fc2ブログ

続・日本100名城訪問記 その65(岩櫃城 2023/5/5)

続・日本100名城、65番目の訪問は群馬県吾妻郡東吾妻町にある岩櫃城である。

2016年の大河ドラマ「真田丸」は、甲斐の武田氏の滅亡劇から始まる。

織田信長と徳川家康に攻められ、山梨の新府城を追われた武田勝頼が劣勢
になったとき、真田昌幸は武田勝頼をこの岩櫃城に迎え入れ武田氏の巻き
返しを図ろうとしたが、これがかなわず武田氏は滅亡している様が第1話
で描かれていた。

岩櫃城は、真田氏にとって、信濃の上田と上州の沼田を結ぶ街道にあり重
要拠点であった。

そんな岩櫃城はJR群馬原町から徒歩で行くと30分ぐらいの距離にある。
20230505-48.jpg

群馬原町の改札を出る。
20230505-49.jpg

駅前のガイドマップを見て、岩櫃城の位置を確かめる。
20230505-50.jpg

岩櫃城址までの散歩コースが書かれている。
20230505-51.jpg

改札を出た後、歩道橋を渡って線路の反対側の道から岩櫃山を目指す。
20230505-52.jpg


10分ほど歩くと、国指定史跡の岩櫃城跡まで2.2km地点。
20230505-53.jpg

車通りの少ない側道に入る。
20230505-54.jpg

城までの道は車道となっており整備されている。
20230505-55.jpg


落ち葉なども目立ち始め、だんだん山奥に入っていく。
20230505-56.jpg


道もだんだん細くなっていく。
20230505-57.jpg

30分と聞いたが結構歩いている気がする。
20230505-58.jpg

ようやく駐車場付近までたどり着いた。
20230505-59.jpg

平沢登山口駐車場。
20230505-60.jpg

岩櫃城の本丸や観光案内所までは駐車場から数分歩く。
20230505-61.jpg

観光案内所到着。
20230505-62.jpg

名胡桃城、沼田城、岩櫃城の3城を制覇したので、他の城のステッカーやら
六文銭ポケットティッシュなどを頂いた。

続・100名城スタンプも設置されている。
20230505-63.jpg

無事スタンプをゲットできた。あと30分遅かったら閉まっていたようだ。
20230505-64.jpg

観光案内所の中を見る。
20230505-65.jpg

登山口から岩櫃城までは10~15分ぐらいの場所にある。
20230505-66.jpg

岩櫃山は標高803mの山であるが、岩櫃城は山の中腹にあるため、
そんな高いところまで登らなくてよい。

この場所に築城してくれた、南北朝時代の吾妻氏に感謝である。

登山口に入る。
20230505-67.jpg

熊に注意のマークはあるが道は整備されている。
20230505-68.jpg

歩きやすい。
20230505-69.jpg

本丸址に向かう。
20230505-70.jpg

山城に慣れている私も、最初見たときは余裕と思っていたが、何気に
通りの長さは長く、結構疲れてしまった。
20230505-71.jpg

まだまだ続く。
20230505-72.jpg

本丸付近に到着。櫓台。
20230505-73.jpg

岩櫃城本丸址。
20230505-74.jpg

岩櫃城は上杉方の斉藤氏の支配する堅城であったが、真田幸隆により落城し
幸隆が守った。その後、幸隆が亡くなると長男の信綱が城主となったが、
長篠の合戦で、信綱と次男の昌輝が戦死し、三男の昌幸が相続した。
その後信之が城主となり、弟の信繁(幸村)も少年時代を過ごしたという。
20230505-75.jpg

追伸
 溜まりに溜まった続・100名城登城記であるが、なんとかストックを全部
 吐き出すことができた。
 今年はうまくいけば7/1~7/2に福井・石川、7/15~17で福岡、佐賀、長崎
 7/22~23を新潟、富山、7/29~7/30を山口と島根、8/25~8/27を新潟、
 山形、福島と周りまくるので、またストックがいっぱいできそうである。
 (旅費は九州については結構かかるが、それ以外は大阪-福井の往復バスと、
  青春18きっぷ2セットなので家計はそれほど圧迫しない)

