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2023/12/23

一陽来復

 

今年もあと僅かとなりました。

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


小生のブログもこれで今年最後の更新です。

以前と比べ更新回数が毎日⇒毎月⇒不定期となってますが

チビ×2の手がかかる間はこんな感じで

やっていこうと思いますので、よろしくお願いいたします^^




さて先日、冬至を迎えましたが

冬至は一陽来復とも言われるのを

ご存知でしょうか。



冬至を境に衰えていた太陽(陽の力)が

どんどん増していくことから万物が蘇ると言う意味なんですね。

古来ローマでは太陽が生まれ変わるとされ、この概念を

取り入れたのがキリスト教のクリスマスの起原とも。

※仏教では「星まつり」の日ですね。



ちなみに新月と冬至が重なる朔旦冬至(約19年に一度)は

月と太陽が蘇る特別な日とされ、昔の日本では盛大にお祝いを

したそうですよ。



☞☞☞


ここ数年、ホントに厄介で面倒なことばっかりでしたね。

毎日、不安ばかりだった人も多かったかもしれません。



ただ、陰極まって陽と成る。

そう信じて来年を過ごしていきましょう。










2021/04/15

徒然に





2045年、AI技術のシンギュラリティにより一つのAIで全人類の知能を超えると言われてます。約80億人力(?)のアダムとイブがジョン.マッカーシーなのかペッパー君なのかはどうでも良いとして、近い将来、彼らと共存していくのは間違いないでしょう。



誰もが情報を容易に大量に手に入れることができる現在、独自性や創造力が求められてます。この時代の要請は良い方に考えると量から質への転換ですね。例えば我々の「なぜ」はAIにはわからない。質や感情、意味や価値は(今のところ)プログラムできない。カミュの不条理だってAIからすれば1+1=3に映るでしょう。逆に「お前が好きだから秘密の情報を教えてあげるよ」なんて言うAIができたら人類はお手上げなのかもしれませんが笑。




無意味の意味、無価値の価値、矛盾の中で道理を求め生きる我々を見て、彼らは何を学習するのでしょうね。






2021/04/03

シーシュポスだよ人生は。



今年、相方の家族さん達と伊勢神宮に行く予定を立ててます。あの凛とした空気をチビに味合わってもらいたいな、と。


私はご両親とおかげ横丁で飲み歩きでもしようかと🍶今の時代、いつどうなるか分からないので楽しみを先延ばしにしないよう心がけてます。









早いもので今年の6月で小生45になります。年齢的にちょうど折り返し、山から降りる時期とか言われますが頂上なんて見えやしない、多分に下山すると言うか転がり落ちるてるでしょう(笑)








閑話休題、変化と成長と死は同一線上にあるので歳を重ねれば面倒な諸問題に折り合いが付くだろうと思ってましたが光明はいつか自然に見えるもんじゃありませんね。生生生生暗生始、死死死死冥死終です。釈迦はその空海さんの暗さ(無明)を晴らす輪廻脱出を「発明」したのだろうけど、個人的にプロセスを否定して結果だけ欲しいみたいな不自然さを感じます。宗教批判ではなく個人的な感覚としてね。



反面、出雲大社や伊勢神宮の遷宮は「甦り」の信仰がある。脱却でも復活でもなく再生に近い。種によって新しい生命が芽生るように自然派性のサイクル、「巡り」を信じてます。



これは発明でも概念でもないれっきとした事実でしょう。春夏秋冬、呼と吸、食物の連鎖、みんなそう。現代は(古今東西)事実から離れスピリチュアルな空想の世界へ耽ってますが、裏を返せば頂上に留まりたいのかもしれません。



僕は嫌だなぁ。景色は良さそうだけど飽きてしまいそうで。



2021/03/06

花も花なれ。


3月は桜の季節、社会全体が閉塞感を感じてる中、自然界の花や植物たちは変わらず春への準備を進めてますね。虫たちが目を覚ます二四節、啓蟄、まだまだ寒い時期だけど、一雨ごとに気温が上がり、日差しも徐々に暖かくなっていくことでしょう。


