興国寺城 (47)
所在地:静岡県沼津市根古屋
縄  張:連郭式平山城
城  主:後北条氏、今川氏、武田氏、松平氏、中村氏、天野氏
遺  構:天守台、石垣、土塁、堀
文化財:国史跡
探訪日:平成23年(2011年)12月17日、令和4年(2022年)12月9日

概要
室町後期に築かれた城で、今川家の客将であった伊勢盛時(後の世に言う北条早雲)が入城したことが文献での初出。
北条氏が関東に勢力を広げると、この城は北条氏、今川氏、武田氏の争奪の地となったが、最終的には武田氏の統治下に入った。しかし、武田氏が滅ぶと遠江に進出した徳川家康の統治下となり松平清宗が入城した。
この後、豊臣政権下では中村一氏が、そして関ヶ原後には天野康景が入り興国寺藩を立藩したものの、後に改易となり、興国寺藩は廃藩、城は廃城となった。
廃城後も大部分は開発を免れ、平成に入ると国の史跡に登録され土塁の復元が進められている。


この城、なにしろ残っている土塁や堀の規模が大きく、実際行くと感動ものです。
興国寺城っていうと北条さんのイメージが強いんですが、結構いろいろな方が入城しているんですね。

縄張り図
興国寺城
北隅に本丸を置き、その南に二の丸、三の丸を連ねた連郭式の縄張り。
一見あまり複雑に見えませんが、三の丸から本丸まではクネクネと真っ直ぐ進めず、所々に横矢が掛けられているので攻撃力も高め。
当時は全てが土塁で囲まれていましたが、現在は本丸と二の丸の一部の土塁が現存しています。

天守台
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城内で唯一石垣が現存している場所で、上部には礎石も残っています。
ただ、この天守台がいつの時代のものなのかは不明。

本丸土塁
興国寺城 (32)興国寺城 (11)
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高さ3~4mはあろうかという非常に高く立派な土塁。
南側が削られて残っていませんが、十分すぎる遺構ですね。

大空堀
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本丸の北側に残る巨大堀。
自然地形も利用しているんでしょうけど、土塁に比例してかなり深い堀です。

北の丸
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大堀切の北側に広がる郭。

二の丸
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本丸の南側下段にある郭。
周囲を囲んでいた土塁の大部分が削平されているものの、本丸や三の丸との段差は残っています。

二の丸土塁
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二の丸の西側にある土塁。
といっても本来の土塁はかなり低くなっており、植え込みで当時の高さを再現しています。

三の丸
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城域の南端にある郭。
現在は道路で分断されており、丸みを帯びた南側部分が馬出のようになっています。

三の丸土塁
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三の丸南端に残る土塁。
このあたりは以前は宅地でしたが、最近整備されたことによってきちんと城らしくなりました。

三の丸堀
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三の丸の南西側に僅かに残る水堀。
当時は城域の北側を除くほぼ全域が水堀で囲まれていたようです。

最後に天守台から見た城域。
興国寺城 (34)


国史跡登録に伴い発掘調査が行われ、現在はそれに基づいて二の丸や三の丸の土塁の復元が計画されています。
全郭が土塁で囲まれている興国寺城を見てみたいものですね。
オススメ。


マップ

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