岩櫃城
別名
城郭構造山城
天守構造なし
築城主吾妻氏
築城年鎌倉時代
主な改修者
主な城主
斉藤憲行
斉藤憲広
真田幸隆
真田昌幸
真田信之
廃城年
遺構曲輪、土塁、竪堀、空堀、虎口
指定文化財国の史跡
再建造物
位置
群馬県吾妻郡東吾妻町(北緯36度33分33.1秒 東経138度48分17.3秒)
交通手段JR吾妻線「群馬原町」駅から徒歩約30分(登山口まで)
スタンプ平沢登山口観光案内所(4~11月 9:00~16:00)
東吾妻町観光協会(12~3月 9:00~18:00)



最後まで読んで頂きありがとうございます。こちらを押していただけると嬉しいです!!
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 オヤジ日記ブログ 50代オヤジへ
にほんブログ村
[ 2023年06月17日 04:00 ] 群馬県 | TB(-) | CM(0)

続・日本100名城訪問記 その64(沼田城 2023/5/5)

続・日本100名城、64番目の訪問は群馬県沼田市にある沼田城である。

群馬にある、続・100名城の名胡桃城、岩櫃城、そしてこの沼田城は全部、
真田氏の城である。

真田というと、長野県の上田とか小県(ちいさがた)の国衆というイメー
ジだが、武田氏の配下として上州(群馬県)の城も押さえていた。

天下人織田信長が武田氏を滅ぼした時に、その家臣の一人である滝川一益
から真田に対し沼田城と岩櫃城を明け渡せと指示され、真田氏はそれに従っ
ており、一瞬で群馬の城を失っている。

ゲームの信長の野望とか巷で言われている戦国武将の感覚であれば、主君
武田に従っていたのに武田家が滅びるまで戦わず、織田に寝返って所領も
没収されたように見えるが、これは全く正確ではない。

戦国時代の国衆は地元についた豪族であり、その上にいる戦国大名は国衆
を従えることでその領地を支配下に置くという考え方なので、武田が滅び
れば織田に、織田の力が弱まれば上杉に、北条に、徳川にと別の大名に付
くのが普通だったのである。

沼田城に行くには、その城の名のとおり沼田駅で降りる。
20230505-29.jpg

駅の構内。田舎の駅である。
20230505-30.jpg

沼田ガイドマップを見ると、沼田城は歩いて行ける距離にあることがわかる。
20230505-31.jpg

住宅地になっている丘を歩いて行く。
20230505-32.jpg

さらに歩く。
20230505-33.jpg

幹線道路を横切れないので、歩行者用のトンネルがある。
20230505-34.jpg

歩行者は何とかなりそうだが、自転車は難しそうである。
20230505-35.jpg

トンネルを越え、丘の上に上がり左を見ると沼田城址の沼田公園がある。
20230505-36.jpg

公園に入ると沼田市観光案内所がある。入場無料。
20230505-37.jpg

観光案内所に入ると手作り感満載の展示物。
20230505-38.jpg

スタンプも押すことができる。
20230505-39.jpg


真田信之と小松姫。江戸時代初めこの2人は長野の北部の松代藩にいるはず
では?と調べてみたらこの沼田城は真田の分領として継続したのだとか。
ここに石像が立っていても何ら不思議はないことがわかった。
20230505-40.jpg

鳥居。
20230505-41.jpg

この神社などは沼田城天守があったあたりの個所である。
20230505-42.jpg

沼田城本丸跡。
20230505-43.jpg

石垣が一部残っている。
20230505-44.jpg

この辺りも本丸周辺か。
20230505-45.jpg

公園の入り口には沼田城址の碑がある。
20230505-46.jpg

沼田城の説明。
20230505-47.jpg

真田家本家の松代藩で幕末まで存続したが、沼田城はその後お家騒動が
起き、真田の分家が城主となり沼田藩となるも、江戸両国の橋の架け替え
用材の調達の遅延を理由に改易され沼田藩は廃藩になってしまった。

徳川幕府、現代でいうと下請け法違反のブラック企業のようなものである。
恐るべし。

沼田城
別名
城郭構造丘城
天守構造
築城主沼田顕泰
築城年1532年
主な改修者真田信幸
主な城主沼田氏・本庄秀綱
猪俣邦憲・真田氏
廃城年1682年
遺構土塁、堀、石垣、城門(移築)
指定文化財沼田市指定史跡
再建造物鐘櫓
位置
群馬県沼田市(北緯36度38分55.4秒 東経139度2分20.5秒)
交通手段JR上越線「沼田」駅から徒歩約18分
スタンプ沼田市観光案内所(9:00~16:00 年末年始休)



