61XrWN8xRDL



1: 人間七七四年 2007/10/22(月) 20:52:25 ID:UPel9AXk
柴田、林ら謀反人 許す
弟・信勝 一度は許す
兄・信広 斎藤氏と組んで謀反するも許す
織田信安 信勝や斉藤氏と組んで何度も敵対するも、許されて所領を貰う
斎藤龍興 足利義昭上洛のために一旦成立した和睦を破り信長の面子を潰す、でも追放のみ
浅井長政 何度も降伏を呼びかける 領土安堵どころか大和も加えてやるとまで言った
足利義昭 信長包囲網の立役者。 追放のみ
松永久秀 1回目は普通に許した 2回目も茶器遣せば許すといった
荒木 許そうとした(荒木1人で逃げ出したので信長キレて一族皆殺し、共犯の中川高山は許す)

なんか冷酷なイメージが付いちゃってる人物だけど
実は結構甘かった?








4: 人間七七四年 2007/10/22(月) 22:21:06 ID:wGbe2eiA
本能寺の変の真相が誰々とか考察されてる時点で・・・

8: 人間七七四年 2007/10/24(水) 02:22:24 ID:KVEBaow7
身内っぽい人間には甘いところあるんだよな
赤の他人だと問題外だが

9: 人間七七四年 2007/10/24(水) 10:29:38 ID:v+Qq5txV
つ赤の他人の乞食にまで優しかった信長さん

信長公記 巻八 「山中の猿御憐愍の事」に、信長が乞食に施しを与えた記述があります。

参考信長公記巻八



10: 人間七七四年 2007/10/24(水) 11:16:42 ID:4B+9+FWG
カルト宗教を根絶やしにするために子供まで殺したって言うのが
やっぱり、残虐だって言われる所以なんだろう。
でも、当時、実質カルトを根絶やしにしなければ、どうしようもなかったのも事実だしな。

あと、比叡山の焼き討ちのイメージも大きいな。
実際には、たいした焼き討ちではなかったみたいだし、
何度も交渉した末なんだけどな。

12: 人間七七四年 2007/10/26(金) 02:22:56 ID:sYo0YgWp
>>10
織田家も比叡山も本願寺も今日まで生き残っていますよ。
カルトっていうけど一向宗は現代では、中国地方なんかでは唯一、創価とやり合える存在らしい。
後、廃仏毀釈の時にも一向宗の抵抗は凄かったらしい。
良くも悪くも行動的な宗派ではある。

13: 人間七七四年 2007/10/26(金) 02:28:36 ID:XZ9jaN7o
たしか比叡山は「寺社領を返還」してやるから「中立」になれ、だったよな。
よほど攻められない自信があったんだろうか?
あと雑賀根来の連中も従属→離反を繰り返してるし。
前置き無しで苛烈だったのは親族殺された伊勢長島・長年苦しめられた甲斐武田あたりか?

15: 人間七七四年 2007/10/26(金) 03:34:17 ID:Ad2GZSjv
>>13
伊勢長島は前回の約束反故の仕返し
甲斐武田は一番苦しい時期の同盟破棄と信忠の暴走が原因ではないか?
信長としちゃ信忠でギリギリまで押し込んでおいて自ら出陣→降伏って道をホントは取りたかったかもしれなしい<武田攻め
降伏勧告も無しで圧倒的戦力をもって滅亡させられたら恨み買ってしまうし、そんな初歩の失敗を信長がするとは到底思えない

17: 人間七七四年 2007/10/26(金) 11:10:05 ID:XZ9jaN7o
>>15
信忠に不満をのべてない所を見ると可能性は濃くはないけど、
ひょっとしたら「俺出陣→敵降伏→カクイイ」とか思ってたかもしれんね。

18: 人間七七四年 2007/10/26(金) 12:20:16 ID:Ad2GZSjv
>>17
信忠を過小評価して時期を見誤ったんではないかい?<信長
もしくは勝頼を過大評価しすぎてた可能性もあるわな
信忠が信長の思う以上に優秀だったので親バカな信長としては嬉しくて褒めてしまったという面もあったりするような

19: 人間七七四年 2007/10/26(金) 13:19:49 ID:xL7WItI5
武田の内部崩壊のスピードが異常だったってのもあるが(信玄時代からの負の遺産
それにしたって信忠の軍事的才能も傑出したもんっがあるよな。