ようやく春の到来です。





我々は花の散り際を知っているからこそ美しく感じます。加工した花とは全く違うこの感覚は、多分に潔さや気丈さに心を打たれているのかもしれません。


散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ、人も人なれ。



細川ガラシャはその生き様を人にも重ねました。人は今の環境に固執し、今あるものを守ろうとする習性があるけれど、だからこそ引き際を心得ている人の生き様は美しいと。逆説的ですがそれが人を人たらしめているんじゃないかしらん。



花は花なれ、人も人なれ…。この句には言い知れね清々しさを感じますね。


2020/09/12

自由からの逃走



20代に熱心に読んでたエーリヒ・フロム。 
あの宗教チックな硬さから今は離れてますが
著書「自由からの逃走」で指摘してることと
今のコロナ社会で起こってる流れ(圧力)には 
共通項がたくさんありますね。 


大衆は自由を棄て、自ら束縛を求めるもの。 
ある種の純化を選び、孤独を避けるために
所属の場を再認識する機械的な画一性を本能的に持っている、と。 


「マスクはコロナ対策に無意味」という
意見には もう意味がない。そんなことは大半が分かってるんですよ。


所属を証明するにはユニフォームがいる。
つまりそういうことでしょう。

 


当時のフロムばそんな人間になんかぜってーなんねー゙と自戒(反骨)するものだったんですが、この年になるとある意味「戦略本」ですね。 ナチズムとまでは言わないけれど今のあまり害のない全体主義の流れがなにかのきっかけで大きく変わるかもしれませんので。




2020/08/02

タダ乗りするな



以前ずっと車の中で聞いてた
小林秀雄の講演集、小林さんも当時の
無責任さにうんざりしてたと思います。



それくらい世論は移り気で無責任なもの、
無責任な時流にタダ乗りする人が多ければ
多いほど悲劇を生み出すのは古今東西変わりは
しません。逆説的に言えば無常の中にある常でしょう。




「みんな」が言っているから攻撃していい。。。
という集団心理を小林は「僕らの心の中に住む
悪魔ですよ」と言ってます。それが大げさでない
ことはホロコーストを見れば明らかです。



本当に信じられるものであるのなら、
わざわざ徒党を組まず自分の中で信じりゃいい、
それが間違ってたら責任を取るだけです。



2020/07/12

日々、徒然





3年前の予言が当たりそうな予感。







最近、ビジネスの世界では「哲学」を
学ぶ人が多いそうな。これも予想通り。







今後、コロナの時代を生き抜くために
必要だろうなぁ。。。と思うことがあるんですが。



。。。この予感はあまり当たってほしくないですね。
ちょっと今やるのはめんどくさい_(:3」∠)_



「追記」


今回の九州豪雨で被害に遭われた方々には
心よりお見舞い申し上げます。 
一日も早い災害復旧をお祈りいたします。



2020/06/17

「雨ブレイク」



空が重たくなるように感じる梅雨の時期に
入りましたがいかがおすごしでしょうか。
個人的にこの時期って「ちょいとゆっくり
した時間を過ごしなさいな」と神様に言われてるみたいです。


このどんよりとした空やらジメジメ感やら
独特の圧迫感は好きにはなれませんが
我々は雨には逆らうことができず受け入れる
しかない(笑)。


だったら今は一息入れるブレイクタイムなんじゃないかなーってね。



       


゙それって考え方次第でしょ゙と
言われそうですが、無理やり考え方を
ポジティブに変えるんじゃなくて否定的な
イメージのある今の季節を理解したいんですね。


大げさにいえば世界の多様さを知りたい。
否定もせず肯定もせず錯覚も妄想もしない。
書いてて思ったんですが人の価値観の違いに似てますね。



でもそれは当然のこと。自然なこと。



不合理ゆえに吾信ず。
最後は埴谷雄高で〆ちゃいます(笑)