最後まで読んで頂きありがとうございます。こちらを押していただけると嬉しいです!!
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 オヤジ日記ブログ 50代オヤジへ
にほんブログ村
[ 2023年06月13日 04:00 ] 群馬県 | TB(-) | CM(0)

続・日本100名城訪問記 その63(名胡桃城 2023/5/5)

続・日本100名城、63番目の訪問は群馬県利根郡みなかみ町にある名胡桃城
である。

名胡桃城は、真田氏の上野(現:群馬県)支配の拠点である沼田城の支城
となっており、徳川家康を臣従させて九州・関東・東北以外を影響下に置
いた豊臣秀吉が、大名家同士の私闘を禁止していたのだが、北条氏の家臣
がそれを破り、この名胡桃城を乗っ取ったため、真田昌幸が豊臣秀吉に訴
えたことが後の、豊臣秀吉による小田原攻めの原因になった。

名胡桃城は、JR上越線の後閑駅から歩いて50分ほどの距離にある。
駅名票がSLっぽくてかっこいい。
20230505-01.jpg

みなかみ町。上州真田の里。地図には、真田家、徳川家、北条家の家紋が
薄く描かれている。
20230505-02.jpg

駅前の県道61号線に沿って歩き、途中で右に曲がる。
20230505-03.jpg

Google Mapsがなかったらこんな民家のようなところで曲がるのにも
躊躇するわけで、いつもGoogle Mapsには助けられている。
20230505-04.jpg

途中、国道17号線と合流するため、坂道を上がっていく。
20230505-05.jpg

利根川を渡る月夜野大橋がある。
20230505-06.jpg

月夜野橋。この辺に月夜野インターがあり、若いころ訳も分からず、
会社の先輩にスキーに連れて行ってもらったときに通ったことを
思い出した。
20230505-07.jpg

5月であるが向こうに見える山の頂はまだ雪が積もっている。
20230505-08.jpg

名胡桃城址の旗がはためいている。
20230505-09.jpg

歩いて50分ようやく、名胡桃城址に到着。
20230505-10.jpg

城が復元されている。
20230505-11.jpg

三の郭付近。
20230505-12.jpg

空堀。
20230505-13.jpg

二の郭の入り口。
20230505-14.jpg

二の郭。
20230505-15.jpg

二の郭、北虎口。
20230505-16.jpg

またまた堀を渡る。
20230505-17.jpg

本郭到着。
20230505-18.jpg

本郭付近。
20230505-19.jpg

名胡桃城の碑。
20230505-20.jpg

城からの里の風景。木が邪魔でほとんど見えないが。
20230505-21.jpg

歴史を変えた名胡桃城。この城を北条氏が争奪したことにより、
秀吉に天下統一の口実を与えてしまったという意味で歴史が変わったと
いうことだろう。
20230505-22.jpg

六文銭の〇印には、幸隆くん、昌幸くん、信之くん、幸村くんと、真田の
勇将・知将たちが描かれている。
20230505-23.jpg

名胡桃城址案内所に入る。
20230505-24.jpg

中の見物は無料で、スタンプも押せる。
20230505-25.jpg

色々と展示されていた。
20230505-26.jpg

上州を巡る攻防戦。
20230505-27.jpg

1560年に長尾景虎(上杉謙信)の水色の勢力が、三国峠を越えて関東に進出
し、上州の武将はほとんど景虎に従ったが、
1566年には、その後武田信玄(橙)が箕輪城を攻略し西部を支配。
1579年に、謙信が亡くなり、武田(橙)と北条(緑)で分割される。
この後、図にはないが武田氏が滅んだ後、織田による支配が一瞬だけあった
が本能寺の変の後、
1589年には、北西部1/3を真田(橙)が、残り2/3が北条(緑)が支配する。
1590年に、小田原征伐により北条氏が滅ぼされ、真田(橙)と徳川(黄)により
半々で分割されるようになると書かれていた。