20: 人間七七四年 2007/10/26(金) 13:43:47 ID:jQqCqWwR
敗戦後の信忠へ
信長「勝頼には長篠後信玄はいなかった。だがお前には俺が居る
焦らずじっくり力を付けて俺の跡を継いでくれればよい」
信忠「パパ(´;ω;`)ブワッ」

22: 人間七七四年 2007/10/26(金) 17:37:05 ID:XZ9jaN7o
武田→織田で帰参したり降伏したりして許されたのも多いような。
小山田の処刑がどうしても気にかかるが。

26: 人間七七四年 2007/10/26(金) 21:56:02 ID:Ad2GZSjv
>>22
自分を信頼してくれる相手を騙して敵に差し出し、手柄だと言うような輩は流石に信長も勘弁って事じゃないかね?

24: 人間七七四年 2007/10/26(金) 19:12:00 ID:4heTfK6z
信長は秀吉が黒田長政を殺さなかったことも許したしな

25: 人間七七四年 2007/10/26(金) 20:39:39 ID:XZ9jaN7o
「謝れ!官兵衛に謝れ!謝罪しろ!」

思い込みは激しいけど、自分が間違えてたら後で引っ込めるみたい。

27: 人間七七四年 2007/10/27(土) 01:13:49 ID:qLmNdw/X
なんだかんだいって、やはり信長って日本史上稀に見る名将だよな。確かに戦国
大名として甘すぎる面は否定できないが。

28: 人間七七四年 2007/10/27(土) 01:20:22 ID:da8IEiQU
新府城が陥落した後に領民による略奪が起きたんだけど
それを諏訪あたりで聞いた信長は略奪した領民を捕らえて成敗するように命令してる

29: 人間七七四年 2007/10/27(土) 02:28:51 ID:6b6OXKS0
秀吉の妻宛てに丁寧な手紙を書いて夫婦喧嘩の仲裁をしたり

34: 人間七七四年 2007/10/27(土) 07:32:40 ID:gfddeVSq
延暦寺は信長に何したの…?

35: 人間七七四年 2007/10/27(土) 09:05:30 ID:6nlbrN6e
確か、浅井・朝倉に味方して山を拠点として提供した。
浅井・朝倉が引き上げた後、中立を保つよう申し入れたが聞かず、焼き討ちに至ったとか。

37: 人間七七四年 2007/10/27(土) 10:53:24 ID:gfddeVSq
>>35
ありがとうございます~
一向一揆にも手を焼いてましたよね~
一向一揆と信長は、なんで対立していたのですか…?
本願寺?

39: 人間七七四年 2007/10/27(土) 14:22:51 ID:RSEMpXuQ
>>37
政治権力から宗教を取り除こうとしたが拒否されて対立
総本山の檄文で一揆開始→暴走という形だったはず

40: 人間七七四年 2007/10/27(土) 14:47:49 ID:6nlbrN6e
形式的には1568年の上洛の際に本願寺に矢銭を課すと同時に石山からの立ち退きを要求している。
その後1570年に信長と三好三人衆との交戦時に本願寺は挙兵。
直接的な原因は軍事的な圧力を受け、交戦は時間の問題と本願寺サイドが判断したからかな。

マクロで見ると信長の天下布武と石山本願寺との衝突は必然だろう。当時の本願寺は門徒を直接支配し、一大政治勢力と化していたのだから。

43: 人間七七四年 2007/10/27(土) 19:31:39 ID:MM5Q7BwI
>>40
信長の立ち退き要求は史料的に確認できません。現在では当の本願寺自身が、
「顕如はそう言っているが、本当に信長が立ち退き要求してきたかは不明」と
言っています。

41: 人間七七四年 2007/10/27(土) 16:10:09 ID:NX79Uja4
信長が他の武将と変わらないことすると甘い稀に見る名将と称えるのか。
敵中に入ってお市を救っても、長政を殺さないのを許したになるのか
アホ草


44: 人間七七四年 2007/10/27(土) 20:15:08 ID:UXDGvH/L
林秀貞はこき使ってから過去の信行擁立の謀反の罪をグダグダ言って追放

弟は母の説得で仕方なく許したが、疑惑が浮上すると仮病でだまし討ち

45: 人間七七四年 2007/10/27(土) 21:22:59 ID:VrgxH+0a
浅井長政とお市の結婚は、恩義ある朝倉に織田が攻めないって条件付じゃ・・

