隙がないことをその瞬間に悟った。

 相当に訓練された兵士が、なぜこんな森の中に? 彼は当然浮かんでくる疑問に対し、首を横に振る。
 今はそんなことを考えている場合ではない。

60: 2012/07/11(水) 22:51:19.91 ID:yFuxTM2h0

 剣戟が降り注ぐ。上段からの一撃を短剣でいなし、片手の長剣で反撃を試みる。が、それも弾き返される。

 側面から向かってくる兵士の顔面に、鏃が深々突き刺さる。勇者が前衛、狩人が後衛。実地で慣らした連携は健在だ。
 狩人はそのまま矢を速射し、そのまま背後の木へと登っていく。

 正対する兵士は筋骨隆々ですらないが、引き絞られた肉体を持っている。これもまた実地で慣らされたものに違いない。
 突き。鎧の側面を大きく傷つけるも、大きく反らされた。上体が大きく開き、左手が遠い。
 陽光に光る兵士の長剣。

 どうせ生き返るのだ。勇者はあえて、目を瞑り、

 ぶぉん、と、音がして、

 勇者の隣では少女が兵士を鎧ごと打ち砕いていた。ミスリルのひしゃげる音とともに、骨がそうなる音もまた、響く。

61: 2012/07/11(水) 22:54:09.86 ID:yFuxTM2h0
少女「あんたらが」

 少女は、確かに自分が酷い顔をしているのだと思った。

 檻はいったいどこへいってしまったのか。これでは二の舞ではないか。
 もう人間なんて頃したくないのに。

少女「あんたらが、あんたらがあんなことをしたのかっ!」

 怪力乱神であるかのように、少女は血眼になりながら、鎚をふるう。ふるう。ふるう。
 多大な遠心力を伴う一撃は、掠めるだけで兵士たちをぼろ雑巾に変えていく。

兵士「な、なんだあの小娘は、化け物かっ!」

少女「化け物はあんたらだっ! 人の面をかぶった怪物めっ!」

62: 2012/07/11(水) 22:55:14.35 ID:yFuxTM2h0
 どうやら少女は兵士たちがあの惨状の主犯であると決めてかかっているようだった。
 それもやむなし、と勇者は思う。この状況は不自然に過ぎる。

 気を抜いた瞬間、金槌が勇者の髪の毛を掠めていった。
 勇者は少女に文句の一つでも言おうとするが、少女の荒れ狂う姿には、声をかける隙すら見つけることができない。

少女「ッ! ッ!」

勇者「……」

 力任せに鎚をふるうが、少女の怒りを逆に扱い易しと判断したのか、兵士たちは一定の距離を保って相手取る。
 少女一人に兵士が三人。勇者も加勢に向かいたいが、号令をかけていた兵士がそれをさせてくれない。

63: 2012/07/11(水) 22:56:23.10 ID:yFuxTM2h0
兵士「せいっ! やあ!」

 裂帛の気合とともに繰り出された一閃が、勇者の剣を弾き飛ばす。

勇者「ちっ! (短剣を抜くか、魔法か、氏ぬか)どうする……?」

兵士「ちぇえええええすとおおおおおおおおっ!」

 大上段から振りかぶった、唐竹割。
 反射的に雷魔法を唱える――しかし間に合わない。武勲が知れる速度と太刀筋のそれは、確かな殺意で勇者に襲い掛かる。

狩人「勇者!」

 振動が、鈍い音として勇者の体を震わせる。
 意思とは別に宙を舞う、右腕。

 無理な大勢で回避しようとしたため、そのまま地面に倒れこんだ。

 白兵戦からわずかに離れた樹上では、狩人が矢を番えて狙いを定めていた。

64: 2012/07/11(水) 22:57:01.63 ID:yFuxTM2h0
狩人「寸分違わず、射る」

 軽やかに風切音。
 たった今勇者と対峙していた兵士は、肩に突き刺さった矢を抜き、剣を構える。

兵士「あんなところから!?」

 驚愕か、苛立ちか。叫んだ兵士の視線の揺らぎを勇者は見逃さない。
 起き上がりざまに雷魔法を兵士の腹に叩き込む。

兵士「――――――――ッ!」

 声にならない声。肉の焦げる臭い。
 彼の持っていた長剣を奪い、体重を預ける形で立ち上がる。

 激痛という棘が体内から皮膚を食い破り、それに伴って意識にまで穴が空く。

 視界の端では少女が依然として複数人を相手取っていた。
 その数、八人。

65: 2012/07/11(水) 23:00:55.79 ID:yFuxTM2h0
狩人「させない」

 狩人が矢を放つが、巨漢の兵士が一人、手を広げて立ちふさがった。
 一本が肩、もう一本が腹の鎧を貫通して突き立つ。

 兵士の顔が苦痛に歪む。けれどその先に届くことはない。

狩人「届くまで射るだけ……!」

 鎧の隙間を狙う技術は一流であったが、対する兵士の仁王立ちもまた一流であった。
 倒れることなく矢を受ける背後では、少女が徐々に押されつつある。

兵士「怯むな! 距離を取って隙を突け! 紋章に賭けて戦い抜け!」

兵士「ウォオオオオッ!」

 掲げられた旗印に、その他の兵士は喊声で以て返す。

少女「人頃しのどこに大義がある!」

 鎚が地面を大きく抉る。土塊が舞い、落ちる。
 大きく見せたその間隙を、無論兵士は見逃さない。突き出された刃が微かに、だが確かに少女に傷を与えていく。

66: 2012/07/11(水) 23:01:46.23 ID:yFuxTM2h0
 鎚が地面を大きく抉る。土塊が舞い、落ちる。
 大きく見せたその間隙を、無論兵士は見逃さない。突き出された刃が微かに、だが確かに少女に傷を与えていく。

 振り向きざまに大振りするが、その時点で兵士は射程距離外へと退避している。

少女(くそっ!)

 たまらないもどかしさがあった。自らの気持ちを斟酌する余裕すらない。
 涙と疲労で心がぐちゃぐちゃでは、自然と力任せにもなる。

 そしてその隙を狙われるのだ。

狩人「早く、早く倒れて……!」

 矢の一本が、兵士の眼球へと突き刺さった。それが最後の一押しとなったのだろう、兵士がようやく前のめりに倒れる。
 感慨もなく、追加の矢を番え、弦を引き絞る。速射でどれだけ殺せるか。

 見えてきたのは少女が片膝をつきながら、それでも鎚を振り回している姿であった。

67: 2012/07/11(水) 23:04:04.91 ID:yFuxTM2h0
勇者「おい、この、クソガキッ! 頭冷やせ、一回引け!」

 体が動かない。なんだ、この体たらくは。また自分だけが生き返るのか。
 視界が歪む。出血のせいだ。涙などでは断じてない。

 あんな喧嘩腰の少女のために流す涙などない。

勇者「誰かあいつを助けろよぉっ!」

老婆「無論じゃ」

 老婆が、それまで諳んじ続けてきた詠唱を終える。途端にあふれ出る魔力の余波は、ヴェールとなって辺りを黄金色に染め上げた。
 恐ろしく鋭い爪を、兵士の集団に向ける。

 その場にいた誰もが、魔法の心得はなくとも、それが所謂危険なものであるとすぐに知れた。

 兵士が叫ぶ。

兵士「全員、防御姿勢を――!」

老婆「それくらいで防げるかよ!」

68: 2012/07/11(水) 23:05:32.89 ID:yFuxTM2h0
 光が迸る。

 勇者がまず目にしたのは躑躅であった。立派な桃色と茶色が眼前に屹立していたのである。
 それだけではない。向日葵、紫陽花、桔梗、蓮華、柊、福寿草と、時系列を違えた草花が、辺り一面に、所狭しと咲き乱れている。

 躑躅が揺れて、倒れる。
 勇者はそこで、初めてそれが、躑躅の外骨格を纏った何かであることを知った。
 それだけではない。すべての植物は、兵士の衣としてそこにあるのだ。

 恐らく養分という形で。

勇者「――ッ!?」

 驚きは二重である。「何か」の正体もそうであったし、その瞬間に見てしまった自らの残った腕もまた、枯れた大地となっていたのだ。
 乾燥し、骨と皮だけになった、血の通っていない化石じみた腕。僅かな衝撃でも根元から折れそうな危うさを秘めている。

 腕の脆さとは裏腹に、そこに生えている数百もの薄は、まるで今が人生の春とでもいうかのように風にそよぐ。
 活力と勢力に満ち溢れた生命力の塊は、生に対しての貪欲さも同時に意味している。他の全てを奪い取ってでも自らの糧にしようという生存戦略。
 理解ができない。こんな魔法は見たことがない。

69: 2012/07/11(水) 23:12:02.42 ID:yFuxTM2h0
 意識が暗転する。衝撃などは微塵もなかった。それだのに、まるで薄こそが勇者の生まれ変わりであるかのように揺れている。

 奥歯を噛みしめ踏みこらえる。が、骨も筋肉もまるごと漏出してしまったかのように手ごたえがない。

狩人「勇者!」

 遠くから一足飛びでやってくる狩人。彼女の太ももからも、僅かだが銀杏の新芽が顔をのぞかせていた。

勇者「……お前、もっと加減しろよ」

 口を出すだけで精いっぱいである。
 踏みとどまった衝撃で、腕が肘から折れて砕ける。

老婆「……」

 何も応えがないのが奇妙であった。老婆は足早に植物の群生地へと進んでいく。その先にいるのは少女である。

 少女の右ひじから先は、さながら樹海となっていた。

70: 2012/07/11(水) 23:13:53.76 ID:yFuxTM2h0
 恐らく、老婆の魔法は爆心地を最大として、距離が遠ざかるにつれて効果が減衰するのであろう。爆心地にいなかった兵士たちでさえ植物に吸い尽くされたのだ、少女がその被害を受けないなどどうして思えるだろうか。
 いや、待て。樹海とはいえ、右ひじから先?

 どうやら気絶をしているらしい少女をもう一度よく見る。
 彼女は、そうだ、鎚を持っていたのであった。

老婆「……そんな、心配な顔を、するでない。考えなしにやるわけなかろう」

 勇者は自らの顔を触ろうとして、両の腕が失われていたことに、ようやく気が付く。
 そんな顔をしていただろうか。もししていたらならばそれはきっと生まれつきだ。

老婆「ミョルニル。生命力の塊。これが勝算じゃよ」

狩人「勇者、この人、まだ息がある」

 勇者と対峙していた兵士であった。昨晩言葉を交わした兵士でもある。
 彼は肩から止めどなく血を流しつつも、呻きをあげて虚空をつかむ動作を繰り返していた。
 植物は藤が下半身から発生し、大きくとぐろを巻いて拘束されていたが、直ちには命に別状はなさそうだ。

71: 2012/07/11(水) 23:15:26.12 ID:yFuxTM2h0
勇者「あー、それより悪い」

 勇者は自らの意識が薄れていくのを感じた。
 次に目を覚ましたとき、薄になっているのかもな、などと思いながら。

勇者「ちょっと一回氏ぬわ」

73: 2012/07/12(木) 09:06:57.46 ID:WnvzWUdt0
―――――――――――――――

 勇者が目を覚ましたのは夕方であった。場所は依然として湖のほとり。
 なるべく早い蘇生で助かった、というのが現実である。後手後手に回ると何が起こるか予想も知れない。
 右手を握り、開く。まだ人間の体は保てているようだ。内面こそ定かでないけれど。

 傍らでは少女が昏々と眠り続けている。ラグを重ねた上に横になり、呼吸も浅く、早い。

 疲れがたまっているのだろう、と老婆は言った。
 魔法的なものだから、心配しないでくれ、とも。

 魔法的なものとはいったいどういうことか。聞こうとして、やめる。
 老婆と少女はともに旅をする仲間であるが、それ以上に他人でもあった。明確な壁がそこには存在する。

 いずれ二人のことを知るときが来るだろう。意図してのものか、意図せざるものかという差はあれど。

74: 2012/07/12(木) 09:07:36.84 ID:WnvzWUdt0
狩人「やっと起きた」

勇者「悪いな。で、どうだ、こいつは」

 勇者、狩人、老婆の前では、兵士が木にくくりつけられている。
 生命吸収を受けてなお呼吸はあり、目立つ外傷は肩の裂傷、手と足の骨折くらいだ。

狩人「おばあさんの魔法で眠ってる。勇者か少女か、どっちかは起きてたほうがいいかなって」

老婆「起こすかえ? なら呪文を解くが」

勇者「そうだな、頼む」

 老婆が短く詠唱すると、光がさっと兵士を包み、溶けていく。
 ややあって目を覚ました兵士は、けれど大きな反応を示さなかった。自らの状況を理解しているらしい。

勇者「お前、昨日会ったやつだな。なんで俺たちを襲った。あの町はお前らのせいか」

75: 2012/07/12(木) 09:09:11.58 ID:WnvzWUdt0
兵士「それ、は……言えない……この紋章に――ッ!」

 僅かに血が舞った。
 兵士の右手の親指が、一本切り離されたのだ。

勇者「紋章と、指。どっちが大事だ?」

 兵士は目を見開いたが、嘲笑めいた笑みを浮かべ、そして自らの舌を噛み切った。
 血が噴き出し、息絶える。

勇者「国に殉じたか」

 少女は寝ていてよかったのかもしれなかった。

老婆「もうほかにすることもないじゃろ。王都へ行くか?」

勇者「そうだな……狩人は?」

狩人「勇者の言うとおりに」

老婆「ひゃひゃひゃ。それじゃ、行くぞえ」ヒュン

76: 2012/07/12(木) 09:18:33.94 ID:WnvzWUdt0
――――――――――――――――

 少女は自分の体が揺れている感覚に目を覚ました。
 思いのほか体が軽い……というよりも、宙に浮いているかのような。

 頭。
 が、目に飛び込んできた。

勇者「起きたか」

 そこでようやく、自分が勇者に――あの斜に構えた腹の立つ男だ!――背負われていることに気が付く。

少女「なんであんたがアタシをおんぶしてんのよっ!」

勇者「ちょ、暴れるな!」

 なんとか少女を下ろして勇者は一息つく。どうやら彼女は、一人で立てる程度には回復したらしい。

77: 2012/07/12(木) 09:19:10.24 ID:WnvzWUdt0
少女「なに、なに、なんなの。なんでっ!?」

勇者「お前が倒れた。ばあさんと狩人は情報収集。俺は先にお前を運んで宿屋に向かう」

少女 (イラッ)バシーン!

勇者「ぐえっ!」

 力いっぱいに勇者の背中を叩くと、潰れたヒキガエルのような声が漏れる。
 あの鎚を振り回す膂力で叩いたのだ、下手をすれば骨だって折れてもおかしくないだろうに。

勇者「なにすんだ!」

少女「勝手にアタシの言いたいことを理解するんじゃない!」

勇者「違ってたか?」

少女「うるさいっ!」

 違わないから腹が立つのだ。

78: 2012/07/12(木) 09:20:17.35 ID:WnvzWUdt0
 実に理不尽であるとわかっていても、勇者はそれ以上何も言わなかった。

 彼女は決して素直になれないわけではない。寧ろ、素直でありすぎるくらいだった。勇者への嫌悪感を隠しきれないくらいには。
 ただし、勇者のつま先からてっぺんまで、全てを嫌悪しているわけではない。先の戦いでも彼は彼女のことを助けようとしてくれた。四人の中で一番弱い彼が、である。
 そのことは嬉しさを感じることこそあれ、嫌悪の対象ではない。

 乗りかかった船、不本意だがともに魔王を討伐する仲間なのだ、できうる限り仲良くしたいとは彼女もまた思っている。しかし、勇者の厭世観――世の中を斜に見て、命を蔑ろにする姿勢はどうしても好きになれない。

 わかっているのだ。自動蘇生の加護など聞こえはいいが、所詮運命の傀儡にすぎない。自らの命運を運命に翻弄され続けていては、あぁなるのも無理はなかろう。
 一体彼が何人の身近な存在の氏を見てきたのか、彼女はそれを知らない。知りたいとも思わない。そして同じ状況におかれたとき、彼のようにならないとは、口が裂けても言えなかった。
 けれどそれは理屈である。理解である。納得とは程遠い。

 少女にだって泥のような感情の奔流が一つや二つはあった。それを無理やり押し込め、押し込めきれず、右往左往している。同族嫌悪に似たものなのかもしれない。

79: 2012/07/12(木) 09:21:21.84 ID:WnvzWUdt0
 と、少女はそこでようやく、辺りを見回す余裕ができた。
 行交う人とモノ。珍しく馬車も通っている。