秀吉や家康に注目していると、あまり気にかけることはないが、戦国時代の
上州は、結構激戦地であったことがよくわかった。


名胡桃城
別名
城郭構造山城
天守構造なし
築城主沼田氏
築城年明応2年(1492年)
主な改修者
主な城主真田氏(鈴木重将)
廃城年
遺構曲輪、土塁、土橋ほか
指定文化財県指定史跡
再建造物
位置
群馬県利根郡みなかみ町(北緯36度40分12.2秒 東経138度59分32.4秒)
交通手段JR上越線「後閑」駅から徒歩約50分
スタンプ名胡桃城址案内所(9:00~16:00 年末年始休)



最後まで読んで頂きありがとうございます。こちらを押していただけると嬉しいです!!
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 オヤジ日記ブログ 50代オヤジへ
にほんブログ村
[ 2023年06月09日 04:00 ] 群馬県 | TB(-) | CM(0)

日本100名城訪問記 その49(金山城 2017/08/12)

日本100名城、49番目の訪問は金山城である。

栃木県、群馬県の両県は広い県であるが、栃木の足利氏館と群馬の金山城は
わりと近くにあり、100名城訪問するならセットで行く人が多いと思う。

金山城のあった群馬県太田市周辺は、新田義貞の生誕地と言われている。

最寄りは東武伊勢崎線太田駅。足利市駅から3駅の近さ。
20170812-31.jpg

新田義貞像。
20170812-32.jpg

足利尊氏とともに鎌倉に攻め入り、幕府を滅ぼした最大の功労者であるが、
その後、尊氏に負け続け、最後には越前の辺境で流れ矢に当って戦死した
悲運の武将である。

太田駅から金山城へは徒歩80分もかかるが、一応最寄り駅である。
20170812-33.jpg

県道2号線から県道321号線に曲がる。
20170812-34.jpg

県道321号線をひたすら歩く。
20170812-35.jpg

山道に差し掛かる。ほとんど車道しかない道。
20170812-36.jpg


金山城ガイダンス施設という建物があった。
20170812-37.jpg

係員の人に聞くと、100名城スタンプはここにはなく、更に山の上にある
南曲輪まで行かなければならないという。

教えてくれた係員には感謝だが、ガイダンス施設というのだからここにも
置いとけよと思う。

ガイダンス施設の裏のハイキングコースを歩く。
20170812-38.jpg

やっぱり山道を歩くのか。
20170812-39.jpg

思ったより急で整備されていな道もあったりする。
20170812-40.jpg

石垣が見えてきた。
20170812-41.jpg

南曲輪を目指す。
20170812-42.jpg

月ノ池。
20170812-43.jpg

残っていた石垣を元に復元した石垣だという。
20170812-44.jpg

金山城碑。
20170812-45.jpg

スタンプのある中島記念公園の休憩施設。
20170812-46.jpg

スタンプを押す。
20170812-47.jpg

南曲輪からの風景。
20170812-48.jpg

最後に本丸跡の新田神社に向かう。
20170812-49.jpg

本丸跡の新田神社。
20170812-50.jpg

この新田城は新田義貞によって金山に建築されたという説はあるが、遺物など
は検出されておらず、今のところ新田一族の岩松氏によって築城されたことに
なっている。

金山城
別名新田金山城、太田金山城
城郭構造連郭式山城
天守構造なし
築城主岩松家純
築城年1469年(文明元年)
主な改修者後北条氏
主な城主岩松氏、由良氏、高山定重、宇津木氏久
廃城年1590年(天正18年)
遺構石垣、土塁、堀、馬出し、井戸
指定文化財
国の史跡
再建造物
位置群馬県太田市(北緯36度19分4.0秒 東経139度22分38.9秒)
交通手段東武伊勢崎線「太田」駅から徒歩80分
スタンプ中島記念公園の休憩施設内




最後まで読んで頂きありがとうございます。こちらを押していただけると嬉しいです!!
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 オヤジ日記ブログ 50代オヤジへ
にほんブログ村
[ 2017年09月08日 04:46 ] 群馬県 | TB(-) | CM(0)

日本100名城訪問記 その24(箕輪城 2016/12/13)

