被葬者:花園天皇(第95代天皇)
陵 名:十楽院上陵(じゅうらくいんのうえのみささぎ)
陵 形:円墳
所在地:京都府京都市東山区粟田
最寄駅:東山駅(京都市営地下鉄東西線)
探訪日:平成15年(2003年)12月2日、他数回
地下鉄の東山駅の南西、有名な大寺院である知恩院のすぐ北隣にあります。
知恩院境内に隣接しているんですが、知恩院の西側に走っている道路から専用の参道を通らないと御陵には行けません。
なお、この参道には入口に門があり、休日は閉鎖していることがあるため注意が必要です。
花園天皇
・第95代天皇
・御 名:富仁親王(トミヒト)
・異 称:遍行、富小路殿、萩原院法皇
・生没年:永仁5(1297)年~貞和4(1348)年
・在 位:延慶元(1308)年~文保2(1318)年
・続 柄:(父)伏見天皇、(母)後宮洞院季子
後深草天皇系の持明院統と亀山天皇系の大覚寺統の両統迭立の時代であったため、大覚寺統の後二条天皇の崩御に伴い12歳で持明院統の天皇として即位した。また即位に伴い9歳も年上の大覚寺統の尊治親王(後の後醍醐天皇)を皇太子に立てている。
在位中は前半が父伏見上皇が院政を敷き、後半は兄後伏見上皇が院政を敷いたため、実質的な政治的権力は無かった。
即位11年目にして皇太子尊治親王へ譲位、上皇となった。元々花園上皇は持明院統の傍系であったため、直系の量仁親王(後の光厳天皇)の養育を行い、『誡太子書』を著し来たるべき動乱を予見し王とは何たるかを伝えた。
また、仏教、和歌にも通じており、妙心寺の開山や、『風雅和歌集』の編集にも携わった。なお、天皇宸筆(直筆)の『花園天皇宸記』という日記を残している。
在位11年、上皇年数30年、宝算52歳。
マップ
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