 煙突。赤煉瓦。風に乗って微かに小麦の焼けるにおいもする。
 なにより、目抜き通りの奥に見える城門と尖塔。あれは……。

少女「王城……」

勇者「あぁ。転移魔法で一っ跳び。お前のばあさんは凄いやつだよ」

 転移魔法だけでも相当なものなのに、植物魔法……でいいのだろうか、あれは。
 性格に難はあるが、えてして達人とはそういうものなのかもしれない。

勇者「これからここを拠点にして、休みを取る。あとは魔王城攻略に向けての調達だな」

勇者「水は全部ぶちまけちまったし、食べ物も、服も、あんまりない」

勇者「魔王城に辿り着く前に最後の洞窟や砦や四天王がいるらしいし。補給は最重要事項だ」

少女「で、手配書は回ってなかった?」

80: 2012/07/12(木) 09:22:16.55 ID:WnvzWUdt0
勇者「え?」

少女「だから!」

 小声で叫ぶという妙技を披露する少女。

少女「あんなことしたんだから、手配書が回っててもおかしくないでしょっ!」

勇者「あぁ、今のところは大丈夫だそうだ。ただ、伝達には時間がかかる。明日明後日くらいに、もしかしたら」

少女「アタシはいやだからね、この年でお尋ね者だなんて」

勇者「お前」

 の、せいだろ。勇者は続きを何とか飲み込む。

勇者「……とりあえず、宿はそこだ。行くぞ」テクテク

少女「はいはい」テクテク

81: 2012/07/12(木) 09:23:34.59 ID:WnvzWUdt0
二人「「……」」テクテク

イラッシャイ ヤスイヨ ヤスイヨ
イマナラ コノ ハガネノツルギガ タッタノ 480ゴールド!
ソノ ミルク モラオウカシラ

二人「「……」」テクテク

 不思議と無言であった。話す内容などたくさんあるはずなのに。

 勇者はふと、少女の素性を――老婆もであるが――ほとんど知らないことを思い出した。
 知っていることと言えば、故郷で護り手を務めていたということくらい。

少女「ねぇ」

 勇者が話しかけるより先に、少女から声が飛ぶ。

勇者「ん?」

少女「なんであの町は燃えなきゃいけなかったの?」

82: 2012/07/12(木) 09:24:05.96 ID:WnvzWUdt0
 答えるべきか否か。わずかな間を開けて、勇者は返す。

勇者「そういうことは、関係ないことだ」

少女「関係なくないっ!」

 キンとした声が大通りに響く。
 人々はちらりとこちらを見るが、さほど興味もないのだろう、歩みを止めるものはいない。

少女「関係なくなんて、ないでしょ。悲しいと思わないの」

勇者「関係ないんだ」

少女「勇者ッ!」

勇者「俺たちの旅には関係ない。そうだろ。魔王を倒して世界が平和になればそれでいいんだ」

少女「あれは路傍の石だって?」

勇者「そうは言ってない。ただ、優先順位を間違えるなってことだ」

83: 2012/07/12(木) 09:24:45.03 ID:WnvzWUdt0
勇者「それに、もう一つ」

勇者「関係あろうがなかろうが、悲しいものは悲しい」

勇者「『関係ある』かどうかは、関係ない」

少女「……なにそれ。全ッ然わかんない」

勇者「……そっか」

少女「アタシね、あんたのそういうところ、「あー、注目、ちゅうもーく!」

 二人ならず、周囲の人間が全員空を見た。
 声は上から降ってきていた。

 白い蓬髪に丸みのある顔。厳格そうな瞳と眉。紛うことない壮年男性。
 その顔が、浮かんでいる。

 勇者はその人物に見覚えがあった。いや、勇者だけでなく、少女も、その場にいた誰もが見たことのある人物だった。
 なにせこの国の国王である。

84: 2012/07/12(木) 09:25:23.79 ID:WnvzWUdt0
国王「この像は魔法によって全領土に配信されている、安心して聞いてほしい」

国王「今は長い冬の時代じゃ。山の上、そして点々と領土を持つ魔王軍は、人類に脅威を与え続けている」

国王「今もどこかで誰かが犠牲になっている。先日もまた、森のそばの村が一つ襲撃され、……消えた」

少女「それって……もしかして」

国王「何の罪もない民草が、生命に曝され続ける。そんなことがあっていいのか?」

国王「否! 答えは無論、否! あのような悪鬼どもにはこの世界を渡すことはできない!」

国王「そこで私は考えた。最早打破しかない! 決起せよ! 立ち上がれ! そして我が国は、諸君の働きに大いなる期待をしている!」

国王「砦を築け! 兵を集めろ! 敵に人間という種の強さを見せつけてやるのだ!」

国王「王都はいつでも諸君らを受け入れる! 愛国心に富む者の積極的な参加を待つ!」

85: 2012/07/12(木) 09:26:04.84 ID:WnvzWUdt0
 威厳のある声で、堂々とした態度で、国王は一気に捲し立てた。
 つまりはこういうことだ。「戦争をする」。

 少女はなんだか空恐ろしいものを感じて、小さくつばを飲み込んだ。

 周囲の人々はみな呆気にとられたような顔をしていたが、僅かに間を開けて――

「そうだよ、怯えてる必要なんてないんだ」
「やられたらやり返せばいいんだもんな……」
「女でも兵士って慣れるのかしら」
「さすが国王様だ」「よぅし、腕が鳴るぜ」「怖いわ」「え、どういうこと?」「なんていう」「俺が」「私も」「」「」「」「「「「」」」」「「「「「「「「「「「「「「「

 声のうねりは次第に大きくなっていく。
 波は高く、打ち寄せては砕け、そのたびに白い飛沫となって還元されるサイクル。

 誰がはじめたのか、上空に浮かぶ国王に対し、みなが手を突き出していた。

86: 2012/07/12(木) 19:08:58.54 ID:WnvzWUdt0
狩人「勇者!」

 人込みをかき分けかき分け狩人がやってくる。褐色の肌に珠のような汗が浮かんでいる。
 後ろには老婆もちゃんといた。

老婆「は、は、走るんで、ない」

狩人「戦争だって」

勇者「みたいだな」

狩人「どうして、こんな急に?」

老婆「急じゃないとすれば」

狩人「?」

老婆「兆候はあった。先日のもそうじゃし、傭兵どもがピリピリしていたからのぅ」

87: 2012/07/12(木) 19:09:41.45 ID:WnvzWUdt0
 二人と出会った村にて道具屋の主が言っていたことを思い出す。
 半年か、そうでなくとも一月は持つだろうと踏んでいたのだが、どうやら当てが外れたらしい。勇者は自然と自らの眉根が寄るのを感じた。

勇者「……どうする?」

老婆「リーダーはおぬしじゃろ。……まぁ、情報収集を続けるか。宿はここじゃな」

勇者「あぁ。まだ予約をしていないけど」

少女「長期でとっておいたほうがいいんじゃない? 王都に人が大挙して押し寄せる。宿も足りなくなるかも」

 民衆の昂ぶりを見ていると、あながち杞憂とも思えなかった。

老婆「いや、とりあえず一泊か、二泊。わしに考えがある」

勇者「あぁ、わかった」

 その後宿屋で二人部屋を二つとったのはよかったのだが――

88: 2012/07/12(木) 19:10:18.49 ID:WnvzWUdt0
勇者「なんで俺がばあさんとなんだ?」

老婆「どのみち女3:男1なら男女相部屋よ。襲われる可能性がないほうがよかろ」

勇者「俺が襲われるわっ!」

狩人「じゃ、わたしと一緒に、なるか?」

少女「……アタシは氏んでも嫌だからね」

 勇者は頭に手を当てた。老婆に襲われるのも嫌だが、狩人と相部屋だと、ともすると襲ってしまう可能性が出てくる。
 それは狩人の本意でこそあれ、勇者の本意ではない。

 とはいえ自らの理性で抑えられるだけ、老婆よりはましか。勇者は判断して、結局狩人と相部屋となる。

狩人「やった……」

老婆「じゃあ、二時間後にここで集合しよう。やることもあるしな」

勇者「あいよ」

89: 2012/07/12(木) 19:11:05.32 ID:WnvzWUdt0
 部屋を開けると、いつぞやの宿屋よりは十二分に立派だ。さすが王都ということだろうか。

 装備を外し、ベッドに倒れこむ。久しぶりの柔らかさに一瞬で意識が飛びかける。

狩人「勇者」

勇者「大丈夫だよ、寝ないって」

狩人「二人なのも久しぶり」

勇者「ま、そうだな」

狩人「嬉しい」

勇者「そんなにか」

狩人「うんっ」

狩人「あ、あの二人が嫌だとかじゃなくて」

勇者「わかってるよ」

狩人「うん。……わかってくれてる。ふふ」

狩人「勇者」

勇者「ん」

狩人「好き」

90: 2012/07/12(木) 19:11:38.59 ID:WnvzWUdt0
狩人「大好き」

勇者「……」

 狩人が勇者へと近づき、ベッドへと体重を乗せた。
 ぎし、と木の軋む音がする。品のいい音だ。

 三白眼がしっかりと勇者を射抜いていた。

狩人「私はずっと言ってるのに、勇者は気にしてない」

勇者「あのなぁ、お前のそれは、恩を勘違いしてるんだ」

勇者「命を助けてやったのは俺だろうさ、けどな」

狩人「違うの、勇者」

狩人「一族郎党皆頃しにあって、目の前でお父さんが氏んで、私ももうだめだって思ったとき」

狩人「魔物を倒してくれた勇者が、凄く格好良かった。だから」

狩人「恩とかじゃない。自然なこと」

91: 2012/07/12(木) 20:24:33.89 ID:WnvzWUdt0
勇者「あれは、お前を助けるつもりだったわけじゃない」

狩人「知ってる。勇者は魔王城への道すがらだった」

勇者「そうだ。あいつは砦の主で、俺はあいつが持ってる鍵が欲しかったんだ」

狩人「事実なんてどうだっていい」

 漂ってくる狩人の色香に、勇者は思わず眩暈がしそうになる。
 言語化できない感覚があった。それは一般的に予感、もしくは危機察知と呼ばれるものだ。

 これはやばいぞ、と。何が何だかわからないけれど、彼は思ったのだ。

 こちらを覗きこんでくる狩人の瞳は、大きく、つぶらで、肌と同じように茶色い。
 生命力に満ちた輝き。これが濁っていくところを、彼は何度も目にしていた。

 武闘家も。僧侶も。騎士も。戦士も。魔法使いも。賢者も。遊び人も。盗賊も。商人も。踊子も。羊飼いも。
 今まで出会った人間は、全て同じ輝きを持っていた。
 そうして最後には輝きを失うのだ。

92: 2012/07/12(木) 20:25:10.82 ID:WnvzWUdt0
狩人「お母さんは言ってた。魔物ってのは、災害だって。誰にもどうにもできないものなんだって」

狩人「勇者はそれをどうにかしてくれた。それだけじゃなくて、悼んでくれた」

狩人「それは凄い。誰にだってできることじゃない。と、思う。私は」

勇者「違うんだ、違うんだよ、狩人」

狩人「?」

勇者「不幸な目にあった不特定多数を悼むのは簡単だ。誰にだってできる」

勇者「本当に難しいのは……」

 言葉が喉から出てこない。
 この世界は、横にも縦にも、不幸なことがありすぎる。
 つまり、空間と時間の両面で。

 けれど違うのだ。不幸な誰かの氏は、不幸であるがゆえに悲しい。
 それが違うのだ。

 間違いではないにしろ。本質的ではない。

 それでは氏を悼むとは言えない。

93: 2012/07/12(木) 20:25:52.28 ID:WnvzWUdt0
狩人「勇者」

 意識を思考から切り替えれば、目の前には狩人の顔があった。

 唇が唇に押し付けられる。触れる、というほど軽くない。押し倒されるようにベッドに転がった。
 視界いっぱいに狩人。天井の板目も滲んで見える。

狩人「愛してる」

勇者「……知ってる」

狩人「知られてた」

勇者「まぁ、な」

狩人「んっ……」

 もう一度の口づけ。今度は先ほどよりも長く、貪るようで。

狩人「んっ、ふぅ……ゆうひゃ……」

94: 2012/07/12(木) 20:48:04.56 ID:WnvzWUdt0
 彼女が勇者を好いているように、そして同程度には、彼も狩人のことを好いている。今こうしているさなかにも、下半身は熱を帯び、抑えきれないくらいなのだ。
 だからこそ彼は恐ろしいと感じる。愛する人の命が失われることが。そしてそれを何が何でも忌避したいと願う。

 けれど。
 自覚はあるのである。自分は少女より、老婆より、狩人より弱い。コンティニューという奇跡は彼に対しての護法であり、彼の愛する人に対しての護法ではない。

 この世の中、人を愛すためには、守る力が必要なのだ。
 そして彼には力がない。

 彼女の肩をつかみ、引きはがした。

狩人「ぷはっ……」

勇者「ごめん」

狩人「……」

狩人「勇者、違うんだよ」

 先ほど彼が彼女に言ったように、あくまで優しく、狩人は言った。

95: 2012/07/12(木) 20:48:55.04 ID:WnvzWUdt0
狩人「わたしはわかってる。だから勇者は苦しんでる」

狩人「人が氏ぬのは悲しいから」

勇者「そうだ……」

狩人「あのね」

勇者「もういい」

狩人「……」

勇者「もう、やめてくれ」

勇者「俺はただ、手の届く範囲だけを守りたかったんだ……」

勇者「それもできないなら、俺は高望みをするべきじゃない」

狩人「でも結局、勇者にできることって、一つしかない」

勇者「……?」

狩人「守ること。昔、勇者がわたしを守ってくれたみたいに」

狩人「もちろん私はもう守られるだけじゃない。勇者のことを守りたい」

狩人「だって、好きだもの」

96: 2012/07/12(木) 20:49:45.17 ID:WnvzWUdt0
 口づけ。
 狩人はふうわりとした笑顔を勇者に向けた。乙女の、天使の、笑顔。

 選択を迫られているようであった。臆病風に吹かれて彼女を突き放すのか、失う恐怖を抑え込んで彼女を抱くのか。
 考えるまでもないのだ、本来は。しかし、心の奥に深く根を張った毒草は、厄介なことに、至極生命力が強い。

 狩人は困ったように眉根を寄せて、「まったく」とつぶやいた。
 そうして胸元に飛び込んでくる。

狩人「あー」

勇者「ん?」

狩人「落ち着く」

勇者「そうか」

狩人「心臓の音が、聞こえる」

勇者「このままがいいか?」

狩人「我慢できない」

97: 2012/07/12(木) 21:03:57.53 ID:WnvzWUdt0
 狩人の手がゆっくりと勇者の下腹部を這っていく。
 艶めかしい……意思を持った動きだ。

勇者「……待ち合わせがあるぞ」

狩人「こんなになっといて、私をこんなにしといて、何言ってる」

狩人「初めてだけど、がんばるから」

 陰部に触れた指先の刺激は、体中を電光石火で走り抜ける。
 忘れて久しい感覚。最初に出会った僧侶が教えてくれた快楽。
 彼女も氏んだ。

 分水嶺であった。勇者は狩人の肩をつかんでいる手に、力を込める。
 引きはがすよりも先に狩人が退く。

狩人「――なんて、嘘。勇者の答え、待つから、大丈夫」

 困ったような笑顔の彼女に、勇者はかける言葉がない。

狩人「……ばーか」ボソッ

101: 2012/07/13(金) 15:18:30.84 ID:T4ozyPJw0
―――――――――――――――――――――――

 隣室。老婆と少女が滞在している。
 少女は元気だと主張していたが、老婆にはそれが虚勢だとすぐに知れたし、実際少女はベッドに寝転ぶや否や熟睡し始めた。
 少女の栗色の髪の毛を撫でながら、老婆は窓の外へと視線をやる。
 胸の透くような青空だ。
 実に腹立たしい。

 何もこんな天気の良い日に、あの王め、あんな発表をしなくてもいいものを。
 老婆はため息を一つ、大きくついた。

「――」

 隣室から聞こえてくる、微かなやりとり。狩人のものだと判断が付く。
 あの二人を同室にした時点でわかっていたことであったが……勇者にも、狩人にも、思うところはあるのだろう。これまでの旅路はどうであったのだろうか。ふと疑問がわいた。

老婆「まぁ若いということはいいことじゃ」

 自分も昔は――いや、やめておこう。益体のない考えをする時間はもうない。
 老婆はゆっくりと杖を手に取る。一振りすると亜空間の入り口が開き、中から一つの金属が落下してきた。

 繊細な金属細工である。これ一つ質に入れれば、それだけで半年は生活できるだろう。何しろ純銀で、それに精緻な意匠が施されているのだから。

 金属細工は王家の紋章を象っていた。

103: 2012/07/14(土) 09:26:54.05 ID:W3EaA2D20
――――――――――――――
 太陽がわずかに傾き始めたころ、宿屋の入り口にて、四人は顔を突き合わせていた。

勇者「これからどうするか、だが」

狩人「私は勇者と一緒ならどうだっていい」

少女「アタシは魔王さえ倒せればいい。でも、王様が軍隊派遣するんでしょ?」

老婆「それについてなんじゃがな?」

 老婆は鋭く三人を伺い、言う。

老婆「王城へ向かう」

勇者「そりゃどういうことだ」

老婆「どうもこうも。そのままの意味じゃ」

 老婆はあっけらかんと言うが、勇者を含む三人は意味が分からない。そもそも王城は許可がなければ入れない。衛兵を打倒していくとでもいうのか。
 名声があれば別だが、単なる旅団である四人には、そんなものなど存在しない。

