2015/03/31

夢中という環境





最近、本棚をひっくり返しては
内容を忘れた作品を
再度読み返しています。



この間は吉本隆明のカール・マルクス。
最初と比べると、解釈の度合いが変わってきている。



果たして、これは良い事なのでしょうかね笑








日々変化するネットの情報を
惰性的に追いかけている時とは違い、



読書と言うものは実に静かなもの。
僕にとって、この時間はとても重要です。



多分に、あと少ししすれば
ネットの情報収集(ブーム)は飽和し、
ある種の倦怠感を覚える人が増える気がします。



ソーシャルメディアしかり、
繋がりというものを「常に」意識すれば
息苦しさとなってしまうのは、昔も今も変わらないでしょう。



もちろん完全には離れない。
その加減や具合が変わっていくと思うのです。



そうなると繋がりに依存している人は
落ち着きのない自己と向き合ってしまうのですが、



そんな時は、良質な本と
向き合ってみることをお勧めします。



☞ ☞



真剣に読むという、この積極的な
働きには良い面がたくさんあります。



作者と親身に交えるということは
調べ物で本を開くのとは違って、
自己というものが非常に弱まる場合があります。



例えば文章を夢中で読んでいると、
ふっと「素の自分」というものが現れるでしょう。



この素の自分こそ、無私であって、
意味づけや解釈のない充実した状態です



自我が充実すれば必然的に
無私へと向かう、




満腹になれば食欲は消えるでしょう。
心の充実だって同じことです。



ただ、それは情報を詰め込むのではなく
逆に空っぽにすることで得られるという
アンチノミーなわけで、




その為に夢中という「環境」を作り出す
「素材」が必要なのだと思ってます。



2015/03/29

調律されたピアノ


深化と拡大という、質と量に
手を加える行為を見れば、
磨くと増やすという、相反する関係になってるようですが、



僕はこの増えるものに対して、
幾分か飽きが速くなったように感じます。



新しく建った駅ビル、オシャレな店舗、
シンボリックな巨大施設、etc



無論、そこに目新しさはあるけれど、
長期的な鑑賞には耐えることができません。
一度回れば、十分だという所もあります。



その証拠に、どこもかしこも次々と
「新しさ」を必要としているわけでしょう。
まさにその対象には奥行きがないわけだ。



反面、自然派生や深化したものはそうじゃない。
芸術的な建築は、そこを目指したように思います。




我々だってそうですよ、そんな毎日毎日
目新しいことなんてできっこない。



故にこれからのビジネスは
深化した「ヒト」へ向かい、そこから作られた
「モノ」によって円環はいったん閉じられる。
そんな気がします。








春に飽きる人なんて、いないように
そんな自然派生には趣があり、味があり、
情緒があります。商売も然り。



もちろん、我々はそのどちらを選んでも良い。
要はその時々の具合に応じるわけでしょうが、
営為においてはそうじゃないでしょう。



芸人よろしく、僕という人間性に
飽きられるのが一番怖いですわな。




☞ ☞


現在、まるで発作的に情報やスキルを
身に付けようとしている人がいますが、



それは「増やす」という行為であって、
さらに増やしているものを見れば問いではない。



それは予め答えが用意されたものを、
ただ「探している」状態であって、



探しているうちは思考なんて働きません。
逆を言えば、思考が働かなくなっているからこそ、
明確な答えを出す教祖がこれだけ増えたのでしょう。



☞ ☞



個人的に、我々の生物学的構造は
ある意味「完成」されていると思ってます。



例えるなら、生まれた時から
すでに完全に調律されたピアノのようなもの。



そこに「進化」というものは必要ない。
逆に下手にいじくり回せば、音階自体が壊れてしまう。




我々はピアノを改造するのではなく
「ピアニスト」として、表現するだけで良い。



そんな内部表現が真の個性であり、
独自性だと思うんですね。









2015/03/27

多様な直感の声2





前回に引き続き
多様な直感の声、二回目です。




能率的技術という概念は色々ありますが、
僕はそこにはっきりとライン引きしています。


それは我々の精神的な問題に干渉できる
性質を持ったものではなく、もっと浅いもの。



例えば物質的な生活を整えることを
目的としている手段的目的にすぎません。



能率的技術というものはそれだけです、
それ以上になるということはない。



中にはびっくりするほど反省好きな人もいて、
論理をそれ以上に理解しようとしますが、



これをはっきりと断言できれば、
ずいぶんと楽になるような気がします。




前置きが長くなりましたが、
本題へと移りますか。



☞ ☞



さて、前回は抽象的な空間に理想的なものは
作れっこない、と書きました。



マニュアルやシステムの理論は
同じだけれども、どの現場でもそれが
通用するか、というとそうじゃありません。



例えばラーメンなんか見ると同じ素材、同じ火力、
同じタイミングであっても、味が変わってしまいます。



大まかな所は同じ、だけれど
微妙な所は感覚に頼ってるわけです。




黄金の福ワンタンまくりさんはセンスを覚えさせる




そんな二度とは繰り返さないものに
対するもてなしの心が一期一会の精神であって、
まさに形式にはできない心の持ち方でしょう。



我々はそんな「質」を感受しているのであって、
それは計算すれば出てくるものじゃありません。



計算できるものは「量」でしょう、
量を操作して質に接近しようと試みてるのが
今のマネジメントやシステムやマニュアルですが、



やり方(形式知)とあり方(暗黙知)は
僕にとって届く領域が違うんですね。



☞ ☞ ☞



顧客の来店動機は何か。
購買動機は何か。



端的に言えば消費者は
「楽しみにしている」と思うんですね。



苦や不を取り除くビジネスも
当然あるけれど、それが消えた後
消費の向かう先はやはり「喜や幸」ですよ。



「ただ楽しい」という理屈抜きの感覚、
それはリアルな場で起こってるわけでしょう。
端的に言えば「生きている場所」です。




遊園地が楽しいのはアトラクションじゃない。
そこに集まる人の活気や、予想外の出来事や
一緒にいる相手との生の体験がアトラクションを
通じることで「楽しく」感じてるのであって、



