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2016年8月26日 (金)

天孫降臨と神武東征/天皇の歴史(2)

田原総一朗『日本人と天皇 - 昭和天皇までの二千年を追う』中央公論新社(2014年11月)は、日本史の骨格とも言うべき天皇と時代との関係を、非専門家として追求した労作と言えよう。
1934年生まれの田原氏は、国民学校(小学校)5年生として、1945年8月の玉音放送を聞いた。
近所の人々6~7人と一緒に聞いたが、雑音が激しくよく聞き取れなかった。
「堪ヘ難キヲ堪ヘ、忍ヒ難キヲ忍ヒ」などという言葉は現在も覚えているという。
近所の人たちの捉え方は、「戦争は終わった」という人と「戦争を継続する決意を述べた」という人に二分された。

リオ五輪は成功裡に終わったと言えるだろうが、日本がポツダム宣言を受諾して戦争が終結した後も、ブラジルを主とした南米諸国やハワイ州などの日系人社会および外国で抑留されていた日本人の中には、敗戦という現実を受け入れられずに、「日本が連合国に勝った」と信じていた人々がいた。
「勝ち組」、戦勝派などと呼ばれたエピソードを思い出させる。
それだけ聞き取りにくかったということである。

田原氏は国民学校で、天皇家の祖先は天照大神だと教えられた。
記紀神話のストーリーを、歴史として教えられたわけである。
天照大神が「豊葦原の瑞穂の国」を統治せよと、孫のニニギを地上の世界に派遣した。
天孫降臨である。
Photo_3
日本の神様と神社「天孫降臨」

ニニギの曾孫にあたるのが神武天皇である。
現在、天孫降臨を事実と考える人がいるとは思えないが、「神武天皇のY染色体」などと真面目に論じている人は、神話と歴史の分界をどこだと考えているのだろうか?

天孫降臨について、古代史のパラダイムとして「南船北馬」論を提唱している室伏志畔氏は次のように書いている。

 私はこの両説を踏まえ、日本古代史の基本矛盾はこの南船系倭人と北馬系勢力の興亡にあるとし、日本古代史を東アジア民族移動史の一齣に回収し、その矛盾を「南船北馬の興亡」と呼び慣わしてきた。
 その天孫降臨を古田さんは、対馬海流上の天国領域の島々からの九州侵攻としたが、一国枠に限るかぎり、天孫降臨地にあるこの可也山の説明できないことは明らかである。私はそれを伽耶族の天国領域を橋頭堡としての九州侵攻に修正し、その時期を古田さんが「弥生前期末、中期初頭」(前二世紀中頃)の事件とするのを、「弥生中期末、後期初頭」(二世紀中頃)の事件とするほかなかった。それは天孫降臨を南船系稲作国家への北馬系勢力の侵攻とするなら、それは金印国家・委奴国への侵攻で、その征服後の姿が、「魏志倭人伝」に一大率支配下にある伊都国と見るほかなかったことによる。その一大を天の分け字とする『諸橋大漢和辞典』を踏まえるとき、一大国は天国、一大率とは天子の貴字をはばかるもので、本来の和名は天国、一天率は天率、つまり、天国軍司令官とするほかない。この意味は、女王国を邪馬壹国とした陳寿の表記はこれに倣った中国側の表記で、その和名が別に邪馬臺国としてあったことを思わせる。
 九州王朝・倭国の起源は、北馬系の天孫降臨に始まるのではなく、それに先立つ「呉の太伯の後」による南船系の委奴(倭奴)国に由来し、その南船系王統の流れに邪馬壹国、倭の五王、俀国を見るほかない。そして、この尾羽打ち枯らした姿が朝敵・熊襲となろう。
 しかし、記紀は皇統を天孫傍流の神武に始まるとした以上、皇統支配の成立は天孫本流の排除なしにありえない。記紀はそれを神武皇統に先立つ天神皇統(饒速日命皇統)を排除した欠史八代の内に隠したと私は幻視してきた。加えて記紀はその天神皇統がまた出雲王統の流れにあることを隠し、その流れを、今一つの朝敵・蝦夷として位置づけた。つまり、朝敵とは皇統に先在した出雲王統、倭国王統及び天神皇統の排除にあるので、神武皇統を戴く大和朝廷に先立つ先在王朝の排除にその起源を持っていたのだ。現在に至る部落差別の根源は、この記紀皇統の成立,天皇制の成立にその秘密をもっており、それを近世に始まったとする通説の現在の差別論の射程は根底から疑わねばならぬ。
日本列島の地名はこれら弥生王権や、それに先立つ縄文文化に彩られ多く成立した。それら歴史や地名をすべて皇統史に回収するお手軽史にたやすく乗ることなく、先在王統、先在皇統を掘り起こし記紀皇統に重層・接続する古代史の回復の内に、おのおのを独自に位置づけることなく、時代の風雪に耐えて生き延びた地名の意味回復はありえない。
南船北馬のブログー日本古代史のはてな?

室伏氏の見方は注目に値するが、現時点では検証が難しい。
天孫降臨について、「日本大百科全書(ニッポニカ)」 は以下のように解説している。

この天孫降臨の神話は、朝鮮半島の大賀洛(おおから)国の農耕祭を背景とした王者出現の神話(三国遺事(さんごくいじ))と類似するが、そこでは、春禊(しゅんけい)の日、長老たちの奉迎のなかを神霊の声のままに紅布に包まれ、金卵の形で聖なる亀峰(きほう)に天降る首露王(しゅろおう)(山の神、同時に田の神)の出現が語られている。したがってこの神話は、山岳的他界の観念を素地として、朝鮮半島から日本に受容された新しい形の神話である可能性が高い。この推定は、記紀が垂直的神降臨の記述のなかでなお、神が海上の神座に出現し、国を求めつつ、笠狭崎(かささのみさき)の波の穂に屋を建てて機(はた)織る乙女に迎えられるという水平的神出現の記述を残していることにより強められる。また『古事記』そのほかの伝承では、降臨予定であった父の天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)にかわり、出誕直後の邇邇杵命が降臨するが、その場合同時に司令神として天照大神の登場がある。これは、高皇産霊神→邇邇杵命の形に、天照大神→天忍穂耳尊の伝承を挿入するため案出された発想と考えられる。[吉井 巖]

いずれにせよ、東アジア史の中で考えることが必要だろう。
降臨した高千穂はどこか?
諸説あり、宮崎県にも2つの候補地がある。
⇒2013年1月 4日 (金):天孫降臨と高千穂論争/やまとの謎(75)
⇒2013年1月 5日 (土):2つの高千穂/やまとの謎(76)
いずれにせよ、九州のどこかであろう。

神武は日向を発って大和に進攻するわけであるが、日向が降臨の地であることには何らかの事実が投影されているのであろう。
神武の東征経路は以下のように考えられている。
Photo_4
海道東征

神武東征についても、何らかの形で史実を反映していると考えるべきであろう。

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コメント

で、お前は女系天皇にすべきと思ってんの?

投稿: | 2016年8月27日 (土) 22時07分

人の批判ばっかしてないで自分の意見言えよ。

投稿: | 2016年8月27日 (土) 22時12分

こいつの意見かと思ったら全部引用だった。わかりづらいったらありゃしないね(笑)

投稿: | 2016年8月27日 (土) 22時14分

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