2019/07/23

衰退するムラ



最近までとある企業と縁がありました。
一部上場企業で利益率は業界トップ、
さて一体どんな素晴らしい組織(仕組み)なのか、と。


結論から言えば正直、ちょっと、驚きました。





衰退する企業に共通するパターンは
共通性がある(参照:衰退の法則)。
端的に言えば閉鎖(ムラ化)していますね。



世界をムラ(身内)とソト(外部者)に分け、
身内には自分たちの作ったルール(掟)を
守ることを強要し、その常識から外れない
ようにさせる、と。「彼らは」ムラを盲信的に忠誠し、信頼しなければいけません。



それはどんなことがあっても「裏切らない」ということ。




身内のやることが間違ってたとしても絶対的に
協力し敵対する外部は許さないという精神は
必然的に外部者への軽視・攻撃へと繋がるのは
言うまでもありません。なぜなら外部の人間に
対する強い警戒心や敵対心、そして非常に冷淡な
態度を取ることがムラの評価に繋がるから。



そう考えるといじめもブラック企業の根幹も
こういった村社会に起因しているんじゃ
ないかしらん。「いじめ」がなくならないのは、
いじめる行為が、 あらゆるルールよりも
優先(称賛)されるからですよね


***



無害でカドの立たない空気を交換し
万事穏やかに従順に同調しながら
異質な人間を見つけたら排除しまくって
俺たちのムラを守って行こう!、という強烈な決意。



これって、どうなのかしらね。




「後記」


身内としてひいきされることで
得られる安心感は、とても危ういものです。


いつ「お前は身内じゃない」と排除されるか
わからないもの。そしてそうなれば今まで
自身がよそ者にそうしていたような扱いをされるから。


だからムラの人間は「ムラ八分」にならないよう
身内の顔色をうかがいながら生きているのでしょうね。





2018/08/17

どんな時も感謝・・・ってね。



「生きてるだけで幸せ」って言葉が
どうも好きになれない。お金がなくても良い、
独り身でも良い、どんな仕事でも良い、ってね。



すべてに感謝ってのは行きつけば
「呼吸してるだけで幸せ」って境地に
行きつくでしょうがんなわけないでしょうよ。
幸せはどこかにあるわけじゃなく
「イマ ココ」にしかない・・・とか言われると
探したくなっちゃいます笑






今の幸せに気が付かないじゃない。
ただ、理想の自分になろうと遠くに
答えを求めても全然いいと思うんですよね。


自分を知り、今のままで良いと思ってるなら
ケムシは蝶にならないし、セミは土の中から出てこない。



現状を打破することも大事だなと思う残暑の候、
ミンミンゼミが夏の終わりを告げてます。





2018/07/21

つぶログ




当たり前の話だが何も見ないよりネットや
本を見たほうがたくさんの情報を得ることができる。


それによってことが何が大事なことなのか
知ることができるかもしれないけれどネットや
本自体は何が大事なのか教えてくれはしない。
脳はいろいろなことを考えることができるけど
脳という物質自体が考えてないのと一緒のようにね。


民主主義の原理は多数決だと思ってる人は
この前提を理解してない。故に会議は踊り、進まないわけだ。


和食をたくさんの人がフォークとナイフで
食べたとしても、それは洋食ではない。
パスタを箸で食べても和食にはならない。




どんなバカな意見でも自由に書き込める
インターネット。ダイバーシティではなく
歪んだ無定見の場所。


死ぬほど悩むほうが退屈しきって死ぬより
ましであると誰か言ってたけど、倫理逸脱した
ニュースを瞬時に聞かされる今は不条理を
感じないで済む都合の良い鈍感さが必要なんじゃないかしらん。