104: 2012/07/14(土) 09:27:38.01 ID:W3EaA2D20
勇者「入れてくれるわけないだろ?」

少女「そうだよっ!? しかもあんな発表のすぐ後で……忙しいに決まってるよ!」

勇者「ついボケたか、ババア――ぐはっ!」

 咽頭に叩き込まれた水平チョップで勇者は悶絶する。
 激しく咳き込む勇者を横目に、老婆は杖の先で空間に一本線を描いた。
 本来何も生み出すことのない動作であるが、その時ばかりは違う。空中に僅かな亀裂が走ったかと思うと、急激に膨張し、丸い入り口となる。穴の向こうは暗闇だ。

狩人「なに、これ」

老婆「転移魔法じゃ。これで、王城へと入る」

少女「え、それって……大丈夫、なの?」

老婆「大丈夫じゃ、わしを信じろ」

 そう言われてはぐうの音も出ないのか、少女は小さく「うん」と頷いた。

勇者「本当に大丈夫なんだろうな。とっ捕まって不敬罪、なんて冗談じゃねぇぞ」

老婆「いちいち細かくうるさい男じゃのう、先にいっとれ」

 言うや否や老婆が勇者の背中を蹴り飛ばし、暗闇の中へと叩き込む。

老婆「ほれ、行くぞ」

 追って三人も暗闇へと飛び込んだ。

105: 2012/07/14(土) 09:32:16.67 ID:W3EaA2D20
 時間にして一秒かそこらだろう。三人の足に衝撃が伝わる。柔らかい、絨毯のような感覚が足の裏にある。
 降り立った先は部屋であった。一般的と言えばあまりにも一般的なベッドが一つ、木机、そして書架。部屋の半分を埋め尽くす本は、棚に収まりきらず、地面に平積みされている。

勇者「いてて……」

 勇者が繊毛の上に倒れ伏している。どうやら着地に失敗したようだ。

少女「おばあちゃん、ここは……?」

 それは狩人と勇者の疑問でもあった。受けて老婆は口の端を歪める。

老婆「城内。儀仗兵長の部屋じゃ」

勇者「お偉いさんじゃねぇか。大丈夫なのかよ」

老婆「なに、どうということはない」

 勇者はふと違和感を覚えたが、その原因に至るより先に、背後から声。

??「あ、あなたたち、なにをやっているんですか!」

 慎ましやかな声が不釣り合いなほどに大きく響いた。
 女性である。法衣を身にまとい、小ぶりの儀式杖を右手に握っている。中年一歩手前といった風体だが、モノクルの奥の瞳はいまだ子供の輝きである。

 勇者は一瞬剣を抜こうとして――いや、そんなことをしてしまえば大ごとだ、慌てて剣の柄から手を離す。
 どうやってこの場を切り抜けるべきか。高速で回転する頭脳を停止させたのは、運転のきっかけである女性自身であった。

女性「って、えー!? なんであなたがここにいるんですか!」

106: 2012/07/14(土) 09:39:35.62 ID:W3EaA2D20
 「あなた」が誰を示しているか、すぐに合点がいった。
 女性だけでなく、勇者も、狩人も、少女も、老婆を見る。

老婆「久しぶりじゃな、儀仗兵。いや、今は兵長か」

儀仗兵長「そんな軽く言わないで下さいよ! 許可は、って、あるわけないですよねっ?」

老婆「野暮用でな。少し話がしたい。時間を寄越せ」

儀仗兵長「……」

 どうやら女性――儀仗兵長は絶句しているようだった。それ無論勇者たちとて同様である。知り合いであるらしいが、それにしてもいきなり乗り込んで「時間を寄越せ」とは。
 儀仗兵長は僅かに困った顔をしていたが、すぐに諦観のそれへと変わる。大きくため息をついて、

兵長「わかりました、わかりましたよ、もう。人払いの護符張りますから」

 と、懐から一枚の札を取り出し、兵長は扉に張り付ける。

老婆「さて」

 老婆は椅子に腰かけながら言った。兵長はもう一つの椅子に座り、三人はベッドに腰を下ろしている。

老婆「話は単純でな。……わしらを、魔王討伐軍に入れてほしい」

少女・勇者「「え?」」

107: 2012/07/14(土) 10:47:00.51 ID:W3EaA2D20
勇者「お前、いきなりだろそれは!」

老婆「なに、そちらのほうが早いじゃろう。使えるものは使わねば」

兵長「ちょっとちょっと、待ってください。まだ許可したわけじゃ」

老婆「損はさせんぞ?」

兵長「そんなのはわかってますけど!」

老婆「老い先短いババアの頼みじゃ、聞いてくれよ。わしだけじゃなくて、この三人も実力は相当なものじゃ。お前といい勝負ができるかもしれん程度に」

兵長「……どうせ言っても聞かないんでしょう? まぁ兵士を公募するのは既定路線です、ねじ込むことは難しくないでしょうが……」

老婆「すまんな」

勇者「何が何だかわからん」

少女「アタシもよ」

狩人「うん」

老婆「紹介が遅れたな。この三人は、わしと一緒に旅をしておる。これが孫で、勇者と狩人じゃ」

兵長「初めまして、私はこのお城で儀仗兵長を務めています。老婆さんとは……なんといったらいいのか」

108: 2012/07/14(土) 10:47:28.67 ID:W3EaA2D20
老婆「知り合いでな。使わせてもらった」

兵長「まったくもう……変わらないんですから」

老婆「じゃあ行くぞ」

兵長「え? 老婆さんも来るんですか?」

老婆「そっちのほうが話が早い。年寄りだと馬鹿にする連中もいるじゃろう。実力を見せてやらねば」

老婆「ということじゃから、待っててくれ」

勇者「はぁ」

兵長「わかりました、わかりましたよ、もう。え? 今からですか?」

 ぶつくさ言いながら、兵長は扉を開けて廊下へと出る。老婆もそれに続いた。

兵長「済みませんが、ここで待っていてください。人払いの護符は残しておきます。くれぐれも廊下に出ないよう」

兵長「ちょっと、老婆さん、別にいいんですけど、王城ふっとばさないでくださいねっ?」

 蝶番の軋む音なく、静かに扉が閉まる。二人は廊下を歩いているのだろうが絨毯のためか足音は聞こえてこなかった。

 そして部屋には呆気にとられる三人が残された。

109: 2012/07/14(土) 10:53:03.88 ID:W3EaA2D20
狩人「なんか、やばい言葉が最後に聞こえた」

少女「うん……」

 しばし呆然としている三人。
 昼からこっち、急といえばあまりにも急な展開に、正直なところついていけないのが実情であった。より遡れば村の火災から兵士の集団に襲われたところから。
 それらが全て独立した事象であるとは三人も思っていなかった。全てが絡み合っているのかは定かではないにしろ、不穏な空気が国を包んでいるのは理解できる。
 自分たちが知らないだけのミッシングリンクも数多く存在するのかもしれない。

 反面、老婆は少なくとも三人より何かを知っているようだった。年の功か、独自の情報網か。とりあえずは彼女についていけば間違いはないのだろう。

勇者「なんだったんだ、あれは」

少女「わかんないよ。アタシだって何が何だか」

狩人「たぶん」

 廊下へと続く扉から視線をずらさず、狩人は言う。

狩人「おばあさんは、ここに勤めていたことがある」

110: 2012/07/14(土) 10:53:57.61 ID:W3EaA2D20
勇者「可能性は大だが、ここは王城だぞ? エリートっていうレベルじゃあない」

勇者「ガキ、お前はなんか知らないのか」

少女「ガキっていうな。……そうだね、アタシ、おばあちゃんが若いころ何してたかってのはわからないから、ありうると思う」

狩人「転移魔法でここに来たから」

少女「?」

勇者「あぁ。そういうことか」

少女「ちょっと、どういうことよ」

勇者「ばあさんの転移魔法は一度来たところにしか行けないんだろ。じゃあばあさんは一度はこの部屋に来たことがあるんだ」

少女「あぁ。……あー」

勇者「もしかしてお前のばあさん、結構要人だったりする?」

少女「わ、わかんないよそんなのっ。アタシが生まれたときからずっと村にいるって聞いてただけで……」

狩人「もしかしたら、以前になにか、あるのかもしれない」

勇者「しかし、戦争か。それが当然なんだよな。旅の一行が魔王を倒すのを待つよりも」

少女「隣国との情勢も安定してきたってことなんでしょ」

 水資源、鉱山資源をめぐる隣国との争いは、収まりつつあるとはいえ鎮火したとはいえない。安心して背中を向けられるところが存在しないのは、魔族との全面戦争に踏み切らなかった理由の一つでもあった。

111: 2012/07/14(土) 10:55:08.21 ID:W3EaA2D20
勇者「恐らく志願者は多いだろう。映像魔法で戦争のことは人口に膾炙した。もしかするとほかの国からも人が来るかもな」

 魔王軍で割を食っているのはなにもこの国だけではないのだ。

狩人「世界が平和になるなら、過程はそんなに気にならないけど。でも、大丈夫なのかな」

少女「大丈夫かなって?」

狩人「それこそ、隣国が攻めてこないか、とか」

少女「その辺は講和を結んでるんじゃ? 政治には疎くて、どうもね」

 このような動きが起こるということは、隣国ともいくらか密約が交わされているのだろう。もしかしたら隣国も軍隊を編成しているのかもしれない。

 魔王軍に進軍を行う際の問題は、何より背後から刺されかねないことである。この場合は隣国が刃にあたる。
 そしてもう一つ、勝手に軍備を進めては、隣国に要らぬ不安を与えることにもなりかねない。摩擦は火種の原因だ。どんな動きをするにしろ、他国に情報を伝えなければいけない。

勇者「鍛錬と旅ばっかりしてるからな、しょうがない」

少女「平和になったらどうしよう。腕っぷしだけじゃ渡っていけないよねぇ」

狩人「それはみんな同じ。わたしも、勇者も」

112: 2012/07/14(土) 10:55:40.78 ID:W3EaA2D20
少女「狩人さんはまだ生きてくスキルがあるからいいけどさ」

狩人「というか、勇者に養ってもらう」

少女「やしなっ……!? そ、それって、つまり……」

狩人「そういうこと」

少女「勇者! あんたねぇっ!」

勇者「そんなことを言われても困る……」

老婆「ただいま」

勇者「うおっ」

 老婆が唐突に勇者の背後へと姿を現す。お得意の転移魔法だろう。

勇者「いきなりだな。びっくりするじゃねぇか」

老婆「ちょっと詰所に来てほしい」

勇者「詰所って、兵士詰所か? なんで」

老婆「入隊試験じゃ」

114: 2012/07/14(土) 19:43:54.55 ID:W3EaA2D20
―――――――――――――――

 部隊の編成や志願者の入隊を一手に引き受けている人事部曰く、志願してくれる分には一向に構わないが、元来は書類審査や身元の確認がある。それらを免除するには、それだけの力量が必要である、とのことだった。
 半ば自明のことである。老婆とて、三人の実力を信じているから連れてきたのであろう。

 一対一の真っ当な真っ向勝負。勇者も、狩人も、少女も、相手の兵士と一定の間隔をあけたまま得物を握りしめている。

 傍らには複数の兵士と、儀仗兵長、そして老婆。お前も戦えよ、とは勇者は言わなかった。十人が束になっても勝てるかどうか。

 それにしても唐突なことである。それだけ状況が逼迫しているということなのか、それとも単に老婆の隠された権力の賜物なのか。
 とはいえ、現時点でそれを考慮する必要性は薄い。思考を純粋な戦闘に切り替える。

兵士A「相手に『参った』と言わせたほうの負け。制限時間はなし。武器も、魔法も、好きなものを使っていい。準備はいいよね?」

勇者「あぁ」

兵士A「それじゃ……」

 勇者は脚に力を込め、剣の柄を握りしめる。

兵士A「いくよっ!」

115: 2012/07/14(土) 19:44:23.66 ID:W3EaA2D20
 合図と同時に踏み込む。相手との距離はおおよそ三歩分。剣のリーチも鑑みれば一歩半から二歩といったところか。
 すなわち、相手も踏み込んできた場合、一瞬で攻撃圏内へと踏み込むことを意味する。

 頭上からの剣戟。勇者は体の軸を僅かにずらし、必氏圏内から頭をずらす。
 と、カウンターで剣を横に振り抜いた。相手が体をひねり、刃は鎧の上を流れていく。
 一歩さらに踏み込もうとしたところで相手が一足飛びに後ろへと下がる。今度開いた距離は四歩。互いが同時に踏み込んだとして微妙なところだ。

 僅かに互いの呼吸を図る間が生まれ、瞬間的に兵士が勇者へと切迫する。
 屈んだ低い姿勢。腰に当てた長剣。捻じりを加えられて放たれた刃は、鞘の中ですでに十分な加速をしている。

勇者「くっ!」

 剣で受け流そうとして、できない。手から落としこそしないが体勢を崩されてしまった。返す刀で攻めてくるか――と思いきや、あちらも振り抜いた事後動作が大きい。
 助かったとばかりに今度は勇者のほうから距離を取る。

勇者(なかなか強いやつが当たったなぁ。実力を図るんだから当然か)

 頬を伝ってきた汗を舌先で掬い取り、精神を賦活させる。舌先に感じるぴりぴりとした感覚は、それが何であれいいものだ。

勇者(さすがにここで氏ぬわけにゃいかない。ネタバラシには早すぎる)

 電撃魔法を詠唱する。長々と諳んじている暇などないので、簡潔に、属性付加程度の効果だ。頃すのが目的でない今回はそれで十分だともいえる。

116: 2012/07/14(土) 19:44:59.40 ID:W3EaA2D20
 向こうはまっすぐにこちらを見てくるばかりで、さしたる動きは見られない。間合いを計っているのか、こちらの動きを待っているのか。
 握りを確かめて地を蹴る。

勇者「っ!?」

 失敗した。勇者の脳裏に後悔がよぎる。
 踏み込んだ脚が地を蹴り、靴の裏が床を跳ね上げるその僅かな瞬間、もはや行動の制御が効かないタイミングを狙われて、長剣が飛来する。
 先ほどまで兵士が握っていた長剣が。

勇者(剣を捨てるかよ、普通!?)

 勇者は一瞬理解できない。じっとしていたのはこの瞬間を待っていたのだということはわかったが、しかし、あえて長剣を投げつけるなど。
 仕方がなしに剣で長剣を弾く。速度こそ脅威ではないが、重量は厄介である。手が痺れ、剣先もぶれる。
 勇者の視界の先ではナイフの投擲が確認できた。

勇者(こいつ……剣士っていうか、狩人タイプか?)

