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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/18(水) 17:41:26 ID:Oky1mQ770
司馬遷著、史記について語りましょう








224: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/02/07(木) 22:10:37.09 ID:cLjrMXKW0
荊軻が待ってた薄索っていったい何者だったんだろうな
高漸離は始皇帝暗殺しようとして失敗したけど、名前だけ残って楚の人間で信頼できる友人としか伝わっていない
荊軻のために始皇帝暗殺しようとしたわけでもない
荊軻に「始皇帝暗殺することになっっちまったんだが手伝ってくれないか?」と言われて無視したんじゃないかと思ってる
実際あと1年待っても薄索は来なかったと思う

225: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/02/08(金) 00:08:59.22 ID:uqvwNzHr0
「史記索隠」によれば薄索らしいが史記には名前は出てこない。「史記索隠」がどこから引いてきたのかも判らないので”名前も何も一切不明”が正しい。
それよりも生まれついての人殺し秦舞陽でさえブルッた始皇帝を平然と暗殺しようとした高漸離を一緒に連れて行くべきだったとは思う。

226: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/02/08(金) 08:36:54.37 ID:3/sFxlK90
>>225
よくよく考えればそうだなw
近くに信頼できる友人がいたのに来るかもわからない遠くの友人を待っていたと
太子が疑ったように荊軻は最初から行く気なかったのかもしれんw

211: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/01/07(月) 04:48:26.99 ID:W3Vu14MZ0
この時代って、名前が否定文になってる人がちょいちょいいるけど、曹無傷とか申不害とかはまあわかるんだけど、魏無知ってどういう意図の名前なんだろ?

229: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/04/06(土) 00:33:36.59 ID:IkNtQ9z70
>>211
老子に「知恵出でて大偽あり」って一説があるんで、無知=偽りがないって意味じゃなかろうか

213: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/01/07(月) 14:04:52.86 ID:p0EFUrWm0
時代が違うけど霍去病は病弱だったんで病が去るように名付けられたらしいな。
188: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/12/31(月) 00:57:58.80 ID:pFbeslho0
秦の范雎が王稽の罪に連座して昭襄王に処刑されてたとは知らなかった
史記も結構いい加減だよな


死についての異説
『史記』によれば、范雎は致仕することで生涯を全うすることができたとある。
だが始皇帝時代の睡虎地秦墓11号墓より出土した『編年記』の昭王52年(紀元前255年)の記述には
「王稽・張禄(=范雎)死す」とあり、これによれば范雎は王稽に連座して処刑されたと推測される

189: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/12/31(月) 01:03:15.31 ID:pFbeslho0
やっぱ鄭安平が趙に降った時は昭襄王もかばえたが、王稽が他国と通じてた反逆罪の時はもうかばいようがなかったのかな?
白起をハメたのは明らかに范雎だし宮廷内でも敵を作り過ぎてて、そいつらが昭襄王に法に基づいて罰するように主張してもおかしくないよね
それとも案外昭襄王も范雎が目障りになってきてたとか?

190: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/12/31(月) 13:11:59.62 ID:HmT1V4+B0
戦国策を読むと、昭襄王と范雎の関係も完全な蜜月ではなかった様なところがある
内容は殆ど忘れたけど、何かがきっかけで信頼が薄れた様な話があったんだよな

191: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/12/31(月) 23:35:42.10 ID:BOB9/6We0
汝南失陥のヤツかな
王稽張禄死は昔、春秋戦国総合スレで議論したっけ

194: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/01/01(火) 17:51:39.57 ID:tm0INAjy0
>>191
結論どうだったの?
墓から出土したこの手の記録でわざわざ嘘書く必要ないよね?

195: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/01/01(火) 22:07:52.74 ID:agwnupSB0
>墓から出土したこの手の記録でわざわざ嘘書く必要ないよね?

嘘というか間違いとかもあるからな
習鑿歯とかでも『襄陽耆旧記』『漢晋春秋』の同じ記事で内容違ってたりするからな

196: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/01/01(火) 23:00:07.54 ID:UJ2KHjSg0
間違いもあれば偽作もある

あえて言えば「范雎説話あやしい…」っていう感想が結論だったかと
編年記の五文字じゃ王稽張禄という者が同年に死んだということしか分からんし

197: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/01/01(火) 23:16:06.46 ID:DhrOEgA90
范雎が辞職して平安な余生を過ごしたって通説と、王稽・張禄が同年に死んだってのはさすがに辻褄あわないよね?

198: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/01/02(水) 00:19:25.47 ID:pzvqCXpu0
合わんけどそこで退場したという点は共通しています
春秋戦国を扱う文献には矛盾する内容の説話的記事がよく見られる

古代中国人の世界ではその程度の相違は誤差の範囲と言えよう

201: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/01/03(木) 23:19:26.78 ID:skS+blEb0
范雎って悲惨な前半生があるから出世したのをなんか応援したくなるが、王に取り入っての権力闘争が得意な趙高みたいなやつだよな

202: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/01/04(金) 00:07:36.18 ID:sNaM9WDq0
商鞅みたいに秦の制度を抜本的に変えたわけではないしね
昭襄王に権力集中させるために母親や親類を関中から追い出したことで丞相の座もゲットして、遠交近攻方針で周辺国を滅ぼしたのは見事だけど、やはり白起の邪魔をして自決に追い込んだことで自分の命運も尽きちゃったのかな

203: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/01/05(土) 17:27:07.54 ID:f1jIp/gC0
史記等を見る限り
逸話が比較的豊富な戦国期の名臣の多くが王侯にゴマすって権力闘争するのが得意な趙高型である件

戦略を転換した結果周辺国を滅ぼしたのであれば范雎の功績は商鞅に勝るとも劣らないだろうよ
…商鞅変法や遠交近攻が本当に抜本的な変革であればの話だけどね

207: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/01/06(日) 00:56:46.24 ID:MqH7+lZj0
宮城谷が「青雲」(范雎は致仕後すぐ私的に自殺)は仕方ないとしても、「奇貨」か「戦国名臣列伝」(没年は記載あり)でこの件触れてたらわりと周知の事実になってたはず

208: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/01/06(日) 13:07:34.98 ID:HfRIPWrF0
逆の設定があったような?
范雎が死んだから、後ろ盾を亡くした王稽が謀反した。
宮城谷さんの後書きだったか?エッセイだったか?
范雎ってひどい暴行受けてたから、あちこちに後遺症とか残って、長生きは出来なさそう。当時の医学じゃw

209: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/01/06(日) 17:23:33.94 ID:MqH7+lZj0
ほう、宮城谷さんはそういう設定も書いておられるのね?
范雎主役の青雲では普通に王稽失脚→范雎致仕

しかしながらこうなると便所から立身の方も真相はどうだか…
范雎は戦国のレジェンドたる蘇秦張儀と比較しても遜色ないほど充実したエピソード群を誇る稀有な人物
この点では政敵?白起を圧倒し、蘇秦張儀や孟嘗信陵と競うレベル(個人の感想です)

史記范雎伝の人物一代記としての完成度は他の戦国列伝を凌ぎ、司馬遷の評価も高い
これほど上等なモノですら信憑性はご覧の有様
ということは范雎関係逸話はもちろん他の戦国故事も推して知るべし

210: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/01/07(月) 00:18:14.22 ID:lUyUIzXL0
今更だが、基本的に当事者同士しか知り得ない話
特に何故か事細かな会話文が記録されているエピは眉唾やね

とりあえず范雎蔡沢、范雎昭襄王、范雎白起……
あと范雎を説得し趙進攻を一時停止させた蘇代も

212: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/01/07(月) 08:10:46.60 ID:px0WlWcF0
陳平が兄嫁と密通したって話もさ、その一方で兄貴は陳平が出世すると見込んで自分は農作業して陳平には勉強させていて、兄嫁が働かないタダ飯食らいの陳平を疎んじてたって話も書いてたり、色々矛盾するんだよな

215: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/01/07(月) 14:23:20.49 ID:xgbHDyrM0
司馬遷の時代からすればかなり近い楚漢戦争の頃の逸話でも結構怪しいのあるくらいだもんなぁ
日本でもたった400年前の戦国時代の話ですらよくわからんしね
最近じゃ関ヶ原で大規模な全面衝突なんかなかったって話だし

216: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/01/07(月) 18:30:29.92 ID:W3Vu14MZ0
関が原に例えるのは大げさ過ぎる気もするが、楚漢戦争から史記って100年ちょいでしょ
まあ日露戦争くらいか
司馬遷が若い頃なら、秦代生まれの人も探せばいただろうし

261: 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/09/23(水) 00:16:43.13 ID:zspmBZUH0
>>216
その人を探したり書物を見つけるだけでも当時はものすごいハードルが高そうだ

262: 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/09/23(水) 19:29:31.62 ID:Gc3aBvf40
文帝が彫塑を学びに行かせた複製は九十過ぎの老人だったとかだし
秦時代の人間は生きていても当時赤ん坊で今老人だろうし、、、

217: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/01/07(月) 19:46:46.20 ID:dFRnJeoa0
日露戦争も70年やそこらで司馬遼太郎の坂の上の雲なんていう小説や203高地っていう映画のせいで乃木希典が愚将扱いされちゃって、それが事実のように皆信じてるからなぁ
ミッドウェー海戦はあと5分あれば勝ってたとかも信じてる人がほとんど

文書や映像が残っててもこれなんだから数百分の一レベルの記録しか残っなかったであろう司馬遷の時代だと、どこまで本当か分からないような記述でもそのまま受け入れるしかないわな

218: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/01/08(火) 00:49:51.40 ID:MoefjF+10
実際に記録通り夏王朝は発掘されたし中国の古代記録の価値の高さは疑いようがないな

220: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/01/08(火) 16:18:40.06 ID:MB8+83r00
紙すらない時代から記録を残しまくる心ざしには恐れ入る

236: 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/06/03(水) 03:05:46.06 ID:KCLF8ZX00
司馬遷は武帝に対する個人的な恨みがあるからな
でも武帝が前漢が滅亡する遠因になったのは歴史的にも明らかだし司馬遷が正しいことを武帝自ら証明してしまった

239: 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/08/29(土) 07:02:45.81 ID:+GVxv5J20
司馬遷は孔子に(儒教に)対して、どんな思いを持ってたんだろうか

孔子が小と評した管仲、孔子の仕官を妨げた晏嬰を列伝二に、儒と対立する老子・韓非を列伝三にしたのが、何か意図を感じる
でも、孔子を世家に入れる特別扱いもしてるのが解せない

240: 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/08/30(日) 14:33:41.61 ID:CMJhzpGM0
司馬遷は孔子を尊敬していたが孔子は宦官を忌み嫌っていた
ジャンヌ・ダルクが売春婦を忌み嫌っていたように
美化なしで孔子が現代に蘇ったら司馬線を評価するかどうか

243: 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/09/20(日) 10:29:21.96 ID:s/piQxoK0
司馬線はずっと出世できなくてこれは異例であると横山光輝にあったから、それが事実なら多分印象が悪くてあまり好かれないタイプじゃなかったのかな
特にこんな悪いことをしたってのがないから、何か無市が好かないって感じの出世できない人

251: 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/09/20(日) 17:38:52.33 ID:xU4lAd7a0
司馬遷は腐刑になって獄に繋がれたのち大赦されると中書令に任じられた。これは以前の太史令より上のポストです。ずっと出世できなかったというのは間違いです。
ただし中書令は宦官の職なので宦官嫌いの司馬遷への嫌がらせの意味もあったと思われる。

278: 名無しさん@お腹いっぱい。 2021/05/09(日) 09:51:14.25 ID:L8CaJ0pR0
>>251
去勢して三年監獄の中だったんだよね

252: 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/09/20(日) 18:13:38.38 ID:s/piQxoK0
中書令は高位の官職だと思いますが投獄されて数年間拷問を受けて去勢されているからなあ
子孫をのこした後だからまだましだけど

253: 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/09/20(日) 18:43:49.76 ID:s/piQxoK0
司馬遷は娘とは言え、子孫を残せたのが不幸中の幸いか、、、

引用元: ・史記について語るスレ


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