日本100名城、24番目の訪問は箕輪城である。

長野出張の日、朝早く家を出発し高崎で降りてバスで箕輪城まで行った。

高崎から箕輪城へのバスがそれほど出ていないので、午後1に長野の出張先
に間に合うためには、かなり余裕を持って家を出なければならないため、
家を6時前に出た。

箕輪城の城主だった長野業正は猛将として知られ、武田信玄を手こずらせた
武将である。

信長の野望などのゲームでも、かなり評価が高く、業正を手に入れると、
その後の展開がかなり楽になることを思い出した。

また、長野業正の子孫には、元フジテレビアナウンサーの長野智子がいると
いうのも豆知識のうちの1つである。

北陸新幹線で長野に行く途中の高崎駅で途中下車。
20161213-01.jpg

ゆるキャラぐんまちゃん。中央競馬のゆるキャラと配色とかよくにている。
20161213-02.jpg

高崎駅。時刻は7:55分。写真を撮っていると、55分発のバスが54分に発車
してしまった。
20161213-03.jpg

次の箕郷行きバスが来たのが20分後。
20161213-04.jpg

バスで30分。
20161213-05.jpg

スタンプの置いている箕郷支所の最寄りである四ツ谷バス停で降りる。
20161213-06.jpg

ようこそ箕郷へ。まずは高崎市の箕郷支所でスタンプをもらいに行く。
20161213-07.jpg

高崎市役所の箕郷支所。
20161213-08.jpg

入り口の受付でスタンプを貸してもらい、スタンプゲット。
20161213-09.jpg

スタンプを押したあと、箕輪城に向かう。箕輪城まで徒歩30分かかる。
20161213-10.jpg

小学校には箕輪城の地図とか子どもたちの書いた箕輪城の絵が展示してあった。
20161213-11.jpg

10分ぐらい歩き箕輪城跡の入口に到着。
20161213-12.jpg

搦手口。いわゆる城の裏門である。
20161213-13.jpg

郭馬出西虎口門。実は復元されてまだ一ヶ月も立っていないというできたてホ
ヤホヤの復元された門。
20161213-14.jpg

本丸の方向に向かう。
20161213-15.jpg

かなり整備されているが観光客はほとんどいない。
20161213-16.jpg

箕輪城跡の石碑。
20161213-17.jpg

本丸のあった場所。
20161213-18.jpg

武田信玄は「業正ひとりが上野にいる限り、上野を攻め取ることはできぬ」と
嘆いたと言われるが、長野業正が亡くなったあと、信玄は大いに喜び、
「これで上野を手に入れたも同然」と述べて、すぐに軍を上野に向けた。

その後、武田四天王の一人内藤昌豊がこの城に入ったという。

箕輪城データ
別名梯郭式平山城
城郭構造なし
天守構造
築城主長野業尚
築城年1512年(永正9年)
主な改修者武田氏、北条氏、井伊氏
主な城主長野業正、内藤昌豊、滝川一益、北条氏邦、井伊直政
廃城年1598年(慶長3年)
遺構石垣、土塁、空堀、馬出し、井戸
指定文化財国の史跡
再建造物
位置群馬県高崎市(北緯36度24分17.8秒 東経138度57分3.5秒)
交通手段JR高崎駅-群馬バス箕郷行き30分(箕郷支所)-城跡へは更に徒歩30分
スタンプ高崎市役所箕郷支所



最後まで読んで頂きありがとうございます。こちらを押していただけると嬉しいです!!
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 オヤジ日記ブログ 50代オヤジへ
にほんブログ村
[ 2016年12月27日 04:41 ] 群馬県 | TB(-) | CM(0)

昼下がりの館林

B29の墜落地点を見に行った後は、館林駅で昼食を取ろうと思い駅を出るこ
とにした。

館林といえば、日本一暑い街で有名であるとともに、IT関係で言うと富士通
のデータセンタなどがある土地でもあり、ついでに寄ってみたかった土地で
ある。

館林駅に到着。
20150823-27.jpg

駅を降りると市民大学講座のポスター。
20150823-28.jpg

おひとりさまの老後の上野千鶴子氏、ラストニンジャーの笹野高史氏、
バタコさんの声優佐久間レイ氏など、こんな地方都市の講演にしては
著名人揃いである。

駅の建物。
20150823-29.jpg

館林市は赤城山からのフェーン現象、赤城山・秩父山が暖められてできる
低気圧により、東京や埼玉のヒートアイランド現象で暖められて空気がひっ
ぱられてくる影響で熱が集まり、日本で最も暑い街の一つになり、40℃をこ
えることもざらにある。

