いろんな医師がいるものです(長い独り言)
category - 病院関連
2024/
09/
14こんにちは^^
ちょうど一年前の今頃、突発性難聴になって病院通いをしていたときのお話しです。
今頃なぜ、、、なのですが、当時のとんでもなく嫌な思いをちょっと書いてみたくて。
病名を医師から伝えられた時は、「まさか自分が」とは思いましたが、心身ともにかなりまいっている時期でしたので仕方がない。
治療しなければともらったステロイド剤を飲みました。
私は抗生剤のような強い薬を飲むと必ず胃腸を壊すので、ましてや人生初のステロイド剤が怖かった。副作用を確認するために、PCで日々の体調などをつけて次の通院日に持参しました。
↑ この体調表をつけるという行為が、医師にとっては許せない行為だったようです。
医師:「こういうものはつけないように!」 「こういうことをする人は病気が治らない人です」
私:「?・・・」 「私は毎朝血圧や体重などを測ってつけています。私の生活の根幹ですが」
な~んていう会話をニコニコしながら続けました。
その医院は、自由診療でカウンセラーをしていたので、会話の中で引っ張られているのを感じました。
まず、患者(私)の生き方を変えさせようとするところからきました(@_@)
私的にはカウンセラーの存在がイマイチ。海外ドラマでの位置づけはかなり高いと思われますが(真偽のほどはわかりませんが)、私は一番受けたくない分野。
医師は自分の首をこれでもかというほど横に曲げて
「あなたのように心の曲がった人を直すには相当時間がかかります。直さないと病気も治らないし幸せになれません」
だって。
(心の中で)「そこまでいうか」と笑いながら、医師があまりに理不尽な事ばかり言うから、しっかり反論しながら会話したことが気に食わなかったようです(笑)
まっ、おへそが曲がっていることは認めますが(笑)、あなたに言われることではないと思いながら。
医師の話によると、
彼は幼少期からずっと上だけを見て生きてきたらしい。
教育熱心な親だったようで、いつも一番になることを目指して生きていた。
地方の国立大医学部で一番になって?、あるとき東大のトップと話をする機会があって尋ねたら、
「世界には上がいくらでもいる」
と言われて、力が抜けて上を目指すのはやめたとのことでした。
そしてカウンセラーによって、幼少期のトラウマを封じ込めて生き方を変えてとても幸せになったと。
医師:「お花畑で生きることが人の幸せです」 「ここはそういう場所です」
私:「私は小さな目標に向かってコツコツ歩いて、あるとき(何年に一度でも)ほんの小さなブレイクスルーを感じたときが一番幸せです。そういう生き方が好きです」
医師:「そんな昭和みたいな生き方をしていると病気になる」 「平成の若者は、学ばなくてもちゃんとして生き方ができている子もいる」
だそうです。
私は、お花畑という言葉からあるパラレルワールドを連想してしまい、ゾッとしました。
かつて、マインドコントロールで国中を騒がせた、ある宗教団体を思い出してしまったほど。
「私、この人無理!」って思いながら、どこで切り上げようかと考えていました。
私の印象ですが、医師は親の呪縛から解き放たれて幸せになったかもしれないですが、それは万人に当てはまることではありません。
私は(心の中で)、「あなたにカウンセラーは10年早い! もっと勉強しろ!」って叫んでました(笑)
だって、どんな哲学者も最終的にはお花畑に行きついているなんて言うんだもん!
それがわかる書籍を教えてくださいと言ったら、ウーン、いろいろなところに書かれているから無理だって。
分野別に有名な師について学んでいるって言ってたけど、私は受け売りだと感じたし、自分にとっていいどこどり、都合の良い解釈をしていると思えました。
最終的にやりとりは15分ほどにもなり、やっと解放されて待合室に戻ったら、しーんと静まり返った部屋の中、患者さんたちの苛立ちの空気が重たかった!