 長剣はカモフラージュでこそないにしろ得意武器ではなかったのだ、恐らく。
 いや、今は思考の暇すらもったいない。無傷は不可能と判断し、顔、喉といった重要部位だけを守り、一気にナイフの中を突っ切る。

勇者「うぉああああああっ!」

 気合の雄叫びとともに刃を走らせる。ナイフによる痛みは走るが、握力と腕力を蝕むほどではない。
 兵士の懐に勇者は飛び込んでいる。この距離ならば外すことはない。

117: 2012/07/14(土) 19:45:36.42 ID:W3EaA2D20

 金属と金属のぶつかる音が響く。
 なぜ、と尋ねる余裕はどこにもなかった。括目するまでもなく、勇者の剣は兵士の剣に阻まれていたからである。
 紫電が走る。刃に込められた電撃は兵士の剣へと注ぎ込まれ、そして、

兵士A「っ!」
勇者「っ!」

 存外軽い音が響いた。
 兵士の持っていた剣が内部からふくらみ、弾け、空気中に霧散し溶けていく。
 魔力で編まれた金属なのだ、恐らく。魔力で剣や防具を具現化する者には勇者もかつて出会ったことがあった。

 意識を驚愕から戦闘へと引き戻したのはほぼ同時であった。
 兵士の反対側に手に握られたナイフが勇者の背中を狙う。

 避けるか? 切るか? 鈍化した思考の中では寧ろ本能と経験だけが活きる。勇者はそれを短くない戦いの中から悟っていた。重要なことは全て肉体に刻まれている。

 白く霞がかる意識の中で、勇者は刃を振り抜いた。

118: 2012/07/14(土) 19:47:02.84 ID:W3EaA2D20
 鮮血が飛び散る。大した量ではない。痛みは――ある。が、覚悟を要するほどでもない。
 対峙していた兵士が倒れていた。腹から血を流している。氏にはしないだろうが、安静にしていたほうがよいだろう、程度の傷である。

 倒れて腹から血を流しながらも笑っていた。「参りましたよ」と困った風に言うその声で、勇者は初めてその兵士が女であることを知る。

 背中の痛みは引いていた。どうやら鮮血は兵士のものであって、勇者を狙った刃は鎧の隙間を撫でる程度に終わったらしい。

 それもそのはずかもしれない、と彼は一人で思う。鍛錬こそそこそこだが、代わりに幾度もの氏を経験してきているのだ。どの程度の攻撃でどこを狙われたら絶命するのか十二分に知っている。
 それすらもアドバンテージとして捉える武芸者脳に辟易するが、旅人の宿命なのだろう。勇者は床に座り込んで大きく息を吐く。
 呼吸すらも忘れていた気がした。

119: 2012/07/14(土) 19:51:41.51 ID:W3EaA2D20
―――――――――――

 どうやら無事に狩人と少女も勝利を収めたようだった。

勇者「あんまり派手にやらなかっただろうな」

少女「当然でしょっ。あんたも、ふん。氏ななかったみたいね」

 それだけ言うと少女は足早に去り、老婆の下へと向かってしまう。

狩人「おつかれ」

勇者「おう、お前も、お疲れ様」

狩人「大丈夫だった?」

勇者「ま、な。ここで氏んでられないわ」

狩人「うん。うん。そうだね、ふふ」

120: 2012/07/14(土) 19:54:01.89 ID:W3EaA2D20
老婆「おい、二人とも」

 一段高いところから老婆が声をかける。そばには僅かに衣装の異なる鎧を身に着けた兵士が立っている。
 二メートルに届くかという巨躯に勇者は圧倒されそうになったが、気を取り直して軽々近づいていく。

老婆「こいつは指揮官。軍隊を掌握する権限を持っている。直属ではないにしろ、わしの我儘を聞いてくれたナイスガイじゃ」

 老婆が鎧を撫でる。気のせいか大男――指揮官が体を震わせたような気がした。

勇者(ま、気持ちはよくわかるけれども)

老婆「お前も後でしてやろうかえ」

勇者「思考を読むな」

指揮官「とりあえず、話を切りかえようか」

 見てくれ通りの野太い声であった。しかし粗野な雰囲気はしない。誠実そうな、武人のイメージが想起される。

121: 2012/07/14(土) 19:55:04.03 ID:W3EaA2D20
指揮官「特例ではあるが、なるほど、確かに実力者のようだ。我々は君たちを歓迎しよう。詳しい話は追って伝える。とりあえず、おばあさんとともに部屋で待機してくれ。場所は儀仗兵長が教えてくれる」

 三人の背後には儀仗兵長が笑顔で立っていた。三人、そして老婆は、促されるままに儀仗兵長のあとをついていく。

儀仗兵長「みなさんお強いんですね。失礼かもしれませんが、わたし驚いてしまいました」

少女「別に、当然だしっ」

 にやけながら少女が言う。
 勇者はそれを聞いて、はて、どうだろうかと思った。少女がではなく、自分がである。
 コンティニューという名の奇跡は言うなれば外法だ。それがなければ自分はここに立っていなかっただろう。

 外法に頼り切った結果の強さを、少女や狩人と言った生え抜きの強さと比較してもいいものか、彼には判断が付きかねた。

 通されたのは客室であった。入隊試験に合格した以上、兵士の隊舎に入るのが常なのではと思ったが、とりあえずの処置なのだろう。追って連絡が来るはずだ。

儀仗兵長「それでは、また呼びに来ますので、ごゆっくりと」

 ゆっくりと扉がしまる。蝶番の軋む音がしないのは、さすがは王城と言ったところだろう。

122: 2012/07/14(土) 19:56:55.86 ID:W3EaA2D20
勇者「で、だ」

少女「そうだよおばあちゃん、詳しい説明をしてよっ!」

狩人「こんなコネクションを、持ってたなんて」

老婆「まぁまぁ、三人ともそう慌てるな。長い話になってもあれじゃから、端的に説明すると……そうじゃな」

老婆「わしは昔、王城に勤めていた」

 さもありなん。その答えを予想していなかった三人ではない。

老婆「あれは昔……わしが紅顔の美少女だったころじゃ」

勇者(なに言ってんだこいt「――ごふっ!?」

老婆「人の悪口を言うでない」

勇者「なにさらっと人の心読んでんだ!」

老婆「わしは王城で魔法の研究や後輩の育成に力を注いでいた」

勇者「無視かよ」

老婆「あのころは特に隣国との関係が逼迫し、戦争は不可避と思われていた時代じゃ」

老婆「互いに利権を求めてな……そして結局、戦争は起きた」

123: 2012/07/14(土) 19:57:36.95 ID:W3EaA2D20
 自然と喉が鳴る。それは恐らく三人が生まれていない時代の話だ。

老婆「ま、幸いにしてそれほど規模は大きくなかったがな」

老婆「わしも当然参加した。結果的には勝利したが、彼我ともに氏傷者多数の惨事じゃ」

老婆「わしは勝利の功労者として表彰を受け、勲章を賜った」

 苦虫を噛み潰したような、吐き捨てるふうに老婆は言った。三人はそれを疑問に思う。胸を張ることでさえあっても、憎むようなことではないのでは、と。

老婆「しかし、王城勤めが嫌になったのもそのころじゃ。わしゃ、政治とは無関係な世界で生きていたかったんじゃよ」

老婆「田舎へ帰っても、一応交流は続けていたが、それがこうやって生きるとは思わなかった」

少女「初耳なんだけど」

老婆「いや、悪い悪い。タイミングがなくてな」

少女「お母さんたちは知ってるの?」

老婆「大体はな」

少女「なによ、もう……」

124: 2012/07/14(土) 19:58:47.84 ID:W3EaA2D20
狩人「でも、どうして?」

老婆「なにがじゃ?」

狩人「どうして急に王城勤めになろうだなんて」

老婆「魔王を倒すという目的のためなら、こっちのほうが手っ取り早いじゃろ」

老婆「軍隊が組まれ、戦争が不可避になってしまった以上、強いものの尻馬に乗るほうが合理的じゃよ」

狩人「わたし、世情に疎いからわからないけど、なんか嫌な感じがする」

勇者「嫌な感じ?」

狩人「うん。言葉では説明できないんだけど」

老婆「ま、いざという時はわしがなんとかするから安心せい。ひょひょひょ」

勇者「……」

 老婆は声こそ笑っているが、目ははっきりと笑っていない。勇者はそれを感じ取った。
 また、狩人の言葉も気にかかる。彼女には類稀な直観が宿っている。先日の村の焼き討ちとも合わせて、自分たちの知らないところで、世界がどんどんと先に進んでいく気がした。

125: 2012/07/14(土) 19:59:16.98 ID:W3EaA2D20
――――――――――――――

 一週間後。
 四人は王国軍の隊舎に移り住み、それぞれがそれぞれの訓練、教育などを受けていた。
 王国全土から兵を募るというのは嘘ではなかったようで、義憤に駆られたもの、一旗揚げようと思っているもの、様々な手合いが見える。
 勇者はその中で目立たないようにひっそりと暮らしていた。

兵士A「やあ」

 午前の訓練を終えて一息ついている勇者の下へ、一人の女兵士がやってきた。
 鎧の隙間から包帯が見える。そしてこの声には聴き覚えがあった。

勇者「入隊試験の時の」

兵士A「お。ボクのことを覚えていてくれたんだ、光栄だねぇ」

勇者「怪我は大丈夫か? 悪かったな」

兵士A「や。負けたほうが悪いのさ。そういう世界にボクたちは生きてるからね」

兵士A「それにしても、なんだい。全然訓練に手抜きしてるじゃないか」

勇者「そう見えたかな」

 そうであった。勇者は自らの実力を抑え、いわゆる「落ちこぼれ」扱いされている。
 理由は単純で、強い相手と組みあいたくないからである。何が原因で加護がばれてしまうかわかったものではない。

126: 2012/07/14(土) 19:59:52.70 ID:W3EaA2D20
兵士A「ま。ボクはとやかく言わないけどね」

兵士A「見る人が見たらわかるんだから、往生際悪くならないように」

兵士A「ボクが化けの皮をはがしてやってもいいんだよ? いつかのリベンジで」

兵士A「今度は本気でお相手するよ」

勇者「そうならないように願ってるよ」

兵士A「はは、それじゃあね、ばいびー」

 兵士Aはあっけらかんと手を振り振り、扉の向こうに消えていく。そちらは上官の詰所がある。

兵士B「おいおい。あんちゃん、あの人と知り合いなのかよ」
兵士C「きゃわいいよなぁ。俺の田舎にゃあんな上玉いなかったぜ」
兵士D「なぁ俺たちに紹介してくれよ」

 傭兵上がりと思しき兵士たちが勇者へと近づいてくる。面倒くさいのにからまれたな、と思いながら、余所行きの顔で応対する。

勇者「入隊試験の時にお世話になりまして」

兵士B「うらやましいぜ。俺の時なんてきたならしいおっさんだったからな」

 あんたも汚らしいおっさんだろうとは言わず、曖昧に返事を返すばかりだ。

兵士C「それじゃあよろしくな、あんちゃん、はっはっは!」バシバシ

 粗野な声を上げて三人が去っていく。兵士Cに叩かれた背中が痛いけれど、仕方ないと飲み込むことにした。

127: 2012/07/14(土) 20:00:22.48 ID:W3EaA2D20
兵士E「だ、大丈夫ですか?」

 声をかけてきたのは、当然というか、兵士である。ただし随分と若い。
 恐らく元服を過ぎたあたりだろう。おっかなびっくり勇者のことを見ている。

兵士E「あの人たち、その……ちょっと乱暴だから」

 声変わりも途中のようだ。声音に多少黄色い部分が垣間見える。
 勇者は彼のことを知っていた。彼は勇者と同じ「落ちこぼれ」である。剣の素養も体力も、明らかに劣っている。それゆえ同時期に入隊したほかの兵士から虐げられる存在だった。
 改めて少女が埒外であることを確認する。彼女ほど年齢と戦闘力に差がある存在もあるまい。

勇者「大したことじゃない」

兵士E「あ、そ、そうですか。すいません……」

勇者「……なんでそんなおどおどしてるんだ」

兵士E「え? あ、してますか、ごめんなさい」

兵士E「あの、俺、農家の五男で、家にいてもしょうがないし、頭もよくないし、だから」

兵士E「親が、『いい機会だから』って」

勇者「……そうか」

兵士E「あの、それじゃ、はい」

 そそくさと兵士Eは去っていく。

128: 2012/07/14(土) 20:00:51.42 ID:W3EaA2D20
「いい機会」それは、この機会に鍛えなおしてこいという意味か。
 それとも、口減らしの口上として最適だったということか。

 いや、考えるべきではない。勇者は頭を振る。
 彼らの中で一体何人が生きていられるだろうか? それの保証がされないのであれば、深く接するべきではないのだ。

 と、鋭い声で伝令が城内へと駆け込んできた。

 伝令はすぐさま城門へ集合するようにと叫んだ。
 魔物の討伐に向かうのだ、と。

129: 2012/07/14(土) 23:44:36.20 ID:W3EaA2D20
――――――――――――――――

 事情は単純であった。魔物がとある町を襲い、偶然にも駐留していた兵士団が撃退した。逃げていく魔物の後を追うと、今まで知られていなかった拠点を発見したというのだ。
 広場に勇者たちは集められ、壇上に立つ兵士Aの話を聞いている。
 初めての出撃に緊張している者もあれば、気炎を上げている者もあった。

 勇者は運よく――もしくは悪く――討伐隊に選出された。兵士Aをトップに据える一個小隊である。
 兵士BからEまでもいることを考えれば、あの場にいた新米兵士があらかた選ばれているのであろう。
 彼我の戦力差はわからないが、上層部は新米に経験させるつもりなのかもしれない。

 狩人や少女、老婆の姿は見当たらない。隊の組み分けの時点で離ればなれになった彼女らとは、もう三日ほども顔を見ていない。

勇者(狩人のやつ、寂しくしてねぇだろうか)

 うぬぼれとも取られかねないことを思ってみる。
 なんだかんだで狩人は強かだ。何とかやっていけているだろうが。

130: 2012/07/14(土) 23:45:17.09 ID:W3EaA2D20
兵士A「や。みんな、元気ィー?」
兵士たち「うぉおおおおおおおお!」

兵士A「いきなりで悪いんだけど、これから魔物の討伐に向かいます」

兵士たち「うぉおおおおおおおお!」

兵士A「規模がまだわからないから、斥候って感じね。新米の人たちは頑張ってEXPためてねー」

兵士たち「うぉおおおおおおおお!」

 冷静な兵士Aと、熱狂がうねる兵士たち。まるでアイドルのコンサートだ。
 もちろんただやる気がありすぎるだけなのだろうが……。

兵士A「元気があってよろしい。けど、気だけは抜かないでね」

兵士A「氏ぬから」

 冷たくきっぱりと兵士Aが言い切る。その声音は兵士たちに冷や水を浴びせるには十分だったようで、先ほどまでの喊声は鳴りを潜め、どこからか喉を鳴らす音すら聞こえた。

兵士A「ん。みんなわかってくれたようだね。それじゃ、行こうか」

131: 2012/07/16(月) 23:48:09.72 ID:soZzpkCE0
―――――――――――――
 二日間の野営の末に辿り着いた町は比較的規模の大きいところであった。
 魔物もわかっているのだろう、彼らはあまり大都市を襲わない。襲われるのは大抵周辺地域の農村などが主だ。
 その点で今回の事例は珍しいものであると言えた。

 とはいえ、一回の兵士である勇者には、その辺りの事情はまったく気にならない。究極的には魔王を倒せればそれでよいのだ。

兵士A「宿できちんと寝た? 朝ご飯はたっぷりとった? 体は資本だからね」

兵士A「さ。これから本格的に拠点攻略に入るよ。第一隊から第三隊まで、各自小隊長が点呼、その後問題がなければ中天の時刻より第一隊から突入開始」

兵士A「今回は町が近くにあるということで、兵站を気にしなくてもいいと言うこと、駐屯が楽であるということから、深入りはしない」

兵士A「問題が起こる前に、目敏く発見し、各自ボクや小隊長に報告してちょうだい。以上」

 拠点は森の中にある洞穴であった。恐らく地下空間が広がっているのだろう。中から生温い、瘴気を纏った風が吹いてくる。
 勇者は第二隊だ。点呼が終了し、第一隊の突入を待つことになる。中には先ほどであった、あまり柄の良くない兵士Cがいた。BとDは別働隊のようだ。

132: 2012/07/16(月) 23:48:37.83 ID:soZzpkCE0
勇者「どれくらいの大きさなんだろうな」

 これまで様々な砦、洞窟を攻略してきたが、地下に広がる洞穴へは足を踏み入れたことはない。
 経験としては、余程の規模でなければ自分と狩人だけで十分だった。ただそれは何より氏んでも生き返れるという反則技のおかげでもある。安全を期すならやはり数十人はいるべきなのか。

 配給された袋の中を漁る。水と、食糧……林檎や干し肉だ。得物が配給されないのは、各自が使い慣れたものを使えということだ。
 勇者は無造作に林檎にかじりつく。手放しでうまいと言える代物ではなかったが、無為を紛らわすには十分すぎる。

兵士A「ん。なに、心配なの?」

勇者「A……今は小隊長殿か」シャリシャリ

兵士A「呼称を気にしなくてもいいけど。勇者くんはこんなの慣れっこじゃ?」

勇者「まぁな。ただ、集団行動は勝手が違う」シャリシャリ ゴクン

兵士A「あ。だよね。それでもいざとなったら頼んだよ」

勇者「冗談だろ」

兵士A「こんなところで冗談なんか言わないよ」

133: 2012/07/16(月) 23:49:51.46 ID:soZzpkCE0
 兵士Aの瞳がまっすぐ勇者を覗き込む。

勇者「……」

兵士A「ね。ボクは、力がないのはしょうがないと思ってる。けど、力がないフリをするやつってのは、馬に蹴られて氏ねばいいとも、思っているよ」

勇者「俺は弱い」

兵士A「え。勇者くんがそれを言っちゃうのってどうなの」

勇者「もっと強いやつはいっぱいいる」

兵士A「確かに老婆さんは超弩級だよねー。女の子も狩人さんも弩級って感じだし。あ、知ってる? 弩級の弩はドレッドノートの弩なんだけどね?」

勇者「……」

兵士A「ま、いいや。上を見てもきりがないし、下を見てもきりがないボクらとしては」

兵士A「今の立ち位置でできることをするしかないんだよ」

兵士A「あはっ。それじゃあね。約束守らないと頃すからね。ばいびー」

 さらりと恐ろしいことを言って、兵士Aは指揮系統の集団に戻っていく。

勇者「……」

134: 2012/07/16(月) 23:50:52.02 ID:soZzpkCE0
 今の立ち位置でできることをする。それは狩人も先日言っていたことである。
 勇者の強さは、それこそ中の上である。上にも下にもたくさんの他人がいる。
 だけれど彼は、誰かを救いたいのだ。

 この世界には縦にも横にも不幸が多すぎる。嘗てから彼が述懐しているその台詞は、彼の全ての苦悩を包含している。
 今こうしている間にも国内では貧困に苦しむ農民がいるだろう。エンクロージャーに苦しむ小作農がいるだろう。
 また、魔物に襲われている村々もあるかもしれない。実の両親からの虐待で殺されそうになっている少年少女がいるかもしれない。