個人が共鳴し、発見し、創造している。
そんな自分の態度が表れていると言えます。




☞ ☞



メカニズムの観念というものが
思想に居座るのは、なるべく避けた方が良い。




「聞こえる音に神経質になりすぎれば
音楽が逃げていく」、と言ったのは誰だか忘れましたが、




多分に、それは音楽だけの
話ではない気がしますからね。





2015/03/26

多様な直感の声




最近、他のコンサルタントの方々と
共同でやっていく案件がひとつふたつありましたが、



数値メインの構築は僕には合わないようです。
そういう意味で、僕は完全にコンサル失格ですな。




端的に言えばメカニズムとオーガニズムの違いでしょう。



こちらが期待した「理想像」を
そのどちらにもっていくか。





さて、今日はそんなところから。。。。。







厳密なシステム(メカニズム)というものは、
一見安定した状態のようですが、
個人的にそれは空理空論だと感じています。



そもそも人と言うオーガニズムが
システムというメカニズムにいつも
順応するとは限らない、



もちろん、大まかなで簡単なところでは
順応するかもしれないけれど、
これがちょっと微妙になると、そうじゃない。



とういうか全然服従はしていないでしょう、
人時生産性がどーだこーだ言ったところで、
それをやるかどうかはこっちの勝手ですわ。



そんな現場はまさに生きてるわけで、
大げさに言えば、その空間のみ限定的に対応している。



これを経済学をしっかり学ばれたコンサルや
知識人に言わせれば、科学的な空間じゃないと、
頭から角が3本くらい出てくるでしょうが、



生きた僕の感じる現場というものは、まさに
オーガニズムが作り出した空間に他ならない。



☞ ☞


そんな現場に科学的な空間や認識を
持てと言われたって、持てるわけがありません。



先ほど書いたように、人間は物理的な
構造を(ある程度)持っているので
それに従うことは(ある程度)可能でしょうが、



人間がやる仕事は、その先に
微妙な感受性と言う精神があって、
その主導権は常に自分が握っています。



気分が乗れば仕事ははかどるし、
そうでなければ、生産性はガクンと落ちる。



それって本来、当り前のことです。
そんなどうしようもない現実を
分析して従うようにするのは一種のノイローゼであって、



「これが理想的な状態」というものなんてものは、
錯覚以外、あり得ない。西洋のコーチングは
ここを間違えてるわけです。




ん。
長くなったので、続きます。





2015/03/25

見えない「しくみ」




unreveは「見えないしくみ」を
根幹として、活性化・持続性可能性のある
組織を構築するという、珍しいことをやってます。




「見えない」と書くと、なんだか曖昧で
特殊な感じがするかもしれませんが、
それが本来の価値を決定していると思うんですね。



例えば無色に見える太陽の光は
実は虹の七色を含んでいるように、



こうやってパソコンが動いているのも
半導体チップの中にある「ソフト」という
見えない仕組みであるように。



多分に、現実の世界を構成している
「目に見えるしくみ」は1割以下なものでしょう、



現在、宇宙で見えている割合は
約3%ですが、それと同じことだと思ってます。



それを厳密な原理証明ではなく、
また形而上学でも空想のスピリチュアルでもなく、



「個」の経験則として捉える事で、
多少は感じる事ができるのではないか。




とまあ、そう思ってます。







現在、基本的なしくみとして
(ほぼほぼ)間違いないもの、
それを「円環、回帰」と定義しています。



「それは一体何故か」。



なぜなら、マクロの惑星からミクロの
原子(電子)まで、その運動は全て円環周期だからです。




水は循環(雨→土→雲)し、
大気も回る事で、季節が変化していきます。
太陽だって、常に円環運動です。




故に、「見えないしくみ」とは
円環(回帰)であり、それは
生存上必須のシステムだと仮定したんですね。





☞ ☞



調べて見ると、この円環(回帰)によって
五行思想でいう相生が起こっています。



相生は相乗効果を生む創造のサイクル、
反面、相克はお互いを弱め合う破壊のサイクルです。




自然の「しくみ」には「相克」がありません。
太陽が回るのも、水が循環するのも
動植物を活かすことに限定されています。



つまり、大ざっぱな捉え方とすれば、
見えないしくみとは「他」と「調和し」、「活かしあう」ことでしょう。




そして、そんな「調和の精神性」は
この国から昔から根付いていた、と。



和して同ぜす、
迎合ではない合わせの方法こそ、
これからの組織には必要ではないかと思ってます。





2015/03/23

バカのすゞめ




養老孟子のバカの壁とは、自分の理解範囲内に
留まることで思考停止になったことを指すのでしょうが、



この「バカ」という状態、なかなかどうして、
深いものだな、と思ってるんです(笑)



