初詣のあとは“おせち”
あけまして おめでとう ございます。
平穏な新年の朝を迎えることが出来た。
元旦の恒例は、歯磨き・洗顔などのあと、即、府中の【大国魂神社】に初詣。
8時を回っても、かなり広い神社の駐車場は満車で、入庫待ちの長い列・・・20分ほども待ってやっと入れた。
大鳥居をくぐって、長い参道を、両側に並ぶ屋台には眼もくれず(お腹が空いているので、焼き蕎麦・たこ焼・甘酒などの匂いが・・・)、提灯の列が連なり、門も二つほどくぐり、まずは清め水。
旧いお札をお焚き上げに出し、新しいお札を頂いてくる。
すごい人出で、賽銭箱の前はまた行列。
徹夜で疲れ気味なのか、少しやつれ顔の神主さんが忙しそうに小走りに境内を行き来する。
新たに頂いたお札は、神棚が無いので、飾り棚の鏡餅の横に置き(正月が過ぎればそのまま飾り棚の奥に・・・信仰心の薄さが分かる)。
ここからは昨日届いた“おせち”で、夫婦でゆっくりと昼酒。
昨年から、屠蘇酒を作るのは止めて、いい酒にホンの少し金箔を 浮かべて飲むことにした。
美味しい“おせち”と、上等な酒、気分はすっかり正月。
“おせち”と言うと、現在では正月料理とイコールになっているが、本来は節句の料理が総て“おせち”だった。
節句とは一年の節目のことで、その節(せち)に行う神事に供えた食べ物が節供(せっく)と呼ばれる。
中国(唐)から伝わったものは五節気だが、日本本来の節は正月とお盆、春と秋の氏神祭り、6/15の疫病会(祇園祭り)、8/15の十五夜と言われる。
この日は『ハレ(晴れ)の食事=ご馳走=おせち』を作り、神様とともに食べることが重要だった。
正月の“おせち”も、ご馳走を重箱などに詰めておくのは、年神様を迎える節供だからであって、けっして「主婦が正月に骨休めするため」では無いのだ。
と、言いつつ、実は最近の私は時流に乗って、“おせち”で骨休めをさせて貰っている。
子育て中は、“おせち”の意味を教えながら、伝統料理を作っては重箱に詰めたものだが、子供が成長して、年末年始にスキーだとかカウント・ライヴだとか言って友人と過ごすことが多くなり、夫婦だけの正月になってからは、ほとんど料亭の出来合い“おせち”だった。
私が取材に行く老舗料理店でも“おせち”の重箱詰めの注文を受けていて、重箱を預けておくと“おせち”を詰めて晦日に渡してくれた。
付き合いで買ったのが病みつきになって、毎年のようにいろんな料理店の“おせち”を味見してきた。
私が仕事を辞めて、娘が嫁いでからは、デパートのカタログで注文。
息子も家庭を持ち、本当に夫婦だけになってからは、暮れから正月を温泉やホテルで過ごすことが多かった。
昨年は行き付けの《梅の花》の“おせち”\23,000だったが、今年は《イオン》で出した“平野寿将のおせち”。
名料理人と言われる人の料理は、取材の時か前後にほとんど頂いたが、平野氏にお会いしたことはあるのに、料理は頂いたことが無い。
平野氏の名前に釣られて選んだのだが、当然ながら氏は監修しただけで直接作ってはおられない。
それでも、献立を決め、味をチェックされたろうから、まずはOKということで・・・。
例年の予算に比べるとグンと安く済み、二人用で\15,000。浮いた分は《梅の花》の湯葉巻きなど数点買った。
この“おせち”が、元旦の昼・夜の酒肴になる。私が準備したのは、岩手・赤鶏のガラと羅臼昆布、大分ドンコ椎茸などで出汁を取ったお雑煮だけ。
明日からはスーパーも開く。すき焼きでもしよう。
三日には娘夫婦と息子夫婦が孫達を連れて集まるので、正月の手料理はその時に頑張る。
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