所在地:茨城県高萩市下手綱
縄 張:連郭・梯郭併用式平山城
城 主:大塚氏、戸沢氏、中山氏
遺 構:郭、土塁、堀、蔵
文化財:なし
探訪日:令和3年(2021年)11月20日
概要
室町中期に地頭の大塚氏が築いたとされる城。この頃は竜子山城と称されていた。
江戸初期には戸沢正盛が藩主として入城し、山麓を中心に近世城郭として整備され、名称も松岡城に改められた。戸沢氏が出羽新庄藩へ転封となるとは水戸藩領となり、水戸徳川家家老の中山氏が城主となった。この頃には丘陵部はほぼ使われず山麓の居館が中心となっていたという。
維新後は廃城となり、現在山麓部は学校や公園となっている。
縄張り図
中世城郭の様式を色濃く残す丘陵部分と江戸時代に整備・拡張された山麓部からなる連郭式と梯郭式の併用式の平山城。山麓部は、南西部が稜堡式城郭のように凹凸を伴った面白い造り。
大手門跡
松岡小学校の正門前の空間。
現在でも道路の屈折も含め何となく当時の枡形の形状が見て取れます。
山麓部堀
現在公園になっている箇所は改変されているものの水堀が復元されており、その西側部分は空堀として整備されています。
幕末の整備の結果かもしれませんが、この屈折した堀がなんとも素晴らしい造り。
山麓部土塁
公園になっている部分は綺麗に整備されており、学校部分も大部分が当時のまま残っています。
蔵(移築現存)
中山氏が城主時代に建てられた蔵。
小学校整備時に当時の位置からずらして建てられており、先の東日本大震災の際に倒壊したものを再建したものだそうです。
御殿跡
山麓部北端の平坦地。
井戸跡も残っています。
ここから徒歩5分くらいで丘陵部の遺構群に登っていけます。
櫓台
丘陵部の南東に突き出すように設けられている郭で、その名の通り物見櫓があったと思われます。
本丸土塁
本丸の南側を守る土塁。
結構高さがあります。
本丸虎口
本丸の正門ですが、枡形や食違ではない普通の平虎口。
本丸
竜子山城時代の中心であった山頂の郭。
結構広い郭なんですが、樹木が生い茂っており、あまり散策には向いていません。
規模が大きい城ではないものの、丘陵部は郭が残っており、山麓部は改変されつつも整備されているのは嬉しいところ。
マップ
より大きな地図で 城 を表示
縄 張:連郭・梯郭併用式平山城
城 主:大塚氏、戸沢氏、中山氏
遺 構:郭、土塁、堀、蔵
文化財:なし
探訪日:令和3年(2021年)11月20日
概要
室町中期に地頭の大塚氏が築いたとされる城。この頃は竜子山城と称されていた。
江戸初期には戸沢正盛が藩主として入城し、山麓を中心に近世城郭として整備され、名称も松岡城に改められた。戸沢氏が出羽新庄藩へ転封となるとは水戸藩領となり、水戸徳川家家老の中山氏が城主となった。この頃には丘陵部はほぼ使われず山麓の居館が中心となっていたという。
維新後は廃城となり、現在山麓部は学校や公園となっている。
縄張り図
中世城郭の様式を色濃く残す丘陵部分と江戸時代に整備・拡張された山麓部からなる連郭式と梯郭式の併用式の平山城。山麓部は、南西部が稜堡式城郭のように凹凸を伴った面白い造り。
大手門跡
松岡小学校の正門前の空間。
現在でも道路の屈折も含め何となく当時の枡形の形状が見て取れます。
山麓部堀
現在公園になっている箇所は改変されているものの水堀が復元されており、その西側部分は空堀として整備されています。
幕末の整備の結果かもしれませんが、この屈折した堀がなんとも素晴らしい造り。
山麓部土塁
公園になっている部分は綺麗に整備されており、学校部分も大部分が当時のまま残っています。
蔵(移築現存)
中山氏が城主時代に建てられた蔵。
小学校整備時に当時の位置からずらして建てられており、先の東日本大震災の際に倒壊したものを再建したものだそうです。
御殿跡
山麓部北端の平坦地。
井戸跡も残っています。
ここから徒歩5分くらいで丘陵部の遺構群に登っていけます。
櫓台
丘陵部の南東に突き出すように設けられている郭で、その名の通り物見櫓があったと思われます。
本丸土塁
本丸の南側を守る土塁。
結構高さがあります。
本丸虎口
本丸の正門ですが、枡形や食違ではない普通の平虎口。
本丸
竜子山城時代の中心であった山頂の郭。
結構広い郭なんですが、樹木が生い茂っており、あまり散策には向いていません。
規模が大きい城ではないものの、丘陵部は郭が残っており、山麓部は改変されつつも整備されているのは嬉しいところ。
マップ
より大きな地図で 城 を表示