しかし、この日は8月の真夏にも関わらずなぜか涼しく、30℃しか無かった。
20150823-30.jpg

このような看板があることが暑さの街たる所以だろう。
20150823-31.jpg

また、この館林はぶんぶく茶釜で有名な街らしく、館林うどんなるものが
名物らしいので食堂を探すことにした。

良さそうなうどん屋発見。
20150823-32.jpg

隣のうどんのおみやげ屋は開いていたのだが、食堂は閉まっていた。
20150823-33.jpg

日曜日の昼という、かきいれどきではあるのだが、2時半という時間帯もあり、
うどんもうりきれたのだろうか。

しかし、行く店、行く店、準備中だったり定休日だったり。
20150823-34.jpg

営業しているのかどうかすらわからない一角
20150823-35.jpg

地方都市にありがちなスナック。
20150823-36.jpg

フィリピンバー。この街のサラリーマンの生活がなんとなく想像がつく。
20150823-37.jpg

しかし、腹が減った。何やら良さそうな店がある。
20150823-38.jpg

何じゃこの看板の絵文字は。
20150823-39.jpg

空きっ腹で死にそうである。

ガーン。結局この店も営業していないではないか。
20150823-40.jpg

結局館林駅前の食べ物屋は全滅であった。

確かに時間帯は悪かったのだが、空いている店が1軒ぐらいあってもよさそう
なのだが、ファミレスやチェーン店もなく、館林を後にすることにした。
20150823-41.jpg

りょうもうという名の特急に乗り、東京に帰って行く旅好きおやじであった。
20150823-42.jpg

最後まで読んで頂きありがとうございます。こちらを押していただけると嬉しいです!!
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 オヤジ日記ブログ 50代オヤジへ
にほんブログ村
[ 2015年08月28日 04:00 ] 群馬県 | TB(-) | CM(0)

B29墜落地点(後編)

昨日はB29墜落時、米兵の遺体をお寺に葬った日本人の話をしたが、今回
は実際に墜落した地点に行ってみることにした。

清岩寺を出た旅好きおやじは、B29の墜落地点に向かうのであった。
20150823-14.jpg

昼食にしたかったのだが、周りには店も何もない。

このような、居住者がいなくなったであろう空き家もあった。
20150823-15.jpg

B-29追悼式の寺。清岩寺。
20150823-16.jpg

ちなみに清岩寺で検索すると、埼玉県にも同じ名前の寺がありしかも、
そう遠くない。

寺の名前だけでなく、寺の所在地についてもしっかり調べてこなければ、
間違いそうになるわけである。

B29墜落地点まで400m。
20150823-17.jpg

用水路の水も住んでいて綺麗である。
20150823-18.jpg

またまた、見渡すかぎりの農道である。
20150823-19.jpg

何やら赤い旗が建てられている。雀よけにしては1ヶ所しかなく違和感がある。
20150823-20.jpg

B29爆撃機墜落地点の説明書きがあった。
20150823-21.jpg

地図を頼りに行ってみると、先ほどの赤い旗は2機の爆撃機のうち、
Deaner Boy 224815の墜落地点ということであることがわかった。

20150823-22.jpg

もう一機の爆撃機、Slicks Chicks 224784の墜落地点の方向を見ると、
赤い印があった。
20150823-23.jpg

結構遠いが向かってみることにした。

着いてみると、灯油入れの容器だった。紛らわしい。
20150823-24.jpg

しかし、先ほどの田んぼの方向が墜落地点のようである。

墜落地点の方を望遠レンズで見ると、鶴が一羽止まっていた。
20150823-25.jpg


もう見るべきところはないので、最後にSlicks Chicks 224784の尾翼が落ち
た地点に向かう。

すると、昨日のブログで紹介した栃木と群馬の県境である旭橋の地点
だった。
20150823-26.jpg

Slicks Chicks 224784については800m以上離れた地点に胴体と尾翼が
散らばったわけである。

結局この墜落では米軍の兵隊が無くなり民家は無傷だったのだが、
同日、直線距離1kmも離れていない隣町の足利市百頭町では、軍事施設
とは無縁な位置集落が集中爆撃され33人の一般の人達が犠牲となった
そうである。

国と国の争いで、両国の尊い命が失われた戦争の悲惨さと平和の尊さを
後世に伝える必要があると、先ほどの看板に書かれていたわけであるが、
全くそのとおりであると思い、県駅に戻る旅好きおやじであった。

最後まで読んで頂きありがとうございます。こちらを押していただけると嬉しいです!!
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 オヤジ日記ブログ 50代オヤジへ
にほんブログ村
[ 2015年08月26日 04:00 ] 群馬県 | TB(-) | CM(0)