「諸君、狂いたまえ」と言えば吉田松陰ですが、
この「狂う」だって、同じ様なもの。



端的に言えば「打算抜き」って事でしょう。
理性を使わないということではなく、
リスクを引き受けるってことです。



ビジネスではそういった行為を
ファーストペンギンといいますが、


未知に飛び込む勇気って、これからどんどん
必要になってくるんじゃないかしらん。




群れの中で最初に水に飛び込むペンギンがいる。



ペンギンの行動原理は分かりませんが、
我々の場合、自分の中にある自信とか意欲を
拠り所にするしかありません。




そんな個人の確信によって
新しいものは生まれてきたのでしょう。



☞ ☞



我々は年を重ねるとなかなかバカにはなれない。
世間や他人や地位や肩書を気にする
もう一人の「じぶん」が出てきますからね。




大人と言うのは様々な矛盾や世知辛さを
割合知ってしまった状態でもあるわけですから、
傍若無人には振る舞うことができません。



そうなると全体が矛盾しないようなものでないと
危なくて取り上げることができなくなってしまいます。



その点、若さというものは知識というか
歯止めとなる経験があまりない、



故に、自分の知らない事と抵触するかどうか
なんて、(良い意味で)意識せず考えずにできる。
だからこそ強く、夢中で入っていくことができるのでしょう。



そうすると、今まで人がやっていない所に
ふっと到達することが、ままあります。



大人が行けない所をさっと行く。



この理屈抜きの潔さこそ、若さの特権でしょう。
理性の監獄がまだ完成されていないのです。



ただ、それは年齢の若さによるものではない。
多分に、深く入り込むことで得た「ナニカ」に従っている。



そういう意味で、自分の中にある種の「愚かさ」は
保っておきたいな、と思います。





2015/03/21

近況とか




こんにちわ、坂口です( ´ ▽ ` )ノ



先日、フランチャイズの総合サイト
フランチャイズWEBリポート内にコラムが掲載されました^^




コラム「独立する時に知っておきたい資金調達の方法





リアル店舗で独立を考えている方は必見ですよ~★




☞ ☞ 





さて、ここ九州では開花宣言したようで、
来週くらいから花見のシーズンになりそうです。






昨年とうってかわって、
今年は久しぶりに大勢で花見を楽しむことになりました^^
多分、60人くらいになるのかな。




一人で夜桜を眺めるもの粋ですが、
昼からお酒飲みながら大勢でワイワイやるのも良いもんです。








ちなみに桜と言えば
こちらにとても素晴らしい焼酎があります。




お水を入れると桜色に変わる、
その名も焼酎リキュール「さくら咲く」です( ´ ▽ ` )ノ







詳しく書いた記事にリンクしようと思ったら、
ブログの記事が消えてるという・・・(社長、すんません)







これ持参して、今年の花見は楽しむぞ~♪






2015/03/20

近況とか


こんにちわ、坂口です。
この間、HPのリニューアルがようやく終わりました。



さっそくgoogleの「モバイルフレンドリーテスト」で
確認したのですが、無事友達になれたようです(笑)




一安心




ネットの環境はリアルと比べ
すごいスピードで変わっていきますね(;・∀・)ハエー



しかも拡散や共有機能によって
遠く離れたところでも、知らない人のことでも
すぐに分かってしまいます。




昔と比べ、世界はとても狭くなったと言われますが、




認識できる「領域そのもの」が広がったのでしょう。



☞ ☞




最近特に思うんですが、
もうビジネスでは「誤魔化し」が通用しなくなってますよね。



関わる商品だけでなく、企業そのものですら
正確な情報収集が可能になってますから、
消費者の「見る目」が厳しくなっていくのは
ある意味、当然の結果かもしれません。



変化する市場に変に慣れてしまい、
飽きが早くなったことも要因でしょう。
まさに豊かさゆえの問題が起きているわけです。




そんな飽和・細分化された成熟期において
潜在している欲求とは何か。




成長原理から離れて市場を眺めると、
多分、僅かなものだけしか残らないでしょう。



そこにこそ、統制経済や経済学とは違った
経済の語源があるんじゃないですかね。







そんなわけでunreveは
「理念はしっかり持ちましょうね」と
お伝えしています、綺麗ごとではなく。




まあ、加減を超えると宗教的になるんですが、
上っ面じゃなく、本気の心を込めてやる仕事っていうのは、
(形こそかわれど)多分、なくならないはずです。









2015/03/19

そもそも自由論2



前回に引き続き
「そもそも自由論」、二回目です。





さて、他人を侵害してしまう行為は
自由ではない、と書きました。



こう書くと
「じゃあずっと我慢しないといけないのか」とか
「そんなもの、ただの妥協だろ」とか思うかもしれません。



しかし、そこには前提として自由がある。
それは「自分で決定できる」ということですよね。








例えば結婚なんて、まさに
自らの決定によって束縛を受け容れることです。



「束縛は嫌だ」と独身を選ぶのは
「自らに由る」結果でしょうし、



「孤独は嫌だ」と結婚しているのも
まさに自らに由るものでしょう。



仮に、そこで結婚生活が原因で
苦しい思いをしたとしても、



自らの意志で選び、別れなければ
それも自由の一つなのは間違いありません。
逆もまたしかり。



これを多くの人が嫌がるか
避けようとしてるわけです。
(もしくは都合良い人(環境)を求める)




