こんばんわ、坂口です^^
週末ですね。
さて、この間若者たちの集まる
パーティーに呼ばれた際の出来事。
打ち解けて仲良くなっていくと、
「ライン交換しましょーよ」とか、
「フェイスブックやってますか」とか言われます。
なるほど~電話番号じゃないと、
これくらいのノリで聞けるんだよな~。
ただ、僕はアイフォン歴が
けっこう長いくせに、
ラインはおろか、アプリを
一度も取ったことがないという、
化石人間ぎゃーとるずです(笑)
「ラインやってないんですよね」
というと、
「えっ、ガラケーですか?」と。
それくらい、ありえないようです。
結局、携帯番号の交換を
してもらったんですが、
今年はまず、
ラインを始めようかなと思います。。。。f^_^;
てなわけで、
今日のテーマに入りますか。
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意識的にか、無意識的にか、
あるいは、その両方か。
現在は、出会いや絆というものが
とても心地の良い言葉となっています。
確かに、ネットでの関係性が
ある意味「飽和(開放)」した反動か、
無縁社会の中、出会い(縁)
と言うものの形態が変わっているようです。
ネット内(偶然性)の出会いでも
実際に会い、繋がる(必然性)が
容易にできるようになりました。
反面、その必然性の容易性によって、
我々人間のキャパシティを
超えているようにも感じます。
昨年の末に書いた多逢聖因縁尋機妙のように、
本来、人との良縁とは、実に機妙。
素晴らしい良縁である場合もあれば、
それとは逆に恨みつらみ妬みを
買うだけの悪縁である時もあります。
さらに、そんな切り難い
悪縁だったのが、やがて
良縁(腐れ縁)になることもあるでしょう。
そんな様々な縁が交差し、
その関係性によって、自己となるのでしょうね。
活人剣、剣禅一致である柳生家は
それを家訓にもしています。
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この一期一会とは、本来「茶道」の
基本である、もてなし、しつらえ。
その精神性の本来は、「余情残心」です。
つまり、主客の関係性の
在り方(残心)が、一期一会の根幹なんですね。
これは武道の場合、
「最後まで油断するな」といった、
慢心による戒めの言葉なんですが、
茶道の余情残心は、
違う意味で使われていまして、
商人道にも派生しています。
主(もてなす側)と客(もてなされる側)との間にある
心(関係性)の状態だと言えるでしょう。
主は至誠を尽くし、客をもてなし、
しつらえ、裏表のない真心を客へと伝えるのです。
道家は、こういった「見えない精神」は
完成する事のない未完の美(理念)であるとしました。
それだけ客との関わり方を大事にしていたのですね。
客が見えなくなるまで見送り、見送った後は、
その貴重な出会いを一人自己と向き合い内省し、
反面、もてなされた側も、その感動を一人、観念する。
「実に良い出会いだった」。
そこでようやく相互の「異心」が「伝心」し、
一見さん(一期)が馴染み(縁)になるのでしょう。
そこには合理も損得も一切ない、
完全な身の丈の至誠の向き合いがあります。
僕は、これが一期、一会の
極意じゃないかな、と思ってます。
若い時には面倒なものでしょうが、
心に留めておきたい言葉ではないでしょうか^^