B29墜落地点(前編)

先の大戦で、「超空の要塞」と言われたB29という爆撃機で、アメリカは
日本各地の都市という都市を空襲をした。

当時、東洋最大の飛行機メーカーの中島飛行機の太田工場に向かって、
そのB29はサイパン島のテアニン基地を飛び立ったのだが、群馬県の邑楽
(おうら)町の上空でB29同士が接触し墜落してしまうわけである。

その話を聞き、今週の日曜日1人家にいても暇なので、現場に行ってみる
ことにしたのである。

そのB29の墜落地点は群馬県邑楽町にあるのだが、電車と歩きだけで行く
場合は、隣の栃木県足利市にある県(あがた)駅で降りることになる。

県駅到着。
20150823-01.jpg

駅員のいない無人駅になる。
20150823-02.jpg

駅前には店も何もない。

駅を降りて、踏切はわたらずに左に曲がると見渡すばかりの農道である。
20150823-03.jpg

iPadでGoogle Mapを見ながら進むわけであるが、WiFiルータの電波を元に
現在地が表示されるわけであるが、GPS機能はないのでかなり不正確である。

本当に、こっちで方向はあっているのかと思いながら、交差点に差し掛かると、
「邑楽」の文字が。
20150823-04.jpg

いちおう、こっちであっていたわけである。

途中、やっているのかやっていないのか解らない廃工場などもあった。
20150823-05.jpg

栃木県と群馬県の県境の矢場川の旭橋に到着。
20150823-06.jpg

橋を渡ると、邑楽町が発行した「フンは持ち帰ろう」の札があった。
20150823-07.jpg

清岩寺に到着。
20150823-09.jpg

人っ子一人おらず、カラスが飛んでいるだけである。

1945年2月10日、B29が墜落した。

地元の住民たちは、B29の乗組員の遺体を飛行機から出し、火葬して
手厚く対応し、この寺に納骨したと言われている。
20150823-10.jpg

鬼畜米英と言われたアメリカ人も、死んでしまったら仏教的には仏様である。
野ざらしにするとか、遺体を痛めつけるという感覚は少なくとも日本人には
ないのである。

その後、戦争が終わり、遺骨はアメリカに返され、B29の搭乗員たちは故郷
の土にかえることができたと言うわけである。

日本を空襲し、憎むべき相手であるはずのB29の乗組員を火葬後、遺骨を
アメリカに送り、68年後、このようにB29墜落搭乗員慰霊碑が建てられた。
20150823-11.jpg

「ここ秋妻の空に散った23名の勇士の御霊に哀悼の誠をささげるとともに日米
 両国の有効と世界平和を希求いたします。」

この話は、テキサス親父というYoutuberが世界に発信され、日本人に対し
敬意を表する人が多数現れたと言われている。

戦後70年の今年、ケネディ元大統領のおいマクスウェル・テイラー・ケネディ
がこの地を訪れ、日米合同追悼式を行われた。
20150823-12.jpg

「人間の持つ残酷さを克服し、この人生を平穏なものにしよう。
 日本の皆さんに心から感謝を込めて」

かつて、敵味方に別れ戦った日米も、戦後70年友好国として続けていけた
というのは、奇跡のうちの一つだろう。
20150823-13.jpg

(後編へ続く)



最後まで読んで頂きありがとうございます。こちらを押していただけると嬉しいです!!
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 オヤジ日記ブログ 50代オヤジへ
にほんブログ村
[ 2015年08月25日 04:03 ] 群馬県 | TB(-) | CM(0)

北陸新幹線途中下車の旅(安中榛名編)

