三戸城 (4)
所在地:青森県三戸郡三戸町
城  主:南部氏
遺  構:石垣、土塁、堀
文化財:なし
探訪日:平成24年(2012年)7月15日

概要
永禄年間に南部氏(三戸南部氏)が築城したのが始まり。南部氏の本拠地とされたが、豊臣政権のころに一族で対立関係にあった九戸氏が反乱を起こした。
これは南部氏は自力では対応しきれずに豊臣軍を派兵依頼し九戸の乱は終結した。この際に軍を率いた蒲生氏郷によりこの城も石垣を持った近世城郭へと改修された。
南部氏が盛岡城を築くと拠点は移ったが、三戸城も城代が置かれ明治を迎えた。

小高い独立丘陵に築かれており、天然の要害となっています。
現在、本丸に模擬天守等の資料館や神社があるため車で上がれます。
一応近世城郭なのですが、特に本丸部分の改変が著しく、当時の状況を見るのは非常に困難になっています。


縄張り図
三戸城 (5)
大手から、本丸まで一直線の道が伸びる安土城や犬山城の様な造りです。

本丸跡
三戸城 (12)
現在は駐車場になってたり、公園になってたり、神社があったり、模擬天守があったりとかなり改変されています。

模擬天守(鉄筋コンクリート製)
三戸城 (7)
「温故館」と称されており内部は資料館になっています。
なお、明治以前も本丸には天守に準ずる御三階櫓があったそうです。
この本来の御三階櫓跡は本丸のどこかにあるそうなんだけど、結局どこにあるか不明でした。

本丸空堀
三戸城 (15)
本丸にある唯一といってもいい遺構。

綱御門(模擬)
三戸城 (29)
場内で一番低い箇所にある門で大手門に当たる門です。
当時も綱御門という門はあったんですが、現在のものは竹下政権下にあった「ふるさと創生事業」で立てられた模擬門です。バブリーだったんですねぇ。

ただ、この門の石垣が一番の問題で、全く旧状と異なった積み方をしてしまっています。
三戸城 (25)
右側が本来の石垣で、左側が門建築時の石垣。
今とは違い史実再現が重視されてなかったとはいえ、あまりにも違いすぎますね。

鳩御門跡
三戸城 (37)
綱御門のすぐ上にある門跡。
ここは比較的良好に残っており、現在でも枡形が見て取れます。

綱御門直下の石垣
三戸城 (24)
本丸へ上がる車道脇に残っていました。



マップ

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