今回は陵墓参考地について。
今まで「陵」、「墓(宮墓地含む)」、「準陵墓」についてみてきましたが、それらに共通していえるのは、「被葬者が特定できていること」でした。

さて、今回の陵墓参考地は?というと「陵墓参考地」という名前の通りで、「皇族方が埋葬されている可能性はあるが、誰の陵墓か確定できないもの」とされています。


つまり、被葬者は特定されていないけど皇族の陵墓の可能性があるから、とりあえず宮内庁で管理しておこうということです。

被葬者は特定されていませんが、各陵墓参考地に「候補者」と「等級」が定められています。

例をいくつか。
安曇陵墓参考地
安曇陵墓参考地
候補者:彦主人王(継体天皇御父)、等級:一級

佐須陵墓参考地
佐須陵墓参考地
候補者:安徳天皇、等級:三級

浄菩提院塚陵墓参考地
浄菩提院塚陵墓参考地
候補者:昇子内親王(鳥羽天皇皇女)、等級:四級

といった感じです。

候補者は陵墓が確定していない皇族の他、安徳天皇の様に各地で生存伝説がある場合は本陵墓の他に数基の陵墓参考地がある場合があります。

等級は「一級」~「四級」までがあり級が下がるごとに信憑性が下がっていきます。
一級:陵墓の疑いの濃いもの
二級:陵墓の疑いを否定しがたく、保存すべきもの
三級:陵墓の関係を認めがたいもの
四級:調査の結果解除・保存を決定すべきもの


なお、陵墓参考地は治定陵墓と違って新たに指定されたり、逆に指定を解除されたりすることが少なくなかったみたいです。(現在はほぼ固定化されていますが。)

(陵墓から陵墓参考地へ移行した例)
畝傍陵墓参考地
理由:天武天皇・持統天皇合葬陵とされていたが、野口王墓古墳が真の合葬陵として治定されたため、天皇陵としての治定が解除され、陵墓参考地となった。

(陵墓参考地から陵墓へ移行した例)
伏見丹後陵墓参考地
理由:後深草天皇火葬塚として参考地指定されていたが、後崇光天皇陵であると判明したため参考地指定を解除されて、天皇陵に治定された。

(陵墓参考地指定を解除された例)
相馬陵墓参考地、河根陵墓参考地
理由:長慶天皇陵の候補地として参考地指定されていたが、長慶天皇陵が確定したため、指定解除され宮内庁(省)管理から外れた。


このように、被葬者を特定できないけど宮内庁の管理対象になっている陵墓参考地ですが、49ヶ所と意外と多く、大きさも一坪くらいの小さな塚から、全長330mの巨大古墳まで多岐にわたって存在しているのです。



<参考文献>
事典 陵墓参考地―もうひとつの天皇陵事典 陵墓参考地―もうひとつの天皇陵
著者:外池 昇
販売元:吉川弘文館
(2005-06)
販売元:Amazon.co.jp