46: 人間七七四年 2007/10/27(土) 21:47:44 ID:RSEMpXuQ
>>45
それは講談のみの内容
史料的に確認できてない
それに朝倉とは小競り合いしてる史料もあったはずし、恩義ある云々は説得力がきわめて無いに等しい
浅井の謀叛は豪族体制が抜けきらなかった家臣達の暴走と、長政本人の野心によるものでないかね?
久政が金ヶ崎で信長襲うのはやめとけと言ったという史料も出てきてるし、何が正しいのか真相は闇の中

49: 人間七七四年 2007/10/28(日) 00:40:57 ID:dNuoe3yV
>>46
急速に強大になった織田に対する恐怖心が最大の理由だと思う。
朝倉が滅ぼされたら、もう織田に服従するしかなく
しかも信長のさじ加減一つで滅ぼされる可能性もある。

あと、朝倉を攻めないという条項が入っていたのは多分事実だと思う。
織田と朝倉が戦うとなると、浅井は苦しい2者択一を迫られ
しかも矢面に立たされることになる。

61: 人間七七四年 2007/10/28(日) 12:53:36 ID:nKamAYzN
>>49
長政には何度も降伏を薦めてる上に降伏時の重用も示唆してる
一門衆と有能な家臣には殊の外甘い信長だから可能性は高いかと(どうのこうの言っても劣勢覆した事のある長政は優秀であるのは確か)
荒木だって何度も降伏を薦めるとか何か悪い点があったら改めるとかもの凄く譲歩してるから本気で許すつもりだったんじゃないか?
あの松永でさえ茶器くれたら許してやると言ってるぐらいだし(松永に関しては信用が無いから物を要求かつ疑っては居るが有能なので降伏させようとはしてる)

50: 人間七七四年 2007/10/28(日) 01:06:29 ID:fZBlBd0X
あれは完全に長政の判断ミスでしょ。信長は東に家康、西に長政って
感じで信頼してたと思うし将来も重用したと思うなあ。
それだけにショックもでかかったと思う。
もし織田幕府?のようなものができれば長政とその子一族は繁栄が
約束されていたのに…

57: 人間七七四年 2007/10/28(日) 02:45:20 ID:dNuoe3yV
>>50
そうだろうね。重用してたと思う。
ただ、当事者としては周り全部織田になって
圧倒的に同盟国が強くなるのは怖いよ。

51: 人間七七四年 2007/10/28(日) 01:06:41 ID:prh9nxY3
信長に敵うと考えていたのかな。
朝倉を見捨てて織田につくのが戦国の世の倣いだと思うが。
浅井の脳味噌をかっ開いて見てみたい。

53: 人間七七四年 2007/10/28(日) 01:22:37 ID:fZBlBd0X
あの時点ではまだ織田が天下人確定っていうほど強大ではないから
やむを得ない感じもするが長政にもうちょっと先見の明があればな。
多分信長方面軍の一軍をまかされるぐらいにはなっていただろう。
光秀の代わりに近畿にいれば本能寺も起きずに(長政が謀反しないことが前提)
歴史は変わっていたかもって妄想が膨らむな。

75: 人間七七四年 2007/10/31(水) 21:41:56 ID:nnAO7ctw
結局、信長の残虐行為って、一つには誇張もあるし実際にやったのも感情で一時的にキレた場合が多い。
彼は死ぬまで餓鬼大将的な性格が直らなかった。
冷徹な計算で虐殺すると言うより、その場の勢いでやってしまった事が殆どだろう。


76: 人間七七四年 2007/10/31(水) 22:49:57 ID:sBJ0b8ko
>>75
一揆衆の殲滅活動は一時的な感情とかではなくきちんとした目的を持って行っている
「今一揆衆を皆殺しにしてますよ」という事を世間に知らしめたいので
信長本人がいちいち公家に手紙で「今日はどこで何人殺した」と細かい情報を書いて送ってる

77: 人間七七四年 2007/11/01(木) 01:09:47 ID:d6wQki/I
>>76
後者はともかく、前者はおまいの妄想だろう
第一次伊勢長島の戦いの時に和睦締結後襲ってきた仕返しに殲滅したんだよあれ
それにここで甘い顔すると他の大名になめられてしまうのも戦国時代
「皆殺しにするのを世間に知らしめる為」じゃなくて「たばかった仕返しとたばかったらどうなるかの見せしめ」として殲滅ね

78: 人間七七四年 2007/11/01(木) 01:26:43 ID:275wrvXI
>>77
あのねぇ君
「一揆勢を皆殺しにする」という行為は
無抵抗な市民を一方的になぶり殺しにするわけではないのよね
相手も死ぬ気で攻撃してくるから自軍にも大きな損害を与えるのよね
これ、一時的な感情とかでは不可能なのよね
明確な目的があって、それを家臣が理解していないと不可能なのよ、分かる?
それに、いちいち公家に手紙を送っている理由も分からないの?
「一揆を起こしやがったら謝っても許さないしこんな風に全員殺すぞ」というメッセージを
公家に託しているわけさ
他の大名の顔色を伺ってるわけではないし他の大名は全然関係ない
頭大丈夫か?

