所在地:千葉県南房総市富浦町多田良
縄 張:台場/砲台
城 主:江戸幕府、帝国陸軍
遺 構:土塁、砲座、弾薬庫、照明井
文化財:市指定文化財
探訪日:令和4年(2022年)3月19日
概要
江戸末期に幕府が築いた台場が始まり。この頃異国船に対する警備のため全国に台場が築かれたが、この台場もそのうちの一つであった。
時代が下り昭和初期には陸軍によって東京湾要塞の砲台として大房岬砲台が築かれ、対岸の須崎砲台と共に東京湾入口の防御を固めた。実戦では使用されることなく戦後は荒廃したが、現在は公園内の文化財として保存されている。
千葉県南部の大房岬にある台場及び砲台でして、周辺は大房岬自然公園となっています。
配置図
岬の西側に幕末の台場があり、それとは別に昭和の砲台の施設が各所にあります。
なお、図に落とし込んでいるのは今回見たところだけで、他にも砲台の施設が残っているようです。
まずは幕末の台場。
台場図
三段構成の台場で13挺の大筒が備えられていました。
説明板によると土塁が残っているようですが、モサモサしており、いまいち不明瞭。
続いて昭和期の砲台。
第一砲台弾薬庫
第一砲台は岬の北側に設置されており、現在は弾薬庫のみ残存。
作られた時代が昭和だけあり、レンガではなくベトン(コンクリート)造りとなっています。
第二砲台砲座
第一砲台の南側に設けられている砲台。
砲座が残っており、現在は花壇に再利用されています。
第二砲台弾薬庫
第一掩灯所
岬の中央あたりにある倉庫。
掩灯所とは照明を格納しておく倉庫とのこと。
第二掩灯所
岬南部にある地下式の掩灯所。
現在は通路から直接階段で降りられますが本来の入口も残っています。
照座連絡隧道
第二掩灯所と照座を繋ぐための通路。
照座
大型の照明を地下から地上に昇降させるための施設。
現在でも昇降機があった場所は空洞となっています。
他の要塞ではあまり見ない設備ですね。
日本各地の要塞(砲台、堡塁)に行っていますが、造られた時代が新しいだけあって構造や素材が他の要塞とは異なる特徴的な砲台でした。
マップ
より大きな地図で 城 を表示
縄 張:台場/砲台
城 主:江戸幕府、帝国陸軍
遺 構:土塁、砲座、弾薬庫、照明井
文化財:市指定文化財
探訪日:令和4年(2022年)3月19日
概要
江戸末期に幕府が築いた台場が始まり。この頃異国船に対する警備のため全国に台場が築かれたが、この台場もそのうちの一つであった。
時代が下り昭和初期には陸軍によって東京湾要塞の砲台として大房岬砲台が築かれ、対岸の須崎砲台と共に東京湾入口の防御を固めた。実戦では使用されることなく戦後は荒廃したが、現在は公園内の文化財として保存されている。
千葉県南部の大房岬にある台場及び砲台でして、周辺は大房岬自然公園となっています。
配置図
岬の西側に幕末の台場があり、それとは別に昭和の砲台の施設が各所にあります。
なお、図に落とし込んでいるのは今回見たところだけで、他にも砲台の施設が残っているようです。
まずは幕末の台場。
台場図
三段構成の台場で13挺の大筒が備えられていました。
説明板によると土塁が残っているようですが、モサモサしており、いまいち不明瞭。
続いて昭和期の砲台。
第一砲台弾薬庫
第一砲台は岬の北側に設置されており、現在は弾薬庫のみ残存。
作られた時代が昭和だけあり、レンガではなくベトン(コンクリート)造りとなっています。
第二砲台砲座
第一砲台の南側に設けられている砲台。
砲座が残っており、現在は花壇に再利用されています。
第二砲台弾薬庫
第一掩灯所
岬の中央あたりにある倉庫。
掩灯所とは照明を格納しておく倉庫とのこと。
第二掩灯所
岬南部にある地下式の掩灯所。
現在は通路から直接階段で降りられますが本来の入口も残っています。
照座連絡隧道
第二掩灯所と照座を繋ぐための通路。
照座
大型の照明を地下から地上に昇降させるための施設。
現在でも昇降機があった場所は空洞となっています。
他の要塞ではあまり見ない設備ですね。
日本各地の要塞(砲台、堡塁)に行っていますが、造られた時代が新しいだけあって構造や素材が他の要塞とは異なる特徴的な砲台でした。
マップ
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