わたしの歩き方~お散歩日記

あっちへ行ったりこっちへ行ったり~好きな場所で好きなように生活したい...自由気ままな40代の日々の出来事。平日は普通に仕事をして休みの日は海へ行ったり散歩したり飲んだり~そんな日常を(今は)沖縄より発信中。

岩手県釜石市の海水浴場へ

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はいタイ🌺ソムタム娘です。

 

2024年お盆休み。岩手滞在3日目。

岩手で過ごす最終日は(夜には夜行バスで東京へ)父の車で釜石市にある海水浴場へ。

 

岩手に住んでいた子どもの頃は毎年のように家族や子供会で行った陸前高田や気仙沼、三陸の海。

上京した後は2011年の震災後に一度だけ父に連れて行ってもらった記憶があるけど、もしかしたらそれ以来かもしれない。

 

 

北上~遠野を経由して釜石へ

 

実家がある町から父方のいとこが住む北上市を経由してそれから遠野の山を越え釜石市へ。

今だと車で2時間弱で行くことができる沿岸地域。昔はもっと時間がかかっていたイメージなんだけど、どうやら震災後に復興支援道路と呼ばれる内陸と沿岸を結ぶ新しい道路ができたんだそう。

 

 

復興支援道路~花巻と釜石を繋ぐ

 

平成23年3月11日に発生した有史以来の巨大地震が引き起こした東日本大震災は、 直接の被災地である東北地方と一部関東のみならず日本中を巻き込み、 さらに世界にも影響を与える未曾有の大災害となりました。

 平成23年11月21日に第三次補正予算が成立し、 三陸沿岸道路(三陸縦貫自動車道、三陸北縦貫道路、八戸・久慈自動車道)が「復興道路」として、

また、宮古盛岡横断道路(宮古~盛岡)、東北横断自動車道釜石秋田線(釜石~花巻)、 東北中央自動車道(相馬~福島)、が「復興支援道路」として、新たに224㎞が事業化されました。

 

(国土交通省東北地方整備局より引用)

www.thr.mlit.go.jp

 

 

釜石へ向かう前に、途中で妹が東京から買ってきたお土産を置いてくるため北上市に住む従妹の家に寄ったんだけど、

もう思い出せないくらい久しぶりに見た従妹の顏。(そんなわけないだろうけど、全然変わってなーい!)

それよりもいとこのAちゃんがワタシを見たときの一言が「黒っ!」だったのが可笑しかった。笑

 

 

トンネルをいくつも通りながら釜石へ向かうときに見える遠野の山々。

車の窓から入ってくる風もきもちがいいし、開放的で......こういうところではついやりたくなる、

 

「やぁっっほーーーーーーー!!!」

 

って。開けた窓からさけんでみる。

どうして山に来るとこれをしたくなるんだろう、笑

 

姪っ子も面白がって真似してくる。

 

「やっほーーーーー!」

 

 

 

 

釜石市内

 

2011年の震災時、津波の被害に遭ったエリアなので街が新しい。10年以上経った今はあの震災後の光景を想い出すような痕跡は見る限りほとんどない。

 

 

この辺りを走っているとこういう看板↑を頻繁に目にする。

こういうのを見るとどれだけ高い土地まで津波が来たんだろうって思ってしまう…

 

 

超ひさしぶりの三陸の海ーーーーーーー!