とても人気のある医師なので、もう顔も見たくないと思う私のような患者は珍しいのだと思います。
勿論、2回通っただけで別の病院に変えました。
転院の不安はありましたが、またもやPCで処方内容表などを作って持っていったら、
「しっかり治療できていますよ!」と言いながら(私が治療方針に疑問を持っていると思ったみたい)内容を入力して、厭な顔もせずに診てくれました。
治らない突発性難聴の三分の一に入っている私は、相変わらず聞こえないし風の音が鳴りっぱなしですが、「まっ、いいか」と諦めています。
難聴よりもあの時の出来事の方が病気になりそうなほど不快でした。
上記はあくまで私個人の体験です。私が合わなかっただけのことだと思います。
私も言いたいことはある程度言ってきたので、よしとしなければですね😊
話せばもっともっと長いのですが、これでもだいぶ割愛しました。
人生初のステロイド剤と、初の変な会話でした。
最後までお読みいただきましてありがとうございました。
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ちょうど一年前の今頃、突発性難聴になって病院通いをしていたときのお話しです。
今頃なぜ、、、なのですが、当時のとんでもなく嫌な思いをちょっと書いてみたくて。
病名を医師から伝えられた時は、「まさか自分が」とは思いましたが、心身ともにかなりまいっている時期でしたので仕方がない。
治療しなければともらったステロイド剤を飲みました。
私は抗生剤のような強い薬を飲むと必ず胃腸を壊すので、ましてや人生初のステロイド剤が怖かった。副作用を確認するために、PCで日々の体調などをつけて次の通院日に持参しました。
↑ この体調表をつけるという行為が、医師にとっては許せない行為だったようです。
医師:「こういうものはつけないように!」 「こういうことをする人は病気が治らない人です」
私:「?・・・」 「私は毎朝血圧や体重などを測ってつけています。私の生活の根幹ですが」
な~んていう会話をニコニコしながら続けました。
その医院は、自由診療でカウンセラーをしていたので、会話の中で引っ張られているのを感じました。
まず、患者(私)の生き方を変えさせようとするところからきました(@_@)
私的にはカウンセラーの存在がイマイチ。海外ドラマでの位置づけはかなり高いと思われますが(真偽のほどはわかりませんが)、私は一番受けたくない分野。
医師は自分の首をこれでもかというほど横に曲げて
「あなたのように心の曲がった人を直すには相当時間がかかります。直さないと病気も治らないし幸せになれません」
だって。
(心の中で)「そこまでいうか」と笑いながら、医師があまりに理不尽な事ばかり言うから、しっかり反論しながら会話したことが気に食わなかったようです(笑)
まっ、おへそが曲がっていることは認めますが(笑)、あなたに言われることではないと思いながら。
医師の話によると、
彼は幼少期からずっと上だけを見て生きてきたらしい。
教育熱心な親だったようで、いつも一番になることを目指して生きていた。
地方の国立大医学部で一番になって?、あるとき東大のトップと話をする機会があって尋ねたら、
「世界には上がいくらでもいる」
と言われて、力が抜けて上を目指すのはやめたとのことでした。
そしてカウンセラーによって、幼少期のトラウマを封じ込めて生き方を変えてとても幸せになったと。
医師:「お花畑で生きることが人の幸せです」 「ここはそういう場所です」
私:「私は小さな目標に向かってコツコツ歩いて、あるとき(何年に一度でも)ほんの小さなブレイクスルーを感じたときが一番幸せです。そういう生き方が好きです」
医師:「そんな昭和みたいな生き方をしていると病気になる」 「平成の若者は、学ばなくてもちゃんとして生き方ができている子もいる」
だそうです。
私は、お花畑という言葉からあるパラレルワールドを連想してしまい、ゾッとしました。
かつて、マインドコントロールで国中を騒がせた、ある宗教団体を思い出してしまったほど。
「私、この人無理!」って思いながら、どこで切り上げようかと考えていました。
私の印象ですが、医師は親の呪縛から解き放たれて幸せになったかもしれないですが、それは万人に当てはまることではありません。
私は(心の中で)、「あなたにカウンセラーは10年早い! もっと勉強しろ!」って叫んでました(笑)
だって、どんな哲学者も最終的にはお花畑に行きついているなんて言うんだもん!
