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だいちゃんの何でもSTUDY`Sブログ

~適応障害からの復活~

息子の誕生日

6月19日、息子が誕生しました。

 

中々陣痛がこなくて、

促進剤を打っても全然来なくて、

妻は2日間耐え抜いて、帝王切開となりました。

 

緊急を要するものだった為、通院している病院では対応出来ず救急車で運ぶ事になりました。

 

妻はその時、あっけらかんとした表情で状況が掴めていない状態でした。

自然分娩か帝王切開かを迫られて軽くパニックを起こした様な雰囲気でした。

 

病院に運ばれた後もこれから帝王切開するという説明を受けてる最中も逐次、私の表情を見て不安そうな表情で確認している様でした。

 

手術室へ向かう道中も不安そうな表情。

途中で手を握りましたが、この時私の心境も今に涙が溢れそうな状態でした。

 

もう30になりますが、年々涙脆くなってるのを感じます。こんな状態で息子が産まれたら自分はどうなってしまうんだろうか。

そんな事を考えていました。

 

実際、妻が手術室へ運ばれる際も涙が溢れて止まりませんでした。

 

これから妻は腹を切って息子を取り出す。

 

それを考えると妻の心労や不安な気持ちの助けになってもやれない。悔しい気持ちで一杯でした。

 

待っている時間は1分がとても長く感じました。常に時計を見てまだか、まだかと待っていました。

 

祖母が不安がって居たのでLINEを送りました。

この時の心情に寄り添ってくれたのが祖母でした。

 

そうこうしているうちに、手術室の扉が開き、保育器に入った息子が出てきました。

 

この時に掛けてやる言葉をずっと考えていましたが、出てきた言葉は、

 

お疲れ様でした。よく頑張ったな。

 

これしか出てきませんでした。

不思議と涙は出ず安心感と妻への感謝で胸が一杯になりました。

 

看護師さんからは、息子は出てきてから直ぐに産声を上げて、妻に抱っこされた。との事でした。

 

妻も意識があって良かった。

 

手術室から出てきた妻は、安心感とこれから来る後遺症の不安からか複雑な表情をしていました。

 

そこから妻は麻酔の後遺症と戦う形に。

高熱となり身体中がブルブルと震えていました。

 

私は入院手続き等に追われて、あまり妻を気遣ってやれなかった。妻も手術に疲れ果てて眠り込んでいました。

 

車へ妻の入院グッズを取りに行った時です。

私の車に4~5人のオジサンが囲んでいました。

 

何かと思えば、ご老人がバック駐車時に私の車にぶつけたとの事。いわゆる事故です。

 

ぶつけたご老人は表向きは深く反省してるようですし、車にも大した傷は無かった為、警察呼んで事故処理するだけで済ませました。

 

息子の出産にまさか貰い事故をするとは思いませんでした。ですが息子が生まれた嬉しさもあった為、大して怒らずに済むことが出来ました。

 

息子のお陰で余計な時間を使わずに済みました。息子すごい。

 

出産当日は正直、記憶が抜けています。

 

普段、何事も冷静に対処する様に心掛けているのですが、この日は流石に色々とテンパりました。

 

これからも息子関係で色々と肝を冷やす事が多くなると思っています。

 

ただ1つ思う事があります。

 

息子の顔を見れば疲れが吹っ飛ぶ。

 

これは本当でした。

 

最後に

生まれてきてくれてありがとう、息子。

パパも貴方が生まれるまでフラフラしていましたが、やっと地に足つけて生きていけそうです。パパはバカだからママに怒られる事も多くなりますが、その時は大人しく一緒に怒られましょうね。私達の元に生まれてきてくれてありがとう。これからもよろしくね。

 

妻へ

妊娠から出産まで本当にお疲れ様でした。

最初に2人で帝王切開までいっちゃうかもね〜なんて冗談飛ばしていたのに、その通りになってしまいましたね。ただ1番、息子の事を考えいたのは他ならぬ貴方です。出産が近づくに連れて貴方の顔つきが母親になってくのをずっと感じていました。私が横で見てて焦りを感じるくらいに貴方は強い人です。私は頼りない、口うるさい、ワガママな夫です。でもこれだけは約束できます。常にユーモアを忘れずに笑いが起きる家庭を作り上げます。辛いことも沢山起きるかと思います。2人で一緒に面白おかしく乗り越えて行きましょうね。

これからも末長くよろしくお願いします。

ちなみに息子が我々の相手をしてくれるのは12歳位がボーダーだと思います。とにかく遊びに行きまくりましょう。

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