 勇者は全てを救いたかった。そんなことできるはずないと知っていて尚、彼は諦めが悪かった。断念という言葉に対して狭量であった。

 彼は知っている。仮に自分が世界で最も強い人間であっても、人間である以上、彼の手の届く範囲は限られている。
 空間的にも、なおさら時間的にも、苦しんでいる人間すべてを救うためには、彼は人外にならなければいけない。神か妖精にでも。

 寧ろ強さなど関係がない、意味がないと断定してしまうのは単純である。どれほど強くなっても不幸を救えないなら、強さなどは無関係ではないか。
 違うと勇者は頭を振った。彼はすでに散々な氏を散々見せつけられてしまっている。もう血の臭いも嗅ぐのも絶望にうなされ悪夢で目が覚めるのも嫌なのだ。そのために強くなりたいのだ。

 否。強く在らねばならないのだ。

136: 2012/07/17(火) 08:12:25.69 ID:qwJ/f0zF0
 なんだか無性に業腹だった。というよりも、思考の乱雑加減に苛立ちを覚えた。汚い部屋を見たときの苛立ちと同じようなものだった。
 憂さを晴らす術がない。狩人も少女も、あまりどうでもいいが老婆もいない。
 むしゃくしゃしてもう一度林檎を齧ろうと顔の高さまで持ち上げた瞬間、飛来したナイフが貫いた。
 鼻先一センチに突如現れた切っ先に驚かないわけがない。勇者は思わず座っていた切り株から転げ落ちる。

勇者「うわっ!」

兵士A「『配給された食料は各隊で小隊長の指示に応じてとること』……勇者くん、規律違反だよ」

勇者「……きっついねぇ」

――――――――――――――――

137: 2012/07/17(火) 13:11:14.08 ID:7cyJBucg0
――――――――――――――――
 ややあって、勇者はようやく洞穴の中へと足を踏み入れた。熟練の兵士が前後を抑え、前から二番目に小隊長、残りはその後ろに一列で続く。
 勇者は真ん中より前ほどについた。後ろには兵士Cもいて、緊張しているのかあたりをきょろきょろと見回している。

兵士C「な、なぁお前、こういうところもモンスターって出るのかな」

勇者「モンスターの住処なんだからでないほうがおかしいだろ」

兵士C「そ、そうだよな。そうだよなぁ」

兵士C「いやさ、俺、傭兵だなんて名乗ってるけど、実際は野生動物を対峙するくらいしかなかったんだ」

兵士C「BやDと同じ村でさ、農作物を荒らす猪とかを退治してさ」

兵士C「な、お前倒したことあるんだろ、魔物。どうなんだよ」

 あまりにもへっぴり腰の年上に、勇者は一体どうしたものかと思案する。が、故郷を発ったばかりの自分もこんなものだったと勇者は思いなおす。
 あのころは何より夜が怖かったと記憶している。

勇者「どう、って言われても。ピンキリですが」

兵士C「ここにいるのはどっちかなぁ……」

138: 2012/07/17(火) 13:11:51.88 ID:7cyJBucg0
勇者「お」

 途中までこそ一本道であったが、すぐに大きく開けた空間へと出る。

 先頭の兵士が光る粉を撒いている。これで迷わず帰ってこられるようにするのだ。先遣隊が撒いた粉も見受けられる。

小隊長「俺たちはこっちだな。行くぞ」

 大空洞を、松明を頼りに進んでいく。地盤が固いのか、存外崩落の危険性はないようだった。

勇者(圧氏とか窒息氏でも復活するんだろうか、俺)

儀仗兵「もし、小隊長殿」

小隊長「どうした」

儀仗兵「通信魔法で連絡が。第三隊も洞穴へ入ったようです」

小隊長「了解した。ご苦労」

 音が反響し、空洞いっぱいに響き渡る。石を蹴飛ばす音すらも拡大している。
 その時である。殿を務める兵士の足元が急激に膨らみ、土を巻き上げながら隆起していく。

兵士「くっ……敵襲、敵襲ぅううううっ!」

 隆起した土から転がりながら、兵士が叫ぶ。

139: 2012/07/17(火) 13:12:24.31 ID:7cyJBucg0
 現れたのは巨大な環形動物であった。粘液でぬらぬらとしたその全体、細かな牙の生えた口、明らかに異形のものだ。
 太さはおおよそ直径二メートル、体長は半分地面に埋まっているため定かでないが、十メートルほどはあるだろう。
 大ミミズだ。

小隊長「全体、得物を抜けっ!」

兵士「小隊長、前方からも、スライムの群体です!」

 兵士が叫んだ。待ち伏せ――いや、そんなはずはあるまい。この挟撃は単なる偶然だろう。
 小隊長は舌打ちをして応答する。

小隊長「なにっ? くそ……戦力を分散、片方を防ぎながら、まずは一方の撃破に勤めろ!」

兵士たち「「「「はっ!」」」」

 前衛と後衛に別れ、まずはミミズを叩く。スライムの溶解液よりも巨躯の突進のほうが命に係わる。
 兵士たちはそれぞれに剣や斧を振るった。当然その中には勇者や兵士Cの姿もある。見てくれ通り体は柔らかいらしく、存外簡単に切り込んでいくことができた。
 後方からは儀仗兵が放つ火球が大きく粘液を焦がす。火炎魔法は苦手なのか過剰に嫌がるそぶりを見せていた。効果は抜群のようだ。
 勇者は電撃魔法を左手に溜めつつ、剣を振るう。

140: 2012/07/17(火) 13:34:51.73 ID:7cyJBucg0
ミミズ「――――――!」

 ミミズは声にならない声を上げた。透き通った泥のような声であった。
 大口を開ける。その中に儀仗兵が火球を叩き込むが、それは相手を怒らせるにすぎない。
 体をくねらせてミミズが儀仗兵へと突っ込んでいく。

儀仗兵「っ!」

兵士「とぅおりゃあああああ!」

 剣がいくつも突き刺さるが、止まらない。
 歯牙が逃げようと背を向けた儀仗兵のローブに引っかかったとき、勇者は大きく左手をミミズの粘液に叩きこむ。

 大空洞が一瞬だけ昼間の明るさを取り戻す。松明のものではない、ケルビンの高い光が満ち、弾ける音とともにミミズの体が跳ねる。
 その隙を見逃すほど勇者は愚かではなかった。剣を固く握りしめ、ミミズの、恐らく人間であれば頸部に相当するであろう部位に、深々突き刺す。青緑色の臭い体液が飛び散る。

勇者「早く! 突き刺せ!」

 その声につられて兵士たちはみな剣を突き出す。
 一本、また一本と鋼が体に打ち込まれていくたびにミミズは大きくうねり、声を上げ、そうして息絶えた。
 ミミズが倒れると地面が大きく揺れた。新米兵士たちは肩で息をし、自らの人生で初めて魔物を倒した手ごたえに感激しているようであるが、そんな暇は実は無い。

 そう、まだ終わったわけではないのだ。勇者はすぐさま剣を引き抜き反転、電撃魔法を刃に付加し、スライムの群体を切り伏せていく。
 分離したスライムの破片はそれでも緩慢な動作を続けていたが、刀身から迸る電撃で根こそぎ蒸発させられる。彼の魔法は軟体系の魔物を倒すためのみに会得したといってもよかった。

 師である賢者はすでに氏んでいる。魔物の大軍に囲まれ、自らの命を犠牲にして勇者たちを助けてくれたのだった。

141: 2012/07/17(火) 13:55:28.96 ID:7cyJBucg0
 周囲から、それこそ掛けなしの歓声が上がる。

勇者(いいから早く加勢しろよっ!)

 所詮ほとんどが兵士Cのような一般市民や農民である。兵士としての責務を果たせるようになるには、一週間では短すぎた。本や鍬を剣に置き換えたからと言って、それがそのまま仕事になるわけではないのだ。
 せめて気概でも見せれば別なのだが、それすらも周囲にはないようだった。

兵士「お、俺もっ!」

 なんとか克己心に駆られた者が何人か走る。勇者の記憶が正しければ、彼らは武勇を求めてやってきた者であったはずだ。しかし、魔法を覚えていない限りはスライムに決定打を与えることはできない。

儀仗兵「下がっていてください! 燃やします!」

 儀仗兵が前に出て詠唱を始めた。手と手の間に火球が生まれる。
 勇者の視界の端で破片が蠢動する。不覚にも頃しきれない一部が存在したのだ。舌打ちをするが、遅い。
 破片は先端が鋭く研ぎ澄まされ、一挙に伸びた。標的はもちろん――スライムと言えど生物としての生存本能、危機察知能力はあるのだろう――熱源である儀仗兵。
 勇者に逡巡が生まれる。身を挺して守るか、儀仗兵を犠牲にスライムを頃すか。前者であれば自らのある種平穏な生活は望めなくなるであろうし、後者であれば彼の心に毒草が一輪増えることとなる。どちらも地獄の苦しみである。

 けれど、あぁ、考える必要などはなかったのだ。彼には身に沁みついてしまった行動原理が存在する。それは今まで彼を人間として生かしてきたものだ。
 彼は誰かを助けたかった。

142: 2012/07/17(火) 13:59:25.44 ID:7cyJBucg0
 右手に雷魔法、左手を伸ばしてスライムの動線上に。
 衝撃。スライムの触手が深々と勇者の肩の付け根を抉る――と思われた。
 しかし。

兵士C「年下にいい格好ばっかりさせらんねぇんだよっ!」

 見るからに素人くさいへっぴり腰で、兵士Cがスライムの触手を切断する。切断された部分は宙を舞い、素敵になって辺りへと飛び散る。

勇者「っ!」

 閃光が迸り、今度こそ完膚なきまでにスライムを消滅させた。後に残るのは僅かな焦げ跡だけだ。

 終わってみれば、ものの数分で終了した討伐であった。

勇者「あ、ありがとう」

 素直に勇者は礼を言った。氏ぬことはないにしろ、助けてもらったことには変わらない。寧ろ氏んでいてはより面倒なことになったかもしれないのだ。
 兵士Cは冷や汗で光る顔をぎこちなく笑顔に歪めながら、親指を突き出した。

兵士C「はは、ははっ。なぁに、いいってことよ! お前が頑張ってるのにおっさんが頑張らなくてどうするよ」

143: 2012/07/17(火) 13:59:59.79 ID:7cyJBucg0
小隊長「いやぁ、お前強いんだなぁっ」

 満面の笑みで小隊長が近づいてくる。祭り上げられてはたまらない。勇者は軽く受け流す。

勇者「いえ、そんなでもないです」

小隊長「謙遜しなくてもいいって。こりゃ拾い物だぁ」

 満足そうに笑う小隊長。
 初めての戦闘に腰を抜かした兵士も幾人かいるようだが、それ以外は皆健全で、手入れののちにすぐ出発できそうであった。

勇者(しかし……奥から流れてくるこの感覚、なんだ?)

 そう、悪意の宿る気……瘴気が確かに、大空洞の奥から流れてきていた。
 魔物が住むところに瘴気がたまるのは当然であるが、従来それは龍脈によって浄化される。高い濃度は、つまり龍脈が機能していないか、処理能力を超える瘴気を発生する何かが存在するということである。
 後者は当然、前者もまた捨て置ける要素ではない。理由が自然発生的ならばまだしも魔物たちの工作による可能性もある。

 どうやら小隊の中には気づいた者もいるようで、険しい顔をして奥を睨みつけている。だが、大多数は額の汗を拭うばかりだ。

勇者(大物がいる、か? ……気を付けるに越したことはないな)

 一行はまた奥を目指して歩き始める。

――――――――――――――

145: 2012/07/18(水) 10:04:46.21 ID:FvCAQEFi0
――――――――――――――
 土塊が弾け飛び、インプが倒れる。
 肩の肉を抉る肉食蝙蝠を魔法で撃ち落とす。
 ゴブリンの軍勢を薙ぎ払う。

 いったいどれだけ進んだのだろう。かなりの距離を歩行しているが、通路は広くなることこそあれ、一向に収斂する様子を見せない。
 この奥には何があるのか。兵士全員が、期待と恐怖の入り混じった表情で前を見据える。

勇者(おかしい。魔物は出てくるけど、全然強くないぞ……?)

 流れてくる瘴気は濃くなる一方だ。それだのに、魔物は旺盛でこそあれ、全く低次元のものばかりが出てくる。
 濃さと魔物の強さは比例するものだ。濃い瘴気は魔物を強くし、強い魔物は濃い瘴気を発する。そのサイクルが魔物たちの厄介なところだ。

勇者(わからん)

儀仗兵「小隊長殿! 帰還命令です!」

 通話魔法を受け取った儀仗兵が言う。どうやら他の小隊も大空洞の奥までたどり着けていないらしい。日を改めて、もしくは人員を増加して、というのも詮無き話であろう。
 反面勇者はもどかしさも感じていた。こんなとき、周囲が狩人や少女や老婆ならば、犠牲を気にせず――無論悪い意味ではなく――奥へと進んでいけるだろうに。

小隊長「だいぶ歩いてもこれだしな。よし、全体、帰還だ」

兵士「しょ、小隊長殿!」

小隊長「なんだ」

兵士「光の粉が消えかかっています!」

146: 2012/07/18(水) 10:05:15.47 ID:FvCAQEFi0
小隊長「なにっ?」

 これまで撒いてきたはずの粉の発光が、だんだんと薄れていっていた。
 兵士たちの間に戦慄が走る。発光がなくなるとは、即ち出入口までの道しるべがなくなることを意味する。

小隊長「こ、これは……どういうことだっ!」

儀仗兵「わ、わかりません――え? ど、どうやら他の隊でも同様の現象が起きているらしくっ!」

小隊長「もういい! 全体、走るぞ! 消えてなくなる前にだ!」

兵士たち「「「「は、はいっ!」」」」

 がちゃがちゃと鎧を激しく軋ませ、兵士たちは一目散に今来た道を駆け戻る。

小隊長「くそ、冗談じゃない、なんでこんな――ぶっ」

 「ぶ」? 誰もが疑問を浮かべて小隊長のほうを振り向けば、

 ぐらり、と、彼の体が倒れる。
 頭のない体が。

兵士「ひ、ひひ、あああああぁ……」
兵士「なんだ、なんだよ、これ」
兵士「おぇえええぇっ!」

勇者「敵だっ!」

 そんなことは言わなくてもとうにわかっているというのに、勇者は言わずにはいられなかった。
 油断をしすぎたのだ。弱い魔物しか出ないからと、瘴気の強さを見くびって。

 視線の先には鬼神がいた。

147: 2012/07/18(水) 10:05:53.45 ID:FvCAQEFi0
 背丈は三メートル近くあるだろう。見るからに硬質な筋肉に包まれた体と、右手には大剣を持ち、人間のパワーファイターもかくやと言わんばかりに仁王立ちしている。
 鬼神は空いた左手で、転がっていた小隊長の頭部をつかみ――口の中へと放り込む。
 形容しがたい骨の砕ける音。愕然とする一行とは対照的に、鬼神は満面の笑みを浮かべるばかりだ。

鬼神「おうおう人間ども、折角こっちが拵えた塒、荒らすんじゃあねぇぞぉ」

兵士「ひ、……逃げろォッ!」

 とある兵士の声がきっかけとなった。恐れに背中を押され、みなが一目散に駆け出す。
 震脚。洞穴を崩さんばかりに踏み込まれた一歩で、鬼神はたやすく先行していた誰よりも前に回る。
 大剣がわずかな光を反射してギラリと光る。

勇者「避け――」

鬼神「られるわけねぇだろ! クソが!」

 鬼神が大剣を薙ぐ。

 旋風が巻き起こり、前方にいた数人の体から血が飛び散った。粘っこい音とともに、欠片が地面に落ちていく。

 勇者は驚愕した。あれは剣技ではない。技量を全く伴わない、ただの筋力による暴力に過ぎない。
 彼は別段剣技をはじめとする武術に明るいわけではない。ただ、あれが獣の行いであることはわかった。そしてただ横に薙ぐという行為で数人もの命を絶てる鬼神の膂力も。

 まるで大型の少女を相手にしているようだった。醜悪な顔をしていないだけオリジナルのほうが万倍もましだ。

148: 2012/07/18(水) 10:12:47.80 ID:FvCAQEFi0
兵士「く、くっそぉおおお!」

 果敢な兵士が突貫する。

 鬼神はそれを見、にやりと笑った。
 勇敢であると褒めたのか、無謀だと嘲ったのか。

 大上段に構えられた兵士の剣が、大きく鬼神に叩きつけられた――そう、叩きつけられたという表現が正しい。
 刃は皮膚を内側から盛り上げている筋肉の前に文字通り歯が立たず、大きく歪んでひしゃげた。鬼神の赤い肌には傷一ついていない。
 彼にとっては恐らく、今の一撃は、幼児が駄々をこねた程度にしか効いていないのだろう。

鬼神「じゃ、やり返すぞぅ――と!」

 鬼神が大上段に振りかぶる。
 兵士は顔を大きく歪めたが、それは鬼神にとってはスパイスにしかならない。ひしゃげた剣でなんとか身を守ろうとするが、頭上から振り下ろされた温度の無い刃は、剣のなりそこないなど意にも介すはずもなかった。

 大剣が大きく地面に突き刺さる。
 地獄絵図にも描かれないであろう「人であったモノ」が、両側に倒れる。

 まさに阿鼻叫喚であった。逃走も闘争も叶わないと知ったとき、人間という種はもはや泣きわめくこともできないらしい。兵士たちはみな尻もちをつき、震えながら鬼神を呆然と眺めている。

勇者「立てよ! 立って氏ぬまで戦えよ!?」

 勇者は叫んだ。氏んでも構わぬ自分の心が折れていないというのに、氏にたくない彼らの心が折れているのはどういうことか。
 生きようとしなければ生きていけないだろうに。

149: 2012/07/18(水) 10:13:25.69 ID:FvCAQEFi0
鬼神「お? お? やるか? やるんだな?」

 勇者は雷呪文を唱えつつ、片手で剣を握りしめる。もしかしたら戦っているうちに兵士たちが逃げ出してくれるという淡い期待も抱きつつ。

鬼神「来ないならこっちから行くぜっ!」

 震脚を駆使し、鬼神が一気に近づいてくる。一歩で大剣の圏内まで寄られた。

勇者(これは、やばいっ!)

