隠された「死刑囚」の一人息子 袴田巌さんが抱えるもう一つの悲劇
1966年6月に静岡県清水市(現静岡市)で4人を殺害したとして死刑が確定した袴田巌さん(88)には一人息子がいる。事件で生き別れになり、58年間、断絶状態にある。
やり直しの裁判(再審)の判決を控えた9月上旬の晩。浜松市の自宅にいた袴田さんの姉秀子さん(91)は、袴田さんから手のひらサイズのクマのぬいぐるみを渡された。
袴田さんは息子の名前を挙げて、言った。
「あした、うちに来るで(来るから)、渡してくれ」
日中、ドライブに出掛けた袴田さんは、立ち寄った先でぬいぐるみを買い、胸ポケットに収めて帰宅していた。
翌日、息子が訪ねてくることはなかった。袴田さんが、なぜ「うちに来る」と言い出したのかは分からない。プレゼントは、息子に渡されないまま、今も秀子さんの自宅の棚に置かれている。
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▼イチから分かる「袴田事件」
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テレビニュースに「お父ちゃん」
58年前に袴田さんが逮捕された後、息子は一時、秀子さんの家に身を寄せていた。
物心がつく前だった。テレビで事件のニュースが流れると、無邪気に「お父ちゃん、お父ちゃん」と袴田さんの顔写真を指さしていたという。
公判中の袴田さんが家族に宛てた手紙には、息子に関する記述が散見される。
「息子や、婆々(ばあばあ)を困らせないように」
「息子のこと、お願いします」
「(息子を)動物園に連れて行ったとのこと」「眼(め)を光らせた(輝かせた)と思います」
袴田さんは裁判で一貫して冤罪(えんざい)を訴えたが、68年9月、静岡地裁で死刑を言い渡された。
秀子さんら親族は、袴田さんの息子を児童養護施設に預けることにした。「事件から離れて、別の人生を歩んでほしい」との思いからだった。
袴田さんも受け入れ、秀子さんに「(施設の)先生によろしく」とメッセージを託したという。
息子の話題に口つぐむ
袴田さんの死刑は80年に確定。冤罪を疑わない秀子さんは収容先の東京拘置所に、袴田さんを繰り返し訪ねた。
死刑の恐怖に直面した袴田さんは心を病み、死刑確定後は家族との面会も拒むようになった。
およそ30年前の出来事だ。袴田さんは久しぶりに拘置所で秀子さんと顔を合…
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