7月も早くも半月が過ぎようとしてますね。
やばい、このままだと何もしないまま無駄に1ヶ月過ごしてしまう!!
行くとこないとか金が無いというよりも、休みの日に限って天気悪いからなぁ・・・。
さて、諏訪大社四社巡りの続き。
今回は【下社春宮】
やばい、このままだと何もしないまま無駄に1ヶ月過ごしてしまう!!
行くとこないとか金が無いというよりも、休みの日に限って天気悪いからなぁ・・・。
さて、諏訪大社四社巡りの続き。
今回は【下社春宮】
上社前宮でも書いた通り、諏訪大社って大きく分けて上社と下社があるんですが、その違いは何と言っても場所。
同じ「諏訪大社」って名のつく神社だけど、上社と下社ではかなり離れてるんですよ。
元々は別の神社だったって説もあるくらい。
ちなみに、上社、下社って名は上社が都に近く、下社の方が都から遠いから。
旧国名の上野・下野、備前・備中・備後みたいなもんでしょうか。
さて、下社自体について。
下社の主祭神は【八坂刀売命】でして、上社本宮の主祭神である武御名方命の妻神です。
また、春宮、秋宮とあるのは季節によって主祭神の御霊代が移動するため。
(春宮滞在期が2月~7月、秋宮滞在期が8月~1月)
では境内を。
幣拝殿
その名の如く幣殿(供物を備える場所)と拝殿(御神体を拝む場所)が一緒になった建物。
なお、この下社春宮も同秋宮や上社本宮と同じく本殿が無く、弊拝殿の奥にある御神木の杉の木を拝むようになっています。
神楽殿
下馬橋
参道(車道)のど真ん中にある結構謎な橋。
以前はこの下に御手洗川という川が流れており本当に橋として機能していたほか、大名でも下馬しなければならないという神域の堺という役目もあったそうな。
(現在は神輿しか通れない。)
また、パッと見御手洗川は消滅してるように見えるけど、暗渠として残ってはいます。
さてさて、ここも「諏訪大社」なので、勿論あります、【御柱】
一の御柱
二の御柱
三の御柱
四の御柱
三も四も弊拝殿の背後にあるので分かりにくいけど、幣拝殿脇の柵からのぞきこめは拝見可能。
また、上社の西側には砥川という川が流れておりまして、そこを超えたところにもう一つの名物が。
それがこちら。
万治の石仏
自然石の上に仏頭がのっている、ちょっと愛くるしい石仏さん。
万治と言う名の通り江戸時代の万治3年(1660年)に造られたもの。
伝承によると、
「諏訪大社の鳥居を造ろうとしてこの地にあった自然岩にノミを入れたところ血が沸き出したため、畏れ敬い阿弥陀如来として祀った。」
とのこと。
ちなみに、「芸術は爆発だ!!」の岡本太郎さんもこの石仏を見て絶賛したんだとか。
というわけで、以上、下社春宮でした。
次回は四社巡り最終回の下社秋宮。
同じ「諏訪大社」って名のつく神社だけど、上社と下社ではかなり離れてるんですよ。
元々は別の神社だったって説もあるくらい。
ちなみに、上社、下社って名は上社が都に近く、下社の方が都から遠いから。
旧国名の上野・下野、備前・備中・備後みたいなもんでしょうか。
さて、下社自体について。
下社の主祭神は【八坂刀売命】でして、上社本宮の主祭神である武御名方命の妻神です。
また、春宮、秋宮とあるのは季節によって主祭神の御霊代が移動するため。
(春宮滞在期が2月~7月、秋宮滞在期が8月~1月)
では境内を。
幣拝殿
その名の如く幣殿(供物を備える場所)と拝殿(御神体を拝む場所)が一緒になった建物。
なお、この下社春宮も同秋宮や上社本宮と同じく本殿が無く、弊拝殿の奥にある御神木の杉の木を拝むようになっています。
神楽殿
下馬橋
参道(車道)のど真ん中にある結構謎な橋。
以前はこの下に御手洗川という川が流れており本当に橋として機能していたほか、大名でも下馬しなければならないという神域の堺という役目もあったそうな。
(現在は神輿しか通れない。)
また、パッと見御手洗川は消滅してるように見えるけど、暗渠として残ってはいます。
さてさて、ここも「諏訪大社」なので、勿論あります、【御柱】
一の御柱
二の御柱
三の御柱
四の御柱
三も四も弊拝殿の背後にあるので分かりにくいけど、幣拝殿脇の柵からのぞきこめは拝見可能。
また、上社の西側には砥川という川が流れておりまして、そこを超えたところにもう一つの名物が。
それがこちら。
万治の石仏
自然石の上に仏頭がのっている、ちょっと愛くるしい石仏さん。
万治と言う名の通り江戸時代の万治3年(1660年)に造られたもの。
伝承によると、
「諏訪大社の鳥居を造ろうとしてこの地にあった自然岩にノミを入れたところ血が沸き出したため、畏れ敬い阿弥陀如来として祀った。」
とのこと。
ちなみに、「芸術は爆発だ!!」の岡本太郎さんもこの石仏を見て絶賛したんだとか。
というわけで、以上、下社春宮でした。
次回は四社巡り最終回の下社秋宮。