 剣での受け流しが通用しないのは先ほどで証明済みだ。ならば回避しかないのだが、あの移動速度を相手にどこまでそれが成るか。
 反射的に地を蹴って後ろへ下がる。同時に左手から雷を乱射し、相手の怯みを期待する。

 数条の雷は確かに鬼神に命中するが、効果はそれほど見当たらない。僅かに皮膚を焼いただけだ。

鬼神「なんだなんだ、蚊トンボかぁっ!?」

 もう一度地面が震える。震脚によって更なる加速をした鬼神は、容易く勇者に追いついた。

勇者「速いっ」

 大剣が眼前に迫った。左手から残った雷を全開放、その威力でなんとか鬼神の攻撃を反らす。
 硬質であるはずの大空洞の壁に深々と傷。手荒く振り回しても壊れないということは、魔物独自の製鉄技術を用いられているのだろう。武器破壊は望めなさそうだ。

150: 2012/07/18(水) 10:14:44.58 ID:FvCAQEFi0
 巨躯の懐に飛び込む。ここでは大剣も使いにくかろう。
 勇者は両手でしっかり柄を握り、切るのではなく突いた。まるで鋼のような体には剣先が微塵も入っていかないが、その代わり刃は滑り、脇腹に一陣の傷跡をつけることに成功する。
 そのまま脇を駆け抜ける。鬼神が右手の拳を握り締め、無造作に向けてきたが、それに反応できないほど勇者は鈍くはない。翻って今度は目を切り裂いた。

鬼神「ぐ、おぅううおおおおおっ!?」

 叫びをあげる鬼神。流石に鋼鉄の体を持つとはいえど、眼球の硬度には限界があるようだ。

 兵士たちを背に勇者は剣をもう一度握りしめる。

 鬼神は左目を抑え、残った右目でしばらく勇者のことを睨みつけていたが、不意に大きく笑った。

鬼神「ぐふ、ぐふはははは、はははっ! やるじゃねぇか小僧。人間が俺に傷を与えるだなんて上出来だ!」

鬼神「よし、お前は認めてやろう。お前はな」

 鬼神は左目から手を離した。眼光を中心として血に塗れているが、どうやら傷ついたのは眼球でなく瞼であるようだ。完全に失明したわけではないらしい。
 大剣を腰に当て、体をひねる。まるで居合のようなその構えに、勇者の警戒心が爆発的に膨らんでいく。

鬼神「氏ねや!」

 剛腕と大剣が唸りを挙げた。
 遠心力によって十分に加速した大剣は、驚くべきことに、そのまま鬼神の手を離れる。
 すっぽ抜けたわけではない。自ら放ったのだ。

 最も驚愕したのは勇者その人であった。突如として向かってくる大剣をなんとか屈んで回避する。
 大剣はそのままはるか後方へと吹き飛び、鈍い音を立てて落下した。どこまで飛んで行ったのか見当もつかない。

151: 2012/07/18(水) 10:15:14.07 ID:FvCAQEFi0
 眼前の鬼神に目を向けると、愉悦そうな笑みを浮かんでいた。野生的な下卑た笑みだ。

鬼神「大剣はいらねぇ。ここじゃ邪魔だ」

 するりと腰に帯びていた短刀を――それは縮尺上の問題であり、実際は兵士たちみなが持っている長剣程度の長さだが――二本、抜く。

鬼神「ギャラリーもいらねぇ。野次馬は邪魔だ」

鬼神「二刀で頃しあおうぜ、人間!」

 そこで勇者は、違和感を覚える。
 なぜだろう。

 なぜか、背後がやたらに静かなような――

勇者「……おい、鬼神」

鬼神「んー?」

勇者「お前、何をした」

鬼神「なにも。ただ、てめぇの後ろに大剣を投げただけだぁ」

鬼神「それを避けられるかどうかは、俺の知ったこっちゃねぇけどなぁ!」

勇者「……!」

 背後を振り返るのが恐ろしかった。背後の静寂が恐ろしかった。
 誰も喋らないのではなく、喋れないだけなのではないか。

 振り向くだけの動作が、まるで障碍者のように、彼にはできなかった。
 手足が震える。奥歯が割れるほど噛みしめてしまう。

 絞り出した言葉は、こうだった。

勇者「頃す」

152: 2012/07/18(水) 10:17:58.47 ID:FvCAQEFi0
鬼神「来いよ!」

 いつか、誰かが言った。「『頃す』と言った時には、既に頃し終わっていなければならない」と。
 勇者はそれを違うとはっきり思えた。それは他人に向かっての言葉ではなく、自分に対しての戒めなのだ。
 頃すまでは頃し続ける、という。

 勇者が跳ねた。極大まで膨らませた雷魔法を刀身にまとわせ、下から上へと逆袈裟切り。
 がちん、と刃同士が噛み合う。勇者は両手、鬼神は片手のみだというのに、この拮抗である。肉体の基礎能力が大幅に異なることを思い知らされる。
 残った手に握られた短刀が勇者の脇腹を狙う。

勇者「ちっ!」

 雷を解放、短刀を軽く弾いて、脇腹に向かう短刀を受ける。
 追撃が来るより先に一歩後ろに下がった。

 ぬるり。足元が滑る感覚。水よりももっと粘液の高い、薄気味の悪い液体。
 大空洞が暗いのが幸いだっただろう。日の下であればどうなっていたか。

鬼神「逃げてんじゃ、ねぇよぅっ!」

 一歩で大きく踏み込んでくる。
 本来二刀流というものは使い難い。片手で剣を握るということは、どうしたって両手で握られた剣には力で負ける。生半な腕力では剣に振られてしまうということもある。
 鬼神の場合は話が違った。種として生まれ持った膂力は、まさに暴力というものを体現している。剣が石でも大した違いはない。

153: 2012/07/18(水) 10:18:36.05 ID:FvCAQEFi0
 ゆえに勇者は攻め手を欠いていた。大きく踏み込み、大きく切り裂くことができるならば希望も見えるだろうが、難しい。
 逆にあちらの攻撃は大抵が一撃必殺だ。命を失うことが怖くないとはいえ、ただ挑んでただ負けるだけ等は許せなかった。石に齧りついてでも何らかの成果を得なければ、氏んだ仲間に申し訳が立たないのだ。

 乱舞する短刀の刃。何とか紙一重のところで回避し続けるが、どこまで持つか。
 時折放つ雷撃も、鋼の肉体の前ではたかが知れている。あの肉体こそが最強の武器であり防具であるかのようだ。

 短刀の連撃を、剣で何とか反らす。大剣は重量の関係で受けきれなかったが、短刀ならばまだ受け流すことができる。勝機を見出すとすればこの一点しか存在しない。

鬼神「早く氏ねよぉおおおっ!」

 大振りの一撃。速度はあるが、軌道が単純だ。勇者は交錯する二振りの刃をかいくぐり、太ももを切りつけて離脱した。
 目に見えたダメージは与えられていないが、精神的にはどうだろう。

鬼神「くそ、チョコマカと動きやがって!」

 優勢を保ち続けてはいるものの、鬼神は次第にこの戦いに飽いてきたらしかった。優勢なはずの自分が致命的な攻撃を与えられていないことに苛立っているのだろう。
 無論勇者は冷や汗をかきっぱなしである。五回攻撃を回避したからと言って、次の一回も回避できるとは限らないのだから。

鬼神「あーもう、イライラするぜぇ! いい加減殺されろよ!」

 一撃必殺は依然変わらないと言え、状況の微かな好転は感じていた。大振りは剣筋が読みやすい。これを続けていればいつか隙はできるだろう。

 所詮鬼神か。筋肉こそ一流でも、それを司る脳が立派でなければ意味がない。

154: 2012/07/18(水) 10:19:18.38 ID:FvCAQEFi0
鬼神「チッ。最初の任務を遂行する前に、邪魔が入っちまったな!」

 吐き捨てるように鬼神が言う。その中に含まれている単語に勇者が反応しないわけがなかった。

勇者「任務……?」

鬼神「おっと言えねぇ、こればっかりは言えねぇなぁ、ぐひゃひゃひゃひゃ」

鬼神「なんたって俺が九尾に怒られっちまうからよぉ!」

 短刀が振りかぶられる――振り下ろされる。
 大地を憎しと錯覚するほどの威力は、まさしく斬鉄の勢いである。しかもそれが二回分だ。一度氏ぬだけではまだ足りない。
 しかし、それともやはりというべきか、単調な線の攻撃は勇者にとって回避に難くない。鬼神の目に見える傲慢さは、己の足元に硝子を撒き散らしているのと同じだ。

 それより彼が気になったのは、先ほど鬼神の言った「九尾」という単語である。彼は前にも砦の主からその単語を聞いたことがあった。
 魔王軍の四天王、九尾の狐。

勇者「四天王ってやつか」

鬼神「それを知ってるって、てめぇ、普通じゃねぇなぁ?」

155: 2012/07/18(水) 10:20:19.05 ID:FvCAQEFi0
 短刀をちらつかせながら鬼神が語る。隙あらばこちらを殺そうとしているのが見え見えだが、勇者はそれに乗ってみることにした。
 ある意味丁半博打である。情報は何よりも偉大だ。ここで鬼神を冷静にさせても、情報を得るべきだと感じたのだ。

勇者「普通じゃない自信はあるさ」

勇者「俺の剣はいずれ四天王にも届くからな」

鬼神「四天王! 四天王だぁ!? 言うねぇ、ぐへひゃひゃひゃ!」

 高笑いをした後、鬼神はふと真顔になる。柄を握る両手に力が入るのが遠目に見てもわかった。

鬼神「……ふん。けどよ、つまらんぜ、四天王もな」

鬼神「九尾は何考えてるのかわかんねぇ、アルプは部屋で寝てばっか、デュラハンは静観決め込んでるし、ウェパルについちゃ行方知れずと来たもんだ!」

鬼神「つまんねぇだろうそんなのよぉ! 魔物は人間頃してなんぼだろうがよぉ!」

鬼神「だから頃す! お前を頃す! 今頃す!」

 鬼神は踏み込んだ。人外の加速。煌めく刃が一閃、二閃、三閃と繰り返す。
 勇者はそれを何とか回避するけれど、回数を増すごとに刃と肌とが肉薄していく。僅かに金属の冷たさが感じられるほどなのだ。

勇者「そろそろ、潮時か……?」

鬼神「なにくっちゃべってんだよぉおおお! 氏ね!」

 二刀が勇者へと吸い込まれていく。
 勇者はにやりと笑った。

勇者「おうともさ」
――――――――――

156: 2012/07/18(水) 23:25:48.45 ID:OzJ5qNj10
――――――――――
 勇者が目を覚ましたのは洞穴の入口であった。固い剥き出しの地盤の上に横になっていたためか、非常に背中や肩が痛い。
 どれくらい時間が経ったかはわからないが、外がまだ明るいところを見ると、それほどでもないらしかった。

 勇者は助走をつけ、慌てたように飛び出す。

勇者「すいません!」

 その先にいたのは兵士Aをはじめとする首脳陣であった。他の隊の姿は見当たらない。

勇者(ということは……全滅、か)

勇者(だけど、他の二隊も……? 鬼神はまだ二人いるのか?

兵士A「勇者くん!? 大丈夫!? どうしたの、急に連絡取れなくなったから!」

勇者「それについて話があるんです」

 勇者はそうして洞穴の中であった一部始終を話した。もちろん、鬼神の言っていた四天王の話も交えて。

兵士A「……」


157: 2012/07/18(水) 23:26:15.43 ID:OzJ5qNj10
儀仗兵「どうしましょうか。鬼神は、話が伝わっている限りでは、四天王に勝るとも劣らない武闘派だとか」

兵士A「……」

儀仗兵「隊長?」

兵士A「すぐに国に知らせて。そして、手練れを十人ほど」

儀仗兵「それだけでよろしいのですか?」

兵士A「洞穴の中じゃたくさん連れ込んでもしょうがないよ。それに、防御力も高そうだから、生半可な腕じゃ弾かれちゃうでしょ」

儀仗兵「わかりました。さっそくそう伝えます」

兵士A「勇者くんもお疲れ様。大変だったでしょ、ボクの命令で休んで」

勇者「あぁ……」

 先ほどまで寝ていたのだが、などとは口が裂けても言えない。

兵士A「宿は町にとってあるからさ」

―――――――――――――――

158: 2012/07/18(水) 23:28:00.64 ID:OzJ5qNj10
―――――――――――――――
「なぜ、お前だけが」
「俺たちは苦しんでいるのに」
「痛い、痛い、痛いよぅ」
「勇者、助けて」
「もっと生きたかった……あぁ……」
「勇者」
「勇者」
「ゆうしゃ」
「ユウシャ」

「勇者くん」

勇者「うああああああああああっ!」

 飛び起きる。じっとりと嫌な汗が体中にまとわりついていた。
 コンティニューをした後はいつもこうだ。ひどく夢見が悪い。だるいだけではなく、頭も痛くなってくる。

 誰かが常に、そばで張り付いて自分を見ているのではないかという錯覚に彼は常に陥っている。それは当たらずとも遠からずだ。

兵士A「大丈夫?」

 枕元に兵士Aが立っていた。

勇者「なにをやっている」

兵士A「え。なにって、やだなぁ、起きてこないから部屋に入っただけですけど」

159: 2012/07/18(水) 23:29:09.99 ID:OzJ5qNj10
兵士A「ボクとしては、勇者くんももうちょっと心を開いてほしいんですよね」

勇者「あんたと付き合い長いわけじゃないだろ」

兵士A「ま。そのとおりですけどね」

 そう言って兵士Aは後ろ手に扉を閉め、姿を消す。

兵士A「あ。そうそう、昼までには一団が来ますから」

勇者「昼まで? 随分と早いな。昨日の今日だろう」

兵士A「あー。老婆さんが来ますので」

 なるほど。

勇者「それまでは?」

兵士A「ボクたちは責任問題とか、引継ぎがあります。忙しいんですよ、これでも」

勇者「……そうか、外されるのか」

兵士A「そ。上はカンカンですよ。だから女に任せておけないんだーって」

勇者「大変だな」

兵士A「自分から好んでこの世界に来ましたから、しょうがないです」

兵士A「ま。でも、そろそろ終わりそうですけど」

160: 2012/07/18(水) 23:30:21.24 ID:OzJ5qNj10
勇者「? よくわからんが、お疲れ様」

兵士A「お疲れ様です。勇者くんは待機しててください。呼びに来ますんで」

兵士A「ぐっばーい」

 扉越しに聞こえていた声すらも遠くなる。本当に行ってしまったようだ。
 勇者は一度ベッドに横になる。月並みな言葉だが、いろいろと大変である。

 予想外の事態になってしまったと、彼は一度脳内を整理する。状況の把握は重要だ。やってくる老婆に事情を説明するためにも。

 まず、あの鬼神。九尾の密命を受けていると思って間違いはないであろう。それがどのようなものなのかは、現時点では定かではない。
 四天王の登場。無論いつかは戦わねばならぬ相手とは思っていたが、勇者にとってもそれはもう少し後になるはずであった。これはいわばイレギュラーだ。

 四天王――傾国の妖狐・九尾の狐/首なしライダー・デュラハン/海の災難・ウェパル/夢魔・アルプ。
 音に聞こえた豪の者たち。

 鬼神は四天王クラスではないにしろ、比肩しうる強さを持っているのではないかと勇者は思った。魔法が使えなくともあの膂力は脅威である。ともすれば少女を上回る可能性だってありうる。

 彼とて単なる冒険者ではない。その戦歴はなかなかに輝かしいものがある。同じ年の人間で、いくつもの魔物の砦や棲家を叩いた人間がどれほどいるだろうか。
 そんな彼であるから、四天王については聞いたこともある。

 しかし、と勇者は思考を続ける。
 四天王はそもそも人間の侵略に興味がなかったのではなかったか?

