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無実の叫び 袴田事件

隠された「死刑囚」の一人息子 袴田巌さんが抱えるもう一つの悲劇

ドライブで、少年期に遊んだ天竜川の川辺が見える場所へ出かけた袴田巌さん=浜松市浜名区で2024年8月23日午後4時20分、荒木涼子撮影
ドライブで、少年期に遊んだ天竜川の川辺が見える場所へ出かけた袴田巌さん=浜松市浜名区で2024年8月23日午後4時20分、荒木涼子撮影

 1966年6月に静岡県清水市(現静岡市)で4人を殺害したとして死刑が確定した袴田巌さん(88)には一人息子がいる。事件で生き別れになり、58年間、断絶状態にある。

 やり直しの裁判(再審)の判決を控えた9月上旬の晩。浜松市の自宅にいた袴田さんの姉秀子さん(91)は、袴田さんから手のひらサイズのクマのぬいぐるみを渡された。

 袴田さんは息子の名前を挙げて、言った。

 「あした、うちに来るで(来るから)、渡してくれ」

 日中、ドライブに出掛けた袴田さんは、立ち寄った先でぬいぐるみを買い、胸ポケットに収めて帰宅していた。

 翌日、息子が訪ねてくることはなかった。袴田さんが、なぜ「うちに来る」と言い出したのかは分からない。プレゼントは、息子に渡されないまま、今も秀子さんの自宅の棚に置かれている。

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 ▼イチから分かる「袴田事件」
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テレビニュースに「お父ちゃん」

 58年前に袴田さんが逮捕された後、息子は一時、秀子さんの家に身を寄せていた。

 物心がつく前だった。テレビで事件のニュースが流れると、無邪気に「お父ちゃん、お父ちゃん」と袴田さんの顔写真を指さしていたという。

 公判中の袴田さんが家族に宛てた手紙には、息子に関する記述が散見される。

 「息子や、婆々(ばあばあ)を困らせないように」

 「息子のこと、お願いします」

 「(息子を)動物園に連れて行ったとのこと」「眼(め)を光らせた(輝かせた)と思います」

 袴田さんは裁判で一貫して冤罪(えんざい)を訴えたが、68年9月、静岡地裁で死刑を言い渡された。

 秀子さんら親族は、袴田さんの息子を児童養護施設に預けることにした。「事件から離れて、別の人生を歩んでほしい」との思いからだった。

 袴田さんも受け入れ、秀子さんに「(施設の)先生によろしく」とメッセージを託したという。

息子の話題に口つぐむ

 袴田さんの死刑は80年に確定。冤罪を疑わない秀子さんは収容先の東京拘置所に、袴田さんを繰り返し訪ねた。

 死刑の恐怖に直面した袴田さんは心を病み、死刑確定後は家族との面会も拒むようになった。

 およそ30年前の出来事だ。袴田さんは久しぶりに拘置所で秀子さんと顔を合…

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