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所在地:大阪府高槻市城内町
縄  張:連郭・輪郭併用式平城
城  主:入江氏、和田氏、高山氏、内藤氏、永井氏等
遺  構:発掘石垣、移築門、移築櫓
文化財:府史跡
探訪日:平成19年(2007年)3月11日、平成24年(2012年)6月23日、令和5年(2023年)5月28日

概要
室町期に入江氏によって築かれた入江城がはじめ。織豊期には高山右近によって近世城郭に大改修される。右近が船山城へ移封となると、豊臣政権直轄領、江戸幕府直轄領を経て江戸初期には高槻藩の藩庁となり、以後内藤氏、永井氏等が藩主を務めるが、明治になると廃城となった。
廃城後は東海道線建設のために石垣や建物が使用されほとんどが跡形もなく消滅してしまった。現在本丸跡地は高校となり、弁天郭には高槻城公園として模擬石垣等が築かれている他、令和になると二の丸跡に模擬石垣が築かれている。


昔は、三層の天守を持ち要所は石垣で固められた城郭だったようですが、現在はホントに遺構と呼べるものはほとんどありません。
ただ、上記の通り、最近二の丸に模擬とは言え石垣や堀が整備され城郭らしさが復活しました。

(R5/10/9再編集)

縄張り図
高槻城2 (20)
本丸と二の丸を南北に連ね、その周囲を弁財天郭や三の丸で囲んだ連郭式と輪郭式併用の縄張り。
中心部は跡形もなく消滅していますが、外堀が巡らされていた場所にそって現在の道路が整備されていることがわかります。(遺構はないですがね。)

本丸跡
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現在は府立槻の木高校となっており、遺構は一部を除いて壊滅状態。

旧天守台根石
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本丸跡の発掘調査によって見つかった天守台の根石(最下方の部分)が高校の東隣に移設展示されています。
僅かばかりの石垣ですが、数少ない貴重な遺構の一つ。

二の丸石垣・塀・堀(模擬)
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令和になって整備された二の丸の模擬石垣と塀、堀。
模擬とは言え位置的には当時の二の丸ラインをほぼ踏襲しており、復興に限りなく近い模擬構造物といったところでしょうか。
二の丸の内部は芸術文化劇場となっています。

二の丸北西角櫓台(模擬)
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櫓台と言っても薄っぺらく、当時の規模ではないですが、無いよりかはあった方が分かりやすい。

二の丸枡形門跡
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現在も劇場敷への出入り口となっている場所で、当時の様子を示すために門に続く橋がモニュメント的に再現されています。

三の丸虎口跡
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こちらは二の丸の東側にあった厠郭から三の丸の北区画につながる虎口が会った場所。
先ほどの二の丸枡形門と同様に、橋が再現されています。

三の丸土塁
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高槻公園の東端に残る本物の土塁。
ほとんどが公共施設・市街地化している高槻城では貴重な現存遺構。

三の丸堀跡
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上記の土塁の外側にある遺構。
公園や周囲よりも一段低くなっており、堀の痕跡であることがわかります。

弁財天郭跡
高槻城2 (12)
高槻公園の西側あたり。
本丸ではないので勿論天守台があった場所ではないのですが、申し訳程度に天守台を模した石垣が組まれています。
また、高槻城といえばやはり高山右近が有名であり銅像もあります。
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城域の遺構は以上ですが移築建築物も残っています。

高麗門(移築現存)
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城跡の北方にある本行寺という寺院に移築されています。

唐門(移築現存)
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こちらは二の丸跡直ぐ北の長井神社内に移築されています。

この他、行った際は知らなかったので写真に撮ってませんが、化粧櫓が城跡の南方の民家に移築現存しているそうです。


近世城郭の中では、尼崎城、長岡城、沼津城等と同じく、遺構が壊滅している城ではありますが、城跡としては十分に認識されているところは嬉しいですね。
また、二の丸跡の東にある高槻市立しろあと歴史館は内容が充実していて一見の価値ありです。


マップ

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