161: 2012/07/18(水) 23:31:41.12 ID:OzJ5qNj10
 これまで討伐してきた魔物は、全てどこかはぐれ者というか、魔物の中でも独立的に動いていた。だからこそ被害も小規模で、王国が重い腰を挙げなかったのだ。
 彼はそれまで魔王軍には命令系統が存在しないのだと思っていた。四天王のやる気がなく、ゆえに魔物たちはばらばらに動いているのだと。

 鬼神が喋ってくれたこともその裏付けになる。彼は現体制に不満を抱いているようだった。

『九尾は何考えてるのかわかんねぇ、アルプは部屋で寝てばっか、デュラハンは静観決め込んでるし、ウェパルについちゃ行方知れずと来たもんだ!』

 彼が九尾の指示を受けているのだとすれば、考えられる可能性はこうである。
 即ち四天王や魔王を頂点とする命令系統は、現在機能していない。少なくともベクトルが人間に対しては向いていない。
 だが、鬼神は四天王である九尾の密命を受け、町を襲ったという。それは、九尾が四天王の中で唯一人間に牙を剥こうとしている証左である。

 とはいえ、鬼神は九尾に対しても不満を抱いていた。彼も九尾の真意は読み取れていないためだ。所詮一回の手駒に過ぎない、そういうことであろう。

 そこまで考えたところで勇者はベッドから上体を起こす。

勇者「とりあえず鬼神の討伐と、四天王についての聞き出しだな」

勇者(それにしても重鎮の動きの鈍さが気になるけど、まぁ追ってわかるだろう)

 あくびを一つ。
 今度こそしっかり起きようとした時、唐突に勇者の腹部へ衝撃が走った。

162: 2012/07/18(水) 23:32:21.66 ID:OzJ5qNj10
勇者「おうふっ!」

 悶絶である。見事に鳩尾へと叩き込まれ、一瞬で息が詰まる。

狩人「あ、その、ごめん。大丈夫?」

 狩人であった。勇者の上に乗っている。

勇者「……どうした」

狩人「選抜隊に選ばれたから。勇者に会いたくって」

勇者「一足先に?」

狩人「うん。おばあさんに送ってもらった」

勇者「はぁ」

狩人「浮気してなかった?」

狩人「あのボクっ娘に言い寄られてない?」

勇者「それは大丈夫だけど、むっ」

 口づけ。狩人は口を話すと満開の花のように笑う。

狩人「それならいいの」

 勇者は危うく襲ってしまいそうになるのを堪え、咳払いを一つ。

163: 2012/07/18(水) 23:33:10.35 ID:OzJ5qNj10
勇者「ごほん。それで、それで、そうか、お前も選ばれたのか。元気か?」

狩人「うん。宮仕えって、そんな楽しくなかった」

狩人「わたしはやっぱり勇者と一緒がいい」

勇者「……お前は可愛いなぁ」

狩人「ふぇっ?」

勇者「あー、いや、なんでもない。忘れてくれ」

狩人「やだ。忘れない」

狩人「そういえば、おばあさんは後から来るけど、少女も来るよ」

勇者「あいつも? あー、また俺一人生き残ったっつったら、面倒くさくなるんだろうな」

狩人「そうそう、それが知りたかったの」

勇者「ん?」

狩人「全滅って……どういうこと?」

勇者「あぁ。普通の洞穴じゃなかった。中に鬼神がいて……俺のところが全滅した」

勇者「他の隊も全滅したってことは、似たようなのが他にもいるんだろうな」

村人「そう……」

164: 2012/07/18(水) 23:34:07.11 ID:OzJ5qNj10
兵士A「もし、勇者くん。入るよ」コンコン ガチャ

兵士A「ん?」

狩人「どうも、です」

兵士A「こんなかわいい子を部屋に連れ込むなんて、隅におけないねぇ」

勇者「そういうんじゃないです」

兵士A「ん? あ、もしかして一緒のパーティの? 道理で見覚えがあるわけだ」

狩人「おばあさんの魔法で一足先に送ってもらいました。追加派遣組です」

兵士A「あ。なーる、なる。なるほどね。わかった」

兵士A「その追加派遣組ももうそろ全員そろうみたいだから、洞穴前に来てよ」

勇者「わかった」

兵士A「あ。勇者くん」

兵士A「避妊魔法はきちんと使わないとだめだよ?」

狩人「~~~~っ!?」

勇者「なに言ってるんだこいつ」

兵士A「ははは。じゃ、ボクは先にいってるよ」


165: 2012/07/18(水) 23:34:52.03 ID:OzJ5qNj10
狩人「……」

勇者「狩人?

狩人「はっ」

勇者「大丈夫か?」

狩人「すっ、するか!?」

勇者「しない」

狩人「そうか……」

勇者「とりあえず、行くぞ。こんな気が抜けた状態で戦いなんかできるか」

――――――――――――――――

168: 2012/07/19(木) 10:21:46.70 ID:Ou/VIvLY0
――――――――――――――――
 簡易的に組まれた陣地に向かうと、そこにはすでに追加派遣組が到着していた。
 十数人からなる追加派遣隊は、数こそ先遣隊より少ないが、確かに手練れで編成された雰囲気は見て取れた。誰も彼もが隙を見せない。
 その中には少女と老婆も確かにいた。屈強な男の中にいる二人は明らかに場違いに思える。それは単なる気のせいではないのだろうが。

 どうやって声をかけたものだろうか。そんな風に遠巻きから眺めていると、先に老婆がこちらへと目をやる。

老婆「やっと来たか」

勇者「悪いな。状況は」

老婆「すでに聞いておるよ。あと数刻もせずに中へ行くじゃろう」

勇者「オーケー、わかった」

少女「ちょっと、何の話よ」

勇者「大した話じゃないよ」

少女「ふーん。ま、いいけどねっ」

少女「ていうか、中のやつそんなに強いわけ?」

 中のやつとは鬼神のことを指しているのであろう。勇者は少女に、自分が出会った鬼神の話をする。

少女「脳筋タイプねぇ。いまどき流行んないよね、そんなの」

 魔法を使えない少女が言うとどうにもおかしかったが、勇者はそれを堪える。
 しかし、脳筋とは言いえて妙である。だからこそ九尾は選んだのだ。破壊衝動が強く、御しやすい、手の上で操りやすい手駒。
 何も知らぬ鬼神のことを考えると可哀そうにも思えたが、それは勇者たちとて同じこと。どのような事態が水面下で黙々と進行しているのかはわからないのだ。

169: 2012/07/19(木) 10:22:32.08 ID:Ou/VIvLY0
勇者「追加派遣組はどうだ。見るからに強そうだけど」

少女「強いわね。熟練、って感じ」

 少女は素直に彼らのことを評する。

少女「アタシもおばあちゃんも、結構体の内から改造されてるからね。そういう意味ではチートしてる。だからどっちかってーと、狩人さんみたいなもんなのかな。生きるための技術としての、っていう」

勇者「体一つでやってかなきゃいけないからな。俺らも、似たようなもんだけど」

 勇者も生まれ故郷を発ったころは野営の仕方もわからず、途方に暮れたものだ。
 常識や方法というものは世界の数だけある。戦闘力がコンテクストとなって他者を判断する世界も、当然ながら存在するのだ。

兵士A「みなさん、集まってください。新しい隊長からお話があります」

勇者「お前は降りたのか」

兵士A「上の者が来ましたからね、しょうがないです。ささ、早く」

 促されるままについていくと、陣地の中央で簡易な椅子に座っている男がいた。
 強面で、髭を蓄えた三十半ばの男性である。精力に満ち溢れた体と顔をもち、真剣な面持ちで周囲を見回している。

170: 2012/07/19(木) 10:23:10.33 ID:Ou/VIvLY0
 促されるままについていくと、陣地の中央で簡易な椅子に座っている男がいた。
 強面で、髭を蓄えた三十半ばの男性である。精力に満ち溢れた体と顔をもち、真剣な面持ちで周囲を見回している。

隊長「諸君、俺は兵士Aから任務を引き継いだ。洞穴の中には大空洞が広がっていて、瘴気が濃いという」

隊長「我々の目的は、同胞を冷たい躯に変えた鬼神を討伐することである」

隊長「情報では鬼神は一体しか確認されていないが、三隊全てが壊滅したということを考えると、少なくとも三対はいると考えてよいだろう」

隊長「今回は老婆殿のお力も借りることができた。このかたは転移魔法のスペシャリストだ」

隊長「このたび、特別にアイテムを作っていただいた。それを今から配布したいと思う」

 隊長が指示をすると、傍らに立っていた兵士たちが手に持っていたものを配り始める。
 それは……。

勇者「羽?」

隊長「これはキマイラの羽だ。老婆殿が転移魔法をかけてくださった。一回きりだが、使うと入り口まで転移することができる」

隊長「洞穴内だが、頭をぶつける心配はしなくてもよい」

 隊長がそういうと兵士の中から笑いが漏れる。隊長の顔を伺うと、どうもそのような意図があるわけではなさそうだったが。
 咳払いをするとその笑いも収まる。

隊長「では、半刻後より突入する。各自それまで武器の手入れ等を行っておくように」

―――――――――――――――

174: 2012/07/21(土) 12:27:09.23 ID:YTX0ptQ10
―――――――――――――――

少女「よし、行くわよっ」

 洞穴の入り口を前にして少女が言う。右手には鎚――神器ミョルニルを握って、暗闇を睨みつけている。
 勇者たちは以前よりパーティを組んでいたということで、今回の探索でもパーティを組むことになった。それに兵士A、隊長を加えた六人が第三陣として突入する。

勇者「意気揚揚だな」

少女「だって宮仕えはつまらないったらないよっ!」

少女「手加減しなきゃならないのは、もう苦痛で苦痛で」

兵士A「ですって、隊長」

隊長「あれでまだ手加減してたのか……驚きだ」

 兵士Aと隊長は、そんな少女の姿を見ながら落胆するやら感嘆するやらで忙しい。
 もし自分が一般人であるならばそれもやむなしと勇者は思った。攻撃を受けることのできないほど腕力とは、理解の範疇を超えている。同時に人間の範疇をも。
 彼が己の護法を兵士たちに知られやしまいかと戦々恐々としているのに対して、少女はその埒外な力を隠そうとはしない。その差異は、恐らく先天的か後天的かの差異なのだろう。

 どうせなら子供らしく暗闇を怖がるくらいしてもいいのでは。勇者はそんな考えを「は」と笑い飛ばす。暗所恐怖症で旅人ができるか。
 しかし、少女は本当に待ちきれないようだ。このままでは一人勝手に進んでいくとも限らない。

175: 2012/07/21(土) 12:28:04.25 ID:YTX0ptQ10
隊長「よし、そろそろ進むぞ」

 ちょうどいいタイミングで隊長が洞穴の中へと歩を進める。瘴気の漂う空気は相も変わらずで、僅かに腐臭すら混じっているように感じられる。
 先頭から隊長、少女、勇者、兵士A、狩人、老婆という並び。一行は辺りを気にしながら、かつ早足で奥を目指す。

 勇者は松明に火をつけた。ぼう、と辺りが照らされる。
 少女をはじめとする女衆の実力のほどはわかっていたが、さて隊長はどうなのだろうかと彼の動きを見ると、当然のように行軍慣れした足取りである。常に周囲に気を配り、一定のペースで黙々と歩き続ける彼の実力は、考えるまでもなかろう。
 まぁ派遣される隊長が弱くては話にならないのだが。勇者は松明の熱に汗が滲み出てくるのを堪えつつ、先を急ぐ。

狩人「臭う」

 狩人が足を動かしながらも言った。勇者には何も感じない。他の者も感じていないようだが、彼女にしか理解できないレベルの、微量なものなのだろう。

隊長「どこから、どのような?」

狩人「血と、……獣みたいな、臭い」

 嫌な想像しかもたらさない例え。隊長は顔を顰め、少女と勇者は顔を見合わせて頷いた。

狩人「距離は……この先まっすぐ、結構離れてるかも」

隊長「まっすぐってことは、このまま?」

狩人「うん、恐らく」

隊長「よし、わかった。先を急ごう」

兵士A「隊長、下です!」

 兵士Aが叫ぶ。確かに地面が微振動をしていた。
 地震のような機械的なものではなく、もっと生物的な。

176: 2012/07/21(土) 12:28:33.77 ID:YTX0ptQ10
大ミミズ「イィ――――ッ!」

 けたたましい叫びをあげながら大ミミズが地面から姿を現す。
 ぬらぬらと光る粘液、細かく大量に生えた牙、勇者が昨日に遭遇したものとまったく同じものだ。

少女「うわキモッ」

狩人「不快」

勇者「そんなこと言ってる場合じゃねえだろう」

 そういう勇者も実はそれほど慌ててはいない。先遣隊ならばまだしも、このパーティでミミズ一体にてこずるとは到底思えなかった。
 勇者が剣を抜こうとした瞬間、ミミズに向かってナイフが投擲された。それらは見事に全てがミミズの顔面付近に突き刺さる。

兵士A「ランダムエンカウントに付き合ってる暇なんてないんですよねぇ、ボクら」

隊長「よく言った、ボクちゃん」

ミミズ「イィ――――ッ!」

 痛みに大ミミズは身をよじらせ、頭部を振り回して先頭にいた隊長を狙う。
 もたげた上体が思い切り叩きつけられる。体の深奥に響く振動音が洞穴を大きく揺らすが、隊長はすでにそこにはいない。
 粘液でねばつくミミズの上に立っていた。

177: 2012/07/21(土) 12:29:18.82 ID:YTX0ptQ10
 一閃。

 直径二メートルはあろうかという胴体を、隊長は手にした得物で容易く切断した。
 しかしミミズの動きは止まらない。野生生物がゆえの生命力で、残った部分だけでもなんとか一矢報いようと、粘液や体液をしこたまに撒き散らしながら暴れ散らす。

 勇者が雷魔法を準備し、少女が鎚を構え、狩人が鏃を番え、老婆が詠唱を始める。

 そんな援護など必要ないとでも言うように、隊長は口の端を歪めて笑った。

隊長「威勢がいいな」

 隊長はミミズの体の上から飛び降り、合わせて刃でミミズの胴体を貫いて壁に磔にする。無論ミミズは暴れ続けるけれど、一体どれほどの力で強く打ちこんだのだろう、洞窟の壁に突き刺さった刃はそう簡単に抜けはしない。

 ややあって、ミミズもついに息絶える。体液の川が足をひたひたにしているものの、それくらいは我慢しなければならない。少女は露骨に嫌そうな顔をしているが。

少女「おじさんも全然強いんじゃない」

隊長「そうでもないな。お嬢ちゃんが俺くらいの年になったら、俺よりもずっと強くなってるさ」

 そういいながら隊長はミミズの氏骸に足をかけ、柄に手をやり、力任せに引き抜く。
 体液に塗れた片刃の剣が姿を現した。

勇者「珍しいですね、片刃なんて」

 この国では両刃の剣が主流である。理由はわからないが、一説によると製鉄技術が乏しかった時代では刃がすぐなまくらになってしまうため、両刃のほうが都合がいいのだとか。
 今でこそ製鉄技術は十分に向上したが、昔からの名残でまだこの国は両刃の剣を使っている。

 体液をふき取っていた隊長はやおら機嫌がよくなり、「そうだろわかるか!」と笑顔になった。

178: 2012/07/21(土) 12:43:41.04 ID:YTX0ptQ10
隊長「東の国からの輸入品の大業物だ。一年分の給料突っ込んでるからな」

兵士A「この人刀剣オタクなんですよ、困っちゃって」

隊長「趣味と実益を兼ねてるだけだ」

 そういう隊長の表情は誇らしげだ。
 勇者はちらりと片刃の刀剣に目をやった。一点の曇りもない彎刀である。柄巻は深紫で、楕円の鍔にもきっちりと意匠が凝らしてある。ずっしりと重そうだが、隊長は先ほど軽々と振るっていた。

 勇者とて男である。武器具の類に心動かされないはずはなかった。
 彼の剣は値こそそこそこ張るとはいえ、所詮武器屋で購入した量産品だ。つまりは使い捨てということである。
 それこそ彼の先祖にいたという高名な冒険者はワン・オーダーの一品を用いていたのだろう。それが彼の家に残存していないのは残念というほかない。

 とはいえ武器の希少度だけでいえば――それが本当かは別として――少女の持つミョルニルにかなうはずもないのだろうが。

 大空洞の先からは、依然濃い瘴気が流れ出ている。
 勇者は鼻をヒクつかせてみるが、臭いと言えば土の臭いと草木の臭い、そして饐えたカビの臭いくらいなものだ。血の臭いは感じられない。