80: 人間七七四年 2007/11/01(木) 15:28:28 ID:bd7RnSIz
信長の残虐性はいつも話題になるけど、学者みたいな立場の人がそういうから世間知らずの学生なんかはそう信じてしまうのだろうな。
学者自身も本当に細かい部分しか詳しくないからことさら信長の非道さとか強調しようとしている気もする。
違う価値観の時代の行動を今の価値観で評価するというのは危険すら伴うと思うのだけどね。
どっかのスレでは信長ファンすら罵倒されてたな。

82: 人間七七四年 2007/11/01(木) 19:22:51 ID:xZuh4j6s
一揆勢を虐殺した時の周到さが、別に大人とは思わんが。
子供って、いたずらを考えるとき大人が信じられないくらい執念深く、
念入りに用意を巡らせるときがある。
天才というのはどこか精神年齢の幼い、自分の感覚だけで行動する人物が多いが、
信長はその典型とも言える。
同じように一向一揆に手を焼いた大名たちがこれほどの無茶をやった訳じゃない。
伊賀の時にせよ、叡山焼き討ちにせよ、矢張り戦略より感情が先に立っただろう。
だから、いざと言う時このスレタイのごとく甘かったんだと思う。

95: 人間七七四年 2007/11/03(土) 01:28:17 ID:Vf6KmjpG
>>1を見ると一度裏切った相手を許すのは確かに、甘い。
普通の武将なら許してまた裏切られた時点で学習して、今後裏切りを断固許さなくなるはず。
かといって晩年重臣たちを勘当もしたし。

96: 人間七七四年 2007/11/03(土) 09:08:02 ID:X+xZj4tG
晩年の重臣追放なんかは、裏切ったからとかじゃなく、
どちらかというと、信忠が跡を継ぐための地固めじゃないかな?
息子に甘いから、あのような処遇になった。

98: 人間七七四年 2007/11/03(土) 11:30:21 ID:Kjd/LDwU
でも前例の無いことを成そうと思えば
前例無き方法でやるしかないんだから
焼き討ちも一揆皆殺しもその一環でしょう
強攻策の方が即効性があるんだし
早急に事を収めようとするなら最も効果的

101: 人間七七四年 2007/11/03(土) 19:21:32 ID:yOo4FvBD
信長だけが一揆に強く当たってたわけでもないからなあ

102: 人間七七四年 2007/11/03(土) 19:34:00 ID:JpLCi3Im
信長領内の場合は義昭に対する見せしめ的な効果もあるから
なおさら必要不可欠な政策わだな

113: 人間七七四年 2007/11/11(日) 03:04:32 ID:Gf0I735/
信長って、許すといって、投降してきた奴を殺したり、
背信したことってあるの??

本願寺とかも、あれほどてこずったのに、和睦(実質、信長勝利)後も、
ちゃんと約束まもってるわけでしょ?

114: 人間七七四年 2007/11/11(日) 03:24:13 ID:aP2kYv6/
>>113
長島では投降してきた一揆勢を射殺したが
そもそも長島側から申し出た和議で一度許したのに
すぐに裏切って攻撃した来たので長島側の自業自得

本願寺との和議は天皇の勅命によって行われているので
織田も本願寺も和議を反故にする事が出来ない

116: 人間七七四年 2007/11/11(日) 05:02:53 ID:4eOYGqOC
>>113
織田家乗っ取りの中で、信勝をいったんは許しておいてロコツなだましうち。
病気になったから見舞いに来てくれ、といってかわいい弟が訪ねてきたら殺してる。
織田家内紛の中における信長こそ謀略と言うか本性があらわれてるような気がする。
この頃はむかったのをかなり後年ネに持って追放したり、友達にはしたくないタイプだな。

ほんで投降してきた敵の大将級は普通にみな殺してるしそうするもの。


121: 人間七七四年 2007/11/11(日) 13:35:23 ID:cYmIHsIN
>>116
最上義光とかも、病気をいつわって、敵に、「お前に遺産やる」と
だまして呼び寄せて殺したりしてるよね。

当時、こういう計略が流行してたのでは。

あと、後北条も、降伏すると偽って、奇襲攻撃で大勝利とか。

126: 人間七七四年 2007/11/11(日) 20:54:13 ID:HVNl72dO
林秀貞追放の理由って本当はなんだったんだろうね
wikiだと活躍以上の利権を主張しまくってたから適当な理由つけてリストラしたって説が有力らしいけど
仮にも謀反に加担した身で俸禄要求ばっかりしてたなんて本当に林はそこまで傲慢な人物だったのかね?

127: 人間七七四年 2007/11/11(日) 23:21:43 ID:JLqjpUZ4
内政手腕そこそこだけど、大した戦績の無い筆頭家老という立場が信長の目には
どう写ったかってコトのような気もするが。

128: 人間七七四年 2007/11/12(月) 00:27:00 ID:VJE0Q53R
完全な推測で根拠もないのだけど、信忠の身代わりってどうだろう?
当時の林は織田家の家宰であり、信長政権の重臣というわけではない。つまり
林の直接の主君はこの場合は信忠であって信長ではない。いわば陪臣に近く、
この処分は信忠を飛び越えて信長が直接おこなっている。そこで想像してみる。
信忠に何か不始末があって、いわば後見役の様な立場の林が責任を取らされたと。
その内容を公表するのは憚られるので、表向きには林の二十年以上前の問題を
持ち出して処分した。

もちろん妄想なんで本気にしないでください。ただ逆にいうと、当時の林には
なんの問題もなかったということでもある(あるのならそれを理由にすればいい、
わざわざ二十年以上前のことを持ち出すこともない)。

133: 人間七七四年 2007/11/14(水) 03:16:07 ID:ueR/jSlH
>>128
美濃衆の追放と林、佐久間の追放は跡継ぎが無能な世襲領主追放だったんじゃないかな。
徳川政権ほど地盤が固まってないから、減らしたりして恨まれたときのために
減らすくらいなら追放しちゃえって幹事。

119: 人間七七四年 2007/11/11(日) 08:03:31 ID:qT1Ai+Jd
信勝なんて寝首かいてやろうと狙ってた所を利用して呼び寄せて殺しただけ
生きてる間ずっと自分を狙いそうな人物の存在を許すほど抜けてなかったってだけなんじゃね?

124: 人間七七四年 2007/11/11(日) 19:53:42 ID:Evy2Svak
信長は一度も裏切ったことがない相手をだまし打ちしたことってある?
まあ結局光秀に裏切られて死んだわけだが
フロイスの印象だと光秀は信長を騙しきってたのかもしれないね

「彼は、裏切りや密会を好み、刑を科するに残酷で、独裁的でもあったが、己を偽装するのに抜け目がなく、戦争においては謀略を得意とし、忍耐力に富み、計略と策謀の達人であった。また、友人たちの間にあっては、彼は人を欺くために72の方法を深く体得し、かつ学習したと吹聴していた」

72の方法って・・・キン肉マン48の殺人技みたいだなw

130: 人間七七四年 2007/11/12(月) 11:30:04 ID:Ft9Q1lxn
>>124
宣教師に言わせるとキリスト以外の信仰の対象=悪魔
信長は宣教師に寛容で、光秀は悪魔を信仰する邪悪な奴
信長子息も長男・三男は神の教えを信じるいい子で、信じない次男はアホ扱い。

165: 人間七七四年 2008/03/11(火) 22:30:02 ID:WsiFYlOU
>>130
ただ、フロイスは光秀の息子と娘を、とても優雅でスペイン貴族の子供のように美しいと誉めてもいるよ。

131: 人間七七四年 2007/11/12(月) 18:22:06 ID:T8HGTrIq
信長はキリスト教を保護はするが優遇はしないって気付いてから
信長も酷評されてなかったっけ

136: 人間七七四年 2007/11/14(水) 22:04:52 ID:HdjA/JC9
>>131
本能寺の変直後は信長は日本国に我々の居場所で心配することはない等
大事な保護者をなくしたことにガッカリした風
安土城の招待に際しては嫡子や信長自身まで食事を運んだり
豪華な屏風をプレゼントしてくれたことなど、信じがたいくらい大切に扱ってる。
優遇しないから酷評したなどではない。
信長自身の神格化を普通に狂っていると書いてる。