それがわかる書籍を教えてくださいと言ったら、ウーン、いろいろなところに書かれているから無理だって。
分野別に有名な師について学んでいるって言ってたけど、私は受け売りだと感じたし、自分にとっていいどこどり、都合の良い解釈をしていると思えました。
最終的にやりとりは15分ほどにもなり、やっと解放されて待合室に戻ったら、しーんと静まり返った部屋の中、患者さんたちの苛立ちの空気が重たかった!
とても人気のある医師なので、もう顔も見たくないと思う私のような患者は珍しいのだと思います。
勿論、2回通っただけで別の病院に変えました。
転院の不安はありましたが、またもやPCで処方内容表などを作って持っていったら、
「しっかり治療できていますよ!」と言いながら(私が治療方針に疑問を持っていると思ったみたい)内容を入力して、厭な顔もせずに診てくれました。
治らない突発性難聴の三分の一に入っている私は、相変わらず聞こえないし風の音が鳴りっぱなしですが、「まっ、いいか」と諦めています。
難聴よりもあの時の出来事の方が病気になりそうなほど不快でした。
上記はあくまで私個人の体験です。私が合わなかっただけのことだと思います。
私も言いたいことはある程度言ってきたので、よしとしなければですね😊
話せばもっともっと長いのですが、これでもだいぶ割愛しました。
人生初のステロイド剤と、初の変な会話でした。
最後までお読みいただきましてありがとうございました。
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コメント
No title
私は大学病院に通っていたので、担当医がちょくちょく変わりました。
とても良い先生もいれば、まったくソリが合わない先生もいました。
我慢を続けて通っていましたが、この秋から群馬県の総合病院へ通うことになりました。
担当医は若い医師になるようですが、こちらの要望も聞いてくれたので、うまく付き合えそうです。
ちなみに母が最後にかかった医師が最悪でした。
介護施設のある病院へ転院を勧めてきました。
私と母は離れて暮らしておりましたので、埼玉の病院が良いといったところ
「ああ、いい病院があるけどなんていったかな・・・」で、話が終わってしまいました。
普通なら「調べておきます」と、いうと思いますが、「なんて言ったかな…」で終わってしまいました。
その旨を母の兄弟に話すと、それは金を要求していると言っていました。
金を出せば病院名を思い出したというパターンだろうとのことでした。
叔父叔母には、だったら私が転院先を探すといったのですが、
「ここから先は○○君は口を出すな。あとは私たち兄弟でどうにかする」
と、言って金を渡したようです。
こんな医師もいますので、患者側の理論武装は当然だと思います。
ステロイドと聞くとビビってしまいますが、上手に付き合えば良い薬だと聞いたこともあります。
信頼できる先生に巡り合えることができればいいですね。
2024-09-14 22:26 山の穴 URL 編集
Re: No title
医師との付き合い方、難しいと思います。
私はとりあえずですが、自分の気持ちの許容範囲を超えた不快さがなければよしとしています。
もちろん医師としての技量がなければ困りますが。
お母さまのこと、とてもお辛いご経験をされたんですね。
こちらにとっては大切なご家族の問題ですが、医師の感じ方は違うのでしょうね。
親族間でも考え方が違いますし、とても重大な問題だと思います。
いつも思うのですが、権力を持つ者(世の中に何種かいますが)は、その重さを認識できていなければいけないと。
その人の人間性の問題だとは思うのですが、悲しいし情けないって感じます。
2024-09-16 05:24 村松 佐保 URL 編集