勇者「狩人、さっき言ってた臭いは」

狩人「うん。移動はしてないね。あれ、でも、なんだろ。水のにおいがする」

179: 2012/07/21(土) 12:44:27.16 ID:YTX0ptQ10
少女「水? 水ににおいなんてあるの?」

狩人「わたしにはわかる。けど、なんで?」

老婆「地底湖じゃろう。水源から染み出した地底湖は、結構どこにもあるものじゃ」

老婆「もしくは地下水の経由地なのかもわからん」

隊長「くさいな。勇者くんの言ってた鬼神が本当だとすると、塒はどうしても水の近くになる。いそうだぞ」

 心なしか全員の表情は硬い。勇者の話が確かならば、あちらには相当の強さを持った鬼神がいるということである。数的優位があったとしても楽に勝てる相手ではないだろう。
 四天王が関わっているかもしれないという点で、王国はこの件の危険度を引き上げた。隊長や老婆をはじめとする熟練勢がやってきたのはそれが理由だ。
 彼らの双肩には責任がのしかかっている。それは本件だけのものではなく、もっと未来的なものも含めて。

勇者「老婆」

老婆「なんじゃ?」

勇者「四天王について聞いたことは?」

老婆「そりゃああるぞ。九尾、デュラハン、ウェパル、アルプの四人じゃろ。魔王軍の最高幹部」

勇者「そこまで俺も知ってる。名前だけ、だけどな」

老婆「あぁ。わしも、能力までは知らんな」

180: 2012/07/21(土) 12:49:02.07 ID:YTX0ptQ10
勇者「いや、それはいいんだ。けどな、俺にはどうもわからん事がある」

老婆「?」

勇者「魔王ってなんだ?」

 鬼神と会ってから疑問に思ったことを述べてみる。
 魔王。それは伝承の中の存在として伝わる、魔物を統べ、人間に牙を剥き、暴虐の限りを尽くす悪漢。出自や姿かたちなどが全て闇に包まれている。
 かつて魔王は勇者の子孫に倒されたのだという。それは眉に唾をつけて聞くとしても、魔王がいたというのは事実らしい。

老婆「魔王とは、魔物の長ではないのか。それ以上でも以下でもなく」

勇者「いや、そうかもしれないけど、俺が聞きたいのはそういうことじゃなくて」

勇者「俺は今まで魔王の話なんて聞いたことないぞ?」

 そう。断片的に、例えば王国軍に所属するきっかけとなった王の演説のように、又聞きという形で魔王のことは幾度も聞いた。もしくは御伽噺的な伝承で。けれど勇者は、これまで、魔物の口から魔王の存在を詳らかにされたことがない。

 もし仮に魔王というものが存在するなら、彼を頂点としたピラミッド型の組織が確立しているはずだ、と勇者は考える。そしてそのような統治構造にはなっているはずなのだ。
 なぜなら、四天王という幹部がいて、また各地には魔物の砦があり、主が住んでいるから。
 少なくとも魔物の社会にも上下関係はあるのだ。

181: 2012/07/21(土) 12:50:55.61 ID:YTX0ptQ10
 だとすれば、魔王が、例えば人間社会の国王のように統治していないのはどういうことか。ただ息を顰め、下部構成員の裁量に任せているという推量は何を意味するのか。

 魔物はあくまで独自で行動をとっている。低級のものは本能に任せ、級の高いものは人間と同様に欲で動く。その営みのどこに魔王がいるのだろう。
 魔王を討伐する自分たちは、果たして魔王のことを知らないのだ。

老婆「そう言われてみれば、まっこと、不思議じゃな。隠れているのか、それとも」

少女「おばあちゃーん、先に進むよー。勇者も早くー」

 少女からの声がかかる。老婆と勇者は顔を見合わせ、話題を中断した。
 これ以上考えても時間を無為に消費するだけで、何らかの答えが出てくるわけでもあるまい。二人は洞窟の奥へと歩を進める。

少女「何の話をしてたの?」

老婆「あぁ、四天王と魔王について、ちょっとな」

隊長「どれも人の前に姿を見せなくなって随分立つからな」

狩人「そうなの?」

隊長「おう。昔は魔物を引き連れて悪さをしたり、逆に人間とも仲良くやってた時代もあるみたいだけど」

少女「うっそだ、信じられない」

隊長「いや、本当に昔だよ。ま、書いてあった本も御伽噺みたいなもんだから、眉唾だな」

兵士A「隊長もそんな本読むんですね」

隊長「ん? ガキが寝る前に本読んでくれって言うからな」

老婆「おぬし、結婚しているのか」

兵士A「そうなんですよ、すっごい可愛い奥さんで、ボクもう嫉妬しちゃいます」

 等々、雑談を続けつつ、一行は奥へと進む。雑談をしながらでも警戒は怠らない。とは言っても狩人が一人いれば不意打ちはだいぶ防げるだろうが。

182: 2012/07/21(土) 12:52:09.78 ID:YTX0ptQ10
勇者「この戦争の終わりっていつなんだ?」

隊長「そりゃ魔王を倒したときだろう。魔王城にいるんだろうからな」

勇者「魔王を倒せば全てが終わるもんかな」

狩人「どういうこと?」

勇者「今まで俺たちは盲目的に魔王を倒せば全てがドミノ式にうまくいくと思ってたけど、本当にそうなのかな?」

隊長「あんまり小難しい考え話にしようぜ、少年。俺たちは王国の矛であり盾だ。そこに思考はいらねーのよ」

兵士A「魔王は隠れてますからね」

隊長「そうだな、探すのだって一苦労だ」

兵士A「はい。ほんと、どうしたものか」

 兵士Aはどこか遠く見て言う。
 彼女の憂いを気が付く者はいない。いたとしても理解できないだろうが……。

狩人「静かに」

 唐突に狩人が全員を制止させる。それが示す事実は単純だ。
 敵の襲来。もしくは索敵の成功。
 この場合は後者だった。

狩人「いる。前……大体百メートル。一人だけ。大分重い音がするから、勇者の言ってた鬼神かな」

狩人「獣の臭い。やっぱり鬼神? あと水のにおいと、音。大分反響してるから、広い空間がある。地底湖?」

狩人「……うん、そうだ。せせらぎがある。ビンゴだね」

隊長「……すげぇな」

老婆「どうする?」

少女「先手必勝でいいんじゃない?」

 勇者もその意見には賛成だった。小細工をしたところで、基本スペックが全ての鬼神相手では、それほど意味をなさないだろう。
 最大の攻撃であちらの防御を貫く。それが最も単純で最も効果的に思えた。

183: 2012/07/21(土) 12:53:27.71 ID:YTX0ptQ10
少女「あんたと一緒でも嬉しくないねっ」

勇者「別にお前を喜ばせるためにここにいるわけじゃない」

少女「むー」

隊長「喧嘩をするな。相手は化け物だぞ。気を抜いて勝てると思うなよ」

隊長「前衛は俺とお嬢ちゃんが務める。中衛に勇者とA、光栄で狩人と老婆さん。これでいこうと思う」

隊長「作戦は……まぁいいか。新米ってわけじゃないんだ、慣れてるだろう。ガンガン行こうぜ、ってやつだな」

狩人「……」

勇者「どうした」

狩人「ごめん。やっぱり黙ってられない」

老婆「どうしたのじゃ」

狩人「血の臭いがする」

 全員が眉を寄せた。血の臭い。それは深く勘ぐらなければ、全滅した先遣隊のものに違いなかろう。
 九割がたそうであると思っていても、誰もが口にしなかったことであった。先遣隊はこの先に進み、鬼神に出会い、全滅した。勇者の経験を参照するに、逃げ出すことすら叶わなかったのだろう。
 狩人はそのことを随分と前から知っていたし、その上であえて無言を貫いていた。しかし、隠し通せればまた別だが、それもできそうにない。最早これまでとなるのも詮無きことである。

184: 2012/07/21(土) 12:54:42.87 ID:YTX0ptQ10
 狩人には深い考えはなかった。ただ勇者にこれ以上精神をすり減らして欲しくないだけだった。
 彼の望みは限りなく遠大で、人の身には持て余す。彼のために彼女ができることは少ない。
 だからこそ、その数少ないできることくらいはしたかった。

 僅かな無言の間をおいて、隊長が小さく「行くぞ」と呟く。
 人間は生きている限りにおいて人間である。そして人間の時間は人間のためにのみ使われる。感傷に浸るのはタイミングが違う。

勇者「……」

狩人「……」

 緩やかに曲がる通路を歩いていくと、気圧の関係だろうか、瘴気を伴って生温い風が吹き込んできた。すでに勇者たちの嗅覚でも不快なにおいを感じ取れるほどの距離に来ている。
 最早目的地は目と鼻の先だ。

隊長「!」

 悪臭の原因がそこには満ち満ちていた。
 何人分であったのか判断がつかないほどに引き千切られ、撒き散らかされたそれらが、かつて人間の一部であったと誰が気付くだろうか。

少女「酷い……」

 勇者はある地点で屈んだ。人間の頬から顎にかけてが無造作に打ち付けられている。
 そこに落ちていたのは眼鏡だった。記憶が正しければ、田舎から出てきた兵士Eのかけていたものだ。
 彼は氏に際に何を思ったのだろう。後悔か、絶望か。それとも田舎の家族に祈ったのか。
 決して栄光などではないはずだ。お国のために氏ねた、万歳などと、聖人君子でさえも思えるはずはない。

185: 2012/07/21(土) 12:55:38.38 ID:YTX0ptQ10
 ふつふつと勇者に湧き上がる感情があった。それは一見すると獰猛な獣の形をしており、どす黒く、プロミネンスを巻き上げている。
 ぐるる、と獣が唸りを挙げた。口の隙間から垂れた涎は強酸性で、理性の防波堤を溶かしにかかる。

狩人「――来る!」

 狩人が叫ぶのと、前方から猛烈な勢いで「何か」が突っ込んでくるのはほぼ同時だった。

 空気を切り裂き大剣が唸る。力加減というものを知らない大振りの一撃。
 触れたものを両断するだけでは済まないであろう攻撃を、驚くべきことに少女が鎚で食い止める。

 一際高い金属音が鼓膜を揺さぶる。鎚の柄は大剣をしっかりと受けとめ、刃毀れが起きることも、反対に柄に傷がつくこともない。全くの互角。
 火花が散って、大剣の持ち主――鬼神の姿を一瞬だけ明るく照らす。

隊長「うぉおおおおおっ!」

 限りなく低い体勢で隊長が詰め寄る。鞘に納めた刀に手をやり、そのまま体を捻って抜刀、遠心力を加算して一気に切り抜く。
 鬼神は容易く大剣を手放した。そうして右手に握った短刀で刀を受け止めようとするが、あまりの攻撃の鋭さに、短刀の中ほどまで亀裂が走る。

鬼神「ンだとぉっ!?」

186: 2012/07/21(土) 12:56:10.99 ID:YTX0ptQ10
 鬼神が残った左手で短刀を抜こうとしたその時、爪の隙間に鏃が突き刺さった。眼球と同様に鍛えられない部位への激痛に、思わず鬼神は刃を取り落す。

 勇者が駆ける。ついで兵士Aも飛び出した。
 兵士Aの投擲。それらは鬼神の鋼鉄の皮膚の前には通用しないものの、意識を兵士Aにずらす程度の働きは持つ。そしてその隙に、雷を纏った勇者の剣が、鬼神の皮膚に大きく食い込む。

 肉の焦げる音と臭いが五感を不快に染め上げていく。けれど、不快であるその感覚を勇者は望んだ。その不快の先に勇者の求めるものがあるのだ。
 柄をさらに力強く握りしめ、地を蹴った。

 血飛沫が勇者の頭に降り注いでいく。どうであったかなどの確認をする暇はない。勇者はすぐさま踵を返し、傷口をさらに広げるために再度攻撃を試みる。

 しかし鬼神もやられてばかりではない。短刀などあるだけ無駄だと判断したのか、固く握った己の拳で勇者を叩きつける。

少女「させないっ!」

 鎚の一撃が鬼神の左肘から先をおかしな方向へとひん曲げる。同時に着弾する老婆からの火炎弾が、盛大に鬼神の顔面を焼いた。
 獣染みた鬼神の絶叫が鼓膜を破らんばかりに反響する。

鬼神「うごぉおおおっ! くそ、畜生、なんだよぉおおおっ、人間の分際でよぉおおおお!」

 残った右手を振り回して手探りの攻撃を行うが、無論勇者をはじめとするメンバーには、そんな攻撃など届くはずもない。勇者は余裕をもって背中を大きく横に切り付けた。
 合わせて兵士Aは魔法の剣を生成、右腕に深々と突き立てる。

187: 2012/07/21(土) 12:56:40.84 ID:YTX0ptQ10
兵士A「隊長!」

隊長「おう」

 阿吽の呼吸で隊長が飛び上がり、大上段に刀を構えた。
 兵士Aが魔法剣を解除すると、剣は王城でもそうであったように、光の粒子となって洞窟の中に溶ける。そしてそこを目掛け、隊長が一思いに刀を振り下ろす。
 低く、鈍い音がした。一拍おいて地面に切り離された鬼神の腕が転がり落ちる。

鬼神「うおおおお、おお、あ、くっ、く、が、ぐぁあああっ!」

 激痛に身悶えし、のた打ち回る鬼神。純粋な戦闘種族とは言っても、桁外れの身体機能のせいでまともな痛みというものを受けたことがないのだろう、耐性は寧ろ一般人よりも低いとも思われた。
 鬼神はのたうつことこそ落ち着いたけれど、両腕が使い物にならないのは事実である。倒れた常態からでも殺意を向けているのはある種見事なものだったが。

鬼神「許さねぇ、許さねぇぞ、人間……」

 鬼神が呟いた。その恨み節にも苦痛の色は濃い。
 もともと自尊心の高い魔物である。魔物の中でも格が高いゆえに、他の者をどうしても見下しがちになる。それを人間ごときと馬鹿にしていた存在に怪我されたのだから、怒りは計り知れないのだろう。

鬼神「頃してやる……絶対だ、絶対だ!」

鬼神「俺は九尾の指令を受けて――!」

勇者「うるさい」

188: 2012/07/21(土) 12:57:34.85 ID:YTX0ptQ10
 反射的に勇者は、辛うじて残っていた左腕も切り落とす。筋肉が弛緩しているためか、それとも自身の怒りのためか、切断は戦闘中より随分と容易かった。
 またも鬼神の絶叫が響く。

勇者「これでバランスが取れただろう」

隊長「おい、それくらいにしておけ」

勇者「あんた、悔しくないのか? 仲間が殺されたんだぞ。一人や二人じゃない。数十人単位でだ」

隊長「それとこれとは話が別だ」

勇者「は。流石大人は言うことが違いますねぇ」

少女「勇者!」

 鋭い声が飛ぶ。
 少女にはわからなかった。本当に彼が、かつて彼女にたいして「燃えた町のことは関係がない」と切って捨てた人物なのかどうか。
 彼は一体誰の氏を悼み、誰の氏を悲しんでいるのか。

 ただの冷徹ならば嫌いになることもできる。しかし、彼がそれだけの存在でないことは、少女も無論理解していた。彼にも彼なりの思いが、苦悩が、葛藤が、存在するのだ。自らがそうであるように。
 実質不氏であるその性質が毒となって悪さをしているのだということはすでに知れた。どだい人間の心が耐えうるような代物ではないのだ。
 だが、勇者は何も言わない。それが少女の腹をより一層立たせる。

狩人「落ち着いて」

 少女を制して狩人が一歩前に踏み出す。彼女はまっすぐに勇者を見ている。

189: 2012/07/21(土) 12:58:11.86 ID:YTX0ptQ10
 さらに一歩。勇者との距離が縮まり、手を伸ばせば届く距離になった。
 狩人はおもむろに勇者の手を取る。血に濡れた、だが暖かい手だ。彼女の愛する、愛する者の手だ。

狩人「勇者」

勇者「……悪い。隊長さんも」

隊長「ん、いや、まぁ構わんさ」

老婆「青春じゃのぅ」

 にやにやと老婆は笑っている。
 なんだか恥ずかしくなって、勇者は明後日の方向を振り向いた。

 鬼神が立ち上がっていた。

鬼神「――――――」

 蹄鉄が舗装された道路と擦れあうような音が鬼神の口から洩れる。
 肉を引き裂く倚音が鬼神の体からしたかと思うと、肩の付け根から新たに右腕が生えようとしている。無論鬼神にそのような特性があるわけはないが、そうなっているのもまた事実である。
 鬼神は新たに生えた片腕で剣を抜く。狙いは最も近かった少女。

 最初に動いたのは勇者である。というよりも、余りにも咄嗟の出来事で、彼以外に動いている者は存在しない。
 一拍遅れてその他のメンバーも反応する。剣を抜き、弓を番え、呪文の詠唱を始めるが、それよりも鬼神の剣は早い。間に合わない。
 少女が鎚を手に取るが、その上を滑るように刃が向かい、そして。

「――――!」

190: 2012/07/21(土) 17:35:37.93 ID:Z5JGdt3SO
いいところで……

191: 2012/07/21(土) 17:59:43.09 ID:dNoJtn77o
なんという…

次回:勇者「王様が魔王との戦争の準備をしている?」【2】


引用: 勇者「王様が魔王との戦争の準備をしている?」