てなわけで今日は小倉祇園に行ってきます(笑)
読者各位、暑い日が続きますが
熱中症にはくれぐれもお気をつけ下さいませ。


2018/04/30

バカのKABE






どれだけ言葉を尽くして説明したところで
わからない人にはわからないし、
わかっている人はすでに了承しているので
説明する必要がない、


これだけ書くと偉そうなんだけど
この分からない人には二種類あって
ひとつが「分かろうとしない人」、
もう一つが「言ってる意味が理解できない人」です。


前者とのあいだには大きな壁がある。
それがバカのABE、もといバカのKABE。
馬を水辺に連れて行くことはできるが、
水を飲ますことはできないとはよく言ったもんです。



**


無知は罪なり、知は空虚なり、英知を持つもの英雄なり



2000年以上前、ギリシャのおっちゃんは
そう言いましたが、なーんにも変わってませんね。




君の名は



最近、ポジティブ思考だけでは
ダメだと言う説が広まってるようですね。
ネガティブな気持ちを否定してはだめだ、と。


それって昔のまっとうな人が言う
「楽あれば苦もあり」と一緒でいちいち
大声で叫ぶものではないんでしょうが
専門的に書くとありがたい言葉のように感じるから不思議ですね(笑)


見れば「成功するためにはポジティブ
思考を捨てなさい」と言う本まで出てる始末、


まあ、この「成功」ってやつが
イカサマ講師、トリックのタネなわけなんですが。





目的「もしかして」


手段「わたしたち」


目的・手段「入れ替わってるー⁈」



2018/04/21

週末、徒然なるままに。



心が疲れている時、一人になりたいと
言う人と誰かと一緒に居たいと言う人がいます。


僕は前者なんですが、多分に感覚を閉じる
ことで心の回復を図っているのでしょう。
人は辛いことや苦しいこと、悲しいことが
あると感覚を閉ざすことでそれ以上心が
傷つかないようにしますからね。


まあ現実逃避は昔からある処世術、
暫くすればまた開かれるでしょうが
現代社会では上記とは異なった現象が
起こってるように感じますね。



特別辛いことがあったわけでもないのに
「感覚を閉ざす」人が増えてる。しかも急速に。
まるで理性の判断を優先させることで
感性の働き自体を否定(拒絶)しているかのようです。




こういった感覚の閉じ方は危険ですね。
非常に危ういものを感じます。







そういった人たちは「感じる」ことを
否定する代わりに「理解」しようとします。



例えば最近の医者は目の前の患者を診察せず
カルテの数値だけで判断し薬を処方するでしょう。
情報や知識や数値・データが「現実」であって
目の前にいる患者は現実ではないんです。


感性と分離した自己は慢性的な孤独感に
襲われてしまうと言いますが納得ですね。
だってその人が見ているのは脳(理性)が
作り上げた架空の世界ですから。







2018/04/13

本音のね


最近あるきっかけで自称セラピストの人の
書いてるブログを見たんですが、その内容って
やつが「どんなゲスなことでもそれが
あなたの本音、認めて解放しよう!」ってやつでした。


やれやれ。ローティの言葉は正しいですね。
慎重に伝えるべきテーマを浅薄にすれば
それを見た一部のバカが真に受けるんです。
「人間、素直が一番」ってね。


では差別意識を持ってる人の
素直さってどうなの?思考停止して
イデオロギーに従ってる心って本音なの?


アドルフ・アイヒマン



にんげん正しさだけじゃ生きられない。
んなもん当たり前、大前提の話です。


それと「表現して良い」は別問題ということ。
おたくらの「心」とか「本音」とか
「思い」なんてテロの免罪符にはなりませんわ。


**


アクセル全開で公道を突っ走る。

多分に、それが自由だと勘違いしているのでしょう。


そんな人は車の教習所を思い出せば良い。
歩行者が飛び出してくるかもしれない、
交差点で車が突っ込んでくるかもしれないと

予測しながら運転する技術を教えられるでしょう。


あれは加害者にならないためだけでなく
被害者にならないためにも覚えるんです。
それを面倒だと言うのなら砂漠にでもお行きなさいな、ってね。



「後記」


そんな被害者意識を持った加害者を
よく見る今日この頃、これって煎じ詰めたら
「だってにんげんだもの」みたいな
自己啓発(自己肯定)が根幹にあるんじゃないかしらん。



ちなみにネットでアンチ自己啓発vs推進・擁護派の戦いとか見るでしょ。


あれ、アンチやないからね。
実際は知性と無知(バカ)との戦いなのよ。



2018/03/23

幸せの道


今日のお昼は近所にある
佐世保バーガー。おばちゃん二人で
やってる小さなお店です。




丁寧に作ってるから時間がかかるけど
本場と変わらないくらい美味しくて、安い。




天気が良いから外で頂きました(´-`).。oO


写真じゃ分かりにくいけど、一個でお腹いっぱいになるくらい大きいデス。




「今日は忙しそうだねぇ」と言うと、
「久しぶりに天気が良いからかねぇ」と笑顔で答える。



確かに今日の天気は良きよき。
桜を見ると6分咲き、染井吉野は週末が見頃でしょうね。




天気のいい日に美味しいご飯を食べる。


これくらいのことで幸せを感じれる僕は
きっと幸せ者なんだろうなと、妙に納得してしまいました笑


なるほど。幸福を追えば不幸になると
言うように、多分に幸せになる道なんてないのでしょう。


なぜなら幸せこそ、道なのだから。
定義できない数少ないものの一つです。

2018/03/16

随筆


「思い出の味は何ですか?」、と
聞かれたらいくつか浮かびますが
島根で食べた魚の味は今でも記憶に残ってます。


あれはとにかく美味かった。
「これを食べたら他の魚は食べれない!」
・・・なんて言うほど上品で容量の狭い
胃袋じゃありませんが、まあ美味かった。


この何かを食べて「うまい」と感じたときの
喜びってやつ直接的なものですね。そして、
それは何かを達成したり理解できたときに
感じたものと全く違うことはありませんでした。





知ること、考える事、遊ぶこと、食べること。


つまりこれらに区別なんてなく、
ただそのプロセスが違うだけということでしょう。


例えば困難なことにチャレンジすれば
最初は苦痛しかありません。美味いものを
食べたときのようにいきなり幸せが
飛び込んでくるわけじゃない、


しかしそれを乗り越えた時に感じる
喜びってやつはその苦しさを帳消しに
するどころか包括されてしまいますね。
あの苦しさがあったから今の歓びがある、と。


なるほど。進化の理屈から言えば
否定的なものを排し楽なものを
選んだ方が繁栄に繋がるはずなんだけど、
今でも四苦八苦が残っているということは
淘汰されない理由があるんじゃないかしらん。



だから我々の先輩方は
疲れや苦労に「様」をつけたんじゃないですかね。


労働は最高の酒の友



あたりまえといえば当たり前だけれど
生きてて一番肝心なのは僕ら自身の幸不幸、
何千年前もそうだし何千年後も変わりゃしません。


しかしこの当たり前のことを
教えてくれる人が殆どいません。
いわゆる幸福の思想ってやつです。
あるのはすでに舗装された社会通念の道か
宗教の道か獣道しかない。勘違いしてる人も
いるでしょうが常識から外れた生き方だって
綺麗に舗装されてますわ。ただ常識を否定し
そこから外れるだけで良いわけですから。


ではもしそれで幸福でなかったならどうするか。
たった何十年かの間だけしか生きれないのに
人生の一大事業である幸福の建設を忘れたまま
死期を迎えるなんて、つまらない。勿体ないじゃないか。


僕は人よりちと欲張りな性分ですから
そんなことを考えてしまいますな。


2018/02/07

暇人





普通に生きてきて、ある日ふと
人並みに生きるだけではもの足りなくなった。


その理由から我々は新しいことを始めたり
環境をガラッと変えたりします。不思議ですね、
普通が一番難しいと言いながらありきたりな
人生ってやっぱりどこか嫌なんですよ。


最近はそのもの足りなさを「自己表現」って
やつで補おうとしてる人が多いんですが
個人的に「もの足りないから表現する」
ってのは違うと思ってます。足りないでは足りない。


子供が1人しかいないからあと一人
作れば満足しますよね、みたいなもんじゃありませんから笑



***



表現とは、なにか。
そもそも「何を」「何故」表現するのか。


難しいですね、とっ・・・ても難しい。



ちなみに小林はこう言いました。
「表現とはいかに生きるかの自覚である」と。
なるほど、彼が粗雑で軽薄な生き方でないと
(自ら)証明するためにはサイン、つまり
生命の刻印が必要だったのかもしれません。



今年の僕は何を表し、自覚するのでしょう。
そんな雪で渋滞中のつぶやき⛄


2018/01/20

ありのまま、今のまんま









自分自身も風景だと思えばいつも美しく
存在したいもの。 
それは人としての礼儀でもあります。


この間本屋でちょっと立ち読みした
「これはしない、あれはする」で
特に印象に残った上記の言葉。82歳で現役の
美容研究家である方が書かれた本でしたが
実に良書でした。篠田桃江さん然り、戦争を
知っている時代の人たちが持つ品格や内面に
秘めた強さは美しいなと、つくづく思います。


男性女性関係なく今までの生き様はそのまま
顔に出てくるもの。ココ・シャネルも
「20歳の顔は自然からの贈りものだけど
50歳の顔はあなた自身の功績」と言ってるように
一定の年齢を過ぎると内面を磨くことが
大切になるのは言うまでもありませんね。


侍みたいな顔の岡さん。



本書には25の「しないほうがいいこと」と
「したほうがいいこと」が描かれてます。
押しつけがましくないように書いてますが
外見を豪華にしても中身が伴っていない
人間は堕ちていくだけ」と、切るとこはズバッと切ってますね笑



なるほど、今は自分が「したいこと」と
「したくないこと」だけを中心にしたもの、
自己中というよりも自我中の価値観です。
やりたくないなら辞めればいいし自分が
したいことだけすればいい。もっと
自由にワガママに好きなように生きていいってね。


「ありのまま」をそんな自分勝手なイメージで
捉えている人をたくさん見てきましたが
それは(極端になれば)ありのままではなく「今のまま」、


成長も変化も止めてしまった状態であって
カントの言葉を借りれば欲望の奴隷でしょう。


もちろんそれも幸せのピースではあるけれど
その角度からだけでものごとを観るのって、
老婆心ながら違うんじゃないかなぁと言いたくなるのです。







2018/01/19

言う者は知らず



「言う者は知らず、知る者は言わず」。
この老子の言葉は小林秀雄も好きだったようです。


本当に大切なことを知っている知者は
多くを語らず「希言こそ自然なり」
(寡黙であることが自然な姿)だ、と。


物書きの立場の人がこう言うと
矛盾してそうですがそうじゃない。
ある分野について様々な知識を持っている
博識な人の意見が必ずしも全てをわかっている
わけではなく「わかる」という言葉は
実に色々な意味があると言うことです。



数学が分かる、音楽が判る、芸術が解るetc。。


「わかる」とはただ純粋に感じること。
その対象を好きになり愛すること。


小林が自分の書く言葉は説得ではなく
告白だと言っていたのもそういうことでしょう。





たとえ知識がない子供であっても
専門知識を身に付けた大人より
鋭いものを持っていることがあります。

それは何も知らないという無知ではなく
心が歪んだり捻くれたりしていないという意味の純粋でしょう。


その証拠に感性の鋭い人は大人に
なっても子供の心を失っていないものですね。
そんな純度を保つ努力を怠りたくないなと思う
今日この頃です(゜-゜)




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