今年、日本のコンビニ誕生50年を迎える中、セブン&アイ・ホールディングスがカナダの大手コンビニチェーン、アリマンタシォン・クシュタールからM&Aの提案を受けた。ただし、非公式かつ友好的な条件での打診である。これにより、日本企業にとって新たな時代の幕開けが迫るのか。事業再編を進めるセブン&アイの今後の動向と、日本の流通業界に及ぼす影響に注目が集まっている。(『 勝又壽良の経済時評 勝又壽良の経済時評 』勝又壽良)
プロフィール:勝又壽良(かつまた ひさよし)
元『週刊東洋経済』編集長。静岡県出身。横浜市立大学商学部卒。経済学博士。1961年4月、東洋経済新報社編集局入社。週刊東洋経済編集長、取締役編集局長、主幹を経て退社。東海大学教養学部教授、教養学部長を歴任して独立。
日本企業への「警鐘」となったセブンイレブン買収提案
今年は、日本へコンビニという新しい流通形態が登場して50年になる。その節目の年に、コンビニ1号店を開いたセブンイレブン(現在はセブン&アイ・ホールディングス)へ、カナダのコンビニ大手アリマンタシォン・クシュタールがM&A(合併・買収)を申し入れてきた。ただし、非公式・友好的という極めて緩い条件である。セブン&アイ・ホールディングスは、経産省のガイドラインもあり正式に検討している。
クシュタールは、2005年ごろセブン&アイへ最初に買収を持ちかけたが、即座に拒否されている。クシュタールにとって、セブンとの合併が宿願であったのだ。これが、今回の合併申し入れの背景にある。ただ、なぜ現時点で再び合併を申し入れてきたのか。理由は次の点であろう。
1)セブン&アイ・ホールディングスが、ようやく事業再編に取り組み始めたこと
2)同社株価が割安に放置されていることで、合併資金が少なくて済むこと
上記の2点は、セブン&アイだけに適用されることでなく、日本の上場企業で構造改善が遅れ株価が低位にある場合、M&Aの対象になる可能性を示している。
今回のセブンの例は、日本企業への「警鐘」となった。
コンビニ50年目の異変
セブン&アイ・ホールディングスの原点は、スーパーのイトーヨーカ堂である。戦後の流通革命の波に乗って急成長した企業である。同業のダイエーは、店舗開設の際に付近の土地を手広く買収して地価値上がり益で店舗建設費を賄った。イトーヨーカ堂は、逆に店舗の建物を借りる手堅い経営手法をとってきた。この差が、後に大きく表れた。ダイエーが失速しイトーヨーカ堂が発展した理由である。
このヨーカ堂は、日本で初めてのコンビニへ進出し、セブンイレブンを開業した。ここまでは大成功でその後、勢いに乗ってさらなる拡大路線へ転じた。百貨店のそごうや西武を買収して傘下に収めたのだ。こうして、社名は「セブン&アイ・ホールディングス」となり、セブンイレブンはその一部門を構成した。だが、百貨店やスーパーは通販という新たな流通革新の波に沈む結果となった。セブン&アイ・ホールディングスにとっては、新参の百貨店は売却可能でも、祖業であるスーパーのイトーヨーカ堂の分離は心理的に極めて困難を極めた。
セブン&アイ・ホールディングスの株主は、同社の株価低迷理由として、コンビニ事業が他の不振部門に埋没しているとみてきた。そこで、コンビニ事業以外の部門を独立させるように圧力をかけたのである。これが長いこと、「物言う株主」とセブン&アイ・ホールディングスの間で主たる対立点になってきた。
セブン&アイ・ホールディングスと業態がまったく異なる日立製作所の場合、「失われた30年」の間に本業と直接の関わりのない部門は、ことごとく売却する英断を行った。「日立御三家」とされ、高度経済成長時代に発展した日立金属・日立電線・日立化成は、すべて日立の資本系列から離された。
セブン&アイ・ホールディングスが、日立製作所と同じことを行えば、株価も上昇しただろう。だが、セブン&アイ・ホールディングスの株式の8%は、ヨーカ堂創業家の伊藤家所有である。こうなると、伊藤家の承認がなければセブン&アイ・ホールディングスの改革行動は取れないのだ。特に、創業社長であった伊藤雅俊 氏存命中は、一代で築いた事業だけに荒療治は不可能である。これは、感情面から言えば難しい問題であろう。井阪隆一社長は、物言う株主と伊藤家に挟まれて大ナタを振るえなかったのだ。