 

 

岩手県釜石市・愛の浜海水浴場

 

最初に到着したのはここ。愛の浜海水浴場

父が少し前に見つけた穴場?らしい海水浴場にやってきた。

 

 

場所

 

 

水着に着替えて海へ歩いて行くと、「うきわは?」って泳ぐ気満々の姪っ子。

ただここは少し石が多めの海岸で小さい子が水遊びをするのには遊びにくそう&波の流れもけっこう強かったので次の候補の海水浴場へ向かうことに。

 

 

妹が撮ってくれた貴重なスリーショット写真。いい想い出だ。

 

 

 

岩手県釜石市・根浜海岸

 

次にやってきたのは根浜海岸と呼ばれる釜石市内ではおそらく一番しっかり整備されている海水浴場。

近くには根浜レストハウスやキャンプ場、多目的広場などもある。

海にはライフセーバーさんも常駐しているので子どもたちも安心して遊ばせることができる。

 

 

場所

 

地図を見てお気付きの方もいると思うけど、「ひょうたん島」という文字。

隣の市、大槌町に浮かぶ蓬莱島と呼ばれる、周囲約200mの小さな島で、大小の2つの丘が連なった形がひょうたんの形をしていることからその愛称で親しまれている。

 

 

確か台風5号が去ったばかりのタイミングだったため......この通り色んなものが流れてきた後でちょっと残念な状態。

 

この海も震災前は白砂青松の美しい景観の砂浜だったらしい。

この辺りの海岸はすべて東日本大震災時の津波と地盤沈下によって砂浜自体が消えてしまったのだけど......

陸前高田もそうだけど、リアス式海岸こと三陸の海は松林と砂浜が広がる美しい海だったんだなぁって改めて思った。

 

今はこうやって人工的に砂浜を作って海水浴場になっている。

 

そうそう、ここの砂浜はなんかキラキラした金??と思うようなものが含まれていて妹ともこれなんだろうねーなんて話していたんだけど、

どうやらここの砂浜には砂鉄が含まれているらしく、それもなんと橋野高炉で用いられていた鉄鉱石が砂状になったものも含まれている可能性が高いと考えられているんだとうか。

 

 

 

橋野鉄鉱山・高炉跡(世界遺産)

 

ここでちょっとだけ余談。

「鉄のまち釜石」と呼ばれている岩手県釜石市。(全国的にも有名?)

なぜそう呼ばれているかというと、かつての釜石は、全国最大の製鉄の原料となる鉄鉱石の産地だったらしい。

近代製鉄の父・大島高任の指導によって1857年に建築された、日本最古の洋式高炉跡「橋野高炉跡」は世界遺産にも登録されているんだとか。(知らなかった!)

 

 

ちょうどお昼どきだったので先にお昼ごはんを食べて、さっそく海で遊ぶ姪っ子。

因みにこの日のお昼ごはん妹が握ってくれたおにぎりと前日に続いてお赤飯。

揚げ玉や塩昆布なんかが入った手の込んだ妹のおにぎり。さすが毎日子どものお弁当を作っているだけあって、手際よく2種類のおにぎりを作っていた。

おいしかった~♡

 

 

「人見知り」という言葉を知らない姪っ子。全然知らない子にも普通に話しかけるし、しまいには追いかけてみたり。笑

怖いもの知らずというか、たまにうらやましくなる。

 

 

今回は浮き輪を持ってこなかったので最初は少し海に浸かるのを躊躇していた姪っ子もいつの間にかこんな状態。

 

妹とワタシがふざけて少し海に入って「助けて~」と言うとすぐに走って助けに来てくれると姪っ子。

「こわかったらすぐにたすけてあげるからね」って。子どもながらに誰かに何かしてあげたいんだんだなぁ~って。お姉さんらしさもでてきた姪っ子にキュンてなる。

 

 

父の想い出の地でもある釜石。

新日鉄釜石の実業団時代には1978年から1984年にかけて全国社会人大会および日本選手権を7連覇という偉業を達成したラグビーの街でもある釜石市。

 

今ではかなり縮小された工場ではあるけど、地域に開かれた製鉄所として、釜石シーウェイブスと名を変えたラグビーのクラブチームも活動している。

父もたまに試合を観に来ている様子。

 

 

釜石市を後にして帰りに立ち寄ったのはもちろんここ、遠野の道の駅。(ここを素通りするなんてできない!)

 

つづく★

 

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございます🌺

 

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