小林秀雄は「無責任な人が非常に増えた」と
講演で言ってましたが、まさにそういうことでしょう。



自分で自由に決めているのに
我慢もしないし、責任も取りたくない。



だからこれだけハウツーが溢れているんです。
「どうしたらいいですか?」と。



☞ ☞


ちょっと厳しいモノ言いですが、
本来、世界は自由で溢れまくっています。



ただ、自分軸がない人からすれば
「不自由で不条理な世界」に見えるんですね。



自からに由るための「自ら」がない以上、
「不自由」なのは、当然と言えば当然です。




正解・不正解を決めるのは自分、
それを見極めるのも自分、




そして(もっとも重要なのは)
それは「自分の決定意思の結果」に過ぎない。



自由は内部派生であり自己中心的な
決定意思の開放と肯定にすぎませんから、



やってる事を正しいと「思うこと」は良いでしょうが、
やってる事を「これこそ、普遍的な真理だ」というのは
単なる独善的な価値観の押しつけなんですね。



だから個としての他人を認め、
個としての自分を認める為の「場の形成」が必須なんです。




☞ ☞ ☞ 



つい、unreveの理念や自立と自律の
教育研修の一部をご紹介したんですが(笑)、



自由意思というものはすなわち
自己中心(内部)の規律に沿った意志の確立のこと。




故に、加盟店がFCにおいて自由になるには、
そんな自己の内面性の規律が問われるのです。



つまり自由な関係性には前提として
自らを律する規律が存在するのであって、
それは外部から強制することはできません。



現在、やれ道徳やらコンプライアンス(法令遵守)やら
言われてますが、外部派生である以上、あまり効果はないでしょう。



集団、ことさら組織においては
この内部規律によってようやく(自由が)始まるのです。




そして、その根幹にあるのは
精神に他ならないんですね。




2015/03/18

そもそも自由論




さて、office unreveは
加盟店による「自立と自律」をコンセプトにした
フランチャイズ構築を提案しているのですが、



これらの目的は(大げさですが)全て「自由」の為、
フランチャイズの語源のごとく、まさに「解放」を目指しています。




ちなみにみなさんは「自由」とか「解放」と聞いて
どんなイメージを思われるでしょうか^^?



たぶん、多くの人が
「ポジティブ」な意味で捉えてますよね。



「現代のストレスから自由になる!」なんて、
まさにモヤモヤ感を一刀両断したような感覚です。




ただ、「自由」が持つ本来の意味を明らかにせず
やれ自由だ解放だと振りかざす人達に対し、
僕はちょっとした怖さを感じてしまいます。




近代、よく言論の自由や表現の自由など、
その解放を声高に叫んでいるのを目にしますが、




まずはその意味自体を理解し、
その上で語ることが本来ではないでしょうか。




ということで、今回は壮大なテーマである
「そもそも自由論」について書いてみようと思うのですが、



もしかすると僕の定義する自由と
みなさんの定義する自由は違うかもしれません。



そこは一つ、ご了承のほど。。。。







さて、自由とは「勝手気まま」ではない、
ここは明確にラインを引く必要があります。



自由や解放という言葉を使えば、
全ての行為は正当化される、と。
さも免罪符のようになっていますが、それは間違いです。



俺は束縛されたくない、だから自由になりたい」


好きなことだけやりたい、だから自由になりたい」



それは僕の定義する
自由や解放とは言いません。



それは単なる「欲望の解放」に過ぎないのです。



☞ ☞



こういった個人の欲望には
「対他者」の感情はありません。



そこにあるのは、超のつく
「個人的な満足」。それだけです。




現在、西洋から輸入してきた自由が
さも本来の自由だと言われているのですが、
その前提にあるのは西洋の個人主義であって、



個人主義とは上記のように
他者を視野にいれないものです。
(故に「隣人愛」が必要だったのでしょう)



つまり近代自我の自由は、相手への
心配りや配慮を無視し、
自分だけの欲望を満たそうとする行為なんですが、



それを解放とか自由とか言われた日には
たまったもんじゃないですわな。



それを僕は自由とは言わず、
無責任な「暴力」と呼びます。



個人の欲望の解放というのは
暴力的なエゴイズムと紙一重ですからね。 




個人の欲望=暴力的支配≠自由



ここまではオッケーですか。
では、次へ進みましょう。




☞ ☞


じゃあ自由とは何か。



本来の自由は欲望の解放なんてものじゃありません。
逆に欲望自体から解放されることもあるでしょう。



HP内でも少し触れているのですが、それは
平等や解放を叫ぶヒステリックな主張はなく、
批判精神も存在しないもの。



僕の定義する自由とは「自らに由る」こと、
「自在な自分」になることに他ならないわけです。



だからこそ自己の確立が必要なんですね。
自分軸とは「ブレない欲望を知る事」じゃありません。





ん、長くなりましたな。
次回に続きます。


2015/03/17

個人の拍子、揺らぐリズム



こんにちわ、坂口です(´・ω・)ノ




有機体であるものには呼吸や心臓の鼓動など、
短期的なリズムと、睡眠などのような長期的なリズムがありますよね。



よく「規則正しい生活リズムを」とか言いますが、
そんな生体リズムを意識的に整える、ということでしょう。



今日はそんな我々を作り出し、
維持させている「拍子」について。









さて、一般的にこのリズムが崩れると
身体に不調を起こすと言われます。



だから運動や食事や睡眠など、
「規則正しく取りなさい!」と言われ続けてきたのですが、



実はこの「リズム」というものは
若く、健康的なものほど「ゆらぎ」が起こってるようです。



f分の1である「不規則性」があればあるほど、
生体内部は何かが「再生(創発)」している、と。



さらに言えば「ゆらぎ」が起こらないもの、
つまり秩序正しいものほど、老化していると言います。



これは面白いですね。
厳密性や秩序が、別の側面でデメリットになってる。



そう考えると「ゆらぎ」とは無秩序ではなく、
我々生命の「もう一つの秩序」と言えるのではないでしょうか。



例えば子供を産むときなんて、まさに
「呼吸のリズム」が変わりますよね。



☞ ☞



睡眠や食事もそうだと思ってます。
取る量も大事ですが、質やバランスこそ大事です。



それは栄養学的なものではなく
身体が欲している時、欲しているものを取る。
(ちなみに僕の健康法はたったこれだけです)



考えたら当然のことですよね。
満腹なのに食べさせられたり、
眠くないのに寝かされたくないですから。




そして、この「空腹感」や「睡眠」のタイミングは
個人によってバラバラであって、客観的視点では
そのタイミングを測ることは不可能です。



組織も同様、秩序やマネジメントとは一見
安定した状態を維持するための価値あることですが、



本来の秩序とは、その「流動性」の中にこそあって、
それが生命を生命たらしめている所以でしょう。







「後記」


ちなみに僕自身、一日一食の時もあれば、
一日四食の時もあります。



ありえないくらいの量を取ることもあれば、
シマリスくらい小食な時も。




まあ、あくまでも個人的なものです。
くれぐれも真似しないように^^

2015/03/16

「市場のきっかけ」



「よく行かれるコーヒーショップは?」と聞けば、
多くの人がスターバックスと答えるでしょう。



世界一とも言えるカフェチェーン「スターバックス」は
1971年にシアトルで開業し、日本には1996年に第一号店が出来ました。



コーヒーのテイクアウト式の販売(シアトルスタイル)として
日本でのカフェブームのきっかけでもありますね。




今でこそ絶大な知名度があるのですが、
実は創業当時はこのように世界中に広がる(広げる)
と言うビジョンはありませんでした。




共同経営者であるジェリー・ボールドウィン、
ゴードン・バウカー、ゼブ・シーゲルが考えていたのは
コーヒーの豆を販売するだけのもの、



もちろん、そのコーヒー豆に対する
こだわりは持ってはいたんですが、
あくまでも職人的なままのビジネスだったんですね。




ではそのアイデアはなぜ実現したのでしょうか。
今日はそんな小噺でも。








さて、上記のアイデアを提案した人物こそ、
現在のスターバックス会長兼CEOであるハワード・シュルツ氏です。



当時の創業者達は
「コーヒーは自分の家で作って飲むものだ」と
シュルツ氏の提案を一蹴したと言います。



今や常識になっているシアトルスタイル、
(カップに入れて販売する商売)は成り立たない、と。
いつの時代も職人気質は保守的です^^



そこでシュルツ氏は会社を離れ、
独立の道を進んだのが、スターバックスの始まりなんですね。



☞ ☞



さて、こういった「●●は●●するものだ」という
常識のフィルターを外すことはとても大事ではないでしょうか。




ちなみに天の邪鬼な僕は、日常慣れ親しんだものに
つい「●●は●●するものなのか?」と思ってしまう癖がありまして、



会社員時代はこれが原因でよく怒られました(笑)
そりゃそうです、秩序を壊す張本人ですからね。




ただ、一人の寛大な上司から
「やって間違ったら、間違ったという経験になるよ」と
とてもありがたい言葉をかけてもらったおかげで
こうやって「フランチャイズは中小企業でもできるんだ」と
自信を持ってやっていけてます。




ホント、良い上司だったなぁ。。。



☞ ☞



ビジネスにおいてのアイデアの源泉は
それを欲しがる人がいるかどうかの「度合い」だと言われます。



自己中心的なものはあくまでも芸術の枠内、
市場と言うものは自分と他人の「境界線」にあるのでしょう。



よって、自分だけのこだわりを追求すれば、
それは単なる自己満足の作品だと批判されるかもしれません。





でもね。




強烈に欲しい商品(コンテンツ)を
作るには、やっぱり作り手の「強烈な情熱」が必要ですよ。



我々はつい欲張って「万人受け」というものを
狙ってしまいがちなんですが、



それをやればやるほどエッジは丸くなり、
コンセプトはぼやけてしまいます。



以前ならそれで良いかもしれません。
でも、現在の飽和した市場では
多分、支持は得られないんじゃないかな、と思うんです。




そういやビルゲイツは成功の秘訣は知らないけれど、
失敗の秘訣は「全ての人を喜ばせること」って言ってます。



理念という「幸福」へ向かう志向性がある以上、
商品やコンテンツまで万人受けを狙わなくていいんじゃないでしょうかね。




部分と全体。
うーん、やっぱここらへんの説明は難しいです(笑)



「後記」



ちなみに最近思ってるのが
「第一印象とは直感のことじゃないのか?」というもの。



そう考えるとフォーマルな定型モデルが第一印象ではなく、
その人らしいイメージを作れるかどうかですよね。



似合ってれば髭を生やそうが、髪が長かろうが、
染めていようが問題ないんじゃないかしらん。



そのうち「センス面接」とかあったりして。



2015/03/15

もうすぐ完成します~




こんにちわ、坂口です(。・ω・)ノ


この間yahooニュースを見てたら
こんな記事が載ってました。


睡眠:そろそろ限界?眠らない日本人





皆さん睡眠不足なんですね(・_・;)
以前、睡眠カフェ(バー)を作ろうと思ってたのを思い出しました。



■睡眠カフェ(バー)とは・・・・
上質なベッドとリラックスできる個室を作り、
短時間で極上の睡眠を提供するお店。



他にも「ストレス発散バー」とか
面白いよな~とか思ってたんですが、
企画の段階でボツになりました(笑)




まあ、資金に(めちゃくちゃ)余裕ができたら
やってみたいビジネスですね。



☞ ☞ ☞




さて、ノーテンキな僕は寝ようと思えば
いつでもどこでも寝れますし、
半日睡眠なんて日常茶飯事です←ヤバイ




ただ、最近ちょっと睡眠不足でして。。。。
なんでかっていうとホームページをリニューアルしてるんです。





ちなみにスマホ用サイトはこんな感じ↓
完成したら、こちらでもご案内させて頂きます。







googleでスマホ対応サイトが検索結果で
優遇されると聞いたのがはじまりでして、
2週間くらい前からセコセコ作ってます。




検索トップだからといって、いち個人事業主。
あぐらをかくわけにはいきませんからね( ー`дー´)キリッ



それにスマホ用サイトは前々から
作らないといけないなと思ってましたので
ちょうどよかったです^^



流行りのワードプレスでブログを書こうとも
思ったんですが、とりあえずこちらへ引っ越したばかりなので
検索の結果を見て、判断しようと思ってます。





普段何も考えてないように見えるでしょうが、
一応、考えてるんですよ(笑)





2015/03/12

練成講座「極(きわみ)」




こんにちわ、坂口です(。・ω・)ノ




前回お伝えしたように今日はリゾーム派生概念の一部を
書いてみたいと思います。



この概念は、前例的な「正解」を探すのではなく、
自らで正解を作り出ことができるためのもの、



よって最終的なゴールは「見えないけど存在する概念」を
いかに認識知として理解するかです。




我々は知っているものだけを見る。
これはゲーテの有名な言葉ですが、



逆を言えば、知らないもの(概念)とは、
存在しないのではなく、



「存在してても見えていないだけ」ということ。
もしかすると、新しい幸せの素材かもしれないわけです。



そんな、あなただけが見える「正解」で
世界を変えてみませんか^^?









もちろん、普遍的な受け皿を所有していなければ、
いくら技法が新しくとも、流れ、廃れてしまいますが、



普遍性だけでは意味が無い、
だからこそ「あなたの個別性」が必要なんです。




「世間一般的な日常」と
「あなたの一般的な日常」は違うでしょう、



つまり、そういうことです。




☞ ☞




さて、そんな個別性は、世間で「非常識」だと
呼ばれたりもするのですが、



それは単に「常識」によって
見えなくなっているだけの場合があります。



故にもし、一度でも見る事が出来れば、
再び前の状態に戻る事はありません。



例えば以下の図に一度でも
「犬」と「人の顔」を発見できれば、



その「犬」や「人の顔」から離れる事が
できなくなってしまうように。








見えました?




最初は「不規則性」しか見えなかったものに、
実は「規則性」が隠されていた、と。



真理もこのように、1つの意識には収まりきれない
性質を持っているのだと思っています。



この世界で言われる真理は、常に部分的なのです。
科学や数字も、目に見える部分だけを取り扱った学問です。



もちろん、そんな部分的真理が対話的に交流され、
そこから派生するプロセスの中で新しい概念が解明されていくのでしょうが、



それは「絶対的」ではない、と。
故に、対話と言う「プロセス」は求める者が存在する限り、
終わることも完結することもないのでしょうね。




2015/03/11

所感




長いようで短い、
そんな4年目の3月11日を迎えました。




あれから4年も経ったのかという思いと、
4年も経っているのになぜ・・・・というやり切れない思い。




ちょうと一年前、東北へ伺ったのですが、
あの時はまだ、震災の傷跡が生々しく残ってたのを覚えています。




今なお、12万人が避難している福島。



過去の出来事ではなく、現在進行形だということを
我々はつい、忘れてしまいがちです。




「平凡・平常な日」というのは
とても有り難いことなんですよね。



☞ ☞


私事で恐縮ですが、
僕の事業はあれから大きく変わりました。




あれだけの状態でほとんど起こらない暴動や、
他人の痛みを心から分かってるようなご支援。



(誤解があるかもしれませんが)、
それに感動したんです。



そこには自我がない。
「自分が自分が!」がない。



そんなことできる国なんて、他にないですよ。



そこからやってるフランチャイズを、
通常の構築支援から日本流に変えたんですね。



☞ ☞ 




近代、アメリカの文化によって
理性(自我)中心の社会となってたのですが、
震災を境に、徐々にですが変わっているように思えます。



長い歳月によって作られたアイデンティティは
やはり、消えてなかったのでしょう。



身近な所で言えば、化粧が変わったと言います。
昔みたいな派手さがなくなっている、と。



それは飾り立ててない「ほんとうの自分」ってやつを
見てもらいたいという無意識の現れじゃないでしょうか。



心の奥にある安心感と信頼。
それがこの国を支える根幹なんだと思います。



ビジネスでも、どんどんその輪が広がっている・・・




故に、だからこそ、希望が持てる。





「後記」




そもそもアメリカは珍しい国なんです。
特異的だと言ってもいい。



世界で最初に出来た「人工国家」ですから、
形式によって管理しないといけなかった。
暗黙の了解なんて、ありえないわけです。



民族も文化も宗教もバラバラからのスタート、
さらに「自分」という自我からのアイデンティティ。



それを「どうやってまとめるか」というのが
国家の最大のテーマだったんですね。



その結果、連邦制度が生まれた、と。
あれは個別化を尊重するための制度とも言えます。



宗教と国家の統一が必要なのも、
逆を言えばそれ(イデオロギー)がないと
民主主義として成立しなかったのでしょう。



故に、バラバラな価値観を持っているけれど、
大半が一つの宗教(キリスト教)に属しているのです。




我々には、そんなもの必要ないですよね。



2015/03/09

音階と秩序




構造とはなにも建造物やシステム
だけに限ったものではありません。



例えば音楽はそれぞれの音符が織りなす
見えない構造であって、それは楽譜によって見る事ができます。




「建築とは凍った音楽だ」というセリフはまさに
音と建築の秩序の違いを言い表しているのでしょうね。




生命は何かを形成することを目的としますが、
それは人工(科学)的な派生と感性からのものがある。



そしてこの国はどちらかと言えば
音楽的な文化や秩序を形成していったと言えます。




今日はそんな「ラララ~」な小噺でも(笑)