3月14日に北陸新幹線の長野から金沢間が開通して、巷の話題になっている。

たまたま、昨日は長野に出張だったこともあり、この北陸新幹線に乗った。

打ち合わせの開始は午後であり、それまで時間があるので、予てから降りた
かった駅で途中下車することにした。

まず最初に降りたのが、新幹線の秘境駅として有名な「安中榛名駅」である。

まもなく「あんなかはるな~」のアナウンスに、新幹線の扉に行く。
20150318-01.jpg

安中榛名に到着した。
20150318-02.jpg

降りた人は、私を含めて10人程度だった。
20150318-03.jpg

「午前中、東京で仕事をしていました。」「さっきまで軽井沢で買い物をしていました。」
20150318-04.jpg

東京でも、軽井沢でも簡単に行けるとよいう事が言いたい、住宅を売るための
キャッチコピーか何かだろうか。

改札口。新幹線駅だけあり設備は最新である。
20150318-05.jpg

駅の売店は「峠の釜めし」とうどん屋だけである。
20150318-06.jpg

峠の釜めし屋で少し遅い朝食を取ろうと、売店の店員に聞いてみたが、
これから注文するとのことで置いていないという。

朝8時からこの駅で朝食を食べるなど想定もしていないだろうからそれはそうだろう。

駅前は駐車場になっており、タダで使うことができるようである。
20150318-07.jpg

タクシーなども止まっておらず、自家用車かレンタカーを使うのが前提なのだろう。

駅前には店も何もないが、駅舎はこんなに立派である。
20150318-08.jpg

駅前の地図を見てどこか行けるところはないかと調べたが、歩いてどうこうできる
距離ではなさそうである
20150318-09.jpg

すこし、駅前を散策してみることにした。
20150318-10.jpg

車も、人通りも数えるほどしかいない。
20150318-11.jpg

向こうには山があり、まさに秘境駅である。
20150318-12.jpg

駅前に唯一建物があった。
20150318-13.jpg

2013年3月まで、ここにデイリーヤマザキ安中榛名店があったものだが、採算が
取れなかったのか閉店し、駅前には商業施設が全くない状態となったそうである。

なぜか、交通整理をしているじいさんが1人。
20150318-14.jpg

この爺さんがいるおかげで、車も人も来ない交差点の信号を、旅好きおやじと、
もう一人のおっさんがちゃんと守っている風景が、田舎っぽくてのどかである。

びゅうヴェルジェ安中榛名の看板
20150318-15.jpg

300平米の土地付き一戸建てが3,000万円弱と、都会では考えられない破格で
売られていた。

この安中榛名駅、中曽根康弘が地元に恩を売るために作ったと言われているが、
真相はよくわからない。

この駅の周りに住宅をたてて、新幹線通勤をする人たちの需要を見込み、2003年
頃から売り出しているそうだが、12年経った駅前の風景がこれである。

東京から安中榛名まで1時間という時間で行けるのだが、通勤費は片道で5,000円
ほどになる。
1ヶ月定期で108,530円にもなり、さすがにここからの新幹線通勤の通勤費を払う
会社もないだろうし、自腹などもっての外である。

また、繁華街まで離れているこの駅の近くに家を買っても、車があっても不便な
のでなかなか、ここで定住しようと思う人はいないだろう。

駅に戻ると、うるさい犬が駅前にくくられていて、うるさいと思いながら次の途中
下車駅に向かう旅好きおやじであった。
20150318-16.jpg


最後まで読んで頂きありがとうございます。こちらを押していただけると嬉しいです!!
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 オヤジ日記ブログ 50代オヤジへ
にほんブログ村
[ 2015年03月19日 04:30 ] 群馬県 | TB(-) | CM(0)
カテゴリ

openclose

プロフィール

旅好きおやじの日記

Author:旅好きおやじの日記
職業はIT関係です。
趣味は海外旅行(22カ国制覇)、読書、資格取得です。
取得した資格は以下のとおりで、半分趣味のようになってます。

・情報処理
 ・ITストラテジスト
 ・システム監査
 ・プロジェクトマネージャ
 ・アプリケーションエンジニア
 ・テクニカルエンジニア(システム管理)
 ・テクニカルエンジニア(データベース)
 ・ネットワークスペシャリスト
 ・エンベデッドシステムスペシャリスト
 ・情報セキュリティアドミニストレータ
 ・情報処理一種
 ・情報処理2種
 ・情報セキュリティマネジメント
 ・ITパスポート
 ・情報処理安全確保支援士試験合格
・元PMP
・ITIL V3 Foundation
・Oracle Master Gold
・日商簿記1級
・建設業経理士1級
・英検2級

カレンダー
プルダウン 降順 昇順 年別

10月 | 2024年11月 | 12月
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30



ブクログ
人気ブログランキング
このブログのランキングを確認してください。
[ジャンルランキング]
日記
568位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
会社員・OL
107位
アクセスランキングを見る>>
楽天
アクセスランキング
検索フォーム
ブロとも申請フォーム

  翻译: