D51とC57を十条・日暮里で撮る  昭和43年11月赤羽線・常磐線撮影日記

 日常に戻り、近所での撮影を続けました。 昭和43年11月 (幾度となく通った板橋駅北方の陸橋の下から撮りました。) (写真06300 赤羽線 十条~板橋 D51631 68.11) (いつも同じ構図になりがちなので変化を狙って流し撮りしました。) (写真06301 赤羽線 十条~板橋 D51631 68.11) (なつかしのカナリアイエローの101系が走り去っていきました。) (写真063-1 赤羽線 十条~板橋 101系 68.11) (日暮里へ移動し、常磐線経由成田行きC57客レを撮りました。) (写真06136 常磐線 上野~日暮里 C57134 68.11) (C57134は翌年4月にこの常磐線経由成田行きの最終列車を牽引したとの事。) (写真06302 常磐線 上野~日暮里 C57134 68.11) (日暮里駅への進入です。学生と思われる乗客が多く待っています。二人がホーム先端に来て写真を撮っているようです。) (写真06303 常磐線 上野~日暮里 C57134 68.11) (急いで跨線橋を降り、尾久橋通りに走っていき、日暮里駅の先の陸橋を渡る姿も撮りました。) (写真06304 常磐線 日暮里~三河島 C57134 68.11) 以上

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昔の撮影地に行ってきました(九州編)

 今年(平成31年)の4月にガリチョンが、このブログの撮影地に行って写真を撮ってきてくれました。ドローンを使用しており、全体が見通せて私の断片的な記憶が繋がり当時の情景がより鮮やかに脳裏に浮かんできます。その旅行記を掲載します。(以下ガリチョンの記述) 当ブログ「昭和45年九州SL撮影旅行記(8)」の撮影地 豊肥本線 宮地~波野 (写真73)  下の私の写真No,1の左側、小さな赤い屋根の建物が宮地駅で、そこから横にまっすぐ線が伸び、左から1/4くらいで斜め右に曲がって、白い列車が写っている所に来ます。写真73はこの列車の位置の少し宮地駅寄りからこの列車の方に向かって撮ったものと推測します。 (写真No.1) この位置の180度反対側が写真No.2で、列車はしばらく直進の後、左にカーブして森の中に入ってゆき、左側に一部写っている外輪山の裾あたりでトンネルに入ります。 (写真No.2) 植林がずいぶん成長しています。  途中トンネルが途切れて列車が出て来ます(写真No.3の丸印のところ)。 (写真No.3)  最後はトンネルで外輪山を抜けて阿蘇の外へ。この様子をブログでも「左にカーブして」「一声の汽笛がしてブラストが消え、トンネルに入った」「またブラストが聞こえて」「再び消えて、もうブラストは聞こえなくなった。ずいぶん歩いてからだ。」などと記してあり、実際の地形の様子がうまく表現されていると思います。  8ミリ動画では96が黒煙…

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昭和45年九州SL撮影旅行記(9)

九州SL撮影旅行記の10日目です。 4月1日(水)  5時半頃(だったと思う)目を覚ますとようやく空が白んできた。SL牽引かと思ったが汽笛はかん高い嫌な音だった。喜々津を過ぎたので外をよく見ていると何箇所かいいところが有った。大草に着いて(6:04)トイレで小用をして喜々津方へ戻って行った。他に3人いて一人は先に行っていた。例の場所を先に取られてはやりにくいと思ったが一人ならたいしてじゃまではなかろうと思い、ゆっくり行った。C57の前にD51が来るはずなのでそれは別の所で撮ろうかと多い一度止まったがやはり後から二人来るのが気になって先に行くことにした。  例の場所の端に来た時正面に太陽が有って海が光りいい感じだったが、ファン誌に出てくる写真を撮ったと思われる所まで行って待機した。先に歩いていた人はそこでは止まらずに行き、後から来た二人はさっきの逆光がきれいそうな所で待機した。前に来るD51を別の所、できれば逆光で撮りたいと思い先に進んだがレールの見えるところは無く音を聞いただけだった。  C57は弟に予定通りコードで後ろからエクタで撮らせることにし、私はどうしても逆光で撮りたくなったのでPXを持って二人の所へ行き挨拶して一緒に撮らせてもらうことにした。しかしもう遅かったのか、海面の光りの筋は隨分向こうへ去ってしまって道からではその光条とロコが離れてしまいそうだったので少し下へ降りた。C57の門デフが来た。やはり光の分布域が物足りなかった。 (写真84)   (写真85) …

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