田中城 (5)
所在地:静岡県藤枝市西益津
縄  張:輪郭式(円郭式)平城
城  主:今川氏、武田氏、酒井氏、水野氏、本多氏等
遺  構:石垣、土塁、堀、馬出跡、移築櫓、下屋敷跡
文化財:なし
探訪日:平成23年(2011年)12月17日、25年(2013年)12月30日

概要
戦国期に今川氏によって築かれた城。このころは駿府の本城の支城として築かれ単郭式に近い城だった。今川義元が織田信長に打ち取られ今川氏が衰退すると武田氏の統治下となり、家臣の山県昌満によって珍しい円形の城郭に改修された。
後に徳川家康によって攻め落とされ、家臣の酒井氏が入城、今までの城域にさらに総構えを加える改修をした。以後、松平氏、水野氏等の徳川家親藩・譜代大名が入城し、本多氏の代で明治を迎えた。
維新後は廃城となり、建物はおろか、土塁や堀も取り壊されたが、現在でも堀や土塁の一部が残る他、円形の区画は当時のまま残っている。


世にも珍しい円形の縄張りをもった田中城ですが、残念ながら良好に遺構が残っているとは言い難いのが現状です。
ただ、所々に遺構が残っており、それを探索しているときも道が大概カーブしているのでその特徴は味わえます。
ちなみに、ここ、家康さんが鯛の天ぷら食べて、それが食中毒になった場所でもあります。

縄張り図
田中城 (10)
本丸は方形、その周りを円形の郭が取り囲んだ「円郭式」という非常に珍しい縄張り。
また当時は内堀、外堀のそれぞれの虎口に丸馬出を設けたいかにも武田流の造りですね。
もっとも甲州軍学では「丸い城こそ良い」とされていたので、それを実践したのかもしれません。

本丸跡
田中城2 (8)田中城2 (12)
現在は西益津小学校の敷地となっていますが、校門付近には田中城の模型があります。
この模型、無かった天守があるのはちょっと惜しいですが、馬出もきちんと造りこまれておりかなりレベルの高い模型です。

二の丸堀
田中城 (2)
数少ない遺構の一つで、きちんと弧を描いています。

二の丸新宿門三日月堀跡
田中城2 (2)
6つあった馬出・三日月堀で唯一痕跡の残る場所。
現在は馬出の外側の三日月堀(半分だけ)が残っています。
せめて馬出の一つでも残っていればなぁ・・・。

三の丸堀・土塁
田中城 (13)
これも残っている堀の一部。
二の丸のそれとは違い、内側に土塁の一部も残っています。

姥ヶ池
田中城 (15)
城の西にある池で、今でも水が涌いています。
ここは結構重要な場所で石垣で囲まれていたらしく、その一部も現存。


さて、円形で囲まれた城域の遺構は以上ですが、実はもう一ヶ所遺構がまとめて残っている場所があります。

それが、この下屋敷跡。
田中城 (38)
城域の東側にあり、ここは近くに駐車場も完備されています。

本丸二層櫓(移築現存)
田中城 (25)
城の櫓としては珍しい数寄屋造りの櫓。
廃城後民間に払い下げられていましたが、昭和末期に寄贈され現在の場所に移築されています。
元々本丸には天守は無く、この櫓が天守代用だったとのこと。

茶亭(復元)
田中城 (31)
これは元々下屋敷にあった建物を復元したもの。

土塁
田中城 (28)
下屋敷といえども、土塁で囲まれていたようです。


現存の遺構が少なく、少し残念な田中城ですが、残っている遺構を散策するのも面白いかもしれません。



マップ

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