139: 人間七七四年 2007/11/15(木) 09:05:04 ID:Ypwi8BSS
盆山の事を書いたのフロイスだけだし、フロイスの宗教に関する記述はホニャララ。なので、あてには出来んよ

140: 人間七七四年 2007/11/15(木) 09:16:23 ID:9C78qJ8R
信長は単純に宗教の思想や中身には無関心なんだよ
キリストみたいなただのオッサンが神なら俺はもっと偉い神だとかいいそうだ

既存の寺社勢力と対立したのは、奴等が武器をもった軍事勢力であることと
信長がすすめていた座の解体は、寺社朝廷の独占していた資金源にメスを入れることになるから
徹底的な対立になっただけだろうな

141: 人間七七四年 2007/11/15(木) 09:29:24 ID:TKXfOIPW
宣教師だけの記述なのに昭和の末になって事実が確認されたことなどもあり
あてに出来ないとは言えない。
逆に信頼できると言われた信長公記(安土日記)が、
最近の安土城発掘調査や模型作りに至って信用できないことが分かった。

142: 人間七七四年 2007/11/15(木) 11:53:32 ID:dXhYCxJG
あといっておくと、日本人にとっての自己神格化と、キリスト教徒にとってのそれは
まったく重要度というか意味合いが違う。
仮に信長が自己を神になぞらえたというのが事実だとしても、その話の受け取り用は
フロイスと周囲の日本人では衝撃度がまったくことなる。だいたい、自己を神とする
なんて謙信も信玄もやってるぞ生前に。

146: 人間七七四年 2007/11/15(木) 19:30:11 ID:TBCTCYAS
信長の神がどうこうってのはシャレだろう
本尊はただの石だし
自分を神格化するなら本能寺で公家を集めてどんちゃん騒ぎなんかしないって
ガチガチの宗教家であるフロイスらが
信長のギャグをマジで受け止めちゃったとしか思えない

147: 人間七七四年 2007/11/15(木) 19:51:38 ID:rcTTTKWZ
多神教で、偉人を神格化するなんて珍しい事じゃないけどな。
時代は下るが本居宣長によれば神は、「何か凄い物(超意訳)」だしw

148: 人間七七四年 2007/11/15(木) 19:55:15 ID:Tir4q9DS
そもそも仏教、それも政治に容喙するような宗派のみを弾圧しただけの信長が
なんで「無神論」とか言われてるのかわからん
神道や超俗的な仏教にはちゃんと敬意を表してるのに
江戸自体以降の神仏をごっちゃにする考え方のせいかね

149: 人間七七四年 2007/11/15(木) 20:01:14 ID:dXhYCxJG
>>148
それもフロイスの記述のせいじゃない?
ほんと罪つくりな文章書いてくれたもんだぜ。廃棄処分のまま、再発見なんぞ
されなければよかったのに。

150: 人間七七四年 2007/11/15(木) 20:32:19 ID:Ypwi8BSS
信長の宗教弾圧の内の幾つかはイエズス会も一枚かんでたのに。信長が死んだ途端に「自らを崇めさせたせいで死んだ」の手の平返し酷いす。
本国への報告があるから仕方ないかもだが

154: 人間七七四年 2007/11/16(金) 02:52:06 ID:x/sBqT6K
宗教弾圧というより、むしろ逆だろうね
やはり、楽市楽座が大きいのかも
経済の自由化によって既得権益を失った宗教勢力が
信長に対して徹底抗戦をしたというのが正しい解釈だと思う

155: 人間七七四年 2007/11/16(金) 05:24:28 ID:DCg5oaf1
宗教勢力が信長に抵抗したのは、既得権益を取り上げられたからというのは賛成だが、
それを楽市楽座に帰すのはどうよ。
楽市楽座を領国全てに適用したかと言えばそうではなく、
従来の座などの既得権益も認めては居るんだぜ。

156: 人間七七四年 2007/11/16(金) 08:23:27 ID:egMC9QtQ
信長の楽市楽座を中途半端で意味のないもの、みたいな解釈が多いのだけど、既得権益組からみたら
次は我が身、みたいな危機感はあっただろうし、本格的に武力統一してたらそうやって
全国に経済政策の一環として広めてたろうし、信長の統一構想の障害になってたのは宗教勢力だから
やっぱり楽市楽座なんかは結構大きな意味を持つと思うけどね。

引用元: ・信長って意外と甘くない?


現代語訳 信長公記 (新人物文庫)
太田 牛一
中経出版
売り上げランキング: 1,867