さて、我々が耳を持って生きている限り、
間違いなく音楽がなくなることはないでしょう。



思えば、音楽とは不思議な力を持っています。
言葉よりも心に沁み入りやすいのです。



争いをやめろ、と何度も言葉にするよりも
平和の歌をみんなで歌った方が何倍も良いというのは、



歌によって、自然と不毛なことをやるのは
馬鹿らしいと思えてくるからでしょう。



まるで空気のように世界を包み、
我々の心を繋げていく、



僕はそこに音楽という見えない秩序が
確かに働いているのだと思うのです。



☞ ☞



音楽は建造物と違い、「ゆらぎ」があります。
規則性と不規則性が同時に内包されているのです。



これは音楽だけに限らず、 この世界にある
自然派生なものは全部が波となって躍動しています。



そしてそれらは全くの無秩序ではなく、
独特のリズムを持っている。



例えば波や風も常に強弱が変化していますよね。
神経の電気信号や(心臓の)鼓動だって、ゆらぎがあるんです。



組織ではこれを「ノイズ」だとしてしまったのが
近代経済の大きな失敗でしょう、




組織に必要なのはこういった「ゆらぎ」や
「あそび」にこそある。




一見、感性という曖昧なものは把握不可能だと
思われそうですが、僕はそうではないと思ってます。



なぜなら、我々は「心地よいメロディー」と
単なる「雑音」の違いが分かるじゃないですか。



それは誰から教えられたものでもなく、
下手すれば子供にだって理解できますよね。



☞ ☞


現在、ビジネス環境は大量に生産したら
大量に消費するような単純なものではなくなりました。



つまり今は複雑で散逸である経済の本質が
露わになっているのではないでしょうか。



システム論で有名なアシュビーの法則は
別名「必要多様度の法則」と呼ばれていますが、



それは複雑な環境の中でシステムが存続するには
そのシステムは環境と同程度の多様度が必要だ、というものです。




つまり多様で複雑な時代には
多様で複雑な組織を生み出す必要があり、
それは音楽的な秩序(リズム)の形成にある、と思ってます。




環境の波(拍子)の変化に合わせる方法、
それが暗黙知であり、場であり、それを支える
間、拍子、あそび、揺らぎといったものです。




次回、そんな「リゾーム派生式」を
ちょっと具体的に書いてみようと思います^^




2015/03/08

撓る(しなる)組織



こんにちわ( ´ ▽ ` )ノ


この間LinkedInを見ていたら
自己組織のチームの作り方がアップされてました。



株式会社レベルファイブ
自己組織的なScrumチームの目指し方




自立と自律(セルフマネジメント)は
今後の組織の重要なテーマになるのは間違いないでしょうね。



剛柔兼ね備えたハイブリッドへの移行、
まさに有機的な構造への第一歩だと言えます。






硬直化した企業を柔らかくすれば、
見えない「強さ」が内包されます。




「秩序が崩れ、統率ができない弱い体質になる」と
思っているかもしれませんが、そうではありません。




例えば、しなる枝は雪が積もっても
容易に折れることはありませんよね、
むしろ固い木の枝の方が、折れることが多いでしょう。




つまり「強度が弱い枝」であることが
その枝にとっての生存力の証であり、



その弱さは「軽快さ」でもあるんですね。




☞ ☞



これは我々の身体にも置き換えられます。




例えば、僕が立ち上がろうとした瞬間、
体にある何百という筋肉が一斉に働くのですが、
普段、その筋肉は柔らかい状態を保っています。



それがひとつの目的を達成する時に
初めて、統合的に働いているんですね。




つまり全体を統一しているのではなく、
全体が最適に働くような「状態」の構築です。




理念もそう、価値観の共有ではなく、
多様な価値観でありながら、一つの意識(志向性)を共有することが必要です。





2015/03/07

最近思う事




こんにちわ(。・ω・)ノ



東北はまだ雪が降るところもあるでしょうが、
ここ九州は、だいぶ温かくなりました。
なごり雪が降ることもなさそうです。



大人になるにつれ、我々にとっての雪は
ただ「寒い証拠」みたいになってるのですが、
子どもたちって、雪が大好きですよね。



まるで、花びらが降っているかのように、
嬉しそうに追いかけたりしています。




雪の研究家である中谷宇吉郎氏は
「雪は天から送られた手紙である」と
素敵な言葉を残していますが、




子供たちには
そう見えているのかもしれませんね。



☞ ☞



雪は同じ形がひとつもないけれど、
その全てが、キレイな六角形になっています。




それぞれが多様でありながらも、
美しいフォルムを共有しているのです。



そんな自然が作り出したアートの寿命はとても短い。



地上に舞い降りたかと思うと、
やがて解けて消えてしまいます。




まるで人間のようです。






2015/03/06

女性にもお勧め、フランチャイズ。





こんばんわ、坂口です(´・ω・)ノ




さて先日、フランチャイズの総合サイト
フランチャイズWEBリポート内のコラムが掲載されました^^



コラム「フランチャイズの歴史について





今回から五葉コンサルティング株式会社の
代表さんも参加されていまして、
編集担当さんから「すごく素敵な方ですよ!」と
言われ、さっそく拝見させて頂きました。



自己紹介にあるフランチャイズの思いを見て、
「ホントだ~」と納得、そして共感。



こちらに書いているように、フランチャイズって
まだ女性には馴染みがうすい業界なんですけど、
実はすごくお勧めできる起業形態でもあるんです。



それに女性のFC組織観って、これから必要だと思います。
男性はつい、ガチガチのフォーマルに作っちゃいますから(笑)



女性は男性と比べて、横の繋がりが派生しやすい。



女性経営者が作ったFCが増えれば
業界もまた変わってくるでしょうね。



あと関節役の設定さえできれば、
止揚までのルートが整備される気がします。





2015/03/04

馴染みの仕組み




こんにちわ、坂口です(´・ω・)ノ
三寒四温の季節ですが、みなさんお元気ですか。




さて、ご来店いただいたお客様と
長くおつき合いしたいと考えている経営者の方が
以前よりかなり増えてきたように思います。




昔は顧客を「数」として見ている傾向がありましたので、
新規顧客をいかに捕まえるか、という発想でしたが、
そんな「狩人型」では顧客が再来店しないことが分かったのでしょう。



例えば服を見ようとショップに入った時、
不要な接客されたら、次回から入りにくくなりますよね。



景気の良いときにはそれなりに効果があったのでしょうが
これからは逆、専門的に言えばプッシュではなくプル、
アウトバウンドではなくインバウンドです。



よって以前書いたように「コンテンツの質」を
高めることをお伝えしています。



現在、需要がモノからコト、そしてヒトになってますが、
関係性はあくまで結果論、入口は「ヒトが作ったモノ」ではないでしょうか。




商品は自己を映す鏡だと思ってるんです。



何事も足すよりも削る方が難しいが、日本刀はギリギリまで削り落している。





閑話休題。
数年前まで主流だった「西洋式マーケティング」が
なぜ、通用しなくなっているかというと、
日本人には独善や善意の押し売りを嫌う傾向があるからでしょう。




米国は商品(自分も)がいかに素晴らしいかを
プレゼンによってアピールすることに長けていますが、
我々は基本、決め付けや独断を好みません。



だからこそ、一神教は広がらなかったし、
過激な独裁者はすぐに批判の的になっていたわけです。



それは「価値を伝えるな」ではなく、
恣意的な圧力や本質を見抜く「審美眼」がある。



個人的に、それはこの国のアイデンティティが
感性派生によるものだからだと思ってます。



「これ良い!」と思ったら「ピン」ときませんか^^?



☞ ☞



話がそれちゃいましたね。
今日は馴染みの仕組みについてでした(笑)




馴染みとは売り手と買い手の垣根(敷居)が
ほぼ無くなったフラットな状態だと思ってます。




つまり消費という概念があまりない、と。
生活の中に組み込まれた「一部」みたいな感じです。




よって一部になる為の「自己存在感」をいかに
作り上げるかが重要だと思ってます^^



ツールはそこに至るまでの「きっかけ」にすぎませんが、
僕が以前作ったコワーキング・スペース(兼事務所)では
「お馴染みさん」になってもらうため、会員カードを3パターン作ってたんです。




裏にはシリアルナンバー。



最初は「シルバー会員」、二年目から「ゴールド」、
そしてここで法人成りした方や本業のクライアントさんは「ブラック」。




段階を設けて、だんだんお馴染みさんに
なってもらおうと思ったんですわ。




また、持ってることがステータスになれるように
カード自体にもかなり経費かけたんですが・・・・






うそつき不動産め(笑)



まっ、良い勉強代でした。







2015/03/01

おヒマな一日



どーも坂口です( ´ ▽ ` )ノ


2月は逃げるように終わっちゃいましたが、
皆様、いかがお過ごしでしょうか。






さて、unreveは名刺を毎年
モデルチェンジしておりまして、




この度、2015年バージョンができました。








ざ・クリア素材!




今回はデザインを変えると言うよりも、
素材そのものを変えてみようと思い、
こんな感じで作ってみたんですが、結構気に入ってます(笑)




☞ ☞


そういや最近ラインを始めてるんですが、
ラインの「スタンプ」ってj自分でも作れるんですね。
この間、知りました(・。・)





unreveのシンボルと言えばご存知パズルのピース(笑)









これは・・・・やってみるか★








ということで、パズルピースのスタンプを
こんな感じで作ってみました↓


































パズルを繋げれば、
複雑な感情を表せる、とか面白いかも。





そして隠れキャラ的な「激アツ!」。



パチンコでヒョウ柄は鉄板です(笑)


















うー・・・・・・・ん。




ただ・・・・ね。













クオリティが低いわ(`・Д・)っ





まあ、遊び心は必要ですよね。

  翻译: